コラム,記事等(定期刊行物に寄稿されたもの):1999

コラム「ランダム・アクセス」

市民タイムス(松本市).

1999/03/10 「一番列車」の車窓から.
1999/09/03 「本当は」どうなのか?.
1999/12/02 電子音のメロディ.


1999/03/10 

「一番列車」の車窓から

  私は早朝の大糸線下り列車に乗ることがときどきある。仲間と一緒に一晩ずっと騒いだ末に、という場合もあるし、夜行列車で松本へ戻って来て、時間を潰してから乗り継ぐということもある。
 先だって二月半ばのある朝も、松本駅を六時七分に発車する列車に乗った。厳密に言えば、六時七分発は一番列車ではない。これより前の四時三十六分には、夜行の急行アルプスが松本駅を出て大糸線を下っていく。その日の最初の列車という意味では、こちらが一番列車ということになる。しかし、わが家に近い安曇追分駅には、急行は止まらない。私にとっては、六時七分発の信濃大町行き普通列車こそが、「一番列車」なのである。
 六時少し前に、改札口を通り、三番ホームへ降りていく。日が少しずつ長くなっているとはいえ、空はまだ、まるっきり夜の闇だ。四番線には新宿へ向かうあずさの始発が既に入線している。やがてホームに入ってきたのは、十二月から登場した新型車両だった。
 そういえばこの車両の「一番列車」に乗るのは初めてだ。座席が左右非対称に配列されているこの新車両は、北アルプスの山々を眺め、車窓風景を楽しむことを大きな狙いにしている。だが、まだ外は夜である。列車が動き出すと、私はすぐさまウトウトと眠ってしまった。
 やがて、不意に目が覚めた。目の前に常念岳が飛び込んできた。山の頂だけが、淡く明るい赤に、朱というよりは紅に近い色に、輝いている。冠雪した山頂を朝日が照らし出しているのである。東を振り返ると、美ケ原から北へ走る尾根が、こちらは鮮やかな朱色に光っている。同じ朝の太陽の光で照らされていても、微妙に彩りが違う。
 列車は、中萱から豊科へ、さらに穂高へと進んでいく。北アルプスの山々は懐が深い。車窓から見える峰々は一駅ごとに姿を変えていく。今年は、いつもより山肌の雪が少ないという印象だが、それでも雪を頂いた山は力強く、美しい。朝日が昇るにつれて、空は白み、山頂の赤みは徐々に淡くなっていく。はるか遠方に望む白馬三山まで、白雪の峰々が桜色に染まる。
 ほんの二十分あまりの間だったが、時の流れと、車窓という視点の移動が、思いがけない自然のショーを演出してくれた。安曇追分で下車した時には、空はすっかり明るくなっていた。天気は快晴である。こういう朝で始まる一日は、素晴らしい一日になるに違いない。
 家に着いて、時計を見ると、まだ七時前。いつもなら布団の中で熟睡している頃なのにと思いながら、とにかく熱いコーヒーを入れることにした。


1999/09/03 

「本当は」どうなのか?

 しばらくこのコラムをさぼってしまった。この間、穂高町の家の移転、旧宅の取り壊しという大仕事が新学年はじめの繁忙期と重なり、時間の余裕というより、精神的な余裕が作れず、コラムをついつい先延ばしにしていた。旧宅の取り壊しは以前から決まっていたが、諸般の事情で、土壇場になって日程が立て込んだのである。その後も、ぼんやりしているうちに夏になり、結局かなり長期のお休みにしてしまった。
 さて、家の移転先は同じ穂高町の中だったので、荷物を運ぶ距離は短くてすんだ。とはいえ、引っ越しは引っ越しだ。少しずつ荷物の整理を片付け、何とか全面移転に漕ぎ着けたのが四月のはじめ。それから穂高に戻る度にコツコツと作業を重ね、新居もようやく落ち着いてきた頃のことである。
 新居は、中古の物件に手を加えたものなので、古いところは、使い勝手や機器の調子を見ながら、自分でも手入れをしなければならない。ある日、きちんと点灯しない照明器具の蛍光灯を取り替えることにして、古くなった蛍光灯をもって近くのホームセンターに出かけた。
 古い蛍光灯をもっていったのは、規格の違うものを間違って買わないためである。案の定、売り場では、見た目では分からない二種類の規格のあることがわかり、古い蛍光灯が役に立った。
 さて、買うべきものが判ったところで、対応してくれた女性の店員に、持参した古い蛍光灯をゴミとして引き取ってもらえるかどうかたずねてみた。「いいですよ」の一言とともに、彼女は、私が持っていった蛍光灯二本を受け取ってくれた。
 ところが翌日、さらに二本の蛍光灯を取り替えることになった。同じ店に出かけ、対応した若い男性の店員に同じことを頼むと、今度は、「引き取れません」と受け取りを断られてしまった。おやおや、昨日とは対応が違うではないか。
 古い蛍光灯は、指定された不燃ゴミの日に出せばよい。しかし、ゴミのついてメーカーの責任を追求しようかという時代に、販売者に責任はないのだろうか。車のバッテリーのように廃棄が厄介なものは、販売者が廃品を引き取るのは常識だ。蛍光灯はそれほど面倒な廃棄物ではないが、新たに購入するのと同じ本数くらいはゴミを引き取ってくれてもよいのではないか。  とはいえ、若い店員にあまり文句を言っても大人気ない。「昨日は引き取ってもらえたけど」とは言ったものの、それ以上は呑み込んで、買い物の続きをすることにした。
 ところが、その後、他の品物を探しながら店内にいると、しばらくして例の店員がやってきた。そして「本当は引き取っていないんですが、今回だけは特別に引き取ります」と言ったのである。一瞬ポカンとしてしまったが、ともかく古い蛍光灯を手渡した。
 「本当は」ダメなところを引き取ってもらえたのだから、一応はめでたしである。しかし、買物から帰ってからもなかなか釈然としない。あの店は、「本当は」廃品を引き取らないのだろうか、引き取るのだろうか。結局のところ引き取ってくれるのであれば、すばらしいことだが、「本当はダメだが特別に」などと言われると、どうもうさん臭くて仕方がないのである。


1999/12/02 

電子音のメロディ


 まだまだ忘年会には早い時期だが、平日でも夜の遅い時間の電車に乗っていると、酔いも手伝っているのか、座席で居眠りというか熟睡している人をよく目にする。どこまで乗っていくのか。他人事ながら、寝過ごしはしないかと心配になってしまう。
 つい先日、比較的混み合った感じの夜の電車の中で、携帯電話が鳴り出した。いわゆる「着メロ」というやつだ。車内が混み具合の割には静かだったせいかに感じられる。普通、こうして音が鳴り出すと、持ち主が慌てて音を切るのが普通だ。図々しい人だと、いきなり通話を始めたりするが、いずれにせよそんなに長くメロディが響きわたることはない。
 ところが、この電子音のメロディは、なかなか止まらないのである。しかも奏でているメロディは、どこかで聴いたようなスコットランド民謡調だ。いったいどんな人の携帯が鳴っているのだろう。車中を見回すと、数人の大学生たちが、近くの座席で熟睡している若者の方に視線を向けて、「呆れた」という感じでニヤニヤ笑っている。視線の先にいた若者は、ご丁寧にも右手に携帯電話を握ったまま、熟睡している。電話は呼び出し音にあわせて光っている。
 やがて呼び出し音は一旦途切れた。電子音で奏でられるスコットランド民謡風のメロディは、極めて不釣り合いの物のようにも思えたが、奇妙にことに、電子音の響きはどこかしらバグパイプに通じる音のようにも思われた。しばらく間があって、彼の携帯電話が再び「電子バグパイプ」のように響きだした。まわりの誰も、あえて彼を起こそうとはしない。
 ひょっとしたら、私と同じように、その場に居合わせた誰もが、日本の伝統歌曲にも通じる音階(いわゆるヨナ抜き)が電子音で鳴ることの珍しさや、そのメロディの美しさに聞き入っていたのではないかと思うほど、思わず微笑みたくなるような(微苦笑かもしれないが)ほっとした一瞬がそこにはあった。これがスコットランド風ではなくて、最近の流行歌だったら、二度目にメロディが流れたときに私はつかつかと歩み寄って、その若者を揺り起こしていたかもしれない。
 熟睡した彼の電話が三度目に鳴り出す前に私は電車を降りてしまった。彼が無事に家なり目的地なりに着けたかどうかは判らない。電話を掛けて来たのは誰だったのだろう。夜遊びに誘う仲間だったのか、他愛ないお喋りをしようとしたガールフレンドだったのか。いやいや、寝過ごさないように電話で起こそうとした母親だったのかもしれない。


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