私的ページ:山田晴通
[年記]:2008年を振り返る
2008年は、前年に続き、体力の衰えを厳しく実感した年でした。とはいえ、知天命には程遠い心境です。
以下、例年どおり、「十大ニュース」を列挙するという形で2008年を振り返ります。
- 初めてアラブ圏(チュニジア)へ行く。(8月)
8月に、国際学会でチュニジアへ出かけた。マグレブ諸国の中でも最もヨーロッパ的な国とはいえ、初めてのアラブ圏への旅であり、新鮮な経験をいろいろした。
[チュニジア日記]
- 娘が短大生になる。(4月〜)
娘が推薦入学で、4月から某私立短大の学生になった。ときどき話を聴く限りでは、何とかやっている様子。
- プラド美術館で、ゴヤを鑑賞する。(8月)
チュニジアでの学会の帰り、私費で滞在を延ばして、初めてスペインへ出かけた。実は、出国の段階ではスペインへ行くことは予定していなかったのだが、マドリードではプラド美術館をゆっくり見て回ることが出来た。もちろん、ゴヤ作品をこれだけ多数まとめて鑑賞したことはなかった。ベラスケス、ムリーリョにも<礼拝的価値>を感じた。
- 実家の改修。(10月〜12月)
自宅ではないが、実家がいろいろな事情で一部をリフォームして、オール電化を導入することになった。なぜ、これが個人的な十大ニュースの一つかというと、経費はこちら持ちなのである。このため、長期ローンを組むことになった。
- 伯母、祖父の遺品多数を貰い受ける。(5月〜)
5月に、母方の祖父の遺品を多数受け継いでいた伯母が亡くなり、いろいろな事情で、伯母、祖父の遺品(おもに書籍)多数を貰い受けることになった。何度か荷物を送ってもらい、借りもののワゴン車で長野県の自宅から福岡へ二往復したりもした。
まだ、遺品の整理は終わっておらず、さらにまた荷物を送ってもらうことになりそうだ。
- 佐賀・福岡と縁があった年。(1月/5月/6月/9月/11月)
2007年は、熊本と福岡でいろいろ会合があって「熊本・福岡と縁があった年」だったが、2008年は、上で挙げた伯母のことがあり、下でも言及する九州大学での集中講義があり、また地域紙が廃刊になった佐賀県の唐津の現地調査にも出かけたので、一年のうちに合わせて五回も出かけた。
- 捜索願を出す。(9月)
詳細は公開しないが、生まれて初めて警察に「捜索願」を出した。結局、大事には至らなかったのは幸いだった。
- 「伝説のウェイトレス」に会う。(9月)
ハード・ロック・カフェのイベントで、1号店であるロンドン店の「伝説のウェイトレス」Rita Gilligan さんに会う。生で見たというだけでなく、少しだったが直接話をすることもできた。東京と大阪のイベントをはしごし、さながら追っかけのようだった。
- (この項目は公開しません)(通年)
とりあえず、shocking なことですが、公開はしません。
- 千代田夏夫のパフォーマンスを見る。(5月)
インディーズの カフェオレーベル のイベントで見た千代田夏夫のパフォーマンスに感銘を受ける。ネット上の画像より、ご当人はややふくよかな印象。言いたい放題?のトークをさんざんした上で、何の伴奏もなし、自分の声だけで場の空気を一気に持って行く。機会があれば、もう少し仕掛けのある舞台も見てみたい。同じステージで観たアタリマエダノクラッカーズもなかなか気になる(ただしこの時は、「妹」は出張中とかで登場しなかったのだが)。
- コッツウォルド地方で現地調査。(2月)
- 国際地理学会議チュニス大会に参加。(8月)
チュニスでのIGCに参加し、日本のインターネット・カフェについて報告した。学会期間中は学会出張扱いだったが、会議終了後、私費で滞在期間を延長し、フランス、スペイン、ベルギーを回った。
[発表の英文要旨][チュニジア日記]
- iBook G4 がクラッシュ。(11月)
2005年1月に個人研究費で購入して愛用していたiBook G4 が、最終的に修理不能なレベルでクラッシュしてしまった。運悪く、まとまった研究費が残っていなかったので、急遽、私費で中古品を新宿のソフマップで求めた。来年度になったら、新たにノート型を購入しなければと考えている。
- 第3回韓中日地理学会議に参加。(10月)
韓国・清州市で開催された第3回韓中日地理学会議に参加した。事前に、この学会の背景を山口大学の荒木一視先生から聞いておいたので、こうした国際会議の運営の難しさについてもいろいろ考えさせられた。期間中の食事の充実ぶりは特筆すべきことだった。
[韓国・韓中日地理学大会参加日記:2008年10月7日〜14日]
- 『唐津新聞』について、唐津市で現地調査。(6月/9月)
個人研究助成費を得て、適切なフィールドを探している中で、『唐津新聞』の廃刊、つまり、唐津市から日刊地域紙が姿を消したことを知り、さっそくインタビューに出向いた。その後も関係者への聞き取りや、図書館に籠っての作業などをして、原稿を一本まとめた(2009年の速い段階で出る紀要に掲載される運び)。
[唐津新聞社]...新聞は廃刊となったが、会社は存続している]
- 九州大学大学院で集中講義。(1月)
六本松地区にある大学院比較社会文化学府で、ポピュラー音楽論の集中講義を行った。内容は、日本のポピュラー音楽史。これを機会に、パワーポイントをしっかり組んだので、4月からの「音楽文化論」の授業でも、それを下敷きに使った。
ちなみに、六本松キャンパスは、父の実家の近くであり、父も通った場所である。父の実家は、今も伯父伯母が戦前に建てられた家を守っている。九州大学のキャンパス再整備の関係で、六本松校地は近く売却されることになっているが、その最後に近い時点で集中講義に呼ばれたというのも、何かの因縁であろう。
- 体育会フェンシング部の部長となる。(4月〜)
体育会に所属するフェンシング部の部長を、経済学部の安川教授から引き継ぐことになった。もちろん、競技経験は全くないお飾りの部長だが、現役、OB会の諸先輩、大学事務局の間に立って、それなりにやるべき仕事があるようだ。
- <この項目は当面公開しません>(12月)
- 久々に「経済地理」を担当。(4月〜)
もともと研究上の専門に近い科目のはずなのだが、教歴の中で「経済地理」を教える機会は、決して多くない。1995年に日大商学部で担当したのが「経済地理」の最初の教歴で、その後、東経大で1996年、2000年に担当したことがあるだけだ。
今回も、いろいろな事情が重なって前年度末ぎりぎりで担当が決まった。
- 1年生の半数と3科目で付き合う(通年)
コミュニケーション学部では、1年次の必修性が高い科目(単位を取らなければいけない必修科目や、単位取得できなくても卒業はできるが履修が義務づけられている履修必修科目)の多くを、学年全体を二分割し、学生からは教員を選べない形で二人の教員が担当する、という形で運営している。ここのところ山田はこうした科目を分担することが多く、2008年度は「コミュニケーション論入門」を川井良介先生と、「メディアリテラシー入門」を山崎カヲル先生と、「社会調査入門」を池宮正才先生と分担した。
ところが、どうしたわけか、2008年度入学生の半分は、この3科目すべてが山田の担当という配当になっていた。こんなことは初めてである。最初は気づいていなかったのだが、学生からの苦情めいたコメントでこれに気づき、学務課の担当者にはこうしたことが将来無いように注意してほしいと要請した。この<山田クラス>漬けになった諸君の中には、共通教育科目の「メディア表現a/b」も履修していて、述べ5科目(10単位分=通年換算2.5コマ)が山田の担当という者もいた。
山田が選んだ世間の「十大」ニュース
- 金融危機を契機とした経済の全面的後退。
サブプライム・ローンの問題から、米証券大手リーマン・ブラザースが破綻し、さらに全世界的な景気後退が起こった。麻生首相は「いわゆる百年に一度の不況」というが、実際は「一世代に一度」くらいのものだ。
- 米大統領選挙でのオバマ候補の勝利。
「黒人初」の意義の大きさは否定すべくもないが、正確には「非=純粋白人」初とでもすべきだろうか。特に、本選挙でのマケインとの選挙戦が半ば消化試合気味に感じられたほど激しかった、民主党候補選出の予備選挙は、展開も劇的で、大変興味深かった。
- 高校生ゴルファー石川遼の活躍。
何十年に一度という才能なのだろうし、十代で大人に伍して戦い、1億円プレイヤーというのだから、とりあえず日本における他の(ギャンブルスポーツを含めた)あらゆるスポーツの中でも、めったにある事ではないと思う。加えて、タレント並みの容姿や優れたファッション性という意味でも、いわゆる「オーラが出ている」というのも、もの凄い。
- 秋葉原無差別殺人事件。
事件そのものの衝撃も大きいが、派遣労働者の問題、CMCを介した社会関係、トリアージュや救急搬送体制の問題など、様々な方向で問題が広がったことに重みを感じる。
- 大阪・個室ビデオ店放火事件。
たまたま、インターネット・カフェについての学会発表との関係で、類似業態である個室ビデオについても、資料を見ていた時期に起きた悲惨な事件だった。ネット・カフェでは何度も泊まったことがあるが、個室ビデオには入店したこともないので、内部の構造などの問題が詳しくわかった。
- 小室哲哉の逮捕。
小室哲哉とは同年齢なのだが、逮捕されて改めて、絶頂期の彼が凄まじい生活を送っていた事を、報道を通して認識した。ちなみに、やはり同年齢のマイケル・ジャクソンも、絶頂期に手に入れた資産の多くを失い、負債に追われている。金額の桁は3桁くらい違うが、他人事ではない部分もあるかもしれない。
- 石油価格の暴騰と急落。
石油価格に限ったことではないのだが、食料、住宅ローン、株、等々がすべて連動するという観点に、ある種の乱暴な実感をもたされた。世界中の商品がルーレット同然になっているという感覚は、貴重な経験だった。しかし、一番ひしひしと直接の影響を感じたのが、ガソリン価格であった事は間違いない。
- 解散風の迷走。
ねじれ国会と政権たらい回し(福田→麻生の政権交代)を受けて、夏以降はずっと解散風が吹いているような雰囲気だった。役所を辞めて出馬を表明した知人は、秋口に事務所を開いたものの、長期戦に転じたのを見てとって、維持費のかかる大きな事務所から、小さいところへ引っ越した。このまま2009年秋まで先延ばしになるのだろうか。ちなみに、2008年は政権交代もあったのあだが、それ自体は、特に意味を持っていないように感じた。
- 中国製餃子の食品汚染事件。
死者まで出た重大事件だが、結局うやむやになってしまった感が強い。「食の安全」といえば、食品偽装という話が定番化している(2008年もいろいろあった)が、意図的な毒物の混入というだけに、深刻さの度合いは深い。中国国内の事件ではあるが、メラミン混入のミルクというのも、同様の深刻さを感じさせる。
- 「おバカ」キャラ・ブーム。
『クイズ! ヘキサゴンII』から生まれた3人組の「羞恥心」や「Pabo」は、公約通り(?)紅白にも出場した(橋下徹大阪府知事の誕生といい、島田紳介の影響力の大きさを改めて認識させるエピソードでもある)。それのみならず「おバカ」という表現が一般化し、「おバカ」キャラのタレントがもてはやされた。
- 番外:野茂英雄の引退。
パイオニアとして突出した存在であり、日米で実績を残しただけでなく、現役にこだわり続けた最後の数年間の姿勢が素晴らしいと思う。
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