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「私は声をあげなかった」に学ぶ
東経大教職組機関紙「輪」第211号 原稿(2015)
「私は声をあげなかった」に学ぶ
執行委員長 山田晴通
組合には、様々な団体から、署名や集会に関する呼びかけ、カンパの要請などが日常的に来信する。他の労働組合や運動団体、社会福祉団体から個人まで、要請の主は様々だ。執行委員会では、前例も確認しながら、その都度対応を決めている。その際には、政治色が強すぎないか、地域的なつながりがあるか、大学の教職員組合という私たちの立場から連帯すべき必要性が高いかなど、様々な観点から判断を下す。しかし、そもそも、なぜ労働組合はこのような形で他の団体等に協力、支援をするのだろうか。
この疑問には、私たちの組合自体が社会の支援を広く求める事態に陥る可能性もあるから、お互い様だ、と差し当たりは答えられる。対等な関係の中での互助は組合主義の基本だ。その一歩先で、もう少し考えを深めてみたい。
ウィキペディア日本語版には「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という記事がある。詳しくはこの記事や、そのリンク先を参照されたいが、この句ではじまる言葉は、反ナチとして強制収容所に収容され、生還した牧師マルティン・ニーメラーのものである。もともと書かれて発表されたものではなく、いろいろとアレンジされた文言が流布しているが、代表的な文言は次のようなものである。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
ナチスは史実として、政治的左派や労働組合、そして教会を弾圧しただけでなく、リベラル派、同性愛者、障碍者、また、ユダヤ人のみならずドイツ人以外の異民族を広く攻撃した。このため、ニーメラーの言葉は、そうした人々への言及を盛り込んだ形でも普及している。
ここでナチスを持ち出したからといって、現代日本にナチ的なものが出現すると論じたいわけではない。現状をファシズム前夜と安易に決めつけるような議論には、諾首しがたいところも多い。いつの時代にも、統制を強化し権力を強めたい側と、権力を弱めて自由を拡げたい側は存在してきたし、「いま」を特別視するのは偏った見方だ。また、個々の政策の大部分は、誰かの自由度を上げると同時に、別の誰かの自由を奪う側面ももっており、事は単純ではない。
現実に起こるのは、何らかの「正義」によって、誰かが「攻撃される」状況である。対象が誰であれ、どのような「正義」の名の下であれ、「攻撃される」状況があるなら、それについて知る努力を怠ってはならない。自分に関係ない他人事として弱者が痛めつけられる状況を放置するなら、やがては労働組合にも攻撃の矛先が向く。そのように危惧できる健全な想像力が必要だ。
トートロジー(同義反復)になるが、私たちの多くは、社会の多数派だ。少なくとも、多数派の一員だという自己認識をもっている。組合内でも、日本の社会全体でも、大多数は無党派的で中道指向か政治的無関心であり、極端な原理主義的政治姿勢は嫌う。性的嗜好において大多数は異性愛者だし、外国人なり、見た目が「外人」である人々は、増えつつあるとはいえ、ごく少数である。大多数の一員だと思い込んでいる私たちは、社会的弱者である少数派への関心が薄れがちだ。そして、少数派の弱者に共感できない者は、自分たちが弾圧される弱者の側に追い込まれる事態も容易には想像できないだろう。
私たちの組合が、他の様々な組織や運動との連帯を模索するのは、何よりも自分たちのためだ。その原点を踏まえ、誰のためであれ、声をあげるべきときに声をあげるように、私たちは努めなければならない。自分たち自身のために、声をあげられるためにも。
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