学会発表(発表要旨):2000

FM西東京にみるコミュニティFMの存立基盤.

日本地理学会・2000年度春季学術大会(早稲田大学:2000.03.29.).




FM西東京にみるコミュニティFMの存立基盤
Managerial basis of a small-scale "community" FM station in Japan:
A case of FM West Tokyo, Tanashi, Japan.

山田 晴通(東京経済大学コミュニケーション学部)
Harumichi YAMADA(Tokyo Keizai University)

キーワード: FM西東京、コミュニティFM、地域メディア、パブリック・アクセス
Keywords: FM West Tokyo, "Community" FM station, Community media, Public access



 「コミュニティFM」は、概ね市区町村を単位とする小出力(当初は1w以下、その後規制緩和が進み現在は 20w以下)のFMラジオ放送局として1992年に制度化された比較的新しい地域メディアである。1992年12月24日に、函館市の「FMいるか」が最初の事例となる放送を開始してから、7年余りの間に、急速に普及が進み、2000年 1月18日現在、全国38都道府県に128局が存在している。
 一般的に地域メディアは、マス・メディアと比較して市場規模が小さいにもかかわらず、それに応じる形ではコストを圧縮できないことが多い。特に、日本の放送メディアの場合、先行した県域規模以上〜全国規模の放送によってサービスの質の水準が確立されているため、狭域を対象にそれに準じたサービスを行おうとすれば採算は到底望めない。その意味では、コミュニティFMも、現実には実質的な単年度黒字を出すことも困難な状態にあるのが一般的であり(黒字の事例も例外的に存在するが、会計上の操作によるところが大きいものと思われる)、商業放送 としての 色彩よりも「地域において公共性原理に基づいて支えられるメディア」としての性格が強い。
 しかし、「 儲からないが公共性があるから 」と地域社会から認知され、商業取引とは異なる資金の投下があることは共通しているとしても、その具体的な形態には多様性がある。自治体等の公共団体が、様々な名目で資金を入れて支えている事例は、第三セクター方式で運営されている局では一般的であるし、資本構成の面では民間企業色が強くても同様の状況におかれている局もある。また、これとは対称的に、別部門で十分な収益を上げている企業等がスポンサーとなって、コミュニティFMを支えている事例も少なからずある。
 採算性に乏しい地域メディアが、公共性の名の下に生じる資金の流れによって支えられるという状況は、メディアの違いを越えた一般的な構図である。コミュニティFMに見られるこのような多様性は、ケーブルテレビ(CATV)等の先行した地域メディアにも共通するものであると推測することができる。
 ここでは、東京都田無市をサービスエリアとする株式会社エフエム西東京(以下、FM西東京)を例に、その設立の経緯と、番組制作を支えるボランティア・スタッフの状況を整理し、上述したコミュニティFMの本質的性格が、放送事業の形態にどのように反映されているかを報告する。

■設立の経緯:田無タワーとFM西東京

 FM西東京は、株式の過半を地元の企業グループである田無ファミリーランド・グループが保有し、それ以外では地元と縁の深い上場企業などが株式を保有している純然たる民間企業である。FM西東京の最大の株主であり「親会社」と位置づけられている株式会社田無タワーは、MCA無線の制御局など多目的な基地局・中継局の機能を持つ「田無タワー (スカイタワー西東京)」を建設し、管理・運営する事業体として1987年に設立され、1989年に開業している。
 田無タワーは、関東地方でMCA無線を運営している財団法人移動無線センターが、1980年代半ばに多摩地区における制御局の新設を模索したことがきっかけとなって建設された電波塔である。移動無線センターは、制御局の建設適地であった田無市の新青梅街道沿いにまとまった土地を所有する株式会社田無ファミリーランドに働きかけて共同出資する形で株式会社田無タワーを設立し、建設資金の調達等でも支援をしている。こうした背景から株式会社田無タワーの経営は、設立当初から安定したものとなっている。
 田無タワー建設の過程では、民活法に基づく無利子融資などが利用された。株式会社田無タワーに少額ながら田無市が出資しているのも、民活法の認定要件の一つであり、同社の事業の公共性を担保する措置である。またそれとは別の認定要件として、株式会社田無タワーは、抽象的な表現ながら、郵政省から「地域情報化への寄与」が求められていた。開業当初は、その具体的な方策は先送りにされていたが、1992年にコミュニティFMが制度化される前後から、具体的な地域情報化への寄与としてコミュニティFM局の開設が検討され、1996年には郵政省に対してコミュニティFMに取り組む方針が表明された。その後の展開は急速で、1997年6月にはFM西東京が会社設立され、1998年1月31日に開局が実現した。
 地域メディアに限らず、(少なくとも短期的には)採算性が見込めない事業の場合は、それを支えるスポンサーの存在が不可欠である。特に、起業に際しては、十分な資本を用意できるインキュベーターが存在すると、事業化は早い。FM西東京の場合は、株式会社田無タワーがその役割を果たし、意思決定後の順調な事業化が実現したものと判断される。

■ボランティア・スタッフの構成と意義

 FM西東京には、フルタイムで制作に従事しているスタッフは5〜6名の契約社員しかいない。これに加えて、平日昼間の生ワイド番組のパーソナリティなど、番組単位での契約スタッフが数名いるが、番組制作に関わるスタッフの多くは、無報酬のボランティア・スタッフである。また、夕方以降の時間帯に多い、(生放送ではない)録音番組には、ボランティア・スタッフだけで制作されている番組も少なくない。
 開局して2年の間に、150名ほどがFM西東京のボランティア・スタッフに登録した。このうち何らかの形で現に活動中なのは89名であり、特筆すべきなのは、そのほとんどに当たるおよそ80名近くが、少なくとも2週間に1回以上はFM西東京のスタジオに通っているという活発な状況である。厳密な量的比較は難しいが、FM西東京は類似した規模の他のコミュニティFM局に比べても、ボランティア・スタッフがアクティブであり、番組制作活動全体に占める比重も特に大きいという印象を与える。
 コミュニティFMは、一つの市区町村ないしその一部を対象として免許されている。FM西東京の場合は、届出上は田無市のおよそ4分の3の範囲だけが放送エリアと位置づけられている。実際に聴取可能な範囲は、どの程度の受信状態をもって範囲を区切るかによっても異なってくるし、実際に画定することは困難であるが、放送する側は田無市に加えて、同市との合併が検討されている保谷市や、田無タワーより西側で比較的受信条件が悪いと考えられる東久留米市や小平市なども意識した放送を行っている。
 ボランティア・スタッフを現住所の分布で整理すると、もっとも受信条件に恵まれた田無市の市内在住者は全体の3分の1強に過ぎない。これに保谷市在住者を加えると2分の1強となり、さらに東久留米市と小平市の在住者を加えると全体の7割となる。逆に見れば、FM西東京の放送を自宅で聴取することがほとんどできないと考えられる者が、3割程度は含まれているということになる。こうしたエリア外に居住するボランティア・スタッフには、元々田無市などに居住していた者が転居し、その後もFM西東京とのつながりが続いているという例もあれば、大学の放送サークルの関係や、知人からの紹介などでFM西東京と関わるようになったという例もある。
 ボランティア・スタッフの活発な活動は、地域活動への市民参加や、地域メディアへのパブリック・アクセスといった文脈で理解することもできるが、実際に放送サービスが提供されている地域の広がりと、ボランティア・スタッフが集まってくる空間的範囲には、後者の方がより広いというズレが生じている。こうした現象は、1980年代のミニFMの実践の中で指摘された、いわゆる「スタジオ遊び」の延長としての放送番組制作への関与の機会が、周辺地域で余り提供されていないという事情を踏まえて、いわば「消極的」に了解することもできる。しかし同時に、地域を「交流」という視点から捉え直す立場から、こうした傾向を「積極的」に評価することも可能であろう。


この要旨の内容、および関連する文献、リンク等は下記のページから辿ることができる。
http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/genre/geog.html


関連文献:  順不同。必ずしも直接的な関連があるとは限りません。

関連リンク:

この発表を踏まえた、フルペーパーが既に刊行されています。(2000.10.26.)
山田晴通(2000):


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