私的ページ:山田晴通

シドニー日記:2001年7月30日〜8月31日


 生まれて初めて、海外で生活するための渡航です。今回の渡航は、まず息子との二人旅で始まり、娘が後から合流しました。
 ここでは、山田の備忘録に掲出したときと同じように、5月の日記とは異なり、子供たちに関連した記述も含めた形で掲出します。1ドルは、65円くらいです。
 このページへの転記に際し、原文の明らかな誤記は訂正しました。
■ 2001/07/30 (Mon)
再度シドニーへ
いよいよ、正式の中期国外研究期間に入り、シドニーに向かうため出国する。
今回はまず息子と二人での渡航である。
家族総出で成田まで見送られて、カンタスの夜行便QF22に乗る。
■ 2001/07/31 (Tue)
まずは雑事と家探し
前回同様、朝早くシドニーに到着。
菓子類などを大量に持ち込んだため、荷物を全部ばらすようなことにはならずに済んだものの、けっこう税関・検疫で時間がかかった。
とりあえずイエローパスを購入して、電車でタウンホールへ、QVBからバスでマコーリー大学へ向かった。新学期が始まったばかりということか、キャンパスには学生が多い。
所属する現代音楽研究センター(事実上は、人文学部音楽学教室といった感じの小さい部局)にゆくと、顔なじみが皆きていて、とりあえず再度到着の挨拶をする。共同研究室に荷物を降ろしてほっとする。
ところが、前回の訪問でとてもお世話になった教室秘書のSさんのオフィスが閉鎖されている。聞けば、手術が必要な重病で入院中だという。
共同研究室の鍵の手配などをしてから、国際部(オフィスは新しい建物に移っていた)へ立ち寄り、さらにマコーリー・センターへ買い物に行った。銀行にも行こうとしたのだが、部屋に小切手を忘れたので空振り。結局、郵便局や電器屋で買い物をした後、カフェエクストラでブランチをとり部屋に戻る。その後、再度出かけ、銀行に小切手を入金する。現金化は数日後になるとのこと。さらに学生組合の事務所へ行き、準会員の登録をする。半期分ということで44ドルの会費となる。
技官のT氏が大変忙しい様子で、とりあえず午後3時にアポイントをとっていたのだが、その時間にオフィスにいたものの持ち込んだノートの設定は明日以降ということになった。
今日はここまでということにして、荷物を詰め直して小さくし、大学を出る。まだオフィス・アワーなので、地元の不動産屋を訪ねてみることにして、288バスに乗り、コックス・ロードのノース・ライド・センターにあるL.J.Hooker に行く。3ベッドルームの物件を探すと、最低でも週に350ドル以上で、400ドルちょっとはするのが普通のようだ。とりあえず、新築のセミデタッチトで週に450ドルという物件を見に行く。1階にはガレージに居間とDK、2階にはベッドルーム3部屋という贅沢なつくりである。まだ内装工事の仕上げをやっているところだった。不動産屋に、家具の事をきくと、レンタル業者があるから情報を調べておくという。もう少し安い物件も見たいから再度明日出かけるとと言って、帰る。
宿は前回気に入ったボンダイ・ビーチのホテル・ボンダイにすることにして、ノース・ライド・センターからバスでQVBへ、電車を乗り継いで、ボンダイ・ジャンクションへ向かう。ボンダイ・ジャンクションでは前回の訪問時に工事中だったバス・ターミナルが完成していて、ピカピカだった。オフ・シーズンとあってホテル・ボンダイは予約なしでも大丈夫だった。一週間滞在で6日分というパッケージを選び、85×6=510ドルとなる。
夕食に出かけようと思ったら、このところ睡眠不足の息子が6時頃から「爆睡」状態に入り、起きようとしない。結局、フィッシュ・アンド・チップスとグリーク・サラダをテイクアウトして、一人で部屋で食べる。
■ 2001/08/01 (Wed)
家探し
朝は6時台から眼が覚めたりまた寝たりしていたのだが、8時台に起きてジョーンズ・ザ・グローサーへ行き、朝食をとる。10時少し前に部屋に戻り、バス・電車・バスと乗り継いで、ノース・ライド・センターのL.J.Hookerへ行く。昨日対応してくれたV氏の案内で、今度は、ベッドルーム3部屋で週400ドル前後の物件を3件見て回る。最初の家は、平屋で洗濯場が家の外に独立しているスタイル。屋根などのつくりが少々ちゃちな感じが気になる。ここで庭について借り手の管理責任のことを質問したので、狭い庭の方が気楽ならと次に案内されたのは、新築のテラスハウスのユニット。これは庭は猫の額で確かに気楽だ。その次に、場所が大学に最も近い物件を見に行く。ここは結構立派な平屋で、内装を改装したばかり。床はピカピカの板張り(ほかはカーペット張り)だ。最後に見た家が気に入り、これで決めることにした。
申込書を用意してもらうため、時間を置いて再度オフィスを訪ねることにする。
大学の食堂で昼食をとってから共同研究室へ行くが、鍵がかかっている。しばし、コモン・ルームでジグソー(エッシャーの絵柄)に興じる。結局しばらくして、H氏に鍵を開けてもらった。後でC女史から、部屋の鍵をもらい、留守中にきた封書を受け取る。これで、フロアの開錠時間さえ守れば、いつでも部屋に入れる。
その後、技官のT氏にiBookの設定作業を頼み、明日午後には使えるようになるということになった。モバイルギアの方はカードがないのでダイヤルアップ接続なのだが、こちらは調子が悪く、メール・ソフトが開かない状態になっている。
午後3時半頃、再度ノース・ライド・センターへ。賃貸申込書に必要事項を記入し、家具レンタルの資料をもらう。明日午後には、貸主のOKが出るかどうかわかるという。
バスでサーキュラー・キーを経由して宿まで戻り、夕食はタイ・テリフィックでとる。チップを含めて40ドルほど。8時前に宿に戻ったが、疲れが出たのか、そのまますぐにベッドに入る。
■ 2001/08/02 (Thu)
間違いだらけのバス移動
<手元にシドニーの地図がある方は、地図を用意して読んでください>
夢見が悪かった(人を銃撃する夢を見た)せいか、未明に何度か目覚めかけ、朝5時台の日本語ニュースも少しだけ見た。結局、最終的に起き出したのは9時近くなってから。10時近くになってギビーズへ行き、朝食をとる。チップ込みで18ドル。
バスでボンダイ・ジャンクションへ出て、電車をセントラルで乗り継ぎ、ウェスト・ライド駅で下車した。集中英語センター(Intensive English Centre)があるマースデン高校へ息子を連れてゆくためである。ところが、駅からヴィクトリア・ロード沿いに2kmほどのところにあるマースデン高校まで、どのバスに乗ればよいのかがよくわからない。とりあえず西へ行くバスに乗ればよいだろうと見当をつけて、駅前のバス乗り場で探してみると、パラマタ行きが停まる乗り場があった。そこに最初に来たバスに乗る。行き先はパラマタではないが、同じ乗り場からだから、だいたい西行きだろうと見当をつけて乗り込んだ。ところがこのバス、ヴィクトリア・ロードに出て西へ向かい始めたかと思うと、すぐに左折して南へ進んでゆくではないか。どうしよう。一瞬迷ったが、とりあえず次の停留所で下車し、駅へ戻ることにした。幸いすぐに反対方向のバスがきたので同じ道を駅まで戻った。程なくして、今度こそパラマタ行きが来たので、ほっとして乗り込む。ところが、驚いたことにこのバスもさっきと同じ道を南へ入ってゆくではないか。地図を引っ張り出して、通りの名を確認しながら追ってゆくと、どうやら、ヴィクトリア・ロードよりずっと南の住宅地の中を迂回してゆくルートらしい。とにかくヴィクトリア・ロードまで戻るの待つことにして揺られていると、ショッピングセンターと思しき一角(スパーウェイ・ストリートとの交差点)でヴィクトリア・ロードに出た。ここで下車して、ヴィクトリア・ロードを渡り、東行きのバス停でバスを待つ。ところがこれがなかなか来ない。ようやくサーキュラー・キー行きが来たのでこれに乗り、マースデン高校の入口に当たる辺りで下車した。
マースデン高校に着いたのは午後1時過ぎ。IECで対応してくれたのは、韓国系の女性だった。簡単な説明を受け、月曜日の10時30分に、テストのアポイントをもらう。書類の準備等はその日でいいらしい。パスポートと写真2枚、それに成績証明を当日持参せよという。それだけで今日はおしまい。大変な思い(?)をしてきただけに、少々拍子抜けする。
ヴィクトリア・ロードに戻り、マクドナルドの前のバス停で東行きのバスを待つ。再びサーキュラー・キー行きが来て乗ったのだが、このバスはウェスト・ライド駅のところで駅前広場まで入らず、鉄道のガード近くで停車するだけで、そのままヴィクトリア・ロードを東へ向かった。なるほど、ビクトリア・ロードをそのまま東へ西へと直進するルートのバスは、ウェスト・ライド駅に駅前広場まで乗り入れていないのだ。わざわざ乗り入れているバスは、近傍の住宅地へ回りこむルートばかりなのだろう。東へ向かっていたバスは、ライド市の役所付近で少々変則的な進み方をした後で、トップ・ライドのショッピング・センター前で停まった。ここで下車して、ショッピング・センターに入ってみる。昼食代わりに中国系の女性が切り盛りしているドーナツ屋でエクレアもどきの菓子と紅茶をとる。
センターからすこし北へ歩いて、レーン・コーヴ・ロードを北へ向かうバスのバス停と思しき場所でバスを待つ。ここには、バス停の黄色い標識があるだけで、休憩のベンチも時刻表も何もない。しかし、一向に来る気配がない。痺れを着たらしてると50メートルほど先にバス停と思しきベンチがあるではないか。そっちがバス停なのかなと思い、移動することにした。ところがである、歩き始めてすぐにバスがやってくるではないか。戻っていると間に合わないだろうと思い、先のベンチの方まで急いだのだが、何とそこにはバス停の標識はない。あれあれという間に、バスは目の前を通り過ぎていってしまった。振り返ればそこにあるのは、確かに真新しい標準的な仕様のバス停用のベンチである。全くの推測だが、バス停の移設準備の途中なのかもしれない。いやはや、すっかり「はまった」ものだ。とぼとぼと次のバス停まで歩いて行き、さらに待つことしばし、ようやくマコーリー大学行きのバスがきた。やれやれである。
大学に着いたのは3時少し前。息子を研究室で待たせて、技官のT氏に再度iBookの設定を頼んだり、いろいろ学内の用事をする。さらに、一人でノース・ライド・センターの不動産屋へ行く。ところが、家主からのOKが出ていないという。何でも、家賃を支払う能力があることの客観的な証明が要るのだという。日本から6万ドルを持ち込んでいることを書類で示せばよいというので、今日中か、それが無理なら明日朝に書類を持ってくることにして、大学へ戻った。幸い、大学においていた荷物に書類があったので、ぎりぎり間に合うかもしれないと思い、ノース・ライド・センターへ行こうとしたのだが、288番のバスがなかなか来ない。来るのはサーキュラー・キー行きや、290番ばかりである。そうこうしているうちに6時を回ってしまったので、あきらめて290番に乗って帰ることにした。
夕食をどうしようかと思ったのだが、途中、タウン・ホールのウールワース・メトロ地下で、サンドウィッチの材料を買って、部屋で作って食べることにした。パン、ハム、チーズ、バター、レタス、そしてサーモンなどでしめて17ドルほど。
そこから電車・バスを乗り継いで、無事ホテルに帰還。数えてみると、一日に11回、バスに乗り降りしたことになる。
■ 2001/08/03 (Fri)
ばたばたと転居準備
朝は5時過ぎに起き、日本語ニュースを見る。そのままシャワーを浴び、昨夜の残りの食材でサンドウィッチを作って朝食にする。やはり、スモーク・サーモンが美味い。
7時40分に宿を出発し、ボンダイ・ジャンクション、タウン・ホール経由で、エッピングまで電車、そこから289番バスでマコーリー・センターまで行く。郵便局と銀行に立ち寄り、郵便を投函してから、今度は288番バスでノース・ライド・センターの不動産屋へ向かう。銀行関係の書類を示してコピーをとってもらい、早速その場で貸主に連絡してもらう。程なくして、OKが出たということで、予約金として400ドル(本来は、週当たりの家賃=395ドルがだ、釣りは出さないということで、丸めた数字になる)を支払い、火曜日の午前11時に最終的な契約に来ることになった。大学へ行こうとバスを待っていると、これまで乗ったことがない大学行きの506番バスが来たので乗ってみる。
大学では、iBook が使えるようになり、研究室のサーバの更新が可能になった。昼食を学生食堂でとり、10ドル弱で済んだ。その後、5月に予約した本「Radio in Australia」を書店生協で回収しようとしたのだが、教科書を買い求める学生が、入店規制されて長蛇の列を作っており、後回しにする。結局この本は、帰りがけに受け取った。
大学を午後2時頃に出て、288番バスでウィンヤードまで行き、マーチン・プレースのコロニアルというビルにある日本総領事館まで、住所変更などを届けに行く。その後、家具レンタルの会社「レンタ・センター」に電話して、ブロードウェイにある店を教えてもらい出かけた。その際、マーチン・プレースの駅近くでストリート・ディレクトリを見ていたら、白髪のおじいさんが声を掛けてきて、親切に教えようとしてくれた。ところが結局このおじいさんは場所がわからず、まあ駅で聞いてみたら、という感じで飄々と去って行った。何だったんだろうという感じだが、極めてオーストラリア的(親切で、よそ者にも優しいが、あまり当てにならない)かもしれない。
マーチン・プレースからセントラルまで電車で移動し、ブロードウェイをベイ・ストリートのところまで歩いて行き、レンタ・センターへ行く。結局、ベッド、ダイニング・セット、洗濯機、冷蔵庫、テレビを揃えることにする。レンタルの月額は全部で300ドル弱。
ところがここで、電話番号がないと契約できないということになり、急遽その場でテルストラに電話して、手続きをしてしまった。いざやってみるとあっけなくできるものだ。住所を言っただけで、火曜日の昼には電話線が通じるし、電話機は月曜日にマコーリー・センターのテルストラ・ショップで受け取れるということになり、番号まで決まってしまった。
電話番号が決まると、レンタル家具の手配も完了。これで火曜日の1時から3時の間に家具が運び込まれてくる運びだ。
帰りはブロードウェイ沿いのバス停でQVB行きに乗り、タウン・ホールからボンダイ・ジャンクション経由で宿まで戻った。荷物を下ろして、トゥー・ファッツへ行き、ピザ大二枚とサーモンのステーキ、そして紅茶をとる。全部で43ドルほど。ずいぶん量があったが、二人とも食欲旺盛できれいに平らげた。
宿に戻り、このところ早寝早起きの息子は8時頃には就寝。その後も、しばらくテレビを横目で眺めながら、メールチェックなどをする。シンプソンズや、クイズ番組の類、そしてラグビー(パラマタ・イールズがイラワラを圧倒している)と前回の滞在中に親しんだ番組が続いている。
■ 2001/08/04 (Sat)
はじめての週末
未明に一度火災報知機?の音で眼が覚めるが、すぐに止まったので再度ベッドに潜り込む。それでも、またもや朝は5時過ぎには目覚めて、日本語ニュースを見る。今日ははじめての週末の土曜日。ゆっくり休むことにして、そのままSBSの各国語ニュースをBGMにしてうとうとし続ける。9時頃からぼちぼち起き出し、朝食はパンの残りとハムなどで軽く済ませ、シャワーを浴びて出かけることにする。しかし、どこに何をしに?
バスでボンダイ・ジャンクションへ行き、雑貨屋で、台所用品などの値段を見て回る。安いものは中国製が多い。日本ではちょっと見かけないような、テーブルナイフのセットなどに目がとまる。今日のところは見るだけだ。
朝食が軽かったので昼食を早めにとりたい、と息子がいうので、とりあえず電車でキングズ・クロスへ行く。ひとまわりしてから、以前入ったことのある韓国系のすし屋の向かい側に、韓式食堂を見つけ、ここで焼肉ランチを食べる。店の匂いからして、全く韓国そのものである。ランチ二人分と飲み物で17ドルほど。
電車を一駅分乗ってマーチン・プレースへ行き、州立図書館のギャラリーへ立ち寄る。5月にもやっていたフランク・ハーレーの写真展がまだやっていたが、その奥では新しい展示として、回転式パノラマ写真の先駆者とされるメルヴィン・ヴァニマンがシドニーなどオーストラリア各地で撮影した写真の展覧会をやっている。これまた、大変興味深い。カトゥンバの1903年のパノラマもあり、カリントン・ホテルが写っていた。やはり一度歩いて知っている場所の古い写真というのは、興味が尽きないものだ。
さらに歩いて、サーキュラー・キーへ行く。ここで、マンリーへ行くか、パラマタへ行くかで迷い、とりあえずどちらにもせず、現代美術館(MCA)へ行く。
MCAでは三つの展覧会が行われているが、1-2階では何と、象が描いた絵と、チンパンジーが撮った写真の展覧会をしていた。これはニューヨークを拠点としているロシア人のアーティスト二人組みが行っているプロジェクトで、アジア象に絵の描き方を教え(そのために象の絵画学校をシステム化し)、インドネシアやタイやインドで多数の象たちに絵を描かせているのだという。象たちが描いた絵は、インターネット上でオークションにかかっているという。その売上はアジア象の保護活動に使われる仕組みだ。何だかよくわからないが、すべてが巨大な冗談というか、詐欺めいた陰謀と紙一重である。とりあえず、多くの象たちの作品を眺め、象の筆捌きにも個性があることがよくわかった。
3階のロバート・マクファーソンの展示は、改めて来ることにして駆け足で通り過ぎ、4階は全くパスしてサーキュラー・キーに戻る。ちょうど2時30分のマンリー行きがすぐ出ようとしているので、これに乗り込む。マンリーには人出が多く、海に入っている人もいてちょっとびっくりした。海岸見物もそこそこに、これも4月に入ったイスタンブールというケバブとトルコ風ピザの店に入る。ケバブとピザに飲み物で13ドルほど。その後、ガラクタ類の市場を見に行ったが、冬場とあって店もあまり多くは出ていない。
サーキュラー・キーまで戻ってきたのは5時ちょっと前。380番バスでボンダイまで戻る。部屋に戻って夕食をどうしようか迷いながら、パソコンをいじっているうちに、まだ7時前だというのに息子は寝てしまった。結局、晩御飯に出かけるのは無しになり、フィッシュ・アンド・チップスを買ってくる。いつもはフライにするのだが、目先を変えてグリルにしてみた。
■ 2001/08/05 (Sun)
パラマタへの船旅
今朝は世界陸上をやっていて、日本語ニュースはない。世界陸上や、ビデオ・クリップを流す番組などを見ながら、だらだら寝続け、9時を回ってから起床した。あのティファニーの新曲のビデオなどを見る。全盛期しか知らなかったので、雰囲気の変化に時の流れを感じる。このままシェールのようになってゆくのだろうか。
10時すぎに宿を出て、ブランチにしようと思ったのだが、学校で市が立っているのに気づき、とりあえず冷やかしに行く。結局一着5ドルの古着を4着購入。いったん戻ってから、リバティ・ランチへ出かけ、朝食をとる。チップも含めて18ドルほど。
今日こそ、パラマタまでフェリーで行ってみようと思い、サーキュラー・キーを目指して出発。ボンダイ・ジャンクションで電車に乗り換え、タウン・ホールでさらに乗り換えようとしたら、今日は市内線が工事で止まっているという。結局、サーキュラー・キーまで歩くことにする。駅を出て地上に出たら、いきなりちゃんとした感じの身なりの中年男性に「電話をかけるので30セントはないか」と声を掛けられる。物乞いだろうが、身なりがちゃんとしているので少々驚く。日本と違って、日曜日でも何でも銀行口座からお金は出せるはずだし、本当に小銭がないだけなら、テレフォン・カードを買うことも、店でつり銭をもらうこともできるはずだ。思わず、言葉が判らないふりをしてしてしまった。何だ言葉が判らないのか、とあきらめた様子で男は去っていったが、本当は何だったのか、何ともいえない。少し歩いて、大売出し中のゴウイングスでキャンプ用品などの値段を見る。更にその先、ピット・ストリートの歩道になっている部分(モール)では、オーケストラのカラオケでオペラのアリアを歌っている男性や、ギターを弾いている人、帽子を前において一人で静かにフィル・コリンズの歌をうたっている若い女性と、いろいろなパフォーマーがいる。サーキュラー・キーに着いたのは1時頃。1時30分のフェリーまで、少し時間があったので、旧税関ビルの展示場をひとまわりする。
パラマタ行きのフェリーは、「リバーキャット」号という双胴船で、スピードは出るが、揺れがほとんどない。快適な50分ほどの船旅である。気持ちが良くなって、船中でしばし居眠りする。
パラマタでは、質屋=古道具屋や、電気製品の大型店などをひやかして回る。古LPは何でも1ドルという店もあった。3時過ぎになってシシリアンというイタリア料理店に入る。パスタとピザとサラダで、チップ込みで39ドルほどを払い、さらに店のシャツとキャップ、合わせて27ドルを買う。
パラマタからの帰りは素直に電車。レッドファーンで乗り継いで、ボンダイ・ジャンクションからはバスに乗る。バスに乗ってふと気づくと、目の前の座席に大量の砂が散乱している。どうしてこんなになっているのか不可解だ。魔法が解けて砂に戻った怪物でも乗っていたのだろうか。
宿で少し休んだ後、食事に出ようかと思っていたら、急にテレビが消えた。電灯は点いているが、停電のようだ。電話は不通、コンセントから給電しているものは全部だめ。とりあえず外へ出ることにしたが、エレベーターも停止している。結局、北インド料理の食堂に入り、カレーで晩御飯をとる。18ドルほど。息子はここの味が気に入ったようで、チキンをお土産にする。こちらは5ドルでお釣りがきた。
部屋へ戻ってもまだ停電中。結局、9時半頃に復旧し一安心。
■ 2001/08/06 (Mon)
落ち込む息子
月曜日、忙しい週の始まりである。
マースデン高校のIECに10時30分のアポイントメントをもらっているので、これに間に合うように、8時40分頃と早めに宿を出る。バスでボンダイ・ジャンクションへ行き、電車を乗り継いでウェスト・ライド駅へ。意外に時間がかかり、もうすぐ10時になる。駅前からヴィクトリア・ロードへ出て、パン屋でフランスパンのデニッシュを買い、これを齧りながらバスを待つ。ところがなかなかバスが来ない。やっと来たのは、先日と同じようにヴィクトリア・ロードを進まないで南に迂回するルートのバスだったが、ともかくマースデン高校に一番近い停留所で下車することにして、乗り込む。下車してから10分ほど歩いて約束の時間を少し回ったくらいで到着した。
今回担当してくれたのは、中国系と思しき年配の女性教師。少々待たされた後、書類の記入を指示され、息子はテストを受ける。といっても、簡単な作文を要求されているだけで、時間の管理もしていない。十名ほどの席がコの字型に配された小さな教室だった。
その後、息子は教師と面談に行き、外のベンチでぼんやりと待っていることになった。少し離れた席では、先日対応してくれた韓国系の女性教師が、言葉がおぼつかない黒人の生徒に一対一で算数を教えている。下校する生徒が中庭を横切り賑やかだったが、人の行き来が途切れると、何種類かの鳥が行き交い、静かな中でさえずりが良く響く。
息子が面談を終えて戻ってきて間もなく、担当教師が戻ってきて、息子をIBのクラスに入れると告げられる。これは、4段階あるうちの下から二番目で、このクラスに入るということは、滞在中にIEC以外のプログラムで高校へ行くことができないことを意味している。クラスにいるのは、ほとんどが中学生相当の年齢だ。息子は相当ショックだった様子。
とりあえず、今後必要な手続きを聞き、高校を出てバス停へ行く。バスを待っている南アフリカから来たばかりだというインド系と思しき男性としばし会話。ウェスト・ライド駅行きのバスがきたので、これに乗り、電車でエッピングを経て大学へ行く。息子はかなり落ち込んでいる様子なので、TAFEの英語コースにしてみるかと促してみる。学食で遅い昼食をとり、メール・チェックなどをしてから、マコーリー・センターのテレストラ・ショップで電話器を借り受ける。それを持ったままエッピング駅経由で5時頃にセントラル駅へ行き、SIT(Sydney Institute of Technology)のTAFEの案内所で説明を受ける。こちらもテスト次第でクラスが決まるし、クラスに配属できない可能性もゼロではないと説明される。とりあえず、今日はテストを受けられないので、再度出直すことにする。
電車でボンダイ・ジャンクションへ行き、バスでビーチへ戻り、昨日と同じNorth Indian Flavourで、今夜は大皿のカレーを食べる。ジンジャー・ビールなどもとり、25ドルほどだった。
宿にパソコンを持ち帰らなかったので、荷造りを少しした後、テレビを見ながらすぐ寝る。8時過ぎくらいだったはず。
夜中に1時過ぎに目を覚まし、テレビをまた見始める。ローレンス・オリビエのハムレットが始まり、思わず見入っていると、息子も起きてしまい、飲み物が欲しいという。宿の外へ出てコンビニエンス・ストア(というか、何でも屋)へ行くが、さすがに夜中の1時を回るとどこも開いていない(もちろん自動販売機はない)。部屋に戻って、ホテルのバーはまだやっているから下りてゆくかと息子にきくが、結局出かけないことにした(本当はバーは18歳未満立ち入り禁止)。
■ 2001/08/07 (Tue)
いよいよ入居
一週間滞在したボンダイ・ホテルを引き払い、借家に入居する日だ。
9時少し前に部屋を出てチェックアウト。オフ・シーズンの基本料金85ドルの6日分(宿泊したのは7日)と電話代で520ドル足らずだった。バス、電車と乗り継いで、タウン・ホール駅〜QVBから290番バスで大学へ向かう。研究室に荷物を降ろし、学食で遅い朝食をとってから、288番バスでノース・ライド・センターの不動産屋へ行く。約束の11時には間に合ったが、現金が用意できていないので、息子を不動産屋で待たせて、筋向いのコモンウェルス銀行へ行き、7,000ドルを引き出す。40万円以上の現金である。前払い分の家賃と保証金などを合わせて3000ドルほどを支払う。ここには今後、銀行引き落としになる家賃の領収書類をとりに時々通うことになる。
店を出ると、ちょうど507番バスが来たので、これに乗って家から近いエッピング・ロードとレーン・コーブ・ロードの交差点まで行く。鍵の都合で、しばらくの間は正面の玄関が使えないので、裏口から出入りする。玄関には、今日が調査日となっている国勢調査の調査票が差し込まれていた。12時半頃になっているが、午後1時から3時の間の約束になっているレンタル家具屋の配送を待たなければいけないので、息子をノース・ライド・センターまで買い物に行かせ、留守番をしながら国勢調査の調査票に記入をする。息子が戻ってきてから、買って来たバナナなどを食べる。2時半頃、配送が来て、手際よく作業を始める。今回レンタルしたのは、シングル・ベッド、ダブル・ベッド、テレビ、ダイニング家具セット、冷蔵庫、洗濯機と、最低限必要なものだけだ。一月分の賃借料と保証金、運送料で1,200ドルほどを支払う。
ベッドが来たので、寝具で必要なものを揃えるため、バスでマコーリー・センターのビッグWへ行き、かさばる荷物を抱えながら、バスで戻ってきた。マコーリー・センターのバス停でよく見ると、エッピング・ロードとレーン・コーブ・ロードの交差点を通るバスは意外に多い。
買って来た荷物を家に置いて、今度は大学へ出かける。出かけに隣家の主人が家の前に出ていたので、改めて挨拶に伺うとだけ、簡単に述べておく。大学では、少しだけメール・チェックなどをした後、研究室においてあった荷物の大部分をまとめて、バスで家に戻る。到着の日以来の重い荷物である。夕食は外食にすることにして、今度は空身で出発し、バスで市内へ向かったのだが、気まぐれでセント・レナーズ駅のバス停で下車して、付近を少し歩く。24時間営業のセブン・イレブンや「ワサビ・カフェ」なる店を見つける。結局、近くのタイ料理店に入り、息子はカレー、私は「ヤキソバ」を頼む。「ヤキソバ」は、タイ風の麺を醤油風味で味付けたものだった。飲み物も含め20ドル足らず。バスで帰路に着き、8時半頃帰宅。さっそく、ベッド・メイキングをしたところ、息子は9時頃にはもう寝るといって、部屋に入ってしまった。
テレビでは、広島を訪れたカナダのアボリジニ(ウラン鉱山労働者として動員され、後に被曝症で苦しむことになった人々)のドキュメンタリー(1999年制作)をやっている。
■ 2001/08/08 (Wed)
着々と買出しへ
広くて何にもない家にいるせいか、明け方は思いのほか寒い。こちらに来て、やはり冬だと改めて感じることはほとんどなかったのだが、寝具類の用意を最小限にしているせいもあって、今朝はけっこう寒さを感じた。息子はもっと寒かったらしく、これからもっと寝具を買い足さなければならないだろうと考える。
朝方9時少し前に、日本の留守宅へ電話をしたら、こちらがメールで知らせた自宅の電話番号にかけてもかからない、と言われる。いったん電話を切って、テルストラに問い合わせると、先週の金曜日に告げられた番号は誤りだったことが判明した。とにかく、正しい番号を教えてもらい、再度、留守宅へ電話をし、折り返しかけてもらった。当然ながら無事受信し、一安心。
10時頃、家を出て、290番バスに乗ってセント・レナーズ駅に近いTAFEの北シドニー・センターへ行く。ここは、自宅からの交通の便が良く、またホストになっているのがUTS(University of Technology, Sydney)だということで、息子の選択肢に入れたかったのだ。9月10日からのコースに空きがあるという説明を受け、申込書をもらってくる。ここは、無条件で学生を受け入れ、講座の初日にテストでクラス分けする方式という。TAFEの事務局はかなり良心的で、短期居住者のビザだから、より割安の同じような講座もあるはずだとサジェストしてくれたが、そちらは今年度は満員だったので、結局、留学生ビザの学生と一緒のコースに登録するという前提でひと通り説明をしてもらう。明日にでも手続きをするつもりで、書類をもらって帰る。
徒歩でセント・レナーズ駅まで行き、駅ビルのフード・コートで遅い朝食に、サンドウィッチとラザニアを食べる。10ドルでお釣りが来る。家電関係の安売りが多いのを目当てに、電車でパラマタへ行き、19ドルの電気ポットと39ドルの炊飯器を買ってくる。いずれも中古?というより荷崩れ品のような感じで、正規の値段より安い。
駅前まで戻り、チャツウッド行きのバスが停まっていたので、エッピング・ロードを通るかときくと「Eventually」と運転手が答えたので乗ることにする。このバスは、パラマタの東部にあたるダンダス谷一帯を縫うように進み、イーストウッド駅を経由して、1時間以上かけてマコーリー・センターまでたどり着いた、そのまま自宅近くまで乗り続けて、帰宅したが、ちょっと気持ちが悪くなったので、少し休もうと思っているところへ、実家から電話が入る。その後、電気ポットでお湯を沸かしてお茶をいれ、日本からもて来た芋けんぴを開け、パソコンのゲームをしながらしばし休養する。3時頃、再び家を出て、大学へ行き、遅い昼食を学食で息子にとらせる。こっちはまだ気分が悪く、炭酸飲料だけにする。研究室に行き、ページへのアクセスを試みると、東経大のシステムが停止している。予告のあった停止期間が始まったのだ。メール・サーバは維持されているようだが、ページの更新はできないので、この日記のアップロードも来週以降にまとめてすることになる。
電気通信普及財団から、研究調査報告書の校正刷りが郵送されていたので早速目を通して朱を入れる。これを返送するために、封筒を買いに行き、一緒に文具類を少し買う。郵便局はもう間に合わないので、明日投函することにする。
6時少し前に研究室を出て、マコーリー・センターへ行き、まずディック・スミスで変圧器(MDやCDに必要)と延長コード(洗濯機に必要)を買おうとしたのだが、ちょうど閉店時刻で、目の前でシャッターを閉められてしまった。営業時間を見ると、木曜日は9時までやっている。明日出直しだ。ウールワースへ行き、台所用品や、食品を中心に、150ドル近くの買い物をする。二人で山ほど荷物を抱え、290番バスで帰宅。息子は早速荷解きして、皿などを洗ったりしている。けっこう家事も嫌いではない様子で、頼もしく思う。こちらに来て初めて、バスタブで熱い湯につかる。実に快適。
昨晩は息子の方が寒かった様子なので、こちらの毛布を回し、息子の上掛けを一枚もらってベッドを作る。
本物のバナナと、安物のバナナ・ケーキとコーヒーで、夕食代わりにする。
留守宅に再度電話をするが、応答がない。しばらくしたら先方からかかってきた。
息子は10時前にはベッドに入ってしまい、こちらも11時過ぎには就寝。
■ 2001/08/09 (Thu)
いろいろ無駄遣い
朝はやはり寒い。息子に毛布を渡したので、昨日よりさらに寒かった。今日は寝具を買い足さなければならない。8時過ぎに起きてゆくと、既に息子が朝食を作っている。炊飯器の要領がまだわからないようで、上手く行ったとはいえないいえない出来だが、ベーコンと野菜の炒め物や味噌汁もどきを小器用に作ってくれる。
10時少し前にマースデン高校のIECに電話をして、申し込みをキャンセルする。それからマコーリー・センターまで買い出しに行き、ディック・スミスで変圧器と延長コード類、目覚し時計を買う。変圧器だけで60ドル近い値段で、全部で100ドル弱になる。1階まで下りて、コモンウェルス銀行で Cash Management Trust から普通口座への移動を依頼すると、4営業日かかるという。TAFEの申し込みと授業料の払込は来週の週中以降になる。さらに郵便局で、電気通信普及財団へ送る校正刷りを投函し、切手なども買う。
フロアを一つ上がってビッグWへ行き、毛布と枕、掛け布団などを買い足す。
荷物がかさばってきたので、息子にいったん一人で家に帰るように言いつけて、荷物を運ばせる。11時を過ぎていたので、研究室前に行き、メール・チェックなどをする。
1時近くなって、息子が研究室に戻ってきたので、学食に昼食をとりに行く。学食はまだ混んでいたので、まずバス案内所でバス・ルートのこと、チケットのことなどを尋ねる。我が家は、意外に交通の便のよいことろにあるようだ。バスとは関係ないのだが、ここでは、女性への暴力反対を訴える運動「Thursday in Black」のバッヂをもらった。改めて学食に入ったが、まだ混んでいるので、息子はパスタ、こちらは炒飯に野菜炒めをテイクアウェイ(テイクアウトの英国式〜オーストラリア式表現)にし、コモン・ルームに戻って食べる。飲み物込みで15ドルほど。コモン・ルームには、例のエッシャー柄のジグソーに黙々と取り組んでいる女性がいた。
少しだけ作業をした後、研究室に残してあった荷物を抱えて、二人で家に戻り、3時過ぎに再度出かける。290番バスでQVBに着き、最初に入ったのはお気に入りのゴウイングス。ちょうどセール中で、25%引きになっているキャンプ用のエア・マットレスを購入。これは半ば無駄遣いかもしれないが、自分のわがままである。140ドルほど。白人の店員が実際に広げて見せてくれたのだが、彼は日本に旅行して池袋に泊ったなどと言い、「ニンジャナイカ」(まあ、いいんじゃないか...と言ったつもりのよう)などと怪しげな日本語を交えて話をした。次の目的地は、ボンダイ・ジャンクション駅近くの、インド系の安売り店である。ここでは包丁などとCDラジカセを買う。ここでは、日本で働いていたことがあるというインド系の従業員としばし日本語でやり取りする。埼玉の戸田辺りにいたらしい。ここでは120ドルほどの買い物。近くのTシャツ屋の店頭に洒落の利いたデザインのシャツがあったので、日本の知人に送るべく購入。
息子が先日の韓国食堂が気に入ったというので、夕食はキングス・クロスで再度同じ店に行く。改めて屋号を見ると、ITAEWON(=梨泰院?)という店だった。前回と同じように焼肉ランチを頼む。さらに、もうちょっと食べようということになり、ビビンパを一人前頼んで分け合った。ここには、リプトンのレモン・ティー(日本のものよりべたべたに甘い)に炭酸を加えた缶入り飲料「リプトナイスLiptonice」があったので、試してみる。全部で28ドルほど。
家へ戻って、さっそく買って来た寝具を追加してベッド・メイキング。その後、買ってきたばかりのCDラジカセで日本から持ってきたCD類をかける。息子は9時前に部屋に入ってしまう。こちらはだらだら深夜1時頃まで、書類の整理などの作業を続ける。
■ 2001/08/10 (Fri)
ゴミ出しは失敗、洗濯は成功
昨日ほどではないが、朝は寒さで目が覚める。でも冬なのだから、これぐらいの方が健康的だろう。7時半頃だったのだが、外へ出て見に行くと、ゴミの日なのだが既に回収は済んでいる。未明にやってしまうようだ。前夜から出すのが許されているというより、前夜に出すのが当然なのだろう。洗濯機を初めて使い、とりあえず自分の洗濯物だけひと通り洗う、といっても放り込んで洗い上がるのを待つだけだ。9時過ぎに洗濯物を干し、この地域を管轄しているライド市役所(Ryde City Council)に電話してゴミの出し方をきく。地番の書かれた我が家のごみ箱の中には、内装業者がいいかげんに分別もせずに放り込んだゴミが残っている。主にダンボール類が多いのだが、これは1回の資源ごみの回収では間に合わない。数回に分けて出せというのが市役所の言い分だった。しばし、ごみ箱の中身を整理する。
息子はまだ寝ているので、10時頃に家を出て、一人でノース・ライド・センターへ行く。途中でタンポポが咲いているのを発見。冬のさなかのはずなのに。センターへ着き、まず郵便局(ニュースエージェンシーはやっている簡易局のような感じのところ)で、日本向けの郵便物を発送する。次に不動産屋に行き、入居時点での状況についての確認書の記入について話をする。結局、現場を見ようということになり、V氏と一緒に車で家まで戻る。息子はもう起きていた。不同意の箇所の現状をV氏と一緒に確認して、書類にサインすることになる。こちらが書類を埋めている間、彼は家の前の「貸家」の看板を撤去していた。
息子が昼食にラーメンを作ってくれたので、これを平らげてから、2時半頃、息子と一緒に出発。ちょうどいいバスがなかったので、レーン・コーブでバスを乗り継ぎ、UTSがホストしているTAFEの北シドニー・センターへ行く。ここでは手続きについて再度確認。来週、水曜日に手続きすることになった。
大学へ戻るため、バスに乗ろうとしたが、またまた都合の良い便がないので、レーン・コーブ・ウェスト行きに乗ってレーン・コーブまで行き、ここで乗り継いで大学へたどり着いた。運転が少々乱暴だったのか、サスペンションが悪かったのか、下車した頃には二人とも少々気持ちが悪くなっていた。
しばらくインターネットを使っているうちに、5時近くになって部屋を出る。バスでマコーリー・センターへ行き、ウールワースで、食料や調味料をいろいろ買い込む。夕食も息子が炒飯を作る。出来は今ひとつだが、自発的に作ってくれているのはありがたい。安いオリーブの瓶詰めを開け、付け合わせにする。
こちらの物価はおしなべて日本より安いが、ものによって割安感が違う。牛肉は確かに安い。酪農製品もだいたいそうだ。オリーブの瓶詰めやオイル・サーディンなども「お買い得」が強い。
こちらにきてからちょっとだけ手をつけていた論文の翻訳に、本格的にとりかかる。思ったより進まないが、いつものように「遅々として進む」ペースでよいだろう。就寝は1時過ぎ。はじめてマットで床につく。
■ 2001/08/11 (Sat)
バックギャモン・ボードを買う
未明に一度目が覚めたので、トイレへ行き、テレビをつけてみたが、既にSBSのNHKニュースは終わり、香港ATVになっている。つまり6時台前半だ。もう一度ベッドに戻りまた寝る。8時過ぎに起床するが、息子はまだ起きてこない。いったん起こすが、結局またベッドに戻ってしまう。ようやく9時過ぎに起こして、パンにサーモンの切り身とオリーブなどを挟んだ簡単な朝食をとる。
11時頃洗濯機を回したまま二人で出かけ、292番バスでロックスへ行き、マーケットを冷やかし、ケン・ドーン・ギャラリーを回る。サーキュラー・キーのロッシーニというイタリア風のカフェで昼食。結構しっかりした料理もある店で、飲み物とチップを含めて32ドルほど。さらにMCAに立ち寄ってリッキー・スワローらの興味深い作品(iMan など)を見る。電車でタウン・ホールへ行き、ウールワース・メトロで台所用品などを買い物。ついでに安い体重計(中国製・15ドル)を買う。
明日は、有名なシティ・トゥ・サーフの日なのだが、QVB前では昨年のシティ・トゥ・サーフの記念トレーナーに下はぴっちりしたジャージ姿という中年女性がいた。明日も走るのだろう。
2時少し前に292番バスで家まで戻り、洗濯機に入ったままの洗濯物を息子に干させる。彼は昼寝がしたいというので、1時間ほど休ませた。
息子が起きてから、再度出かけ、バスでマコ―リー・センターへ行く。まず、薬局で爪切り(nail cripper というとは知らなかった)を買う。それからエスカレーターの近くでチェスの駒などをディスプレイしている店があったので入り、競技用サイズのバックギャモン・ボードを買う。65ドルほど。ビッグWでは自転車を売っているのを見つけたが、今日は買わず、コルクボードとピンだけを買った。 帰宅後、洗濯物を息子に取り込ませる。
一段落してから、息子を相手にバックギャモンをする。9回対戦で105対0と圧倒して面目を施す。
夕食はまたも息子がステーキを作る。味付けはシンプルだが肉は厚みがあると歯ごたえがあって美味しい。
その後、CDをかけたりしながら、論文の翻訳を続ける。気がつくと夜中の2時を回っている。
■ 2001/08/12 (Sun)
企業団地を歩く
9時頃に起床。息子はもう朝食を済ませた様子だ。
こちらが起きてきたのを認めると、ご飯に、みそ汁、炒め物という朝食を出してきた。どれも彼好みの味付けで薄味すぎるが、もちろんありがたく頂く。塩味が欲しかったので、オリーブを出してきて一緒に食べる。
10時少し前にテレビをつけると、ちょうど10チャンネルでシティ・トゥ・サーフの中継をやっている。このチャンネルは一番映りが悪い。とりあえず5万5千人が走った?というし、男女とも大会記録(男性はタンザニア勢が1-3位を占め、女性はオーストラリアの5000mの選手が1位)だったから、盛り上がったのだろう。ゴールのボンダイ・ビーチの様子も、なじみができているので見ていて楽しかった。 11時前に中継が終わったので、テレビを消し、しばし、翻訳の続きに取り組む。
昼食後、自転車を買いにマコ―リー・センターへ出かける。バスで行こうとしたのだが、いっこうにバスが来ない。歩いてみることにして、マコーリー・パークの企業団地を通って行く。SEIKO、Kenwood、HITACHI、Toshiba等々の前を通る。この辺りにはバス通り沿いにも、brother、SONY、Fujitsu、omronといったところがあり、日本企業の事業所は結構多い。はじめて駐車場側からセンターに入り、ビッグWで自転車とヘルメットとチェーン錠を買う。占めて190ドルほど。ついでにウールワースにも寄って、缶切りやティーサーバー(実はコーヒー用だったのだがまあ気にしない)など小物を買う。
帰りはもちろんバス(292番)だったが、停留所から家まで自転車を担ぐのがしんどかった。
どっと疲れが出て昼寝することにする。8時過ぎまで熟睡。
夕食は、スープ缶を開けてトマト・スープを作り、ありあわせでいろいろつまむ。
テレビをしばらく見てから、翻訳を続けるが、余りはかどらない。1時過ぎになったので、休む。
■ 2001/08/13 (Mon)
楽しい食生活
8時過ぎに起床。充分休めたのだが、明け方の寒さで足先が冷え切っている。今日は、もう一枚キルト=掛け布団=を調達しなければいけない。
朝食は、残っているご飯を利用して卵雑炊風のものを作る。ずっと息子が中心の台所だったので、自分が主に作る食事は初めてだろう。味付けは日本から持ち込んだ麺つゆと、こちらで調達したシンガポール産のキッコーマン醤油である。冷蔵庫の調子が変で、卵は凍り付いていたが、ゆで卵のような感じで殻を剥き、凍ったまま鍋に入れた。一応それらしく仕上がったものに、残り物のスモーク・サーモンやオリーブなどを出して朝食にする。
10時すぎに、息子と一緒に出かけてマコーリー・センターへ。ビッグWで自転車の組み立てに必要な工具と、安物のキルトなどを買い、さらにウールワースでスープ缶などを買い込み、買い物をまとめて息子に持たせて家に返す。こちらは、バスで大学へ行く。病院に入院していた教室秘書のSさんが出てきているが、ちょうど学生たちが窓口にいたので挨拶はしそびれた(結局今日は挨拶せずじまいだった)。
研究室では、しばらくネット・サーフィンをしていたが、昼少し前に廊下でばったり会ったH氏から、関西大学のY氏が来ているので一緒に昼食をしようと声を掛けられたので、息子に自分で昼食をとるよう電話を入れてから、3人でスタッフ・クラブのレストランへ行く。スタッフ・クラブには初めて入ったが、シンプルながら教職員用らしい雰囲気でなるほどと思う。信州大学(松本旭町キャンパス)の教職員食堂を思い出した。Y氏は家族の観光旅行の途中で見学に立ち寄られたとのこと、日本の大学事情などを話題に会話が弾み、楽しい昼食になった。もっとも、わざわざスパゲッティ・ボロネーゼとあるのを注文したら、マカロニ風のパスタで出てきたのではあったが。
いったん二人と別れて研究室に戻ったが、Y氏が再度研究室に来てくれたので、キャンパスを案内がてら、図書館や書店生協、学生食堂、大学敷地内の企業研究所地区など、少々寄り道をしつつマコーリー・センターまで一緒に行く。バスで中心部に戻られるY氏を見送った後、ウールワースで、好物の生姜など、ちょっとだけ買い物をして、ストラスフォードへ行く459番バスで家に戻る。息子は自転車を粗方組み上げていたが、前輪のブレーキを取り付けるのに苦労していたので、ここだけは手を貸してやった。
その後、バックギャモンをする。今日のスコアは、15回対戦で138対14。そうこうしているうちに日が傾き、やや早めだが5時頃、トマトスープの缶を開けてセロリと葱を刻んで入れたもの(隠し味はもちろん生姜)を作った。その後で、息子がチーズと野菜のベーコン巻きを作る。実に器用なものだ。
イエロー・パスが今日で切れるのでどうしようかと思ったのだが、思い立ってエッピングまで出かけることにした。ちょうど交差点で、エッピング・ロードを直進するマースフィールド行きのバスが来たので、これに乗ってマースフィールドのウールワースの前まで行き、ここで大学の方から来るエッピング行きに乗り換えた。駅でイエロー・パスを買ってから、再度バスでマコーリー・センターへ行き、今日三回目のウールワースでの買い物をする。今回はジャガイモと食器セットと卵である。
帰宅後、7チャンネルの「ウィーケスト・リンク」を見る。面白い趣向だとは前から思っていたのだが、ほぼ通してみたのは初めてで、なるほどよくできていると思った。でもこういう(問題がという意味ではなく、回答者間の戦略的なやりとりが)タフなクイズ番組は日本では流行らないかな。
その後は、お茶を飲みながら、報告をまとめなければいけない英国関係の資料をパラパラと見始める。
今日は風呂に入って早めに寝よう。
■ 2001/08/14 (Tue)
静かな日常の始まりか
9時少し前に起床。明け方の寒さも、キルトのおかげで苦にならない。少し早く目覚めかけたが、心地よくまどろんでいてこの時間になった。
息子を起こして朝食にする。ご飯と、まだ残っているスモーク・サーモンにアボガドを付けあわせる。スウェーデン産のニシンの酢漬けも開けてみたが、甘味が強すぎて一切れだけにする。
洗濯機を回し、レンタル家具屋のオフィスに問い合わせの電話を入れ、息子を買い物に行かせようとしたのだが、一回勝負のバックギャモンに負けて、こちらが出かけることになる。10時半頃家を出て、いつものように交差点の停留所まで行ったのだが、20分くらい以上バスが来ないので、思い立ってケント・ロードの小学校を目指して歩き出した。途中で288番のバスに2回追い越されたから、日中はこちらの方が本数が多いのだろう。小学校で、娘の編入手続きのことを尋ね、書類をもらう。
小学校の前から288番バスに乗って大学へ行き、研究室でしばらくネット・サーフィンをして、小泉首相の靖国参拝問題のニュースなどを読む。東経大のサーバが動いているようだったので、日記のアップロードを試みるが、FTPが成功したと思ったら、ページがエラーメッセージになってしまった。お手上げなので、このページを作ってくれた院生のY君にメールを出して、それ以上の作業はあきらめた。
午後2時少し前に研究室を出て、マコーリー・センターまでバスで行き、ウールワースで深いスープ鍋とフライパンに菓子類などを買う。40ドル足らず。
帰りはチャツウッド行きの545バスに乗って交差点のバス停で降り、バス停の時刻表の平日分だけを書き写してきた。週末の分は全部掲示されていないので、書き写しても意味がないことに気づき、途中でやめた。
留守中に息子は、マッシュ・ポテトなどを作って昼飯を済ませていた様子だ。洗濯物も取り込んであった。こちらは昼食を取りそびれていたので、早速買ってきた菓子類で昼食代わりのお茶にする。
息子は、今日は外出をしていない。暇があると昼寝をしそうな様子なので、野菜スープのベース作りの準備をさせる。夕食は6時過ぎに、朝食の残りにステーキと炒飯というここで作る料理のオールスター・キャスト版といったところだ。要するに食材の整理なのだが。
今日は集中力を欠いていて、食事の後はパソコンに向かったまま眠り込んでしまった。その後も仕事をする気にならないので、書き写してきたバス停の時刻表をhtml化して時間を潰す。はっきりいって、単なる遊びである。
■ 2001/08/15 (Wed)
これはビビるな
9時過ぎに起床。毎日すこしずつ遅れている。ここらで調整しないとまずいだろう。
息子は部屋の中で起きていたようで、声を掛けるとすぐに出てきて朝食にする。彼は、またまた器用にも、ポテトにベーコンとチーズを載せて焼いたものを作ってくれる。これまた安物のオイル・サーディンの缶を開け、昨日から作っている野菜スープとご飯でできあがりだ。
朝食を作っているとき、台所の天井に、日本の感覚からすると巨大な蜘蛛がいることに気づいてギョッとした。毒がある可能性は低いとは思うが、気をつけなければいけない。捕まえて追い出そうとしたのだが、ガス・レンジの裏に逃げ込まれてしまった。また見かけることがあるかもしれない。
今日は息子に留守番をさせることにて、10時半頃に出かける。まず、マコーリー・センターまでバスで行き、銀行の用を足し、引き出した現金を持って、TAFEの北シドニー・カレッジへ行く。途中、バスの都合でレーン・コーブで乗換える。TAFEでは、9月10日からの息子の英語コースの授業料5,865ドルを支払った。再度、バスでセント・レナード駅まで行き、この辺りにあるはずの某出版社を探したのだが、移転したらしくその番地は空家になっていた。
帰りも、バスの都合でレーン・コーブで乗換えたのだが、ちょうどここで、バスの集中検札をやっていた。屈強な体躯の本来はバス・ドライバー?と思しきインスペクター6人ばかりが(うち1人はよく見たら女性だった)バスが来るごとに、降りる客、車内のお客全員の切符をチェックする。なかなか物々しい。こちらでは、乗車時に行き先を告げて料金を支払うかパスを通すのが決まりだが、実際にはパスがあればいちいち行き先を言う必要はないので、持っているパスの範囲を超えて乗り越す者が少なくないようだ。バス一台を止めると、一人や二人は数人のインスペクターに囲まれてお灸を据えられる羽目になるようだ。たまたま持ち合わせのなかった様子の青年は、家の連絡先などをきかれ、その場で電話で連絡をとられていた。確かにこれには、かなりビビるだろう。
レーン・コーブで来たのが288番バスだったので、思い立ってノース・ライド・センターの不動産屋に、玄関の網戸の鍵のことを問い合わせに行く。契約のときは、内装業者が誤って持ち帰ったということで、すぐに持ってくるという話だったが、そのままになっていたので、こちらはずっと裏口を使って一週間以上生活している。事務所に立ち寄ると、しばらくして鍵が出てきた。どうも、すっかり忘れられていたらしい。確認にこなかったらそのままになっていたかもしれないが、これもオーストラリア風ということか。
再度、288番バスに乗って大学へ行き、FTPを試みるが、上手く行かない。あきらめて終戦記念日関係のニュースのページなどを中心にネット・サーフィンをし、何件か問い合わせのメールを書いたりして過ごすが、結構時間がたつのは早い。食材などを買い物して帰宅することにし、午後4時過ぎにバスでマコ―リー・センターへ行く。バスを降りると、入口の空き店舗スペースで本の安売りをやっている。置いてあるのはほとんどが小説類だが、研究費で認められそうなイギリスの本で安いものを見つけ、4冊ほど購入する。ウールワースで食材を少し買って、帰宅。
息子の方は、自転車で買い物に出かけたり、料理をしたりと、結構楽しんでいた様子だ。
夕食は6時半過ぎに、スープとサラダとご飯となったが、もう一品いると思い、牛肉とセロリのバター炒めを追加した。
明後日の早朝には、空港へ出迎えに行かなければいけないので、生活リズムを変えようと、食事の後は何もせずにすぐ床に就いた。
■ 2001/08/16 (Thu)
思わぬものを売っている
前夜は7時過ぎには寝てしまったので、夜中の2時頃に眼がさめ起床する。再度寝るかどうか迷ったが、このまま起きていることにする。翻訳作業に取り掛かれるほどには、頭が冴えていないので、研究費で落とせそうな領収書を整理する。最初はラジオをかけていたのだが、4時台になったのでテレビをつけてみる。各局とも宗教系の番組もやっているようだ。
とりあえず、気象衛星画像とバックに音楽を流しているSBSにチャンネルを合わせる。このまま5時半になりNHKニュースを見る。終戦記念日関係のニュースが主だが、アデレードで邦人女性が行方不明というニュースも流れていた。引き続き、香港、北京のニュースを見る。中身はわからないが、首相の靖国参拝への抗議活動が前面に出て報じられている。7時少し前に眠くなってしまい、再度寝床へ。
9時過ぎに再度起床し、部屋にいた息子を促して朝食にする。昨日ウールワースで買った、マギーのヌードル、つまりラーメンである。セロリと Baby Choi Sow なる正体不明の中国野菜をたっぷり入れた。
息子は後から自転車で来させることにして、一人で10時過ぎに大学へ出かけるが、しばらくバスがこないので、先日とは少し違うルートでマコーリー・パークの企業団地を歩いてみた。マコーリー・センターでちょっと店をちょっとひやかし、センターからはバスで大学へ行く。息子が昼過ぎに来たので、学食でテイクアウェイをもらってコモン・ルームで食べる。この日は、大学の日本人学生会がバーベキューをやっているはずだったので、終わりかけの時間に顔を出し、メールで連絡をもらったS君に名刺を渡す。
午後4時近くになって、センターに自転車を置いてきたという息子と一緒に歩いてセンターまで行く。自転車と書いてあるところに置いてきたというので安心していたのだが、何と、ご丁寧にも「この区域には自転車等を乗り入れてはいけません」と書いてある場所に堂々と一台だけ駐輪していたのだった。よく撤去されなかったものだ。息子を先に帰して、一人で買い物をする。明日来る娘のための毛布とスリッパをビックWでかったのだが、本のコーナーにイギリス最初の地質図を作ったウィリアム・スミスの一般向けに書かれた伝記があったので、思わず1冊買う。全部で90ドル足らず。
バスで帰宅。夕食の買出しを掛けた息子とのバックギャモン一回勝負に勝ったので、息子は5時前に徒歩でノース・ライド・センターまで出かけた。こちらは翻訳の続きにとりかかる。ところがあたりが真っ暗になり、7時を過ぎても、息子は帰ってこない。かなり心配になったのだが、結局7時半過ぎに戻ってきた。どうもバスを乗り間違えたりして時間を食ったらしい。結局最後は歩いて戻ってきたようだ。
夕食は、スープとご飯に、牛肉と野菜の炒め物。さらに食後のお茶にクッキーで満腹になったのを見計らって、10時少し過ぎに就寝。
■ 2001/08/17 (Fri)
娘が到着
目覚ましをかけ、4時45分に起床する。目を覚ますためにシャワーを浴びる。5時12分の始発バスに乗れるかもしれないと思いながら家を出ると、ちょうどゴミの回収車が来たところだった。大型の専用車両に運転手だけが乗っていて、自動的に定位置に置かれたごみ箱の中身を回収していく。合理的といえば合理的だが、融通は利かないやり方だ。ゴミ回収車に見とれていたせいではないのだが、始発には遅れてしまい、結局5時42分のバスでQVBへ行き、タウンホールからインターナショナル・ターミナルまで電車に乗った。到着予定時刻は7時15分だったが、こちらが到着したのは6時45分頃だった。早朝には1時間ちょっと来れるわけだ。
QF22便は10分あまり到着が遅れ、さらに通関に時間がかかるので、娘が出てきたのは8時頃だった。同行してもらったS君一家には随分お世話になってしまった。
奥様の父上が迎えにこられていたS君一家とは空港で別れ、電車とバスを乗り継いで9時過ぎに帰宅。娘は早速荷解きをして、持ち込んできた食糧を出す。面倒になりそうなものはS君に預けて通関してもらったそうだが、さきいか、イカ飯まで持ってきているのにはあきれた(当然ながらビーフ・ジャーキーは取り上げられたそうだ)。
こちらの気候に慣れてきている私と息子は、さほど寒いと思っていないのだが、真夏の日本からきた娘は「寒い」を連発。とりあえず長ズボンに履き替えさせ、ブルゾンを着せることにする。
Kent Road Public School に電話をすると、午後の方が都合が良いということなので、昼休み明けの午後2時過ぎにということでアポイントをとる。午前中のうちに一度買い物に行こうと思い、娘とバスでマコーリー・センターへ行き、ビッグWで、ジグソーのセット、スリッパ、文房具類を買い、さらにウールワースで缶詰類を買って戻る。昼食は息子がフレンチトーストを作ってくれる。
1時半頃家を出ると、ちょうど運良くストラスフィールド行きが来たので、これに乗ってコックス・ロードの角まで行く。このバスは本数が少なく、10分ほど歩くつもりだったので助かった。コックス・ロードの角から288番バスに乗り換え、ちょうど2時頃学校につき、書類などを預けるが、折悪しく校長が多忙で、既に日本人の生徒を受け入れているクラスの担任も病気で休んでいるという。このクラスに入れるのが筋なのだが、定員いっぱい(35名)がいるので、受け入れ可能かどうかの判断は即答できない、と事務担当者から説明された。ちょっと困ったなと思いながら、とりあえず書類を受け取ってもらい、来週早々に連絡をもらうことで今日は引き下がることにした。ほんの10分ほどで、学校の用事が済んでしまったので、今日のうちに在留届を出そうと思い立った。学校の前から、中心部へ向かう288番バスに乗ってタウン・ホールへ行き、マーチン・プレイスまで一駅電車に乗って、コロニアルの34階にある日本総領事館へ行く。3時頃に到着して娘の在留届を出した。
帰りは、また一駅電車に乗って、QVBから290番バスで大学へ向かう。途中二人ともうとうとする。大学に着いたのは4時半頃だったが、しばらくネット上の作業をして、5時ちょっと過ぎに退出。
バスでマコーリー・センターへ行き、今度はまず家の鍵の複製を娘用に作り、それからウールワースで食料品を買い込む。
夕食は息子がステーキを焼く。これにスープとご飯とサラダだが、サラダがいまひとつ不評。娘は野菜スープも飲まないと言っており、どうやって野菜をとらせるか難しいところだ。
夕食後、息子は娘の持ち込んだ漫画に、娘はジグソーに夢中になっている間に、シャワーを浴びて髭と髪を少し切る。こちらに来て初めてである。その後、テレビを見る。チャンネル・テンのシンプソンズ(新作)を見て、結構眠くなってきたのだが、SBSの東チモールについてのドキュメンタリーを見始めて、最後まで見てしまった。オーストラリアに逃れていた東チモール人の人々が、1999年の秋以降、現地でどのように活動をしているかを、それぞれ、児童支援団体の現地代表者、ポルトガル政府代表部の職員、シャナナ・グスマンの通訳として現地で活動している3人の日常を追って捉えた作品で、この8月初めの状況までをフォローしたタイムリーなものにしてある。シャナナ・グスマンの動いている姿をこれだけ見たのは初めてだった。
見終わった後、まだ遊んでいる子供たちを放り出して、10時過ぎに就寝。
■ 2001/08/18 (Sat)
がらくたも積もると
昨晩子供たちより早く寝たので、8時頃に起床したが、子供たちはまだベッドの中にいる。9時頃にもう一度起こすと言い聞かせて、こちらはしばらく書類の整理などをする。
9時に子供たちを起こし、先日と同じように野菜ラーメンを作り、食べさせる。10時半頃、娘と一緒にバスでマコーリー・センターへ行き、ディック・スミスなどを回ってから、ビッグWとウールワースで、パンにラーメン、菓子類と、いろいろと買出しをする。このとき安物の靴も買ってみた。1時過ぎに帰宅し、子供たちが作ったオムレツなどで遅めの昼食を食べる。この後、娘は自転車で家の前を走ったりして遊んでいた。
息子の方は、外へ出かけたがらず、もっぱら家の中で漫画を読んだり、パソコンで文章を綴ったりしている。すこしは勉強らしいこともさせなければと思い、今日から数学の問題を少しずつさせることにする。
おやつ時にははじめてグリルを使い、ピザを温めてみた。
午後4時頃に、郵便物を投函していないのに気づき、再度マコーリー・センターへ出かける。子供たちを誘ったが、その気がないようなので一人で、買ったばかりの安物の靴を履いて出かける。545番バスでセンターへ到着し、まず入口のポストに郵便物を投函してから、数日前に店を開いた Dymooks でまた新古本を買う。ビッグWへ行き、小さなラグ風のマットやキッチン・グローブ、ティー・タオル、オーブン用の焼き皿、ヘアブラシにバケツ、それにCDを3点ほど買う。昼の分とあわせると、今日の買い物は200ドル近い。大したものは買っていないのだが、生活必需品やら、さほどでもないがらくたを結構買ったわけだ。
帰宅してみると、靴の中が結構暑い。冬場でこうなのだから、暑い頃なら随分蒸れるだろう。安物だけに通気性が悪いのだ。今のうちに履けるだけ履いて、履き潰すつもりの方がよいだろう。
帰宅後は、息子の料理で夕食。野菜炒めに卵焼きとスープである。娘は相変わらず野菜を食べたがらない。困ったものだ。食事の前には、買ってきたばかりのCDを聞いていたのだが、食後は娘が自分の持ち込んだアニメの主題歌を聴くために部屋にCDプレーヤーを持っていってしまった。そこでお茶を入れて、息子とバックギャモンをする。今回は結構もつれ、23回やって54対25で止めにした。途中で娘がパインを切って持ってきた。豪快な切り方だった。
この間、テレビはザッピング状態。9時過ぎから、7チャンネルではミスター・ビーンをやっているが、これも気まぐれに見たり、他局に変えたりである。
メール・チェックをしようとリモート・アクセスをしたら、やたら重たい、おそらくウィルスと思われるエクセルのpifファイルなどを添付した同じ文書が、同じ発信者から、今日の午後十数回繰り返し送られ続けている。こういうことをされると本当に迷惑である。
11時を回ってそろそろ寝ようと思うが、まだ眠くはならないので、今日センターのABCショップでもらってきたパンフレット類などに目を通す。娘はもう寝たが、息子はこれから夜中過ぎにネットをいじるつもりらしい。
■ 2001/08/19 (Sun)
日常的な日曜
いったん6時前に目覚めたが、すぐまた寝る。8時過ぎに起きたが、娘は熟睡中、息子は例によって起きていたと主張しながらベッドの中にいる。
いたって普通の日常的な日曜で、テレビの音楽番組を見たり、CDを聴いたりしながら、何をするでもなく過ごす。朝食と昼食も各自がそれぞれ適当にシリアルやご飯の残りを食べて済ませる。
昼食後の午後1時過ぎになってから、東側の隣家に三人揃って挨拶に行く。西側の隣家は留守だった。
その後で、前日同様、娘と一緒にバスでマコーリー・センターへ買い物に行く。まずビッグWで空気ベッドと英国製の芝刈り機という大物を買い、いったんバス停近くのベンチまで行ってから、娘をそこで待たせ、ウールワースでスパゲティなどを買う。
帰宅後も、子供たちはそれぞれ勝手に遊んでいたり、息子は料理に取り掛かったりして散漫な時間を過ごす。買ってきたばかりの空気ベッドは、空気を吹き込む手段がないので、膨らますのを断念。明日以降に、ドライヤーを買ってくることにする。子供たちと同じように、こちらも仕事らしい仕事はせず、どうでもよいページ作りをして時間を潰す。
夕食は、肉と野菜の炒め物にスープとパン。
夜は、まだ起きている子供たちを残して、9時過ぎに先に就寝。
■ 2001/08/20 (Mon)
娘の学校を決める
いったん5時45分に目覚め、NHKニュースを途中から見るか迷ったが、結局また寝る。7時半頃、娘に起こされる。娘はチャンネル・テンの朝のアニメ・ショー(数本のアニメ番組を続けて流す)目当てに早起きをしたのだ。一緒に『カードキャプターさくら』『ポケモン』そして『スパイダーマン』を見る。寒がっているので、毛布を持ってきてやったら、8時半頃から自分でテレビを消して、そのままテレビの前で熟睡しだした。
少し部屋を掃除し、洗濯機を回し、9時を回ってから朝食。その後、ガス会社と電力会社に電話をして、名義変更を済ませる。その間に、Kent Road Public School から電話が来て、娘を受け入れられないと言われる。クラスに余裕がないということなので、仕方ない。
息子とバックギャモンを始める。今日は劣勢が続き、26対44になってしまった。あまりむきになってゲームをしていると午前中は仕事にならないので、洗濯物を干すように子供たちに言い置いて、11時半頃に家を出、Kent Road 校に提出した書類を回収に行く。Lane Cove Road に出たところでちょうどストラスフォード行きが来たのでこれに乗り、Cox Road で288番バスに乗り換えた。書類を受け取って、Cox Road へ288番バスで戻り、North Ryde Public School へ立ち寄って編入が可能かどうかをきいてみた。窓口でいろいろやっていると、ちょうどマグカップ片手の校長が通りかかり、直接事情を聞いてくれた。「この学校では、英語ができない子供のためにできることは限られているがそれでもよいか」と言われたので、「こちらはそれで良い」と言うと、その場で「断る理由がないよ」といって笑って書類にサインしてくれた。
ちょうどこの日は何か特別な行事の日らしく、子供たちはいつも見慣れた黄色と茶色の制服ではなく、開拓時代を思わせる古風な恰好(女の子はフリルのついたエプロンに髪どめ、男の子はハット着用といった感じ)をしてメイポールのダンスなどをしていた。
学校の前からマコーリー・センターへ行くつもりでバスに乗ったら、なぜか Lane Cove Road を北上するので、家の近くで下車して家に戻る。子供たちは既にひやむぎで昼食を済ませていて、とっておいてもらった分を食べる。昨日買ってきた芝刈り機のハンドルを娘が半ば組み立てていたので、一緒に完成させ、しばし遊びながら芝や雑草の上を走らせる。
午後1時過ぎに再度家を出て、セントラルの駅に近い、NSW州教育庁の事務所に授業料を支払いに出かける。セントラルの駅で3ヵ月のイエロー・パスを買う。事務所へ行く途中、古本屋を見つけ、一回り店内を見てみる。その後、いったん事務所に行って説明を受けてから、近くのコモンウェルス銀行の支店に行って、指示通りの小切手を作る。この支店は中国系の顧客が多いようで、掲示物にも中国語が添えてあるし、店員もほとんどが中国系と思しき東洋系だ。授業料4500ドル、入学手数料110ドル、それに銀行の手数料が5ドルちょっとだった。小切手を受け取り、再度事務所に戻り、手続き完了である。これで一週間から10日で郵便による連絡が来るはずだ。
そのまま George Street をQVBまで歩き、288番バスを Lane Cove で290番バスに乗り継いで、午後4時過ぎに帰宅。今日は3人で外食にしようと思ったのだが、娘は和食、息子は中華料理店を主張し、行き先が決まらない。結局、娘は家に残って、息子と二人でマコーリー・センターへ、食事と買い物に行く。ところが、中華そば屋は今日に限って休みだったので、新しいカフェで、パスタとサラダと紅茶をとる。50ドル近い金額だったので、50ドル置いて店を出た。ウールワースで食料品などを買い、292番バスで帰宅。7時半頃だったが、娘はテレビの前で毛布に包まり寝ていた。
息子とバックギャモンの続きをするが、結局、通算25戦して45対47で息子の勝ちで終わりにした。
子供たちはそれぞれ自分の部屋に入ってすぐ寝るような感じになったのだが、結局その後、9時過ぎには、2人とも起きてきて、居間でマンガを読みながら過ごす。
娘は、昨日買ってきて、ふくらませないまま居間に放置してあったぺしゃんこの空気ベッドの上で、毛布に包まって寝てしまう。このままでは寒そうなので、仕方なくベッドから掛け布団などを持ってきて、かけてやる。
まとまった仕事をしていたわけではないのだが、いろいろパソコンをいじっているうちに深夜になる。テレビでは、クリケットのテストマッチ The Ashes をやっている。イギリスでやっているゲームなので昼の試合の生中継が深夜になるのだ。この試合はオーストラリア対イングランドで、イングランドの大逆転勝利となった。最後までついつい見ていたら、3時近くになった。結局、娘と一緒に居間のテレビの前で寝る。
■ 2001/08/21 (Tue)
ちょっとはずした外出
朝は、アニメ目当ての娘の早起きにこちらも起こされそうになるが、結局9時頃まで起床しなかった。朝食は、各自がみんな勝手にシリアルや残り物で間に合わせる。午前中は、小学校の授業料についてと、土曜学校について問い合わせの電話を入れたあと、今日は午後から出かけて夕食はみんなで外食にすると宣言し、午前10時過ぎに一人で大学へ出かける。まず、バスでマコーリー・センターへ行き、ビッグWでドライヤーを買う。30ドルほど。これは、空気ベッドを膨らますためである。センターからは歩いて大学へ行き、まず、息子用のトラベル・パスを大学の厚生棟で購入。その後、しばしネットをいじる。
午後2時を回ってから研究室を出て、帰宅。さっそく空気ベッドを膨らまそうとするが、買ってきたドライヤーが、「クール」モードのない安物で、使えないことが判明。仕方なく人力で空気を吹き入れることになる。ざっと計算すると200リットルくらいの空気を吹き込まなければならない。とりあえず、空気吹き込みの作業はちょっとだけ手をつけて、止めにし、3時半頃、3人で出かける。
チャツウッド行きのバスが最初に来たので、チャツウッドまで行き、駅の東側の商店街を歩く。The Best of Australian Restaurants というガイドブックにあった「ジンギスカン」という店を見つけた。実は、チャツウッド辺りから、土曜学校が開かれるCammerayの小学校付近まで行くバスがないかと探したのだが、うまく見つからない。そこで、電車でウィンヤードまで行くことにする。チャツウッド駅の東口出口近くにあるファースト・フード風の巻き寿司の店で、4本5ドルで鉄火巻きと、サーモン・アボガド巻きを買い、娘と電車の中で食べる。息子はこういう中途半端な食べ方は嫌がるので、結局食べなかった。
ウィンヤードから202番バスで、北シドニーを経由しカマレイまで行く。土曜学校の会場となっている小学校をぐるっと一回りして、今度は逆方向の202番バスに乗ってウィンヤードへ逆戻りする。既に6時を回っているので、中華街へ行って夕食にしようということになり、ウィンヤードからチャイナタウンまでぶらぶら歩いてゆく。
一回りした後、YKという店に入ったのだが、ここが完全に「はずれ」で、期待したイメージと大きくずれた料理が出てくる上、根本的に味付けが日本的な味覚に合わない。キャベツが入っていない、葱で作る回鍋肉はまだ食べられる味だったが、私のとった北京風の牛肉ご飯は、味付けが甘酸っぱくて、ちょっと食べられなかった。娘のとった水餃子麺も味が口に合わず、手がつかなかった。息子は一人、まずいまずいといいながら、自分がとったレモン風味の鶏肉ご飯も含め、かなりの部分を平らげてくれた。文句なく美味しかったのは温かい中国茶で、ポットに3回以上は注ぎなおしてもらうくらい、みんなよく飲んだ。このお茶で、口の中の奇妙な味を洗うというのが、実際のところだった。帰りは、来た道を逆に歩いてQVBへ向かう。途中、何と建設中のビルの壁まで出来上がった1階部分を利用して仮設でやっている新古本屋を冷やかした。QVBからは292番バスで帰宅。
帰宅後、空気ベッドに娘と2人がかりで空気を人力で吹き込む。しばらく格闘しているうちに何とかそこそこ膨らんできた。結局、予備のシーツと自分のベッドからもってきた毛布に掛け布団で、娘はちゃっかり居間で寝る体制である。
■ 2001/08/22 (Wed)
出直し、出直し
前夜は結局、空気ベッドで娘と2人で寝たのだが、この難点は、相手の寝返りなどのたびに揺れがこちらにも伝わって、眠りが妨げられるところだ。結局、眠りが浅く、ちょと起きてはまた寝るという繰り返しで。何と10時近くまでごろごろしていた。この間に、息子と娘は朝食を済ませていた。
ボンダイ・ジャンクションの店で9日に買ったCDラジカセの調子が昨日から悪いので、それの交換も交渉しなければいけない。どうせボンダイ方面に出かけるなら、昨晩の外食が「はずれ」だったので、今日は既に味が判っているボンダイ・ビーチの店に行こうと決め、午後から出かけると宣言して、翻訳の仕事をする。
しかし、今日は、息子は数学の課題がうまく行かない様子で調子が悪く、娘は相手にしてもらえず洗濯や芝刈りをした後は暇を持て余して話しかけてきたり歌い出したりするので、なかなか集中できない。この間、NSW州の教育庁からパスポートのコピーが必要という電話が入り、事務所まで出直すことになる。
結局、昨日同様、3時過ぎに3人で出かける。290番バスでQVBへ行き、ジョージ・ストリート側で適当に南行きのバスをつかまえて、教育庁の事務所前で下車した。娘と6階のオフィスに行き、すぐに用事は済んだので、そのままセントラル駅まで歩き、電車でボンダイ・ジャンクションへ向かった。
駅から出て、CDラジカセを買った店に入り、故障の様子を説明する。ところが、店員が操作すると何の支障もなくちゃんと動くではないか。何たることだ。結局、手間を取らせたことを謝りながら店を出たが、何ともばつが悪かった。
バス・ターミナルへ行き、L80番バスでボンダイ・ビーチへ。娘にとっては久しぶりのボンダイ・ビーチである。息子が大いに気に入っている North Indian Flavour で息子は辛口の、こちらはマイルドなラム肉のカレーをとり、娘は私の皿をつつきながらガーリック・ナンを食べるという夕食となった。飲み物も込みで40ドル弱。大満足である。店を出て、数軒先の魚屋を覗き、鯛の仲間らしき白身の魚(bream)と、娘の好物の刺身用のマグロ(tuna sashimi)を、合わせて12ドルほど買う。
帰りは、バス、電車、QVBから288番バスと乗り継いで、マコーリー・センターのウールワースへ食料を買いに行く。アイスクリームを初めて買ってみた。ところが、バスがなかなか来ない。結局、歩いてしまった方が早いくらい時間がたってから、290番バスで帰宅。
アイスクリームと紅茶で元気を出して、仕事を再開。
何とかペースを取り戻しながら翻訳を進めるうちに、深夜2時近くなる。途中まで起きていた息子は、昼間全然歯が立たなかった問題を、少しだけ自力で解いたようだ。
娘はとっくに居間の空気ベッドで寝ている。
■ 2001/08/23 (Thu)
パラマタ航路、再び
自分の部屋で寝たので、前夜と違って熟睡し、起きたのは9時半頃。息子はまだ起きようとしないが、娘はベッドでマンガを読んでいたりする。とりあえずご飯を炊き、子供たちに朝食をとるよう言い置いて、10時過ぎに一人で家を出る。マコーリー・センターで、まず郵便局へ行き、切手を買って郵便物を発送する。続けて銀行の用事を済ませようと思ったのだが、手続きに関して電話連絡が必要なことに気づき、再度戻ることにして、バスで大学へ行く。比較的すいていた大学の書店生協で、本を買う。
研究室に戻ってから数件の問い合わせの電話を済ませ、メール・チェックをして、再びマコーリー・センターへ行き、再度郵便局で小包を出し、公共料金(ガスと電気)の振込みをした後、銀行へと回ってひと通り用事を済ませた。
野菜とシナモン・ドーナツなどをウールワースで買って帰宅。午後2時頃だったが、子供たちは昼食を遅らせて待ってくれていた。 昼食は、本格的な肉じゃが風の煮物。大根の味の染み方が絶妙だった。
今日も3時過ぎに3人で出かける。今日の目的は、パラマタの安売り店で、ビデオ・デッキを買うことなのだが、娘は前回の訪問でパラマタまでの船に乗りそこなっているので、わざわざ、家から見れば反対方向のサーキュラー・キーまで行って、船でパラマタへ行くことにしたのである。290番バスを橋を渡りきったラング・パークの所で降りて、サーキュラー・キーまでゆく、次のパラマタ行きは5時35分で、それまで1時間半ほど時間がある。とりあえず、オペラハウスまで散歩してみたのだが、さすがに日本人観光客が無数にいて、写真をとっている。一回りして取って返し、ザ・ロックスのG'Day Cafeに入って、お茶を飲んで時間を潰す。この店のメニューには手書きの日本語も入っているのだが、店名は「ゲダイ・カフェ」と書いてあった。
5時35分のパラマタ行きは、各駅停車で、途中9ヵ所も駅、というか船着場に立ち寄る。娘が船の前方のデッキに座りたがったので、これに付き合ったのだが、息子は最初から船室内でうとうとしていたようだ。日が暮れて、寒風の中をずっと座っていたのだが、娘は途中で一度船室に入ってしまったものの、また戻ってきて、結構長い時間寒い夜空の下の船旅を楽しんでいた。船着場に着くたびに、乗務員のロープワークに感心したり、前回の昼の直行ルートとはまた趣の違った風景を楽しんだりと、終わってみればあっと言う間だったが、パラマタについたのは7時過ぎだった。
とりあえず、以前電気ポットと炊飯器を買った中古品屋へ行き、ビデオデッキを品定めする。結局、ステレオ音源対応なのは199ドルくらいすることが判り、この価格の3台から1台を選んだ。ところがこれが、動作の点検をしてみると、テープの取り出し時にテープが絡みやすい癖がついていることがわかった。そこで別の1台に替えたのだが、今度はリモコンが見つからないというので、結構時間がかかった。あれこれやっているうちに、娘はショーケースに陳列されていたゲームボーイのソフトに目をつけ、25ドルも出して古いゲームを買っていた。自分の小遣いからだから、とやかくは言わないことにする。結局、このビデオ・デッキと、CD2枚を買って、駅へ向かい電車でエッピングへ戻ろうと、ストラスフォードでいったん下車した。ところが、接続に少々間があったので、始めてストラスフィールド駅周辺をちょっとだけ歩いてみた。この辺りもハングルが氾濫している。
娘はセブンイレブンに入ってチュッパチャップスの大きいのを、また自分の小遣いで買う。
ニューキャッスル行きの電車に乗って、エッピングで下車し、西口側にある「東京」という寿司バーに入ってみる。ここは、韓国人の店だが、なかなかちゃんとしている。子供たちはうどん、私は例のサーモンとアボガドの太巻きをとる。味はそこそこ。ただし、息子は苦手だったようで、一足先に店を出て、数軒先のトルコ風ピザ屋でケバブを買ってきて、帰りしなにぱくついていた。
エッピング駅から288番バスでマコーリー・センターへ行き、ウールワースで食品とボディ・ウォッシュなどを買う。545番バスで帰宅。既に11時近い。今日は木曜日で、明日の未明にゴミ回収車が来るので、ゴミをまとめて、ゴミ箱を道路脇に出す。シナモン・ドーナツでお茶を飲んでぼんやりしているうちに、娘は自分の部屋のベッドで寝てしまい。さらにふと気づくと、息子が居間の空気ベッドで寝ている。
■ 2001/08/24 (Fri)
おいしいカンボジア料理
起床は8時。目が覚め、このまま起き出さなければと思い、熱いシャワーを浴びて一挙に起きる。洗濯機を回し、お茶をいれ、メールを書いたりしているうちに9時近くなる。子供たちは、今日もまだ起きようとしない。
それでも何とか二人を起こし、洗濯物干しと部屋の掃除を言い置いて、大学へ行く。
研究室のサーバの更新をしようと思い、作業を始めたら、どうしたわけかiBookのインターネット環境の設定が飛んでしまっている。あいにく技官のT氏は今日は不在だ。PPP接続もなぜかうまく行かないので、あきらめて別の作業をしばらくしてから昼過ぎに研究室を出る。
バスでマコーリー・センターへ行き、まず、ディック・スミスでビデオ接続のためのAVコード類を買う。同じフロアのABCショップに入り、このところABCが連続シリーズでやっているオーストラリアのロック音楽の歴史ドキュメンタリーでも大きく取り上げられていた Master Apprentices のドキュメンタリー・ビデオを見つけて買う。次いでBig Wへ降りていき、ビデオ・テープなど消耗品を購入。レジの店員があくびをしながら眠そうに仕事をしているのがおかしかった。今日は、Daffodil Day という日で、子供病院などに寄付を集めるための黄色い水仙をかたどったリボン(赤い羽根のような感じ)をつけている人を結構見かける。ストラスフィールド行きのバスで帰宅。
午後2時少し前に、遅めの昼食を皆でとる。
ビデオを接続し、さっそくABCショップで買ったビデオを見だす。
4時頃、娘を留守番にして、息子と2人で中心部へ出かける。294番バスでQVBへ、ビルのジョージ・ストリート側でさらに適当にバスをつかまえ、中華街のコモンウェルス銀行に立ち寄る。実は、サセックス・ストリートが所在地になっているある場所を探していたのだが、中華街のイメージがあってやって来たものの、だいぶん見当違いだったことが判明。あきらめてタウン・ホール方面に歩いて戻ることにする。途中、例の建設中のビルの1階にある新古書店を冷やかし、適当に見当をつけて、オックスフォード・ストリート方向へ歩いてゆく。サリー・ヒルズの警察の横を通り、オックスフォード・スクエアの脇から、表の通りに出た。そのままアカデミー・ツイン・シネマの辺りまで店を覗いて回り、カンボジア料理の Angkor Wat という店に入る。ここはしっかりした店構えに恥じない、しっかりした料理だった。息子は牛肉、こちらは海老の料理をメインに、あとは春巻きと炒飯を注文。全部で45ドルだったが、50ドル置いてきた。満足、満足。
気持ちがよくなったところで、そのままオックスフォード・ストリートを、ハイド・パーク方面へだらだら戻る。途中で Hum というレコード店に入り、ミッドナイト・オイルの旧盤、これまでなぜかCDを持っていなかった、ハービー・ハンコックのヘッドハンターズ、ファット・ボーイ・スリムを買い、フライヤーと無料情報紙を少し拾ってくる。ミュージアム駅の入口にさしかかったので、パスを持っていることをよいことに、ここからタウン・ホールまで電車に乗る。タウン・ホールではウールワース・メトロでちょっとだけ買い物をした。QVBからマースフィールド行きに乗り、帰宅。
さっそく買ってきたCDを開けてかけてみる。久々にハンコックを聴いた。続けて、ファット・ボーイ・スリム、最後にミッドナイト・オイルを聴く。そうこうしているうちに子供たちはそれぞれ部屋で寝てしまったので、こちらも休む。洗面所の電球が切れているのに気づく。
■ 2001/08/25 (Sat)
たかが電球一つだが
朝7時頃、娘に起こされる。どうやらテレビを見たいのだが、昨日ビデオを接続した関係で使い方がわからなくなっているのだ。朦朧としたまま毛布に包まってテレビの前の空気ベッドまで行き、テレビのつけ方を教えるが、アニメをやっていないと判ると、娘はとっととベッドに戻った。
こちらは、ビデオクリップのカウントダウンをやっているrageを、初めて録画しながら見る。その間にコーヒーを飲みながらシナモン・ドーナツを食べて結構お腹がふくれてしまう。それでも9時過ぎに起きてきた息子と、キャベツとベーコンの炒め物と、できあいのトマト・スープにパンで、朝食をとる。娘は10時頃に起きてきて、息子に朝食を作ってもらって食べていた。
11時を過ぎてから、今日も娘に留守番をさせて、息子と出かける。今日の目的は日本食料品店の場所探し。娘を連れてゆくとあれを買えこれを買えと収拾がつかなくなることが目に見えているので、息子だけと一緒に出かける。まず、北シドニーまで290番バスで行き、そこで電話をしてノースブリッジの「東京マート」の場所を確認し、ノースブリッジ方面へ行くバスをつかまえて行ってみる。バスは、先日出かけたカマレーの小学校の前から先へと進み、城門のようなゲートのついた橋をわたって、ノースブリッジのショッピング・センター前に着いた。バス停側の入口から入ると、「東京マート」は下の階の一番奥になる。だいたいどの商品も日本で買うのに3割から6割くらいを乗せた金額だろうか。カルビーのお菓子など、中国語圏で出回っているものが入っているものもあった。日本から輸入されたカレーの大箱と、これは地元で作っている豆腐を買う。バスで取って返し、北シドニー球技場の手前で降りて、ミリタリー・ロード方向へ行くバスに乗り換える。ニュートラル・ベイ・ジャンクションを息子に見せておくためだったが、あまり調子がよくなさそうだったので、日本食品などの小さい店「日本屋」の位置を確認し、紀伊国屋書店にちょっと入っただけですぐまたバスに乗る。最初に来たのがチャツウッド行きだったので、さっきと同じように北シドニー球技場の角で降りて、ウィンヤードまで行くバスに乗り換える。今日は競技場でラグビーの試合があるらしく、たくさんの人が入場している最中だった。
バスの終点になるウィンヤードで降りて、サセックス・ロードで、先日探していた Halftix を探す。IBMのビルだったのですぐに場所を確認。ちょうどQVBからダーリング・ハーバー方面へ坂を降りてきたところだ。同じ角に面して、高島屋が入っている小さな建物があった。
QVBへ歩いて戻り、やって来た288番バスに乗ってマコーリー・センターへ行き、ウールワースで50ドル以上も食料品を買い込む。その足でディック・スミスへ行き、洗面所の電球とテレビのアンテナ・コードを買う。持ってきた切れた電球(ハンガリー製のGE)を見せると、ディック・スミスの店員は「同じ電球はない」といった上「ビッグWにはあるんじゃないかな」などと他人事のように言うので少々驚いたが、ちゃんと同じ240V100Wのねじ込み式の電球を見つけたのでこれを買う。
4時過ぎに帰宅後、さっそく電球を取り付けようとしたら、何と、サイズが微妙に大きくて、洗面所の電灯の枠組みに入らないではないか。そこまで見通してあんなことを言われたのだろうか。まさか。コードの方も、ジャックの形状が違うことが判明し、使えない。こちらは明日、取り替えてもらえるか交渉しなければいけない。いやはや、ディック・スミス恐るべしである。
妙に悔しいので、入居時から切れたままになっている玄関の外の明かりに電球が使えないかと思い、玄関前でしばらく作業をしたのだが、結局古い外灯のカバーのガラスが外せず断念。買ってきたオーストラリア製の電球はしばらくはお蔵入りである。
夕食は、息子の手も借りながら、トマトソースのスパゲッティを作る。
その後はテレビを横目で見ながら、翻訳を少し始める。
子供たちは10時頃と11時過ぎにそれぞれ寝たので、少し集中して進める。といってもいつものゆっくりとしたペースではあるのだが。結局、ABCの音楽番組rageを見ながら、4時近くまで起きていた。
■ 2001/08/26 (Sun)
ハードな「谷歩き」
前夜、というか未明の4時過ぎまで起きていたので、そのままテレビの前の空気ベッドで寝ていたのだが10時近くなって目が覚める。台所に行くと、寝る前に洗った皿が片付けられていたので、どうやら息子も起きているようだ、それぞれベッドでごろごろしていた息子と娘を促して、ブランチにする。娘たちが砂糖なしでパンケーキを焼き、スープと一緒に食べた。その後、録画したrageのビデオを流しながら、少しだけ翻訳の続きをする。今日は、近場のレーン・コーヴ国立公園で少し山歩きならぬ「谷歩き」をしようと思い、娘も連れて出かける準備をする。
1時過ぎに3人で家を出て、バス停でしばしバスを待ち、やがてやって来たチャツウッド行きに乗り、レーン・コーヴ国立公園のゲート前で下車した。パスのない娘が70セントだったから、最低料金区間の範囲内ということだ。午後2時ちょっと前だった。
この辺りは、車でやってきてバーベキューをする家族連れや、同年輩の人たちの集団などがたくさんあちこちにいる。レーン・コーヴ川は周辺の台地の上はすっかり郊外住宅地になっているのだが、河谷は豊かな自然が残されていて、左岸側には「Great North Walk」というハイキングのルートが通っている。このルートを少し歩いてみようというわけだ。
最初のうちは、車道沿いに歩いていたのだが、ほどなくして車道が切れて山道になる。よく聴くと遠くで車の音がするのだが、それを別にすれば植生といい、飛び交う野鳥といい、川といっても雨が降らなければ流れのないよどみになっているレーン・コーヴ川の水面といい、すっかり深い山の中という感じになる。途中の標識で知ったのだが、この辺りは1994年にブッシュ・ファイアがあったので、植生の更新や遷移がいろいろな形で見られて興味深い。もっと専門的な知識のある人と一緒に来れたらと思った。
事前に思っていたよりも道は険しく、どうしても娘のペースで進むことになる。結局2時間余りかけて、レーン・コーヴ川をまたぐレーン・コーヴ・ロードの De Burgh Bridge へとたどり着いた。最後の方は雨が降り出して、どうなることかと思ったのだが、例によってオーストラリアの雨なので、雷のなる中を、傘なしのままで済ませてしまった。
最初の予定では、もう少し先まで歩いて行って、マコーリー・センターで買い物をして帰るつもりだったが、レーン・コーヴ・ロードで、エッピング・ロードの高架が見えたので、子供たちは先にそのまま歩いて帰し、センターまで一人で行くことにした。ちょうどマースフィールド行きのバスが来たので乗り込むと、前に見かけたことがある、とても立派な髭にサングラス、ハット姿のドライバーの車だった。
センターでは、まず、ディック・スミスや行き、ビデオのコードを取り替えてもらい、長時間録画用のテープを買った。次に電球を買いにビッグWへ。本当に電球の品揃えはディック・スミスより多い。ワット数は60Wだが、一応差し込めそうなオランダ製(フィリップス)の電球を見つけ、これを買う。1階上がってウールワースへ行き、菓子類を買い込む。今日は2時間ほどだけとはいえ、けっこうハードに動いたので、甘いものが欲しくなっているようだ。7月にヨーロッパへ出かけた頃から、自動車に乗らず、バスと徒歩での移動がおもになっているせいか、食べる方はマイペースのままなのに、体重がやや減少傾向に転じているから、素直にチョコレートものなどを選ぶ。
センターからの帰りに292番バスに乗ったら、さっきと同じ運転手だった。マースフィールドまで行って、戻ってきたのだ。
帰宅すると、既に夕食の準備が始まっている。洗面所の電球を取り付けた後、汗をかいているので、シャワーを浴びた。
夕食は、今日からしばらく、大鍋にカレーを作ることになっている。炊飯器の保温に問題が多いので、ご飯は少なめに炊くことにしたそうで、カレーライスはそれぞれ一皿ずつだった。夕食後は、各自、ビデオを見たり、ゲームをして過ごす。娘は自室でジグソーに取り掛かっている。
28チャンネルでやっていた、東ティモールのドキュメンタリーを途中から見る。
■ 2001/08/27 (Mon)
冷たい雨の日
起床は9時頃。昨日からの雨がまだ続いている。気温も低くなっているので、部屋の中でも息が白く見える。暖冬から一転して冬らしくなった感じだ。こちらが起きた頃には子供たちはそれぞれ部屋のベッドの中で起きていた。朝食は、ご飯と焼き魚(bream)に野菜炒め。ご飯がどうしても今ひとつにしか炊けないので、ふりかけが活躍する。
娘と2人で出かけることにして、息子には数学の課題を出して11時過ぎに、家を出る。雨が降っているので娘は傘を持ち、こちらはフードつきのジャンパーを着る。バスでまず、マコーリー・センターへ行き、銀行と郵便局の用事を済ませ、ウールワースで娘用のお菓子などを買ってから、大学の研究室へ向かう。
技官のT氏が出勤していたので、早速LAN接続の問題点を解決してもらい、東経大の自分の研究室に設置しているサーバ上のページが更新できるようになった。オーストラリア渡航以降、更新を停止していたので、久々にサイトのあちこちで細かいページ更新をする。
その間、娘は自分の好きなアニメの情報のあるページなどを見て回っていたが、そのうち飽きたのか、独りで5階のコモン・ルームへ行って、ジグソーをやっていたようだ。
娘はお菓子(オーストラリア産のSAKATAの薄焼きせんべい)でお腹がふくれたのか、昼食はいらないというので、学生食堂で炒飯と野菜炒めを持ち帰りにして、部屋で食べる。
あまり大した作業をしていたつもりはないのだが、気づくともう4時を回っている。そそくさと片付けをして、大学を出る。雨はようやく上がってくれた様子だったが、バスで帰宅すると、また少し降り出していた。夕方のテレビのニュースで天気予報を見たら、数日は雨が降りやすい天候が続くようだ。
夕食は、カレーをメインに、子供たちがナンもどき作りに挑戦したのだが、オーブンの加減が難しく焦げてしまい、こげた表面をとった中身とパンを食べた。子供たちが余り食べないセロリが残っているので、これを炒めて自分用のおかずにする。
息子はちょっと調子が悪く、夕食後部屋に入ってしまう。どうも、昼夜逆転になりかけているようだ。夜10時を過ぎたことにそろそろ目が覚めてきたなどといってお茶を飲みに出てきた。こちらは11時過ぎには床に着くが、息子はまだ起きている様子。
■ 2001/08/28 (Tue)
雑談は楽し
起床は8時頃。娘は起きてご飯を炊こうとしているが、息子はベッドで沈没している。娘のご飯は結局失敗しておじやになった。朝から菓子類をつまんでいたので、朝食をとらないまま洗濯をして、10時過ぎに息子と2人で出かける。マコーリー・センターのウールワースで食品類を買い、息子に持って帰らせる。息子をバスに乗せた後、ディモックスでまた新古本を買う。
大学へ行き、メール・チェックやページ更新をしているうちに3時近くになってしまう。遅い昼食を学生食堂でとる。戻ってきてコモン・ルームで紅茶を飲んでいると、事務の女性に声をかけられた。ちょうど3時半から人文学部長のB氏と約束をしていたのだが、そのためのコーヒーを入れているところだという。そうこうしているうちに、廊下にB氏が現れたので、挨拶し、一緒に2階の地名プロジェクトの作業室に行き、氏のグループの作業についての話や、オーストラリアにおける地名調査の状況などを説明してもらう。グループのメンバーが2人同席し、雑談を含めていろいろな話ができ、大変有益だった。
5時ぎりぎりまで話をして、そのまま研究室に戻り、すぐ帰宅の準備をする。夕方、S君が来てくれることになっていたからである。家に電話すると、既にS君は来ているという。急いで部屋を出て、バスで帰宅したのは5時半を回っていた。今日は、午後雨が降り、帰宅のときも小降りだったのだが、帰ってくると洗濯物は干されたまま放置されている。娘に雨が降り出したら取り込むように言っておいたのだが、無駄だったようだ。面倒になり、そのまま一晩放置することにする。
娘のジグソーの相手をしながら待っていてくれたS君と、しばし紅茶とケーキで歓談。美味しいラーメン屋の情報を教えてもらい、「DOMO」という情報誌を貸してもらった。
S君を見送った後、夕食はカレーライス。今回は隠し味にヨーグルトが入っているという凝り具合だ。これにマッシュルームにひき肉を載せて焼いたものがついた。ご飯はやはりいまひとつの出来。どうも炊く量が少ないとうまくゆきにくいようだ。しかし、たくさん炊くと、保温しているうちにだめになってしまうので、悩ましいところ。
その後は、息子と娘が勝手に遊んでいるのを横目に、こちらも久々にパソコンでゲームを飽きるまでする。
その間に、娘は、息子が作った社会科の問題がうまく解けず、膨れっ面でベッドへ入ったようだ。
息子は、明日、娘にやらせようと、算数の問題を作ったりしている。
■ 2001/08/29 (Wed)
うちよりあの店のほうが...
早朝、テレビの前の空気ベッドで寝ている娘の目覚ましが鳴り続けているので目が覚める。そのまま空気ベッドのところまで行き、よく覚えていないのだが、自分も空気ベッドの上で寝続ける。改めて起き出したのは8時半頃。娘は起きてうろうろしており、息子はベッドの中にいる。朝食はばらばらに勝手なものを勝手なタイミングで食べて済ます。娘はおじやの残りを食べ、息子はカレー、自分は昨日の残りのケーキと菓子類と紅茶といういい加減な朝食である。今日は雨が本格的に降り続いているので、あまり出かける気にならなかったのだが、少しでも用事を済ませようと思い、子供たちを残して出かけることにした。10時過ぎに家を出たのだが、郵便受けにNSW教育庁からの封書がきているのを見つけ、すぐに戻って娘に支度をさせ、10時半頃に再度出発して一緒に小学校へ向かう。少し弱めの雨の中(当然、傘なし)、住宅街を抜けて小学校まで歩いた。郵便で来た書類を事務所に渡し、明日から登校させることになる。用意しなければならない文房具類のこと、おやつと昼食にもたせるもののこと、等々、あたりまえのことをいろいろ確かめる。こういう「当然視された事柄」が一番厄介だ。小学校の制服類は、母親たちがボランティアで運営している売店でしか買えず、しかもそれは毎週水曜日の登校時に小一時間開いているだけだということで、一週間は私服で通学することになる。
私が事務担当者と窓口で話している間、娘は後ろのソファの周りでうろちょろしていたのだが、ちょうど昼休みに入った女の子たちがやってきて、なんだかんだと娘と話そうとしていたりする。もちろん、通じているわけではないのだが、ひとなつこいオーストラリア人気質が感じられる。この小学校には、もう1人日本人生徒がいるのだが、事務局がそのお宅に電話を入れてくれて、お母さんと簡単に電話で話す。当たり前だが、やはり、日本語で話せる人がいるというのは心強い。
小学校を出たあと、ノース・ライド・センターの銀行と郵便局でそれぞれ用事を済ませ、L.J.Hookerの店に行き、暖房の具合が怪しいエアコンの調子を見に来て欲しいと頼んでみる。午後2時に来てくれるということになり、来た道を娘に確認させながらまた徒歩で家へ戻る。途中で雨が激しくなってきて、最後は駆け足気味になった。
戻ってみると、息子はまた部屋にこもっている。娘も雨の中を歩いて疲れたのか、空気ベッドで毛布を被り昼寝をはじめる。こちらにも伝染したのか、お茶を飲んで一服しているうちに椅子に座ったままこっくりとしてしまう。気づいてみると2時少し前になっている。部屋をちょっとだけ片付けて待っていると、L.J.Hookerで対応してくれた女性本人がやってきている。車の中で携帯で話しているようで、しばらく車から出てこない。裏口に回ってもらわなければならないので、表まで出て招き入れる。
エアコンの件は結局、暖気が出るまで極端に時間がかかるというだけで、故障ではないことが判明。まあ、使えることが判っただけでもありがたい。ついでにいまひとつ調子が悪いバスルームのトイレを見てもらい、こちらは配管工をよこしてくれることになった。明日の昼頃に手配してもらうことにする。
彼女が帰ったところで、今度はマコーリー・センターへ買物に出かけることにし、娘と一緒に出ようと思ったのだが、また雨脚が強くなっているので、結局1人で行くことにする。3時前に家を出て、大学まで行き、メール・チェックなどをしているうちに4時を回る。書店生協の店へ行き、オーストラリアで出ている日本人生活者向けの出版物の取り寄せを注文したのだが、取り寄せの担当者がしばし時間をかけて調べてくれた結論は、取り寄せが郵送となって割高になるから、その本が常備してあるウィンヤードの日本語書店まで出向いた方が早いし安い、ということだった。「うちよりあの店のほうが...」といった勧め方は、日本ではめったに聞かないが、先日のディック・スミスといい、こちらに来てから何度か聞いた気がする。オーストラリアらしい対応なのだろう。
5時前にバスでマコーリー・センターへ行き、ビッグWとウールワースで買い物をする。ウールワースでは、初めて対面販売で生ハム(silverside shave)を買ってみた。生ハムは日本に比べると割安感が大きい。
再渡航してもう一ヶ月近くなり、慣れが出てきたせいか、センターからバスに乗るとき、うっかりして逆方向に乗ってしまい、大学へ逆戻り。仕方なく大学のバス停で待ち、459番バスで帰宅する。
帰宅後、娘に明日の支度をさせる。今日の買い物では、黒い革靴が用意できなかったが、これは制服を買う来週の水曜日までに間に合えばよいだろう。私服でも帽子を被らせなければいけないのだが、これは、お土産のつもりで先日買ったマコーリー大学の野球帽を使わせることにした。
夕食は、息子がシェフ振りを発揮し、カレーに、牛肉とピーマンと茸の中華風炒め、それにスモーク・サーモンやサラミが出てきた。これに買ってきたばかりの生ハムも開けて、パンで食べる。夕食の延長で、娘はそのままサンドウィッチをつくり、明日もってゆく弁当にしてしまう。
娘は、9時過ぎには、今日も空気ベッドで早々と寝てしまう。暖房が入るようになったせいで、ますますこちらで寝たがるようになりそうだ。
暖房の効き方が悪いのか、どうもぼんやりして仕事をする気にならない。
ついついパソコンもゲームをしてしまう。いまどきマインスイーパにかまけているとは我ながら情けない。
この雨続きで、庭の洗濯物は二晩放置の運命である。
■ 2001/08/30(Thu)
日常的非日常へ
前夜、息子が遅くまで起きていたので、こちらも翻訳に集中してずっと起きていた。息子が寝た後も作業を続け、未明の5時前まで起きていた。そのまま、テレビをつけてSBSに合わせ、空気ベッドで寝ている娘の隣で寝る。半ば夢の中でH2ロケットのニュースを聞く。改めて起き出したのは8時過ぎ。今日も、朝食はばらばらで、未明に息子に作ってもらった夜食のスープで済ませてしまう。
今日は、娘の初登校日で、一緒についてゆくことになっている。9時10分の始業だが、9時に事務所に来るように言われていたので、8時40分を少し回ったところで出発する。小学校には9時前に着き、クラス担当のW先生と簡単に挨拶する。今日は木曜日で、朝礼のない日なのだそうで(その代わり、通常の授業の前に、宗派別の宗教の時間がとられている)、9時10分のチャイムで教室へ入ってゆく娘を見送って、学校を出た。まだ遅刻してやってくる親子がけっこういる。
288番バスでマコーリー・センターへ行き、昨日買えなかった黒の通学靴を探す。結局、Mathersという靴屋で靴を買う。95ドルほどと、結構値が張るものだ。10時過ぎに459番バスで帰宅。息子はまだベッドの中にいるので、起きるように促す。今日は、配管工が来るはずなので、私が家にいなければならない。代わりにウィンヤードのJapan Book Plazaまで、息子に「DOMO」の最新版を買いに行かせることにする。結局、11時過ぎに息子は出かけた。
それから、しばらく昼寝をしたり、パソコンをいじったりして時間を潰していたのだが、配管工からの連絡の電話も何もない。そうこうしているうちに、2時過ぎに息子が帰ってきた。
3時10分には、娘を迎えに行かなければいけないので、家を3時少し前に出る。ちょうどウェスト・ライド行きのバスが来たので、これに乗る。3時頃には小学校に着いてしまったのだが、ちょうどW先生が事務棟から出てきたところに出くわしたので、教室まで一緒に行く。最後の時間は別の先生の担当で図工をしていた様子だ。娘のクラスは、チャイムが鳴った後もしばらく子供たちが出てこなかったのだが、ようやく出てきた娘は、さすがにかなり疲れた様子で口も重い。とりあえずは、何とか第一日を乗り切ったということだろう。帰って昼寝がしたいと言う。
L.J.Hookerの店に立ち寄って、配管工からの連絡がないことを伝えるが、昨日の担当者が不在ということもあり、改めて連絡をもらうことになった。
帰り道すがら、学校の一日のことを娘に話させるが、いろいろ前後して、いまひとつ要領よく理解できない。とりあえず、国語(つまり英語)の時間、娘と同じように英語が不自由な子供を集めての英語の時間、算数、体育(あるいは遊び時間?:ドッジボール)、図工、といったところがあったようだ。ちなみに宗教の時間はnon-scriptureとして登録してあるので、別の内容をやっていたはずだが、どれのことなのかはちょっと判らなかった。
娘は電子辞書を頼りに周りの女の子たちと単語レベルのやり取りをしているらしい。
帰宅後、今日やっと乾いた洗濯物を娘にしまわせる。
4時過ぎに、娘と一緒にマコーリー・センターまで買物に行く。靴のサイズが合わなかったからなのだが、少し気を紛らわせようというつもりもある。靴は、大きすぎると思っていたのだが、履き方が悪かったようで、むしろ更に一回り大きいものを勧められ、そちらに交換する。靴屋の後で、ウールワースに行き、肉やお菓子類を買う。
バス停に戻るときにちょっと日本食の店に立ち寄る。ここは韓国人の店だが、店頭には日本人の女性もいる。ヤキトリならぬヤキドリ(Yakidori)と書かれた、バーベキュー風の大きな串を2本買う。とりあえず、1本をバスを待ちながら食べさせたのだが、嬉しそうに食べている。もう1本も結局は帰宅後彼女が食べてしまった。
帰宅後、勉強を見ると安受けあいしていたのだが、息子が用意していたカレーとスープに豆腐料理という夕食を食べたら、満腹感が手伝って睡魔に襲われ、そのまま空気ベッドで寝てしまう。結局、娘の勉強は息子が見てやったようだ。目が覚めたのは11時頃、家内からの電話でだった。よい知らせである。こちらは3時間ほど寝ていたことになるが、もう娘は自分のベッドで寝ている。木曜の夜なので、ごみ箱を道路側に出す。
翻訳の続きなどをはじめる。息子も1時くらいまで起きていた。
作業はそれなりに順調で、やっと論文1本分の翻訳に目処がついたのだが、ひと月かかっているようでは、問題外のスローペースである。まあ、まったく仕事をしないよりはよいという状況だろう。
それに、作業中はついつい茶菓子に手が伸びてしまい、気づくとSakataのRice Cracker、つまり薄焼きせんべいをひと袋近く食べていた。いやはや。
再渡航して丸ひと月が経ち、ぼちぼち仕事の締め切り(夏休み明けまでの仕事複数)が近づいてきたから、当分はこうした夜型の生活が続くかもしれない。
■ 2001/08/31 (Fri)
Mac My Day
今朝も、未明の4時過ぎまで起きていて、空気ベッドで寝ていたのだが、すぐには寝付けず、半ば夢の中でゴミ収集車の音(5時過ぎのはず)を聞く。8時過ぎに娘に起こされる。娘にゴミ箱の取り込みをさせる。朝食を作ってくれというので、野菜をたっぷり入れたラーメン(Maggi)を作って食べさせる。
今日も学校まで、一緒についてゆく。9時を少し回ったくらいに着いたのだが、既に朝礼が始まっていた。小さな中庭にざっと二百名くらいの子供たちがひしめいている。校長の話が終わって、始業のチャイムが鳴ったところまで見届けてから、昨日電話が無かったことを言いにL.J.Hookerに立ち寄る。電話待ちでどこにも行けないのは困るから、とにかく午前中に電話が欲しいと言う。
帰宅して、電話を待つことにする。息子は起きるまで起こさないことにして、パソコンをいじる。ところがだらだらと時間が過ぎて正午近くになっても電話がない。結局、L.J.Hookerに電話を入れて、今日は出かけるからこの件で誰かに月曜の午前中電話をさせてくれと強くねじ込む。この話は、運悪く行くたびに対応する相手が違っているのだが、それが連絡が不十分と結びついて誰も自分の仕事と思っていない節がある。
昼前に起きてきた息子に留守番をさせ、正午頃に家を出て、まずマコーリー・センターへ行き、買物をする。地元の無代紙についていたマクドナルドの割引きクーポンを使ってみる。昼食はビッグ・マック2個で4ドル(定価は1個3ドル)である。
バスで大学へ行き、研究室でメール・チェックをし、ABAのサイトなどを見るが、なかなか理解が進まない。
午後3時頃に、シドニー日本人会に問い合わせの電話を入れる。日本語で書かれたオーストラリアの参考図書がないかと思い、日本人会の図書室を見てみたかったからである。4時半までに着けば対応できると言われたので、作業を切り上げて、バスでタウンホールへ向かうことにする。研究室を出たときに、急に思い立って2階のアジア学の事務室へ立ち寄り、日本学のT先生のメール・アドレスを聞こうとしたら、ご本人が研究室に居るから立ち寄ってみろと言われる。そこで、3階の研究室に立ち寄り、簡単に挨拶だけさせていただいた。
290番バスが来たので乗り込むと、30歳前後と思しき日本人女性4人(一応、学生らしい)の一行が目の前の席に座りおしゃべりを始める。聞く気はないのだが、取り留めのない日本語でもやはり耳に入ってきてしまい、北シドニー駅でそのうち2人が下車するまで、しばらく他愛のないお喋りを聞く。QVBから西へ坂を下り、BTのビルの29階に入っている日本人会のオフィスへ行く。ここはシドニー日本商工会議所と同所で、9月半ばにはマーチン・プレイス近くに移転するのだそうだ。残念ながら図書室は使い物にならない。それでも、この際だと思って、一般個人会員としての入会を申請する。
4時半頃にオフィスを出て、QVBから家に帰ろうとしたのだが、なかなかバスがこない。そうこうしているうちにやってきたのは288番バスだったので、マコーリー・センターまで行き、買物することにして、しばらく車中で居眠りをしようと思ったのだが、大変な混みようで、そんな感じにもならず、日本人会でもらった資料などを読みながらバスに揺られた。
菓子類などをウールワースで買って、今度は290番バスで帰宅。
娘はいろいろと課題をもらってきたようで、息子の助けを借りながら、塗り絵をやっている。
夕食は、野菜炒めとセロリのスープにステーキ。ステーキは骨付き肉をほとんど味付けなしで、フライパンに油を敷いて焼いたのだが、そこそこ美味しかった。
夕食後、満腹感から空気ベッドに沈没。2時間ちょっと眠る。
10時半頃に起きて、息子の数学を少し見る。娘はこちらが寝ている間に、わざわざ自分の部屋の床に毛布を敷いて寝ている。今日は金曜日なのでABCのrageを11時過ぎから録画しながら見る。息子も1時過ぎまで起きていた。仕事は手につかないので、どうでもよいページ更新の準備をして時間を潰す。困ったものだ。


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