山田ゼミ(東京経済大学コミュニケーション学部 2009年度「演習」)
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遠藤 智章

佐藤直紀から考える映画と音楽の相乗効果

・はじめに

 筆者の好きな映画のひとつに『ALWAYS 三丁目の夕日』1)がある。この映画を初めて観たのは不覚にも2005年ではなく、2006年12月1日にこの映画を制作した日本テレビの「金曜ロードショー」で放送された時だった。胸を熱くする瞬間が何度も訪れ、133分という時間が経った後は心身がとても心地よい状態になっていたのを覚えている。これがきっかけで筆者の趣味に映画鑑賞が追加されたほどである。映画というのは当然映像がメインであり、この映画に関して言うとは興行収入で約33億円を記録した大ヒット作であるのでネットのレビューなど見ると「ストーリーが良かった」とか「CGが良かった」といった記事が沢山あるのだが、「音楽が良かった」という記事はあまり見かけない。筆者はその音楽が映画の中でとてもいい味を出し、映像と同様に評価されるべきであると感じるのである。その映画を観ている際に耳に入ってくる音楽だけでなく、毎日の生活の中でiPodで『ALWAYS三丁目の夕日』の音楽を聴くだけでなんとなく懐かしいような気持ちに心がなっているのである。では毎日の生活の中で聴く際にも懐かしいような感情を味わえるということは『ALWAYS三丁目の夕日』を良作に押し上げたのは映像やストーリーではなく音楽の力ではないのだろうか。この映画の音楽を担当しているのは佐藤直紀という人物である。千葉県出身で東京音楽大学作曲科を卒業している作曲家で『ALWAYS 三丁目の夕日』以外にもドラマの『GOOD LUCK!!』や『コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』、映画では『Little DJ―小さな恋の物語』や『K-20 怪人二十面相・伝』などの音楽を手掛けている2)。これ程多方面から佐藤直紀が求められる理由は何であるのか。
 以下では、まず『ALWAYS 三丁目の夕日』から感じる感情は佐藤の音楽によって引き起こされるものであるのかを論じ、その上で佐藤直紀の音楽の生み出し方や需要について検証し、映像と音楽の相乗効果を考察したいと思う。

・『ALWAYS 三丁目の夕日』から感じるノスタルジア

ウェブページ上のレビュー出典1)より  『ALWAYS 三丁目の夕日』は前述した通り最終的に約33億円という成績を残した。それ程人気が高かったし、劇場に足を運んだ人も多い。ウェブサイトには数えきれない数のこの映画に関するレビューが載っている。その中の2つを上記に抜粋した。上記2つのレビューに共通するのは「あたたかい気持ちになる」ということである。この「あたたかい気持ち」という概念は筆者が感じるそれとも同じである。特に筆者が感じる気持ちは2つ目のレビューに近いものがある。では『ALWAYS 三丁目の夕日』の何が人々に「あたたかい気持ち」やノスタルジアな気持ちを残していくのだろうか。
 筆者はこの映画を二度三度観ていく中で佐藤が作った多くの楽曲の中で映画のメインテーマに強烈に魅かれるようになっていった。それはつまり映画のオリジナル・サウンドトラックCDにあるトラック番号23「ALWAYS 三丁目の夕日」である。この音楽を聴きながら空、特に夕日を見るのは非常に心地良い。毎日聴いているがいつ聴いても飽きず、毎回ノスタルジアな気持ちになる。やや主観的になるがこの映画音楽が「あたたかい気持ち」を起因する一つであることは間違いないと筆者は考える。映画音楽関連の執筆を行っている賀来タクト氏は、この映画の音楽に言及した数少ない記事のひとつであるコラムで『ALWAYS三丁目の夕日』の映画音楽について次のように述べている出典2)  筆者はクラシック音楽のような難しい音楽は得意ではないが『ALWAYS 三丁目の夕日』で使用された楽曲は平易な音楽だったからこそ心に響いたのではないかと思う。また、監督・山崎貴との対談の中でトラック番号23の曲と同調のトラック番号1「ALWAYS 三丁目の夕日 Opening Title」の制作について次のように語っている出典3)  童謡とは広義で子供向けの歌を指す。つまり分かりやすいということだ。童謡の旋律とどこか似ているものがあったからこそメインテーマからノスタルジアを感じることができたのだと感じた。しかし佐藤の音楽のみの力でこのメインテーマによってノスタルジアが引き出されているということではないようだ。佐藤直紀は続編の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』4)の映画音楽制作について次のように語っている出典4)  この2つの発言から読みとれることは、佐藤直紀はこの映画の音楽制作では映像に合わせて音楽を作っているということである。これをピクチャーロックと言うらしい。佐藤氏は決して自分の手元で終わらせるのではなく、監督にパスして返ってきた反応を組み合わせて作曲している。つまり佐藤直紀自身の「色」だけで音楽を作ってはいない。音楽と映像の関係性について検証する必要があるようだ。
 トラック番号23の曲は映画の一番ラストの場面に使用されている曲であるが、ここ以外にも同様の曲調の曲が3回流れている。サントラCD上では同一の曲とみなされておらず、前述したトラック番号1のメインテーマ、トラック番号18「指輪」、トラック番号22「家族の絆」という風に区別されている。この「メロディの重複」に関して佐藤直紀、そして山崎貴は次のように語っている出典5)  これらの楽曲はそれぞれオープニング、茶川(吉岡秀隆)がヒロミ(小雪)の薬指に見えない指輪をはめるシーン、六子(堀北真希)が家族との絆に気づく所から始まり茶川が淳之介(須賀健太)の乗る車を追いかけるシーンに使われている。いずれもフリーアナウンサーの小島一宏6)が「男子は泣きポイント」と「めちゃめちゃ名作シーンですよ」と発言・着目している出典6)この映画の見せ場であり、いわば「泣かせ所」である。メインテーマと「泣かせ所」のシーンが一致しているのは果たして偶然だろうか。佐藤直紀は映画音楽を作るにあたって音楽と映像との関係性について次のように語っている出典7)  「映像を見れば頭の中で自然のメロディが流れる」というのはある意味天才的な感覚だろうが、つまり佐藤直紀の頭の中では映像から音楽が生まれるということである。泣かせる映像にはさりげないメロディが、子どもが元気よく走りまわるシーンには明るくポップな音楽が頭の中で構築されるということだろう。
 個人的にはメインテーマ、それと同調の3曲からしか明確にノスタルジアを感じることはできない。それはその4曲が映画の見せ場シーンに使われている音楽だから感じることができるのではないだろうか。見せ場シーンがノスタルジア要素を含んでいるから音楽からもそれを感じ取ることができるのだ。また日頃の視聴でも感じるのは山崎貴が言うように感情は学習されていくものであるから映画視聴時に感じたものと同じ心情を感じるのだろう。『ALWAYS 三丁目の夕日』から感じるノスタルジアは映像と音楽の相乗効果によって引き起こされているようだ。
 考え方によっては映像を観て佐藤直紀の頭の中でメロディが生まれるのだから映像のみからノスタルジアは来ているのかもしれない。

・佐藤直紀の音楽制作手法

 ここまで『ALWAYS 三丁目の夕日』から映像と音楽の相乗効果について論じてきたわけだが佐藤直紀は前にも述べた通りここ数年の需要が高い。それはどのような事が要因なのか。まず他作品の映像音楽について軽く検証しようと思う。比較として2007年公開の『キサラギ』を挙げようと思う7)。『キサラギ』は『ALWAYS三丁目の夕日』とは真逆のジャンルで推理サスペンスコメディとなっている。当然付けられている音楽の明るくポップな曲調のものが殆どでノスタルジアはちっとも感じられない。だが全く不自然な音楽の付けられかたというのも感じない。それはつまり『キサラギ』にもそれ相応の音楽を付けた、映像を見ながらそれに合う音楽を付けたということだろう。つまり佐藤直紀は『ALWAYS 三丁目の夕日』の音楽作曲と同様にどの作品にも映像を見ながら作曲していることが窺い知れる。つまり相乗効果によって作品をより質の高いものにしようと試みている。ところでそれは言い方を変えれば映像に従っているということだ。彼は音楽大学の作曲科を卒業している作曲家だ。やはりそういう所で学んだ人間は自分の音楽を持っているというイメージが強い。実際、初めは「いろいろな人に僕の音楽を聞いてもらえる」ということでCM音楽を作曲していたそうだ。佐藤直紀にとって自分の音楽をもっと世の中の人達に聞いてもらいたいという願望のようなものはないのだろうかと疑問を感じてしまう。
 佐藤直紀が初めに作っていた音楽はCM音楽であるがおそらく今の作曲スタイルに変化したのは2004年の『海猿 ウミザル』からだろう8)。佐藤が音楽を担当した『海猿 ウミザル』には選曲家の藤村義孝がスタッフで携わっている9)。前述した「ピクチャーロック」の作業を監督と話し合いながら行う際に、この選曲家(サウンドデザイナー)が間に入ってアドバイスをしたりするのが映画音楽制作のシステムのようだ。佐藤は藤村氏から自身の知らなかった音楽の付け方を学んだという。それまでの現在とは違うつくり方をしていたCM音楽について次のように語っている出典8)  ところがCM音楽はやはり時間が短いし、作曲者の名前も出ない。そのような点から映画やテレビドラマの世界に興味が湧いてきたという。佐藤は藤村氏と出会う前の日本映画音楽について次のように語っている出典9)  筆者は佐藤直紀の音楽制作についても「分かる人に分かればいい音楽」をつくっているのだと誤解していた。それはあまり音楽について詳しくないことに加え、一見シンプルとも思える「映像を見ながら音楽を付ける」だけの手法でここまで映画、テレビドラマ、アニメなど多方面から需要の高い有名な作曲家にはなれないと勝手に感じていたからかもしれない。それとは対照的に藤村氏に影響を受けてからの佐藤直紀の音楽とは一体どのようなものなのだろうか。文末の出典に挙げている雑誌「放送文化」でインタビュアーを担当している竹内一郎氏10)は佐藤の音楽の印象についてこう語っている出典10)  藤村氏は前述の「分かる人にだけ分かる音楽」を付けるのではなく「誰にでも伝わるような分かりやすい音楽」を日本映画に付けていたそうだ。それは映画的というよりはテレビ的手法であり、見る人の存在を明確に意識しながら付けるやり方であるという。佐藤直紀の場合は映像を見ながら口ずさむ、その都度監督と相談しながら要求に応えていくといった手法をとって誰にでも伝わるような分かりやすい音楽をつくり出している。この手法によって生じる映像と音楽の理想的な融合が、佐藤に対して需要が高い要因の一つであると筆者は考える。映像に従った音楽は当然映像にフィットするだろうし、監督が最も必要としている音楽を提供できる割合が高い。また多方面に引っ張りだこゆえに生じる経験値の高さまでが佐藤のスキルとなるから、監督にとって今日これほど信頼の厚い人物はいない。

・まとめ
 映画はつくづく集団芸術であると実感する。一つのチームである以上、圧倒的に天才肌の存在がいない限り個人プレーはチームワークを乱す。それは海外や日本のスポーツ界で近年話題になっていることである。佐藤直紀は常々「音楽がどれだけ頑張っても映像が良くなければどうにもならない」ということを言い続けている。山崎貴監督は『ALWAYS三丁目の夕日』での相乗効果についてこう述べている出典11)  山崎氏は例として掛け算を使っているが、この例えが佐藤の「映像があって音楽が成り立つ」という主張を裏付けるものとなる。どんなに大きな数が存在してもその数に「0」を掛ければ値は「0」になってしまう。映像がダメだったら音楽を付けようと思っても良くはならないのである。さらに山崎氏は音楽の付いた作品を見てこう語る出典12)  音楽は山崎氏の言うようにあまり表だって評価はされない。数々の映画賞をとってみても技術スタッフに賞を与える映画賞は片手で数えることができる程度だ。佐藤は自身の役割について次のように語っている出典13)  結局は佐藤直紀自身のこの意識が映像と音楽の理想的な相乗効果を生み出し、ヒット作を生む。まだ自分の音楽で映画音楽を作っている作曲家には佐藤のようなスタンスに変えていって欲しい。


出典



椎名 拓人

DTMについて

1.始めに

 私は東京経済大学のアカペラサークル「beatbaby-」(注1)に所属している。私はこのサークルに所属する大学一年生になるまで音楽経験が全く無く、音楽に触れる機会といったら友人らとカラオケボックスに行き大騒ぎをするか、音楽番組を見て気に入った曲をCDショップなどで購入、またはレンタルしてパソコンを介してiPodに同期させ、通学中に楽しむ程度であった。それでも音楽が好きだった私は大学生になり音楽活動をしたいと考えた。当然ながら楽器を何一つ弾けなかった私は楽器を全く使わない音楽ジャンルであるアカペラ(注2)を選択。東京経済大学アカペラサークルbeatbaby-に入った。しかし、すぐに壁にぶち当たった。私は楽譜が全く読めなかったのである。当然ながら楽器を使わないとはいえ、楽譜を読んで歌うのでそれができなければ話にならなかった。そんな私だったが今では定期的に学内ライブに出演させてもらっているし、他大学のサークルと合同でライブを企画して大勢の音楽経験者に交じってパフォーマンスをしたりするまでになった。しかし、私は音楽の勉強は殆どしていないし、楽譜も読めるようになったとはいえない。楽譜が読めなくても他のメンバーとハモる(和音を奏でる)事が出来た。そこにはDTMという便利なものの存在があったのである。今回はこのDTMと私がどのように関わっているのかということや、DTMがどのような歴史をもっていてどのように変わってきたか、また、変わっていくのか、そして他にどのような関わり方をしている人がいるのかを研究していきたいと思う。

2.DTMとは

 始めにDTMがどのような物であるのか説明したいと思う。
 ウィキペディアによると、「デスクトップミュージック(Desktop Music 、略称DTM)とは、パソコンと電子楽器をMIDIなどで接続して演奏する音楽、あるいはその音楽制作行為の総称。"DTP"(デスクトップパブリッシング)をもじって作られた和製英語である。」とある。より簡単に説明するとDTMは「Desk Top Music」の略で、直訳すると「机の上の音楽。」文字通り机の上で作る音楽という意味で、パソコンを用いた音楽制作環境のことを指す。音楽制作のための専門ソフトを駆使すれば、机の上だけで楽曲を作ることができる大変便利なシステムである。
 ユーザーが楽曲制作上で中心的に操作するのは演奏データを入力し、自動演奏を行うパソコンのシーケンスソフト(注3)である。パソコンのシーケンスソフト上に表示される譜面に、マウスで音符や休符を置くといった作業、または音源モジュールと接続されたMIDIキーボードを演奏して、シーケンスソフトにリアルタイム入力をするといった作業によって自動演奏データ/カラオケデータを作成していくのである。(ウィキペディアより引用。)わかりやすくいえばシーケンスソフトを使って、パソコン画面上の譜面に自由に音符や休符を置いていく(打ち込んでいく)ことで作曲作業ができるということである。「打ち込み」というのはDTMだけでなく、シーケンサーなどで自動演奏MIDIデータを作成することも含まれる。
 また、DTMのことを指してMIDIと呼ぶことがあるが、MIDIは電子楽器間の通信プロトコル(注4)のことであり、厳密には音楽の使用形態を指す言葉ではない。ウィキペディアでは「パソコンショップでDTM機器を扱っているコーナーをMIDIコーナーと呼ぶケースがあったことや、パソコン雑誌もDTMについてのページをMIDIと紹介したことなどもあり、「外部音源を利用したPCによる音楽制作」としての「DTM」=「MIDI」という転用がなされる機会が増えていった結果である。」と説明されている。ちょうど、これはWWWのことをインターネットと呼ぶ関係に近いと思われる。私もこの論文のテーマを決定するまでDTM=MIDIと混同して考えてしまっていた。
 DTMには楽器が弾けなくても、パソコンの画面上の譜面に音符や休符を置いていけば、演奏可能となること、楽器が弾ける人でも、自分のパート以外をパソコンに演奏させて、マイナスワン演奏(楽器版カラオケ)が楽しめること、それに関連して、特定のパートの楽器奏者が身近にいない場合、その代用として使えること、自分の演奏をパソコンに記録し、記録したデータを容易に修正することが可能なこと、インターネットを利用して演奏データをやりとりすれば、場所や時間を越えた共同作業も可能なことなどの長所がある。しかし、音源により差はあるが、楽器の響きをコンピュータで出すので、実際の楽器の音を完全には再現できないこと、通常の楽器演奏の臨場感を再現するのは困難である面もあることを忘れてはならない。

3.MIDI

 すでに出てきているがDTMの話をするときには「MIDI(ミディ)」というものが必ずと言っていいほど付きまとう。DTMの話をするにはMIDIについての理解がなくてはいけないので触れておく。
 MIDIとは「Musical Instrument Digital Interface」の略で、電子楽器やコンピュータの間で演奏情報を伝達するための規格である。演奏情報とは楽器演奏の3大要素である音の「高さ、大きさ、長さ」および音色や効果を数値で表現したものある。ピアノを例にとって考えると、どの鍵盤を、どの程度の強さで、どの程度押さえていたかを数値で表現したということである。音色の選択やペダルの操作なども演奏情報に含まれていると考えられる。(DTM生活http://homepage2.nifty.com/nori-no_dtm-seikatsu/midi/basis/chap1.htmより引用)
 「シーケンスソフト」と呼ばれる専門ソフトで演奏情報の記録・編集・再生を行い、その情報を受けて実際に音を発生するのがシンセサイザー(注5)である。
 オーディオは「音声そのもの」を意味するのに対して、MIDIによって送られるのは「演奏情報だけ」である。MIDIデータのサイズはオーディオデータに比べて極めて小さいため、非常に合理的な音楽の伝達方法として普及した。
 MIDIの特徴として、メーカーを超えて演奏情報のやり取りができる統一規格であることが挙げられる。MIDIは日本の電子楽器メーカーが中心となって海外のメーカーと協議し、1982年に誕生した世界共通の規格である。(DTM生活http://homepage2.nifty.com/nori-no_dtm-seikatsu/midi/basis/chap1.htmより引用)
 現在、MIDIは音楽制作の現場のみならず、通信カラオケ(注6)、携帯電話の着信メロディーの制作などで幅広く利用され、電子楽器以外にも劇場の舞台照明のコントロールなどにも応用されている。また、MIDI規格の存在とパソコンの普及はホビーとしてのDTMを一般化した。(ウィキペディアより一部引用)
 1970年代の終わりから80年代初頭にかけて、シーケンサーを使ってシンセサイザーを自動演奏させるという発想がすでにこの時代に生まれていた。しかしシンセサイザーをならす仕組みが各メーカー間で統一していないという問題があったため、シンセサイザーを外部からコントロールするということは簡単ではなく、ユーザーは何本ものケーブルが必要だったり、A社のシンセサイザーの鍵盤を使ってB社のシンセサイザーを鳴らしたくても、そのままでは不可能であるといった不便を強いられていた。また、メーカー依存のローカルな規格が混在することで自動演奏技術の普及が遅れるという面もあったため、各メーカーは独自の開発と並行して、1981年頃からメーカー間でデジタル信号による伝達方法の標準化についての話し合いを始めた。国内から起こった「シンセサイザーの演奏情報の伝達方法を統一しよう」という動きがMIDI誕生のきっかけの1つとなったといえる。その後、1982年1月にアメリカで行われた会合で最初のMIDI仕様のシンセサイザーが誕生。こうして統一規格「MIDI」が誕生した。

4.私とDTMとの関わり

 私とDTMとの関わりは少々特殊だと思われるので紹介したいと思う。
 私は大学に入り、アカペラを始めた当初から、楽譜が十分に読めなかったがDTMを利用して楽譜通り(人間が歌うので細かいピッチの違いやリズムのズレなどは当然存在するが。)に歌い、他のメンバーとハーモニーを奏でることができている。
 まず、私が新しい楽譜を受け取ったとき、一番初めにするのはシーケンスソフトを立ち上げてそこに自分が歌うパートを楽譜通りにどんどん打ちこんでいく作業(私はXGworksというソフトを使ってマウスで音符や休符を置く方法をとっている。)である。どうしてそのような二度手間をかけることをするのかというと、紙面の楽譜と違ってシーケンスソフト上の楽譜は再生することで譜面に打ち込まれた音符、休符の通りに演奏される点を利用するためである。私は楽譜を目で見て「読む」のではなく、耳で聞いて「覚えている」のである。この方法を繰り返しているうちに、複雑でない楽譜であるなら読むことが可能になってきたが、やはりこの方法を使うほうが格段に楽譜を消化するのに都合がいい。さらに都合がいいことに、シーケンスソフト上に入力されたMIDIデータ(ファイル)は、mp3データに簡単に変更することが可能であり、mp3対応のポータブルプレイヤーと同期すれば再生するのにパソコンは不要となるため、通学しながら楽譜を耳で覚えることができるというわけである。一般的にDTMが新しい音楽の創造環境として利用されているのに対して、私はそれに逆行するような形で利用している。DTMを利用している人の中では非常に特殊な人種に属していると思われる。
 今日、既成のアカペラの楽譜は数が少なく、あまり市場に出回ってないため、アカペラアレンジで歌ってみたい曲があった場合、ほとんどの場合自分で編曲しなくてはいけなくなる。その時にもシーケンサーソフトは活躍する。1から編曲していく場合もあるが、インターネットでその曲のMIDIファイルを購入してそれをシーケンスソフト上でアカペラ用に編曲(この場合のほとんどはマウスによる打ち込みや操作)することでより早く編曲を完成させることができる。もちろん編曲にはある程度の音楽理論への理解が必要であるのは前提である。こうして完成したMIDIファイルのデータサイズはとても小さいため、そのままメンバーに送信して共有したい場合にも便利である。また、そのまま再生できるため完成したものがどのようなものなのかすぐにわかるという利点もある。アカペラをしている学生で、この方法をとっている人は多い。

5.DTMの新しい歩み

 2007年に発売されたVOCALOID2(注7)を使用したDTMソフト初音ミクの登場により、DTMシーンに大きな変化が起きている。初音ミクとはヤマハの開発した音声合成システム『VOCALOID2』を採用したDTMソフトで、メロディと歌詞を入力することで、合成音声によるボーカルパートやバックコーラスをパソコン上で作成することができるようになったものである。また、初音ミクというキャラクター(注8)としての名称でもある。
 初音ミクは年間1,000本売れれば大ヒットというDTMソフトウェアのジャンルにおいて発売後2週間で3,000本以上という異例の売れ行きを見せた。発売から3週間後にはサウンド関連ソフト内での一週間の販売シェア(BCNによる集計、楽器店やネット通販の売上げ数は含まれない)が30%を超え[、最も高い時期には60%以上を占めている。体験版を収録した「DTMマガジン」(寺島情報企画)2007年11月号は通常より相当数を発行したにもかかわらず3日で完売したうえ、一時ネットオークションで高騰する事態となった。その後、発売から約一年後の2008年9月までに累計で約4万2000本の売り上げを記録している。なお、こうした売り上げには、実際の音楽製作に使用しないキャラクターのファンとしての購入者によるものも多くを占めるとされるが、本ソフトによりDTMデビューを果たしたユーザーも少なからず存在することから、画期的な出来事であったと言える。(ウィキペディアより)
 発売直後より初音ミクで作成された楽曲やキャラクターイメージを用いた動画がニコニコ動画をはじめとする動画投稿サイトに次々と投稿されたことで人気に火がつき、初音ミクを用いて数多くの作品が発表された。その一部は音楽CD等の形で販売されている。キャラクターとしての人気も高く、フィギュアをはじめとするキャラクター商品が多数発売されている。ニコニコ動画においては動画の視聴者が動画上にコメントを載せることができることを特徴としており、そうした視聴者の反応が得られることも投稿者のモチベーションを刺激したと考えられる。初音ミクのブームの背景にはニコニコ動画やyoutubeといった動画投稿サイトの力によるところが大きい。
 キャラクターとしての初音ミクの魅力は仮想現実アイドルであること、ようするに年を取らない、スキャンダルも起こさない「摩耗しないアイドル」であることと自ら作曲したが曲をある意味で彼女に「歌わせる」ことができるというファン自身が彼女を肉付けできるという点であると思われる。(ウィキペディアより)また、その人気により、初音ミクが歌っていること自体がある種のブランド化していた結果、ユーザーがオリジナル楽曲を制作、発表する場合のハードルが下降し、動画サイトなどでの盛り上がりに拍車をかける結果となった。
 こうしたブームは日本だけに留まらず海外でも日本文化が好きな人々が初音ミクを発見し、小規模ながらリアクションを起こしつつある。(『ボーカロイド マル秘 名曲大全』洋泉社より一部引用。)
 こうしたブームが商業への接近も含めて、今後のDTMシーン、日本の音楽シーンにどのような影響を及ぼすのか非常に興味深い。

6.まとめ

 DTMはなかなか一般には馴染みのないものであると思われるが確実に進化を続けている。その目に見える成果が初音ミクブームであり、それによってさらに注目される結果となった。DTMユーザーが増えることによってさらなる新しい発展のきっかけが生まれることを期待したいと思う。
 まとまりのない内容になってしまったが、自分が普段触れているDTMというものを研究対象として少なからずともそれについて学ぶことができたのは大きな一歩だったと思う。


補足 参考webサイト 参考文献

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