山田晴通:いろいろな活動記録



2003.05.09.

「「バートン・クレーン覚書」の書き方」

  国立音楽大学・音楽学科総合ゼミ

*国立音楽大学で、主として卒論を書く学生諸君を対象にして、研究手法を紹介する講演をしました。
 以下に掲げるのは、当日配布したレジュメの原稿です。

国立音楽大学(2003.05.09.)

「バートン・クレーン覚書」の書き方

                       山田 晴通(東京経済大学)


山田 晴通(2002):
 バートン・クレーン覚書.
 コミュニケーション科学(東京経済大学),17,pp.191-227.

■バートン・クレーンとの出会い

 2000年はじめ:
     『日本の流行歌史大系』(ダイセル化学工業:1990:60枚組) を入手
     「酒がのみたい」「おいおいのぶ子さん」「威張って歩け」
        →義母(1928生まれ)の記憶にある旋律を含んでいた

■研究のきっかけ

 2002年6月:国立音大での講義「ポピュラー音楽研究」の資料として
 ほかのクレーン作品を聞けるCDはないだろうか?
   ↓
 国立音大図書館で照会(社史の発見、『大系』以外の音源はなし)
   ↓
 神田の「富士レコード社古書センター店」へ
    →音源情報(入手は後日、生協経由)
     『オリジナル盤による昭和の流行歌』(日本コロムビア:1998:20枚組)
     「酒がのみたい」「家へかえりたい」「ニッポン娘さん」
        →クレーンの経歴等について、簡単な解説あり(瀬川による)
    →中村(2000)、一瀬(2001)の存在を知る
      ↓
 中村の記述から、瀬川の重要性を認識
    →瀬川から、情報源について教示され、照会すべき数人の名をもらう
      (ただし、この段階では、瀬川の記憶はやや不正確だった)
        →手紙で照会、榎本(1947)などの存在を知る

■道具としてのインターネット

 検索エンジンを利用して情報を探す
    →貴島、渕上らの文章を見つけ、メールを出す

    →メーリング・リストへの投稿を通じて関連情報を探す
        →反応の欠落も情報のうち

    →英文ページを中心に、ジャーナリストとしての活動に関する情報を見つける
        →照会メールに対して返事があり、家族の現在の連絡先がわかる
           ↓
         さっそく航空便で問い合わせ、
           →クレーンの一人娘、シルビアさん(b.1926)から返事が来る

 OPAC等の活用による文献の探索
    →一橋大学の「Japan Advertiser」
    →森(1975)の発見(瀬川の重要な情報源を確保)

■図書館の支援

 レコード類の解説記事の特徴→裏付けの点検が必須
   ↓
   ◇→言及されていた文献類の取り寄せを図書館参考係に依頼
   ↑
 手元の戦後占領期資料の点検(復刻版年鑑類/特派員協会史)

■論文印刷の直前まで

 2002年10月:日本ポピュラー音楽学会関東地区例会で発表=学内学会誌に投稿
    →投稿前に、ドラフトをインフォーマントに送って意見を求める
    →例会では、森川から、社史の問題点や、資料の所在について指摘される
    →偶然、ラジオで「トリンク・トリンク」の旋律を聞く
        →校正段階で情報を追加

■論文発表の後

 1937年「日米交換放送」について
    →瀬川が私的コレクションから、LP『ハロージャパン1937』を探してくれた

 メーリングリスト参加者から、断片的な新聞記事などの情報も来た

 固有名詞の読みについての指摘(「カイズ」・ビーチ)

 その後、シルビアさんから、さらに通信があった
    →機会があれば、渡米し、聞き取りをしたいが、資金的、時間的裏付けがない


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