私的ページ:山田晴通
山田が聴いている音楽(CD)
(2000年)
山田は、ポピュラー音楽についていくつか文章を書いていますが、聴いている音楽の内容は、決して専門的だったり、マニアックだったりということはなく、浅く広く、表層的です。
好きな音楽、コメントすべき音楽について触れていくときりがないので、ここでは、このページ作成作業をしているマックで山田がかけているCDの紹介を中心に、山田がふだん実際に聴いている音楽を、近況報告風に紹介していきます。
CD紹介は、書き込みが新しい順に並んでいます。( )内は、レーベルと発売年月日です。
このページでは、2000年に書き込んだ内容を保存公開しております。
///(1999年)///(2001年)///(インデックス)///
2000年
- 2000.12.26.記:作詞はピーター・バラカワ氏とのこと
- O.M.Y.『TECHNODERUCK』(PONY CANYON:1997.06.18.)
YMOのパロディとして、笑いの内に迎えられ、驚愕の進化を遂げたOMY。
以前、ここで言及したときは、ほとんど関連するページがなかったのだが、今ではネット上のあちこちに彼らへの言及が散在している。関連ページをサーフィンしていると、私よりずっと若い世代の聴き手が、よりよくOMYを理解し、楽しんでいることがわかる。
今日は作業をしながら、久々にOMYのアルバム数枚を引っぱり出して聴いていたのだが、やはり面白い。とりわけ完成度が高くシャレの域を越えているのがこの1枚である。
『変な人のぺぇじ』にあるOMYのページは、これで打ち止めではないか、と予想していたが、実際には昨年に、『Solo Works』が出ている。まだまだ需要はありそうだが、今後どうなるのだろう。
□公式ホームページ:O.M.Y.
- 2000.12.15.記:二十数年前は「下北沢サウンド」なんて言葉があったなぁ
- RIZE『ROOKEY』(エピック:2000.11.22.)
ギター・サウンドを軸にしつつ重低音で真っ向勝負という姿勢が伝わってきて、好感が持てる。全体にアップテンポ系の曲がよい。
タイアップCMで切れ味の良い響きが聴けた(4)「Why I'm Me」は、さすがにキャッチー。しかし、思わず「親父」の立場で歌詞を聴いてしまう自分がトホホである。
□公式ホームページ:RIZE-ON.net
- 2000.12.13.記:正しいオヤジ
- 関口和之 featuring 竹中直人『口笛とウクレレ』(ビクター:2000.11.22.)
全6曲でミニ・アルバムの扱い。ラジオでは、「オールナイトニッポン」のジングルとして名高い(1)「BITTERSWEET SAMBA」が良くかかっているが、それこそラジオ深夜放送全盛期?、つまり深夜放送であることが一つの特異な文化だった時代を知る世代にとっては、裏ジャケの二人のように情けなくニヤリとしてしまう選曲だ。(4)「LOVE」はモダンな印象の素敵な仕上がり。でも、白眉は(5)「私の青空」。肩の力が抜けた、正しいオヤジのための音楽である。
- 2000.10.24.記:美人は得だね
- 生田恵子『東京バイヨン娘』(ビクター:1999.10.21.[オリジナル録音は、1951-56年])
この一枚も、西村秀人さんの「行商」で入手した。生田恵子(1928-1995)はリアルタイムではまったく記憶にない。音源も、このベスト盤しか聞いていない。それでも、ただの新人歌手だった彼女が、1951年に日系人社会への公演のために渡伯し、彼の地で当時最高のスタッフとともに録音を残し、帰国後はブラジル音楽などのエッセンスを歌謡曲に盛り込んでスターになっていったというストーリーには興味深いものがある。
しかも、ブックレットに収められた彼女の写真の何と愛らしいこと! 特に2ページのポートレイトは本当に素敵だ。
彼女は、紅白歌合戦出場1回という勲章よりも、曲名(8)からとられた「東京バイヨン娘」という称号で、今でも多くの人々の記憶に残っている。田中勝則氏による愛情溢れる解説とともに聴き進めば、1950年代前半の雰囲気が立ち昇ってくるようにも思われる。
- 2000.10.20.記:ECDって何の略?
- ECD『ホームシック』(cutting edge:1995.03.01.)
このところ仕事に追われ、全く余裕がない、気がつくとこのページを更新していないだけでなく、CDをかける余裕さえ失っている。半ば仕事からの逃避気味に、昨日から意識的にCDをかけながら作業をしている。
ECDは、ラッパーとしてのキャリアはとてつもなく長い。今のシーンで言えば、長老格と言ったって間違いではないだろう。「今夜はブギーバック」の替え歌(ちゃんとクレジットは小沢ほかになっている)の(4)や、思わずニヤリとする(5)あたりも楽しいが、本領発揮は締めくくりの(8)(9)あたりだ。「アンチJラップここに宣言」。
□avexのサイトにあるページ:ECD
□ALLESのサイトにあるページ:1996年現在のProfileとInterview
- 2000.08.30.記:昔、比嘉栄昇に似ていると言われた
- BEGIN『ビギンの島唄 オモトタケオ』(BAIDIS/テイチク:2000.07.21.)
CDの背を見ると「オモトタケオ」というアーティストのアルバムかと思ってしまいかねないが、あの BEGIN のアルバムである。南沙織に続いて沖縄ネタというわけでもないのだが、夏場はこういう流れになりやすい。
BEGIN は、イカ天出身としては息長く続いているバンドだ。とはいえ、ここ2年はオリジナル・アルバムがないようで、今秋には新アルバムが出るらしい。所属するテイチクのサイトにあるディスコグラフィーでは、これまでに9枚のオリジナル・アルバムと1枚のベスト・アルバムが出たという扱いをしている(このほかファンハウスにオリジナル・アルバム4枚と、編集アルバム2枚がある)が、この『ビギンの島唄』は「オリジナル島唄アルバム」だそうで、(テイチク通算)10枚目のオリジナル・アルバムにはなっていないらしい。8曲入り2000円と、確かにフル・アルバムではないが、単なる「企画モノ」と扱うのは失礼な感じである。こういうのは、どう呼ぶべきなんだろう。ミニ・アルバムでよいのだろうか。
冒頭が(1)「涙そうそう(三線バージョン)」で、最後が(8)「涙そうそう(三線ウチナーグチ・バージョン)」と、このアルバムができる上では、1998年に森山良子に曲を提供した「涙そうそう」(「なだそうそう」と読む/「涙はらはら」といった意味か)が、大きな役割を果たしているようだ。実は、森山良子のバージョンはラジオで耳にしたことがあったのだが、森山自身による歌詞は、リフレインの一節になっている題名「涙そうそう」以外はまったく普通の標準語なので、「なだそうそう」という音の意味も判らなかったし、これが BEGIN に提供された曲であることも知らなかった。
興味深いのは、(6)「がんばれ節」という曲、詞曲とも BEGIN にクレジットされているが、いかにも島唄らしいスタイルの戯れ唄で、比嘉の唄いっぷりも堂に入っている。
CDケースの内側に写真がある(ジャケット写真では上地が持っている)クッキー缶の三線は、元々戦後すぐの時期にちゃんとした三線が入手困難だった時代に作られはじめた空き缶を使ったものの類だが、最近では観光土産なのか、けっこうあちこちに出回っている。
□テイチクのサイトにあるページ:BEGIN Profile
□ファンによるページ:BEGINのぺーじ:更新が進んでいない場所もありますが、ファンハウス所属期を含めデータがあります。
- 2000.06.07.記:色褪せてはいないかい
- 南沙織『CYNTHIA ANTHOLOGY』(ソニー:2000.06.07.)
こういうのは、買ってしまったことをこういうページに書くだけでも十二分に恥ずかしい。シンシア/南沙織は、私にとって(アグネス・チャン/陳美齢とともに)リアルタイムで聴いてきたアイドルの中では最後の<歳上の>女性という微妙な位置にいる。彼女のレコードで(アナログ盤で)所有しているのは、シングル盤数枚とベスト・アルバム1枚、それもほとんどは後から中古盤として手に入れたものだ。コアなファンでもないくせに、こんなボックスを買ってしまうというのはいかにも恥ずかしい話だ。
ボックス・セット(CD5枚、DVD1枚)には、デビューから引退までに加え「シンシア」名義での時期を経て「南沙織」名義が復活している現在までの全シングル−1の両面(DISC1〜3)、アルバム収録曲からのセレクション(DISC4)、CM曲や未発表(要するにボツ)曲、引退公演のライブ音源などマニアックなもの(DISC5)、そしてDVDによる映像(DISC6)までが収録されている。ちなみに収録されていないシングルは、アルバート・ハモンドをカバーした「カリフォルニアの青い空」(英語で歌っていた)である。
有馬三恵子・作詞/筒見京平・作曲の黄金期(1971-1974)(DISC1)は、ポップス色の強い良質な歌謡曲として安心して楽しめる。リアルタイムのときには聴き落としていたことだが、彼女の声にはデビュー時からどっしりした落ちつきがあったことがよくわかる(リアルタイムの印象では、音程の微妙なズレに注意が向いたし、それが個性的なところでもあった)。これに続く時期(1975-1978)(DISC2〜3)には、中里綴(最後は悲劇的だった忘れがたい作詞家)、荒井由実、尾崎亜美といった作家の佳作が散りばめられている。また、1997年にリリースされた現時点での<最新シングル>「初恋」のカップリング曲「うみ そら かわ」(DISC3-16)の今風の沖縄ムードなども耳に心地よい。
私にとっては初めて耳にする音源ばかりの(DISC5)は、新鮮かつ懐かしく聴くという、楽しい経験ができた。CBSソニーの社歌(DISC5-1) 、照国郵船=当時=のCM(DISC5-2) 、NHKの『みんなのうた』で流れた(DISC5-3)「ヘイ!二才達」、フォーリーブスとのミュージカル『見上げてごらん夜の星を』からの音源(DISC5-4〜6)、クリスマス・ソング等々、いろいろな楽しみ方のできる資料性の高い1枚である。
LPサイズを意識したボックスに合わせて大判で作られたブックレットも、記録性が高い。これくらい作らないと、かつてのファンが納得しないということだ。小柳ルミ子や天地真理じゃこうはいかないだろう。ブックレットの最後には、普通のすてきな奥様風の彼女の近影が載っている。吉田拓郎の「シンシア」ではないが、<色褪せない>というのは素晴らしいことだ。
□ソニーのサイトにあるページ:南沙織:公式ホームページ
- 2000.06.02.記:単におしゃれというだけでなく
- V.A.『〜星に迷い込んだ男〜クルト・ワイルの世界』(A&M:1985.--.--.)
随分前に発表された、渋すぎる企画モノ。
スティングの濁声が響く(2)「マック・ザ・ナイフ」をはじめ、マリアンヌ・ファイスフル、ヴァン・ダイク・パークス、ルー・リード、カーラ・ブレイ、トム・ウェイツ、アーロン・ネヴィル、トッド・ラングレン...といった顔ぶれが、ワイマール時代のドイツで劇作家ブレヒトと一時代を築き、アメリカに亡命してブロードウェイのために作品を提供したヴァイル(ワイル)の作品を歌う(奏でる)。
Lost In The Stars The Music of Kurt Weill というタイトルは、作曲家の晩年の作品名から採られているが、出演者はその文字通り豪華、というより「超地味豪華」である。
はっきりいってヴァイルは、誰でも知っているという作曲家ではない。収録されている曲には馴染みのないものも多い。それでも、ある種の懐かしい手触りのようなものを感じさせる。このアルバムは、ヴァイルが、本質的なところで、良い意味での通俗性を備えた作曲家だったことを証明している。
ちなみに出演者の面子は入れ替わっているが、このアルバムは映画にもなっているそうだ(『September Songs/9月のクルト・ヴァイル』)。ルー・リードはこちらにも顔を出しているという。
日本人としては、日本語のセリフから始まるジョン・ゾーンの「神の小さき僕(しもべ)」(9)の奇妙さが印象に残る。クレジットを見ると Luli Shioi という日本人らしき?女性が参加している。どんな人なんだろう?
(2000.06.08.追記:Luli Shioi についての英文のページがありました。すごい人ですね。)
□ヴァイルって誰?という方はこちらへ:Kurt Weill
- 2000.04.22.記:こういうのが、滲み込んでくるときもある
- 五十一 ISOICHI『ウィルダネス』(Blue Sky Records:1999.03.21.)
昨夜、久々にアルカディアに立ち寄って、マスター氏に薦められて入手した。日本語でブルースをやろうという、愚直な取り組みという感じ。前半は、何となくしっくり来ない感じもあるが、後半(6曲目以降)は本当に心地よい。何曲かで使われているドブロの音もすばらしい。
結論から言えば、五十一は突出した歌い手でもないし、歌唱や演奏のスタイルもコテコテの古風なブルースで、同じ様な音はどこにでもある。でも、こういう世間的には無名と言っていいキャリアの、しかししっかり年季の入った歌は、どこかどっしりと安心して聴ける、というか身を任せられるところがあって、はじめて耳にする歌でも懐かしく、身体に滲み込んでくるときがある。聴き惚れるも良し、聴き流すも良し。
- 2000.04.08.記:み〜んな悩んで、老人になった
- 野坂昭如『ザ・平成唱歌集 巻之一』(P-VINE:2000.03.25.)
かつては野坂昭如のLPをリアルタイムで買ったこともあるのだが、その後の氏の歌手業はフォローしていなかった。たまたま運転中に、永六輔のラジオ番組で特集していたのを聴いて、さっそくCDを取り寄せた。
もともと、野坂氏はCMソングから世に出た書き手であり、歌詞(「能吉利人」名義)も唄い方も、やはり捻りが何重にも利いている。
赤瀬川源平、黒柳徹子、永六輔、和田誠、中山千夏といった面々が寄せたコメントも絶妙。ちなみに、野坂氏は1930年生まれで既に古希を迎えている。氏が「み〜んな悩んで大きくなった」と踊りながら唄っていたウィスキーのCMは、確か1970年代なかばだった。時の流れをしみじみ感じる。
歌詞の中身は紹介しない。全10曲+全曲カラオケ付きで1800円は安い。興味のある者は身銭で買うべし。
- 2000.04.06.記:晩年の彼は、今の私より若かった
- Djando Reinhardt『Fine and Dandy』(ファンハウス:1988.--.--.[1983 VeeJay による編集盤の再発日本盤/最初の日本盤はRVC])
理屈抜きで聴いていて楽しい、気持ちの良い音というのは、意外に少ないものだ。ジャンゴ・ラインハルトの演奏は、そうした意味では重宝なものだ。特にステファン・グラッペリと絡んだ録音は、無条件で楽しい。
よく聴いている割には、これまでこの欄で取り上げていなかったので、随分前に入手した定番をあえて紹介する。これは、第二次世界大戦直後の時期の録音(つまり、1953年没のジャンゴにとっては晩年の演奏)の未発表音源を集めた編集盤で、1983年に米VeeJay盤から出たものの日本盤である。しかし、ジャンゴは1910年生まれなので、晩年といっても今の私より若い。ちなみにジャンゴは、戦前のフランス・ホット・クラブ5重奏団(le Quintette du Hot Club de France)時代(1934-1939年)が最盛期だったとされている。
全8曲のうち、最初と最後が、グラッペリも参加したクインテット再結成の録音(1947年)で、やはり楽しく聴ける音になっている。しかし、ジャンゴがエレクトリック・ギターを奏でている他の曲の響きも興味深い。ちなみに表題となっている「Fine and Dandy」は、ジャンゴの死の3カ月前に録音されている。彼より僅かながら年長だったグラッペリが最近(1997年)まで生きていたことを考えると、ジャンゴの早すぎた死は本当に惜しい感じがする。
- 2000.02.09.記:ラテンは素晴らしい
- V.A.『リズムの変遷 〜日本ラテン傑作集 1931-1957』[2枚組](ビクター:1999.11.20.)
前出(2000.02.01.)の企画の一環で出た2枚組で、48曲が収録されている。全体的には、資料的な価値の高いコンピレーションになっている。日本初のラテン音楽の録音という1931年録音の(DISC1-1)「南京豆売り」や、時代を色濃く反映したお気楽な(今日ではいたたまれない)歌詞の(DISC1-11)「姑娘可愛いや」など、戦前の録音は興味深いものが多い。およそ2/3を占める戦後の録音にも、進駐軍関係者による録音(DISC2-8〜11)や、若き高島忠夫の録音(DISC2-15〜16)など、珍しい音源がいろいろ取り上げられている。
資料性ということではなく、リアルタイムの記憶につながる<馴染みのある音>ということでは、雪村いづみ、浜村美智子といった辺り(DISC2 の最後の数曲)が気に入った。いずれも録音は、私が生まれる直前だが、雪村の(DISC2-21)「チャチャチャは素晴らしい」とか、浜村の(DISC2-22)「バナナ・ボート」とかは、はっきり記憶にある懐かしい歌声で、嬉しくなってしまった。宝とも子の(DISC2-24)「ジャパニーズ・カリプソ」も<いかにも>という感じで楽しい。
- 2000.02.03.記:"Acid Carpenters" だそうです
- V.A.『If I Were A Carpenter』(A&M:1994.--.--.)
ちょっと前に中古で入手した「Bizzarre Music Television」というビデオを見ていたら、Carpeters という悪趣味なギャグをやっていた。それで思い出したこともあり、久々にかけてみたトリビュート。発表当時はけっこう話題になったCDで、(2)少年ナイフ、(7)シェリル・クロウ、(13) 4ノン・ブロンズといったところが、面白い音を聴かせる。
だが、当然というか、カーペンターズ・ファンの受けはイマイチ、というか悪そうだ。お口直し(お耳直し?)には、オリジナルを聴き直すのが一番だろうが、ほかにもこんなのもあるそうだ。でも大工哲弘とかは、この手の企画は参加しないだろうな、間違っても。
□ファンによるページ:カーペンターズ CLOSE TO YOU
- 2000.02.01.記:不思議な時の流れ方
- 見砂直照と東京キューバン・ボーイズ『東京の幻想〜日本のうた』(日本コロムビア:1999.07.17.[オリジナルLPは、1964年と1970年])
- 見砂直照と東京キューバン・ボーイズ『メロディ・オブ・ジャパン』(ビクター:1999.09.22.[オリジナルLPは、1977年])
先日1月19日、特別企画講義「ポピュラー音楽と日本人」最終回のシンポジウムで西村秀人氏が東経大へ来てくれたときに、昨年に東京キューバン50周年を期してコロムビアとビクターからでたラテンものを一式持ってきてくれた。正直なところ、西村氏が「行商」にこなければ、この手のものを買うことはほとんどない。前年のタンゴもののときもそうだったが、この大規模な復刻企画は、作業の途中で西村氏からエッセンスをいろいろと教えてもらっていた。昭和初期の日本の流行歌歌手たちとラテンの関係といった話題も興味は深いのだが、何といっても素直に楽しめたのが日本民謡をアレンジしたコンピレーションである。
一年前にも坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテニア『FUJIYAMA TANGO』について書いたように、この手のものは子どもの頃からBGM的に自然に浸透してきている感覚があり、聴き流していると「妙になごんでしまう」のである。もちろん、東京キューバンの演奏は、ティピカ・ポルテニアより十年から二十年後のモダンなものだし、1964年から1977年という時間の幅の中で東京キューバンが「進化」していく感じは上の2枚(LPにすると、3企画=4枚)を聴くだけでもよく判る。しかし、今から二十年以上前という古さはほとんど感じられない。これは、この種の演奏が、時間の流れの中の流行り廃れとは関係が薄い、一つの恒常的なジャンルないしスタイルとして今現在も生き続けていることを意味しているのかもしれない。例えば、時代劇とか、刑事物のドラマのバックにはこういう音が遍在しているように思える。
□ビクターのサイトにあるページ:日本ラテン音楽の軌跡
- 2000.01.17.記:お立ち台が目に浮かぶ
- avex trax『NEO TECHNOPOLIS ....繁殖』(avex trax:1992.12.16.)
こちらも、2枚500円の1枚。先週末1月15日の日本ポピュラー音楽学会関東地区新年例会で、「東風」ネタを取り上げたときにも流した。
このアルバムは、レーベル名の表示はあるが、実際に音を作った「プログラマー/DJ」の名は「企業秘密」として伏せられている。匿名性はユーロビートやテクノでは本質的な要素になっているが、こういう扱いは割合と珍しい。しかし、サウンドの同一性は確かに avex trax というブランドのものであり、(しばしば断片的な)メロディだけがYMOというゲテ物だ。しかし、今になってみると、逆にそのお陰でYMOメロディの力を感じさせるカバーの好例になっているように思われる。
□「東風」ネタ:1999.07.16.記:サウンドの力、スコアの力
- 2000.01.12.記:これは恥ずかしいゾ!
- ルック『ウィングス』(エピック・ソニー:1987.05.21.)
ごく最近、2枚500円の古CDの山から見つけた1枚。「シャイニン・オン 君が哀しい」の一発屋だったといってもよいルック LOOK は、同時代的にも、現在も、はっきりいって恥ずかしい。でも、おやじになった今の方が、まだ厚顔無恥かつ素直に聴ける。
実は(10)「追憶の少年」は、なかなかカラオケにないのだが、カラオケに良く行っていた90年代前半には、あれば歌うようにしていた<持ち唄>。でも音源はこれまでもっていなかった。ずっと前に録画したビデオ・クリップが気に入って、見ているうちに憶えたメロディで歌っていた。故郷の「駅」ではなく「空港」を後にする...という歌詞が強く印象に残るが、この手の歌詞としては、もっとも早い部類ではないだろうか。
(9)「夢の子供」は、今ではほとんど忘れられているが、杉田二郎の佳曲。こちらも意外な発見で得した感じだった。
□井上さんによる、鈴木トオル(ルック時代は鈴木徹)のページ
- 2000.01.06.記:うたは闘いとともに...だが
- 『音でつづる日本のうたごえ半世紀』[10枚組](音楽センター:1997.--.--.)
私は基本的にはノンポリのつもりだが、世の中の右傾化で左寄りに押し出されつつある。しかし、独善の塊のような民青諸兄に振り回された学生時代の苦い経験から、一貫して反=日共(宮本=不破体制)でいる。こうした立場からすると、戦前から続く日本の労働歌の伝統が、青年共産同盟中央合唱団の歴史とイコールで結ばれるという意味での狭義の「うたごえ運動」に回収されてしまうような状況は非常に残念に思う。
人々を動員する武器としての歌は、軍歌であれ、労働歌であれ、はたまた大学などの応援歌であれ、ファシズム的な「動員」の時代に最も輝き、メディアの発達の中で変質した。だから、労働歌、応援歌、団体歌の類の衰退は軌を一つにしている。そして、ここに収録されている曲の内、党派性を越えて歌われたはずの少なからぬ曲(特に、一般的な労働歌を収めたDISC1と荒木栄作品などを収めたDISC3に入っているもの)も、こうした形でしか聞けなくなったのである。
私はこの10枚組のCDを貴重な音源であり、有用な資料だとは思うが、この「うたごえ」からは感動より違和感の方が先にたってしまう。大部の解説も、同時代資料からの引用で貴重なものだが、おそらく運動のアウトサイダーが読むことなど想定されていないまま書かれた文章なのだろう。編集上の恣意性を強く感じる。例えば、(DISC4-14)「リムジンガン」の解説に1968年当時の『うたごえ新聞』の記事を用いながら、オーケストラ演奏ですませるというのは、いかにも姑息だ。当時と現在の状況を踏まえて自己批判をした上で歴史的史料として歌われた歌詞を残さなければ、この曲を選択する意味など無いはずだ。いや、自己批判の必要が無いなら堂々と歌詞つきで歌えばよいのだ。
とはいえ、(DISC1-1)「インターナショナル」、(DISC1-2)「聞け万国の労働者」、(DISC1-25)「ワルシャワ労働歌」などが<正調>で聴けるのはありがたい。特に(DISC1-7)「赤旗の歌」などは、こんなに微妙な旋律で難しい歌だったのかと認識を新たにした。(DISC3-10)「沖縄を返せ」をオーケストラ演奏のみにしているのは気にくわないが、(DISC3-9)「がんばろう」や(DISC3-13)「タンポポ」は好感が持てる。小さな党派性抜きで労働者の連帯を歌うというのは見果てぬ夢なのだろうが、夢を見る自由くらいはいつまでももちつづけたいものだ。
□「Takagiのうたごえホームページ」にある、うたごえリンク集
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