書評:2010:

片山杜秀著
『クラシック迷宮図書館—音楽書月評1998-2003』『続・クラシック迷宮図書館—音楽書月評2004-2010』

図書新聞,2010/08/28.2979号[8面]



縦横に展開されるエンターテイニングな音楽論

さまざまな読み方を読者に提供する好著


山田晴通

片山杜秀『クラシック迷宮図書館—音楽書月評1998-2003』1・23刊、四六判二八〇頁・本体一八〇〇円・アルテスパブリッシング
同『続・クラシック迷宮図書館—音楽書月評2004-2010』3・20刊、四六判二九六頁・本体一八〇〇円・アルテスパブリッシング


山杜秀は魅力的な書き手である。限られた字数のエッセイやコラムにおいても、巧みなフットワークで本質に斬り込み、博覧強記の片鱗を見せつけながら、ユーモア溢れる話の運びで、小洒落た下げに持ち込む、そんな芸当を片山は見せてくれる。まだ音楽関係の書き下ろしはないが、既発表稿をまとめて刊行された『音盤考現学』(二〇〇八年、アルテスパブリッシング)の評価は高く、サントリー学芸賞と吉田秀和賞を受賞している。
 ここで取り上げる二冊は、月刊誌『レコード芸術』に連載されたコラムを中心に、音楽書に関する文章を集めたもので、片山流の、読者にとって実にエンターテイニングな音楽論が、縦横に展開されている。もともと、独立した小文として毎月少しずつ読まれることを前提にしているので、通して読むと、書き手の仕掛けというか、話の展開パターンの流用が少々興ざめの部分もある。しかし、そうした所は、むしろエッセイの書き方のお手本として、分析的に読むのが一興だろう。なお、以下、『クラシック迷宮図書館』を<正篇>、『続クラシック迷宮図書館』を<続編>と呼ぶことにする。
 片山の本業は、日本政治思想史を研究する慶応義塾大学法学部准教授であり、その方面でも『近代日本の右翼思想』(二〇〇七年、講談社)などで評価されている。しかし、ある意味では当然ながら、ここで取り上げる二冊の著者紹介では、「音楽評論家、思想史研究者」と「音楽評論家」が優先されている。また、片山は、ともに『日本の作曲家―近現代音楽人名事典』(二〇〇八年、内外アソシエーツ)を監修した細川周平が所属する国際日本文化研究センターの客員として大規模な近代日本音楽史のプロジェクト「民謡研究の新しい方向」にも関わっているが、自らを「音楽学者」とは見なしていない。時には「音楽学者連中は、いったい、なにをしている?」(<正篇>、四六頁)と憤ってみせたりもする。片山には、「音楽評論家」を自任しつつ、音楽を「研究」の対象と表明することは意図的に避けているような節がある。
 音楽評論家、文筆家としての片山の芸風は、どこから来ているのか。片山は、著作で自らの来歴に触れることがしばしばある。<正篇>あとがきでは、小学生から「「大人の小説」をつねに持ち歩く」ような「読書家」だったのを「計画読書をやりすぎ」て「中学生のあたままで」で卒業し、「愛書家・蔵書家・蒐集家に転じた」ことが、また、<続篇>あとがきでは、幼稚園から小学校までやらされたヴァイオリンをやめてから、映画を通して音楽を聴くことに関心が向かい、東京文化会館の音楽資料室の音源資料のライナーノーツ、レコードカタログ、事典、作品表といったレファレンス資料による「楽書生活」に小学生から高校生まで浸っていたことが語られている。片山は、小学生の時(それ以前?)から非凡な子どもだったのだろう。少なくとも現在の片山は、そういうパブリック・イメージを積極的に築いている。
 <続篇>あとがきには、大学に入ってから「世の中のクラシック・ファンの多数派」と「趣味をすりあわせ、会話を円滑に運ぶために学習」が課題になり、「演奏批評や、名曲ガイドの本が書棚にふえだした」ともある。しかし、片山の学生時代のエピソードがもっと分かりやすく披瀝されているのは、<正篇>所収の「覆面試聴のススメ」(一〇七〜一〇九頁)である。そこでは、「大学時代」に、澁谷和邦、許光俊、宮崎哲弥といった「多士済々」が集まった「クラシック音楽の愛好家のクラブ」の夏合宿で、「部屋にこもりっきりで音楽クイズ」が行われ「カルト的出題が何時間も続く」という思い出が語られ、「マニアとしてはずいぶん鍛えられたというか、とにかく冷汗タラタラだった」というから、どれほどマニアックな世界が展開していたかは推して知るべしである。
うした片山自身の語る来歴は、片山が別の著書で素描した、ある人物の来歴を連想させる。片山は、『近代日本の右翼思想』で丸ごとひとつの章を割いて、安岡正篤を軸に「右翼と教養主義」を論じているが、そこで描かれる安岡の来歴(七七頁以降)は、後段での「アナクロ教養主義者としての安岡正篤」(一二六頁以降)という規定とともに、片山自身とも重なってくる。違いといえば、安岡が幼少期から既に過去の遺物となりつつあった「厳格な漢文教育を施され」(七七頁)、文人や剣客と交わるなど、その「少年時代に、世代的常識から「まるでかけ離れた古典的風格の人々」と日常的に交際を持ち、大いに感化された」(一二七頁)のに対し、片山の少年期の回顧には生身の人間から感化されたことが出て来ない、という点くらいだろう。同時代人とは異なる教養を幼少期からいち早く身につけたことで、「少年時代から、安岡には老成した風格が備わり、世情を超抜する感があったという」が、これは、片山自身を形容する表現でもあろう。
 一九六三年生まれの片山は、一九六〇年代生まれの「新人類」、いかに早熟であったとしても、ポストモダニズムの時代に大人として歩み出した世代の一員である。単純な世代論に還元するつもりはないが、この世代は、かつてのマルクス主義が絶対的であった世代、例えば「団塊」なり「全共闘」世代の原理的硬直性を相対化し、嗤い、また、すり抜け、逃走することによって、先行する世代の蓄積を揺すぶり、突き崩してきた。「重厚長大」に対する「軽薄短小」という構図は、既にあまり聞かれなくなったが、この対抗関係の後者を体現してきた世代の中に片山はいる。それは、片山がいかにアナクロ的であったとしても、である。片山の文章にしばしば現われる、読者へのサービス精神の背後には、こうした世代性が感じられる。
 若くてまじめな読者には、ネット環境のある場所で、固有名詞などを片っ端から調べながら読み進むことを勧めておく。それは、極めて安易な形においてではあるが、レファレンス資料に耽溺する小学生だった片山の経験を、僅かながら追体験することに繋がるだろう。より世間擦れした読書家にとっては、時間のあるときに拾い読みをするのに向いた好著であろうが、何か音楽書についてきちんと考えたり、論じなければいけない場面で、「さて、とりあえず片山はこの本について何を言っていたかな?」と思い出して開いてみるのもよさそうだ。
(東京経済大学・メディア論)




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