ノーティと未来



もう私は授業が終わってしまったけど、最近はとても
来年の試験の情報とかレポートについてとかを授業中に先生が
言うことを聞いたりノートを借りたりするためか
教室にはいつもの倍のひとたちがいたりした。

普段授業に出ていない人たちはノートを借りるために必死である。
もしくは、出ていたとしても寝ていたりとかお喋りに夢中で
ノートをとっていない人たちもまたそうだ。
ノートを借りる人から見て貸す人をノーティ(随分前のAERAに載っていた)と
言うそうだが、まさにノーティひっぱりだこな時期である。
私は現在どちらにも傾斜してないと自分では思う。
一年分を借りたりすることはないが、時折出られなかったノートを
借りることもあるし、貸す時もあるからだ。

大学は語学と体育や抽選科目くらいしか出席を取る講義は少なく
授業に出るか出ないかは学生の裁量に任されている。

困った時は助け合いという。生きている上ではとても重要だろう。
しかしそれを理屈にして誰かに頼るばかりなのも違う気がする。

大学生という時間の過ごし方も人それぞれだ。
私の大学生の時間も残り少なくなってきた。
ノートのことを考えていたらここまで辿り着いてしまった。

99.12.17,11:55 PM

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