10回目の韓国行きは、清州大学を主会場に開催された第三回韓中日地理学大会への参加を目的とする学会出張に、私費で滞在期間を延長した旅でした。今回は、パートナーと二人で移動しましたので、文中にある料金のうち、食事代や宿泊費は二人分の金額です(ただし、宿泊費については、韓国では一人でも二人でも金額に大差がないことの方が普通)。1000ウォンは125円くらい(1円=8ウォン)です。 (2008.10.18.公開/2012.04.04.修正) | |||||||||
■ 2008/10/07 (Tue) 成田から仁川へ、ソウルへ KE704機中,ソウル 新宮荘旅館, ソウル・仁寺洞 |
久々の大韓航空のフライト(KE704)は、がらがらに空いていた。もし長時間のフライトだったら、空いている中央の席を占領して横になっていたかもしれない。前夜は、発表用のパワーポイントの準備であまり寝ていなかったので、フライト中は食事のとき以外はほとんど寝ていた。 仁川空港で降りるのは3回目、ここで入国するのは2回目だが、その度に少しずつ変化があり、この空港が大ハブ空港として常に拡張と整備を続けていることがよく分る。今回は初めて、まだピカピカの空港鉄道 A*REX で、仁川空港から金浦空港まで移動した。料金はひとり3,200ウォンだった。 帰国便が14日の朝早くなので、13日の宿の見当をつけようと思い、金浦空港から久々に松亭駅まで地下鉄ひと駅分を歩き、途中で25年前に初めて韓国へ来た時に泊まった「空港荘」という安宿がまだ営業していることを確認した。松亭駅の近く露店でバナナを2,000ウォンで買う。日本ではこのところ朝食バナナのダイエットがブームになっていて、バナナが品薄だが、久々に安心価格でバナナを買った感じだ。地下鉄で鍾路3街駅まで1,300ウォンで行き、ソウルで定宿にしている安宿「新宮荘」にたどり着く。規定で1泊3,5000ウォンを30.000ウォンにしてもらい、二階のベッドの部屋309に通された。 しばらく休んで、発表準備の続きをしてから、夕食をとりに梨泰院のハードロックカフェ・ソウルに出かけた。ハードロックカフェは以前は江南にあったのだが、しばらく休業していたものが、場所を移って再開された。安國駅から薬水駅で乗り換え、梨泰院駅まで1,000ウォン。降りるとすぐにハードロックカフェである。この立地は、世界中のハードロックの中でも、地下鉄の出口から最も近い部類に入ると思う。ハミルトンホテルの地下に今年新装開店したばかりの新しいソウル店に入るのはもちろん初めてである。ちょっとだけ地上のマーチャンダイズ店を冷やかしてから、地下のレストランへ下りた。平日とあってレストランは閑散としており、客の過半は白人で占められている。入口周辺からうけるこじんまりした印象とは対称的に、奥行きがかなりあり、靴を脱いで上がる、小上がりのような席があったりして、結構広い店になっている。ちなみにマネージャー氏は清州出身ということだった。食事はシーフード・スパゲティとコブ・サラダで40,000ウォンちょっとになった。ちょっとしたトラブルがあって、デザートのアップルコブラーを無料でサービスしてもらった。食後に地上のマーチャンダイズ店に上がり、旧ソウル店(江南)のシティTシャツのデッドストックと、缶バッジとエコバッグのセットなど、22,000ウォンほどの買物をする。連れは店員のお兄さんとピンの交換をしていた。 連れの体調が優れないこともあって、ハードロックカフェ以外はどこにも寄らずに安國駅までもどり、セブンイレブンで飲み物とキムパプなどを買って、宿に戻った。連れはシャワーも浴びずに寝てしまったので、こちらもパワーポイントの作業を続けたが、途中で目が辛くなって来て、休むことにした。深夜2時頃だったかと思う。 | ||||||||
■ 2008/10/08 (Wed) 清州に入る:大会第一日 ソウル、清州 ホテル・シネマ, 清州・牛岩洞 |
連れの体調が朝から悪いままなのと、こちらの作業がなかなか順調に進まないこともあって、朝はずっと部屋にこもって、昨日買ったバナナやキムパプで朝食を済ませた。11時を回ってから宿を出て、安國駅から南部高速バスターミナル駅まで移動する。ひとり1,100ウォン。昼食をターミナル内でとることにして、清州行きのバスを少し後の、13時30分発の便にしてチケットを買う。この路線は、時間によってバスの種類があり、5割ほど値段が高いデラックスバスも走っているが、標準料金 6,100ウォンのバスにした。 昼食は、以前、早朝に入ったキムパプ屋の隣の店に入り、連れと二人で、ナムルビビンパとキムチスープのおじやのようなものをとって、分けて食べた。合わせて10,000ウォン。満腹かつ大満足の昼食だった。 食後にバスの車中で食べる菓子と飲み物を買い、バスに乗り込んだ、陽の当たる席だったので、カーテンを閉め、しばしまどろむ。ひと眠りするうちに90分ちょっとで清州のターミナルに到着した。120km余りの距離はあるはずなのだが、やはり韓国の高速バスは速度が速い。ターミナルを出て、近くのダンキンドーナツの店で一息入れる。連れを店に残して清州大学に近い今夕のレセプション会場までの行き方を確認しようと思い、交差点にいた警官に声を掛けたのだが、最初のひとりは英語が通じない。そこで仕方なく、少し離れたところにいた、少しだけ偉そうなもう一人に声をかけると、何と清州大学の英文学科出身という人物で、バスでも行けるがタクシーの方が無難だということで、近くのタクシー乗り場の場所を教えてもらった。 店を出てタクシーに乗り、レセプション会場になっているビュッフェ・レストランへ向かう。目的の場所はシティバンクが入っているビルの地下だった。タクシー代は5,500ウォンだったので、おつりのコインはチップにする。4時からはここに受け付け窓口があるはずなのだが、まだ準備が整っていない様子だった。先に店内に入り、しばらく待っていると、ようやく4時半少し過ぎに受け付けをしてもらえた。ここで、登録料350,000ウォンと、連れの同伴者登録料150,000ウォンを支払う。連れを店に残して、宿の確認をするために歩いて3分ほどの宿へ向かうと、ちょうど日本人参加者の一団がレストランへ移動しようとしているところだった。結局、部屋は後にならないと確定しないということになり、他の日本人参加者と一緒にレストランへ戻った。
8時近くに食事はお開きとなり、他の日本人参加者たちを宿に戻る。まだ元気があって二次会へ行く人たちもいたが、連れの体調が悪く、こちらの明日の発表準備もまだまだ不十分なので、自重して部屋に入る。708号室。この宿は、入口は日本のラブホテル同然で、部屋の設備にもそういう感じのところもあるが、インターネット接続されたPCがあり、作業環境としては悪くない。結局、少し仮眠しただけで、パワーポイントをいじり、途中で風呂に入り、少しテレビを見たりしているうちに、3時頃になった。そこで、ベッドに入ったのだが、どうやらそこで蚊に刺されたようで、かゆみで眠れなくなってしまった。風呂に入り直し、ようやくベッドに入り直したのは6時頃だった。 | ||||||||
■ 2008/10/09 (Thu) 自分で座長をしながら発表:大会第二日 清州 ホテル・シネマ, 清州・牛岩洞 |
午前中に二つ、午後に三つのセッション時間帯が設定されていて、2会場なので、一日で10セッションということになる。最初の時間帯は二つの会場を行き来したが、落ち着いてちゃんと聞けないことを悟り、二つ目の時間帯からは地下の第一会場に貼り付いて、発表を聴く。製造業を中心とした経済地理、地域開発がらみの話が多い。あまり質問が出ない中、知識産業がらみの計量手法による発表には質問もしてみた。 昼食は、受け付けでもらった食券をもって学食で韓定食を食べる。伴食の品数も多く、楽しく食べた。 午後最初のセッションは、座長が当たっていて、しかも自分の発表が最初という配当になっていた。いろいろ不具合があって、A先生からパソコンを借りて発表したが、何とか形になってほっとした。以降、美作市の女子サッカー・チームを通じた地域活性化の話、広東省の中小企業の技術革新にかんする意識調査、中国東北部などの鉱山都市の統計分析と発表が続いた。セッションの開始時に発表者の一人がいなかったので、少し遅れ気味に進行していたら、ぎりぎりのところで発表者が到着したので、セッションの最後に回ってもらい、結局10分ほど時間を超過した。最後の話は、中国で韓国企業(三星)がCDMA関連で行っている直接投資についての報告だった。セッションが終わったところで、建物の外で集合写真を撮るということだったが、それには行かず、飲み物をとるだけで引き続き第一会場の話を聴く。自分の座長が終わってほっとしたのか、なかなか英語が頭に入ってこない。大統領選挙の公約で景気の良い大規模運河の建設などがぶち上げられることへの批判、原発廃棄物処理地選定の話など、肝腎なところが今ひとつ頭に入らなかった。それでも、コーヒーブレイクを挟んで前後で聞いた地域政策がらみの発表には、それぞれ学ぶところがあった。最後のセッションの北京の環境についての住民の意識調査の分析では、ちょっと納得がいかない解釈があったので、やはり質問をした。久々にアジア人の英語ばかりずっと聞いていたので、最後の方にはヘトヘトになった感じがした。 全てのセッションが終了して、6時を過ぎてから、大学正門に近い店に案内され「トンカス」などを皿に盛った夕食をとる。食事後は、歩いて宿に戻ったが、途中で合流した日本人参加者の面々でどこかへ行こうということになり、部屋に荷物を置いてから再集合し、近くの「アリババ」というホフ(ビール酒場)に十名余りで入って二次会となる。さらに、ホテルの部屋にT先生、A先生や、中国朝鮮族のK先生に来てもらい、10時過ぎまでいろいろ話し込んだ。 連れが先に寝てしまったので、風呂に入り、シャツなどを洗濯する。風呂から出て椅子に座ってそのままウトウトしていたら、背中や腹を、また蚊に刺されてしまった。しばらく、パソコンをいじってから夜中の1時過ぎに休む。 | ||||||||
■ 2008/10/10 (Fri) 清州巡検:大会第三日 清州、大清湖 ホテル・シネマ, 清州・牛岩洞 |
昨夜は、前夜と同じように、夜中にまた蚊に刺されて目が覚めた。テレビを点けたら4時のBSニュースをやっていた。風呂に入り直し、しばらくインターネットをして、6時少し前に再び眠ったのだが、次に目が覚めたら既に8時を回っていた。バスはもうないはずなので、慌てずに準備し、9時過ぎにホテルを出て、住宅地の坂道を勘で上りながら、進んでゆくと、何とほぼ最短距離のコースで会場にたどり着いた。 キムパプとスポンジケーキとコーヒーで朝食を済ませ、第一会場に入り、発表を聴く。中国の工業化や都市化に関する話は、細かいところがなかなかピンとこない。オンラインゲームの景観表現が少年の空間認識に影響を与えるのではないかという話は、以前似たようなテーマの話をIGCソウルで聞いた覚えがあったが、どうやら韓国においてはかなりリアルに感じられる話らしい。午前中の最後には、第一会場で全体の総括セッションがあり、来年は中国・広州で開催されるそうだ。この東アジア三か国の集まりは、最初の2回が若手の交流に重点を置いたもので、今回の韓国でははじめて「若手」という条件が外れたのだが、来年は再び若手中心のコンセプトで運営されるということだ。この辺りは、三か国の関係者がこの集まりをどう位置づけたいのかというところで、微妙に意識にズレがあることを反映しているようでもある。 午前中でセッションはすべて終わり、全員でバス2台に分乗して、先ず市街地の中心にある公園に向かい、公園に面した韓国食堂で昼食をとった。この辺りで少し雨に降られたのだが、朝、軽装で宿を出てしまったので連れが寒いと言い出した。いったん昼食会場に入ってから、近くの店に買い物に行き、連れにパーカーと傘を買って戻った。昼食の席では、ちょうど韓国のI先生、R先生の前だったので、いろいろと話がはずんだ。
次に移動した韓国陶磁器(会社のロゴがホンダにちょっと似ている)の工場では、まず、企業紹介ビデオと工場責任者の話を聞いた。この会社は韓国で首位、世界でも3位の陶磁器生産者で、韓国内7カ所のほか、インドネシアの3カ所に拠点を構えているそうだ。この工場の売りは、通常製品よりも牛骨成分が多く、装飾にも金を贅沢に使ったという高級ボーン・チャイナで、茶器のセットひとそろいで20万ウォンというものもあるそうだ。話のあと、作業現場の中を歩くような形で工場見学が出来た(工場内は撮影禁止)。工場内で作業をしているのは、ほとんどが中年女性で、手作業の検品、研磨、絵柄の貼付け、梱包といった部分が目立った。それ以外の成型、焼き入れ、冷却等は、自動化されている。ラインには日本製の機械が目立った。工場から出てバスに乗り込むと、お土産の絵皿がひとり一枚配られた。 バスが次に向かったのは、忠清北道と大田広域市の境にあるダム湖・大清湖である。この大清ダムは、水利・発電・治水などの多目的ダムとして1970年代に建設され、後に景勝地として全斗煥大統領の時代に大統領の山荘「青南台(チョンナムデ)」が建てられたりもした場所であるという(展望台からはその別荘は見えないようになっている)。ここで奇妙な交通標識を見かけたので、K先生ら地元の先生方に何の標識か尋ねたのだが、皆「初めて見た」ということだった。まさか、「車両火災禁止」とかではないだろうから、ニュアンスとしては「無謀運転厳禁」ということだろうか。 バスは展望台から少し戻って、ダム湖に沈んだこの地域の村から移築した歴史的建築物を集めたと言うムンウィ民俗村へ移動した。もちろん規模は小さいが、藁葺きの農家から城門まである、ちょっとした規模の民俗村である。ここで20分ほど見学してまわる。建物もさることながら、水没地区から集められた石碑の類が並んでいる一角が印象に残った。ひと通り見学して駐車場に戻り、いざ出発となったのだが、われわれが乗り込んでいた2号車が、ギアの故障らしく動けなくなってしまった。急遽、1号車に移動して、通路に立った状態で山道をゆられながら移動し、山中の観光地「サンタン山城」(登山口?)での夕食となった。「チャンスジャン(長寿荘?)」というL字型配置の民家をそのまま流用したと思しき店で、サムゲタンが振る舞われたのだが、事前に「食べられない人はいるか?」という問いかけがあったので、手を挙げておいたら、テンジャンチゲとビビンパが出て来た。なかなか美味。 食後は、代車の2号車が到着していたのでそちらに乗り、9時頃には、ホテルに帰着した。少し置いて東北大の院生諸君らとどこか近くに行こうという話になったのだが、連れの体調が悪くなったこともあり、院生諸君や他の先生方も集まっていた近くの焼肉店に少し顔を出したものの、すぐに部屋に戻った。10時過ぎには消灯して就寝。
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■ 2008/10/11 (Sat) 臨津江ごしに北を望む ソウル Crown Hotel, ソウル・仁寺洞 |
未明に、またまた蚊に刺されて目が覚める。パソコンを点けると3時を少しまわっていた。5時間は寝ている計算なので起きることにする。しばらく部屋の明かりは消していたが、連れがいったん目覚めたので点灯した。しかし、しばらくすると連れはまた寝てしまったので、その間に近くのコンビニ「GS25」に出かけて、夜食か朝食にするつもりでパン類とキムパプなどを買ってきて、そのまま日記をつけたり、いろいろ作業をしながら朝まで起きていた。7時半頃、連れを起こし、こちらは風呂に浸かって眠気を払い、8時の集合時間に間に合うように部屋を出ようとした。ところが、連れが準備に手間取って間に合いそうもなくなってきたので、鍵の返却を任せて、先に自分の荷物だけを持ってバスに向かった。幸いというべきか、案の定というべきか、定刻になってもまったく姿を現さない参加者がいたので、荷物を預けて再度ホテルに戻ると、連れがちょうど出て来るところだった。連れの荷物も預けて、バスに乗り込み、最後列に座る。 定刻を少し遅れて出発したバスは、市街地を抜けてすぐに高速道路に入り、「オチャン(梧倉)」SAで朝食に「うどん」を食べた。これは「ククス」ではなく、日本風というふれこみだったが、おまけで薄っぺらい練り物を串に刺した「おでん」が入っていて、思わずラーメンズのネタを思い出した。朝食後は満腹感も手伝って、そのまま1時間半ほど眠る。どうやらその間、バスはソウルの中心市街地を避けて東側を回り込む高速道路に乗り、ソウルの北側に出て来ていたようだ。
展望台を出発したバスは、坂道を下りて来た麓の、ドライブインが集まっている一角に入り、ここで昼食となった。一行のほとんどは家鴨肉の料理を食べにいったのだが、予め鶏肉は避けたいと言っていたので、隣の店に行くように言われ、バスの運転手と案内役の学生、やはり鶏肉を避けたいと言った中国人の女性のX先生の四人でテーブルを囲んで、魚のすり身のスーズを昼食にした。甘味があってなかなか美味である。この店で立ち働いていた女性が、実は中国人であることが途中で分り、彼女はX先生とは中国語の会話をしていた。食後は、向かいの店にいる連れのところへ行き、席が空いていたので、最後に出て来た粥を一緒にもらう。なかなか重い昼食となった。 昼食後、バスは臨津閣へ向かった。臨津閣は、事前に想像していたイメージとは大きくズレた行楽地で、遊園地の施設と子どもの姿が目立った。明日はマラソン大会があるらしく、駐車場にはステージの用意がされていた。ここでは臨津江に架かる京義線の鉄橋跡と、現在の鉄橋が並ぶ姿を見る。鉄条網の前にある看板を図柄に入れて写真を撮ったら、「撮影禁止」と書いてあったという漫画のようなこともした。 3時頃に再びバスで出発し、途中で渋滞に巻き込まれたりしながら、1時間あまりでワールドカップスタジアムの前に到着した。ここでバスを降り、隣接地にある「ナンジチョン(蘭芝川)」公園に登った。ここは元々ゴミの山で、十年かけて緑溢れる公園にしたのだという。現在では異臭などは感じられないが、地中では今もメタンガスが発生しており、これをパイプラインで集めてプラントで利用するという仕掛けが地中/地表に仕掛けてあるそうだ。秋の行楽日和の土曜日とあって、たくさんの人出があってごった返していた。丘の上まで出ると、「すすき祭り」の期間中ということで、一面のすすきとコスモスを前に家族連れやカップルやお年寄りなどがたくさんいて、お弁当を広げていた。登りは緩やかな長い坂を上がったのだが、帰路はスタジアムを見下ろし、ソウルの中心部を眺望する急な斜面に仮設された階段を、将棋倒しを防ぐための交通整理に従いながら、ゆっくりと下りていった。 バスに戻った頃には、すで日が陰り始めたのだが、やがてソウルの中心部、忠武路の東亜日報前、清渓川の起点のところでバスを降ろされた頃にはすっかり日が暮れていた。さほどの数でもない高校生たちが、全国統一考査への反対集会をやっている横を抜けて、清渓川の起点付近を見て回るということだったが、連れと二人で別行動をとり、清渓川沿いには降りず、道から見下ろすような形でひとまわりした。 バスに戻り、ホテルの部屋割りの案内と夕食の段取りが説明された。バスは鍾路を東へ進み、3回右折して、クラウン・ホテルの入口で全員を下車させた。K先生の案内で、日本人参加者の大部分が泊まるクラウン・ホテルまで歩く(といっても、目と鼻の先だった)。部屋に荷物を置くだけで、直ぐにロビーに下りてゆき、全員が揃ったところで、仁寺洞の「ヤンバングワン(両班館?)」へ行き、大韓地理学会会長L先生のおごりという、打ち上げの宴会に参加した。途中で「爆弾酒」というビールにショットグラスの焼酎を沈めるという飲み物の一気呑みが始まって(呑むのを断るのに)やや難儀をしたが、結局は連れに代わりに呑んでもらった。何とか無事に10時の閉店時間までで一次会を終えることができ、これで学会の公式行事はすべて終了した。 その後、A先生や若い参加者たちと、鍾路の屋台を何軒か冷やかしてから「Xebec」というホフ(ビール酒場)に入り、おつまみとフルーツに3リットル入りピッチャーのビールで、2次会を深夜0時過ぎまでいろいろ話し込んだ。 二次会終了後は、一次会会場近くのホテル・サンビーに行く数人を仁寺洞十字路まで送り、それからクラウン・ホテルに戻る。部屋に帰着した後は、風呂にも入らず、すぐに休んだ。 | ||||||||
■ 2008/10/12 (Sun) 定宿へ移り、市場をめぐる ソウル 新宮荘旅館, ソウル・仁寺洞 |
学会の公式日程が終了し、今日の予定は何もない。朝はゆっくり寝坊する。 10時ころに朝食に出かけ、鍾路から仁寺洞に入る角近くにある「キムパプチョングク(のり巻き天国)」で、連れはソルロンタンを、こちらはテンジャンチゲを食べる。食後、昨日バスから見かけた鍾路から少し南へ入った場所のミスタードーナッツの店(011号店)に入り、韓国にしかないフルーツ・ドーナツを食べて、ふた息くらい入れる。 朝食とデザートも終わったところで、ぼちぼち店が開き始めた仁寺洞をぶらぶら歩き、土産物店などを冷やかしながら、壁面だけの古書の店では昔の国立博物館の日本語カタログなどを買ったりしながら、定宿の新宮荘旅館に向かう。新宮荘では、最初の日に泊まったのと同じ309号室に入る。受け付けのところに貼られた料金表示では、今日は一泊40,000ウォンになっていたが、前回同様30,000ウォンで泊めてもらえることになる。既に11時を回っていたので、急いでクラウン・ホテルに戻り、荷物をとってチェックアウトして、新宮荘の部屋に運び込み、直ぐに出かけることにした。
少し歩いて東大門市場方面に向かう。途中で、トラックを道端に停めた果物売りからバナナを2,000ウォン買ったのだが、そのときふとその先の風景を眺めて、野球場と運動場が無くなっていることに気がついた。改めて見ると、巨大な空白である。昨年、上の階から写真を撮ったファッション・ビル「ミリオレ」に行って見下ろそうと思い、近づいて行ったのだが、途中で少し寄り道して、路上の商人からまた冬物衣類を買った入りして時間を食い、ミリオレにたどり着いたのは3時半頃だった。 昨年と同じように、フードコートになっている9階まで上がり、最初は遅い昼食にしようとしたのだが、窓際の席は喫茶用であることが分り、これまた昨年同様にかき氷を注文して、競技場と野球場の跡地が更地になり、また城壁遺構の発掘調査らしき作業(ただし、ショベルカーを使っている)をしている様子を眼下に捉えた。ところが、ふと気がつくと、われわれの席の背後で、フードコートの各店の客引きのおばさんたちの間で、もの凄い勢いの口論が始まっていた。特に激しく言い争う二人がいて、そのうち一人の手には、何かの証拠にするつもりなのかビデオカメラが握られている。もう一人のおばさんも仲裁しているのか、口論に加わっているのか、とにかく今にも掴み合いが始まりそうな剣幕だ。はっきり言って、かなりビビった。 二人前の「カップルパッピンス」を平らげて、地上に降り、ファッションビル前や、道路の反対側の運動場跡地前にたち並ぶ屋台を冷やかして回る。揚げパンを買って齧ったりした後で、屋台の裏に簡単な席を作ってあるところでトッポギと冷麺を食べた。この後、南平和市場あたりで衣料品の投げ売りを冷やかし、いったん東大門に出たのだが、連れの趣味でこれまでも訪れることがあった玩具市場にも足を伸ばすことにして、ここでもさらに買い物をする。 結局、それなりの荷物になっていたのだが、まだ陽が残っていたので、鍾路までふた駅分ちょっと歩いて戻った。思ったよりもキツい歩きになってしまったが、7時過ぎに新宮荘に何とか帰着した。ここで、一息だけ入れ、再度出かけることにして、安國駅へ行き、薬水経由で梨泰院駅で降りて、ハードロックカフェ・ソウルに行く。前回と全く同じ席に通されて食事をしながら、連れと店員のピン交換に付き合った。帰りにはショップでシティTシャツなど、グッズの買い物もした。地下鉄の駅に降りて行ったのは11時半頃だったが、窓口で「安國、2枚」というと、切符を売ってくれない。どうやらもう終電が出たということらしい。仕方なく、地上に戻り、タクシーを拾うことにする。 ソウルのタクシー事情は訪れるたびに結構変化している。昨年は、韓国語に堪能な同僚がいる場面でしかタクシーは使わなかったので、何も考えずに安心して乗り、また料金も安心価格だったのだが、過去にはメーターと無関係な金額を要求されたこともあるので、少々警戒しながらタクシーを選び、連れを後ろに入れて自分は助手席に乗り込み「仁寺洞まで」と言ってみた。地図を見ると、南山の下のトンネルを使うようなら、わざと迂回はしていないと判断できそうだったので、タクシーがその方向へ向かった時にはちょっとほっとした。結局、仁寺洞の交差点まで4,300ウォンで戻れた。これは本当に最短距離だろう。運転手には、10,000ウォンを渡して、5,000ウォンだけ釣りをもらった。 部屋に戻ってからは、連れが荷物を整理し、こちらが少し日記を付けたりしているうちに連れが疲れて寝てしまったので、こちらも眠気が来たところで寝た。 | ||||||||
■ 2008/10/13 (Mon) カニ鍋からホルモン焼きへ ソウル 空港荘モテル, ソウル・金浦 |
今日は連れの希望で、水産市場を見物するため漢江左岸の鷺梁津(ノリャンジン)へ向かう。仁寺洞の南西側にある一昨晩の宴会の場所だった店の名前を確認しがてら、その先の鍾閣駅まで歩いて行く。ここからは、地下鉄で乗り換えはなく、1,000ウォン。鷺梁津駅はもともと国鉄の駅で、出口は南側にしかないが、そこから跨線橋を渡り直して北側に行くと、水産市場の屋上に出るという具合になっている。 水産市場といっても、競りをやっている卸売市場が見られるわけではなく、水産物を扱う小売りの区画が無数に並んでいる大きな建屋の屋内市場に、乾物などを扱い店の集まり、野菜や包丁を扱う店の集まりが加わって構成されている。店で買った魚を、そのまま場内の食堂に持ち込んで刺身にして食べることも可能なようだ。大ダコ、エイ、大小さまざまな貝類、ヒラメ、鯛、其の他諸々の魚類や水産物が、生け簀の中にいる。奥の一角には、タラコや明太子の類ばかりを扱う、同じような商品構成の店が並んでいる。自家用と土産物を兼ねて、1kg 分の明太子を買って、その場で瓶に詰めてもらう。 結構時間をかけて場内をひとまわり見た後、11時半頃に建物の二階にある食堂の一つに入り、カニ鍋で早めの昼食にする。二人前で22,000ウォンだった。連れは「ケジャン」というカニのしょうゆ漬け料理が食べたいと言っていたのだが、結局それは、この辺りの食堂にはなく、「ケジャン」というのも、料理の名ではなく、単に「蟹」という意味だった。 12時半ころに市場を出て、市内に戻るために駅へ行く。構内で売っていたトウモロコシの姿を型どった焼き菓子(クリームの入ったスポンジ様のもの)を2,000ウォンで買ってつまみながら、地下鉄でソウル駅まで行く。ここから南大門市場へ歩いていったのだが、先だっての放火で全焼した南大門は囲いに覆われ、囲いには南大門の写真がプリントされていた。今回の放火と関係があるの、大規模に周辺の発掘調査が行われているようで、関連する標識なども立っていた。問の南東側に回ると囲いの一部が、アクリル板か何か透明な素材になっていて、南大門の修復作業が少し覗けるようになっていたが、眺めた時には、特に具体的な作業はしていなかった。 1時少し過ぎに到着した南大門市場では、衣類や文具など、もっぱら連れの買い物につきあった。到着したときには、通路は歩き易いというか何となく空いていてちょっと違和感を感じたのだが、これは交通規制との関係で路上の露店がまだ少ないせいだった。しばらく見ているうちに、露店の数は少しずつ増えていった。 その後、明洞に移動して、ミスタードーナッツに入ろうとしたのだが、しばらく探しても記憶に残る場所辺りには見あたらない。どうやらなくなってしまったようだ。さすがは韓国一のオシャレな街だけあって店舗の回転も速い。もちろんミスドは韓国から撤退したわけではなく、前日入った鍾路の店のように新規出店もしている。明洞では、連れの気に入っているブランドの店で買い物をし、ガイドブックに載っていた(連れが食べたがっていた)カニ料理の店の場所を確認し(次回ソウルに来る時には来ることになりそうだ)、あちこち見て回った後で、3時半ころ、クリーミー・クリームというドーナツ屋の店で、しばし休憩する。ここには、以前渡米の際に連れが気に入った「アリゾナ」の缶アイスティーがあり、抹茶オレや紅茶も飲み、ドーナツやグッズも何だかんだと買って、けっこう長くいすわった。 一休みして、少し元気を出したところで、教保ブックセンターへ行こうと思い、北へ歩き出したのだが、途中のビルの地下に「ヨンプン文庫」があるのを見つけ、入ってみた。しばらく社会科学の棚を眺め、韓国の新聞史や新聞事情についての3冊ほど買い、連れも手芸の本を買った。少しだが荷物が重くなったこともあって、教保へは行かず、このまま新宮荘に向かうことにした。鍾路まで戻って来たところで連れの希望でマクドナルドに入り、ブルゴギ・バーガーを食べる。 新宮荘に着いたのは6時半頃だった。預けていた荷物を引き取り、少し詰め替えをして、亭主に挨拶する。「次は来年二月に」と片言で言うと、名刺を出して来て、eメールしろと、アドレスを示した。いつの間にかこの安宿も、インターネットでの予約に対応しているのだ。なかなか侮れないものである。 安國駅から鍾路3街駅で乗り換えて、松亭駅で下車し、舗装工事中で荷物を曵くのに苦労しながら、金浦空港門前の空港荘にたどり着いた。既に8時になっている。2階のフロントに上がって手続きし、311号室へ入る。先週、値段を確認した時には40,000ウォンという話だったが、35,000ウォンで済んだ。割り当てられた311号室は、そこそこ広いオンドル房で、風呂もステンレスの湯船があったが、窓がない(廊下に面した高い一だけに窓がある)部屋で、これでは自然光では朝になっても分らない。ひょっとすると、この部屋しか残っていなかったので、安かったのかもしれない。 荷物を部屋に下ろして、直ぐに部屋を出て、空港鉄道の駅まで歩いていってみた。ゆっくり歩いて10分くらい、荷物があっても十数分というところだ。駅では、仁川空港までは33分(特急は28分)、始発は5時台、6時以降は12分間隔で通勤電車が出ていることを確認した。食事ができるかもしれないと考えて、国際ターミナルビルの半分を占めている「スカイシティ」というアウトレットに足を伸ばしたが、買い物をするにも食事するにも今ひとつに感じて、松亭の街に戻ることにした。さっき歩いて来た道を、今度はだらだらと戻っていった。 連れが、コチジャンを買いたいと言っていたので、松亭で食料品店を探してみたが、それらしい店が見あたらない。表の通りから少し南へ入ったところにあるファミリーマートに入ってみたところ、幸運にも手頃な値段でコチジャンとテンジャンが手に入った。その辺りの店の様子をいくつか見て回り、とりあえず一番流行っている感じがした食堂に入る。入ってみると、ほぼ満席だったが、すぐにテーブルにつけた。ところがメニューがよく分らない、勧められるままにこの店のお勧めを頼むと、出て来たのはホルモン焼きだった。正直なところ、苦手な食べ物である。最初はギョッとしたが、手をつけてみるとだんだん面白い味だと感じられて来た。結局、何も残さずきれいに平らげたし、日本で食べた時の記憶よりもイヤな感じはなかったが、もう一度積極的に食べたいとは思わないなと改めて感じた。 表の通りに戻る角にバスキン・ロビンスの店があったので、口直しにアイス・クリームを食べる。日本ではサーティーワンにはほとんど入らないので、店内で見るものがいろいろ珍しく感じられた。 11時少し前に部屋に戻り、明日の出発に向けて荷物の詰め直しをする。昨日今日で結構な分量の買い物をして、荷物が膨れ上がっている。荷物を片付けてから、風呂に入る。消灯してしまうと、朝になっても朝日も入らないで起きないおそれがあるとおもったので、電気を消さず、テレビも点けたままで仮眠する。
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■ 2008/10/14 (Tue) 帰国 KE701機中 |
朝5時過ぎに目覚め、出発準備をする。鍵を返すとき、フロントの男性は椅子で仮眠していた。6時少し前にホテルを出る。外はまだ暗い。昨日下見した通りに鉄道駅まで荷物を曵いてゆく。昨日の段取りよりも少し早いペースで電車に乗り、7時までに仁川空港のターミナルに到着した。 フライトは9時15分なので、時間に余裕があった。ゆっくり搭乗手続きをし、出国手続をした後は免税店を覗いたり、軽食コーナーでうどんを食べたりして、集合時間の8時45分に搭乗口6番に到着した。ところがここで、連れが切手も貼ってある絵ハガキを投函しそびれていたことがわかり、急遽出国手続きを出てすぐの場所にあるインフォメーションまで戻って、投函を依頼し、慌てて搭乗口まで戻るというバタバタになってしまった。 機中では、軽食が出たので、その前後は起きていたし、一度はパソコンを出して日記を書こうともしたのだが、眠気が来たのですぐに断念し、結局フライト中は、ほとんどうつらうつらしていた。 無事、着陸して、帰国となったが、バッグの一つがずいぶんと汚れている、よく見ると、一部が破損もしていた。こちらは午後の授業があるので、京成で上野に向かうことにして、連れが残り、大韓航空にクレームを言いに行った。 (結局、保険でしかカバーされないとされて、破損の証明はもらったものの、実際に保険がおりる可能性は厳しいことが後で分った。破損事故そのものよりも、大観航空の事後の対応で、不愉快な思いをすることになったことの方が残念だった。またしばらく、大観航空には乗らないかもしれない。) |