私的ページ:山田晴通

モスクワ日記
Дневник Москва

26-ое июня - 4-ого июля 2010: Москва, Россия
26th June - 4th July, 2010: Moscow, Russia

    2010年 6月26日〜7月4日    


 今回の旅行は、IAML(国際音楽資料情報協会)2010年モスクワ年次大会に参加して発表することが主な目的でした。
 今回の旅には、連れが同行しています。文中にある料金のうち、宿泊費は2人で泊まる場合の金額です。この旅行では、1ルーブルは3.5円くらいでした。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。ただし今回は、大会期間中のみの滞在で、宿舎も固定されていました。
■ 2010/06/26 (Sat)
はじめてのロシア

SU582便 機中 / Москва
Москва: РАГС

成田空港・搭乗口にて

アエロエクスプレス、シェレメチェヴォ駅

線路を歩く人たち
 出発前夜は3時間ほどだけ眠り、午前2時過ぎに起床。研究室に行って、間に合っていない発表準備をぎりぎりまで続ける。6時に研究室を出て駅へ向かう。最初乗る予定だった中央特快には、乗り遅れたので、仕方なく総武線直通の各駅停車に乗って座る。当初の予定では、東京駅で総武線快速エアポートに乗り継ぐことになっていたが、特快に乗り遅れで1時間遅れを覚悟した。ところが、連れが携帯電話のネットでいろいろ検索し、そのまま乗っていけば錦糸町でエアポートに間に合うらしいと分かった。ほっとしてそのまま総武線に乗り続け、錦糸町で無事に当初予定していた快速エアポートに間に合った。市原を過ぎた辺りから、成田のイオンモールの辺りまでは、途中で何回か目は覚ましたものの、ずっとウトウトしていて、連れと何かを話していても上の空という感じだった。
 成田空港には8時48分に到着。第一ターミナル北ウィングのアエロフロートのカウンターへ行ったが、受け付けまでまだ30分以上時間があり、開いていない。しばらく一回りして日本円をルーブルに両替できるところを探したりしているうちに定刻が近くなったのでカウンターへ戻ると、既にチェックインが始まっていた。手荷物を預け、身軽になってから、グリーンポートエージェンシー(GPA)の両替窓口でループルを手に入れ、予備として少し米ドルも両替する。マックで朝食を済ませたり、5階のスペースでやっている写真(デジタルに加工したアート作品)の展示を眺めたりして時間をつぶしてから、出国ゲートへ向かい、スムーズに出発ゲートまで着いた。定刻通り11時30分から搭乗が始まり、モスクワ経由ロンドン行きのSU582便、エアバス330-200に搭乗する。アエロフロートは初搭乗だが、オレンジ色を基調としたCAの制服が昔風なのが目を引いた。
 モスクワまでは10時間あまりのフライト。座席は13A・Cで、翼の上だが適度に前方の眺望もある。しかし、行きは南側で日射が当たり続けるので、飛行中はほとんど窓を閉めていた。離陸後しばらくして昼食、途中でおやつにアイスクリーム(グリコ社製)、モスクワが近づいて来てから軽食が出た。飲み物はビールもあるが有料(2ユーロ)と言われ、連れはしょげていた。初めのうちは、搭乗の際に手にした産經新聞を読んでいたのだが(サッカーW杯の話に日露戦争が出てくるコラムなど、産経らしい)、途中からはエンターテイメント・システムのゲームにバックギャモンを見つけ、プレイし続け、その合間にウトウトするというのを延々と繰り返した。
 モスクワへの着陸は、着陸直前の降下中にけっこう横揺れがして肝を冷やしたが、着陸自体は非常にショックの少ない上手なものだった。着陸したときには、なぜか周囲の乗客から拍手が起こった。現時は日本と5時間の時差があり、到着は当地の午後5時半ころだった。到着したシェレメチェヴォ第二空港Dターミナルは、まだ新しい建物という感じだが、入国審査のところでは結構長い列ができており、時間がかかった。他国にくらべ、列で待っている間に審査官の姿がまったく見えないブースの形になっているのが、閉鎖的な印象を与える。列が進んで暫くしてから、並んでいた列が「外交官用 For diplomates」と看板が出ていることに気づき、少々あせったが、前後の人々もとうてい外交官とは見えない人たちばかりで、また通過できない人もいない様子だったので、そのままその列で進み、特に何の問題もなく通してもらった。エスカレータで数層を降り、手荷物を受け取って外へ出る。ここでも、税関はないも同然だった。
 ロビーに出ると、迎えが来ているはずなのだが、それらしい人が見当たらない。いろいろな社名や人名を掲げた人、タクシーの売り込みなどがごった返していて、タクシー屋がいろいろ声をかけてくる。連れを少し離れたところで待たせ、もう一度、戻って迎えの人を捜したが見つからない。結局、市内まで公共交通機関で向かうことにして、インフォメーションで説明してもらい、まず、空港の鉄道駅までの連絡バス(無料)の乗り場へ向かった。オランダで使っていたバスの中古と思しき大型バスで、ターミナルE・Fに隣接したアエロエクスプレスのシェレメチェヴォ駅まで行く。リフトで3階に上がり、空き店舗が目立つフロアを通って切符売り場を目ざすが、途中でスターバックスの店に連れが引っかかり、マトリョーシカ柄のタンブラーをカードで買う。その先の切符売り場の窓口で、担当の中年女性に「英語、話します?」と英語で尋ねると、はっきりと「ノー」との返事。あとは日本語と身振りに切り替えわいわい言ってみると、「モスクワ、二人、600」と英語で言ってくれたので、ここもカードで切符を購入する。4枚紙片をくれたのだが、どれがカードの受け取りで、どれが切符なのか、一瞬わけが分からず戸惑った。ちょうど午後7時の列車にぎりぎりで乗り遅れ、30分後の次の列車を待つことになった。ロビーの隅に「暑いので、心ばかりですが」とロシア語と英語で書かれたテーブルにミネラル・ウォーターの小瓶が並べられていたので、ガスありとガスなしをそれぞれ1本とって口にする。
 7時半に出発したアエロエクスプレスは、空港駅から35分でモスクワ地下鉄環状線に乗り換えできるベラルーシ駅へ直通で到着した。その間、進行方向左側の車窓からは、線路沿いの林や緑道、その所どころで座ってくつろぐ人々、どういうつもりか線路を歩いている人々、緑色の各駅停車の車両が停まるプラットフォーム1本の駅(けっこう人影もある)、古いもの、新しいもの、様々な巨大集合住宅、テレビ塔などを眺め、初めてのロシアの印象を刻み込む。到着したベラルーシ駅では、地下鉄連絡口という指示にそってプラットフォームから降りていったのだが、なぜかあちこち工事中の駅前広場に出る出入口にたどり着いてしまった。そこから少し迷い、長距離列車の端頭式、天蓋なしの駅構内を横切って、ようやく地下鉄ベラルースカヤ駅にたどり着く。切符の窓口がけっこうな行列になっていたが、指差し会話帳と身振りで20回分の回数券を460ルーブルで購入した。ゲートを通り、エスカレータで深く地下へ降りてゆくのだが、ステップが木製の年季の入ったエスカレータは、日本のものより相当に速い。降り立った底のプラットフォームの天井には、ソ連時代の愛国的な天井画がいろいろそのまま残されている。環状線に乗ってバルク・クリトゥールイ駅で1号線に乗り換え、南西の終点ユーガ・ザパドナヤ駅に無事たどり着いた。

地下鉄ベラルースカヤ駅の入口
 今回の会場となるのは、略称でРАГС という名になるロシア連邦大統領府の公務員教育施設で、英語では the Russian Academy of Public Administration under the President of the Russian Federation (RAPA)と訳されている。事前にもらっていた資料では、地図の説明に矛盾があり、会議場とホテルの位置関係が今ひとつ分からなかったのだが、まず、会議場らしき建物の正面入口に行くと、守衛の男性がいて、これまた言葉は通じないが裏の背の高い建物へ行けと指示される。緩い上り坂を進んで、裏の高層棟が並ぶ一帯への入口警備所へ行き、またまた言葉が通じない警備員に書類をいろいろ見せてホテルに泊まることを説明すると、出て左手の一番手前の建物へ行くよう指示される。こうしてようやく宿舎にたどり着いた。部屋は23階の2316号室。シングルベッド二つの簡素な部屋である。インターネットは使えない。これで1泊4000ルーブル(およそ14000円)は正直かなり高く感じるが仕方ない。既に午後9時半を回っているが、旅装を解いて一息入れてから、地下鉄駅の辺りまで出かけてみることにする。地下鉄駅の辺りまで戻り、たくさん並んでいる小さな酒屋のようなブースで飲み物(ビール36ルーブルとアイスティー60ルーブル)を、路上の果物売りから120ルーブルでひと掬いイチゴを買う。カフェにでも入ろうかとも思ったのだが、午後10時を回り、いよいよ日が暮れて来たので、部屋に戻ることにする。
 部屋に戻ったが、部屋には空調がないので、出かけるときに窓を開けておいたのだが、まだ涼しくはなっていない。先ほど電源を入れた冷蔵庫は冷え始めていた。今朝の起床から正味24時間以上経っているので、さすがに眠気が強い。風呂に入り、今日身に付けていたものを洗濯しながら、しばしリラックスする。風呂から上がってベッドに横たわり、テレビでワールド・カップの試合を再放送しているのを流しながら、すぐに眠りに落ちた。
■ 2010/06/27 (Sun)
参加登録、アルバート通り、開会式

Moscow: РАГС, Улица Арбат
Москва: РАГС

会場となったРАГСの2号館
 朝は6時に起き、前日の日記を書いたり、未完成の発表用パワーポイントに手を入れたりする。朝食は8時から10時なので、8時20分ころに部屋を出て、となりの建物にある朝食会場のカフェへ向かう。場所ははっきり分かっていなかったのだが、朝食を済ませて戻ってくる感じの人々の流れを逆にたどり、無事、地下のカフェまでたどり着いた。朝食会場のカフェは地下で窓はないが、木製のしっかりした調度がしつらえられている。カウンターで小皿に盛られたハムやパンなどと飲み物をとり、その動線の先のテーブルに置かれたサラダを自由にとるという流れで自分のトレイをいっぱいにする。たまたま日本からのもう二人の参加者(R先生とF先生)もおいでになったので、R先生とわれわれ二人で食事をとり、別のテーブルで旧知の仲と思しき他国からの参加者と話し込まれていたF先生も後からこちらのテーブルに来られ、情報交換というか、情報提供をしてもらう。お二人は一足早く金曜日に入国され、出迎えもスムーズに受けて、昨日には市内観光もしたとのことだった。実は朝食のとき、昨日フロントでもらった朝食券と思った白い紙をそのまま出したのだが、どうやらそれではダメで、本来はフロントとは別のオフィスで、その白い紙を緑色の朝食券に交換して、カフェに出さなければならないということがわかった。とりあえず、今日の朝食は緑色の券なしで食べてしまったが、食後にF先生に案内していただき、ホテルの14階にある簡単な売店を兼ねた食券のオフィスに行き、ようやく緑色の券を手に入れた。
 会議の参加登録は午前10時からなので、10時半前に部屋を出て、登録をしようと、いったん敷地の外へ出た上で回り込んで、昨日最初に立ち寄ったРАГС本体の大きな建物の正面入口に向かったのだが、到着してみると何と建物自体が閉まっている。少々慌てたが、朝食会場の建物に大会関係の掲示が出ていたことを思い出し、そちらが会場ではないかと思い直して取って返し、11時前には無事参加登録を済ませた。ユーロ建ての参加費をルーブルの現金で支払えという実行委員会側のリクエストに応えて、8809ルーブルをここで支払い、だいぶ財布が軽くなった。無事コンファレンス・バッグを手に入れ、いったん部屋に戻り書類のチェックなどをする。今日は、午後からカウンシル・ミーティングがあり、すべての会員の参加を歓迎するとプログラムに記載されているが、R先生とF先生の話では、これは役員会であり各国の代表者が参加する(日本からはF先生が参加する)ものであって、一般の会員が出る必要はないということだったので、夕方の開会式までは6時間以上の時間がある。思った以上に日射が強く、湿気こそないものの、日射が当たるところではかなり暑くなっているので出かけるのを躊躇したが、とりあえず、しばらく部屋で休んでから、市内中心部へ出かけてみることにし、午前11時20分ころに部屋を出た。警備所のところでちょうど入ってこようとする車に対応して警備員が出てくるところを見かけたのだが、よく見ると背中に軽機関銃を背負っている。

HRCモスクワ
 市内の行き先は、ハードロックカフェもある観光スポット、アルバート通りである。地下鉄1号線から4号線に乗り換えてスモレンスカヤ駅に到着したのが1時ころだったが、どうやら環状道路の大通りを挟んだ反対側にでてしまったようだ。日射しは強く、DAIKINの看板は30℃以上の気温を表示している。道路には数台の散水車が隊列を組んで走っていた。しばらく南へ歩いて、外務省の正面辺りでようやく道を横断できる地下道を見つけた。地下道には、ちょうどソウルの地下道のように、小店が並んでいる。外務省の裏の角から先はアルバート通りの歩行者天国だ。お土産物屋のTシャツの看板と呼び込みのチラシ配り、ストリート・ミュージシャン、似顔絵売り、古本の屋台、油絵の屋台、じっと前屈みで正座したまま動かない物乞いのおばあさん、人通りは少ないが、いろんな人が通りにはいる。2ブロックくらい先まで進んでから戻って来て、ハードロックカフェ・モスクワに入る。まずは、入って右手の物販のコーナーで、ピン類とTシャツを買う。月末には新しいピンが入荷するということだったが、いまは4種類ほどしかピンは売っていない。連れはシティネームの入っている3点だけを選んだ。Tシャツは、鎌トンカチのあしらわれたもの、シティネームがロシア文字になっているものを選んだ。ここではオールアクセスは日本と同じ1割引の扱いだった。ただし、その割引を行う操作ができるは、マネージャーだけということで、会計処理をするのをしばし待たされた。

ヨールキーパールキーにて
 1階の建物内にテーブルをとり、連れはビール、こちらはアイスティーを注文。アイスティーはリプトンのがボトルで出て来た。ここでしばらく作業をしようとラップトップを開けると、何と無料のWiFiがある。じっくり腰を据えるつもりになり、連れには近所のお土産物屋の偵察に出かけてもらったりしながら、結局、午後1時過ぎから2時間あまり作業をしていた。連れはピントレード用のバッグをもって来ていたのだが、最初のうちは誰も反応しなかったのだが、後になってから次々と店員がやって来て、数人の店員と合計9本もピンを交換していた。
 3時を回ってから、連れがガイドブックで見つけたヨールキー・パールキーというビュッフェが売りのチェーン店へ行く。環状道路の外側なので、来るときに通った地下道を逆に外側へわたり、さらに南へ進んですぐに店を見つけた。サラダバーと、暖かいソーセージなどのバーがあり、それぞれ一方をとることも、両方をとることもできるようになっている。サラダバーだけでも十分に満腹になりそうだったので、そちらだけを選び、それとは別にボルシチとクヴァース(1リットル)をとった。合わせて1060ルーブルだった(と思う)。サラダバーといっても、ラタトゥーユのように火を通したものや、和え物、漬込み方の違うピクルス類、魚のマリネなどもあり、これだけでも十分に満腹になったが、久々に飲んだ(というか、ロシアでは初めて飲んだ)本格的なクヴァースが美味しく、またちょうど良い感じに酔ったようになったので、食後はぼんやりと気持ちよくなってしまった。下戸の身には、ちょうど良い加減だったということである。
 レストランを出て、先ほど来た道を戻り、地下道を経て外務省前へ出ると、トロリーバスの古い車両が停まっていて、ちょっと目を引いた。その先にあるスモレンスカヤ(ガイドブックによれば「セジモーイ・コンチネント」?)という高級食品スーパー風の店に入り、ミネラル・ウォーターなど飲み物類やおつまみになりそうなものなどを買い、1000ルーブルほどの買い物になった。店を出て建物の裏手に回り、今度は3号線のスモレンスカヤ駅から乗って、ユーガ・ザパドナヤ駅に戻った。

合唱団のパフォーマンス
 既に6時近くになっており、6時半からの開会式まで時間があまりないが、暑い中を歩いて来て汗だくになっているので、風呂に入り着替えてから、10分ほど遅れて会場の「ホール1」に着いた。幸い、まだ開会式は始まっていなかったので、右翼中段に連れと座る。ほどなくして二人のトランぺッターが現われ、ファンファーレを奏で(後であった説明ではこの会議のために作曲されたものとのこと)、役員が登壇した。以降、会長、実行委員長、その他の挨拶が続いた。ロシア人は皆ロシア語でスピーチし、英語に通訳させるという形をとっていた。この辺りは中国を思わせる所である。ひとしきりスピーチが終わるとふたたびファンファーレが奏でられ、役員一同が降壇した。この後はレデプションの案内があるのかと思っていると、事前にプログラムには記載がなかったのだが、ここで合唱団のパフォーマンスがあり、なかなか迫力のあるアカペラの演奏を聴くことになった。最初の曲はロシア語の荘重な現代曲、2曲目はグノーのアヴェ・マリア、3曲目は何かオペラのアリア、4曲目は「熊蜂の飛行」である。女声23人、男声19人の合唱団は、1曲ごとに立ち位置を変え、中央の演壇に集合したり、左右の壁面に広がって歌ったりと工夫があって面白かった。指揮者の女性も、あまり見かけたことがないスタイルの、精密な印象の指揮で印象に残った。連れ曰く「テルミンを演奏しているような手つき」の指揮であった。
 午後8時過ぎに合唱が終わると、朝食会場とは反対側の地下のコーナーにあるレストランでのレセプションへ誘導された。会場では、クランベリー・エードを飲みながら少しオードブルをつまみ、リラックスしたが、何しろ知った人はいない状態なのでソファに連れと陣取って、ラップトップを開いてパワーポイントの続きをいじる。レセプション会場からは徐々に人が退いていったので、9時半ころには会場を後にして部屋に戻る。外はまだ明るいが、もう出かける気にはならず、改めて風呂に入る気にもならずに横になって休む。10時過ぎにいったん眠った後、深夜1時過ぎに一度目が覚めたが、トイレに立って、再度しっかりと眠りについた。
■ 2010/06/28 (Mon)
大会本番

Москва: РАГС, Улица Арбат
Москва: РАГС

朝食(6月28日)

RILM昼食会場にて
 朝は7時過ぎに起床。だんだんこちらの時間に体が慣れて来ているようだ。前日の日記をしばらく綴る。やがて連れも起きて来て、8時過ぎに朝食へ降りて行く。朝少し雨があったようで、水を撒いたような路面になっている。朝食会場では、F先生に、火曜日の発表の座長であるオランダ人のK先生を紹介される。既にメールではやり取りをしているので、簡単な自己紹介をしてすぐに発表に向けた打ち合わせを簡単にした。8時半からの、新規参加者へのガイダンスは食事が忙しくなるのでパスし、9時からの最初の全体セッション(プログラムではホール2となっていたが、3階のホール3へ会場変更されていた)に出て、実行委員長からの事務連絡、各国からの連絡事項の紹介、実行委員会が作成した、ロシアの音楽図書館、博物館等の紹介ビデオの上映などをひと通り聞く。途中のビデオ上映の際に、パソコンの音源がPAに接続されておらず、急遽ワイヤレスマイクをPCのスピーカーに向けて急場を凌ぐという一幕もあった。このセッションは、予定より20分ほど早く10時10分ころには終わってしまったが、会場の外へ出ると、既にコーヒーブレイクの用意ができていて、出版社のブースなども出た通路は人でごった返していた。飲み物はインスタントコーヒーと紅茶、それにミネラル・ウォーターだけだが、クッキー類はいろいろあり、ほかにもメレンゲや、ハムの載ったパン、ウェハースなどが豊富にあり、調子に乗ってつまんでいると結構満腹になりそうな感じだった。
 休憩時間を利用して、1階の事務局へ行き、郵便局の場所を質問したところ、連れて行くからついてこいという話になり、しょっちゅう携帯に連絡の入る忙しそうな壮年女性に連れて行かれ、少々迷路めいたコースをとって、昨日は閉まっていたメインの建物に敷地内の裏口側から入り、正面入口に近い1階というか半地下にある郵便局(といっても建物の一室)に行った。日本宛にポストカードを送れる切手が欲しいと説明すると、案内してくれた女性が通訳してくれ、25ルーブルの切手を10枚手に入れた。
 11時からのセッションの会場は、当初の発表では2階のホール2だったのだが、3階のホール4に変更されていた。そこで、ホール4に行くと、黒板に「Room 2」へ変更と書いてある。結局、もともとのホール2に会場は変更となっていたようだった。そこでホール2へ行くと、今度はこちらが勘違いをしていたことに気づき、もうひとつの会場であるホール3に戻って、何とか目的の発表に間に合った。最初の発表は、スコットランド貴族の血を引く上流階級の教育を受けた19世紀の女性がオーストラリアに移住して残した楽譜(写譜)の分析、ギリシアの音楽図書館で提供されている、若者向けの音楽史教育のウェブ上の教材開発についての紹介の発表を聞く。このセッションの最後は、ドレスデンの図書館の話だったのだが、ホール2の最後の発表の方が面白そうだったので移動し、そちらで、19世紀末から20世紀前半に刊行されていたドイツの公演プログラムのリプリント雑誌の話を聞く。
 12時半ころにセッションは終わったが、RILMの昼食会が午後0時45分に受付集合だったので、いったん部屋に戻ってラップトップを充電し、身軽になって受付に戻る。昼食会は昨日のレセプションと同じレストランの別室で20人ほどがテーブルを囲んで、それぞれの国での活動の実情について、愚痴を交えながら紹介した。幸い着席場所の関係で最後から2番目のスピーチになったので、気楽に話ができた。
 昼食会は2時になったのでお開きとなり、少し遅れてホール4の著作権委員会のセッションへ出向く。こちらは、委員長の発表1本だけだったが、1934年に没した英国の作曲家ディーリアスを例に、国や地域によって著作権がいかに複雑に変わってしまうか、特に没後に発表された作品の扱いについての紹介があった。いろいろ勉強になることが多いセッションだった。発表が1本だけだったので、早めに終了したが、会場で午前中のセッションの最初に発表したオーストラリアの女性を見かけたので話しかけ、しばらくそのままその場で話し込んだ。午後のお茶の時間まで15分ほどあったので、こちらはいったん部屋に戻ってフル充電になったラップトップを取り出し、会場へ戻った。明日の発表原稿をプリントアウトしたかったので、まず受付でどうすればよいかと尋ねると、USBに入れてもって来てもらえば30分かそこらで印刷してきます、という話だった。ラップトップとUSBをもって受付に戻ったときには、先ほど請け合ってくれた若い男性のスタッフがいなかった。そこで奥の部屋の事務局に頼むと、USBメモりからあっさりプリントアウトを出してくれた。コーヒーブレイクの場では、先ほど発表していた著作権委員会の委員長と話を少しする。
 午後4時からは、各国のIAML支部からの状況報告があり、各支部の近況報告や、イベントの告知などがおこなわれた。各国代表のスピーチのほか、レポートの代読などもあった。日本についてはF先生が報告し、日本近代音楽館の閉鎖と移管について時間を割いて言及されていた。今日のプログラムはこれで終わり、5時40分ころ、いったん部屋に戻り、連れをしばらく休ませ、明日に向けて、最後の悪あがきでパワーポイントに手を入れる。
 午後7時少し前に部屋を出て、ハードロックカフェに向かう。インターネットで作業するだけなら、会場近くのマックでよいのだが、長居をするとなるとハードロックカフェの方がよいと判断したからだ。まず、メインの建物の郵便局に行き、ポストにはがきを投函し、そのまま正面から駅方面へ抜けた。ユーガ・ザパドナヤ駅から地下鉄に乗り、1号線から3号線へと乗り継いでスモレンスカヤ駅へ到着し、昨日と近い1階の席に陣取る。実はいったんは2階に上がったのだが、全館喫煙席で煙がまだきつくないのが1階だったので、戻って来たのである。ちょうどモニターがオランダとスロバキアの試合の最後の辺りを中継していた。席に着くと、さっそくWiFiでネットに接続し、パワーポイントの仕上げにかかった。連れのピン・バッグには今日も興味を示す従業員がいて、なんだかんだと5本のピン・トレードをしていた。結局、2時間とちょっと作業を続け、午後10時過ぎに店を出て地下鉄で戻る。
 ユーガ・ザパドナヤ駅に着いたのは午後11時ころだった。さすがに薄暮から夜という感じになっている。宿舎の警備所前まで来てから、駅と反対側にあるという24時間のスーパーを探してみるかということになり、そのまま警備所前を素通りして数百メートル先のスーパーへ行く。この時間はレジの数が少ないせいか、レジには行列ができている。ここでは、紙パックの牛乳とペットボトルのクヴァースを買い、袋代1ルーブルを含め、70ルーブル90コペイカを現金で支払った。
 部屋に戻ってすぐ風呂につかったが、そのまま寝てしまう始末だったので、早めに上がってベッドに横になった。
■ 2010/06/29 (Tue)
発表当日

Москва: РАГС, Российская государственная библиотека
Москва: РАГС
 朝は6時ころにいったん目が覚めたが、トイレに立った後、二度寝をして7時半ころにようやく起きる。テレビの5チャンネルではコンピュータ開発史のドキュメンタリーをやっていた。読み上げ原稿にパワーポイントのスライドのタイミングを書き込む作業をはじめ、まだ見落としていた原稿のミスに気づいて直したりしているうちに、午前8時をかなり回ってしまった。そのまま会場へ行けるようにラップトップほか一式をもって、朝食会場へ降りてゆくと、ちょうどピーク時になっていて、カフェの外まで順番待ちの行列が伸びていた。それでも何とか食事を済ませると、既に9時になっている。そのまま会場へ直行し、午前中最初の、IAMLの将来を語るというパネル・ディスカッションに少し遅れて出席する。IAMLのこれまでの歴史的経緯や、会員の主体である欧米の音楽図書館司書たちの職能について、十分に通じていないこともあって、分かりにくい部分もあったが、情報化への対応、図書館組織の再編への対応、世代交代と、この組織が現状で抱えている課題がいろいろ理解されて勉強になった。フロアからもいろいろ発言があり、時間を少々超過しての終了となった。
 同じ会場(ホール3)の次のセッションの最後が自分の発表なので、10時半(少し遅れた)から11時のお茶の時間を利用してラップトップの接続を試みたのだが、映像出力ラインのプラグがねじで固定されていて、ドライバーがないと外せない状態になっている。実行委員会側にできればプラグを外してほしいと依頼し、また万一の場合に会場のPCでpdfファイルを表示できるよう、連れに部屋に戻ってUSBメモリを取って来てもらう。また、ロシア人参加者のために英語→露語の同時通訳を担当するという女性(ただしプロの通訳ではない)と、提出原稿からの変更(の可能性)を打ち合わせる。そうこうしているうちに、何とか11時ギリギリにドライバーがもって来られて脱着が可能になり、動作確認もできた。

発表中の山田 (photo by I.T.)

ボゴリュゴフ芸術図書館、左手前はボゴリュゴフのレリーフ
 10分ほど遅れてはじまった公共図書館委員会提供のセッション「VOXPOP」は、最初の報告である「ロシアの現代ポピュラー音楽カテゴリー」というロシア人の音楽学者の話ではじまった。これは淡々と原稿を読むだけで、また、かなり単語が難しく、また「重層的にヒューリスティックな...」とかちょっとついて行きにくい言い回しが多く、早い段階から断片的にしか聞き取れなくなってしまった。この報告は持ち時間の30分を大幅に超過したので、後の発表は少し押し気味になる。2番目は、パリの音楽図書館の司書によるシャンソン史についての資料の紹介とそれを活用した展示企画への取り組みについての報告だった。こちらは、仏語がIAMLの公用語であるにもかかわらず明瞭な英語で発表され、コミュニケーションしたいという姿勢がよく伝わり、またパワーポイントも上手に作られていて、非常に分かり易かった。話の中で、薮内コレクションという1940年代から1970年代のシャンソンに関する膨大かつ丁寧に整理されたコレクションが存在していることを知った。日本人のシャンソンへの関心が最も高い時期のエンスージアストのコレクションがシャンソンの母国の専門図書館にあるという話は、いろいろと考えさせるものであった。(なお、このコレクションを寄贈した薮内久は『シャンソンのアーティストたち』1993年という著作を残している)
 いよいよ自分の順番になり、必死で英文を読み、パワーポイントを操作し、また、所々で原稿にないコメントも入れながら、日本のポピュラー音楽の百年以上の歴史を25分ほどで概説する。時間の関係もあったのか、その場で挙手しての質問は出なかったが、終了後に5人ほど(おもにロシア語通訳で聞いていたロシア人参加者)から質問があり、またその後、会場で数人からいい発表だったと声をかけられたので、それなりの反応のある発表にはなったかと思う。
 午後は、ボゴリュゴフ芸術図書館の見学に参加し、案内者の車に分乗して移動した。連れと私は、ドレスデン図書館の司書氏と3人でワーゲンの後部座席に乗り込んでの移動となった。途中、モスクワ大学に近い眺望のよい場所「雀が丘」(ヴォロビエヴィ・ゴリ:Воробьёвы го́ры=かつての「レーニン丘」)で小休止した以外は直行だったのだが、市内に入ると渋滞が酷く、ルートを変更したりしながら、1時間以上かけ、他の車より遅れて現地に到着した。途中、モスフィルムの撮影所の前を通過したときには、ドレスデンの司書氏が昔よくモスフィルムの映画を見たなあと感慨深げであった。いわゆる「スターリン建築」は、既に外務省を実見していたが、移動しながら壮大な建築を次々目にすると、その圧倒的な感じがよりよく実感できた。首相府の白い建物も印象的だった。
 ボゴリュゴフ芸術図書館は、19世紀に画家として成功したボゴリュゴフという人物が、自邸を芸術の館として解放したのが起源となった芸術書の専門図書館である。ここでいう芸術は美術と音楽の両方を含み、2階にはサロン・コンサートが行えるスペース3室があって、年間のべ300公演を行っているという。現在も、公的支援も受けながら、ボゴリュゴフの子孫が維持に当たっているらしい。この図書館では、普段おこなっているレクチャー・コンサートのさわりを紹介するパフォーマンス(J・S・バッハの曲などを聴いた)の鑑賞を含め、午後2時15分ころから午後4時半ころまでを過ごした。
 この図書館は、地下鉄のメンデレーエフスカヤ駅に近く、今日の夕方に予定されているコンサートの会場である国立図書館までは地下鉄駅で乗り換えなしの3駅分である。ところがなぜか、案内するロシア側は近くだから徒歩で、という。あるいはこちらが場所の認識を間違っているのかもしれない、などと考え、ここは案内者についていく方が無難であろうと判断した。結局、従順な日本人であるわれわれ二人とR先生(F先生はこの見学に半参加されていなかった)を含む十名ほどが案内者の女子学生について歩き始めた。メンデレーエフスカヤ駅と接続している環状線のノボスロボドスカヤ駅前を通り、ドミトロフスカ通りをそのまま南下し、途中でピロシキを買い食いしたりしながら、まずチェーホフスカヤ駅/プーシキンスカヤ駅まで、結構な距離を歩いた。ここで何人かが根を上げ、地下鉄で行くことになる。残りのメンバーはいったんカフェ・プーシキン(ガイドブックにも載っている有名な店)に入ったのだが、結局ここでは席に着かず、再び歩き始めてモスクワ音楽院までたどり着いた。

カフェマニアのキャラメルコーヒー
 モスクワ音楽院は、チャイコフスキーの有名な座像の背後にあるメインの建物が改装中だった。ここで漸く休憩することになり、チャイコフスキー像に向かって左手にあるカフェマニア(こちらもガイドブックに載っている)に入って、一息つく。ここまでたどり着いたのは、日本人3人とオランダ人2人だけだった。この店ではキャラメル・コーヒーとミネラル・ウォーターをとって、30分ほど休憩する。ちょうどW杯の日本=パラグアイ戦の前半を放送していたので、しばらく眺めていた。再び歩き、集合場所になっていた国立図書館前の広場(ドストエフスキーの巨大な像がある)には、集合時間より15分早い午後7時ころだった。カフェに入っていた時間を別にしても正味で2時間ほど歩いたことになる。
 午後7時15分になり、国立図書館の外周を時計回りに3分の2ほど歩きながら、時々とまって説明するという形で見学が始まったが、百人ほどが細い舗道上でときどき立ち止まるという状態で、ほとんど説明を聞けない、もっぱら辺りの写真を撮って時間をつぶしながら演奏会の会場である国立図書館のパシュコフ・ドムに入った。今夕の演奏は、古楽器で演奏する「プラトゥム・インテグルム・オーケストラ」である。オーケストラといっても、総勢で16名なので、アンサンブルというべきだろうか。第一部は弦楽四重奏。1曲目は彼らが発掘に取り組んでいる作曲家のひとりティエツの作品で、パート譜の一部が永く失われていたものが最近になって国立図書館で発見されたという説明があった。2曲目はテレマンの弦楽合奏組曲で、バイオリン7、ビオラ2にチェロ、コントラバス、チェンバロ(通奏低音)という編成だった。これも、第二次世界大戦で失われたと考えられていた楽譜が国立図書館で発見されて、上演できるようになったものだという。第二部ではやはりテレマンの作品が2曲演奏されたのだが、ここからは木管楽器が登場し、1曲目ではオーボエ2とバスーンが加わり、2曲目ではさらにフルート(もちろん木製)のソリストが加わった。この第二部の演奏では、オーボエの音が(よい意味で)金属的に鋭いものだということを再認識した。アンコールは2回、いずれも、先ほど演奏した楽章をひとつだけ再演するというものだった。なかなかよい演奏だったので、終演後には半盤されていた彼らのCDから2枚を選んで買った(800ルーブル)。
 連れがお腹が減ったというので、とりあえずユーガ・ザパドナヤ駅まで地下鉄で戻って、駅近くで何か食べようかということになった。駅で降りて、先日、同じチェーンの別の店舗に入ったヨールキー・パールキーに行こうとビルの3階まで階段を上っていくと、入口が一緒になっている(経営も同じ)日本料理店マレニカヤ・イポーニャの入口に近い席にR先生とF先生が席につかれていたのが目に入り、急遽そちらに合流することにした。ロシアで食べる日本食としてはマトモな方なのだろうが、話のネタになるレベルの料理がいろいろ出て来た。実はなぜがさほど空腹ではなかったので、煎茶(115ルーブル)だけをとり、連れの寿司を少しつまんだ。なぜかここはF先生のおごりということになり(ごちそうさまでした)、11時過ぎに店を出て部屋に戻った。
 部屋に戻った時点で、さすがに疲れがどっと出てしまい、風呂にも入らず、すぐにそのままベッドで眠ってしまった。

パシュコフ・ドム

プラトゥム・インテグルム・オーケストラ
■ 2010/06/30 (Wed)
赤の広場

Москва: РАГС, Красная площадь, Кремль, Российская государственная библиотека
Москва: РАГС
 朝5時半ころに目が覚め、ちょっと気になったので血圧を測り、結構高くなっていることに気づく。血圧の薬を飲み、前日の日記を書き始める。一区切りついた所で風呂に浸り、8時15分ころ朝食へ行く。朝食会場ではF先生と一緒に3人でテーブルを囲み、しばし雑談をする。時刻が既に9時になっているのに気づき、RILMの実務会議が行われる3016号室へ向かった。実務会議では、技術的な問題について、いろいろ話題が出され、日本の事情についても分かる範囲で紹介した。

赤の広場にて

レーニンの名を冠した国立図書館
 午前のお茶の時間の後、いったん部屋に戻り、午後のエクスカーションに備えて連れを休ませ、一人で会場に戻り、サウンド・アーカイブのセッションに出たが、最初のイタリアにおける公共図書館の著作権の包括的処理に関する話はそれなりに分かったものの、2番目の発表はもっぱら音源が発掘されデジタル化されたパブリック・ドメインの曲を紹介するといった趣きで、曲を聴く間に思わず気持ちよく眠ってしまった。3番目の発表は、18世紀の手書き楽譜の扱いについての具体的な話で、筆記者の自作か、他者の作品の筆写かを判定するところからはじまり、印刷譜に書き込みや貼り込みがなされている場合など、これをどうカタログ化し、デジタル化して公開する方向へ進めるのかという、散漫でまとまらない印象ながら、面白い話だった。部屋に戻る途中で、会場の建物内に出ている仮設の店でTシャツを1枚買う。
 部屋に戻って一息入れ、午後のエクスカーションの集合時間である午後1時45分に間に合うよう部屋を出た。集合場所である建物の正面玄関に行くと人がごった返している。暫くここで待たされたが、そのうちに、われわれが参加するグループには地下鉄の券が配られ午後2時過ぎに歩いて出発して駅へ向かった。地下鉄でオホートニー・リャド駅まで行き、ガイド役についてゆくと、赤の広場の入口にあたるヴァスクレセンスキー門前に出た。ここから門をくぐって赤の広場へ出る。ここからだらだらと聖ワシーリー寺院の方へゆっくり進んでいく。途中でカザン大聖堂(17世紀に創建された建物をソ連時代に撤去したが、ペレストロイカ後に復元された)に入ったほかは、建物には入らず、グム、レーニン廟、聖ワシーリー寺院などを外から見学する。天気がよいのでかなり暑いが、何かのお祝いがあったのか、軍服姿で記念写真を撮る若い人たちや、結婚式用の写真を撮っているらしい花嫁姿の女性、卒業式がえりなのか、学帽を被った黒人の留学生?たちの一行などが広場を行き交っている。石畳の広場の路面には、行進などのさいの目印なのか、いくつもの線がペイントされていた。広場では15分ほど、自由行動時間がとられたのだが、その間は聖ワシーリー寺院の木陰に入って休憩していた。
 赤の広場からアレキサンドロフスキー公園へ回り、無名戦士の墓から壁沿いに進み、途中で荷物預け所に寄ってから、クレムリンの博物館(いわゆる「武器庫」)に入った。ここでは、お土産にシャツと帽子などを買ったのだが、後で宿に戻って確認すると、一緒に買ったはずの絵はがきのセットが入っていなかった。博物館内では、英語ガイド一人に10人ほどがついていく形で見学するのだが、配属されたグループ3のガイドの英語が聞き取りにくく、たまたま日本語ガイドに連れられた日本人の一行が入って来たので、そちらの電波が拾えないかとレシーバーをいじっているうちに、日本語ではなく、別の英語ガイドの明瞭な英語が聴こえて来た。どうやら、一足先に入館したグループ4のガイドの声のようだ。そちらの方がはるかに聞き取りやすいので、勝手にグループ4の後について見て回る。貴金属細工品、武器類、衣服、玉座、馬車といった展示品もさることながら、ソ連時代に多くの宝物がオークションで処分されて流出した、という話が印象に残った。
 博物館の閉館ギリギリまで見学してから荷物預け所までもどって再集合し、歩いて昨日のコンサートが行われた国立図書館のパシュコフ・ドムまで行き、ここで一時休憩となった。途中の国立図書館前では、結婚式の装束で花嫁さんが大きな熊のぬいぐるみを抱えて写真撮影していた。パシュコフ・ドムでは、お茶と、図書館員のお手製というピロシキが振る舞われた。ここで一服した後、この建物に入っている国立図書館音楽部門を見学する。変わり種レコードの展示の中に、古賀政男や映画『黒部の太陽』のサントラ盤のピクチャー・レコードが入っていたり、チャイコフスキー関連品の展示の中に、メロディアとの提携で日本ビクターが製造したエストニア交響楽団のレコード(見本品)が含まれていたりしていたのが目を引いた。見学は7時半過ぎに現地解散となり、そのまま地下鉄で、まっすぐ宿まで戻った。
 部屋に戻って風呂につかり、汗を洗い流し、一息入れる。9時からのRILMのレセプションに行く。会場が少し分かりにくい場所だったのだが、何とか定刻にたどり着き、ピスタチオをつまみながらミネラル・ウォーターを飲む。連れと日本語で話していたせいか、あまり多くの人たちとは話をしなかったが、いずれもニューヨークの大学に勤める専門司書2人とは、それぞれ結構な時間をかけて話し込んだ。連れの調子が今ひとつということもあって、1時間半ほどで会場を後にして部屋に戻った。
 部屋ではすぐにベッドに横になって寝たが、体調のせいか寝苦しく、夜中にベッドから落ちそうになって目が覚めた。トイレに立ち、またすぐベッドに戻ってからは朝まで寝ていた。
■ 2010/07/01 (Thu)
グム、役員会、コンセルヴァトワール

Москва: РАГС, Красная площадь, Московская Государственная Консерватория
Москва: РАГС
 朝は、さすがに疲れが出て来たのか、寝覚めが悪い。ようやく7時40分ころに起き出し、前日の日記を書きはじめる。
 8時過ぎに朝食会場へ行き、一足先に朝食を取っていると、R先生がおいでになり、昨日のエクスカーションの話を伺う。朝食後は、連れを部屋に戻して休ませ、一人で放送関係の発表セッションへ行く。最初の発表はドイツの放送局の音楽資源という話で、発表者のドイツ人女性は、始まったときはドイツ語で話していた。スライドは英語だったので、何とか理解の助けになったが、やはりドイツ語は聞いていても分からない。ところが途中でなぜか英語に切り替わり(発表者自身、無意識でのことのようだった)、最後はまたドイツ語に戻ってしまったので、断片的にしか理解できなかった。二人目はBBCの音楽アーカイブの責任者という男性のストコフスキーについての発表で、前半のBBCのアーカイブ体制についての話が特に興味を引いた。ストコフスキーは映画『ファンタジア』にも登場するショーマンシップをもった指揮者だが、こちらの知識や関心が不足しているからか、後半のストコフスキーについての話は今ひとつピンと来なかった。三人目は、現在ボリショイ劇場図書館が継承している、かつての個人コレクションについての紹介だったが、これはロシア人女性によるドイツ語による発表で、ロシア語のフルペーパーと、英語のアブストラクトが配られるという具合だった(IAMLは英独仏語いずれで発表してもよいことになっている)。これもかなりしんどく、スライドも楽譜の写真などだけで変化がなかったせいもあり、最後の方で眠ってしまい、となりのロシア人の若者に突ついて起こされる始末だった。質疑になるとロシア語での質問にドイツ語で答えるという状態で、こちらはただただ呆然とするばかりだった。
 午前中の二つ目のセッションと午後の最初のセッションは、音楽図書館の専門的な話題の発表と、各種委員会の会合ばかりだったので、お茶の時間に一息入れてから、部屋に戻り、市内中心部へ買い物に出かけることにした。まず、メインの建物にある郵便局に立ち寄ってから建物の外へ出て、開店準備中のスーパーマーケットが入っている建物を通って地下鉄駅へ行き、オホートニー・リャド駅へ向かった。昨日とは違う、ボリショイ劇場前に出てしまったが、そのまま見当をつけて歩き、程なくして目的地のグム(ГУМ)へと到着し、しばし連れの買い物につき合う。ここは、19世紀式の細長いグラン・マガザンが4つ繋がった(アトリウムが3つできる)形の「百貨店」になっていて、半ば観光地と化していて外国人も多い。自分の用事では、3階のレコード店「サユース(ソユーズ)」でロシアのポップと民謡のコンピレーションを店員に選んでもらい、ジャケ買い気味でCDを3枚購入した。グムの後は、歴史博物館の出口脇にあるお土産物屋、グムの脇にでていたお土産物の屋台、ボリショイ劇場近くの地下道の中の店で買い物をし、さらにチュム(こちらはまったく普通の高級百貨店)を冷やかしてから劇場街を歩き回り、最後はトヴェルスカヤ通りのはずれの「テレマーク」でロシア式のクレープであるブリヌィを食べて一休みした。ここは、クヴァースやボルシチも美味しかった。
 かなり疲れを感じたので、これ以上を無理せずにいったん宿に戻ることにして、地下鉄で帰る。午前中に開店準備中だったスーパーが開いていたので、入ってみようとしたら、入口で体格の良い男性に制止された。言葉が通じないが、3時で閉店だから入るなというようなことを言っているようだった。われわれが押し問答をしているうちに入って行く他のお客さんもいたし、そもそもこの店の看板には24時間営業と書いてあるのだが、押し問答をするのも面倒なので、店には入らずに裏口から抜け、РАГСの正面玄関から入って宿に戻った。こちらが少し日記を書いている間に、連れはすっかりベッドで熟睡しはじめた。
 3時40分ころに、とりあえず、一人で午後の後半のセッションである、役員会(27日の続き)に出かける。27日の時はパスしたのだが、その後いろいろな人と話をしていて、出てみればいろいろ勉強になると思い直し、他のセッションもないので参加する気になったのである。役員会では、最後尾の席でラップトップをいじりながらのながら聞きをしていたのだが、刊行物の電子化(印刷版の廃止)、役員投票の電子化などといった課題が具体的に議論されていたり、ロゴが現状にそぐわなくなっていることを踏まえて、ロゴの改定に向けた議論をしようという呼びかけがあったり、プログラム編成の方針上の課題が議論されて、この組織がどんな問題に直面しているのかが、立体的に理解できた。細かい人間関係の政治感覚もちょっと窺えて、面白かった。来年度はダブリンでの開催だが、日程が7月下旬で試験期間〜採点期間にぶつかりそうなのが気になった。

チャイコフスキー像前にて

モスクワ音楽院小ホールでの演奏会
 15分ほどの余裕しかない状態で部屋に戻り、連れを起こし、こちらもざっとシャワーを浴びて汗を流して、午後6時にホテル前でF先生と合流し、他の数名の参加者と一緒に、見学会のあるモスクワ音楽院の図書館へ向かう。最初、入口がよく分からず、少しまごついたが、無事入館し、貴重な楽譜の展示や、カウンター(この図書館は、完全閉架方式)などを案内される。この後、コンサートがあるのだが、連れの調子が少し悪くなり、ソファで休んでいるうちに他の参加者からはぐれてしまった。いったん館外に出たりしたが、どうにか元の場所の階上にあたる4階が演奏会場とわかり、8時の開演に間に合った。
 会場は、木製の折りたたみ椅子を二百以上並べたホールで、万一退屈になって寝てしまっても目立たないように、最後部の端の席に着いた。今夕のプログラムは「ロシアの前衛50年」と銘打たれ、1960年代から最近までの5曲がプログラムされている。ところが、始まってみると、なかなか面白い曲が続き、適度に長過ぎないということもあって、眠くなるのでは,というのは杞憂になった。ただし、途中で咳が出て来て、入場時に配られたミネラル・ウォーターでのどを湿したのだが、ガス入りだったので音をさせずにキャップを開けるのに気を使った。実は座っていた席は廊下を挟んで道路に面していたので、静寂な部分のある曲で、絶妙のタイミングで車のクラクションが環境音として耳に入って来たりして、一人で面白がって聞いていた。最近の3作品のうち、2作品は作曲者が来場していて、それぞれの演奏後にステージに上がっていた。しかし、最も印象的だったのは、曲の間に踏面立てなどのセッティングをしていた痩身白髪無表情な男性(小使いさん?)の無駄のない動きだった。
 9時半ころに会場を出て、先日も立ち寄ったカフェマニアにF先生やお仲間の女性司書さんたちと入り、他の方々がパスタ系の食事を注文する中、連れと二人で少々浮きながら、キャラメルコーヒー、マンゴラッシー、レモンライムのシャーベットという喫茶の注文をした(これでも730ルーブルになるのだが)。ここは総額5000ルーブル以上の支払いになったが、結局、現金で割り勘にした上で、こちらがクレジットカードで支払うことになった。事実上、2万円弱を両替したようなものである。
 カフェを出て、まだその辺りを散策するというメンバーと宿へ戻るメンバーに分かれ、われわれは後者になった。ただし、ネットへの接続をしなければならないので、地下鉄で帰着してから、宿に戻る前に、中間地点のマクドナルドに入って、WiFiでの接続を試みる。午後11時少し前ころから12時過ぎまで、メールの読み落とし、返信の送信、ニュースの閲覧などをしていた。最後は店長?に店から追い出された。24時間営業のはずだが、はて、と思っているうちに、店舗は深夜12時で締めるが、ドライブスルー窓口は24時間営業という意味であるらしいことが分かってきた。店を追い出されたわれわれも、店の前のテーブルからネットへの接続を続け、溜まっていたメールの処理をした。
 結局、部屋に戻ったのは午前1時近くだった。そのまま風呂にも入らずベッドで横になり、熟睡する。
■ 2010/07/02 (Fri)
大会最終日

Москва: РАГС, Партизанская, Улица Арбат
Москва: РАГС
 朝は6時20分過ぎに目が覚め、トイレに立ち、そのまま起きて日記を書く。8時を少し回ってから朝食会場へ行き、食事をしているとR先生が後からおいでになり、しばし雑談する。今日は最終日なので、手帳にサインを集めることにして、まずR先生にサインをいただく。
 午前中の最初のセッションでは、民族音楽学の録音記録の蓄積をデジタル・データ化することで、いろいろ新たなことができるという話と、CDが保存媒体としてどれくらいもつのか、独自の耐久実験をしてみたという話を聞く。本来3本の発表用の時間で2本だけの報告だったので、お茶の時間前にセッションが終わってしまったが、この時間帯は、各種の実務委員会が行われているだけで、発表セッションはほかにないので、廊下でお喋りしながらお茶が来るのを待っていた。
 お茶の時間の後の午前中二つ目のセッションは、南デンマーク大学の新しい民族音楽専門図書館の話が最初にあった。次いで、エストニア出身で、帝政期ロシアで最も成功した楽譜出版事業を興し、後のメロディアの前身となり、さらに近年に至って創業者の名前に社名が戻されたP・J・ヨルゲンセンの軌跡を、エストニア国立図書館の蔵書を通して検討するという報告があり、大変興味深く聞いた。ヨルゲンセンについては、近年ロシア語で伝記が出たものの、英語などで読める資料はまだ限られているらしい。三番目の発表は、20世紀初頭のウィーンで軽音楽の作曲家として成功していたルードヴィッヒ・グルーバー(同名異人の作曲家もいる)が、第一次世界大戦でロシアの捕虜となり、シベリアに送られていた時期の音楽活動を中心に、その遺跡をウィーン市立図書館が所有するグルーバーの個人文書などを用いて追ったもので、これも大変興味深く聞いた。
 昼休みどきに、いったん部屋に戻って風呂に入ろうとしてのだが、うっかり湯を長く出し過ぎて、風呂桶から溢れさせてしまい、バスルームの床をびしょびしょにしてしまった。ともかくも風呂に入り、ひと休みするうちに、午後の総会と閉会式のセッションの時間が近づいてきたので、早めに会場へ行き、この大会期間中に話をすることが多かった人たちにサインをしてもらう。
 総会では、会費に関する新提案などで評決が行われ、全会一致で会費の若干の値上げなどが承認された。また名誉会員の承認、会長・事務局長の交代なども報告された。最後は来年の会場であるダブリンの実行委員会による、ダブリンの紹介ビデオの上映で、(われわれが参加しない晩餐会を除いて)すべてのプログラムが終了した。会場の外に最後のお茶が用意されていたので、クッキーの類をつまみ、部屋に戻って、すぐに出かけることにする。

ベルニサージュ土産物市場のゲート

謎の?擬伝統建築群
 地下鉄を1号線から3号線へと乗り継いで、パルチザンスカヤという、巨大なパルチザン群像がそびえ立つ駅まで行き、この近くにあるというベルニサージュ土産物市場を見に行く。ところが確かに市場はあったのだが、午後5時前というのに既に店じまいをしている所が多いし、ユネスコ村?というくらいの雰囲気で建てられているテーマパーク的な擬伝統建築群もあるのだが、やはり閑散としていて、出店ブースも実際に店が出ている所の数倍は広がっている。何だか「千と千尋の神隠し」の導入部のような感じだ。敷地の一部では建物の補修?をしているが、別の一角では結婚式用の撮影と思しきこともやっている。場末感が漂うというか寂れた遊園地の何ともいえない雰囲気に近いものを感じた。とはいえ、辺りを一回りし、連れのお目当てだった小さなチェブラーシュカを買い、路上でバックギャモンに興じている親父二人の熱戦をしばらく眺めてから(キューブもなく、サイコロも共用で手振り、コマは何かのキャップが混じっているという具合だったが、見ていて面白かった)、クヴァースを買ってこれを飲みながら公園の入口に戻った。公園の入口近くにある建物がアウトレットだと分かり、冷やかしに入る。玩具店などを冷やかした後、キャメロットのアウトレットでTシャツを2枚買った(1140ルーブル)。
 パルチザンスカヤ駅から3号線、4号線と乗り継いで、7時過ぎにアルバーツカヤ駅で降り、アルバート通りの東の入口から西へと進んでいく。まず、お土産物屋でマグ(265ルーブル)などを買ってから、いろいろなパフォーマンスをやっている通りを進み、古本の屋台でペレストロイカ期の「ロシアの都市」事典(300ルーブル)と、ソ連時代末期のモスクワについての本(150ルーブル)を買い、さらに別のお土産物屋で、チェブラーシュカのTシャツ(合わせて600ルーブル)を買ってから、牛のオブジェが目を引くカフェ・ムームー(牛の鳴き声「モーモー」の意)に入る。カフェテリア方式で料理を取っていくのだが、連れが食べたがっていた水餃子がなく、揚げ餃子になったり、クヴァースが切れていたりと、いろいろ思ったように注文できなかった。それでも何とか食事を済ませた。特にボルシチはちょっと食べにくい容器に入っていたが、味はとても美味しかった。ここではお土産のマグも買った。
 もう9時になっているが、ここまで来るとHRCが目と鼻の先である。まず、新入荷のピンを見に行き、結局8本も買うことになる。1本が580ルーブルなので結構な出費だが、ここではキャッシュで支払いをする。これまでの2回と同じように1階にテーブルを取り、ネットに接続してメールチェックなどの作業をする。ぼちぼち日本での仕事の段取りを考えないと行けないなと思いつつ、淡々と宿題メールへの受信確認メールを送り返す。そのまま午後11時過ぎまで、HRCにいた。
 アルバート通りからの帰りの地下鉄では、席に座れたのでほとんど熟睡してしまい、終点のユーガ・ザパドナヤ駅で連れに起こされて慌てたほどだった。部屋に戻ると、昼間に湯を溢れされたバスルームの床面はすっかり乾いていたので、ほっとした。風呂に入り、洗濯もして、風呂から出るとそのままベッドに横になり、すぐに眠ってしまった。
■ 2010/07/03 (Sat)
美術館に浸る

Москва: РАГС, Государственная Третьяковская галерея, Красная площадь
Москва: РАГС

トレチャコフ美術館 新館 正面玄関

モスクワ川沿いの絵画屋台(南の端)

ドロヴァーの中二階席から

客待ち待機中のホーマー(右)
 朝は8時少し前まで寝ていた。起きてすぐに朝食会場へ向かう。
 朝食後、部屋で少し荷造りをしてから、10時過ぎに部屋を出て、トレチャコフ美術館新館へ向かう。地下鉄1号線をパルク・クリトゥールィ駅で降り、歩いて橋を渡って対岸へ行く。右手には遊園地が見え、左手には巨大な直方体の建物が見える、さらにモスクワ川の川中には海賊船かと思しき奇妙で巨大なモニュメントや、「カラオケ」と大書された観光船が見え、さらに左手にはロシア正教の救世主ハリストス大聖堂ソヴィエト時代に破壊された後、ペレストロイカ後に19世紀のままに再建された建物)の金色のドームが見える。直方体の看板にはギャラリーとも博物館とも書かれていないように思ったので、この背後に美術館があるのかもしれないなどと考えながら先へ進んだが、要するにこの建物の一部が美術館になっているのであった。
 本来のトレチャコフ美術館から、20世紀の作品を切り離して独立させたのが、この新館で、一応ちゃんと開館はしていたが、切符売り場の窓口はひとつしか開いておらず(一人300ルーブル)、ミュージアムショップも小さなカウンターがひとつ開いているだけで、収蔵品のカタログもなく、単なる品物の少ないお土産物屋にしかなっていない。1階ホール横の荷物預け所でカメラや荷物を預け、歩いて2階に上がると切符を切られ、さらにアトリウムを回り込むように4階まで上がるよう促される。4階まで吹き抜けている2階のホールには、赤い色のピアノと第三インターナショナル塔の模型が置いてある。さらに上って4階に達すると、1945年7月の対独戦勝記念パレードの様子を描いた巨大な画面が置かれ、その脇でビデオが、当時のカラーのニュース映像を流している。これは巨大画もさることながらビデオの方が面白かった。例えば、赤の広場を様々な角度から写しておきながら、聖ワシーリー寺院の角度はいっさい映らない。これは逆に、当時もこの寺院がそこに存在していたからである。対称的にカザン大聖堂は当時は存在していなかったことも映像から確認された。また、映像では、レーニン廟に並ぶお偉いさんの背景に映り込んだクレムリンの建物の一部に、何らかの外装工事のための足場が組まれているのだが、巨大画の方ではそれは省略されているし、当日は雨が降っていたということもあって、観衆は傘をさしている人が結構いたのだが、画の中では傘は見当たらない。また、画の中には映画を撮影するチームが描き込まれているが、とりあえずこの場で見られた映像では、その角度からのショットはなく、おそらくは別の角度に置かれていた撮影チームを画の中に配置したものと思われた。ちなみに、記録映像の中には、クレムリンのスパスカヤ塔や、グムの上から見下ろす角度のものが含まれていた。また、隣に置かれていた別のビデオでは、1945年5月1日のパレードが各地で開催された様子を写した白黒のニュース映像を流していたが、ソ連国内のほかに、ブダペスト、ウィーン、ヘルシンキといった都市でレーニンやスターリンの肖像が掲げられたパレードが行われたことを伝える内容で、改めてフィンランドやオーストリアの地政学的位置について考えさせられた。
 本編に入る前に、かなりお腹が一杯になった感じがしたが、漸く展示の本体に入り、1910年前後のロシアの素朴派からはじまり、キュビズム、幾何学的抽象、構成主義といった流れで数多くの作品が展示されている。シャガールやカンディンスキーもそれぞれ確認したのは1点ずつだが展示されている。なかでもトゥトリンの様々な表現が印象に残った。本当は、当時のプロパガンダ・ポスター(あるいはその原画)がないかと期待していたのだが、それは空振りだった。その後の大戦期の軍人の肖像、戦争画の類も、これだけ並ぶと別の見方が出てきて面白く感じた。スターリンを中心にした巨大画が並ぶ1室では、その窓から眺められる救世主ハリストス大聖堂が、ソヴィエト宮殿の用地とするため破壊され、結局、塔は計画倒れとなり、ペレストロイカ後に大聖堂が再建されるという顛末を紹介するビデオが置かれていた。簡素な、何の記章もない服を見にまとうスターリンと、勲章を胸に輝かせる軍人たちの対比は、本来の彼らや画家の意図を越えた所で、今の時点でこの画面を見る者に考えさせるメッセージがあるように思う。金正日のジャンパー姿も、源泉はスターリンなのかもしれない。
 さらに現代に近づくと、ポップ・アートの翻案のような作品、水木しげるの「百目」のパロディに見える(画家本人は水木を知るまいが)作品などが出てくる。面白かったのは3階に下りたところにあった、オレグ・キューリックという「アクショニスト」の写真とビデオである。全裸で犬に連れられて散歩するというパフォーマンスをして路上で逮捕される顛末や、当然全裸で動物園の猿の檻の上によじ上り猿のように振る舞うすがた、あるいは大学?で公演中に服を脱ぎ出し、本気で制止しようと殴り掛かる人に殴り返す様子などが収められたビデオが上映されていた。2階から1階にかけての企画展では、作曲家セルゲイ・プロコフィエフの息子で画家、造形作家であったオレグ・プロコフィエフの回顧展をやっていた。淡い色で描かれた作品の多い絵画より、奇妙な造形と色彩を連ねた木製の鎖など、立体の方が面白く感じられた。
 結局、5時間近く美術館にいたが、その後は、モスクワ川沿いの道路に沿って続く絵画の露天市を冷やかして歩く。値段は聞かなかったが、これだけいろいろなスタイルの絵画が露店で売られている(それだけ買う人もいる)というのは、ちょっとした驚きでもあった。歩いてパルク・クリトゥールィ駅まで戻り、ガイドブックに載っていた高級スーパー「アーズブカ・フクーサ」へ行く。たどり着いてみれば何のことはない、先日、РАГСの前に新規開店した店と同じチェーンの店であった。ここではクヴァースを買い、喉を潤す。連れの希望で、やはりガイドブックに載っていた赤の広場に近いドロヴァーというレストランへ行き、夕食にする。この店は半分が日本料理店になっていて、ロシア料理の方の中二階席に着いたのだがメニューには寿司なども載っていた。わさびの添えられたサーモンのペリメ二、ボルシチ、ルッコラとサーモンのサラダ、クヴァース、連れのビールを注文した(合わせて920ルーブル)。ここで飲んだクヴァースは自家製なのかしっかりアルコール分があったようで、疲れが出ていたことも手伝って、すっかり酔っぱらってしまい椅子に座ったまま勘定の前後30分ほど、合わせて1時間あまり眠ってしまった。7時30分頃店を出て、宿に戻ろうとしたのだが、歩くのもしんどいくらいであった。それでも週末の赤の広場は、やや曇り気味の過ごしやすい天気もあってか、先日来た時とはまた雰囲気が違い、多くの人が出ていた。ヴァスクレセンスキー門の近くでは、一緒に写真を撮るといくらか料金を取るという商売らしい、有名人のそっくりさんというか、コスプレの人たちがいて、帝国時代の皇帝・皇后や、プーチン、ブレジネフ、スターリン、レーニンと思しき人たちもいたが、一番驚かされたのは着ぐるみのホーマー・シンプソンであった。地下鉄の車中でも、本を開いて読もうとしたのが、座って眠ってしまい、終点で連れに起こされた。
 駅から部屋に直行して戻ると、ドアノブにF先生からのメッセージと、オレンジや菓子などが入った袋がぶら下げられていた。早速オレンジとジュースを、ありがたくいただく。すぐに寝ようとしたのだが、体が汗ばんで寝苦しく、ぬるい風呂に入ってから寝直した。午後9時過ぎだったと思う。
■ 2010/07/04 (Sun)
■ 2010/07/05 (Mon)
無事帰国

SU581便 機中
SU581便 機中

一週間お世話になった朝食会場のカウンター

真新しい連絡通路...動く歩道は使えない
 朝6時頃に目が覚め、時差調整を考えてそのまま起きる。連れを起こして、近くのスーパーまで買い物に出かける、もうすっかり明るいが、日曜の朝ということもあってか店は閑散としていて、レジも一ヵ所しか開いていない。土産用にクヴァースのペットボトルや菓子類などを買う。けっこうゆっくり買い物をしているうちに、レジがいくつも開いていて、客もそこそこ入っている状態になっていた。部屋に戻った時には8時を回っていたので、買い物を置いてすぐに朝食会場へ向かう。ところが、建物の正面玄関がすっかり閉められている。どこかに迂回しろという指示もない。ホテル棟に取って返してあまり英語の通じないフロントの女性に、建物が閉まっているというと、地下通路を通っていくよう指示される。そんなものがあるのかと思いつつも、言われた通り地下階におり、迷路のような通路を指示看板にしたがってたどって、何とか朝食会場にたどり着いた。
 朝食をゆっくり済ませてから、再び地下通路で戻ろうとしたら、何と、途中の庭に面した出入り口が一ヵ所開け放しになっていた。そこから外へ出て、ホテル棟に戻った。チェックアウトは正午なので、ゆっくり荷造りの仕上げをし、正午近くになってから、8泊した部屋に別れを告げてチェックアウトした。
 地下鉄駅近くのヨールキー・パールキーでモスクワ滞在最後の食事をすることにして、重たい荷物を引きずりながら13段×4=52段の階段を3階まで上った。前回、アルバード通りに近い店に入った時と同じように、サラダバーとボルシチとクヴァースをとる。この店にはフルーツ・カクテルがなかったのがちょっと残念だったが、満腹、大満足になり、暫く食後も座ったままでぼんやりする。結局、正午頃から午後1時半ころまでこの店にいた。
 地下鉄駅に階段を降りてゆくとき、クヴァースで少し酔っていたのか、足を滑らせて転んで、階段の途中で数段分滑り落ちるようになってしまったが、幸い右足首を少し痛めただけで、怪我はしなかった。そのまま、地下鉄を1号線から環状線=5号線に乗り換え、ベラルースカヤ駅へ行く。ここで、アエロエクスプレスの切符売り場へ行くと、ちょうど午後2時発の便が目の前で出発していく所だった。午後2時半発の便に乗り込み、空港へは35分で到着した。乗り継ぎにもっと時間がかかる可能性を織り込んでいたので、だいぶ早く到着したことになる。
 空港駅のホームから出た所にあるスターバックスで、ルーブルの現金残高を気にしながら、マグカップを買う。到着した日に連れが買ったマトリョーシカ柄のタンブラーはこの日は見当たらず、買っておいてよかったと再確認した。来たときと同じように連絡バスに乗ろうと1階に下りたのだが、バスの運転手に、3階に行けと言われてしまう。最初は要領を得なかったのだが、どうやら到着したときと状況が変わっているらしい。言われた通りに3階に上がって表示を確認して分かったのだが、鉄道駅のあるE・Fターミナルから、Dターミナルまでの連絡通路が新設されていて、連絡バスではなく歩いて移動するようになっていた。真新しい通路を、トロリーを曵いていくが、所々に配された動く歩道はまだ供用されておらず、結局、かなりの距離を歩いてDターミナルにたどり着いた。アエロフロートのカウンターは、国際線すべての受付カウンターが一ヵ所に集まっていて長い行列になっているが、そこそこスムーズに進んでいる。手荷物を預けて、チケットを受け取り、まだ時間があるのでターミナル内の1階の土産物店を冷やかしにいったりしてから、出国手続きに進む。保安検査では、ベルトのバックルが引っかかり外して通り直すことになった。ターミナルDの免税店街はかなりの部分が出店準備中の段階で、僅かに営業していた免税店でお土産品を少し買う。これでルーブルは、コレクションとして持ち帰る分以外はほとんど使ったことになる。
 東京行きに搭乗する25番ゲートにたどり着いたのは、集合時刻まで2時間近く余裕のある午後5時過ぎだった。辺りの床では気持ちよさそうに寝そべっているバックパッカーの若者たちがいる。そのまま待ち合い用の席について、目の前の26番ゲートに別の機が到着し、サービスを済ませて次のフライトで飛び立つまでの一部始終を見物することになった。最初のうちは、乗客もあまりおらず、ほかの便(東京行きの後に出発するモンゴル行き)の乗客も目立っていたのだが、搭乗時間が迫ってくると、団体旅行と思しき女性高齢者中心の日本人の集団がやってきた。添乗員さんが、お菓子を振る舞っていたのだが、朝、スーパーでお土産用に買ったチョコレート菓子も配られていて、添乗員さんがこうしたところで配る菓子に選んだブランドとわかって何だかほっとした気になった。やがて搭乗が始まったが、のんびりと構え、列が短くなってから乗り込んだ。座席は15A・Cで、また左翼の上である。

 機中では、またバックギャモンをしたのだが、何度も途中でウトウトして操作を誤り、ゲームを何度もキャンセルしてまたやり直した。行きの便もそうだったが、あまり快適な座面ではなかったので、枕を座布団上に用いていたのだが、今回は座席のリクライニングが思うに任せず、結局、ほとんど座席も倒さないまま、ときどき仮眠するという程度の睡眠しかとらなかった。連れは、もう少しは寝ていたが、やはり寝づらかったようで、フライトの後半では何度もCAを呼んで飲み物を貰っていた。
 日本到着もスムーズで、午前10時過ぎに無事着陸、順調に入国・荷物受け取り・通関を済ませ、午前11時に快速エアポートに間に合った。錦糸町と御茶ノ水で乗り継ぎ、国分寺まで戻った。連れは、日本に帰ったら駅そばが食べたい、と言っていたのだが、結局、国分寺駅を出てすぐの讃岐うどん屋で、やや遅い昼食をとり、帰ってきたことを実感する。いったんアパートへ戻って荷物を置き、風呂に入って汗を流してから、午後の授業(4〜6時限)をするため大学へ向かった。


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