掲載誌『FINANSURANCE フィナンシュアランス』のご了解を得て、全文を掲出いたします。ご配慮に深く感謝致します。 |
明治生命と安田生命の合併に伴い、旧・明治生命フィナンシュアランス研究所は、2004年1月より明治安田生活福祉研究所と改称されました。 |
山田晴通 ・
山田 晴通(やまだ はるみち) (東京経済大学コミュニケーション学部助教授) 略歴 1958年 福岡市生まれ 1981年 東京大学教養学部教養学科卒業 1986年 東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学 1986年 松商学園短期大学商学科専任講師、1990年同助教授 1995年より現職 専門分野 社会経済地理学、地域メディア論 主要著書 「地理学におけるメディア研究の現段階―「情報の地理学」構築のために―」『地理学評論』(1986年 日本地理学会) 「JCTVの事業展開と経営的成功の背景」『新聞学評論』(1989年 日本新聞学会) 「フィクションとしての都市」磯部卓三、片桐雅隆編『フィクションとしての社会―社会学の再構成 ―』(1996年 世界思想社) 「ドラマ作りの村―長野県山形村」児島和人、宮崎寿子編『表現する市民たち 地域からの映像発信』 (1998年 日本放送出版協会) 「ポピュラー音楽の複雑性」東谷護編『ポピュラー音楽へのまなざし』(2003年 勁草書房) 他多数 |
I 「コミュニケーション」とは何か
1 「コミュニケーション」の語源
筆者の勤め先は、東京経済大学のコミュニケーション学部である。1995年に学部が開設されたときには、日本の大学で初めてのカタカナ表記の学部名であった。その後、いろいろな大学で、さらに耳慣れないカタカナ名称の学部も出てきたので、今となってはそれほど珍しいとも言えないが、それでも、初対面の方と名刺を交換するときなどには、学部名がたびたび話題になる。
コミュニケーション学部がカタカナ表記になっているのは、コミュニケーション学の日本への紹介・普及が、もっぱら戦後になってからであったことを示している。
試みに、手元にある戦前発行の英和辞典数点にあたってみたが、communication には、伝達、通達、通信、音信、消息、通報、通牒、連絡、等々の訳語が与えられており、カタカナの「コミュニケーション」という文字は見られない。ちなみに、この時期の英和辞典には、例えば、marketing にも「マーケティング」という訳はもちろんないし、「市場で売買すること」という意味しか与えられていない。また、「エネルギー」や「サービス」は、それぞれ energy や service の説明に用いられているが、後者はもっぱら「給仕」の意味で用いられていたようだ。
幕末や明治時代の知識層が、共有された知的財産となっていた漢籍の知識を活かしながら、欧米を起源とする外来の概念に対して、創意に満ちた訳語を編み出したのとは対照的に、戦後、主にアメリカから輸入された学問的概念の場合は、カタカナで表記される外来語として定着したものが多い。「コミュニケーション」も、そうした概念の一つであるが、一見わかりやすく思えるカタカナ表記によって、その含意は逆にわかりにくくなっているかもしれない。
原語の communication を後ろから順に分解していくと、最後の -ion の部分は名詞語尾、その前の -at(-ate から e が脱落したもの)は動詞語尾、その前の -ic は形容詞語尾であり、この単語の後半は、「〜的にすること」、「〜のようにすること」、あるいは、一言で「〜化」と訳されるような品詞の転換を示している。問題は、前半の commun だが、これはこのままの形では英語の単語になっていないが、-e を補えば、フランスなどの「最小規模の自治体」を意味する「コミューン commune」となるし、名詞語尾 -ity をつけて「コミュニティ community」とすれば、いうまでもなく「共同体」ということになる。これらの語源は、ラテン語で「共有財産」「共同体」「自治体」を意味する commune であり、その含意は現代の英語や、ヨーロッパ諸語に受け継がれている。つまり、「コミュニケーション」は「共有化」なり「共同体化」という意味なのである。
2 コミュニケーションによる「共有化」とは
コミュニケーションが「共有化」だというのは、どういうことだろう。一つの例として、親と子が対面している場面を想像してみよう。親が自分の財布から1万円を出して子に渡せば、子はその1万円を獲得して所有する貨幣を増やしたことになるが、親はその1万円を失って手持ちの貨幣を減らしたことになる。そんなことは当り前だと思われるだろうが、貨幣であれ、モノであれ、あるいは形のない権利のようなものであれ、およそ所有の対象となるものは、誰かに伝えようとすれば、それは譲渡することになる。親は、その対象物に対する自分の所有権を放棄して、それを子に伝えることになる。
ところが、これが貨幣やモノではなく、知識や情報だったらどうなるだろう。親が子に何らかの知識を伝えようとして、話しかけているとする。もし、この試みがうまくいって親のもつ知識が子に伝わったとしても、親はその知識を失うわけではない。その知識は親子の間で「共有化」されたことになる。知識や情報が共有化されたのだから、「コミュニケーション」が成立した、と言い換えてもよい。
貨幣やモノなどの場合とは違って、知識や情報は、コミュニケーションによってそれを共有する人々が増えていけば、社会に存在する知識なり情報の総量は増大していくのである。
3 コミュニケーションの社会的意義
もちろん一方では、個人がもっている知識や情報は、常に少しずつ忘却されて失われるし、その個人が死ねば丸ごと失われてしまう。どんなに博識な人物がいても、その人のもっている知識や情報は、例えば著作などの形で肉体から切り離され、外部化されていない限り、ご本人が亡くなれば社会から消失する。また、ある種の職人技のように、言語化し得ない知識や技量には、そもそも外部化が不可能に近いものも多い。
そうした知識などの中には、社会の変化の結果、社会的な必要性が失われ、歴史的役割を終えて消えていくべきものだとみなされるものも少なくない。しかし、そうした過去の知識や情報や技量であっても、人類の歴史から永遠に失われることが望ましくないものは多々あるはずだ。
時間の流れの中で社会が再生産され、その機能が維持されるためには、社会が必要とする知識や情報が、コミュニケーションによってより多くの人々に「共有化」されることで保持され、いつでも機能し得るようになっていなければならない。社会は、世代間の継承を軸とした情報の「共有化」によって組織され、再生産されるものである。その意味で、コミュニケーションは共同体としての社会を支える「共同体化」の試みであり、「共同体」の構築と保持を推進する活動である。
II メディアとメッセージ
1 相対的な関係
コミュニケーションについて論じるとき、しばしば問題となるのが、メディアとメッセージの関係である。一般的に、コミュニケーションにおいて伝達される知識なり情報は、送り手から受け手へ送られるメッセージであり、そのメッセージを運ぶ仕組みがメディアである。
注意しなければいけないのは、メディアとメッセージの関係が相対的なものであり、視点の置き方によって何がメッセージで、何がメディアかは、変わってくるという点である。例えば、読者がいま読んでいるテキストは、紙に印刷され雑誌に掲載された文章であり、その意味では、雑誌、ないし紙がメディアとなって、このテキストをメッセージとして運んでいるとみなすことができる。しかし、少し視点を変えると、このテキストは日本語の文字で構成されていて、読者はこの文字列を見て、日本語の音声や意味を読み取っているのであり、テキストはメディアに過ぎず、メッセージはそれが伝える音声なり意味であると考えることもできる。
メディアとメッセージの関係は、乗り物と運搬物の比喩によって語られることが多いのだが、こうしたメディアとメッセージの関係は、単純化すれば、フェリーに乗り込んだ自動車の運転手の比喩を用いて説明される。この場合、自動車はフェリーに乗っているのだが、その自動車は運転手を乗せているから、自動車は「運ばれるもの」であると同時に「運ぶもの」でもあり、このテキストがメディアであるとともにメッセージであるといえる。
2 自律性と相互依存
私たちが獲得した知識なり情報は、そのほとんどが(あるいは、考えようによってはすべてが)直接の経験によって得たものではなく、何らかの意味でのメディアによってメッセージとして入手したものである。こうした考えに立てば、メッセージとメディアの関係は、私たちの認識や思考の根幹に深くかかわっていることになる。
メッセージとメディアは、ある意味では相互に独立する自律的な特性をもちながら、他方では相互に依存し、感応しあう、微妙な関係にある。新しい技術が出現し、新しいメディアが生まれれば、それを用いた新しい形態のコミュニケーションは、メッセージの特性にも新たな側面を与え、遂には私たちの認識や思考をも変えていくかもしれない。
例えば、あるいは活版印刷術の、あるいは電信や電話の発明が、それぞれの時代において経済活動や社会制度に大きな影響を与えてきたことを想起すれば、こうした構図が現代に限ったことではなく、人類の歴史において繰り返されてきたことであることが理解されるだろう。
比較的最近の例でいえば、インターネットや携帯電話の普及が、私たちの認識や思考に何らかの影響を与えているのではないか、といった議論は、こうしたメッセージとメディアの関係を念頭に置いたものである。
もちろん逆に、私たちが日常的にメッセージをやり取りするコミュニケーション活動のなかから、ある種の新しい形態のコミュニケーションへの需要が形成され、それに応じることを課題として新たなメディアが開発されるという方向での変化も当然ありえることだろう。これは、マーケティングでいう「シーズ」と「ニーズ」の問題(新技術から商品を開発して需要を喚起していく方向か、需要に応じる商品を開発すべく新技術の発展を促す方向か)だが、とりえあえずここでは、メディアとメッセージが相互に独立し、自律的に変化(あるいは進化)していく仕組なり可能性をもちつつ、相互に影響しあう関係にあるという点だけを確認しておこう。
3 技術と社会の関係への展開
前段で述べたように、コミュニケーションは、知識や情報の「共有化」を通じて「共同体」の構築と保持を推進する活動である。そうだとすれば、私たちが生きる現代社会が、一方では情報技術とメディアの面で急速かつ広範囲な発達(あるいは肥大化)を経験し、他方では身近な近隣から「想像の共同体」としての国家なり地球社会に至るまで、あらゆるレベルで社会の変質なり再編を経験しているという状況は、かなりの程度まで、コミュニケーションを中心概念として統合的に分析し、了解することができるはずである。
新しいメディアが開発され、普及していくことで、私たちのコミュニケーションが変わり、社会関係が変わって、新しい社会への変化が生じていくのかもしれないし、社会関係の変化が進むからこそ、新しい形態のコミュニケーションが都合のよいものとして歓迎され、新しいメディア普及が進んでいくのかもしれない。いずれにせよ、メディアとメッセージの微妙な関係は、技術と社会の関係へと展開されることになる。
III インターネットと携帯電話の急成長
1 インターネットと携帯電話の普及
バブル経済の崩壊後、1990年代は「失われた10年」となり、その後も景気の低迷が続いている。ポストバブル期といわれる昨今の日本経済について論じることは本稿の射程の外にあるが、そうした経済の全般的な不振のなかでも、広い意味での情報産業の分野では、新しいビジネスが次々と生まれ、急成長する企業や業種、急速に普及するメディアやシステムが現われてきた。
特に、コンピュータ技術の発展によって、従来アナログ系の技術基盤に載っていた諸々のメディアがデジタル系の技術の下に統合される方向で再編されてきたことは、音楽CDや家庭用ゲーム機器のようなパッケージ系メディアとスタンド・アロン型機器の組み合わせから、一対一のコミュニケーションを支える通信システムなどのコモン・キャリア、さらには通信衛星を介した委託放送事業などのマス・コミュニケーション・メディアまで、広く情報メディア全般に渡って変革をもたらした。そして、それらを統合する場としてのインターネット空間の出現(あるいは一般社会への普及)は、間違いなく1990年代最大の画期的な出来事であった。
日本におけるインターネットの普及過程については、いくつか算定根拠の異なる推定値があり、各年次における普及率などの具体的な数字にはばらつきがある。一般的には、1990年代前半に環境の整備が進み、1995年が日本におけるインターネット普及の起点となって急成長が始まったと考えられている。一方、移動体通信は、アナログ技術の時代にさかのぼる歴史があり、日本では1979年から自動車電話としてサービスが提供されていたが、その後の普及はなかなか進まなかった。しかし、デジタル技術の成熟によって、移動体通信は急激なコスト低下と爆発的な普及の時代に突入した。
携帯電話に先行し、個人用の移動体通信機器として普及したのはポケット・ベルだったが、ポケベルは1990年代半ばに1000万台の普及水準に達したが、たちまち携帯電話に乗り越えられてしまう。1987年にアナログ式でサービスを開始したものの、その後ほとんど普及が進んでいなかった携帯電話だったが、1994年にデジタル式が登場すると急成長を始め、1996年以降は毎年1000万台に迫るペースの普及が積み重ねられることになった。携帯電話に加え、機能の面で共通性のあるPHSと合算すると、普及台数は既に7000万台を超えている。
2 インターネット対応携帯電話の普及
特に、インターネットと携帯電話が結び付き、特定の形式で用意されたウェブ・ページの閲覧やメールの送受信などインターネットを利用する諸サービスへのアクセスが可能になった携帯電話、すなわちインターネット対応携帯電話(i-mode、EZweb、J-SKY)の普及は驚異的なペースで進み、1999年に導入されてから続いた急成長の結果、2003年4月現在で普及台数は6300万台を超えている。今や、高齢者から赤ん坊までの総人口の半数ちかくが、メールの送受信や、ページの閲覧をはじめ、ゲームや着信メロディのダウンロードなど、インターネット経由のサービスにアクセス可能な携帯電話を保有しているのである。
十年前なら、ポケベルを切るのを忘れていて授業中に鳴らしてしまい顰蹙を買う学生がいた大学の教室には、今では講義などそっちのけで黙々とメッセージの送受信に没頭する学生たちがいる。ごくまれに、マナーモードに切り替えるのを忘れていた学生がいても、流れ出すのは聞き覚えのあるメロディであり、そうした着メロの多くはダウンロードされたものなのだろう。
3 さまざまな技術の携帯電話への取り込み
アナログ系の技術に対してデジタル系が優越するポイントはいくつかあるが、最も重要なのは情報伝達量を圧縮することが可能なことと、異なる技術の間でデータをやり取りしやすいことの二点である。
一般の利用者(あるいは大多数の消費者)の観点に立てば、前者は目に見える革新となりにくいが、後者に由来する革新はメディアとのインターフェイスにおいて具体的な変化(あるいは進化)として実感されやすい。デジタル式携帯電話の登場以降、10年足らずの間に、単なる通話からメール送受信へ、さらに画像処理、動画処理へと諸々の付加サービスが積み上げてきた過程では、日本語ワープロやプリクラから、ゲーム機やビデオまで、既存の様々な技術が流れ込んできている。
マス・メディアの分野では、1980年代以来、放送と通信の融合が大きな流れとなっているが、既に衛星系で実施され、近い将来に地上波でも実施されるテレビ放送のデジタル化は、テレビ放送と広帯域インターネットとの合流へ道を開くものである。既にパソコンは、インターネット・ラジオという形でラジオ放送を取り込んでいるが、これがテレビ放送へと広がっていく可能性も、同様のサービスが携帯電話に搭載されていく可能性も、決して遠い未来のことではない。
個人用の移動体通信機器としての携帯電話は、近年のデジタル技術の成熟によって個人用の総合情報機器、私たちにとって最も身近なパーソナル・メディアとして、日常の社会生活に無くてはならない存在となり、私たちのコミュニケーション活動を大きく変えてきたのである。
4 新しいコミュニケーション形態のニーズ
もちろん、一方で携帯電話の急激な普及が進んだこの10年足らずの間、一般家庭へのパソコンの普及も進み、家庭からインターネットへの接続の広帯域化、高速化が進んだことも重要である。パソコンの実売価格は低廉化が進み、買い替えや複数所有の需要も伸びており、2003年3月現在で一般家庭における普及率は6割を超える水準に達している。
家庭への浸透は、機器操作能力という意味での「リテラシー」の普及と向上につながり、ソフトウェア側がユーザー・フレンドリー指向を強めたこともあって、誰もがパソコンとインターネットを使う、使える、使うべきだ、という意識が定着してきた。パソコンとインターネットは、もはや「機械に強い」とされる青壮年男性中心の文化が支配する空間ではなくなりつつあり、女性、子供、高齢者をはじめ、社会的弱者が参入できる、より普遍的な空間や、より多様なニッチ空間が展開し始めている。
携帯電話からのアクセスを前提としたインターネット上のサービス利用にとどまらず、日常的な情報探索からウェブ・サイトの構築による自己表現まで、もっぱらパソコンからのアクセスで利用されるサービスも、当然ながら私たちのコミュニケーション活動に深く根をおろすようになっている。
携帯電話にせよ、パソコンによるインターネット利用にせよ、デジタル・パーソナル・メディアの急速な浸透は、単純に技術先行の「シーズ」的な普及過程として理解することはできない。実際、普及が計られながら伸び悩んでいるサービスや、消えていったサービスは決して少なくない。急速に普及した新しいメディアには、確固たる「ニーズ」が存在していたと考えるべきであろう。つまり、私たちは、個人として、また社会として、ある種の新しいコミュニケーション形態を可能にするパーソナル・メディアを求めていたのである。
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