研究の道具箱:山田晴通:韓国・北朝鮮の地名


開城 ケソン Kesong


朝鮮民主主義人民共和国南西部に位置する開城直轄市の中心となる都市。歴史的には京畿道(キョンギド)に属する。

工業は、軽工業が中心で、繊維・食品・家具・製紙などがあるほか、近郊の鉱物資源を利用した建材工業がある。近郊では、米・トウモロコシ・野菜類のほか、朝鮮人参が特産品となっている。

919年、高麗は、当時、松嶽(ソラク)といった当地に都を移した。当初は、開州(ケジュ)と称したが、995年に開城(ケソン)となった。その後、元の支配下で、元に抵抗した高麗王が江華島(カンファド)に移った一時期(1232b1270)もあったが、1392年に李朝が都をソウルに移すまでは、高麗の都であった。市街地の北西の万寿山(マンスサン)一帯には高麗時代の王陵が数多く残っている。市内には、大規模な高麗博物館があり、かつての儒学教育機関・成均館の建物などが保存されている。

15世紀以降、開城は商業都市として発展し、開城商人は朝鮮人参・陶器・衣類などの行商で名を馳せ、李朝時代の物流において重要な担い手となった。

1945年の南北分断後は南側に属したが、朝鮮戦争では激戦地となり、大きな被害を受けた。戦後は、北側に属し、開城直轄市の中心として地方行政の機能が集まるようになっている。


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