業績外:1997

講演「21世紀農村ビジョンを考えよう」.

21世紀の農村ビジョンを創出する研究集会(主催・JA中信地区農政対策協議会),基調講演,
1997/01/21,安曇野スイス村サンモリッツ・ホール(長野県豊科町).


 以下に掲出するのは、長野県中信地区の農協関係者が集まった標記の集会における、講演の記録です。
 山田はこの集会で、基調講演を行い、パネルディスカッションに参加しました。ここでは、他の参加者の著作権を侵すおそれのない、山田の講演部分について、フルテキストを公開します。
 このページは、集会後、主催者側が今後の討議資料としてテープを起こし、印刷資料を作成した際に用いたワープロのテキスト・データを、山田研究室へFDで提供していただき、若干の修正を加えた上でhtml化したものです。
 講演の機会を頂戴し、また、データの提供を頂いたJA中信地区農政対策協議会に感謝いたします。

講演「21世紀農村ビジョンを考えよう」

山田 晴通(東京経済大学コミュニケーション学部)

 御紹介をいただきました山田でございます。大変高い所から失礼致します。
 また本日は、お招き頂きまして大変ありがとうございます。私のような者をお招き頂きました意義を噛締めながらお話しをさせて頂きたいと思います。
 型どうりの挨拶をしているように思われるかもしれませんが、そういう事ではありません。今御紹介頂きましたように、私はもともと農業経済とか農業の事をやっているわけではないのです。何をやっているかというと、地域社会の中で人々がどのようにして情報のやり取りをするか、ネットワークを作っていくかという事に近いような勉強をして、縁ありまして松商[松商学園短期大学]に9年奉職致しました。その間いろいろと東筑の朝日や波田を歩かして頂きました。その経験がありまして、「農村の・・・」ではなくて、「農村地域の・・・」という形の視点からものを考えたとき、たまたま自分が関わりあった地域が農業中心の農村であったという形で勉強させて頂きました。
 そういう立場から今日話になる様な新農業基本法がらみで話をしてくれないかという事から、何で私がしゃべらなければいけないのか、もっと適任の方がいらっしゃるのではないか、しかも、いろいろと伺いますと、農業経済の専門の伊藤先生[伊藤喜雄・新潟大学農学部教授]なり、あるいは信州で地域づくりについて様々な形で努力頂いている、平山先生[平山祐次・信州大学経済学部教授]がおいで頂くのに、私が喋るのではと、思っておりましたが、要するに、「農業の事を農業専門にしている人だけで考えているとどうもうまくいかない・行きづまる。そういった段階になっているのではないか、そういう問題意識を前提にして、少し違った見方から話をしてくれないか」という事でしたので、そういう事であるならば私としても受けて立とうという事から今日こちらにやって来ました。
 ですから、予め申し上げておきますが、私のいう事の中に皆さんの皮膚感覚・率直な感覚から考えて、それは「的はずれだ」と思われる事も実は沢山でてくるかもしれないと思いますが、それは「素人のいう事だ」と、それから先にものを考えない態度のままでいらっしゃると、おそらくいろいろとこれから先難しい事にぶち当たるそういう時代になっている。つまり、「専門家に任せておけばいいんだ」あるいは「自分が専門家なんだから他の意見等きかなくてもいいんだ」と言ってずっと進んで来て、社会のある仕組みが行きつまって来た・うまくいかない部分がでてきた。そこで全体の仕組みのまき直しをしをしようとしている、社会全体の仕組みがつくり変えられようとしている段階です。もしも、私の話の中でちょっと違うと思われたら、そう思っている人にどう説明したらいいか是非考えて頂きたい。
 私自身は長い間、松商にきてから農村地域を歩かしていただき、実際に住んでいますが、もともと少年期を過ごした所はずっと都会ですから基本的に都会の人間です。都会の人間の感覚、都会の人間の考え方で農村を見た時に、的はずれのことが沢山出てきます、それは少しでも農村に住んでいるといろんなことが見えてくるし、長く住んでいるとますます見えてくる、しかしよく考えていただきたいことは、今日本の人口のうち大多数が都市部の住民で、なおかつ選挙制度の改革によって、国会議員の数も明らかに都市地域の代表数の方が多い。一昔前まではある程度農村地域、あるいは地方の利害を、例えば政治の力を使って、議論の場をのりこえる形で力技でねじ伏せることも可能だったかも知れません。しかしこれからは、そういうやり方だけでは農業の立場を主張する、農村の利益を守ることは難しくなってくる。だからこれからは、お話しする中でおかしいと思われる部分がたくさん出てくると思う、そういう人達にどうすれば分るってもらえるか、どうすれば説明できるか、そこからが物を考える出発点にしてもらいたい。
 私は、もともと農村地域の事ばかりのというよりは、商業の事をいろいろやっていて、松商ではマーケティングを教えていました。主に商業に関する事です。商業者の皆さんの前で話す機会もたくさんあり、そういう時に、我々学者というのはどうして存在意義があるのだろうか、学者でございという様に、偉そうな顔を、高い壇上に上ってもっともらしく物をいう、ではその学者は商売・農業をやっているかというと、そんな事はない、実際の現場の事を分りもしない人間が、実際の事をやって見たこともない人間が偉そうな顔をしているのを何で聞かなければいけないのか、それは、皆さんが日常的に考えられていることを整理するため、まとめるためです。あるいは「相対化」するためです。「相対化」などと難しいことが急に出てきたと思われるかもしれないが、早い話が人の目から見た時に、どう見えるかを考えていただきたい。
 私は、岡目八目の立場から、農業について・農村についてをこれからいろいろとお話をさせていただきます。おそらく皆さんの立場から考えると、あまり普段考えなかった事、盲点になっていた事もあると思います。もちろん単なる的はずれのこと、いろんな事があると思います。しかし考えて頂きたいのは、私の話を聞いて「アレッ」と思った事を大事にして頂きたい、普段農業者同士同じ地域の農業者同士が議論しても、いろんな事がことばに言語化されないであたりまえにツーカーで話をしてしまいます。日本人同士ではそういう事がよくあります。もともと同じ様な文化背景を持った人が同じ様な集落に住んでいるので、多くの事を言葉にしなくてもよい。それはある意味では楽なことである、いろんなことが前提にあるので言葉にしなくてもよい。ただ長い間につくられて来た一つのやり方とか仕組みが根本から変わろうとしている時に、当たり前と思っていることを、特に意識として上にのぼらせないで、「あたりまえ」だからと頭の下の方へためておくだけで議論しないでいるのでは、自分達の考えていることを外側の人々、例えば農村にいない人に訴えて理解を求めてゆくことは難しいわけです。できれば、私のお話を聞いていただいて、皆さんの考え方じたいが整理される様になれば私としてはお話することが成功したと言えると思っています。
 私がこれから申し上げることに何か、例えばそのとうりだと賛成して頂くことが必ずしもなくても、ちょっと違うとか、あるいは反発することがありましてもそれをきっかけに皆さんが、御自分が実際の現場で働いている立場で物を考える考え方が、多少なりとも普段、何も考えない状態よりは余分に物を考えながら回りの状況を気にされながら仕事をされる様になっていただければ私が今日お話しすることが成功になると思っています。

前置きが長くなりましたけれども、一枚のレジュメを用意してありますのでご覧になって頂きたいと思います。
 先程よりお話がございましたように今、新農業基本法という事でいろいろな議論が出ているわけです。そこで、新農業基本法が具体的にどういう考え方で、つくられようとしているかという事はパンフレットなど資料として配布されていますから、あるいは、すでに熱心な方は様々な媒体で議論されている事がよくご存じだと思います。ですからここで繰り返えしたりしません。そもそもなぜ新農業基本法が議論の俎上に上って来たかということを考え直してみたい、つまりいったい何で今、新農業基本法を議論しなければいけないのかということです。
 考えてみますと今日本の社会はいろいんな形であらゆる物が問い直されている時代だといってよい。よく政治家は毎年のようにいつでも間違いなく、「激動の時代」「かつてないほどの激動の時代」だとおっしゃる。そうすると激動に激動が重なって世の中は動いている様に思われるが、その激動にもいろいろな種類があると思っています。つまり、「世の中は激しく動いているんだ」と意識を持たない当事者はないわけですが、常に自分のおかれている状況を大変だと思っているわけですが、激動といいましてもだいぶ性格の違う二つの激動がある。
 一つ目の激動は何か物事はどういうルールで進めばいいか、どういうふうなやり方をすればいいか決まった段階で一生懸命その方法で動けばいいという激動が一つある。たとえば、ゲームのル−ルが出来上がりました。そのゲームのルールに添って皆がやりましょうといって皆が動き始める、これが一つの動き大きな激動です。もう一つはどうもこれまでやってきたやり方ではまずい、ゲームのルールに不備がある、あるいは、状況に合わなくなってきた、ルールの作り直しをしなくちゃ、というふうに根本的なところで物事が動く、これは同じ激動でもだいぶ性格が違う。例えば子供が原っぱに集まって何かやっていてそんな時何かのきっかけで誰かがルール違反をした、そんな時次のゲームを始める前に話し合いをしなければいけない、はた目でみている時はルールが決まってバタバタ動いている時は激しい動きですが、ルールを決め直そうと話し合っている時は、はた目から見ては動きがないように見える。しかしそれで物事は根本的に大きく変わってゆく、激動という言い方をする時は最初の激動と二番目の激動と両方種類があると私は思っている、そういう意味合いからすると今私たちが経験している激動の時代は二番目の激動の時代です。
 つまりルールづくり・ルールの組立て直しそれが問われている時代、四の五の言わなくてもすでにお察しの通り、例えば国会で議席や政党の離合集散、あるいは主張の変化もおこっている今まだ流動的です。おそらく今ある政党のうち10年後幾つあるだろうか読みきれない状況である。それだけでなく官僚の世界では、これまではっきり言って何となくナーナーでごまかしきられていた様な事は社会的に見て容認しがたいと言う事で、汚職・不正・不適性であると非難される事が多くなってきました。様々な形で「うみ」がでているとよく言われます、いろいろな意味で戦後の高度経済成長期以来日本を引っ張ってきた様々な制度がこのやり方では駄目ですよと、問われる段階にきている。
 これは、何も急に政治のシステムにだけに来たわけではありません、もともと経済は農業も含めてきた事ですが、むしろさしあたりは、工業とか含めて広く考えて頂きたいのですが、経済のやり方自体が、かつて日本が総体的に貧しかった時代から豊かな時代になり、さらに単に豊かで先進国に追いついただけでなくて少なくても世界の貿易のやり取りの中で、あまり身勝手が出来ないくらい大きな存在になって来たという事と無関係ではありません。
 経済のやり方、仕組みも大きく変わりました。例えば、ここ数ケ月の間円が安くなって来ている、と言っても117〜118円の水準です、私が子供の頃は、 360円と言う世代ですが、お若い方でも円が大体 200円代と言うことをよく覚えていらっしゃることでしょう。それから考えると、とんでもない円高ですよ。そういう水準の中で農村地域にも小さい規模の電子部品なども作っている工業主さんがいらっしゃると思いますが、大変苦労されている。大変苦労して円高の状況の中で、どういうビジネスなら生き残れるかと、取組まれています。なぜそういう事が起こったか。日本経済が成長し拡大し、皆さんが一生懸命頑張った結果ですけれど、その結果、日本はかなり成長した世界経済の中で、日本がちょっとわがままな事をすると、迷惑がかかる国が沢山出て来る規模になって来ている。そういう中で外からルールを守ってくれないと困る国際的なルールを押しつけられる。それが必ずしも以前からあった国内的なルールとは一致しない事がいっぱいあるわけです。ルールを変えなければならないわけです。しかし、一朝一夕にはいかない。
 しかし外からの圧力では、待った無しでかかってくるわけで。様々な事でいわば少しずつですがルールの作り直し・見直しをやりましょうと言う事が、ずっと言われているわけです。早いものでは80年代初めから言われているわけですし、比較的順応出来る部分からそういったルール改正が行われた結果、どんどん今度は国内的にも単なる外圧だけじゃなくて、新しいルールでゆこうよという部分が増えてくると、取り残された部分に対する圧力は大きくなります。たとえば、通信事業の分野はかなり早い段階から自由化が手を付けられました。農業の部分は、例えば具体的産品の輸入自由化という事でこれが始まり、そしてさまざまの形で最終的に食管法がなくなりました。そういった様な状況を踏まえて、農業のやり方のルール自体を考え直しましょうと言う事で問い直しが行なわれています。では、そこでのポイントは何であるか、外から押しつけられた新しいルールというのは、基本的には、「自由化」と言う言葉でよくいわれる事です、つまり自由化というと、「自由になって束縛から取り離されていいな」と思いがちですがそういうわけではない、つまり自由の反対この場合は、「管理」だと思っていいわけです。「勝手にやっていいよ」というのは自由で、そうではなくて管理をしましょう、そのために皆で話し合い、ルールを作ってルールにそってやっていく、これは管理のやり方です。
 日本の農業は、長い間個人の自由で勝手にやって出来るものではないかたちで来ました。これは諸外国に比べてみてもそうです。例えば、農地の所有制度一つをとってみても非常に不自由です。アメリカや他の諸国でみられるアグリビジネスと言うものは日本では発達しませんでした。これは農業生産の根本である土地を所有するということはアメリカの様なかたちで出来ないからです。日本では自作農を尊重してそれを中心として土地制度を作ってゆく、それをルールとしてきちんと作って、土地に関して厳しく管理してゆくわけです。あるいは個々の農家の出荷に関しても必ずしも法律でしばっているわけでなくても、例えば農協を通じて市場に出していくというのが大きなルールになって地域の中で農協が一定の役割を果たしているという事がずっと定着してきている。しかし、そういった管理の延長線上にいろいろなものが重なってくるわけです、それは、国の農政と農協と本来ならば農業に従事している農民の協同組合であるべきものが、半ば農協が半分お役所みたい形になってきて、場合によっては行政と農協と持たれ合いが行われる、そういった部分も含めて様々なかたちで農村の姿はいま作られてきているわけです。皆さんは、一人一人はたてまえの上では自由経済市場の中で自由な企業家として農業をなさっているわけです。ですからたてまえの上では自分の作った作物が誰に売ろうが勝手に決められるわけです。しかし実際問題はそうはいきません。やっぱり農協にかなりの量出さなければいけないとか、あるいは地域の中の話し合いがあってこれをどのくらい作ってくれという事になればそれも引き受けなければいけない。何も不自由である事が悪いといっているのではない。そうではなくてそうやって皆が協力してどこか管理して責任を持ってやる体制を積み上げて来て、今の農業の姿があるということです。そうやる事によって例えば、行政から補助金が下りてきて農地の管理・整備が行われたりするそういった事が可能になってきたわけです、非常に密接に。
 誤解がない様にいっておきますけれど、日本の農政をよくカタカナの「ノー」にして全く方策がいい加減で政治的なものは何もないみたいな言い方をして批判的に「ノー政」といいます。しかし少なくとも政策的に政府から農業に投下される補助金という意味合いからいうならば、これはどこの国でも農業に対して補助を行っています。先進国であってもそういうものの在り方から考えた時、少なくても他の事業、例えば工業や商業にくらべれば農業は公共的な性格を持っているという主張を背景に、例えば行政と密着する事によって今の姿になっています。そういうふうな管理を行う、あるいは行政・公共と密着してゆく単純な自由経済ではないという形でずっと育ってきた日本の農業、それに基盤をおく農村に自由化を大きな旗印にした波がどんどん押し寄せてこようとしている。自由化自体は、国際的流れの中で避けて通れません。
 ただこういう問題が起ります。今あるシステムの中でどういう物が自由化をしなければいけないか、どういう物は自由化という物から脇において従来通りのやり方から近い形であるいは従来通りとは違うかもしれないけれどやはり保護的なあるいは管理的なやり方でやるべきなのか、その見極めをしなければいけない段階になっている。つまり、単純に従来の様な非常に管理的な公共的な方を強調した政策ではもうどうしようもなくなってきていること自体は明白であるわけです。ただそこで、いわば体制の立て直しをして、どの部分は自由化にはそぐわないのか、どの部分は自由化してもどの部分は違う形で保護しなければいけないのかという事をいわなければいけない段階に立ち入っている。
 そこで、農業基本法を根本的に見直して行こうじゃないかという事がでてくる訳です。ですから誤解のないように理解して頂きたいのは、何らかの形で自由化に向けた動き、あるいは何らかの形で農家が行政とべったりしている状況からはがされてゆく動き、あるいは補助金がもらえなくなるかもしれない、あるいは公共的な投資が放っておいたらこっちに簡単にこないかもしれない、そういう状態になる事はまず必至です。必ずやってくる。少なくても今のまま放置すれば国会の議席の上で都市部の票の方が上回っているわけですから様々な形で農村部の利益という物は削り取られていく事は必至です、避けられない事です。もちろんいろんな抵抗は出来るでしょう。しかし、いろんな抵抗をした所で例えば10年、20年あるいは一世代という事で考えて見れば避ける事は出来ません。問題は、そのような状況を踏まえてみてどの様にすれば農業というものの意味を国民全体の問題としてとらえ直してもらえるか、そこのところにある。

 今問い直されている事は、本当に国民全体が合意して維持することができる公共的部分・管理的な部分その部分は一体何かという事をどの様に作り上げていくかという事です。ですから新農業基本法の中でたとえば自給率の最低限これだけはという話もでてきますし、また環境保全のために農地利用をこう考えなければいけないんだなど、いろんな話が出てきます。しかしそのようなプロセスの中で大事な事はまず農村にある農業を産業として見つめ直す事が出発点だと私は思っています。農村ではなく都会の視点から見るとこれまで農村農業には沢山の補助金が投下されてきている。基本的には所得税を中心としてあるいは事業税を含めて都市部から税収を吸い上げてそれを地方に還元するというのが従来の国の税のシステムであります。
 そういう意味で都市部の人から見ると農村というのは、これまでも税金が沢山落としてこられたじゃないかと思われている。しかし農村から見ると補助金だのなんだのあるけれど実際はかゆいところに手が届くほどお金をもらえているかというと、そうではない。的はずれのものを作られたりする。あるいは実際大きなお金が入ってきたけれど実際役に立った形になっていない。しかし都市の側から見ると沢山お金が落ちているとしか見えません。そうするとこの上、俺達はこれで日本の環境を守っているんだからちゃんともっとお金を出してもらわないと困りますよと、たとえばそういう議論を単純にするだけではおそらく国民的合意はなかなか得られない。
 都会の人にはどういう偏見があるかというと、農業というのがある意味で産業でない、ビジネスではないという偏見があると思う。まず実際農作業などしたことがない人は何となく農村というのはお金のやり取り・貨幣経済の埒外にあって何となく自給自足的な生活を送っている。そういった先入観があります。だから都会の話で農村を描くと、例えばおじいちゃんおばぁちゃんは家の裏で自給自足の菜園を作っているそういったイメージで、実際にはおばあちゃんも正規の労働力としてレタスなんかを運んでいるかもしれない、レタスがきびしいかもしれないがパセリくらいをきちんと作って出荷し、商売しているかもしれない。しかし都会には農業でどのように労働がおこなわれているか、どういう労働実態があるのか、サラリーマンにくらべて実労働時間がどういったかたちで行われているかということに関する意識がほとんどありません。実態は理解されていないわけです。都会の目から見る農業は、いいかげんに中途半端に行われていてそれでいて一応補助金がある、あるいは日曜百姓でやっていてもできる。米に米価が支払われていて、それで国がこれまで米価というのは皆さん審議会の時ハチ巻して集まって「米価上げろ」そういう所ばかりがニュースになるので政治的な圧力を使って米価を支えることによってお金が入ってくる、というとらえ方しかしていません。
 現実の農業はどうなっているか、確かに兼業でなさっている所、特に第二種兼業でなさっている所、あるいは様々な事情があって後継者がいらっしゃらない労働力が高齢化してきている。そういう立場に置かれている人達は非常に苦しい状況の中で農業を続けているわけですし、それを必ずしも一般の企業と同じ様に論じることは適さない、しかし多くの農家と呼ばれる様な人々はいわゆる一般の工業・商業など企業とほとんど変わらない形の経営をなさっている、リスクをとって利益を上げていて実際経営に失敗すれば倒産する人もいる訳で、その分逆にボロ儲けしている人もいる訳です。皆さん農家の方々は今ほとんどが企業経営をしている訳で、実際に、あるいはそういう自覚をもって、取組んでいかなければいけない規模のビジネスをしている訳です。
 ところが企業として考えてゆくといくつか問題があります。時間がないので、はしょって説明しますが、そもそも農業は土地が基本ですけれども土地の所有制度というものは戦後の農地解放以来のシステムというものが基盤になっていますけれどもこれを例えば企業経営を考えた時、規模拡大を行うこととは必ずしもうまく整合しない制度になっています。もちろんこの件についても今の制度でも様々な努力をされていて規模拡大をしたい、大規模で営農したい人々、規模拡大するために借り畑をすることもやりやすくなってきていますし、あるいは農業法人・営農法人を作って大規模経営する試みが様々な工夫がされています。それは必ずしもこの辺りでは、野菜・果樹に関してだけではなくて水田に関しても同じ様に試みられています。そういう形で少しずつ風穴は開けられています。しかし農地の根本的な所有の問題、あるいはそれを耕す問題、そういう問題というのは、必ずしも根本的に整理されているとは言えない。小規模な自作農を沢山つくることが正義であった段階の制度がそのままのこっているのです。今必ずしもそれが正義であると主張できるか、なかなか難しい問題だと思うんです。
 産業だとすると労働力も問題です、通常の産業はどんどん世代交代してゆくわけで若い人を雇って年寄りの人が引退してゆく、引退してゆくのに対しては一定の年金的なものが支払われる。そういうシステムになっているわけです。ところがこれだけ世の中で不況である、就職難である仕事がない、大卒でしかるべき所に就職できない中途半端の所でアルバイトするなんて人が1/4に達する、なんて話を聞いたことがありますが、今年は若干好転している様ですけれども、しかしそういう状況でありながら農家の後継者問題は解消されたかといいますと、そんなことはないです。なぜでしょう産業間の人口移動、ある部門の産業がうまくいっている時は別の産業の部門では人がとられるのは仕方のないことですから、日本の高度経済成長期に農家の後継者が非常に少なくなっているのは仕方のないことですが、今他の産業部門では人が余っているそういう状態なのになぜ農業に人が帰ってこないんでしょうか。これは様々な理由があるのは皆さんご承知の通りでしょう。これは農業適格者という問題もあるでしょう。このことに関してふれると長くなりますのでふれませんけれども、いわゆる帰農するということはなかなか難しい困難なのが実際です。これは個々人の帰農希望者の資質の問題だけではないんです。はっきりいって都会に住んでいる人間が自分は農業をやりたいと思っていてもロマンティシズムというかあこがれだけで言い出しても実際にものになる人は10に1人でしょう。しかし今の制度では実際にものになったかもしれない10人に1人のそのまた10人に1人くらいしか農業経営に携わることは困難です。現状のシステムではそうなっています。
 あるいはもうちょっと現実的に見てゆきますと、例えば第二種兼業の様な形で役場に勤めていた、あるいは農協や工場に勤めていたが、定年になったんで農業でもやる、こういう部分は無視できない、通常の業務をやった後で60、65歳になって農業をやるのは結構多いでしょう。実際農家で作業なされている方60代、70代なんて平気でいらっしゃいます。例えば60代で始めたとして15年間75歳迄実際に農業に就労されるでしょう。しかし私自身そういう形で帰農してゆく、つまり別の仕事をしていた人が農業に戻ってくるというもの意外にそんなに安定した形ではないと思っています。何の事をいっているかというと、大体今50代位の方々は比較的子供の頃から農業の機械化・合理化が進む前の段階から総動員で農業をやる事を経験した世代の方々です。その方々は子供の頃からある程度土に親しみ農業をやった経験があればずっと兼業で農業をやるつもりにもなるでしょうし、また実際に本業を退職した後に農業に帰農しようという形になられて不思議はない世代です。
 しかし今私は今年40になりますけれども私くらいの世代になってきますと、農家の子弟であってもかなり難しくなってくる。そういう事を考えますと退職後の専業化というのもそんなに長い間農家・農村を支えられる労働力の供給源ではないというのが私の率直な皮膚感覚です。異論ある方もいるかもしれませんが・・・・。つまり簡単にいいますと、今50歳代の人が帰農して75歳まで働いてくれるとして、25年経った時農業は誰が支えるかは大問題です。25年くらいは何とか年寄りが頑張れば農村の労働力は確保できるんです。逆にいうとすれば、おそらくここ20年位の間に農村のありようというものは労働力問題からみてもかなり根本的な変化を迎えざるを得ないと思っています。
 労働力は結論からいうと産業部門間の移動がなくなって、誰でも普通のサラリーマンの人が退職してタコ焼屋でもやるかと思うのと同じうに、サラリーマンやめて農家やるか、百姓やるかと言える様な状況が仮にでてきたとして、それでも後継者問題が生じるとすると、産業としてビジネスとして魅力がないことになります。ビジネスとして魅力がないという事を簡単にいうと「儲からない」ということになります。儲からないと人は来ない。ところが様々な形で農業の収入というのはやはり例外があり努力されていますが、長野県の農家の農業収入はそういった意味では高い水準があると思うんですけれど、しかし本来の農業を普通にやって自由競争主義の中でまともにやったんではそんなに儲かる仕事ではないです。
 だけれども必要だからということで様々な形で社会的支援が投入されます。はっきり言って補助金が投入されるわけで、補助金行政は悪いわけではないです。例えば道路を造ることを考えると公共投資の一番基本ですれけれど、道路を造るとお金がかかる、造るためにかかったお金を回収するために、高速道路みたいにゲートを造って通行料を取ると言うやり方もありますけれども、実際には普通の道路ではやりにくい、それをやるくらいなら皆からお金を集めてそのお金で道路を造りましょう。その道路を造って皆が便利になればいいんだから、そういう考え方なんですよね、これは、公共事業の基本です。農業も同じ様なところがあるわけでつまり農業をやることは通常の資本主義の自由な経済メカニズムの中で農業・農家にもたらされている利益は不十分かもしれないけれどもそこに様々な支援をして支えてあげることで、農家というものを支えてあげましょう。そのことに関して国民的合意があれば当然税金が投入されるわけです。それが補助金という形になるかもしれませんが、あるいは所得補償という形になるかもしれませんが様々な形が考えられるわけです。
 しかしそこで忘れてはならないのが、農業というものが公共性をもつということが絶対必要な条件になってくるわけです。公共性というのは難しい言葉に聞こえるかもしれませんが早い話、農業というのはそれをやっている農家の人だけでなくてみんなにとって絶対必要役に立つ意味のあることなんだと、皆が認めるということなんです。いくら農家の方でこれは公共性があることなんだといっても他の皆が認めてくれなかったらそれは公共性は認められないわけで、それが非常に大事なわけです。例えば、水田がなくなったら、日本の地形から考えて保水力が問題だ、これから洪水が起こるかもしれない、国土が荒廃する、豊かな土が流出するといくら言った所で、そのことを他の国民の人が理解してくれない、あるいは理解しないだけでなくて仕組みが分らない、またいやいいんだ我々は国が荒れてもいいと選択してこれから考えていくんだ、国が荒れても、例えば財政を立て直す事が大事だ、そういう議論が出てくるかもしれない。そういうふうになってしまったら理解を得られた事にはならないわけです。それでは農業が公共性をもった事にならないわけで、ですからそういった意味では社会的資源の導入が農業をやっていく上では不可欠ですしそれを裏づけるには公共性の主張がなければならないことになります。

 しかし今いった公共性とは裏腹ですけれどもあくまでも基本的な競争は自由競争です。強いものが勝つわけです。いい品物を作った方が勝つわけで、同じ品物を作った人でも販路の開拓に上手な、宣伝上手が勝つわけです。そういう競争に農業ものりこんでゆきます。そしてその中で、産地間競争がおこりブランド間競争が出てくるわけです。ここで大事なのが全国一律の農政というレベルとは別に、ぞれぞれの地域で地域の特色を活かした形でいろいろなことを決めてゆく大事さ、産地間競争というのは、産地形成というのをしきりにいわれました。そこで何が大事かというと地域の人が主体的に取組む部分があってはじめてそこで根ずいた産品というものが開発されるわけだし、そこで産地が形成されて市場で競争力を持つわけです。逆にいうと、その努力が不十分であれば非常に特色の無い、焦点のない農業しか行えない、そして同じ様にものを作っても市場で評価されにくいということに追い込まれてゆくことになるわけです。
 この部分は非常にきびしい競争がこれからも出てくるでしょう。ただ競争というと何でもかんでも強いものが勝って弱いものが負ける、一番強いところが勝ってあとは生きのこれないのか、そんなことはありません、市場はさまざまなニーズがあります。市場にはいろんなものを欲しているいろんな人がいるそうすると自分達の産品に合ったお客さん、自分達の作っているものを欲しているお客さんをうまく掴んだ所が、自分達独自のスタイルを確立して生き伸びることができるわけです。これはかつての様なマス市場といいますか全国一律同じ様な顔をしているお客さんのことだけを考えていくのでなくて、いろんなお客さんがいる、そうしたお客さんのニーズにあった形で自分達は生産してゆくんだという意識が必要になってくる。
 こういった事をするには地域ごとにさまざまなかたちでノウハウの蓄積が必要ですし、商品開発なんかをやっていくための連携プレー、具体的にいうと市町村の農政・農協・普及所などが連携プレーをやってどういうふうに産地形成をするか、新しい商品開発ができるか、最後は、一軒一軒の農家が独立した企業ですから家の西瓜を一番おいしくするにはこういうふうにしたノウハウがあるんだからという企業秘密があるかもしれないが、しかしそれでもある程度地域で連携して技術を高めてゆくこれは工業製品においては当たり前に行われているわけです。例えば長野県で一番有名なのは坂城町というところがありますけれども工業製品・工業部品に関して一つの町の中に小さい工場がたくさんありまして、ひとつの仕事に対して互いに切磋琢磨するわけで、仕事のやり取りをして互いに技術の水準を高めあってそれで他の地域から下請けの仕事をいくらでもとってくる形になってくるわけで、同じ様な事が諏訪でも岡谷でもあるわけです。地元の松本でもあるわけで木工などはそういったところがあるわけで、同じ様に農業も地域の篤農家、積極的に専業農家でやろうとする人達やそれに準ずる方々が技術の事、産品の事を真剣に討論する事が積み重ねられる雰囲気というのが実際にこの地域はそういったことがある地域だと安心していますが、そういったことすべての事の原動力になるという意識が必要だと思います。そういうふうな形で、一般の企業として見た時に一定水準をクリアーした農業、そういった農業に対して自分達は他の産業と同じ様に経営努力をし、そこで社会に貢献し、しかしそれでもなお根本的な構造として公共性をもっていて一定の社会支援の投下をしてもらわないと成り立たないという主張を堂々としてゆく筋道が必要になってくるわけです。
 同時に農業には一方で生業としての農業があるわけです。生業というのを簡単に言いますと、商業の例でどこかに小さな店があります、代々タバコ屋をやっている角の小さい店です。その主人はタバコ屋をやっていて年収300万円あるとしますと、大きな年収ではないけれど300万円あれば一人食べていける、と言うことでその方は、300万円の収入を得て生活をしています。つぶれません、その人が300万円で満足している限り。ところが誰か第3者に貸して賃料をとり、本人はなおよそへ行ってタバコ屋をやっていた時間働いて賃金所得を得るとすると、両方たせば500万円になるのに,300万円で満足している。そういうことを商業関係では生業的経営と言う、大きなスーパーがつぶれて昔からの小さな店がお客さんが入っていなくてつぶれないのか、残っている、この仕組みです。本当だったらもっとお金を儲けなきゃと言って割が合わないものを、これでいいやと経営している。農業にも同じ様な形があるのです。つまり本当のことから言えばこの畑に有効に利用してちゃんと労働力を投入して作ればこれだけで儲かるんだけど、まあいいかげんに作っているわけではないが家は祖父さんと祖母さんしかいなくて大変だから、キャベツは重くてできないし、軽いものにして、パセリにしておくか程度でそれもまめにはできないから、高い値段では出荷できない、そんなかたちの農家はやっぱり残るんです。
 問題はこういった生業的に行われている農家をいかに地域に取り込みつつ、しかし企業的経営をしようとしている農家の人達の足を引っ張るかたちにならない、村の中のバランスをどう作ってゆくかこれは重要なことです。先ほど[主催者側の挨拶の中で]死語になった「貧農切捨て」という言葉がありましたが貧農ではないけれども村全体の中で土地利用を考えた時に優良な農地を低い生産性のままで扱われている方がいらっしゃる場合に単にその方個人財産だから自由に処分してもいいという原理だけでは見過ごせない部分がでてくるわけです。そういった議論の中で新農業基本法の中ではかなり土地制度について新しいことがでてくるだろうといわれていますけれども、この生業的な農家を制度の中で敵にまわすのではなくて、いかに今の投下できる労働力、今できる農業のやり方その中でどのように村全体の農業の在り方に貢献できるのかそのバランスを考えてゆく必要が出てくると思う。

 ここまで話してきましたので農業に基盤をおいた、農村という地域をどう考えてゆけばいていのか、まず農村は誰のものかという事で、二つに分けて農業は誰のものか、地域は誰のものか、という問い掛けを出してみました。別に私自身に確固たる答えがあるわけではありませんが、すでにお話しした事から分る様に少なくてもそこで実際に営農している、農民だけのものではない事だけははっきりしているのです。
 つまり農地があって、それはたとえ自分の所有地であって、それは勝手にどのような使い方をしてもよいのか、勝手に荒らし作りをしてもよいのか、飼料用作物などをまいておいて一昔前の奨励金などをもらって飼料用作物をどこに売るわけではなくて、身内で畜産をやっているところに上げちゃう、そういうふうな作り方を放置していいのか、もちろん必要な部分もあるでしょうけれども、しかし自分たちが持っている農地をどういうふうに使うのかという事は、一農家経営主体として自分だけの問題ではなくて地域全体の問題で地域として産地形成する問題であるわけです。さらに別の形をとしてのつながりは、例えば自分が作っているものを買ってくれいてる消費者の顔がだんだん見えてくるとその消費者とのつながりの中も決まってくるわけです。特定の消費者・生協・消費協同組合とかあるいは、産直サークル等がありますが、そういった所と結びついてくると自分が作っているものをどのように作るか、あるいはどのようなものを作っていかなければならないかという事は自分一人の事ではなくて、それを買ってくれる人、最終的に食べてくれる人に関わってくるわけで、そういった形の広がりの中で自分がやっている農業を考えていかないと独り善がりでやっていくとなかなか自分がやっている事に対して世間の・都会の理解を得る事は難しくなってくる公共性を主張する事は難しくなっているという方向がある。
 さらに、農村地域のことを考えてみますと、松本平の平場にいらっしゃる方ならば農村の中で農家の比率がもはや多数派とはいいきれなくなっている現実に直面されているはずです。つまり実際に就労人口の中で農家の占める比率はだんだん低下しています。特に専業農家ですが、専業・第一種兼業でみるとそうなっています。第二種兼業もあやしいです。全く農地を持っていない村民・町民がふえています。
 特に1970年代後半以降松本平は全国有数のモータリゼーションが進行し、自動車の普及は著しいですおそらく日本中探しても免許持っている人の比率、車を持っている人の比率はおそらく最高水準ですトップ10位にはいるくらいです。そうして農水省からお金が出て農道の立派なものができますから簡単に松本に通勤できるわけです。車で15分、30分というのは都会では信じられないほどの短距離の通勤です、私は東京におりまして片道2時間以上通勤にかけていますから、それから考えると私は松商に通っていた時は、穂高町で松商の教員の中で一番遠くから通っていたんですけれどもそれでも30分で通勤していました。30分というと随分長いねと、この辺りではいわれます。つまり車で移動する事を前提に考えれば実はどこに家を建ててもよくなる、そうすると実際の職場は松本・塩尻でも土地が安ければどんどん村に入ってくるわけです。とすると村は農村だ農村だといっていても気が付くと非農家比率はかなり高くなっているわけです。もちろん単純多数になるかどうか知りませんが地域の事情が違いますから、しかし同じ様に村の行政が考えた時に農家の利益ばかりを行政が考えるわけには行かなくなって来るわけです。
 そういった形で地域の中で農村だ、農業で一枚岩だと思っていたものがそうでなくなって来ている。それだけではなく一方で、純農村の比率が高い所ほど人口の流出が、一時期ほど激甚ではありませんが、確実に進んでいます。それを非農家が入ってくる分で横ばい微増という所がほとんどです。そういう文脈で考えますから先祖伝来そこに住んでいた人が村にいるわけでもだんだんなくなっているわけです。そういう人達が多数派になるまでは少し時間がかかるでしょう、しかしそういった人々をよそ者だから、あるいは村に付き合いがない、例えば消防団、外に通勤する人が消防に入っていられませんから、だから消防団に入っていないからといって排除ばかりしていると、一つの村、町の中でさえも意見調整さえしにくい状況が現実に起こりかけています。
 私はそういう状況を踏まえて考えるのですがこれも新農業基本法の中でいわれている事ですが、村落の農業を中心とした農村社会というものをいわゆる伝統的に持っている閉鎖性を一気に転換させる事は難しいにしても、ゆっくりと時間をかけて開かれた社会にしてゆくための努力が要求されている。そしてまた、少しずつ開かれた社会になっていくこと自体は、世代が変わっていく中でだんだんに自然におこっている部分もある。だから何も特別なことをしろといっているんではなく、だだ例えばここに集まっている皆さんは、わたしの年代より上の方々ですので、お子さんを想像していただくと分るんですが、例えば自分達と子供たちの世代を考えてみた時に子供達の方がはるかにプライバシーみたいな意識、あるいは周囲の地域の付き合いが煩わしく思ったり、監視されている様でいやだ、そういう感情を持つというのは若い世代に自然に芽生えている。それはいろんな意味での、いやでも閉鎖的社会がいやでも変質せざるを得ない事の表れです。それを単に時間の流れで放置して変化させるだけでなくて、もっと積極的にいろんな意味で開かれた社会関係に転換してゆく事を考えてもいいんではないか、そこで私がいろんな地域で、議論して貰っている事は「外部を巻き込んでゆく発想」が必要じゃないか、つまり村で何かやる時には村の中だけではなくて、たとえば都会の人・隣接する地域の人そういった人々を巻き込んだ村づくり、イベントをやってゆくそういう発想が、あらゆる局面で必要になってくるではないか。これを農業にあてはめると、例えば観光農園ではないが、農作業なり継続的に都会の地域の学校・消費者団体等誰でも実際に見にきて貰う、部分的に参加して貰う、そういった活動をもっと拡大してもいいはず、つまりその村には住んでいないけれど、あるいは血のつながりで村を故郷としているわけではないけれど、それぞれの村が故郷と感じられる様な都会の人が増える、その村のサポーターになってくれる様な応援してくれる様な人を増やしていく。そういった意識の事業をもっと拡大していかなければ農村の本当の姿をなかなか理解してもらえない、あるいは農業のやり方を理解して貰えない、あるいは逆に営農して実際産品を都会の人々に売っている立場からいった時に都会の人々がこういうことにこだわっているのかという事を、顔が見える形で経験する機会はなかなか得られない。そういった意味からするとひとつのアイデアとして申し上げたわけですが、いろんな様々な形で村にやってくる様な村を作る。そうゆうふうな村づくりを考えてゆく。いろんな人がそこに関わってくる様な農業、そういう農業づくりを考えてゆく。そういう発想で物を考えて行かないと自分たちのやっていることを適切に評価してもらって、公共性を政治的にも主張してゆくことは難しい段階になってきていると思います。
 簡単にいうと、敵をつくって対決していって自分のパイをとって大きくしてゆく発想が従来の農業団体の農政の取組む姿勢であったと思います。そういった意味では非常に全中が強力な組織だったわけです。しかしこれからはそのやり方では通用しない、そうではなくていかに味方を増やしてゆくか、自分達の主張を理解してくれる様な支持してくれる様な人を都会のなかにも沢山築いてゆく、あるいはそういった自分達の主張をいかにまず地元の農村の中で共有する人を増やしてゆくか、という味方を増やしていくことが重要になってくると思う。

 一番最後に「軟着陸」か「永続革命」か申し上げましたのは、おそらく先程も申し上げましたように、私はこれからいろんな変革が始まる、バタバタいろんな制度が変わる、そのためにタイムリミットというのはだいたい20年位はあると思っています。
 それは今のやり方のまま、オンボロになっても農村がヨタヨタしながら何となく今のシステムを温存できるとしたら20年が限度、そうすると20年かけてもいいというんじゃなく、10年でも20年でもいいんですがその間に、何らかの新しい農業の在り方に軟着陸するか、軟着陸ができないというならば常に新しい変革を普段につづける。「永続革命」と書きましたけれども、それがための仕掛けができ上がる。そのどちらかにこの10数年の間にたどりついかないと、単に日本の農業、日本の農村にとっての不幸の事態というのではなくて、日本国全体にとって都会の人間も含めて極めて不幸な事態となると危惧するのです。ですから何か一つ安定して状態を目指して軟着陸してもよし、あるいはそもそも安定することなんて有り得ない、様々変化するのだから、どんな変化がきても自分達も変わってやるという仕組みを作る、どちらでもいい。いずれにせよ、これまでのやりかたをどう長らえさせようという発想だけでは、やはりその先に行かないのでないかということを考えております。
 時間になりましたので以上で終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。



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