雑誌論文(学会誌査読論文):1984:

宮城県石巻市における地域紙興亡略史−地域紙の役割変化を中心に−

新聞学評論(日本新聞学会),33,pp215〜229.


///年表1 戦前///年表2 戦後///

年表1 戦前
年号「石巻日日新聞」関係新聞関係その他
明治33 鎌倉恒蔵「千松島」創刊(月2回・明治44移転) 
40山川清「牡鹿時報」創刊(月刊・明治44廃刊)小野田骨堂「牡鹿」創刊(月刊・?)
45 佐藤養吉「牡鹿時事新報」創刊(旬刊・大正4廃刊)石巻・小牛田鉄道開通
大正元山川清「東北日報」創刊(日刊・間もなく休刊)所在地・裏町  
2「石巻日日新聞」に改題
西条芳三郎社長就任
3一時解散
米倉清五郎社長就任で再建
仲町移転
4松川鉱四郎社長就任(佐藤露紅・佐々木泰治との共同経営)
5 「河北新報」石巻支局開設
6佐々木泰治退社山田保社長、佐々木泰治主筆「日刊宮城」創刊(日刊・?)
9  石巻文化協会結成
この頃協会に招かれ荻原井泉水・野口雨情・中野正剛・永井柳太郎・長谷川如是閑らが来石
10在京各紙の委託通信事務開始
13 在京各紙石巻支局開設
昭和 3佐々木泰治「日刊宮城」復刊(日刊・昭和13廃刊?)仙台・石巻間鉄道開通
JOHKラジオ(仙台)開局
8 石巻市市制施行
10小野正雄「石陽新報」、菅原俊夫「オール石巻新報」、佐藤修「東邦日報」、相次いで創刊、いずれも(旬刊・?) 
11同盟通信社設立2.26事件
13新聞統廃合各地で開始
新聞用紙・鉛版・活字用地金統制
 
14 石巻・女川間鉄道開通
15「石巻日日新聞」廃刊東北振興パルプ石巻工場開設
16この頃松川鉱四郎が新聞販売業に転じる太平洋戦争開始
17 「河北新報」一県一紙となる 

年表2 戦後
年号「石巻日日新聞」関係「石巻新聞」関係その他
昭和21 設立(2.1)和田鉄夫社長
創刊(5.1)週三回
この間創刊・廃刊された主な群小地域紙−「週刊民友新聞」(後に「石巻民友新聞」)、「新石巻」(後に「めざまし新聞」)、「宮城産業と観光」(後に「宮城産業新聞」)、「石巻タイムス」「三陸経済新報」
22(この頃五千部程度)
23復刊(11.1)
佐藤露紅社長
所在地・立町
24日刊化日刊化
25坂下町へ移転 「牡鹿新聞」創刊
石巻市広報開始
26株式会社となる一連の紙面刷新
(写真製版・ブランケット・文字送信)
用紙統制撤廃
対日平和条約締結
27横町久円寺通へ移転
佐藤露紅退社
(斉藤末治が事実上の社長となる)
日本新聞協会加盟
NHK地方報道嘱託
(この頃から昭和35年頃までが最盛期で一万部弱程度)
用紙統制撤廃
対日平和条約締結
28 東京でテレビ放送開始
29ブランケット化 
30 和田社長県議選出馬・落選この頃「河北新報」夕刊、石巻へ本格進出を図る
32写真製版導入 
33 (この頃から編集陣が大幅に入れかわり、紙面が変化)
34斎藤末治社長東北放送・テレビ開局
35千石町へ移転NHK地方報道嘱託終了 
36  「宮城民友」創刊
  ↓
 朝刊単独化
40高速輪転機導入
42 4頁化
和田社長県議初当選
434頁化 
(この頃どちらも四千部程度)
45西条芳次郎社長 
46門脇五番谷地へ移転
オフセット化
(この頃六千部程度)
 市政アンケート開始

(工業港・新漁港の整備が進み、人口が急増する)
49稲井三治社長
(順調に増紙)
52旧印刷機械類廃棄
印刷営業をやめる
55やや部数を減らすオフセット化、受託印刷←←「石巻かほく」創刊
所在地・鋳銭場
→千石町へ移転
57門脇東上野町へ移転


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