業績外:2000:(図書館の広報誌に掲載された高野紀子先生との対談)

ぱるらんど対談

高野紀子先生 vs 山田晴通先生
−白い羊の中に黒い羊が….

ぱるらんど(国立音楽大学付属図書館),218,pp2-6.


 このページでは、国立音楽大学付属図書館の広報誌『ぱるらんど』に掲載された、高野紀子先生と山田の対談記事を、国立音楽大学付属図書館および高野紀子先生からのご承認を頂いて紹介しております。
 テキストデータの提供と、テキスト掲出へのご承認を頂いたことに、心より感謝いたします。


ビデオクリップ

高野 山田先生といいますと、ホームページも拝見させていただきましたが、そこにはまったく違ったものが幾つか並んでいるわけですね。地理学でしょう、理学博士、ここのところで驚くわけです(笑)。それからメディア論、その関係から展開される大衆文化論、これはわかるのですが、そういう先生って、この大学では非常にユニークな存在でいらっしゃるわけです。そして、担当していらっしゃる講義が大学院の場合は西洋音楽史、学部ではポピュラー音楽研究ですね。これまたすごくユニークなわけです。そこで、そもそも山田先生の中でそれらがどのように結び付いているのかというようなことを伺いたいですね。
 まず、音楽との触れ合いとか、何で地理学?とか、その辺りからお話しいただきましょうか。
山田 私が生まれて間もない頃、父は大阪フィルハーモニック・オーケストラでホルンを吹いていました。ほんの短い期間だけですけど。
 自分自身の記憶があるのはその頃からで、クラシック音楽のいろいろなものを聴かされました。当時の父の趣味が反映されていて、ドイツのものが多かったようです。でも、どうも物心つく前に一生分のクラシック音楽を聴かされてしまったらしくて、その後は音楽とはあまり縁がない、ごく普通の子どもでした。
 私は昭和三十三年(一九五八年)生まれですから、小学校四年の時にメキシコ・オリンピック、ちょうどカラーテレビが普及し始めた頃ですね。テレビをつけるとグループサウンズなどが流れてくる。そういう歌謡曲番組とかを見るのは好きでした。中学校になって、今度はラジオを聴き始めます。ラジオで洋楽などを聴くことで世界観が広がり、もう圧倒的にポピュラー音楽ばかり聴いているようになりました。
 大学は、東大の教養学科で、イギリスの地域文化を研究するコースにいました。確かその三年生の時に西洋音楽史という授業がありました。
高野 八〇年頃に東大に行っていた方といえば、皆川達夫先生でしょうか。
山田 皆川先生かもしれないですね。
 その中で、イギリスのマドリガルについてレポートを書いたのです。当時、キングズ・シンガーズが最初に来日した直後ぐらいです。そのレポートがきっかけで、結局、マドリガルで卒論を書くことになりました。
 その後、大学院で地理学の世界に行って、そこでは新聞やケーブルテレビといった「地域メディア」をテーマに選んで、そういったものが地域社会の中で果たす役割とか、立地の条件とかを研究していたわけです。
 そうこうしているうちに、地理ではないのですがマーケティング関係のポストで就職することができて、長野県の松商学園短期大学へ行きました。もともとは地理学ですから、本来ならばフィールドワークで、あちこち聞き取りに行ったり、資料を集めて論文を書くのが一般的なのですが、小さい短大だったので、学内の仕事の分担でも忙しい就職指導担当に当たった時期には、フィールドワークがほとんどできなくなったのです。ところが、紀要というのは年に一度出ますね。何か、毎年書いてやろうという気持ちが強くあって、考えたのが、ビデオクリップをテーマにすることでした。
 ちょっと突飛に聞こえるかもしれませんが、その直前に私が研究していたテーマは、ケーブルテレビでした。当時は、ケーブルテレビにとって、始まったばかりのNHKのBS(衛星放送)や専門チャンネルが重要だった頃です。ビデオクリップで構成する番組などもいろいろあって、けっこう注目されていたのです。
 忙しくてフィールドワークができないなら、ビデオクリップの画像分析でもしようか、というぐらいに思いました。音楽というよりは、音楽に乗る映像を細かく分析していく、解析して解釈していくわけです。
 ちょうどその前後に、ポピュラー音楽の研究をしている人たちが集まって学会を作ろうという動きがありました。
高野 三井先生のですか?
山田 ええ。三井徹さん、細川周平さん、橋爪大三郎さん、そういう人たちです。たまたま、小川博司さんの日本マスコミュニケーション学会での発表を聞きに行ったことがきっかけで、日本ポピュラー音楽学会にコミットするようになりました。結局、事務局を引き受けて、もう4年になります。
 そういう流れの中で、僕としては、ポピュラー音楽そのものというよりは、ポピュラー音楽と映像の関係に関心があって、それはメディアに対する関心の延長線上であったのです。ところが、ある時に細川周平さんから、明治学院大学の芸術学科で「ポピュラー音楽概論」という授業の代講を頼まれまして…。
高野 ああ、それで明治学院に。
山田 そのあと、東京経済大学で一度、「ポピュラー音楽史概説」と題して、歴史に重点を置いた授業をやりました。そういう授業を実際にやっているうちに、国立からお声がかかって、結局、去年から来ることになったわけです。
 だから、僕は、ポピュラー音楽の現象を古い意味の音楽学を踏まえて考えているのではありません。むしろ、マス・メディアによって社会に引き起こされている社会現象の一つとして、また現代社会に特異な、大きな意味を持つ現象としてのポピュラー音楽や、それを巡る様々なメディアの消費のされ方に関心があるという感じですね。だから、純然たる音楽学について議論できるかというと、本当はそうではない。大体、楽譜がほとんど読めませんので、楽譜分析などできるわけがないんで。
高野 ポピュラー音楽を考えた時に、楽譜だけ読めても何にもできないですね、考えてみれば。
山田 まあ、そうですね。
高野 やはりその周りの状況とか、社会現象とかを考えなければならないわけですね。それにそれこそ映像。映像が入って、すごく変わりましたね、視覚に訴えるものとの結び付きが重要なのでしょうか。
山田 そうですね。ビデオクリップは、本来、複合芸術の一つの形態です。ただ、音楽を書く側が、映像を作ること、ビデオクリップをトータルな作品として作ることにある種ものすごく意を払うことによって、音楽を聴く側でも聴き方が多様化するというか、音楽としてだけ聴く人と、トータルなものとして受け入れる人と、聴き方が多様化するというのが面白いところです。

ポピュラー音楽研究

高野 国立に「ポピュラー音楽研究」の授業が設置されたのが一九八三年でした。最初は鈴木道子先生でしたが、先ほどお話しに出た三井先生にも担当していただいたことがあります。しかし、山田先生のような観点からポピュラー音楽を論じた授業はあまりなかったかもしれませんから、学生にとっては非常に刺激になっているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
山田 一応、音楽大学だというのは意識して授業を構成しています。
高野 はあ、恐縮ですね。
山田 受講生の中には、最終的にはクラシック音楽の演奏者になっていく人たちがたくさんいるわけですよ、音楽学専攻ではない。そういった人たちに、どうやったらクラシック音楽という枠組みを相対化してもらえるか、というのが僕にとって大きな課題です。
高野 なるほど。
山田 「ポピュラー音楽研究」の授業はポピュラー音楽のことばかりを解説しているのではなく、むしろポピュラー音楽について考えてみると目立ってくるような音楽の聴き方、音楽の意味付けみたいな部分が話の中心ですね。
 実際、我々は音楽を聴く時に、そもそも音そのものを純粋に聴取していない、ということをまず理解しなければいけない。そういう話もします。だから、ポピュラー音楽研究と言いながら、クラシックの作品も、アバンギャルドもかけたりする、そういうことを試みながら、クラシック音楽を前提に考えている音楽学の枠組みをいかに揺さぶるかというのが大きな課題なのです。
 例えばクラシック音楽という言葉はみんなが使っていても、クラシック、古典的という言葉が意味する概念が分かっていないという人は幾らでもいるわけです。
高野 確かにそうした概念をきちんと把握していることは重要でしょうね。先生の授業で改めてクラシックって何んなのか、と考えさせられているのではないでしょうか。
山田 あと、音楽が商品であるということね。我々が資本主義の現代社会の中で生きている限り、クラシックだろうと何だろうと音楽は商品であることから免れない。これは、ポピュラー音楽のことをクラシックと対比させながら考えると分かりやすいんですね。あるいはクラシック的な秩序づけ、ルールのあり方とは違った原理が支配するというか、コントロールしている局面がどんな音楽にもあるのだということですね。
 これは学生に感想を書かせていると出てくるのですが、極端な場合、私の授業は、ここ(国立音大)で受けている音楽大学教育全体と対峙させられるという位置づけになるわけです。そういうふうに感じるという感想を書いてきた学生もいます。
高野 そうでしょうね。普段そのようなことを薄々感じていた学生は、先生の授業で改めてはっきりと認識したのでしょう。私自身のことを振り返ってみますと、子供の頃からピアノを習い、高校も音楽コースに籍をおいていましたから、学生時代には深く考えることもなく当たり前のものとしてクラシック音楽だけに浸っていましたね。時代も時代でしたし。
山田 言ってみれば、ブラックシープというか、大学の授業全体の中で、白い羊がたくさんいる中で一匹黒い羊がいるから、ほかは白なんだよということが分かる、という部分をこの授業は担っているのかなと思っているのですけど。
高野 ものの見方といいますか、それを教えていただいているなということを感じます。学生にとってそれは非常に大きな刺激だと思いますから、大変ありがたいことです。
 こういうお話を伺っているときりがないのですが、話題を少し別な方面へ向けるとして、ポピュラー音楽のジャンルですと、情報過多の時代と言ってもいいぐらいに情報がありますね。それをどうやってキャッチし、収集されるか、それをどう整理しストックするのか、その辺りに関してはどうでしょう。例えば図書館との関わりとか、図書館の役割、あるいは情報収集とその処理などですが…。

インターネット

山田 情報って、やはり目的があって検索して集めるということがありますね。その時、コンテクストを共有していることがとても大切です。例えば、大きな学会に出掛けます。そこで、学会でどんな人が雑談でどんなことを話題にしているか、あるいはどういう研究発表が多くなっているか、若手の諸君がどういうものに注目しているかといったことを、何となくコンテクストとして共有します。それがあって初めて、ある論文を読んだ時に見えてくるものというのが大事なのですね。
 その次に、何かを検索しなければいけないという時には、もちろん伝統的なやり方で、図書館を使って、レファレンス・コーナーを利用するのは非常に重要です。けれども、今はインターネットの活用が大事になっていると思います。例えば電子メールのアカウントを持っていると、いろんな人からいろんなメールが来る。あるいはメーリングリストなどに入ると、自分の直接関心がある事柄やその周辺のことについての情報が入ってくる。そういうのを取捨選択したり、見たりというのをやっていくということは、さっき言ったコンテクストの共有にとっても重要になるのです。
 私の場合、特にメーリングリストは貴重です。例えば、今、こんなことについて調べているのだけれども、基礎的な文献は何がお勧めだろうか。あるいは、今こういうことを調べて、ある程度こういうことが分かっているのだけれども、何か見落としはないだろうかというのを訊く時に、メーリングリストの向こう側に何十人、何百人のエキスパートがいるわけです。
高野 なるほど。この大学でもインターネットをようやく始めましたし、私も遅ればせながら挑戦し始めたところでございますが(笑)、インターネットなしには考えられないというわけですね。ある意味では、かつての図書館の優れた司書がやっていたようなこと、つまり、「こういうことを調べたいのだけれども、何を見たらいいか」というのも、インターネットを使って一人でかなりできるようになってきている。でも、その代わり、自分がちゃんとした目的を持ち合わせていないと収拾がつかない状態が起きてくるのではないかと思いますね。
山田 もちろん 従来のやり方が消えてしまうわけではないです。実はインターネットの上で幾ら文献を検索しても、最終的にそれを確認するのは紙を取り寄せるという点は、変わっていないわけですね。私自身は、最近書いたものはできるだけ電子テキスト化してホームページに貼り出していますけれども。
 そういった意味では、司書の仕事の支援ツールとしてインターネットを活用することはすごく重要だと思うのです。
高野 ええ、私もそう思います。
山田 実際、アメリカなどの大学のライブラリアンたちは、レファレンス業務との関連でメーリングリストなどでも大きな役割を担っています。音楽図書館なら音楽図書館というコンセプトのメーリングリストがあって、たくさん人がそこにいれば、レファレンス業務がものすごく効率化されるはずですよね。その、FAQ(フリークエントリー・アスクド・クエスチョン)、よくありがちな質問みたいなものをストックしておいてホームページに入れておくとか、いろいろなやり方をすることで、これまでだと司書一人一人のノウハウというか、経験の中に蓄積していったものを、かなりの部分をパブリックにシェアしていくことができる。そうすると、業務は大分効率化するのではないかなという感じがします。
 でも、検索とかレファレンスというのは、最終的には質問する側の問題なんですけどね。
高野 そうですね。質問の意図がはっきりしていないといけませんね。
山田 なぜそれが問題なのか、というのがすごく重要でね。
 恐らく、レファレンス業務のカウンターに座ったことがある人なら、質問されて、その答えを調べようとする時に、何でこういう知識を知りたいんだろうというバックグラウンドがないために、結果的にとんちんかんになってしまったという経験があるのではないかと思います。今後、文字情報がどんどん電子化されていけば、どこかに文字で書いてあるものの検索は、ものすごく容易になってくるはずです。そうであればこそ、問題の立て方とか、問題意識をどううまく伝えるかという、利用者側のコミュニケーションする能力が問われるようになるし、それを支援、サービスする側の立場からは、利用者がうまく言えないところをどういうふうに引き出すかという部分が大事になってくるのかなと感じています。
高野 それは同感ですね。
 結局、学生もいつも問題意識を持って、どういうコンテクストでその質問が出てくるのか、そういうことがはっきりしていないと、何をやってもだめなわけですね。
 併せて図書館の窓口に対するよい指針のようなものも出てきましたので、大いに参考になったと思います。
山田 学生はレファレンスなどをどれぐらい活用しているんでしょうか。
高野 かなり活用していると思いますが……。ごく単純に「この曲ありませんか」といった質問はたくさんありますし、「どうやって引いたらいいんでしょう」というのもありますけれども、そういう質問に対して、この大学の図書館員は、とても親切でよく勉強していますから、大いに手助けしてもらっているのではないでしょうか。
時間が幾らあっても足りないようですが、今日のお話は、学生にとっても、図書館にとっても大変参考になったと思います。
どうもありがとうございました。


対談を終えて
 昨年の夏休みが始まろうとする頃、「ぱるらんど」の編集者から、ポピュラー音楽担当の山田晴通先生と対談してほしいとの依頼がありました。山田先生とは毎週水曜日に研究室でお目にかかっていますが、いつも大変に興味深い話題を次々に提供してくださいますので、そんな話を図書館でしていたからでしょう。しかも、専門も年齢もまったく違う二人の組み合わせに、編集者は面白さを感じたのかもしれません。いずれにしろ、山田先生は常に大変エネルギッシュにお話しになりますので、その間に意見を挟むのは容易ではありません。今回も案の定、私はもっぱら聞き手に回ってしまいました。
 しかし、いつも示唆に富んだお話をしてくださる山田先生を紹介するという当初の目的は、達成されたと思います。
高野紀子 

     高野紀子(たかの のりこ)
大連市生まれ。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業、同大学専攻科修了、ドイツ政府留学生としてチュービンゲン大学に留学、主要書・訳書「音楽史と音楽文献」、「最初期のモーツァルト伝」、パウル・ミース著「バッハのカンタータ」等多数
本学音楽学部・大学院教授・理事
   山田晴通(やまだ はるみち)
福岡市生まれ。東京大学教養学部卒業、同大学院博士課程学位取得(理学博士)、松商学園短期大学助教授を経て、一九九五年より東京経済大学コミュニケーション学部助教授、東京大学文学部非常勤講師等、一九九八年より本学音楽学部・大学院非常勤講師
globe: 小室哲哉の歌詞が描き出す世界」『音樂研究大学院研究年報第十一輯』(PB102D/11)他執筆・論文多数、詳細は「山田晴通ホームページ http://camp.ff.tku.ac.jp」


『ぱるらんど Parlando』は、国立音楽大学付属図書館が年5回刊行する広報誌です。

国立音楽大学付属図書館
〒190-8520 立川市柏町5-5-1
E-mail: kcmlpar@kunitachi.ac.jp



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