19世紀末英国のトルストイ主義実践地 Whiteway Colonyの現在の景観 山田 晴通 (東京経済大学) | ||
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英国グロスターシャー州ホワイトウェイは、テムズ川最上流部を成すコッツウォルド地方に位置する集落であり、行政上はストラウド市に属する。この集落の大部分を占めているのが、1898年にトルストイ主義的アナキズムの実践地として開設された Whiteway Colony と呼ばれる、コミュニティである。 このコロニーについては、居住者による出版物が刊行されている他、邦文でも1927年に当地を訪問した小寺廉吉による報告が残されている(Shaw,1935:Thacker,1993:小寺,1928)。コロニーは、もともと鮮明なアナキズム色や菜食主義的傾向をもっており、第一次世界大戦当時には、兵役拒否問題で一時は広く注目を集めた。 現在のコロニーは、土地は私有化されないという原則、また、住民総会でコロニー全体の意志としての承認を得なければ、(私有財である)家屋を、建築、改築、売買、相続することができないという点は、確実に受け継いでいる。しかし、もはやアナキズム色は消え、コロニーは行政に対してしかるべく納税し、公共サービスも受け入れている。 初期の入植者たちが掲げたラディカルな原則が、ある程度継承されてきた背景には、最初期の、自給自足を指向した農本主義幻想が破綻した後、酪農、製パン、工芸品などを通して起業家による(外部からの)貨幣の獲得が展開され、一定の成果を上げたことがある。 20世紀半ばに、コロニーは公共サービスを受け入れるようになった。また、その後のモータリゼーションの進行によって、周辺の都市部への通勤が可能になると、コロニーには、近隣都市への通勤者が転入し始めた。新たな転入者には、子供の生育環境を考慮してコロニーへの転入を決めた比較的若い核家族が多かった。 コロニーでは、土地は私有化されないので、通常用いられる住宅ローンを利用することができない。結果的に、自力で家屋の建設、改築、補修などができる技術をもった人々が転入することもしばしばあり、コロニー内の「私道」の維持管理など、コロニーの共同作業にとって望ましい効果を及ぼしている。 こうして、コロニーには、コミュニティ活動への積極的な参加という理念を共有し、能力もある人々が集うことになり、住民総会を中心とした、直接民主制によるコロニーの運営形態は、適切に継承されてきたと言えるだろう。 コロニーが開設された1898年は、ハワードの『明日の田園都市』初版が刊行された年であり、コロニーの取り組みも、大局的にみればヴィクトリア朝の英国におけるユートピア的計画都市の系譜に位置づけることができる。しかし、その時々の決定の蓄積によって景観を形成してきたコロニーは、図示できるような長期的マスタープランを欠いており、本国においても、日本においても、都市計画等の観点から注目を集めることはなかった。 英文文献では、しばしばコロニーの景観を乱雑で統一性を欠いたものとして否定的に捉えるが、結果として形成された景観は、居住者の個性が尊重され、なおかつ緑が溢れる、好ましい景観になっているように発表者には思われる。 |
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