私的ページ:山田晴通
[年記]:2010年を振り返る
2010年も、徐々に無理が利かなくなる体を抱え、ライフスタイルの適応がなかなかできずに苦労を重ねた年でした。それでも、医者の世話になりつつ、ぼちぼち仕事もするというペースが出来かけたのですが、年の最後の方はいろいろあって、よたよた、ぼろぼろの状態になってしまいました。春先から髭を伸ばしっぱなしにしていたのですが、最後は厄落としのつもりで年末までで短く刈り込みました。
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2010年を振り返ります。
- <この項目は当面公開しません>(通年)
- 娘が短大卒業→四大編入学。(3月/4月)
- 労働組合の執行委員長を引き受ける。(10月〜)
いろいろな事情を踏まえ、このタイミングで教職員組合の委員長を引き受けることにした。引き受けたからには、2年くらいは頑張って取り組めるようにしたいと思っている。
- 親しい同僚の突然の死が続く。(1月、3月)
単に同僚というだけでなく、いろいろな場面で親しくしていた同年輩の教員、職員の同僚がそれぞれひとりずつ、突然に亡くなった。それぞれ突然の病死と事故死だが、いずれも繁忙期にあたっていたりしたため、葬儀にも出席できなかった。
- <この項目は当面公開しません>(10月〜)
- 米国旅行中にパスポートを紛失したが、奇跡的に戻ってきた。(9月)
- 年末に大事な財布を紛失したが、一週間後に見つかった。(12月)
今年、顔面蒼白状態になった2回のうちのひとつ。クリスマス直前の23日に、現金は入れていないが、運転免許証やらカード類やら、諸々をほとんど全部入れて持ち歩いていた財布が、神隠しにあったように見当たらなくなった。カード会社に不正使用の形跡がないことを確認し、警察にも電話して相談した上で、何度も自宅や車や、立回先を調べたのだが、見当たらなかったのに、一週間後の30日に、車の座席の下から連れが見つけ出してくれた。事前でも探した場所だったので、正直なところ唖然としつつ、大いに感謝した。
- わんこそばに挑戦。(12月)
学会で出かけた盛岡で、東家のわんこそばに初挑戦した。途中から美味しいとは思えなくなったが、ムキになって食べていたら、その場に居合わせた二十名あまりのうち2番目にあたる112杯を食べていた。[盛岡/経済地理学会北東支部例会の後]
- 焼き牡蠣の食べ放題に挑戦。(11月)
松島で、かき小屋の焼き牡蠣の食べ放題に初挑戦した。大きな鉄板を相席の知らない人たちも含め7人で囲み、シャベルで積み足される焼き牡蠣を無心にこじ開け、汗だくになりながら食べる。結局、72個を食べたところで45分のタイムアップとなった。もう少し時間があっても、そう多くは数を増やせなかっただろう。
- 連れの趣味につきあい各地へ。(通年)
このところ、連れの趣味(とりあえず秘密)につきあって、イベントがある各地へ一緒に出かけることが続いていたのだが、特に今年は、関連イベントにほぼ完全参加の状態で、東京は勿論、横浜、大阪、名古屋へ、同じ目的で飛び回ることになった。特に名古屋でのイベントの際には、東京からひとりで車を運転して2夜連続の深夜移動で往復するという強行軍だった。
- ノートパソコンのクラッシュ(7月)
前期学期末の7月下旬に、常用していたパソコンに異常が生じ、メール送受信もままならない状態になってしまった。いろいろ不運も重なり、特にメディアリテラシー入門とメディア表現aの受講者には迷惑をかける結果となった。結局、新しいノート・パソコンを夏休み中に導入した。
- 経済地理学会の事務局移転(通年)
東京学芸大学に置かれていた経済地理学会の事務局が、1月に研究室へ移転し、毎週月曜日と木曜日に、学会事務の担当者が出勤することとなった。
[経済地理学会]
- 米国中西部・南部でのフィールドワーク。(8月〜9月)
- フレゼミを2つ引き受け、合同合宿をする。(4月〜7月)
諸般の事情でフレッシュマン・ゼミを月曜日5時限と水曜日1時限の両方で引き受けることになり、モスクワへの出張などで休講になる分を村山キャンパスでの合同合宿で補講することにした。合宿自体も数年ぶりだったが、何より人数が多いフレゼミ合宿というのが初体験だった。トラブルもあったが、全体として盛り上がれてよかったのではないかと思う。期末の口頭試問も、例年の倍の人数でいろいろ大変だった。
- <この項目は当面公開しません>(通年)
- モスクワでの学会発表。(6月〜7月)
- 何年も仕掛かりになっていた成果をやっと紀要に発表。(9月〜)
- 卒論ゼミで初の「秋合宿」を実施。(10月〜11月)
山田ゼミでは、毎年、夏合宿を行っており、卒論ゼミ生はこれに部分的に参加することを単位取得の条件としている。ところが、今年は、合宿に参加しなかったものの救済措置を求める履修者が数名いたため、初めて救済措置としての「秋合宿」を実施した。これに参加したのは3名、うち2名が卒論を提出した。
- 文化会スイングジャズ研究会の顧問を引き受ける。(5月〜)
新たに文化会に所属するスイングジャズ研究会の顧問を引き受けた。前任者で、ここ数年休職状態だった同僚が亡くなったことから引き継ぐことになったのだが、しばらく顧問不在だったため、いろいろと文書処理などに課題があり、心配することもいろいろあった。
- 『経済地理学の成果と課題 第VII集』刊行。(3月)
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- 宮崎県の口蹄疫。
鳥インフルエンザなどの話題も微妙に共鳴しているように思う。文明を衰退させるひとつの要因が疫病であることは、歴史が明らかにしている通りだ。また、知事がそれなりの手腕を発揮した、という印象を残したことも重要だったと思う。
- 普天間基地移転問題の暗礁。
基地負担を沖縄に押し付けている現状には、もう限界が来ている。まだまだ長期化する問題だが、とりあえず鳩山政権がこれで潰れたというのは、重要な転換点であろう。「徳之島に基地は要らない」と小池元防衛相が叫ぶ姿が印象的だった。
- 尖閣諸島近海での中国漁船衝突事件。
これも、YouTubeへの画像流出など、その後の広がりがいろいろある。一方でロシア大統領の北方領土視察などもあり、周辺諸国との領土問題を強く意識させられた年だった。
- 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件。
検察幹部の逮捕に至るその後の経緯も驚きだったが、この前後にえん罪事件や裁判員裁判での無罪判決などもあって、検察への世間の不審が高まった。
- 参議院選挙後のねじれ国会。
自公政権時代とは立場が入れ替わった「逆」ねじれ国会だが、それだけでなく、自公が政権を奪回してもねじれが続く可能性があるという議席配分は、絶妙な天の匙加減なのだろう。
- 小惑星探査機「はやぶさ」帰還。
うまく行かないところもあり、微粒子しか回収できなかったとはいえ、このコントロール技術は広い裾野を持ち得る重要な成果だと思う。
- ハイチ大地震。
国家機能が麻痺するという事態は、知れば知るほど深刻。その後の衛生状態の悪化なども、地震国日本としては他人事ではない。
- メキシコ湾原油汚染。
今後、海底油田開発が進み、より厳しい環境での採掘の比重が拡大すれば、同様の深刻な事態があちこちで起きる虞れもある。日本近海でも、それは変わらない。
- 大相撲の賭博問題とその波紋。
NHKテレビの中継がない大相撲、というのは、天皇の崩御で日程が一日ずらされた時より大きなインパクトだった。現役のときの貴闘力は、結構好きなタイプの力士だったが。
- 15年ぶりの円高水準。
消極的選択の結果とはいえ、自国通貨が強くなることは、個人としては悪いことではない。
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