招待講演:1997

多メディア・多チャンネル時代における日本の地方民放テレビ局の動向(予稿).

釜山大学言論情報研究所・PSB釜山放送文化財団・共催・国際学術会議「多メディア・多チャンネル時代、地域民間放送の展望と方策」(朝鮮ビーチ・ホテル:韓国釜山市海雲台).


この予稿に大幅な加筆を施した別稿、山田(1998)へゆく
多メディア・多チャンネル時代における日本の地方民放テレビ局の動向
◇デジタル、多チャンネル、有料化
◇地方波テレビ局のCS放送への参入
◇地方民放テレビ局にとってのCS放送の可能性
◇地方民放の危機意識


多メディア・多チャンネル時代における日本の地方民放テレビ局の動向


 日本の「多メディア・多チャンネル時代」はいつから始まったのだろうか。この問いには、いろいろな答え方がありそうだ。例えば、早めの時期を考えるならば、NHKのBSが独自編成で(実験)放送に入った1987年あたりを、そのはじまりと見ることもできる。一般的には、1980年代に「スペース・ケーブル・ネットワーク」と呼ばれていた通信衛星とCATVによるアナログCS放送のシステムが立ち上がった1989年、あるいはCS放送の直接受信がはじまった1992年をもって、「多メディア・多チャンネル時代」の開始と見るのが妥当であろう。
 『日本民間放送年鑑』は、毎年「概況編」の冒頭で前年度の放送界の動きを総括しているが、「多メディア・多チャンネル」という表現は、1993年版の「1992年放送界」でキーワードとして取り上げられた。そこでは「テレビ40周年・不況下、多チャンネル時代の到来」という標題とともに、次のような文章が綴られている。

 率直なところ、多メディア・多チャンネル化が日本の地方民放に与えた影響を、現段階で明瞭に語ることは極めて困難である。まず、現実の地方民放の経営が、多メディア・多チャンネル化といった次元とは異なるところで、景気の動向によって大きく左右されてきたために、多メディア・多チャンネル化の影響だけを抜き出して経営上、あるいは、編成上の変化を論じることができない、という大きな限界がある。加えて、事態はまさしく現在進行形であり、流動的であり、ある程度まで固まった動きを中心に論じるとしても、多メディア・多チャンネル化の動きを、既に明瞭な形をとっているものと考えることには無理が多いのである。
 ここでは、日本の現状を踏まえ、多メディア・多チャンネル化の理論的な枠組みにおける地方民放の位置づけを整理した上で、具体的な事例の一端を紹介することにしたい。

◇デジタル、多チャンネル、有料化

 放送関係の専門誌などを見ていると、新しい形態の放送メディアを巡る動きが様々な展開を見せるにつれて、「デジタル化」といった言葉がいよいよ目立つようになってなってきたようだ。「多メディア・多チャンネル」という言葉、特に「多チャンネル」は、これまでにも放送に準じた新しいメディアの登場の度に使われてきたし、現実として「多メディア・多チャンネル」化は放送の歴史とともに進行してきた。このため、ただ「多メディア・多チャンネル」化といっては論点は曖昧になる。
 小林宏一(1996)は「多チャンネル化」がCATV、BS、CSなどの実用化の度に繰り返された「使い古されたことば」であること、今日の「多メディア・多チャンネル」化の本質が「デジタル化」にあることを指摘した上で、デジタル化のもたらす伝送路コストの劇的な低下が「特化したナローキャスト」として数百に及ぶ多数のチャンネルを成立させること(裏返せば新しいチャンネルは「ナローキャスト」とならざるを得ないこと)を予想している。小林はさらに、アメリカにおいて先行している事態を踏まえながら、「多チャンネル時代における競争構図は、<ごく少数のメジャーな放送事業者>対<数多くの新規参入事業者連合>という形態をとるものであり、こうした競争形態のもとで、三大ネットワークのシェアは、徐々にではあるが確実に低下してきたのである」と指摘し、地上波テレビの「自壊作用」に警鐘を鳴らしている。
 上條昇(1997)は同様の認識に立ち、新しいチャンネルが有料化せざるを得ないことを、より積極的に踏まえて、「新しいメディアの普及により、需要サイドの視聴者と供給サイドの放送事業者の新たな関係が生じ、放送市場の構造は大きく転換する可能性がある」ことを指摘し、「デジタル方式による多チャンネル化が進展し、放送業界がユーザーオリエンティッドな放送にさらに比重を移していく」と予想している。
 もちろんこうした積極的、楽観的な展望をもっとも明確に主張しているのは、現にデジタルCSを推進する立場の人々である。北川信(テレビ新潟、社長)の紹介するところによると、JSkyBの社長を務める孫正義は、CS多チャンネル放送に関する否定的な見解を次のような「8大思い込み」という形で整理し、それを全て間違っていると論じているという。 ちなみに、孫の言葉を引用した北川自身は、「孫さんが正しいか、思い込みのほうが正しいか、微妙なところ」といって判断を留保している。
 この「思い込み」のうち、1)については、少なくとも劇的な視聴時間の拡大は期待できないことが、視聴行動の研究から示唆されている(例えば、東京大学社会情報研究所,1993)。これを踏まえれば、既存の地上波を含めた放送全体に投下される広告費の飛躍的な拡大は望めない。また、現行のCATVの料金設定や営業実績から判断する限り、3)の前提は依然として強固であり、視聴者が新たなチャンネルに支払う金額は、わずかなものしか期待できない。4)5)で問題とされている、多チャンネル化に必要な機器の普及が達成されたとしても、そこでコンテンツの競争となれば、地上波局の方が、制作能力の上でも、その他のリソースの面でも有利だということになる。
 川島正(1997)は、1時間に数千万〜億円が投入される地上波局の番組に対して、1時間50万円程度とされるCS放送の番組制作費の実態を踏まえ、デジタルCS放送における「プロダクションチャンネルが貧弱なのは仕方がない」と同情しながら、安易な購入番組の垂れ流しによる利益追及を目指す「商社の論理」を批判している。「“買って流す”商社の論理が横行し、グローバルな巨大メディアの戦略に組み込まれ、専門チャンネルは育たず、プロダクションの苦境は変わらず、その挙げ句、カネを払える視聴者だけが見られる」という、暗澹としたイメージは、デジタルCS放送がビジネスとして成り立つとしても、放送文化の担い手とはなり得ないことを示すものである。同様に、今村庸一(1997)も、「この十年間、BS、アナログCSの普及に際して、常にいわれてきたのは、多チャンネルに対応する多様化、専門化、そして独自性であった。しかし、実際にハードができてしまうと、そこに登場するのは、映画、スポーツ、ニュース、音楽を中心とした海外発のソフトばかり。ソフトの空洞化はむしろ深刻化した」と指摘し、「あまりにも激しい過当競争の結果、安直なソフトが氾濫する」事態に警鐘を鳴らしている。
 須田和博(1996)は、1996年の「放送高度化ビジョン(中間報告)」の解説の中で、地上波局が伝送面での役割を後退させながらも「番組制作能力や番組のストックの豊富さを最大限に生かしつつ、CATVや衛星放送の普及をむしろ積極的に活用」し、新たな事業展開を行う可能性を示した上で、「地上放送の将来は、これからの放送の変革の時代に、個々の企業がそのような行動選択をするかによるところが大きく、経営者の経営戦略がこれまでになく問われる時代になってくる」と結論づけている。富田徹郎(1996)も、こうした可能性を敏感に捉え、マイナーニーズへの対応も含めたコンテンツの豊富な蓄積を抱えるNHKに対して、その巨大化への警戒的な論調を見せている。

◇地方波テレビ局のCS放送への参入

 このように新たな映像の供給路が整備され、コンテンツの獲得競争が激しくなるという状況の中で、番組制作能力と編成のノウハウを持った既存の地上波テレビ局が、アナログの段階を含め、直接・間接にCS放送への参入を考えるようになったことは、ある意味では必然的な成りゆきであった。しかし、(少なくとも当面の間)地上波のような収入の見込めないCS放送に対する地上波テレビ局の参入は、その番組制作能力が発揮されることには結びつかず、CS放送独自の本格的な番組制作は、少なくとも現段階では実現されていない。番組制作に結び付く諸々のリソース以上に重要だったのは、既存の地上波テレビ局が、番組なり、素材といった様々な形でコンテンツを保持し、また、日々一定水準でコンテンツを生産し続けているという点であった。
 キー局の中では、NTV(日本テレビ)が、いち早くNCN(日本テレビケーブルニュース)に取り組み、自局のニュース番組を素材として再構成、リピートする方法で、1989年のCS放送の開始と同時に「ニュース専門チャンネル」を立ち上げた。チャンネルの中味の充実度については評価が分かれるとはいえ、NCNが低予算の制作費で、もっぱら地上波放送のリソースの活用、再利用によってチャンネルを成立させたことは日本のCS放送の現状を象徴するものであるといえるだろう。さらにNTVは、キー局の中では先頭を切る形で「CS★日テレ」として、スーパーステーションに準じたサービスを1996年から提供し始めた。地上波コンテンツの直接的利用という点で、NTVは明確な方向性を示している。
 これに対し、いち早くCATV関連事業に注目し、JCTV(日本ケーブルテレビジョン)など関連会社を通したCATV向けの番組開発などを行っていたANB(テレビ朝日)は、一方でJCTV制作素材を積極的に地上波に乗せるとともに、他方では同じグループの朝日新聞社が中心となった朝日ニュースターへの関与を拡大するなど、より多様な形態でCS放送に関わってきた。さらに、先だってCX(フジテレビ)がJSkyBに資本参加したのをはじめ、現在では各キー局とも、パーフェクトTV、ディレクTVといったデジタル衛星放送への参加を検討しているし、国内のCS放送への対応が消極的だったTBS(東京放送)も、アジア向けに発信するJET(Japan Entertainment Television)には積極的に関与している。

◇地方民放テレビ局にとってのCS放送の可能性

 CS放送への関与に動いているのは、キー局ばかりではない。キー局以外の地方民放テレビ局の取り組みは、地域性の反映といった視点からも、大いに注目されるところである。「準キー局」といわれる大阪の各局の中でも、とりわけ自社制作比率の高いABC(朝日放送)と、それに準じるMBS(毎日放送)は、それぞれ関連会社を設け、大阪ローカルの番組を編成して構成するチャンネルをCS放送の初期、1990年から成立させている。現在のチャンネル名は初期とは違っているが、ABC系のスカイA、MBS系のGAORAとも、在阪球団の試合を中心とした野球中継や、上方演芸の番組などを全国に発信する機能を果たしている。大阪各局が制作し、地元ではプライム・タイムに放送されている番組も、かつては他の地域(特に東日本)にネットされることはまれであった。しかし、1980年代以降、放送時間が延びて深夜時間帯の開発が進む過程で、関東の深夜時間帯にこうした大阪制作番組が進出するようになった。こうしたコンテンツの使い回しという試み自体が、既存のリソースの活用であるが、そうした先行した試みのノウハウの上に、全国を対象とした「大阪発」チャンネルの編成が行われるようになったことは重要であろう。
 また同様に、首都圏の独立UHF局として歴史の長いTVK(テレビ神奈川)が、1995年からch-YOKOHAMAとしてスーパーステーション化したことも大いに注目される。当初は2年間を目途とした実験としてはじまったch-YOKOHAMAは、3年目に入り、放送時間を拡大して継続されている。TVKは1971年の開局以来、キー局からの番組提供が期待できず、なおかつ広告市場にも限界があり、UHFアンテナの普及すらおぼつかないという状況から出発し、低予算の制約の中で独自の番組制作、編成を続け、徐々にキー局に対するオルタナティブ的な存在として、後にMXTVが使ったフレーズでいうならば「アナザー・ウェイ」を歩んできた。旧作映画、音楽ビデオ、アメリカン・フットボール、大学スポーツ等、後にBSやCSが立ち上がりの時期に取り込んだコンテンツの多くは、既に初期のTVKや、他の独立U局によって扱われたことのある内容であった。
 しかし、ネットを受けられず四苦八苦した段階から、徐々に番組制作能力を高め、番組単位のネットを実現し、さらにスパーステーションへと踏み出したTVKの歩みは、一足飛びの跳躍ではない。独立U局の連携の中で「疑似キー局」的な役割を担い、また地方民放に個々の番組を販売するこまめな営業活動を展開する中で蓄積されたノウハウの延長線上で、はじめてスーパーステーションが可能になったのである。ABCやMBSの場合のような編成ではなく、(権利関係等の問題でそのままCSに流せない一部の番組を除いて)地上波放送の内容をストレートに流すスタイルも、経費圧縮指向の現れと理解するべきであろう。現状では(パートナーである電通や宇宙通信を含めて)「持ち出し」の状態で何とか維持されているch-YOKOHAMAであるが、将来性を見込んだ先行投資として今後も継続するものと思われる。
 現在もTVKは、比率は小さいながら、様々な系列の地方局が作成した番組の、関東におけるアウトレットとして機能している。キー局が取り上げるほどではないが、一定のクオリティに達している番組は、スポンサーさえつけばTVKを通して首都圏南部へと送信することができるようになっている。特定系列に属していないことが「どの局ともつき合える」状況を生み出しているわけであるが、今後CSの比重が高まれば、各系列の地方局が、(キー局ではなく)TVK/ch-YOKOHAMAを通して全国へ放送する道を探るようになるかもしれない。

◇地方民放の危機意識

 かつて1980年前後に、技術的可能性として衛星放送が語られ始めた頃、衛星放送が実用化すれば相対的に維持経費が大きい地上波のネットワークは不要となり、地方民放は、エネルギー革命とともに姿を消していった炭焼小屋と同様の道をたどる、という「炭焼小屋」論が、一つの極論として取りざたされた。もちろん現在では、単純な「炭焼小屋」論を耳にすることはなくなった。しかし、単なる伝送路としてビジネスが成り立ってきた地方民放にとって、その基盤が掘り崩されることに対する危機意識は静かに広がっている。
 ここ十年ほど、『日本民間放送年鑑』のテレビ・ローカル番組に関する記事は、毎年のようにニュースなど報道・情報番組の充実を伝え、地方ブロックなどを単位としたローカルネットを新たな動きとして紹介しているが、各局の実際の番組制作状況は、そのような謳い文句の通りにはなっていない。夕方などのローカル・ニュース時間帯における様々な試みには、長続きせずに旧態に復したものが少なくないし、ブロック共同制作がやりやすくなってきたのは、視聴者クロスネットの解消が進んだ結果であり、それも実際には散発的な事例しかなく劇的な変化とはいいがたい。
 むしろ注目すべきなのは、少数ながら個々の地方局の中に自社制作比率の向上に取り組み、実際に営業面も含めて成功している局が、あちこちで見受けられるようになってきたという点であろう。クロスネットの解消とともにキー局から提供される番組の総時間が減少すれば、地方局は、自社制作番組の充実に取り組まなければならなくなる。さもなければ、安易に旧作の再放送などに依存することとなる。地方局の間では、制作力をつけ、自社制作番組の比率を確実に向上させつつある局と、そうできない局との間に、差が生じようとしているのである。
 これからは経営戦略が問われる時代だという地上波局に対する指摘は、キー局の場合以上に、厳しい形で地方民放に突きつけられている。キー局側が、スーパーステーション化を含め、様々な回路で地方の市場にもコンテンツを送り込むようになれば、広告営業も含めてネットワークに大きく依存する従来の地方局の経営形態は、ゆったりとしたペースではあるとしても、確実に変化を迫られることとなるだろう。地方民放がネットワーク依存からの自立をめざすためには、広告営業における地元スポンサーの掘り起こしなど、取り組むべき課題が多数ある。これを乗り切るためには、単なる建て前的なスローガンとしてではなく、本当の意味で地域社会に密着し、地元から支持される自社制作番組の在り方が追及されなければならないが、この部分は経費が大きいことから従来地方民放が回避してきた分野であり、先行きへの楽観は許されない。その意味でも、経営上の危機意識が、制作現場にどのような活を入れるのかが、大いに注目される。



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