私的ページ:山田晴通

               

英国日記

                  


10th-21st March, 2012
London & Birmingham, England
               




   

 
2012年      
3月10日〜21日


 今回の旅行は、学内の研究助成費を受給した、Selly Oak という英国バーミンガム市の郊外住宅地区に関する資料を収集することが主な目的でした。
 今回の旅は、久々に全くのひとり旅です。文中にある料金のうち、宿泊費は1人で泊まる場合の金額です。この旅行では、1ポンドは140円くらいでした。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。
■ 2012/03/10 (Sat)
ひさびさの単独行

NH201便 機中 / London Heathrow Airport / Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 昨年に引き続き、バーミンガム郊外の住宅地の開発史に関する資料収集のために、研究助成を受けて渡英することになった。当初は、昨年同様、2月に2週間程度の渡航を考えていたのだが、諸々の事情が重なり、3月に10日あまりだけの出張となった。今回は連れも同行しない、まったくの単独行、一人旅である(去年3月の米国学会出張も一人だったが、後半には研究仲間とボストンで合流したので完全な一人旅ではなかった)。
 お昼少し前の全日空NH201便に乗るため、朝は4時台に起き、これまで出発の際には使ったことがなかった京成アクセス特急を使ってみようと思い、中央線、丸ノ内線、半蔵門線と奇妙な乗り継ぎをして押上へ行き、アクセス特急に乗り込んだ。結局、思いのほかスムーズに乗り継ぎができたこともあって、8時半過ぎに早々と空港に到着した。荷物をチェックインしてからTCを買ったり、朝マックをしたりと、ゆっくり時間を使ったが、それでも1時間近く余裕をもって47番ゲートに到着し、しばし近くの無料WiFiスポットでインターネットにつないで作業する。
 日系航空会社の便での渡航も、ずいぶんと久々な気がする(1999年に、JAL/JALウェイズでハワイのカウアイ島にフィールドワークに行ったとき以来かと思う)。全日空便での海外渡航は、はっきりした記憶になく、もしかすると初めてかもしれない。機材はB777。機内では、窓側にイギリス人男性(後で聞いたらプリマス出身とのこと)、通路側に日本人男性が座っていた。機内では最初は少し寝たが、途中からは食べているか、少しうとうとするか、ゲーム(最初は上海、後半は数独)をしていた。結局、PCは機内では開かなかった。
 現地時間の午後3時前にはヒースロー空港に到着した。例によって大行列ができている入国審査を通過する間に、荷物はすべて回転台からおろされて整頓されて並べられていた。当初の予定では、夜行バスでバーミンガムへ移動しようと思っていたのだが、前回の経験で、いちいちヴィクトリア駅まで行かなくてもバーミンガム行きに空港から乗ってしまえば楽かもしれないと考え、ベス乗り場でいろいろ尋ねた上で、今日のうちにバーミンガムへ向かってしまおうか、深夜発早朝着の便にするか、しばし考える。バーミンガム行きは、頻繁に本数は出ているようで、深夜の便もあるが、いずれにせよ2時間半で到着してしまう距離だ。じっくり考えてから、今日のうちに移動してしまうことにする。4時45分のウォルバーハンプトン行きで7時15分到着の予定だ。宿の予約は明日からだが、何とかなることを祈って一日早く押し掛けてみようというわけだ。
 バスを待つ間、持参したデジカメを使おうとしたら、今回の現地調査でメインに使おうと思っていた、新しく買ったばかりのGPS機能付きのデジカメが故障しているようた。電源を入れても、エラーメッセージが出るだけで使えない。仕方なく、予備に持ってきた、カバーが一部外れるなどしている旧機で少し写真を撮る。
 210番ウォルバーハンプトン行きに乗り、途中で、バンバリーとバーミンガム空港で停車したバスは、最後は(時間のつじつま合わせか)ものすごいスピードでグイグイ自家用車を追い抜きながら高速道路を疾走し、定刻でバーミンガムのコーチ・ステーションに到着した。前回は宿泊もしたパブ、ダブリナーに入り、今夜部屋が空いているかを尋ねると、カウンターにいた若い黒人の女性は「あと30分くらいしたらボスが来るけど、それまではわからない」という返事だった。まだ軽いトランクの荷物を曵き、ブルリング・マーケットをしばし冷やかしに行く。中央の階段広場のところに、新しく建物が増えていて、おしゃれな感じのタイ料理店(「チャオプラヤ」という店名)などが入っているのが目を引いた。
 一回りして、ダブリナーに戻ってみたが、今日は空き部屋がないという。となると一刻も早く、明日の晩からの分は予約してあるアウェンツベリー・ホテルに向かわなければならない。ブルリングを通って、ニュー・ストリートを抜け、バス停CDから61番バスに乗る。乗るときに、久々に扱うポンドのコインに手間取り、£1.90を出すだけなのに大騒ぎになってしまった。帰宅ラッシュには少し遅い時間だが、バスはほぼ満席の状態だ。なぜか2階で大騒ぎしている女性の嬌声が、ほぼ満席の下のフロアにも響いてくる。車内1階の席には例によって、悪ガキと老人と、ムスリム女性、そして東洋人の学生といった人々がいる。大学の正門のあたりでバスの白人運転手にこの辺りでいいのかと下車する場所を確認され、周りを見てそのすぐ先の停留所で下車する。昨年はまだ工事中だったバイパスが完成していて、バス停付近の川の一部暗渠化もきれいに終わっており、表の道(ブリストル・ロード)はかなり見違えた印象になっている。
 歩いて5分あまりでアウェンツベリーに到着すると、幸い、明日から予約していた部屋に泊まれるという。幸運だったというべきであろう(しばらく後で、事務所で支払い関係の手続きをしているときに、空き部屋はないかという電話がかかってきて、満室ですと断っていたから、本当によいタイミングだったのだろう)。部屋は、昨年宿泊した母屋ではなく、母屋と事務棟(経営している家族の住まい)を結ぶ通路から1階分(弱?)階段を上がった14号室である。6畳間ほどの部屋で、トイレは共用だが室内に簡易シャワーがある。宿代は、建値は£44.00だが、インターネットでは£36.00で、朝食を不要とするとさらに割り引かれて£31.00ということになった。8泊で£248.00である。既に夜9時を回っており、あまり出かける気も起きなかったので、コーヒーを淹れ、手元の食品を口にして夕食は済ませたことにする。
 午後10時ころに眠気がきたところで、明かりを点けたまま就寝した。
■ 2012/03/11 (Sun)
買い物の後は引きこもり

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝、4時過ぎに目覚め、そのまま起きてインターネットをつないで作業する。昨年泊まった部屋と違って、室内でも十分に電波があるのでベッドで作業できるのはありがたい。隣室の客のいびき、時計の音、その他いろいろな音が聞こえるが、何と言っても野鳥のさえずりが心地よく響く。日本から抱えたままで来た宿題をひとつ済ませ、日記をつける。
 出かける前にシャワーを浴びようとしたのだが、ほとんど水しか出ない。洗面台は湯が出たので、シャワーは断念して湯でタオルをしぼり、体を拭く。その後、昨日着ていた下着類を、洗面台で手洗いで洗濯した。
 朝の6時から大学の時計台の鐘が毎正時に鳴るのだが、9時の鐘が鳴ったところで出かける気になり、ホテルを出て住宅の写真を撮りながら、セリー・オークの中心を歩く。今回は調査テーマがこの地区なので、事前にネット上の情報を読んできた。おかげで、前回は気づかなかったランドマークにも注意が行く。前回来たときは開業早々だった韓国系スーパー「ソウル・プラザ」はまだ健在で、角地にあった文具店のデルタ・パイは道の斜め向かいに移転していた。日曜日なのでアルディは11時からの営業のようだ。ざっくりと一回りしてセリー・ソーセージに戻り、入口近くの席に通され、朝食と紅茶£5.85を注文してブランチにする。ネットは使えないので、抱えている短い原稿に手をつけ、しばらく文章をひねる。テレビの天気予報でもいっていたが、珍しく高気圧がイングランド全域を覆い、雲がない晴天で日差しが強い。ガラス張りの店の道寄りの席なので、日差しがまぶしく、また暖かく感じられた。
 アルディが開店する11時をだいぶ回ってから、セリー・ソーセージを出てアルディに向かう。レモネード、ジンジャー・ビアー、食パン、サラミ、クリームチーズ、ショートブレッド、オリーブ、マヨネーズに近いディップに、セロリとホウレンソウを買う。全部で£6.89、つまり千円くらいの買い物だが、荷物は結構重くなった。ビニール袋は言わないとくれないので、リュックに諸々の品を入れ、入りきらないペットボトル2本を抱えて宿に戻った。部屋に落ち着いて、一息ついてから時間を確認すると、既に1時近くになっていた。メールの送受信やウィキペディアの作業などを始めたが、少し眠くなり昼寝をする。
 2時過ぎに、ドアをノックする音がして、おばさんがベッドメイキングにやって来たが、コーヒーなどを補充してもらうだけで、あとは放っておいてもらう。寝覚めは今ひとつだったが、ともかく起きた。しかし、すぐに出かける気になれないうちに時間が経ってしまい、結局、午後中ずっと部屋から出ずにウィキペディアなどをいろいろいじる。現地に身を置いた上で「セリー・オーク」や関連の記事を訳しているうちに、いろいろ見えてくることがあった。その後、夕方7時ころから10時ころまで、また眠ってしまう。
 10時過ぎに目覚めて、またネットに向かい、深夜1時ころまで作業を続けてから、床に就く。
■ 2012/03/12 (Mon)
いざ図書館へ

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel

セリー・オークの図書館

セリー・オークのテラスハウス

手前がクロスシティ線、奥が運河の水道橋
遠景にバーミンガム大学
 朝は6時前に一度目が覚めたが、電気を点け、トイレに立ってまた床に戻る。ちゃんと起きたのは8時ころだった。昨日買った食材を適当に組み合わせて、作業しながらだらだらと朝食をとる。
 今日は、セリー・オークの図書館で郷土資料類をコピーしなければならない。図書館は9時から空いているが、だらだらとインターネットで遊び続けてしまい、ようやく出かける気になったのは10時を回ってからだった。外へ出ると、昨日とは打って変わって、イングランドらしい曇天になっている。
 1年と少しぶりに訪れたセリー・オーク図書館では年配の男性と、若い長髪の(ちょっとオタク風な)青年が執務していた。昨年の登録は既に失効しているという話だったので、利用者登録をし直し、郷土資料のコーナーを見て、コピーを取るべきものを選ぶ。今日は、朝9時から午後1時までと、午後2時から5時までという、ちょっと変則的な開館時間になっている。午後1時まではできるところまで作業しようという気になって小冊子数点と、卒論か修論のようなタイプ打ちの原稿をコピーして製本したもの2点のコピーをとることにした。図書館のコピー機は1枚10ペンス。大学まで行けばもっと安いのは知っているのだが、持ち出せない資料も多いので、ここでコピーをとるしかない。ちなみにコピー機はリコー製だった。
 コピー代はサイズに関係なく1枚20ペンスなので、小冊子も製本した論文も、2種類を組み合わせてA3判でとることにする。作業は最初のうちは順調だった。ところがである。小冊子類をコピーし終わり、論文の方に手をつけて早々に、A3判の紙が紙切れになってしまった。当然、職員に補充を頼んだのだが、何と用紙の在庫がないという。注文はするが、1日や2日では入荷しないと告げられる。もちろん他のサイズの紙でとればよいのだが、コストは倍になってしまう。まだまだコピーすべき資料はある。少し考えて、紙を持参したらコピーできるか? と尋ねてみると、OKだという。また、紙を持ち込めば1枚10ペンスになるそうだ。既に12時を回っていたので、そこまででいったん区切りにして、昼食をとりに宿へ戻ることにした。途中でデルタ・パイに立ち寄ってA3判コピー用紙の在庫と営業時間を確認し、後で戻ってくることにする。ホテルへの帰路は少し回り道をしてコロネーション通りからボーンブルック通り
 部屋に戻ったのは1時少し前だった。朝と同じように、手持ちの食料を適当に組み合わせて昼食にする。しばらくまたネットをしながら、そのまま2時判過ぎまで部屋にいた。ようやく重い腰を上げて、デルタ・パイでコピー用紙500枚の束を£6.99を買ってから、再び図書館に向かう。リュックに入りきらないA3判用紙は手で抱えていると結構重たい。3時少し前に図書館に着き、持参した用紙でコピー作業を再開した。ところが、なんとか一通り論文類をコピーし終わって、バーミンガム大学地理学科発行の1冊をコピーしかけていたところで、今度は「廃トナーボトルが満杯」という表示が出て、コピーが取れなくなってしまった。聞けば、この作業はサービスを呼ばないとできないということだ。結局、今日はもうコピーできないということになり、まだ4時前だったが他の資料を漁る気も失せて、明日また遅めの時間に来ることにする。
 仕上がった分のコピーに加え、あまったコピー用紙もリュックに入れて図書館を出たところ、図書館を出て早々に片方だけ腕を通していたリュックの肩ひもが千切れ、重い紙とPCの入ったリュックが鈍い音を立てて石畳に落下してしまった。重さに耐えきれなかったようだ。それでも、昨年夏に開通したバイパスを回って戻ってくるルートを歩く気になり、ブリストル・ロードをセインズベリーまで行ってから右折して坂を下り、セリー・オーク・パークに少し入って、ラパール運河(かなり荒廃して水もほとんどない)を眺めてから、新しいバイパスへ向かう。昨年、建設中だった運河のアクアダクト(水道橋)から工事中の一帯を見下ろしたときには、高さに足がすくんだが、改めて見ても堂々たる鉄道橋と水道橋のそろい踏みである。それを抜けると、大学の通用門(Grange Gate)のところに出て来たが、大学の寮が昨年よりさらに拡張されているようで、古い街路が徐々に寮に呑み込まれているような印象を受ける。横断歩道の近くのちょっとした広場に、巨大なゴミ箱が置かれていて、目を引いた。そこから、グース(この辺りで一番のパブ)の脇に出てハイ・ストリート(ブリストル・ロードのセリー・オーク市街地内での名称)に出て、テスコ・エキスプレスまで戻って来た。ちょうど大学の下校時間帯に重なったようで、テスコの店内はレジに並ぶ人が長蛇の列をなしていた。警備員の黒人男性に裁縫キットのありかを教えてもらって、糸が通してある針のセットを買うために、長蛇の列の最後尾に並ぶ。財布にあった20ポンド紙幣で支払おうとしたところ、これは古い紙幣なので受け取れないと断られてしまう。エルガーの肖像が入った大きめのものだった。結局小銭の持ち合わせで足りたので何とかなったが、いずれにせよキャッシュが足りない。明日には銀行へ行ってTCを現金にしなければならないだろう。
 部屋に戻ったのは夕方の5時40分ころだった。今日は既にベッドメイキングがされていた、買って来た食品類を並べていたスペースもきれいに整頓されていた。さっそく、ありあわせのもので夕食にする。PCを広げてみると、手前右の角に傷ができていた。午前と午後の作業でコピーして来た内容を確認し、コピー漏れをチェックする。しばらくテレビを点けて思わずニュースなどを見ていたのだが、8時ころには夕食も終えて、リュックの補修もし終わった。9時少し前から猛烈に眠くなり、壁にもたれたまま30分ほど眠ったが、首と背が痛くなって目が覚めた。まだ9時半だが、とりあえずもう寝るつもりで電灯を消す。
■ 2012/03/13 (Tue)
資料漁りとコピーとり

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝は4時半にトイレに立ち、そのままベッドでネットでの作業をする。朝食は、買いそろえた食材を適当にだらだらと食べてすませる。昨日買って来た裁縫道具で、何とかリュックを修復したりしているうちに、9時を回るころとなった。今日はセリー・オークの図書館が午後1時から7時までの開館になっている。午前中のうちにボーンビルへ出向いて、昨年の調査のフォローアップで質問すべきことを尋ねに行くことにする。ボーンビルは昨年かなり歩いたので、宿から向かう道は懐かしい感じさえする。だらだらと写真を撮りながら進み、ボーンビル・グリーンのロイズ銀行の窓口で、TCの換金を依頼する。ところが、一度に£100までしか受けないと言われてしまう。とりあえず、その金額を現金化し、ようやくキャッシュのない不安から解放された。10時半ころトラストのオフィスへ行き、趣旨を伝えると、とりあえず女性職員が対応してくれたが、結局、昨年会ったS氏ともう一度話をした方がよいだろうということになり、改めてS氏への取り次ぎを依頼する。トラストを出て、キャドバリー・ワールドへ行き、土産物がわりのチョコレートの買い物をして、昨年も見たボーンビルの展示をもう一度見に行く。遠足の小学生たちがものすごいハシャギようで遊具に群がっているのが印象的だった。
 いったん宿に帰ることにして、正午少しすぎに部屋に戻った。図書館は午後1時からだが、昨日のコピー機の保守がそれからになるはずなので、少し遅れてゆくべきだと考え、まず、少し昼寝をして、その後、昼食をとりながら3時ころまでネットをいじる。洗面台でまた少し洗濯してから、4時近くになってから宿を出た。
 図書館は数名の利用者がいて、PCをいじっていたりするが、コピーは空いていた。しかも、A3用紙も来たということだったが、持参した紙を使ってコピーすると申し出て、紙を入れ替えてもらう。このリコー製のコピー機はプリンターを兼ねているので、ときどき誰かのプリントアウトが割り込んでくるが、他の利用者はいないので、ゆっくり資料の内容を確認しながら、時間をかけて淡々とコピーを取る。途中で責任者らしい女性司書が、大判の地図のファイルを出して来てくれた。これはアーカイブの古地図類を複写して、厚紙に貼ってラミネートした、最初からコピー利用のために用意されているものであるようだ。このファイルの中身は、1枚とるのにA3で4枚ないし6枚と苦労しながらほとんどをコピーした。順調に資料をコピーして、閉館までに作業を終えられるかな?と思い始めた頃、持参したコピー用紙が尽きてしまった。事前に昨日とった分量に少し足した枚数をもって来たはずなのだが、思いのほかコピーを取ったということだ。既に6時半を回っており、今さら1枚20ペンスでコピーするのも癪だったので、今日はこれで切る挙げることにする。
 図書館を出ると、外はすっかり夜になっている。途中でアルディに立ち寄り、パンや菓子類、インスタント・ホットチョコレートなど£5.57の買い物をした。部屋に着いたのは7時ころで、ありあわせの夕食をとって、しばらくネットで作業をする。まだ決めていなかったロンドンの宿をネットで探し、ヒースロー空港からバスで便利そうなところに取ってから、10時前には床に就いた。
■ 2012/03/14 (Wed)
中央図書館と切り株

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝は5時少し前に目覚め、そのままだらだら、ネットの作業や、コピーの整理をしていた。朝食も完全にながらで、有り合わせのものをつまみ、10時ころまで部屋でだらだらしていた。
 今日はセリー・オーク図書館は休館日である。中央図書館の郷土資料コーナーへ出向くことにして、バスで出かける。デイセイバーという2回乗れば元がとれる一日乗り放題のチケットを買って、バスに乗り込んで中心部へ向かい、中央図書館に着いたのは10時40分ころだった。郷土資料の棚からセリー・オーク関係で未見のものを探し、役立ちそうな論文を探してコピーする。次に地図のラックを眺めてみたが、もっぱらOS地図しかなく、あまり役に立たなかった。図書館を出るとき、入口付近のカウンターで値引きしていたバーミンガムの案内書を買う。外へ出ると、ちょうど正午になったところだった。
 図書館を出てCDの停留所から61番バスに乗り、セリー・オークに戻ることにしたのだが、途中でそのままブリストル・ロードを進んでセリー・オーク・カレッジズ跡などを見に行こうと気まぐれを起こした。セリー・オークの市街地をすぎて間もなく、2階の席からBBCドラマ・ビレッジの一部が見えたので、すぐにボタンを押して下車する。少し戻る方向で歩き、現在のバーミンガム大学セリー・オーク・キャンパスにたどり着いた。ここはもともと神学校というか宣教師教育の施設が集まっていたところだが、今はその一部にBBCのドラマ制作拠点が置かれている。特に出入りが管理されるわけでもなく、普通にそのまま敷地に入ったが。入ってみると古い建物の壁面に架空の大学名が記されている一角や、1960年代から1970年代とおぼしき建物に「POLICE」と看板が出ているところに出くわした。
 キャンパスを出てそのまま少し戻るように歩き、これもセリー・オーク・キャンパスの一部という扱いになっているジョージ・キャドバリー・ホールの前から再びバスに乗って、大学南門まで戻って来た。ふと気づくと、図書館で買った本を入れたビニール袋がない。バスの中にでも忘れたのだろう(おそらくはセリー・オーク・キャンパスに行こうとしてバスを下車したとき)。こういう注意欠陥は以前からだが、歳のせいで自分の気づかないところでも失態が増えているのではないか、などといろいろ考える。そのままバーミンガム大学(主キャンパスであるエジバストン・キャンパス)へ向かい、ノースフィールド・マナー・ハウスについて問い合わせができそうな部局を探すが、総合案内で紹介されたリサーチ・ライブラリーも協力的な感じではなく、仕切り直しを考えなければならないと認識した。
 いったん宿の部屋に戻り、2時半から3時過ぎまで、ネットをいじりながら一服する。せっかくデイセイバーを買ってあるので、少し外出する気になり、銀行でTCの現金化もする気になって、まずボーンビルまで歩いてゆく。ところがボーンビルのロイズ銀行の窓口は3時半までだった(既に3時45分)。そのまま戻っても面白くないのでBournville Laneに来たバスに適当に飛び乗ってみる。乗ったのはX!1Aで、リンデンロードをそのまま南下し、すぐにエステートの領域を越えて、キングズ・ノートン駅近くの商店街に到着した、ここで下車しようかとも思ったのだが、そのまま乗り続けることにする。バスはここで左折しスターチリー方面に向かったので、適当にスターチリーの見知ったところで下りようかなどと考えているうちに、バスは途中で右折して東へ向きを変え、どんどん知らないところで進んでいく。キングズ・ヒースという、資料で名前だけは目にしたことがある郊外のターミナルで下りることにする。ここからバーミンガムの中心部へ向かうことも考えたが、結局、同じ道を逆走するX11C(後でわかったのだがX11は循環路線で、Cがcloclwise=時計回り、Aがanti-clockwise=反時計回りの意味)に乗ってセリー・オークまで戻り、そのままセリー・オーク・パーク近くまで行ってから下車した。前回ここへ来たときにはわからなかった切り株の位置を探して公園にそってGibbons Roadを進み、かつての管理人小屋を見つけた。切り株はその近くにあるはずだが、最初は全く気づかなかった、しばらくして、低木の茂みに見えた場所が、切り株のありかだと分かり、写真を取る。気づくともう5時を回っている。そのまま宿へ帰ることも考えたのだが、もう一度中心部へ向かおうという気になり、61番バスに乗る。2階の席の斜め前のチャドルを来た女性が、熱心に小さなアラビア文字の豆本を読んでいる(コーランか? 何かの宗教的な祈禱書なのか?)。市役所近くで下車し、ブルリングに近いウォーターストーンズの店に行き、4階(英国では3階)の郷土史関係の棚を眺め、OS地図の復刻版などを買う。夕食をとることも考えたが、あまり贅沢をする気にならなかったのと、結構疲労感を感じていたので、本を買った後は素直に宿に戻る。
 部屋に帰り着いたのは7時少し過ぎだった。有り合わせのもので夕食をとりながらネットをはじめ、9時ころにまで起きていた。
 
■ 2012/03/15 (Thu)
BVT再訪

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝5時半に目覚め、しばらくベッドのなかでネットをつないでメールの処理やウィキペディアにとりかかる。ながらで朝食をとるが、ぼちぼち最初に買い込んだ食料の先が見えてくる感じだ。しばらくしてすっかり朝になってから洗面台で洗濯物をする。だらだらやっているうちに、ふと気づくと既に11時を回っている。今日は、午後にボーンビル・ビレッジ・トラストのS氏と約束があるので、その前に図書館へ出向いて、残りのコピーを済ませておかなければならない。そそくさと出かける準備をして部屋を出て、図書館へ向かう。
 図書館へ行くと、一昨日対応してくれた女性司書がいて、この資料はもう見たか?といっていくつか資料を見せてもらった。出してくれた図書館の資料は既にチェック済みだったが、地元の郷土史家が編集した写真集は未見だった。まだ販売されているのかと尋ねると、手元にある分をここで売れるという話なので、さっそく£10.00を支払い入手する。資料の残りのコピーも無事済ませ、いったん宿に戻る。
 部屋で昼食をとり、少しまたネットをしてから2時前に宿を出て、ボーンビルへ向かう。まず、ロイズ銀行で£100を両替し、キャドバリー・ワールドで少し買い物をしてから、公園を抜けてオーク・トゥリー・ロードに達し、トラストへ向かう。
 約束の午後2時半にトラストの事務所へ行くと、受付のすぐ裏にS氏が待機していて、すぐに小さな会議室に通され、そこで話に入る。昨年一度会っているので、話は早いのだが、S氏は話が脱線しがち(けっこう日本のことに話題を振ろうとする)ので、話を本筋に戻すのに難渋しながら、何とかこちらの尋ねたいことを聴く。いずれせによ陽気な人物なので、話しやすいことは間違いない。一通り話をして、現場を見に行こうということになり、裏口から外に出て、こじんまりしたトヨタ車に乗り込んで、エステート内の最近の開発の様子や、セリー・オークにある、かつてのティヴァートン・ロード・プロジェクトの対象地などを案内してもあらう。ただし、明らかにS氏の帰りついでに送ってくれているという感じなので、いちいちゆっくり写真を撮るという雰囲気ではない。とりあえずは場所を確認するにとどめ、後で改めて歩いて見に行くことにする。最後はホテルまでわざわざ送ってもらった。ありがたいことである。
 宿に戻って部屋に入ると、改めて出かける気はすっかり失せてしまい、ココアを飲んで一服した後、4時半ころからネットをする。途中で、残っている食べ物で夕食をとり、ここ数日でとりためたコピーの整理をし、またネットもいじる。結局、最後はまたネット三昧になり、9時ころまでウィキペディアの翻訳作業などをする。S氏の話に出て来たかつてのバーミンガム大学のゴードン・E・チェリー教授(故人)についても少し調べ、ついでのウィキペディアの項目を作ってしまった。午後9時ころには眠たくなり消灯して眠る。
■ 2012/03/16 (Fri)
歩き回る

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 朝3時過ぎに目覚め、トイレに立ち、少しネットをするが、その後は横になったり起きたり、飲み物を用意して飲んだり、食べたりを、だらだらと繰り返しながら8時過ぎまでベッドにいた。今朝は、朝9時という約束で、バーミンガム大学のB教授のアポイントをもらっている。ようやう起床して着替えてでかける準備を始めたのだが、いざ出かけようかという段になって、あれがない、これが見当たらないとバタバタして思いのほか時間がかかってしまう。結局余裕がなくなり、急ぎ足で大学へ向かった。
 B教授の研究室がある建物が見えて来たあたりで9時の鐘が鳴り、研究室にたどり着いたころには時計は5分近く進んでいた。遅れたことを詫び、先方も10時から会議があって忙しいので、いきなり本題の話になり、資料を頂戴したり、接触すべき人名を教えてくれたり、その場でインターネットのサイトを開いて説明してくれたりと、実に実際的、的を外さすテキパキと話が進んであっという間に時間が過ぎた。正味で話していたのは50分ほどだったが、例えばS氏と話す場合とは密度が全く違い、こちらが用意していた聞きたいことはすべて聞くことができたし、拾い物の話題もいくつか聞くことができた。
 10時から会議ということだったので、5分前にB教授の研究室を出て、しばらく構内を歩いて、運動場越しにセリー・オークの住宅地を撮影できそうな場所がないか探す。本当は高い建物の上に出られればよいのだが、公開されている展望のよい場所はないようだ。あまりいい角度がみつからないので、駅に向かう方の通用門から出て、住宅街の写真を撮りながらセリー・オークのクロスシティ線の線路より北東側の街を見て歩く。DALE Roadから、Geoge Roadを経て、グラフィティだらけの公園を抜けて図書館にたどり着いた。ここで道路をわたり、線路に沿ってHealey Roadを進んで、Dartmouth Roadで左折。ここで明らかにプロテスタント系の小さなキリスト教会を改装したモスクを見つけた。次のHubert Roadを右折して、ちょっと変わった配置のテラスハウスが並ぶのを見ながら進み、大きな教会と学校跡?と思しき建物がある角で左折して、Exeter Roadに入る。そのまままっすぐ緩やかに坂を下り、浅い谷底のDawlish Roadと交わるあたりで交差点周辺を少し眺める。結局、ここでは曲がらず、そのまま名前がCoronation Roadを代わり、坂も上りになるのをそのまま進む。最初の角で左からSelly Hill Roadが突き当たり、ここからは先だって歩いたところである。前回はそのまま突き当たるBournbrooke Roadまで上がったのだが、今回は次のRookery Roadで左折し、St Edwards Roadで右折して、ここでBournbrooke Roadに出た。そのまま左折してだらだら道を下り、いつものSerpentine Roadに入る交差点までたどり着いた。部屋に戻ったのは11時近くだった。
 今朝は、B教授に会うので、黒いシャツにジャケットという格好だったのだが、気温は高くないもののけっこう上り下りを含むルートを歩いたせいか、しっかり汗をかいている。いったん着替えることにして、ついでにタオルを熱湯でおしぼりにして体を拭く。ありあわせで昼食をとろうとしたが、残っているのはパンとディップくらいなので、あまり食べる気になれない。後でフィッシュ・アンド・チップスでも買うことにして、とりあえずはお茶だけをとり、少し休む。
 一服して元気が出たところで、12時半ころに宿を出て、今度はボーンビルへ向かう。Raddlebarn Roadの、線路を越えたらもうボーンビルという手前に、カントリー・ガールというパブがあるのだが、その隣のドルフィン・フィッシュ・バーという店でフィッシュ・アンド・チップスを注文する。1時少し前で、テイクアウトの客が数人並んで待っている。その中にはBVTの制服を着た若い男女が混じっていた。自分の番がきてフィッシュ・アンド・チップスを頼むと、ラージなら今すぐ出せるが、レギュラーは6分ほどかかる、と言われ、ラージにする(といっても驚くような分量ではない)。£3.45というので、£3.50分のコインを出したら、釣りもよこさず「ありがとう」と言われてしまったが、5ペンスよこせという気も起きずに店を出た(いっそ£20札を出した方がよかったのだろうか?)。
 そのままグリーンの方向へ向かい、ロイズ銀行でまた£100分のTCを換金する。その後、Bournbrooke Roadから、比較的近年の開発地であるハーヴェイ・ミューへ上がり、歩道を抜けてWestholme Croftに出てOak Tree Laneへ抜けた。ところが、デジカメの残量がほとんどなくなってることに気づき、いったんホテルに戻ることにする。住宅の間の細い抜け道を通ってAcacia Roadへ出て、帰路につく。途中でRaddlebarn Roadの商店街の一角にあるSt Mary's Hospiceのチャリティ・ショップに立ち寄って買い物をし、2時少し前に部屋に戻った。デジカメから画像をパソコンに移動しながら、歩きながら食べきれなかったフィッシュ・アンド・チップスをお茶と一緒に食べて、一息つく。少しネットもしてから、3時20分ころに宿を出て、再びボーンビルへ向かう。
 先ほどとは逆のルートでAcacia Roadから右折してLinden Roadに入り、坂を上りきたところで折り返してOak Tree Laneに入り、最初のHoyland Way を右折する。突き当たりでSellyhood Roadを左折して、Queen Mother Courtの(このあたりとしては)大きな建物に沿って坂をくだり適当に歩道に入って緑地を進み、Kingfisher Wayに出た。この坂を下った先には、太陽光発電のパネルをのせた家などがあったが、わざわざ「歩行者も通り抜けできません」と記してある行き止まりだった(その先の緑地へ行こうとして迷い込む人がよほど多いのだろう)。取って返してハーヴェイミューの西縁の外側に当たる歩道をだらだらと下り、ようやくValley Parkwayの公園に抜けた。この辺りは本当に贅沢な空間である。模型の船を浮かべている人はいなかったが(クラブハウスは閉まっていた)、犬の散歩をかねて鴨やアヒルや白鳥に餌を投げている人などがいた。ちなみに釣りは禁じられている。公園の西のはずれから、ボーン・ブルックの小川に沿って、ちょうど警察の裏手にある、林の中の道に入る。抜けたところにある建物は、大きな門がついた、古い建物の一部を住宅に改装して使っているような家だった。2階から住人らしい若い男性2人が声をかけて来たが、確かに英語のはずだが何を言っているのかよくわからなかった。ただ、何か怒っている感じだったので、窓の下へ戻って近づきながら「何と言っているのかよく聞こえない」というと、もういいという感じの身振りで窓を閉められた。何だったのだろう?
 再び道に出たところで警察の脇からブリストル・ロードに出て、すっかりがれきの山となり、旧本館のみが残されたボーンビル・カレッジを眺める。そのままかつてトーラン社が手がけた、現在のバーミンガム市営住宅の一角へ行き、しばらく一回りしてから、マナーハウスの下へ出た。パーシモン社の開発地だと昨日S氏に教えてもらった、かつてのマナーハウスの入口一帯を抜けて、再びブリストル・ロードを渡り、かつての盲学校跡の住宅値開発の現場にたどり着いた。既に5時近くなっている。現地案内場は4時までで閉まっている。ちょうど担当者らしき女性が帰ろうとして車に乗り込むところだったので、簡単に話を聞いて、週末に改めて資料をもらいにくることにする(火曜日と水曜日が休みということだった)。
 ぼちぼち帰路を考えなくてはいけない。フェンリー方面へ行くにはもう遅いので、これまで歩いていない、方向をと考え、Hole Laneに沿って南下し、Banbury Roadに至る。この辺りは、住宅協会組織によって開発された一帯である。Banbury Roadを東へ進み、Knighton Roadで左折する。ほんの数メートル行っただけで、交通量の多いBanbury Roadの自動車の音がふっと静かになるように感じるから不思議なものである。突き当たりのKingley Roadを右折してすぐにWoodlands Park Roadを左折すると、この辺りでは珍しい、商店がある交差点に出たので、昨年、最初のこの辺りを歩いたとき最初に通った道であることに気づいた。そのままWoodlands Park Roadを北上し、Blackthorn Road、Mulberry Roadを経て、Hay Green Lane に出る。ここまで来ればもうよく知っている道なので、もう気楽なものである。ボーンビル公園のあたりで少し寄り道をして、写真を撮ってから、帰路についた。
 部屋に着いたのは、7時少し前だった。今日までで、会うべき人には会い、入手すべき(少なくとも入手できる一通りの)資料は入手した。あとは、週末の2日でどれだけ歩けるかであるが、結構疲れもたまっている気がする。夕食は遠征してちゃんと食べたい気持ちもあったが、昼のフィッシュ・アンド・チップスがまだ残っているので、そのまま出かけずあるもので食事は済ます。ネットに貼り付く気にもならず。少し資料を読んだりするだけで9時前には眠ってしまった。
■ 2012/03/17 (Sat)
ボーンボルとセリー・オーク・カレッジズ

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 電灯を消さないまま寝てしまったためが、最後はずいぶん長く夢うつつだったが、起き上がってみたら5時少し前だった。メール・チェックし、少しウィキペディアをいじってから、久々にたまっているメモを整理して日記をまとめる。朝食は、昨日の昼に買ったフィッシュ・アンド・チップスの残りなどで済ませる。少しネットもしてみたが、書かないままメモだけの状態の日記がたまっているのでとりかかる。しかし、日記を書くのにかなり手こずり、気づくとなんと10時になっている。洗濯をするなら最後のチャンスだと考え、今の時点で汚れ物になっている下着や靴下を洗濯する。シャツやジーンズは無理だと判断した。もたもたしているうちに11時近くになっている。とりあえず、作業に区切りを付けて部屋を出て、ボーンビルに向かう。
 11時15分ころグリーンに到着し、昨年何度か足を運んだザ・ミーティング・ポイントでブレックファストをとる。ふだん£4.95が、土曜日の昼前後には£4.50になるのが、ちょっとうれしい感じだ。正午からボービル・カリヨンのツアーに加わるつもりなので、あまりゆっくりはできないが、マイペースでぼちぼち食べ、最後にトイレを借りてから、グリーンのレストハウスに向かった。レストハウスについた時、9時を2分ほど回っていたが、もう一行は出発していた。念のため、もう出発したのかとレストハウス内の女性に尋ねると、電話で連絡してあげるからすぐ追いかけなさい、と言われ、小学校に向かう。開いているゲートから入って、行程で説明をしているグループの姿が目と鼻の先に見えたが、行程を区切るフェンスが施錠されており、開けて入ることができない。そうこうしているうちにグループは先へ行ってしまった。仕方なくレストハウスに戻って、間に合わなかったことを先ほどの女性に告げると、連絡するからゲートまで行って待っているようにと言われる。本当なら、申し訳ないくらいだと思い、再び例の閉じられた扉まで行ったのだが、数分待っても誰も現れない。仕方なく少し待っているうちにカリヨンの演奏が始まった。これは待ってもだめだと思い、三たびレストハウスに戻り、とりあえず待ってみたが空振りだったと告げると、もうひとり、中で演奏することになっているという高校生くらいの青年がやはり閉め出しを食ったということで、一緒に扉を開けてもらえるようになった。三度目の正直で小柄な女性が扉を開けてくれて、一年ぶりでカリヨンの載っている塔屋に昇る。
 この間、奏でられていた曲は、アーニー・ローリーなど民謡をアレンジしたものが多かった。塔屋の上からの眺望は格別で、カリヨンの大きな音を浴びながらしばし眺望を楽しむ。やがて、先ほど一緒に入った青年と、年長のベテラン奏者の連弾が始まった。ちょっとバッハを思わせるような旋律だが、聞き覚えはない曲だ(後で尋ねたら、カリヨンのために作曲されたベルギーの作曲家の作品だった。もっとも、バッハのオルガン曲をカリヨン用にアレンジした曲もあるということで、その場で楽譜を見せてくれた。ここのカリヨンは48鐘(キーボードは49鐘用)だが、カナダやアメリカ合衆国には、もっと巨大なカリヨンがあちこちにあるそうだ。
 1時過ぎにカリヨンから降り、小学校を出て、Woodbrooke Roadを西へ進む。バレー・パークウェイ越しに見る、昨日歩いて降りて来たハーヴェイ・ミュー周辺の眺めもなかなかである。そのままBournville Laneに入って進み、ブリストル・ロードを歩道橋で越えてそのままMiddle Park Roadに入る。このあたりはウィーリー・ヒル地区の最も目立つあたりである。左手にウィーリー・ヒル合同改革教会の堂々たる建物が見えたので、左折してその辺りへ行くと、ここで韓国語礼拝が行われていることに気づく。たまたま教会に出入りしている人たちに注目すると韓国人の集まりがあったようで、韓国語でいろいろおしゃべりをしている人たちがいる。そのまま教会の北側に延びるGreen Meadow Roadを西へ進む。そのまましばらく進んでいったが、途中で小規模スーパーマーケット「コストカッター」の店の前でアイスクリーム売りの車が停まっているのが目に留まった。実はこの車、少しずつ移動しながら、移動中に音楽を流し、時々停めては客が家から出てくるのを待つ、という商売のようだ。ちょうど日本の石焼き芋売りのトラックのような感じなのだろう。それにしても、まだ春とはいえ結構涼しい時期にアイスクリームは売れるのだろうか?  Longbow Roadで右折してShenley Fields Roadへ出て、少しだけ東に戻って写真を撮ってから西へ進み直し、Shenley Laneで右折してウィーリー・キャッスルの入口にある商店に面した交差点まで行く。そこで折り返してShenley Laneを南下する。BVTのエステートから切り話された市営住宅の一角には、少なからず衝撃を受けた。途中で横丁の抜け道に入り、Shenley Laneの東側を併行するPeach Ley Roadを少し南下し、またすぐに別の抜け道でShenley Laneに戻る。坂を下ってゆくと、左手に先ほどのアイスクリームやの車がいて、少年にアイスを売っている。なかなか神出鬼没だ。シェンリー・グリーンの近隣センターで左折して、一昨日S氏に連れて来たもらった開発中の一角に出た。あたりを少しうろうろしてから、この辺りでは南東へ延びているGreen Meadow Roadの坂を下り、昨年も訪れた最近の開発地に出る(跡でGoogle Mapを見たら、画像は開発前の姿のままだった)。Black Haynes Roadから住宅地内の歩道を抜けてBurdock Roadへ出て、再びShenley Laneに出る。そのままバスのルートに沿って進めばノースフィールドの商店街に出るはずだが、マナー・ファーム公園に沿って谷底で左折し、(BVTのエステートからは外れている)Whitehill Laneに入る。角にあった「Old Farm Cottage」という家は、かなり古そうな造りだった。そのまま公園の緑地に足を踏み入れ、歩いて来たシェンリー一帯を撮影できるポイントを探して緑地の斜面をじりじりと登る。
 そのまま緑地を横切ってブリストル・ロードに抜け、左折して少し進むと、元々農場の管理施設だったらしい建物群の一角がある。ここで左折して少し公園の様子を眺めてまたブリストル・ロードに戻る。その隣はもうパーシモン社の開発地である。ここでブリストル・ロードを渡り、盲学校跡のテイラー・ウィンピーの分譲地へ向かう。まだ3時を少し回ったくらいなので、現地案内所は開いていて、昨日見かけた中年女性と、若い男性が事務所内にいた。パンフレットをもらい、少し話を聞く。そこで、近年の開発例として、Hole Laneの反対側にある一角も見に行くことを勧められ、ざっくりと一回りする。

Bournbrooke Quaker Studies Centre

Rooster House, High Street (Bristol Road)
 3時半ころブリストル・ロードに戻り、かつてのジョージ・キャドバリーの居宅であったボーンブルック・クエーカー・スタディ・センターへ向かう。途中で小さな桜の木が7分咲きくらいになっているのを見かける。木の表面にとりつく地衣類が異なるので、樹木の印象は日本の桜とは異なるのだが、開いている花はまさしく桜である。ぼちぼち日本でも桜前線の話題が出ているのだろう。警察署の前あたりで、にわかに雨が落ちて来た。傘が要るほどではないが、少し足早に進んで、ウッドブルックにたどり着いた。呼び鈴を押すと、Mさんというボランティアの女性が応対してくれて、この建物についていろいろ教えてくれた。ガンジーはここに来て、2階の部屋で講演をしたそうだ。途中で、にわか雨の雨脚が一瞬かなり強くなり、天窓の音に驚かされた。この場所は、昨日歩いたあたりとは背中合わせの位置にある。かつてキャドバリー夫妻がここからボーンビルの工場へと歩いた道を、いろいろと想像する。現在の建物は、キャドバリーの居宅であった時期から大幅に建物が継ぎ足されている。ここには改めて来ることを考えたいと思った。ちなみにMさんのお孫さんは日本人の女性と結婚して大阪にいるそうだ。ひ孫の写真を見せてくれたのだが、そんな歳になるまでしっかりしてボランティアができるというのはうらやましいと思った。
 4時を少し回ってウッドブルックを出て、バーミンガム大学のセリー・オーク・キャンパスに沿って進み、その図書館で女性司書2人に大学とセリー・オーク・カレッジズの関係などについて簡単に尋ねる。ここでは、ちょっと気の利いた感じのエコバッグを売っていたので£2.00でひとつ買った。そのままブリストル・ロード沿いにセリー・オークへ戻り、途中で、この辺りでは重要な聖メアリ教会や、現役のクエーカー集会所を見つけたりしながら進む。すると、カメラの容量がもういっぱいになっていることに気づく。写真撮影はやめてだらだらホテルへの帰路についたが、もう5時近くになっていてそこそこ空腹になって来た。「ケバブとチキン」という看板を掲げている「ルースター・ハウス」という店に入り、迷わずケバブのテイクアウトを注文する。例によって、£2.99と看板には書いてあるが、£5.00札をわたすとおつりは£2.00だけしか戻ってこなかった。
 明日朝には、もうチェックアウトしなければならない。ちょうど昨年も見かけた亭主が奥にいたので、チェックアウトの時間を確認し、何時ころまで荷物を預かってもらえるかを確認する。何でもしばらくフランスにスキーに出かけていたらしい。優雅なものだ。部屋に戻り、荷造りをはじめるが、なかなか荷物が収まらない。結局、リュックとスーツケース以外に、もうひとつ荷物ができてしまった。最終的にはロンドンで荷造りをし直さなければならないだろう。7時ころから10時少し前まで、テレビを点けながら(サッカー選手がピッチで心停止を起こして危篤という話が繰り返し流れている)ネットをいじる。10時前に消灯して眠る。
■ 2012/03/18 (Sun)
バーミンガム最終日

Birmingham
National Express service to London Heathrow Airport

George Cadbury の旧居

Richard Cadbury の旧居
 7時過ぎころには目覚めかけていたと思うのだが、ベッドの中でぐずぐずしていた。その後は、起き上がって、昨日の残りのケバブを食べながら、テレビでスポーツニュースなどをだらだら見てしまう(Wooden Spoon という表現は初めて知った)。たまっているメモをまとめて日記を仕上げていく。11時ぎりぎりに荷物を事務所前の通路に下ろし、鍵を返す。今夜は9時半に荷物をとりに戻る約束だ。今日は、ほとんど観光に近いが、これまでいろいろ気になっていながら出かけられずにいたところを回ろうというつもりだ。具体的には、エジバストンのキャドバリー兄弟の家(それぞれブループラークがある)と、ロングブリッジのボーンヴィル・カレッジの新校舎である。これに、マーケットでの食事と、夕食はどこかでバルチ、というのが自分にとっての今日の課題である。
 大学南門まで歩き、やってきたX64に乗って中心市街に向かう。車体は2階建てではなく普通のバスだ。ニュー・ストリートの観光案内ブースで、バスの地図と手に入れ、エジバストンのキャドバリー家ゆかりの家の位置を教えてもらう。そのまま歩いてW.H.スミスへ行き。ようやく絵はがきを見つけた。1枚20ペンス。今日は休日なのでブルリング・マーケット(「ブルリング」ではない)は休みだが、行ってみるとこれまで何回か足を運んだカフェ・ネロはちゃんと営業している。昼時になっているので、ここでブレックファスト£5.50を注文し、日記を書きながらゆっくり食べる。1時ころ店を出て、隣の安い服の店でハイビズのベストを買ってリュックに詰め込み、百貨店デベネムの中を通ってニュー・ストリートまで上がり、百貨店ハウス・オブ・フレーザーの前にあるCBのバス停で80番バスを待つ。しかし、日曜日で30分に一本しかなく、少し時間をつぶすために近くのチャリティ・ショップを冷やかす。結局、何も買わずに店から出ると、ちょうどバスが来るところだった。
 80番は初めて乗る路線だったので、最初は少し戸惑ったが、クロス・シティ線のファイブ・ウェイズ駅を通過したところで、ジョージ・ロードの街路名標識が見え、すぐに停車ボタンを押す。バスは100メートルほど進んだ先、ファイブ・ウェイズの少し手前で停まった。停留所から駅の方に坂を下って戻り、駅の手前のジョージ・ロードに入る。ここは街路の片方に連番で地番をつけていく方法で番号がつけられている。番号をたよりにたどりついた32番地は、小さな十字路に面しており、筋向かいはクエーカーの集会所であった。この集会所側の角には、なぜか木製のベンチが置いてある。バス停があるわけでも何でもない。そこに腰掛けてみると、斜めの角度から32番地を見られる絶好の位置だということが分かる。しばしぼんやりと、ブループラークが入った白い家を見つめる。一息入れたところで、セント・ジェームズ・ロードを南下し、鉄道を渡ると次の交差点がウィーリーズ・ロードだった。とりあえず左折して番地の見当をつけ、今度はリチャード・キャドバリーの旧宅を見つける。このブループラークの入った家もさることながら、その隣のセミデタッチト・ハウスは、そのままボーンヴィルにあっても全く違和感がないような風情で、手入れも行き届いている。しかし、ボーンヴィルと決定的に違うのは、その背景に高層ビルが見えること。100メートルあまり進めば中高層の新しいオフィスビルや時集合住宅が軒を連ねている、という立地である。
 そのまま市街地中心部をバイパスする環状幹線道路であるミドルウェイに出て、いったんはバス停に行くが、日曜日であまり本数がない。そのままブリストル・ロードまで坂を下りていった方がよいと判断して、リー・バンクの集合住宅群開発地を左手に眺めながら、マクドナルドの独立店舗があるブリストル・ロードの交差点へと下っていった。交差点を何とか渡って筋向かい側に到達し、そこでバスが来るのを待つ。ロングブリッジ方面へ行って、新しいボーンヴィル・カレッジを見に行くことにする。しばらく待ってやって来たX64に乗る。ところが、てっきりブリストル・ロードを直進すると思っていたら、セリー・オークを抜けたところでバスは右折し、ウィーリー・キャッスル方面へ向かう。慌てて手元のバス路線図を見ると、このままウィーリー・キャッスルの先まで、かなり複雑な経路で進んでいくことが分かる。あえて下車して戻るより、どこかで乗り着いてノースフィールドの商店街へ出て乗り継ごうと考え、路線図を眺めながら右へ左へ何度も折れ曲がりながらシェンリー地区の西端の一角をバスの中から眺める。やがて、18番バスに乗り継げる、レイ・ヒル・パーク西縁の坂を下ったところの停留所で、下車する乗客がいたので、一緒に下りる。時間を確認すると10分ほど待たなければいけないが、ノースフィールド方面へ行く18番バスが来るはずだ。しばらくまったが、バスがこない。手持ち無沙汰で、リュックにあった英文の資料を少し読んだりするが、定刻を過ぎても18番バスは来ない。そうこうしているうちに、30分に1本のX64番バスがやってきた。つまり、30分ここで経過したのである。地図を見直し、歩いて行く方が賢明と思い直し、公園内の道からVine Yard Roadへ出て、坂を上りきってブリストル・ロードへたどり着いた。
 旧道に沿った商店街のバス停に到着したのは3時40分ころだったが、すぐに63番バスが来たのでこれに乗り、ロングブリッジ方面へ向かう。ここから先のブリストル・ロードは初めて目にする光景だが、広い道幅の両側に集合住宅を含め、良好な雰囲気の家が建ち並んでいる。と思っていたら不意に、真新しい奇抜な建物の先に、工事中の更地が広大な面積に渡って広がっている場所に出た。最初は驚いて戸惑ったが、すぐにこれがボーンヴィル・カレッジの新校舎だとわかる。バスはその先のロータリーで右折(ブリストル・ロード・サウス自体が右折する:直進するとLickey Roadという別の道になるようだ)していこうとするので、すぐにボタンを押してロータリーの先のバス停で下車した。下車したところの向かい側が、ボーンヴィル・カレッジの建設関係の実習施設だった。再開発地の工事現場がそのまま実習ということになるのだろうか。角の集合住宅の一角に、営業中なのか怪しい雰囲気の酒屋があったが、喉が渇いていたので入ってみると、ちゃんと営業中で南アジア系の青年が店番をしていた。缶入りのクリームソーダを買い、すぐに店を出る。改めて辺りを見回すと、とにかく驚くほどきれいに、広大な範囲が赤色がかった土がむき出しの状態に掘り返されている。その中に、フロンティアのように突き出して立っているのがボーンヴィル・カレッジの校舎だ。ロータリーのすぐ北側には、明らかに駅舎の遺構と思われる陸橋と建物が残されている。しかし、手元の地図や、その場に看板が出ている再開発計画図を見ると、この橋や駅舎は近々きれいに姿を消すはずだ。後で確かめなければならないが、もしかするとここがヘイルズオーエン鉄道のロングブリッジ駅か、あるいは別の駅であった可能性があると思う。

Bristol Road, near Longbridge
 この一帯には、かつてはオースチンの自動車工場施設が広がっていたはずで、手元のAtoZでもそうなっているが、一番南側の一角だけが残されて後はきれいに土むき出し、ないしは研究開発型の企業団地として再整備の途上である。ブリストル・ロード・サウスを少し戻って、駅へ向かうLongbridge Laneに入る。左手(北)の方には、アストンの名を冠した社交スポーツ・クラブが残っているようだ。道路の北側にある真新しい完成間近の色鮮やかな建物の先、駅の手前あたりでは、ボーンヴィルでも見かけそうな感じの数軒のかなり古いセミデタッチト・ハウスが、解体を待っている状態だった。駅にたどり着き、現在の跨線橋に併行して南側にかかっている(現在は行き止まりになっている)跨線橋(跡)から写真を撮り、かつてのヘイルズオーエン鉄道への分岐の跡を確認する。壁が微妙に高く肉眼で確認できないのは残念だが、手を伸ばして撮影したデジカメにはきちんと状態が映り込んでいた。
 駅からブリストル・ロード・サウスの方へ戻りながら、ボーンヴィル・カレッジの構内に入る。こちら側からみると陸橋と駅舎跡の関係がよく見える。ブリストル・ロード・サウスより西側では、鉄道跡が境界になっていろいろな施設があるので、蝶と鉄道跡が緩やかな谷底であり、なおかつ再開発地の縁になっているが、東側ではかつての鉄路跡は完全に埋め戻されて平坦な更地にされている。ただし、橋の直近では、河の流れ(谷底なので当然だが)があるので、人工的に別の水路が造られており、わずかに線路敷と併行する水路の関係が見て取れるようになっていた。
 ブリストル・ロード・サウスとロングブリッジ・レーンの分岐まで戻り、バス停で時間を見ると、日曜日で減便されていて、しばらくはバスがこないことが分かる。ブリストル・ロードの先、セリー・オークの方を見ると、きれいに虹が立っている。一雨来ているのだろう。ブリストル・ロードを少し進むと、商店が数件入った長屋があり、一番端のサブウェイが営業していた。一休みする気になり、チーズ・ナッチョスと飲み物をとって£3.08だった。狭い店内では、若い主婦という感じの2人が話に花を咲かせている。ナッチョスを平らげ、飲み物は手に持って店を出て、そのまま次の停留所に向かう。近くの建物の写真を撮るのに気を取られていたら、何と63番バスが、すっと通過していった。トホホ感というか脱力感を覚えながら、さらに写真を撮りつつ停留所2つ分栗くらいを歩く。けっこう豪勢な造りの食べ放題の中華料理店の前にある停留所で、ふと振り向くと、遠くに64番バスが見えた。早速乗り込んで、ほっと一安心する。
 ところが、すぐに雨が降り出し、バスがセリー・オークにさしかかる頃にはかなり本降りになった。こちらに来てみた中では長く続いている方だ。結局そのまま中心部にたどり着くまで、そこそこ降っていたのだが、幸い下車したときには雨脚がちょっと弱くなっていた。タイミングに恵まれて幸運だったと言えよう。ところが、ニュース・トリートを進んでいくうちに、また雨脚が強くなって来た。ほかのカフェにしようかとも思ったが、歩行者天国に面したスターバックスに入る。5時40分くらいになっていた。ラテのヴェンティを注文し、窓辺のカウンターに陣取ってWiFiでネットにつないでから、トイレに立ち、作業をはじめる。途中で、コンセント脇の席に座っていた女性が帰ったので、以降はコンセントもつないで日記の編集や、ネットをいじる。8時近くになって「もうすぐ閉店します」と声をかけられてから、またトイレに立ち、店を出た。ちょうど8時になるところだった。そのまま、ニュー・ストリートからコロネーション・ストリートのバス停に向かい、63番バスに乗る。8時20分ころ、セリー・オークのアルディの前でバスを降りる。今夜はバルチ料理をと思ったので、昨年も入って気に入った「カフェ・イースタン・ディライト」に入り、店の左手奥の席に案内される。中央に水槽がおかれた店内では、反対側に10人ほどの白人のグループがいて、後から水槽の手前の席に日本人の男女3人がやってきて、別の白人の2人連れが水槽の向こう側に座った。決して空腹ではないので、ラムのバルチとナンだけを注文する。しっかり作られていることがわかる味だ。決して贅沢ではなく庶民的な感じなのがバルチの魅力だと改めて思う。勘定は8ポンド弱だったので1ポンドほど上乗せして支払った。
 時計を見ると、既に9時20分を回っている。急ぎ足でホテルに向かい、荷物を回収する。亭主に「こういうときはチップすべきなの?」と尋ねると、笑って「ノー」というので、用意していた1ポンドだけを渡して受け取ってもらう。バス停までの道は、一応歩道も舗装されているのだが、車輪付きとはいえスーツケースを曵くのはおっかなびっくりという感じになる。おまけに黒いゴミ袋に残りの諸々を放り込んである方が、どこかで地面に擦ってしまったようで、穴があいてしまった。主のほか難渋しながら、大学南門のバス停にたどり着いた。先が思いやられる。X64番バスに乗り込むのもちょっと手間取ったが、何とか乗り込み、ニュー・ストリート駅近くのバス停で下車して、コーチ・ステーションに向かう。先ほど以上に路面が微妙なところで、スーツケースをガラガラと押したり曵いたり悪戦苦闘しながら、ようやくコーチ・ステーションにたどり着いたのは、10時半少し前だった。待合室で荷物を少し作り直し。結局、荷姿は、スーツケースとアルディのエコバッグの2つ(これにリュックが加わる)になった。コーチ・ステーション内はナショナル・エクスプレスの無料ネット環境が使えると思っていたのだが、案に相違して繋ぐことができない。オフラインの状態で、日記の加筆にとりかかる。
 今夜、乗るのは、深夜1時30分発の210系統で車体自体はウォルバーハンプトンから0時20分には到着するらしい。到着後すぐには乗れないはずだが、少しでも早めに乗り込んで短時間でも眠ってしまいたいところだ。スーツケースの上に伸ばした足を載せ、楽な姿勢になって、短時間だけ眠ったり、作業を続けたりする。近くに座った黒人青年は、iPhoneでゲームに興じている。チケットには1時30分出発と書いてあるのだが、それより前に到着する210系統は0時20分だけである。1時間も停車しているのかと思いながらも、少しでも早く車内に入って眠った方がよいと考えて、到着プラットフォームが13番と告知されたところですぐにそちらへ向かう。インド系の運転手に切符を見せこのバスで間違いないかと確認すると切符を切って乗れと促される。乗り込んで奥の方へ行くと、幸い、他の席よりも前後の席間が広い、非常口のある席が空いていた。すぐにシートベルトを締めて眠る体制になる。1時間待機で、移動が2時間半あれば、上手くすると2サイクル(90分×2=3時間)熟睡できるかもしれない、などと考えながらまどろみ始めると、何とバスが動き出した。まだ0時30分である。近くの別の場所で待機するかと思いきや、そのままターミナルを出て走り始めた。もし、定刻を信じて、深夜1時過ぎにターミナルに来ていたら、どうなっていたのだろう??? ともかく少しでも休んでおかなければと自分に言い聞かせながら、すぐに眠りに落ちた。
■ 2012/03/19 (Mon)
大迷走の午前中、定番の訪問先巡回の午後

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 バスが途中どこかに停まったのかは覚えていない。しばらくはちゃんと寝ていた。それでもなぜかヒースロー空港近くのホリデー・インが見えたところで目が覚め、起きる。エミレーツ航空のオブジェがあるあたりで車内灯が少しついて、もうすぐ到着することがはっきりする。車内は結構寒い。空調を暖房にしていないのかもしれない。空港で下車するのはどうやら自分だけだ。インド系の運転手がスーツケースを出してくれ、バスの写真を撮り、時間を確認すると、まだ2時50分である。当初予定よりさらに1時間10分も早く着いてしまった。地下鉄駅に下りてみるが、まだ窓口が開いていない、というより、何かの工事中らしく慌ただしく作業をしている人たちがいる。とりあえず、ターミナルへ出た方が暖かいだろうと考え、ターミナル1へ向かう。地上階(1階)の到着ロビーを少し覗いてから、1階(2階)の出発ロビーへ行く。いろいろな椅子で、いろんな格好で眠っている人たちがいる(さすがに失礼なので写真は撮りにくい)。下の到着ロビーのこす多コーヒー前のベンチの列に戻り、無料で自由に使える電源につないで、日記の編集を続ける。すぐ近くでロシア語で延々と話し続けている男性4人がいて、モスクワに行ったときのことを思い出した。やがて不意に照明が明るくなったので、時刻を確認したら、4時になったところだった。床面を清掃する車両が走り始めている。4時40分ころ、トラベレックスの外貨両替の窓口が開き、人の出入りが始まった。そのまま、オフラインでいろいろ編集作業をしているうちに、6時を回ったので、地下鉄駅へ向かう。
 まずここで券売機でトラベルカードを買う。オフピークではないので£15以上するが、あまり使う機会のない£20札を投入してみた。事前に調べたロンドン・バスの案内サイトのガイドだと、目指す宿は105番バスの沿道にあるようだ。ちょうど目の前で一台が出てしまい、しばらく待って6時半ころに105番バスに乗りこんだ。運転手は中年の女性だった。バスは、空港の北縁に沿って東へ向かい、やがて北東に進路を変えて進んで行く。ところが、あらかじめ地図でだいたいの見当はつけていたのと、走る方向はあっているのだが、それらしい場所に行き当たらない。そうこうしているうちに、完全にイメージところなる雰囲気の市街地のない放牧地と業務用地が続く一帯を抜け、南アジア系の人々が特に目立つ街に入って来た。これは完全に間違えている。実は途中に、ハイ・ストリートという目指す場所と同じ名の通りは通っていたのだが、気付いたときには地番が100番台だったので、その先に別の番号が振られているのかなどと考えて、だらだらと乗ったまま進んでしまった。どこの町かも分からない状態で Green というバス停で下車し、道の反対側のバス停で空港へ戻る便に乗り継ぐ。元のルートを戻りながら注意しているとハイ・ストリートの100番台にやってきた。と思うと少し先でバスは左折して別の道に入ってしまった。どうやら、ハイ・ストリートのうち、目指す16番地はバスが通らない道になっているようだ。いったん斜めに左折したバスが右折したところで下車し、かなり広い通りを南から北へ渡って、ハイ・ストリートの入口に入った。静かな雰囲気の住宅街である。こんなところにB&Bがあるのかと思いながら進んでいくと、見つけた16番地には、ただのこじんまりとしたセミデタッチト・ハウスがあるだけだった。これは完全に違う。
 改めてパソコンを開き、目指す場所の住所が16 The High Street, Stanwell, Staines と記されているのを確認する。さっきより重く感じられる荷物を曵いて、また広い道を渡り、バス停に行って、それらしい地名がないか路線図を眺めてみると。完全に方向違いの空港の南西側にStanwellとStainsがあることがわかった。ここからでは直行できない場所だ。どうやらここから広い通りを東に進んで、ラウンドアバウトを2つ越えた先で反対方向に渡り、別の路線に乗り換えるのがよさそうだ。重い荷物を曵いてまた道を渡り、筋向かいのバス停から東へ行くバスを待つ。いつの間にかすっかりラッシュ時間帯になっていて、最初に来たバスには気後れして乗り込めず、次ぎに来たバスも荷物をかばいながら苦しい姿勢で乗ることになった。ラウンドアバウトを2つ越えたところで下車し、反対側にまた渡る。ここで改めて路線図を見て、この辺りがハウンズロー・ウェスト駅(以前から一度現場を見てみたいと思っていた駅のひとつ)に近いことを知る。いずれにせよ今は、足を伸ばす余裕は全くない。かなり待たされてから大幅に遅れてやってきた203番バスに乗り継ぎ、ラッシュで満員の車内でスーツケーツが動かないようかばい場柄、またまた大変な思いをする。途中でハットン・クロス駅で人がかなり下りたが、まだその先でけっこうな人数が乗ってくる。それがほとんど下車したところで終点かと思ったら、そのひとつ先がステインズのバス・ターミナルでショッピング・センターであった。ひとつ前の停留所は、鉄道駅の前だったようだ。しかしいずれにせよ、ずっと注意していたのだが、ステインズの前にあったはずのスタンウェルという地名は見逃し、聞き逃したようだ。

St Anne's Church, Stanwell
 既に9時になっている。ショッピングセンターの店も早いところは開き始めるころのはずだ。いずれにせよ見当違いなところには来ていないはずなので、道を訊くなり、朝食をとるなりしようという気になり、ショッピング・センターの中へ入っていった。アトリウムにセキュリティというより案内係という感じのこぎれいな身なりの男性2人(白人と黒人)がいたので、どこかでストリート・ディレクトリを売っていないかと尋ねると、即座にそういうところはない、と言われてしまう。そこで、実は迷っていて、この場所へはどう行けばいいか分かるかと訊いてみると、自分たちは知らないが、郵便番号から判断するとこの地区ではなく隣接地区のどこかだ、などといいながら無線でつながっている先にも尋ねてくれたが、結局よく分からない。スタンウェルへ行くならバスの運転手に最初に言っておけば? などと当たり前のことを言われたが、インターネットがコスタ・コーヒーで使えるよ、と教えてもらう。確かにゆっくり座って頭を冷やした方が良さそうな状況だ。アトリウムを見下ろす位置にあるコスタ・コーヒーに上がり、カフェ・ラテ(ヴェンティ)を頼み、頭を冷やす。ネットのつなぎ方が最初は要領を得なかったのだが、落ち着いて作業をし直して、繋がるようになり、正確な場所を地図で出して、それを見ながら203番バスにのれるようにする。結局、深々としたソファーでちびりちびりとコーヒーを飲みながら、1時間ほど時間をつぶした。10時過ぎに店を出てバス停に戻り、10時15分ころに、定刻より遅れてやって来た203番バスに乗り込んだ。PCに表示した地図をたどりながら進み、どうやらここが村のセンターらしいハッピー・ランディングという停留所でバスを降りた。目指す宿は、ここから数百メートル離れている。地図を頼りに住宅地の中の道を進み、親子連れがけっこう子供を遊ばせている緑地に出てその中に舗装されている小道を進み、そこで行きがかりの乳母車を押したお母さんに「この先はハイ・ストリートに繋がっていますか?」と確認して、「教会の敷地をに家て出られるわ」と言われた通りに進んで、ようやくハイ・ストリートに出た。角を曲がってすぐに16番があり、ネットで見た通りのセミデタッチトハウスを改造したパブ「ザ・スワン」があった。既に10時45分くらいになっていた。
 パブの主人に声をかけると、どうやって来たかと訊かれた。普通の客にとっては、よほど来にくいところなのだろう。宿代は既にクレジット・カードで決済されており、部屋も使えるという。さっそく上階に上がってすぐ右手の9号室に入る。おそらく元々の住宅の部屋を2分割した部屋だろう。細長い4畳分くらいの部屋にベッドとちょっとした机、それにテレビがあるだけで、洗面台などはない。荷物を置いて、下に降り、主人とその相棒らしいやや年長の男性(ベルファスト出身のユニオニスト/プロテスタントだそうだ)と、いろいろ話をする。
 11時15分ころに宿を出て、宿近くをぐるっと見て回り、先ほど主人たちから聞いたアドバイスに従って、(ハッピー・ランディングではなく)ベッドフォント・ロードのバス停に向かう。小さな村なのに、ハイ・ストリート沿いだけで3軒もパブがある。ガソリン・スタンドに面したバス停で、しばらく待って203番バスに乗り、途中の八トン・クロス駅では下りずに、終点に近いハウンズロー・ウェスト駅まで乗っていく。この駅の構造がちょっと変わっているという話を読んでいたので、現地を見に来たかったのだ。かつてこの線の前身の鉄道線の終点だったときに道路に面して端頭式の駅が建設された後、ピカデリー線が空港まで延伸されることになり、駅のプラットフォームが西寄りにずれる形で地下化され通過駅になったのだが、その際、改札口のある駅舎はそのまま利用され、渡り廊下のような地上の細長い通路を経て地下へ下りていくというレイアウトになっている。かつての端頭駅の線路敷であったはずの空間は、何もなくなって駐車場になっている。具体的にその状況を見て、いろいろストンと納得できた。
 ピカデリー線でサウス・ケンジントン駅まで行き、王立地理学協会へ行く。駅から数百メートルは、例によってかつての短距離地下鉄道の跡である地下通路を進む。いつものように、自然史博物館とヴォクトリア&アルバート博物館前の間のあたりで地上に上がり、道をさらにハイド・パーク方面に北上する。去年までは、この辺りでは道路をいろいろ掘り返していたはずだが、辺りはすっかりきれいになっている。オリンピック・イヤーの効果ということだろう。RSGでは年会費を支払い、スコットの南極探検の展示を見る。ギリシア人だという受付の女性としばし雑談した。地下の図書室で少し資料を見たが、あまり長居はせずに出て来た。

near Green Park
 アルバート・ホールの前でハイド・パーク側に道を渡り、バス停へ行く。しばらくすると、何と昔風のホップ・オンできる小型バスがやって来た。行く先も確認せずに思わず乗り込む。車内にあったプレートによると2000年にレストアしたクラシック・カーである。これを普通の路線で走らせているというのも面白い。2階に上がって車外をみていると、バスが止まるたびにカメラを向ける観光客がいる。そのままナイツブリッジを経てグリーン・パークに向かい、日本大使館とハードロックカフェの中間地点にあるバス停で下車する。2時少し前にはハードロックカフェのショップに到着し、お土産にするピン類を購入した。
 買い物を済ませてグリーン・パーク駅まで少し歩き、ビクトリア線、セントラル線と乗り継いで、ノッティング・ヒル・ゲート駅へ行く。ここからポートベロー・マーケットへ向かい、買い物を頼まれている品物を探すが、なかなか見つからない。平日とあって開いている店も少なく、マーケットはもちろんやっていない。結局、南東端から北西端のラドブローク・グローブ駅まで歩いただけで、何も買わずにポートベローを出た。ハマースミス&シティ線、ノーザン線と乗り継いで、カムデン・タウン駅で下車し、これまたいつものようにチョーク・ファーム駅に向かって店を冷やかしながら歩いていく。ここは平日でもさすがにそこそこの人出がある。ステイブル・マーケット一帯は、最初に通いだしたころから比べれば倍以上の規模に拡大しているように思う。しかし、古着屋が目立たなくなったのはちょっと寂しい。Tシャツだけに限っても、どこでも売っているようなものを扱っている店ばかりではなく、そこにしかない柄を売りにしているような店もあって面白い。しかし、1点もののTシャツ(手書きのイラスト入り)という店があるのにはちょっと驚かされた(怖くて?値段は聞かなかったが)。カムデンでは、土産用と自分用で合わせて2枚のTシャツを買った。マーケット内では、フード・コートのようにエスニック料理のブースが並んでいるのだが、これも以前より数が増えたようだ。モロッコ料理のブースで5ポンド出してクスクスにラム・カレーをかけたものを買い、近くのベンチで食べる。クスクスは甘みがあって最初のうちはおいしいのだが、少し冷えてくるとべたべた感が出て、食感が悪い。結局カレーは全部食べたが、クスクスは半分ほど残してしまった。
 もう既に5時になっているので、そのままもう直行で宿に戻ることも考えたが、目の前にセインズベリーがあったので、日本に持ち帰る紅茶と、とりあえずの飲み物を買い、初めて自動チェッカーを使用する。慣れれば便利なのかもしれないが、まだピンとこない感じもした。駅にたどり着くまでに考えを変え、チョーク・ファーム駅からノーザン線、ピカデリー線と乗り継いで、空港方面へ向かう。ハットン・クロス駅で下車し、7時少し前に203番バスに乗り込んだ。一度道程が分かってしまうと、先が分からずにバスに乗っていたときとは気持ちの上でも大きく違う。ベッドフォント・ロードのバス停では、ほかにも数人、スタンウェルの住民と思しき人たちが下車した。その後を追うようにハイ・ストリートへと向かう。西の空には2つの明るい星が出ていた(金星と木星だろうか)。宿に戻ったのは7時15分くらいだったかと思うが、パブには男性ばかり数人の客が集まり、昼間は見かけなかった中年女性がカウンターを切り盛りしている。フロアをそのまま横切って奥の階段へ向かい、直ぐに部屋に入った。さすがに疲れがどっと出た感じでベッドに横になり少し眠るが、11時過ぎに目が覚めた。
 階下はまだ騒がしいので、パブは営業しているようだ。ネット環境は極めて快適なので、ベッドの中でネット作業をはじめる。そのまま夜通しでウィキペディアの記事翻訳などをする。
■ 2012/03/20 (Tue)
ハムステッド・ガーデン・サバーブへ

Birmingham
Birmingham:
Awentsbury Hotel
 前夜の夜中からずっと起きていて、朝5時ころまでネットをいじり続けていた。5時を過ぎてからさすがに眠くなったので就寝、熟睡し、2サイクル(90分×2回)とちょっと寝たタイミングで9時前に目覚めた。さらに少しネットをいじる。
 10時少し前に下へ降りて行くと、昨日と同じ2人がいた。朝食はつくのかと聞くと、つかないというので、何でもいいので食べるものを用意してもらえるかと聞くと、何とかしてくれることになった。そうして出て来たのは、トーストしていない厚切りのパンにバターを塗ったブレッドンバターとコーンフレーク、それに、たっぷり大きなポットに入った紅茶だった。£4.00は高いのかしれないが、ともかく朝食にありつけたのは、ありがたかった。今日は、ハムステッド・ガーデン・サバーブを見に行くつもりで、ネット上で関係資料をゆっくり見ながら、だらだらと朝食をとる。
 朝食を済ませてから、12時40分ころに宿を出てハイ・ストリートを東へ歩いてバス停へ向かった。途中で、ジンジャー・ビアを商店で買ったり、17世紀に学校として立てられた建物の写真をとったりしながら、ゆっくり進む。バス停につく前に、空港のフェンス沿いに反対方向へ行ったらどうだろう、と気まぐれに思いつき、住宅地内の道路を戻って、ライジング・サンという名のパブの前にたどり着いた。ここから車はゲートが出入りできない場所を経由して空港沿いの道に出、少し西へ向かって進んでみる。するとターミナル5方面が遠くに見えてくる位置に出たが、バス停はずっとずっと先まで全く見当たらない。仕方なく取って返して、道路沿いの水路の水鳥などを眺めながらバス停の戻ろうとした。ところがここで、発汗発作に襲われ、しばらくその場に座り込み、さっき買ったばかりのジンジャー・ビアで薬を呑んで休む。しばらく休んでからバス停に向かい、やがてやって来た203番バスに乗る。ハットン・クロス駅まで£2.40である(トラベルカードは駅でしか買えない)。

H1 @ Golder Green

Henrietta Barnet School
 ハットン・クロス駅でトラベルカードを買い、ピカデリー線からノーザン線エドガー支線へと乗り継ぎ、ハムステッド・ガーデン・サバーブへの入口になるゴールダーズ・グリーン駅に到着した。既に3時になっている。駅前に出てすぐに、ナショナル・エクスプレスのコーチを見かけ、この駅が、ビクトリア・コーチ・ステーションからバーミンガム方面へ向かう便の一部が最初に立ち寄る場所であることに気付いた。秋前を少し歩き回り、ガーデン・サバーブ方面へ行くH2番、H3番という2つの路線があることがわかり、その乗り場へ向かった。ところがなぜかそこにH1番というバスがいて、行く先はガーデン・サバーブ内の女子校になっていた。どうやら通学時間帯だけの運行便らしい。とりあえず乗り込み、終点まで乗って行く。女学校の前に着いた、と思っていたら、実は裏口に着いていたようで、学校の敷地に沿って反時計回りに回り込んで、大きな教会が2堂建っている中央広場に出た。ここから歩道を通って住宅地の中をデタラメに右往左往しながら、住宅地内を見て回る。百年くらい前の住宅ばかりでなく、陸屋根の比較的最近(といっても30年くらいは経っていそう)の建物や、住宅地内のクラインガルテンなども見て回る。
 こういう行き当たりばったりな散策はなかなか楽しいのだが最終的にはマーケット・プレイスという近隣センターがあるところへ行って、そこからバスに乗って戻りたい。途中から、歩いている人に、マーケット・プレイスへの生き方を尋ねながら徐々に近づいて行こうとしたのだが、たまたま最初にいたところからは単純には行けない場所だったようだ。最初にやや年配の男性におおよその方向を教えてもらい、次に若い女性に右へ行って左へ行ってその先をまた左...と結構複雑な経路を教えてもらって歩いていると、何とさっき最初に道を尋ねた男性が向こうから女の子を連れててやってきて、先方から声をかけてきた。何でもお孫さんを散歩させている(さっきは迎えに行くところだった)らしい。一本道になるところまで連れて行ってくれるということになり、ひょいひょいと角を曲がって林地になっている公園?のビッグ・ウッド保護林を横切り、その途中でも曲がって最初にバスを降りた女学校の近くに出て、そこから一本道でマーケット・プレイスに行けるところまで一緒に連れて行ってくれた。別れ際に、丁重にお礼を言ったのはもちろんである。
 マーケット・プレイスは、交通量の多い広い道に面した店舗兼住宅が並んでいるところだったが、核店舗に当たるようなスパーの類はなく、コンビニ程度の規模のミニ・スーパーなどがある程度だった。むしろ目立ったのは、不動産屋、住宅のメインテナンス関係、ペット関係などの店で、地域の性格を反映しているように感じた。たまたま水道管の破裂?があったようで、消防車やパトカーが来て道路を規制し、交差点は水浸しになっていた。辺りを一回りして、小さな店舗のひとつが地域の図書館がなっているのを見つけ、入ってみる。郷土資料類を少し見せてもらったが、もうすぐ5時で閉まるというので、とてもコピーを取っている余裕はない。機会があれば改めて訪問することにして、図書館を出た。その後、最初はカフェに入ろうと思ったのだが、雰囲気が良さげだった角のパン屋のカフェ・コーナーは5時で閉店になっていた。もう1軒も確認はしなかったが、早じまいの可能性が高そうだったので、結局、食料品店に入り、ジンジャー・ビアとクラッカーを買うだけにした。
 食料品店の前のバス停から、104番バスに乗り、ゴールダーズ・グリーン駅へ戻ることにする。ところが、途中の、ゴールダーズ・グリーン駅に近くなってきた辺りのところで、本屋があるのが目に止まり、思い切ってバスを止めて慌て気味に下車し、道の反対側の本屋へ向かった。後で気付いたのだが、このとき買ったばかりの飲み物とクラッカーを車内に置き忘れた。ジョセフズというこの本屋は、手作り感のあるなかなかシャレた造りになっている。最初は古書店なのかと思ったが、まともな新本屋で、隣にカフェが併設されている。ポスターなどを見ると、作家を招いてのトーク・イベントなどをよくやっているような店らしい。郷土史関係の本を教えてもらい、さっき図書館で最も代表的な本として進められたものを含め何冊か関連図書があったので、あわせて£100以上本を買った。買い物をした後、隣のカフェで、ラタトゥーユのようなものと紅茶をとり、一息入れる。このカフェをやっているおばさんは、イタリア人なのだそうだ。既に店の入口には「閉店」の表示が出ていたところへ本屋の側から入ったので、ほかには新たに客は入ってこない。しばし、イタリアの政治情勢の話などをする。本屋の方の店主の男性は、後からこんな本もあるがいるか?と別の本を持って来てみせてくれたりする。結局後から持ってこられた本から選んだ1冊を含め、9点を購入し、荷物が一挙に重たくなった。再びやってきた102番バスに乗り、ゴールダーズ・グリーン駅へ向かったのだが、町並みを眺めているうちに降りそびれ、そのままクリックルウッドという終点まで行ってみる。終点ではいったん下ろされ、逆方向へ走るバスが来るまでしばし待つ。
 ようやくゴールダーズ・グリーン駅に戻って来たが、この時点で6時40分ころになっていた。最初は、そのままもう直行で宿に戻ることも考えたが、ノーザン線、セントラル線と乗り継いで、シェパーズ・ブッシュ駅へ行ってみることにした。駅について地上に出ると、以前の記憶とは全く違う景観に、すっかりお上りさんの気分になってしまう。もうすっかり夜になっているが、写真を撮りながらゴールドホーク・ロード駅方面へ歩いて行く。最後は少しだけハマースミス&シティ線の西側まで行き、デニッシュのパンを買い食いしながら、ハマースミス&シティ線でハマースミス駅に移動する。下車して道を渡って再び地下に降り、ピカデリー線で空港方面へ向かう。
 ハットン・クロス駅から203番バスでスタンウェルに向かい、ハッピー・ランディングで下車して、近隣センターにあるフィッシュ・アンド・チップス屋で夕飯を調達しようとしたのだが、店に入ると、店を切り盛りしている白人の老夫婦に、「もう閉店で売り物はない」と言われてしまう。ケバブや中華の持ち帰り店はまだやっているが、食指が動かず、そのまま宿に戻った。宿に着いたのは9時を回っていた。

■ 2012/03/21 (Wed)
■ 2012/03/22 (Thu)
スタンウェル散歩〜帰国便

NH202便 機中
 朝は5時ころにトイレに立ち、そのまましばらく起きている。テレビはITVにして、しばらく朝のニュース・ショーをながらで点けておく。今日もまた朝から、宝くじで大当たりしたバス運転手たちの話をやっている。しかも、生放送でインタビューに何度も応じるというサービスぶりだ。日本ではまずあり得ない、聞いたことがない種類の話題だ。途中で少し横になったりもしたが、熟睡はせず、そのまま、有り合わせの飲み物や食べ物を口にしながら、ネットをしたり、昨夜寝る前に中途半端に放り出した荷造りの続きをする。この宿はシャワーが2階のトイレ内にあるのだが、使えるかどうかわからなかったので、一応いじってみると、意外にもしっかりお湯が出た。この旅に出て最初で最後のまともなシャワーを浴びる。ただし、このトイレ、実はちゃんと鍵がかからない。シャワーの最中に隣室の男性がトイレのドアを開け、慌てて閉め直していった。一応11時チェックアウトということで、10時半ころには何とか荷物をまとめ、ひとつずつ階下に下ろす。荷物を預かってもらい、指示された通りにキッチンに2つの荷物を置いてから、身軽になってスタンウェル散歩に出かける。

Stanwell Place Gate @ Park Road
 最初に目指したのは、ザ・スワンがあるハイ・ストリートを西へ延長したパーク・ロードにあるスタンウェル・プレイスという屋敷の跡である。ここは、ノルマンディ上陸作戦の最高会議が開催された場所だという。左手にジョージ6世貯水池の堤を見ながら、まっすぐ進んで行くと、突き当たり(にみえる)場所に立派な門が残っていた。屋敷は1960年代に解体され、敷地も大部分が砂利採取場になって往時を偲ぶものはないらしいのだ、敷地の周りは樹木に囲まれ、外からは内部を窺い知ることはできない。パーク・ロードは門のところで南に左折し、すぐに右折して西に向き直し、ステインズへ南下する道路までつながっている。ステインズ・プレイスの南縁に当たる林に沿って、西側まで回り込んでみたが、敷地はやはり完全に封鎖されている。西側のゲートから内部の道が少し見えたが、男性が犬を訓練しているところだった。この西側の一帯は、元の所有者の子孫が受け継いでいるらしいが、少数の家が建っているほか、航空貨物関係の業務施設も並んでいる。道の向かい側には、園芸関係の商業施設のほか、廃棄物(おそらく瓦礫)の山ができている場所(廃棄物施設?)が見えた。
 パク・ロードに沿って東へ戻ると、先ほどの屋敷の門近くで道がクランク状になっているところに、そのまま直進する歩道(Public Footpath)があったので、そちらに入ってみる。右手は貯水池敷地のフェンス、左手は住宅の裏庭の板塀や生け垣である。貯水池の敷地内では、数十頭のヒツジが放牧されている。今日は、一週間ぶりに日差しが暖かい陽気だが、体を横たえて昼寝をしているヒツジがけっこう多かった。歩道には、途中抜けられるところはなく、結局、貯水場のフェンスに沿って右折して南下し、ようやく草地の公園らしきところに出た。ここは表の道との間に柵があり、犬の訓練用の施設なども置かれていて、犬を連れてくるための公園らしい。今度は、1960年代以降の住宅組合住宅、ないし公営住宅と思しき建物を見て歩く。最初に来たとき通ったハドリアン・ロードに出て右折し、最初にバスを降りたハッピー・ランディングに向かう。来たときは暗くて気付かなかったのだが、バス停の名前になっていたハッピー・ランディングは、通りや近隣センターの名称ではなく、パブの名だった。看板にはコンコルドの着陸が描かれている。昨日振られたフィッシュ・アンド・チップスの店へ行くと営業は11時半かららしく、まだ開店していない。少し時間をつぶしてから戻ってくることにして、ハドリアン・ロードをまた戻り、カトリック教会のエべレスト・ロードに入り、すぐに歩道に入ってファルコン・ドライブに抜け、その名もチャーチビューという(緑地越しに聖メアリ教会が見える)高齢者施設や、その先の住宅を見て回る。そうこうしているうちに11時半近くとなり、バス通りになっているクレア・ロードを通って近隣センターにたどり着き、フィッシュ・アンド・チップス屋にたどり着いた。
 昨日やり取りしたおばさんが店頭にいて、注文に応じてフィッシュ・アンド・チップスを用意してくれた。£4ちょっとを支払い、しばし、近くのベンチでブランチにする。ベンチに座ってぼんやり店舗を眺めていて気付いたのだが、この近隣センターにはテイクアウェイ系の店が目立ち、ニュースエージェント的な食料品店(遅くまで営業しておりコンビニとしての機能を果たすもの)はあるものの、道を挟んで南東側にあるセインズベリーがスーパーの機能を果たしているようで、店舗外の方は物販では分が悪いようだ。もともと図書館(といっても通常の小店舗1軒分の空間しかない)も、小店舗のひとつにあったようだが、移転とその遅延の告知が出ている。その内容からすると、新しい図書館があって不思議ではなかったので、改めて探してみる気になってハドリアン・ロードを進んで行くと、最初は医療施設かと思い込んでいた新しい建物の1階の一部が、一応公共図書館という扱いの図書室になっていた。少し郷土資料を見せてもらい、ちょっとだけコピーをとった。
 12時40分ころ、ようやく宿に戻って来た。今日はどうやら誰かの誕生日パーティーが夕方あるらしく、向かって右の部屋は貸し切りで入れなくしてある(といってもカーテン状の布が目隠しになっているだけだが)。空港に直行する441番バス(ロンドンバスではなくサリー州のバスの路線)は、昼間は毎時21分と51分に来るようなので、1時51分の便に乗ることにして、お茶をポット一杯入れてもらう。これだけで£3.00。一息もふた息も付きながら、メールに応答し(何と1年ちょっと前に送ったメールへの返信が今日になって来ていた)、ネットで遊ぶ。
 1時40分を回ったとことで腰を上げ、すっかり重くなったスーツケーツの上に、もうひとつふくれたエコバッグを載せ、ガラガラを押したり曵いたりしながら200メートルほど離れたバス停へと向かった。日差しは暖かく、鳥のさえずりが心地よく、春の訪れを実感させる。おまけに時折、旅客機の轟音がするというのが、この村の風情というもののようだ。例によって、定刻になってもバスは来ない。ぼんやりとこの村に住む人々の人生を想像する。少し遅れてやって来たバスの運転手は、幼稚園の先生でもしていそうな雰囲気の若い女性だった。£2.40を支払うと、ポンドの現金の残りは55ペンスだけになった。
 いったん、バスはターミナル5に立ち寄ったあと、ヒースローの中央バスセンターに到着した。地下に降り、テーミナル3へ地下道で進む。そこまでは以前と変わりなかったが、リフトで上に上がると、地上のビルはピカピカに改装されていた見違えた。すぐにANAのカウンターへ行ってみたが、まだ2時半なので誰もおらず、受付は4時以降になるようだ。座って待てるところを探して、いったんひとつ上の出発階に上がり、電源を無料で使えるところを見つけて、ラップトップを充電しながら日記の整理を続ける。また、少し思い立って、荷物の詰め込み直しもした。そうこうしているうちに、宿にタオルと電源アダプターを忘れて来たことに気付いた。今回の旅では、買ったばかりの本屋、食べ物をバスに2回忘れているが、これで3回目の忘れ物=失くしものである。まだ、安く買い直せるものしか失くしていないのが救いだが、こんな調子では、そのうちひとりで旅行に行けなくなってしまうかもしれない、などと考える。気がつくと、4時を大きく回っていたので、日記を切り上げて、リフトで下に降り、長く延びているエコノミー席の列の最後につく。搭乗手続きと預け荷物を済ませる。アルディのエコバッグにいろいろ詰め込んだ2つめの荷物は、丸ごとビニール袋で包んでもらった。手続きを終え、そのまま直ぐに、また上階に上がり、保安検査を抜けて、ほとんど日曜日のショッピング・センターのような混雑になっているロビーへ行って、再び電源つないで日記の続きを書く。

NH202 B777-300, 26A
 搭乗時刻の6時30になったところで、1番搭乗口へと向かう。歩いて5-10分ほどと説明されているので、ちょうど列がなくなった程よい加減で、スムーズに搭乗する。機材はB777-300、座席は26A、つまりビジネス席のすぐ後の左窓側の席で、いつもパソコンバッグを置いている「前の座席の下」のスペースがない。足が伸ばせるのはありがたいが、荷物の置き場に困ってCAに尋ねると、パソコンだけ出して残りを頭上の収納スペースに入れ、パソコンは持っているか、小さい荷物なら離着陸時には丸ごと抱えていてくれと言われる。海外の便ではPCが入っていても頭上に収納しろと言われがちだが、やはり日本の航空会社である。
 ほぼ定刻通り、7時ころに機体は動きだし、滑走路に入る順番を待って空港の西端へと移動して行く。ふと、昨日空港沿いに西へ少し歩いて引き返したあたりが目に入った。結局たどり着かなかったガソリンスタンドが、はっきりと目立って視界に入っている。スタンウェルの村は暗すぎて何も見えないが、次に昼間に離着陸する機会があれば、歩いたあたりのことがもっと意識されそうだ。離陸後は、例によって、少しウトウトするのと、上海と数独を繰り返す。ただし、往路とは違って、疲れがたまっていて頭が動かないのか、上海は全くクリアできず、数独も解ききれずに途中で投げ出す問題が多かった。臨席の男性は、わざわざCAが名前で呼んで特に応対をしていたのだが(何らかの事情があったのか?)、食事の時からミニボトルで出てくる白ワインを数本飲んでいて、途中ではすっかり出来上がっていて、不意に体を動かしたりするので、時々ヒヤヒヤさせられた。着陸態勢に入ってからはほとんど夢うつつで、気付くと着陸の衝撃を少し感じたという状態だった。
 ごく普通どおり、いつもy裏長い距離を歩いた感じで入国審査を通り、荷物を受け取って、前回を通過して外へ出ると、連れが迎えに来ていてくれた。駐車場に向かい、2週間ぶりに運転をして、ハードロックカフェのあるイオンモール成田まで、だらだらとゆっくり走らせた。そのまま夕食を済ませてから、帰路についた。


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