2011:
寄稿・自らと、子どもたちのために.
市民タイムス(松本市),2011/04/29.


寄稿・自らと、子どもたちのために

山田 晴通    



 はじめに、自分の立場を明らかにしておきたい。私はもともと、原子力発電所を一種の必要悪だと考えてきた。原子力エネルギーの平和利用技術は、放棄されるべきものではないが、はなはだ未熟なものであって、安全な管理に必要な知見の蓄積が追いつかないまま、性急に実用化が拡大されてきた、と思っている。原発をいっさい止めろと主張し、原子力工学の研究すら敵視するような、極端な「反原発」の立場には賛同できないが、そうした立場の人々とも議論し、交流してきた。また、肥大化した原発依存体制には危惧をもってきたし、コスト面で割高でも将来の技術的可能性がある新エネルギーの開発や、省エネルギー技術の普及による、いわゆる「脱原発」の取組みが官民ともに必要だ、とする立場に立ってきた。もちろん、原発を地球温暖化対策の切り札のように宣伝する電力会社の姿勢には、強い憤りも覚えてきた。
 以前に一度、東京電力本社に呼ばれ、同社の広報担当者たちと話をする機会があった。自由な意見をと求められたので、原発の安全性や重要性の強調ばかりでなく、「脱原発」に取り組む姿勢も少しずつ見せていくべきだと話した。同席した他の研究者にも、また東京電力の出席者にも、その場では頷いてもらえたが、その後は二度と声がかからなくなった。もちろん、その後の東京電力の広報に、私たちが提言した「脱原発」の姿勢は盛り込まれなかった。
 震災後、福島第一原発の深刻な事態が長期化する中、国民感情は、曖昧な原発容認から、感情的な「反原発」へと、一挙に傾いた感がある。しかし今、私たちの社会に原発からの電力が必要なことは、残念ながら否定できない。おそらく、梅雨時から夏場に冷房需要が拡大していけば、東京電力管内の需給は逼迫し、中越地震以降一部停止している新潟県の柏崎原発の全面稼働も検討されるだろう。被災地の原発も可能なものは動かそう、という暴論も出るかもしれない。国民感情が極端な「反原発」に振れる中で、事態の収拾と電力供給に責任ある立場の組織や個々人は、社会の求心力を回復できるのであろうか。
 他方では、ひとりひとりの国民が、原発事故関連の諸問題について、徒に恐れず、安易な楽観もせずに、冷静で科学的な理解に努めることも、極めて重要である。日々の報道に従事する者、学校や社会で教育に携わる者の責任は、その意味では極めて重い。
 私たちは海から遠い松本平にいて、原発とは縁が薄い気になっている。放射性物質の飛散による放射能汚染の危険も、まだまだ遠い場所での話である。長野県は水力発電の電源地であり、他方では日照条件を活かした太陽光発電などの普及も比較的進んでいる。それでも、程度の多少はあれ、中部電力の大きなネットワークの中で、火力や原子力による発電の恩恵に浴していることに変わりはない。
 地域の中で、自分のこと、自分の子どもたちのこととして、原発について理解を深める努力をする。また、それを促すことが、今、私たちひとりひとりに求められている。

(やまだ・はるみち 東京経済大学教授、松本大学非常勤講師=安曇野市)




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