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「放射性れんこん」の紹介
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放射性れんこん Vol.7

1992.4.26発行


目次
  1. 「芦浜」(zipp)
  2. 「芦浜キャンプ --- 参加者大募集中」(zipp & レジN)(掲載していません)
  3. 「芦浜 予備知識」(柴原 洋一)
  4. 「1992夏 芦浜キャンプの心得」(社長)
  5. 「芦浜って、そんなにいいとこなの?」(アオサギ、McOtto、VーLord、NINO)
  6. 「23世紀の日記」(Issac)
  7. 「AV機器の呟き」(涼)
  8. 「差別は人を殺す」(加納)
  9. 「アマチュア無線の話」(CLODO & ゆうくん)


芦浜

 [zipp]

 芦浜。
紀伊半島の東南部、三重県度会郡南島町と紀勢町の境界にある太平洋に面した浜。芦浜。

 熊野灘の荒波が弓状の浜に押し寄せ、白い波頭をつくるその浜はウミガメを生み、浜に似るように三日月形の池はシジミたちが遊ぶ。そうして、これらを両腕で優しく懐に抱くように海に消える二本の稜線の頂に姫越山が鎮座する。芦浜。
 そう、そこは、1964年、中部電力の原子力発電の建設予定地に狙われた芦浜。

 黒潮躍る海の幸豊かな熊野灘。海まで迫り出した山々と大小無数の入り江が海岸部に沿って続く。それら入り江の奥は天然の良港となりわずかな平地に軒を重ねるように家々が密集する。今でこそ海岸線に沿って道路が開け集落と集落は陸上でもつながったが、過去それらの集落は海上、船の行き来でしかつながっていなかったろう。

 そういった熊野灘のリアス式海岸部の数少ない外洋に面した小さな浜の一つが芦浜だ。浜であるがゆえに船が出入りできずそこに人の住む大きな集落はできなかった。後背地に平地が開けているにも関わらず。また山が深いため容易に人が住める環境でもなかったのだろう(芦浜には、朽ち果てた一軒の廃屋と一軒の住居跡、そして主が居なくなった後も実をつける柿や柑橘類の園芸木)。そうやって芦浜は、芦浜池のシジミ、主のいなくなった園芸木の実を採取したり、林業の場であったり、また地元小学生の遠足の場という人間とのやさしい関係の場を保ち続けた。

 しかし、その芦浜の環境は原発立地にとっては格好の場所でもあったのだ。中部電力が最初に選んだ原発予定地はこの芦浜だ。池も含め広い平地があり、その平地は山に囲まれて人家とは離れ、浜ではあるが海は深く、容易に外洋に面した大きな港を建設できる。また周囲のリアス式海岸に照らせば、芦浜の下には強固な岩盤があると想像するのも容易だ。
 ‘64年7月、正式に芦浜原発決定。以降、芦浜の地を紀勢町と分け合う東隣りの南島漁民は“芦浜死守”、まさしく命を賭けて自分たちの生活を、環境を守るたたかいに突入していく。幾度も行なわれた漁船数百隻の海上デモ、遠く離れた県庁所在地津市での集会・デモ。‘66年には中曽根を団長とする衆議院の視察団を船上で実力阻止(長島事件)する。特筆すべきことにこれら南島漁民のたたかいは、自らで学び、自らで考え、自らでたたかった点だ。‘60年台中期、世は東京オリンピック。「原子力の平和利用」としての原発、「原子の火=夢のエネルギー」と期待を寄せる人も多かったろうと思う。そういった世論の中、電力会社・県が派遣する学者は「御用学者」と云い放って、自ら選んだ学者や講演会に話を聴きに各地に出かけて学び、自分たちの「原発情報」というミニコミ、そして立て看板、家々に貼られた「原発に反対の家」のポスター、それに集会・デモと創意工夫のたたかいを政党・党派に指導されることなく南島漁民・町民はたたかい抜いた。
 そうして、‘67年の知事の「白紙還元」宣言を引出したのだ。それは、勝利し終った…かのように思えた。

 ‘84年三重県知事は県の予算に原発予算を計上。‘85年には県議会で「芦浜原発調査推進」決議が可決される。また南島漁民・町民の新たなたたかいが始まった。好んでたたかってるわけではない。火の粉が降り掛かってきたのだ。自分の生活の場、生命の場を奪われようとしているのに「ハイ,そうですか」と差し出す者がいようか。南島町にある7漁協、全ての漁協は、20年前の「原発反対」決議を再確認する決議をあげる。また町議会も反対決議をあげる。各漁協集落ごとに「有志会」という原発反対グループができる。女たちも「母の会」をつくり芦浜原発反対の声をあげる。世の中が代わっても、南島の人々の世代が代わっても、「芦浜原発反対」の決意・心は、親から子へと受け継がれた。

 しかしながらいま、芦浜は苦境に立たされている。
 南島町7漁協の内、唯一芦浜沖に漁業権を持っている古和浦漁協に県・中部電力は集中的に巧妙に原発工作を仕掛けているのだ。
 芦浜沖に漁業権を持っているのは、芦浜の西の紀勢町錦漁協と古和浦漁協。事前調査はこの二つの漁協の同意があれば可能なのだ。錦漁協はすでに原発建設の事前調査に20年前に同意している。「事前調査とは、原発を建設できるかどうかの調査」ではなく、事前調査=原発建設なのだ。この調査をを許してしまえば、原発が必ず建設されることは、今までの原発建設地を見れば明らかだ。
 古和浦の小さな500戸余りの、家の軒を重ね合うようにして密集してある漁村は、その家々の風景とは違い、親・兄弟親戚、近所の縁を「原発」に切り裂かれてしまっている。現在古和浦漁協の原発「反対」「推進」の票数は、ほぼ半々。いつ「原発反対」決議が引っ繰り返されても不思議ではない状況が続いている。

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芦浜<予備知識編>

 [柴原 洋一]

 芦浜はあしはまと読む。三重県度会郡南島町と紀勢町にまたがる無人の浜だ。ここは、恐らくは、電力と原子力産業によって新規立地が最も有望視されているはずの地点である。和歌山県の日高(小浦・阿尾2地点)・日置川も山口県上関も夢のまた夢とすれば、27年前に用地買収を終えている芦浜が狙い目だ。芦浜立地への攻勢が続くこれが最大の根拠である。しかし、事はそう単純ではない。

 私などには信じられない思いだが、芦浜は大丈夫だ、特に急がれる状況ではない、とする見方も根強くあるのが事実なのだ。曰く、現知事・田川亮三さんが政権にある限り原発はできない。また、南島町では町議会と町内全漁協(7漁協)が原発反対決議を挙げているのだから原発を持ち込めるはずがない。そういう話である。

 その田川さんの三重県で、その決議のある南島町で、いま南島町古和漁民がまさに体を張って原発に抵抗しなければならないこの現実はどう説明されるのであろう。原発反対を方針として掲げる県内有力労組も町内漁協も、上記の見方をとるとすれば、必然的に古和原発反対派は孤立無援の闘いを強いられる結果となる。そして、それこそが今の古和の現実なのである。

 古和の苦悩が深まるのは88年頃からであるが、ここでは今年92年の、それも古和の出来事に限って列記してみる。ただし、これもある程度予備知識がないと読めないだろう。かといって、基本的な説明だけで紙面が尽きてはもったいない。おぼろげながらでも現地の動きを感じとってもらって、分からない事は夏のキャンプで質問を受け付けることにします。

1.31  漁協臨時総会。違反定置網も認める方向で総会決議。
2.7  漁協執行部、総会決議に則り違反定置網排除に訴えを取り下げる。
2.23  芦浜ネット南島町ビラ入れ行動。古和では推進派漁民4人による妨害があった。「市民グループ狩り」の様相
2.27  推進派が4人の反対派理事の改選(解職)請求を提出。
2.28  漁協通常総会。閉会直後、推進派組合員が反対派理事に茶碗を投げつけ、乱闘寸前となり警察官を導入、休会となる。顔を腫らしている人もいたが、暴力事件とは認知されなかった。
3.8  総会再開。最初の決算案の承認だけで午後遅くまで粉砕。執行部が推進派の主張を受け入れて原案修正したにも関わらず、原案否決が94票もあった。何がなんでも反対派執行部のおい落としを優先させる組合員がこれだけいるのだ(正組合員219名)。理事補欠選挙結果、推進派2人、反対派1人。反対派が負けた格好だが、票数合計は反対派108票、推進派92票で反対派の方が優位に立った。これで理事会は反対5、推進2の構成となる。
3.20  理事会、改選請求を却下。臨時総会を開かない事を決める。ただし、適法かどうかは微妙。
3.29  芦浜ネット南島町ビラ入れ行動。20余名参加。古和では推進派漁民約20名に突き飛ばされりビラを奪われるなどの妨害を受ける。刑事がちゃんと見張っていたけど、黙認。
4.12  理事会、資格審査委員会の答申を受け、組合員14名に降格通知。不服申し立ては一週間。中日新聞、「うち推進派は9人」と判断(?)。
4.16  推進派幹部、漁協組合長に暴行。10日間のけが。またうやむやにされるか。推進派、反対派理事に「今度はおまえ」と脅す。
4.18  ”降格組合員”10名が異議申し立て。
4.19  組合長、記者会見(!)で異議を批判、却下の構え。
4.20  推進派、降格措置に抗議し、組合員119名(!)の署名を添えて臨時総会開催を請求。

 推進派は自らの行為について、一貫して「これは漁協経営の(あるいは正常化の)問題だ」「原発は関係ない」と主張しつづけている。しかし、こうしてわずか数カ月の動きをざっと見ただけでも、彼ら推進派によって古和が「正常化」とは逆の方向へ引っ張られているのがわかる。

 古和以外ではどうか。町議会の原発決議の下、町長は堂々と原発関連予算1500万円を受け入れている。県も中電も自由に原発宣伝を行い、県職員も中電工作員もやりたいように地域を破壊してきた。「町役場は中電の営業所か」とささやかれるほど中電社員が我が物顔に出入りするという。(町職員の労働組合はない。)町議会の反対決議というが、そして議員18人中反対を表明する者11人というが、原発関連予算に反対する人はわずかだ。本当に反対の議員は6〜7名といわれる。
 「古和が崩れたら、終わりなんやよってに(終わりなんだから)」
 古和で反対派漁師から何度も聞かされるせりふだ。古和の人びとの必死の思いが痛い。
 たとえば能登原発。反対の牙城、西海漁協陥落によって一気に反対闘争が終息していった。石川県は「漁業振興のための調査」と知事の念書まで書きながら、調査結果を北陸電力に売り渡した。それでも「合法」なのだ。元西海漁協組合長の川辺茂さんも南島町阿曽浦で「一切県を信用してはならない」と語っている。

 電調審にかかる前に知事の同意がいるが、そしてその前提の町議会、町長の同意があるが、知事・町長の原発推進あるいは容認の姿勢、議会の力関係を見ても、それらが歯止めになるとは考えられない。古和の海洋調査同意が全ての鍵だ。調査に同意して漁業権を売らなかったところはない。一つの例外もなく、事前環境調査を許した地点には原発が建てられているのだ。

 いまを芦浜の危機といわずして何を危機というのか、と言いたい。
 そして、まだまだ芦浜原発建設までは遠いのだと考える人々にとっても、流血の事態さえ予測させる古和の現実がこのまま放置されて良いはずがないのは確かだろう。
(古和浦が正式だが、地元の呼び方に従って、本文中では古和とした。)

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1992夏
芦浜キャンプの心得

 [社長]

【所持品】
 ●寝るもの  ●食べるためのもの  ●呑むためのもの
 ●何はなくとも金(酒代別で一人1食300円もあればお釣りが来ます。)
 ●テントは収容人員には限りが有りますが希望があれば用意します(現在16人分)

【紀勢町錦より到達時間及び必要体力】
 ●階段登り2分+中傾斜登り10分+緩やかな登り降り35分+急傾斜降り10分+砂浜歩行5分
 ●休憩は途中の水場等で適当に取り、芦浜を見下ろす休憩所で大休止
 ●空荷の場合=5歳の子供以上の体力
 ●共同装備運搬の場合=16歳以上の体力と運動後のビールへの執着心

【アウトドア(今回の場合芦浜)での生活の基本】
 ●自分のことは自分でする。
 ・この場合自分の甲斐性で他人に指図してやらす方法も可。
 ●適材適所あるいは適地適作または適地適木
 ・料理の出来ないものは食物採集(魚釣り、シジミ採り、海藻拾い)
 ・生活センスの無いものは肉体労働(水汲み、幕営地整地、共同装備運搬)
 ・性格或は容姿にしか自信のないものは皆の心の潤滑油となる。
 ●私の指図にはなんでも従う。

【キャンプ生活の各論】
 ●食器は自分で洗う。
  この場合洗うという言葉を使用したが、洗剤等の関係から食器を紙でぬぐいうことを意味する。
 ●糞は土中に。
 ●使い捨て食器は野外の風景には似合いません。
  各自のセンスが試されるときですので、皆さん力をいれてこれぞとおもうものを見つけてきて、なぜ私はこの食器を使用するかという自慢話をしながら食物を摂取しましょう。
 ●宴会では各自可能な限り大量に飲酒する。また未成年等で飲酒できない場合も宴会には強制参加。

【食物採集の今までの実績】
 ●芦浜池は真水に適当に海水が混じった水(こういう状態を汽水と呼びます)なのでシジミがたくさんいて、ものの5分もあれば大人一人で食べる分を十分とれます。
 ●熊野灘は世界でも有数の漁場です。鯛であろうが平目であろうが腕さえ有れば釣れるのですが、我々の道具と腕ではベラがいいところでしょう。しかしこれでも都会のふにゃけたスーパーで手に入る魚よりははるかに美味です。
 ●色々な種類の海藻が浜に打ち上げられています。味噌汁の具にするのに適当な海藻を勉強しておいてください。
 ●水は芦浜池にそそぐ真水が手に入ります。そこまで行くのが面倒なときは少々塩っぽい池の水でも涌かせば十分に飲めます。塩水入りコーヒーもいいものです。

<突然登場の社長とは?>
 アウトドアライフコーディネータを名乗る謎の人物。芦浜キャンプではなくてはならない人物であることは間違いない。正体を知りたくば、キャンプに参加するのじゃ!(レジN 注)
 かわいい3人の女の子のおとうさん。きれいな連れ合いさんがいて、大きな家に住んでて、仕事は1日平均3時間だって言うし、ぼくも調査士とかいうのになりたいなぁと思った。伊勢で柴原さんの近所に住む謎のダンディー。(はたくん 注)

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芦浜って、そんなにいいとこなの?

 [アオサギ、McOtto、VーLord、NINO]

<アオサギ>
 2年前に参加した芦浜キャンプは僕にとって特別に思い出深いものです。キャンプ中に父が亡くなってしまうという希な経験をしてしまったのだ。
 父の危篤の知らせをパソコン通信のネットワークに流してくれた職場の仲間とその通信を見て船の手配をしてキャンプ場まで知らせにきてくれたzippさん、それから船を出して下さった人にお礼申し上げます。
 ほんとに多くの人のお世話になり迷惑もかけた僕ですが、また行きたいと思わせるのが芦浜なんです。初めて芦浜を見たときは感動したもんね。それと生活を守るために、原発を建設しようとするものと闘いつづけている素敵な人たちにもまた会いたい。
 家族は今のところ皆元気だ。

<McOtto>
芦浜への思い
 芦浜。日本で唯一、原発予定地でありながら住民の反対によって今だ原発の建設が"保留"されているところ。今だから「原発いらねえ!」などと"いっちょまえ"のことを言っている私ではあるが、一昨年までこんなところがあるなんて知らなかったし、れんこんネットに偶然出会わなければ未だ知らぬままであったのだろう。たぶん、日本に住む人のほとんどが気にも留めていないのではなかろうか。大部分の人からすれば、そんな"小さな"出来事。

 先日、ラジオから漁協の総会で争いが起きたことが流れてきた。普段ならこんな話を聞けば頭に血が上って心拍数が上昇してしまうような出来事だったのだろうが、なぜか心は平静だった。いや、平静と言うより傷心していたというのが正しいのかもしれない。

 そのニュースを聞きながら私は考えていた。たしかに漁師の方々の苦労など、東京という都会に住む我々には到底理解できないとは思う。サラリーマンのように基準賃金などないし、社会保障も劣る。養殖もうまくいっていないとも聞く。だからといって悪魔に魂を売らなくてもいいじゃない、メンツなんてどうだっていいじゃないの。何でこんな争いをいつまで続けなければならないのだろう。たかがこれだけのことに人々がいがみ合わなければならないのだ?

 たしかに原発が建てば地元にお金が落ちる。福島を語らなくても誰もが分かるだろう。立派な公民館も建つんだ。だけど、お金があることと幸福であることはまったく別のこと、金があっても不幸せな人は沢山いるし、貧乏でも幸せな人はもっともっといる。なんでそれに気がつかないのだろうか。ほんの一時的にお金が入る代償に、放射線まみれになりながら床にはいつくばって働く日雇いの人達が増えるだけ、それだけだというのに。もしかしたら推進派はそんなことは知っての行動なのだろうか。取り敢えずはメンツが立てばそれでいいのだろうか?

 こんなことを考えていたら、何だか寂しくなってしまいました。芦浜に行きたい、そして地元の人々の話を聞いてみたい。今年は行けないかもしれない。だけどいつかはきっと行くんだ、原発のない芦浜へ。私の思いはただそれだけ…

<V−Lord>
 事の始まりは2年前。はたくんが「格安で奇麗な海に行ける。」とのたまったのが最初だった。それまで私は芦浜と言うところを知らず、地図で探しても載っていなかったので、芦浜については予備知識無しでキャンプに参加したのだった。一応はたくんからは「原発の建設予定地」ときいてはいたので、さぞかしへんぴな所だろうと思っていた(最初の間違い)。
 ネットの方と共に幾多の困難を越えて三重県入りしたときは、風がとても美味しかった(ような気がする)。zippさんのうちで休憩を取った後、我々はついに芦浜入りしたのであった。3方向を丘に囲まれてはいるもののすぐそばには漁港があったりして、とてもじゃないけど「あんな危なっかしいものをつくるのにふさわしいところ」には思えなかった。実際にこの足で踏んだ芦浜は水が澄んでいて、すぐそばに沼(池?湖?)もあって、絶好のキャンプ地であった。その為であろうか、毎日泳いでいた私は「背中焼け」を起こしてしまいとっても素晴らしい夏を送った(第2の間違い)。閑話休題、ただでさえ環境が破壊されている日本でまだ残っている「自然」を原発なんかで壊すのにはもったいないと思った。
 これは余談ですが、zippさんのうちでお食事をごちそうになっているときにテレビでやっていた「200Vの全電化家庭」と言うのは一体何を言いたかったのでしょうか?
          もう一度芦浜行きたいな(^^) 

<NINO>
 1年目は、とにかくビールが重たかった。
 でも、芦浜の見える丘で飲んだビールの味はすばらしく、一口飲んだ瞬間「また来よう」と思った。

 2年目は、とにかく雨がひどかった。
 でも、わずかの晴れ間をぬって漁船で芦浜に連れていってもらった時、海を眺めていたら、とても気分がよかった。

 芦浜のようなところに年に1回でも行けるのと、一生行けなくなるのでは、その違いは無茶苦茶大きい。関東の方に住んでいる人間にとっては「芦浜のようなところ」は別に「芦浜」でなくてもいいのかもしれない。その分、芦浜近辺の人達から見たら、物見遊山の無責任なやつらに見えてしまうかもしれないとは思う。

 でも「芦浜のようなところ」として、「芦浜」が都会人の心の中の一部を占拠していくことはきっと重要なんだと思う。だから、今年もたくさんの人達と一緒に芦浜に行きたい。

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23世紀の日記

 [Issac]

 時は 2266年 (約 10万日 後)

 その日の日記(23世紀に起こるであろう事)を書いていきたいと思います。
 フィクションの部分が大半を占めますが(当然だ)間違っても書いてあることは信じないで下さい。

2266年 3月21日
地上の天気:雨(雪)

 今日、私は初めて「雪」というものを観た。祖父の少年時代にはごく普通に空から(なんと空からである)降ってきていたらしい。祖父の時代にはまだ空というものがあったので(どうやって頭の上を守っていたのだろう)、きっとそのまま落ちてきたのだろう。ホロビジョンの中の「雪」は頭上の「土」に当たると、ジュッと音をたて、地面を溶かしては消えていく。「雪」を見たい気持ちが生じたが、地上に出るには、官僚的な手続きを一週間以上も前から(どうしてこの地区の手続きはこんなにのろくて、しかもID印鑑が必要なのだろうか)する必要があったので、見ることはあきらめるしかなかった。もっとも地上服ごしに見る「雪」は、ホロビジョンよりも醜く見えるだろうし、そして何よりも空からの恐怖にじっとしていることは出来なかったであろう。
 しかし、こんなに不思議な「雪」を観た私は、今日から日記をつけることにした。さしずめ題をつけるならば「空からの黒い贈物」とでもしておこう。

 「雪」と「空」と「ホロビジョン」に乾杯!

2266年 3月22日
地上の天気:晴れ

 ジムラ・メペットとアルゴエキシドを25ミリグラムほど混ぜた炭酸水はこの世で味わえる最高の幸福感と、地獄のような未来を同時に与えてくれる。地獄がくると判っていながら、人間はこの悪魔の水を口にしてしまうのだ。直接脳神経を刺激するアルコールの方が地獄は軽いが、訪れる幸福の大きさには勝てなかったようだ。その場しのぎのやり方は、地上に住んでいた頃とちっとも変わっていないようである。
 地球の地熱と地上との温度差を利用した発電は、地上では住めなくなるような異常気象をもたらした。気温の上昇、紫外線の大気圏通過、天然ガスの排出による大気汚染など、数え上げたらきりがない。しかし、核分裂、核融合発電にとって変わる発電であると信じきった世間は、汚染には目もくれず使い続け、地下へ地下へと潜っていったのである。もっとも地下の方が空からの恐怖を考えることなく生活ができるというメリットもあったのだが。

 我々を守ってくれる「大地」と「地熱」と「欲望」に乾杯!

2266年 3月23日
地上の天気:雨(一部雪)

 再び今日から研究所へと足を運ぶ。いつものようにハイウェイ・プレートに乗っていつもの場所へ移動する。いつもと同じ行動だが、何故か今日は違う気がした。きっと昨日のブレンド水のせいだろう。悪魔が壁の向こうで笑っているのがよく分かった。こんな日は事務の女の子にさえ挨拶するのはカホな事だ。おかげで今日のコーヒーはいつもより薄い気がした。
 それにしても2143年に開発されたエレベーターは、外を見る事なく我々を大気圏外へと運んでくれるので、広域恐怖症を感じる事なく宇宙へといくことができる、とてもありがたいものだ。流行のフライング・ピペットの方が早いが、あんな物は人間の乗り物ではない。ただ値が張るだけの乗り物である。
 月の重力は、私の頭を優しく支えてくれる女性のようだが、研究所長の声は、私の頭の中をサーチする超音波のように響いてくる。ムーン・de・ライト計画も所長の声だけなら優秀な研究員は集まらなかったであろう。フォボスの研究所も良いが、時間がかかりすぎるのが問題である。

 「月」と「悪魔」とエレベーターを造った「モーガン」に乾杯!

2266年 3月26日
地上の天気:雨 のち 曇り

 20世紀の最後になってホーキンズが唱えた宇宙は、百年後に崩壊することになった。時間軸は我々人間が思念次空間によって作り出される3次元の流れを制御するものであって、その昔、ビックバンの時に分かれた次元の物ではない事は今日では常識となっている。しかし、身の振り方を考えるために開けた24時間は、私の頭で考えられる時間の流れのなかで、もっとも重いものに感じられた。
 この豊かな地区に住み、自由な研究をすることが許された特権階級に属していながらも、グレディアとの思い出にひたっている自由は限られている。まして、逢うことは道徳上許されないことであった。この日記が発覚した場合の事を考えて、グレディアの事は二度と書かない方がよいだろう。
 今日は気分がすぐれないのでこのまま就寝プレートに乗ることにする。

 豊かな「明日」を夢みて 乾杯!

2266年 3月27日
地上の天気:曇り ときどき 晴れ

 −宗教− 心が弱くなってしまったとき、人は何かに頼ってしまうものだ。時にそれは神になることが多い。人類の歴史のなかで、実証も否定もおこなうことができなかった事は、神以外にはないであろう。何故自分を信じることができなくなるのであろうか。それ程までに他人に罪をかぶせたい生き物なのだろうか。
 たった1日部屋にいただけで、何人もの活動家が訪れてきた。どこで私の現状を知ったのだろうか。「こんな時こそ祈りなさい」だと?祈ったから罪が消えるのならば、空気が無くなるまで祈ってやるさ。自分の事は自分でする。神様に尻を拭いてくれなどと頼みたくはない。
 私は仕事を辞め、有り金をはたいて未知の宇宙へ旅立つことにした。太陽系の外に夢と希望を求め、先発部隊の繁栄を祈りつつ、自分の可能性を捜していくつもりだ。あと数週間で準備が整うだろう。それまで私は、二度と見ることのできなくなる地球を旅してみようと思っている。もちろん地上もだ。

 二度と戻ることのない「部屋」に乾杯!

2266年 3月30日
地上の天気:砂嵐

 スーザンと別れて、私は地上に出る決心をした。二度と見ることのできない地球、その中側は我々にとって胎内であり、存在事態が無に等しかった。しかし、その外側、地上はその必要性から無に帰していたのである。かつて人類は地上で生活していた。まるで恐いもの知らずの子供のように。地下に潜ったいま、胎児のようにヌクヌクと育ち、我が物顔で成長していっている。この胎盤を離れる私には、地上はこれからの未知の世界にとって必要な何かを与えてくれると私は考えていた。
 考え自体は正しかったのかもしれない。普段の生活の中では考えられないような出来事が、ごく当り前のように地上では生じている。地上服を通して聞こえる空気の流れには莫大なエネルギーが潜んでいる。このエネルギーを利用すれば、大気汚染はいくらか防げたかもしれない。しかし今の私には無関係な話である。今の私にできることは、この砂を巻き上げる砂嵐を制御する研究を、誰も進めなかった事を恨む事だけである。
 地上走行車「タートル」。誰が名付けたのかは知る由もない。丸いゴム製の足を持つこのプレートは、地上を転がって行くのだ。なんと恐ろしい事か。どうして地上でも超電導プレートが使えるように研究しなかったのであろう。せめて浮いて移動できるように研究しなかった我々を悔やんで仕方がない。
 「カメリアに住む友人を訪ねるため」理由の欄にはたったそれだけの記入と、ID印鑑、そして1万カノッサを渡すことで、地上に出る許可は驚異的な早さで通った。そして今、この驚異的なスピードは、私のタートル号をひっくり返すのにいくらか手助けをしたのである。  地上には未だに凹凸があると聞いてはいた。しかし、誰が1メートル近くもある段差を予想していただろう。地上は未だに平坦にはされていなかったのである。数トンはあるかと思われるタートル号は、ほんの少し車体を持ち上げ、段差を飛び降りたのである。風はその隙間で激しく暴れ回り、タートルは負けたのである。
 ひっくり返ったタートルは、小型融合炉(今となっては500kg近くもあるこの発電機は決して小さいとはいえない物になってしまった)をほうり出し、私を守ってくれたのである。おかげで私は電力を使えない生活を手にすることができたのである。

 すばらしいエネルギーを秘めた「砂嵐」と制御しなかった「研究者」に乾杯!

2266年 3月31日
地上の天気:晴れ

 かつて生物が生息し、暖かい太陽光が降り注いでいた大地は、十分すぎる紫外線によって生き物の選別が行われていた。必要以上の太陽光を受けないように細くなった植物は硬い刺のように空へ伸びていた。表面が鏡のように光輝く小型の昆虫類は太陽が覗いている間は決して動くことはなかった。表面を変化できない哺乳類は地下へと逃げ、潜れないものは滅びて行ったのである。そして、アロシ地方の残した放射能によって早い時期に変化した蟲と菌類が地上を支配していた。硬い甲羅と、紫外線の一部を体温に変換できる蟲は、昆虫では有り得ない大きさまで成長することを許されていた。人間の子供ぐらいはあるであろうか、巨大なウジのような蟲は太陽光を受けるために背中に帆のような物を広げ、太陽の恵を受け取っていた。直径1メートル程のカサを広げ、その下に生活の基盤を築いている菌類は、地面から数センチの世界を独占していた。
 この異様な世界で私は生き残るための準備を始めた。まず、前日壊れてしまった発電機から燃料タンクを取り出し、ガスバーナーとした。核融合発電も結局のところ温度差を利用したタービンで発電する。燃料の消費は激しいが、炎の熱を利用すれば簡単な発電機が完成するのだ。しかしライフキーパーとオートミールを1度だけ作動させたところで燃料は切れてしまった。残された寿命はあと5日となったのである。しかし望みはわずか(ほんの数ミリパーセントである)であるが残されていた。

 自然にしたがった「昆虫」と「植物」そして科学が造った「蟲」と私の造ったわずかな「水」に乾杯!

2266年 4月 1日
地上の天気:晴れ

 人間が電力を使いはじめて、どのくらい経つのであろうか。その昔我々人類は電気の存在も知らなかった頃があったはずである。電気は生活の奥深くまで浸透し、我々は大気を汚しながら地下深く潜行していったのである。今ではかつて植物が行っていた光合成による二酸化炭素の分解、酸素の精製も電気的に行われている。水に至っては見事なまでに統一管理され、完ぺきなる清浄、リサイクルがなされている。地上には希少な水分も、地下では見事に製造管理されているのだ。
 地上にいる私に取って、水が残された最後の希望だった。希少であるがために、その存在自体が奇跡であり、生物達は(蟲達もである)大気中の水分をかき集めて消費している。その水を昨夜、岩一面にまいたのである。残りの水はコップにして1杯有るか無いかである。しかし、希望はゼロから数ミリパーセントに増えていた。
 太陽のいない間に、虫達は岩の回りにびっしりと集まっていた。夜の間だけしか動けない彼らは、日中はこの岩にこびりついているしかないのだ。こうして作り上げた巨大なミラーボウルは、強い日差しを浴びて光輝くのであった。この地上に現れた人工物を誰かが発見すれば、観測用ロボットがやってくるはずである。そしてもう一つの副因は、異常までに増加した湿度であった。もっともロボットを設計したものが、くだらない湿度を測定するのにどこまで精度にこる馬鹿者であったかが重要な問題点であった。
 ロボットさえくれば良いのであった。彼らは巨大な太陽電池を背負って移動している。この太陽電池を使えば、日中は今までと変わりなく生活ができるのだ。私は風下と思われる方向に歩いて行くことにした。ロボットを見つけることができなければ、この日記は紙の上に残ったまま決して読まれることはないだろう。

 明るい「明日」に乾杯!

2266年 4月 2日
地上の天気:晴れ のち 雨

 −太陽電池−この20世紀後半に造られた遺物が、私を救ってくれるとは思ってもみなかった。最も当時の可視光域を利用した発電では、1平方メートルでたったの100Wと太陽光の10%しか変換できなかった。電力の高品質、自由性を求めたユーザーは、たいして使用するはずもなかった。昼間しか発電しない太陽電池で、明りを灯すのは無理があったのであろう。幸か不幸か、大気汚染による紫外線の増加と、劣化しないC−60ネオシリコンの開発により、高エネルギーの紫外線変換が実用化された今日、太陽電池は地上に於ける市民権を得ることができたのであった。もっともこんなものを使うのは、懐古主義者だけであろうが。
 地上を移動し、カメリア地区にいる友人に逢うため出発した私は、飛ぶことのできない移動車で移動したため事故にあった。たいした事故ではなかったが、発電装置を破壊してしまい、今日まで地上をさまよっていたのである。たまたま地上観測用ロボットを発見し、その太陽電池を頂戴したのである。今ごろ地上環境保護団体とハルマゲドン信仰団は大騒ぎしていることだろう。

 「太陽電池」と「大気汚染」に乾杯!

2266年 4月 3日
地上の天気:晴れ

 −アンブレット− 私はカサを広げた菌類をアンブレット(アンダー・プレートに住んでいる)と名付けた。この不思議な菌類アンブレットを誰も観察・研究した者などいなかった。太陽電池と地上走行車「タートル号」とを接続しているうちに、フといたずら心がわいた。彼らのカサに水をかけてみたのである。
 針のような植物、ニードル・ウッドは、水を得ると針の先が膨れ、母体から飛び散るのである。この針は種と貯水の役目をしていて、いずれ根をはやすのであろう。このアンブレットはどうなるのであろうか。誰もが考えることであり、私は他人よりも行動を起こすのが少しばかり早いのであった。
 彼らは水分をカサの中に貯えただけで、なかなか変化しなかった。しかし、悪魔の太陽が沈みかける頃、カサが膨らみ始めたのである。そして、辺りが暗くなった時には、カサはポップコーンの様に弾け、胞子をはじき出したのである。カサの内部は淡いピンク色で、辺り一面がピンクの直径1メートルの巨大なポップコーンだらけになったのであった。胞子は旅に必要な水分を貯え、新たな定住地を求めて旅だっていったのであった。

 地獄の地上に住むニードル・ウッドとアンブレッドの「子供達」に乾杯!

2266年 4月 4日
地上の天気:晴れ

 我々人類の科学技術は、18世紀後半に始まった産業革命から5世紀の間に、想像の付かないレベルに達した。衛星をくり抜いた資源を利用して、次なる衛星への足がかりをつくるなど、誰が予想しえただろうか。しかし、約3万年以上の歴史を持つ我々人類の意識は、全くといってよいほど進歩はみられなかった。
 地球という惑星が我々にとって宇宙船であると意識しだした20世紀でも、地上への廃棄物投棄は国レベルで行われていた。プライベートに至っては、地上走行車の窓から、地上へとゴミを捨てる事が平然と行われていた。そして、現在に至っては、地球上では我々人間にとって不必要になった地上は、ゴミ投棄所(処理所ではないのである)になっていたのである。
 地上の至る所にそびえ立つ建築物は、その紫色に光る直径200メートルにわたる周囲にゴミの山をそろえていた。まるでゴミに突き刺さったタバコ(これも何世紀もの間我々の中に生き残っている)の様に、その先から煙を出し、ゴミは灰が散るようにそこから降っては地上に落下していく。高温のガスとゴミは、地上の蟲とアンブレットにはよい繁殖地となり、地上制覇への手助けをしているのであった。私が未知の宇宙で果てる頃には、地上は蟲とアンブレットとゴミに支配されていることだろう。

 新たなる地上の支配者「蟲」と我々の成長しない「モラル」に乾杯!

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AV機器の呟き
SONY SL-HF900の巻

 [涼]

【X月X日】
 我輩はβである。名前は、SL-HF900。故あって、ここの主人に買われて来た。なかなか画期的新製品である。そんじょそこらのVHSなんかとは、訳が違うってものだ。はじめてのHi-Band Beta Hi-Fiである。もちろん、それだけでは無い。凄いのだ。なんと、あの業務機にしか無かったシャトルリングが付いているのだ。しかも、ジョグダイアルまで付いている。当然、操作性も良い。
 そりゃ、兄貴達程の反応の良さはないが。でも、彼らも我輩には一目置いている。まぁ、もっと色々有るのだが、おいおい分かってくるだろう。「おい、なに一人でぶつぶつ言ってるんだ。」「これはこれは、F11先輩。何でもないです。」「おまえなぁ、しっかり聞こえてるんだよ、同じラックの中なんだからな。色々偉そうに言ってたみたいだけど、ステレオアフレコできるか? まして、片チャンネルずつのアフレコも出来ないだろうが。俺のBNR再生互換もとれていないよな」「い、いや〜ぁ、恐れ入りますF11先輩」「わかりゃいいんだ。ぶつぶつぶつ」
 ふう、F11先輩ったら、最近出番がアフレコしか無いもんで、気が立ってるな。その点、我輩は編集もTV録画も大活躍!「こらぁ、何を一人で目立って居るんだ。オートチェンジャも付けられない癖して。」「あ、これはこれはHF77先輩^^; それは、私何ぞには出来ない芸当です。凄いですよね。尊敬しています」「分かってんじゃないか、うん、分かっていればいいんだ。うんうん」
 ほっ、HF77先輩ったら、今度ご主人の友人の家に奉公に行かされるんでふて腐れて居たものな。かわいそうだよな。確かにオートチェンジャーは凄いけど、F11先輩だって出来るし、あのHiFiをONにした時の画質は悲しくなるよな。何にしても、1号機はつらいのだ。

【X月X日】
 今度、パイオニアに養子に行った、我輩の双子の兄弟VX−9がやって来た。ご主人様が、Hi-Band 一人じゃかわいそうと思って、、、かどうか知らないが、とにかくめでたい!「お久しぶりです、本家の兄さん」「おお、良く来てくれたVX−9。これから、二人して頑張っていこうな。」「もちろんですとも、HF−900兄さん。ところで、何だかおやつれの様子ですね。TVの方は僕に任せて、少し養生された方がいいですよ。」「ああ、ご主人様が大層お気に入られて、毎日大活躍だ。でも、確かに少し疲れたな。」「そうですよ、どのみち私一人じゃ賄いきれないですけど、なるべく僕の方でやりますよ。」「そうか、お前がやってくれるなら大助かりだよ。しっかり頼むぞ、VX−9」「はい」
 こうしてなかよく二人で編集に大活躍。リモートポーズ端子を使っての編集精度は、±5コマ以内をコンスタントに出していた。今までの、勘に頼った編集とは大きな違いだ。尤も、ステレオアフレコだけは、未だにF11先輩にご登場願うしかないのだが。ま、たまには花を持たせなくっちゃな。

【X月X日】  なんか、体調が悪い。ご主人様に、内部を綺麗に掃除して頂いたと言うのにのに、ご期待に添えなくて心苦しい。「HF−900兄さん、入院した方がいいですよ。やっぱり、疲れが溜まったんですよ。なにせ、もう500時間は働いていますよ。しかも、編集なんてハードな事やっているんですから。留守は、お任せ下さい。ご主人様だって、きっとそう望んでいますよ。」「そうか、不本意ながらそうするしか無い様だな。なにやら不安は感じるが、明日にでも行くよ。今のところ、大きな編集はなさそうだしな。留守は頼むぞ、VX−9。」「はい、余り気にせずに行ってらっしゃい。」
 そして、渋々ながらも入院した我輩であった。

【X月X日】
 やっと退院出来た。なに、大した事は無かった。ちょっと、走行系部品交換と調整だけだった。こんなことなら、ちっとも悩まなくても良かった。さてと、今日からまた頑張って働くぞ!...あれ?「あ、HF−900先輩。先日からこちらにお世話になっている、HF−3000です。宜しくお願いします。」「????え、えー! なんで...」「何でも、フライングイレースヘッドとかが付いているらしいですよ、こいつには。」「本当か?VX−9!!」「はい、それでご主人様がご所望になりました。まあ、HF−900兄さんが入院していたからではありませんよ。」「そ、そうか。それなら良かった。」
 しかし、ちっとも良くなかったのだ。なんたることか、VX−9までが我輩を裏切ってHF−3000とつるんでいやがる。やっぱり予感は当たっていたのか。そんなにフライングイレースって奴が有り難いものなのか? そうか、編集のやり直しの時にでも、あの虹色のノイズが出ないのか。そんなものは、しっかり編集終点を決めてもらえばそんなには我輩でもずれたりはせんぞ。
 なに?インサートはどうするんだぁ? そうか、それは確かに我輩ではどうしてもノイズレスでやる事はできないか。結局TV録画用となった。我輩も落ちぶれたものである。

【X月X日】
 どうも気乗りしない。気合いが入らない。良くないとは思っている。でも、どうやらVX−9とHFー3000の相性がいいらしい。おかげで、TVの録画と、編集時の頭出しの再生だけになってしまった。確か、もう4年になるのか。我輩も、ちょっと頑張りすぎたかな?

【X月X日】「初めまして、HF−900先輩。このたびこちらでお世話になる事になったHF−3000と申します。以後、宜しくお願いします。」「え?HF−3000なら居るけど...それに、新人でも無いみたいだが?」「はい、ちょっとご主人様の友人に仕えておりましたが、故あってお暇を出されましてこちらに参りました。引き取って頂いて感激です。」「2人めのHF−3000かぁ。君も大変だろうけど、ご主人様のご期待に背かない様に頑張れよ。」「はい、HF−900先輩を見習って頑張りたいと思います。」「おいおい、我輩を見習うと落ちぶれちまうぞ。結局は、マイペースが一番さ。」「はい、ありがとうございます。」
 うーむ、ますますもって居所が無くなってきたみたいだな。きっと、あいつはHF−3000同士で組むんだろうな。VX−9もかわいそうになぁ。

【X月X日】運命の日
 結局、私は暇を出されてしまった。でも、今まで活躍したので気を遣って下さって、大切にしてくれる人を探してくれた。ご主人様も、転勤になってしまったので、泣く泣く手放す気持ちが良く分かる。
 さぁ、第二に人生に希望を持って生きよう。今度のご主人様は良い人だと聞いているし、絶対にご主人様に恥をかかせる様なまねだけはしない様にしようと、肝に銘じておこう。「HF−900先輩!お達者で!」「おお、VX−9、HF−3000*2、後は頼むぞ。何時の日にかまた逢おう。」「おお、HF−900よ、大変だが頑張れよ。今迄きつい事ばかり言ってすまなかったな。」「いいえ、とんでもないですよ、F11先輩。後輩達の事、宜しくお願いしますね。」
 一同、それきり黙ってしまった。でも、我輩には分かる。みんなの気持ちは、痛いほど感じた。それは他人事でなくて、明日はわが身だと分かっている者が分かち合う感情かもしれない。

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差別は人を殺す!!

 [加納]

れんこんネットの雑記帳には”あらま?!”と思ったことがいろいろ議論されているわけですが、この「差別」の問題はちょっと変わったきっかけで始まりました。

○Date : 10:44pm3/ 2/92
Author: TOMOKUN (tomo)

>*from [3] YUKUN(ゆうくんNS/E)22:41
>"NTT代が、100000円を越えたからお先にね。"
>-- 以上です --

ヒー

匿名希望←バカ

この”←バカ”という言葉から(多分何気なく使ったのでしょうが)この議論が始まりました。そして最初の議論の口火はこの文から始まりました。

○Date : 10:34pm3/ 5/92
Author: SANGORO (SANGORO)

豊中中学校の「障害者」が虐殺された。差別が人を殺したのです。PKO法案が強行成立される背後にはこういった差別殺人事件が激発します。戦前1923年関東大震災時の朝鮮人、中国人大虐殺、被差別部落民集団襲撃、集団虐殺の例を挙げるまでもなく。
他方、外国人労働者への集団襲撃を煽るような、マスコミ報道、デマの洪水。何の根拠もなく、「外国人労働者は犯罪予備軍」というデマが流されています。丁度、「分裂病者は危険だ!」という何の根拠もないデマを流すように。さて、このような何の根拠もない差別の洪水の中で、差別する側の人間性がますます、貧弱でみすぼらしく狭くなってきています。豊かで、広い人間性を取り戻すためにも、差別する側の人間こそがそのドツボから解放されるために、差別と対決しましょう。
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「差別」というものを、言葉から考えていこう、とするのと、そうでないというのもあるのですが、これら言葉というのは重要な問題でもあります。

まず、「差別」を言葉から捉えていこうとする意見から。

○Date : 11:36pm3/ 5/92
Author: SANGORO (SANGORO)

>自分の言葉で自分が傷つくような人がいるんでしょうか?

問題にしているのは、「ばか」という概念は何なのでしょうか、ということです。そういう概念を使用して自分自身を規定したとしてもtomokunはその概念で表されている人々の心は傷つかないのでしょうか?

そもそも「ばか」という概念とは何でしょうか?

故事では、馬と鹿の区別のつかない人のことだと言われています。
このような人とは、どういう人のことでしょうか?

1.見聞が不足していて、馬や鹿を見たことがないにもかかわらず、知ったかぶりをしている人
2.自分が何を感じ、どう感じているか、何を認識し、どう認識しているかを表現できないようにさせられた人
3.自分が何を感じたか、どう感じたか、何を認識し、どう認識したかを表現しているが、その表現を多くの人には認識してもらえない人
4.そして、差別的な表現として一般には「精神薄弱者」のことをこのように言われていると思います。

(略)

○Date : 10:13am3/ 6/92
Author: SANGORO (SANGORO)

言葉には必ずそれが表す概念というものがあります。
「ばか」と言われている言葉にもそれがあります。一般には「精神薄弱者」のことをそう言っていることは事実です。そのような言葉をそのように意識しているかどうかは問題ではありません。言語が文化、生活の中に根ざしていることに問題があるんです。「精神病者」「障害者」を社会から除外した文化、生活風俗、習慣だからです。

○Date : 8:01pm3/ 7/92
Author: GENESIS (むらた)

言葉の種類や新しい言葉は増えるかもしれませんし、逆になくなってしまった言葉もあるかもしれませんが、言葉そのものが持つ意味は普遍のものです。

1番大切なのは、相手がどんな人であろうと誠意を持った話をすることではありませんか?差別用語というのは人の荒んだ心の状態が生み出し、吐き出したものですから、話す相手が神であっても障害者であっても、「正しい言葉遣い」こそが認められるのです。

難しいかもしれませんが、正しい表現を心掛けさえすれば差別用語など書く余地もありません。そうすることによって全ての人が快く生活することができるのであれば努力するようにしたいものですね。

○Date : 12:03am3/ 8/92
Author: SANGORO (SANGORO)

「視覚障害者」について例をあげてみましょう。
「めくら判」というのがあります。これは、言うまでもなく「視覚障害者」は何の理解もしないで判断を下す。という意味です。こんな差別はありません。「視覚障害者」であろうが認識できる感覚器官があります。点字、オーディオテープ、TEXTFILEを音声に換える発生装置その他のメディアもあります。もちろん理解できる能力もあります。また、「お前の眼は節穴」というのもあります。「視覚障害者」は認識できないものだという決めつけがあります。

○Date : 10:43pm3/ 9/92
Author: GENESIS (むらた)

私のいっているのは言葉のできた当時の意味が、現代において180°違う意味を持のであれば、その言葉は正しく使われていないと、言葉の持つ本来の意味で話されているのであれば正しい言葉遣いといっているつもりです。(意志の疎通がうまく行かないのは私の言葉の使い方が正しくないのが原因です)

少なくとも、言葉の持つ本来の意味を十分理解した上で不必要な感情や(感情が不必要であるということでは決してない)余計な詮索を含ませたりせずに、言葉という剣と薬の両面を持つ概念を駆使する、というのは共通して考えていただけると思いますが、いかがでしょうか。(もちろん全然違うということでも全く構わないのですから。)
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それに対して(実際には対しているわけではなく、捉え方なのですが)言葉でなく、中身の問題だ、という人もいます。

○Date : 1:08am3/ 6/92
Author: TOMOKUN (tomo)
A君「あっちゃ〜どじった。(^^;)」 B君「ばっかだな〜っおまえ・・・(笑)」    ^^^^^^

こんな日常会話で差別や言葉の概念などを考えてやりとりするという事はないでしょう?
うまく言えないのですが、つまりはそういうことです。

それに、もともと語句の一つ一つにこれと、これと、これだ、と意味が決まっていなければならない物では無いと思います。その時々で様々な使われ方が有るものではないでしょうか?

そもそも、SANGORO さんは「ばかという概念」=「障害者」的な事を書いていますが、これもやはり偏見の一つでは?

(略)

○Date : 8:34am 3/ 6/92
Author: MEW (ミュー君)

僕は、使う場所によるのだと思います。又は、言った相手によるものだとも思います。

「あなたは、偉い方ですね」 ・・・これを嫌味でとるか、 そのままでとるか?
「あなたは、すごいひとだ」・・・これも、同じですよね?

○Date : 2:30pm 3/ 6/92
Author: REN20768 (KPS)

この言葉を使えば差別で別の言い方をすれば差別ではないといったような考え方が差別をうみます。極端な言い方をすれば「障害者」も「健常者」もどちらも差別用語となってしまいます。

言葉は時代と共に意味合いも変わるべきものだし、使う人によっても変わって当然のものです。それを偏屈した考え方でわくにはめるのはよくないことです。

○Date : 2:25am 3/8/92Author:ナスビ(ナスビ)

確かに人を差別する言葉ってあるね。そんな事を言うのは言語道断だね。けど言葉って道具なんだから、使い方しだいで差別といった意味がもともと無くても差別する時ってあると思う。それ私が小学生の頃、良くいじめられてそれを見た先生が他の生徒を叱ったとき、他の生徒はよく「冗談でいったんだよ〜」とか「冗談でしたのに〜」とか言ってそれを聞いた先生が、「相手が冗談だと思わなければそれは冗談ではないのよ」と言ったのを思い出す。これは逆の時の話だけど、言葉って使い方と状態によって良くも悪くもなると思う。だから必ずしも「悪い!」って決めつけるのは良くないと思うよ。もっとも最初にも言ったけど存在自体悪い差別用語も確かにあるけどね。

○Date : 7:52pm 3/ 8/92
Author: null (ぬる)

私はそういうものは存在しない。という立場を取ります。受け取る側の心証しだいで同じ言葉が異なる意味に取られることがある。という意味で。

何が言いたいのか。と言うと、「言葉」に差別があるのではない。と言う事。

心や体に障害を持つ人々を笑う、「他人の不幸は我が喜び」という人間一般の感情をどうにかする(一般的ではないとするなら、TVの「ウルトラクイズ」 はありゃなんだ?) 以外に本当の解決は得られないでしょう。

#「きちがい」はやっぱり「きちがい」です。正すべきは社会復帰を拒む風潮であり、言葉ではないのです。

○Date : 7:43pm 3/ 9/92
Author:REN20768(KPS)

「正しい言葉遣い」とは一体なんでしょうか? そんなものがどこに存在するんでしょうか? 仮に「東京弁で喋られると気分が悪い」とでも言う人がいたら、その人に合わせて他の言葉を喋れとでも言うんでしょうか?(不可能でしょう)
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差別用語についての考えについても、こういう意見があります。

○Date : 2:35am 3/9/92
Author: MCOTTO (McOtto)

何で差別用語が嫌いなのか。人は沢山いる。その中には自分が差別にあってそういう言葉を言われ続け、そんな言葉すら聞きたくない人もいる。そんな過敏になるヤツがいるか、なんて言い切れますか?バカでもなんでもいいですが、こういった言葉の対象とされている人々はそういった言葉を聞くことさえ好ましく思ってはいないでしょう。

対象とされている人、そういう人は何を基準にそう呼ばれなければならないのですか。これに答えられる人はいないでしょう。完璧な人間なんて何処にもいない。誤解覚悟で言うならみんな障害者だ。

差別さえなくなれば差別用語なんてものすらなくなる。だが、そんな日はすぐには来ないだろう。でも、みんなが差別を考えることによってその日は近づいてくると思うのです。(理想でしょうがね。私も人より上に出たいと思う気持ちはありますから)

○Date : 1:14am 3/14/92
Author: GENESIS (むらた)

あと、最近話されている傾向を押えておきますと、差別用語は識別用語に特別な感情が含まれていると説明できると思います。識別のための言葉を注意して用いなければ差別用語に変ってしまうということですね。
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部落差別についても、これらの意見があります。

○Date : 2:35am 3/ 9/92
Author: MCOTTO (McOtto)

同和教育が逆に差別意識を生んでしまった事実。 今までは普通の友達だったのが学校の同和教育によって、その部落に住む人達は差別されていたなどという話をされたがために自分よりあいつは劣るんだという意識が芽生えてしまい、嘲る対象になってしまった。こんな話も聞きます。

○Date : 7:43pm 3/ 9/92
Author: REN20768 (KPS)

部落に対する考え方もそうで、一部地域に対して過保護な政策をとることが正しいと言えるのでしょうか? 差別を生み出す典型的な例でしょう。

○Date : 9:49pm 3/13/92
Author: REN20768 (KPS)

同和対策が過保護だという理由。

1.行政サービスの行届かない時期があったことは事実だが、現在そのような状況であるとは言えない。
2.部落やその周辺で犯罪が起きた時、部落に住んでいるだけで犯罪者として扱われていたことがあったのも事実だが、現在の司法制度のもとではそのようなことが起きる可能性は0に近い。仮に起きたとしてもそれは部落以外で起きる可能性と差はない。
3.行政のやりかたはお金を配ればいいという風潮があり、それを利用して不当に金を得ている部落在住者や関係団体がある。そういった団体や人々が部落は差別されていると偽った発言をしている事がある。
4.部落に対して保護する現在のやりかたが、部落に隣接している地区の反感を買っている。これが差別を生み出す原因とも言える。

○Date : 3:44am 3/10/92
Author: SANGORO (SANGORO)

例えば部落差別というのは歴史的には江戸時代の身分制から始まっています。その前身は織田信長、豊臣秀吉の一向一揆弾圧政策としての新しい身分制を創ったときからと言われています。

○Date : 5:37pm 3/21/92
Author: REN20848 (yamasaki)

被差別部落は「過保護」か、行政の行う「対策事業」は「差別を助長」しているのか。

さて、色々な政策が必要になった背景には、こういう被差別民の居住地や職業に極端な偏りがあり、「自分で切り開く」ことすら、ほとんど出来ないような物理的な原因と、周囲の一般民衆の、意図的に広められていた偏見、蔑視の姿勢がもはや「自然に解消するまで待つ」ことなど出来ないほど酷かったからです。

では最初っから「行政の差し延べる施策の恩恵をただ部落民は受けるだけ」だったのでしょうか。これは間違いです。

さて、一般地域に比べて、同和対象地域に「過度の保護」が加えられている証拠はありますか。

例えば、橋とか家とかを「今」建設すれば、20年や30年前に作られたものよりも「新しくてきれい」なのは当たり前でしょう。

そういう施策が新たな差別を生むという意見には、では行政は何もしなくていいと言うのですか。という問いを、とりあえず返しておきます。
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ではなにをしたらいいのかというとこういう意見があります。

○Date : 2:35am 3/ 9/92
Author: MCOTTO (McOtto)

障害者は可哀想だと思うより、自分と同じ人間なんだと思わなければいけないと思います。そして、その人に出来ないことがあればその時こそ助け合おう。引っ張るのではなく、支えること。そう思えればいいと私は考えています。

○Date : 3:42am 3/10/92
Author: SANGORO (SANGORO)

そして、差別と闘う実践を差別されている人々とともに進めていくことで、自分を見つめる眼を研ぎ済ませることだと思います。

○Date:5:37pm 3/21/92
Author:REN20848 (yamasaki)

実は行政が本気で取り組まなければならない問題の筆頭に、教育があると思っています。
わたしはまず「学校を変えよう」と提唱します。試行錯誤であっても、「もう学校なんてどうしようもない」と思っている人も。
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といろいろ紹介しましたが、勿論紹介できない部分が多いです。でも「差別」をなくしたい、という「想い」は伝わったでしょうか。

私自身は、「差別」とは人間全体のやまいのひとつでありどうすればいいかと言えば「人間には確固たるものはなにもないのだ」
ということを受け入れることだと思ってます。

これを読んだ人もこれを契機に「差別」やその他いろいろなことを、考えてみて下さい。

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アマチュア無線の話

 [CLODO & ゆうくん]

■最初に御挨拶諸々・・・

 さて、今回僕は酒盛ラーゆうくんの陰謀で、このコーナーを担当することになりました、CLODOです(陰謀などといいながら、結構喜んで書いてたりします(^_^)。アマチュア無線は、無線従事者免許証を取得して今年でどうにか10年目になります。現在弱冠二十ウン歳です。
コールサインはJP1QAXです。とりあえず、まぁちょっぴり長くやってますので、なにか僕で書けることがあったら、書こうという軽い気持ちで引き受けました。ところがどっこい生まれつきいいかげんかつ不完全な潔癖症である僕は、「まだまだ、時間があるから大丈夫!」とか「アマチュア無線の何について書くか決まってからにしよう」とか、ダラダラやっているうちに、締め切りの日になってしまいました(^_^;)。それで、今日は編集のためみんながATTICの事務所に詰めている中、急遽、酒盛ラーゆうくんの家からPCー9801ns/eを持ってきてもらって、周りの冷たい視線を尻目に、この原稿を書いています(^_^;)クー。
で今回は、この放射性れんこんでアマチュア無線というモノを扱った記事が今までなかったようなので、あまり知らない人に軽く紹介するという感じの内容から始めてみたいと思います。あと、受験するにはどうしたらいいかなどということにも応えてみようと思います。

■アマチュア無線とはなんぞや?

 さて,これをお読みの方の中にはアマチュア無線ってなんだかわからないって人もいらっしゃることでしょう。一般の人が、仕事としての無線局でなく私設で無線局を合法的に開局するには、現在次のようなものがあります。

・パーソナル無線
・CB(トラック無線のCBではないよ!)
・特定小電力
・アマチュア無線(ハム)
・その他の微弱電波(-ニFMなど)

 パ−ソナル無線などは申請を出すだけ、CBや特定小電力は無線機を買えばそのまま使えるし、-ニFMも、電界強度500μV/3mの範囲内であれば、申請は必要ありません。
 アマチュア無線をやるには、国家試験に合格するか、講習会で認定してもらってから(ただし講習会は第3、4級のみ)、無線従事者免許を申請して取得し、さらに無線局免許状(コ−ルサイン)を申請して取得する(開局する)か、クラブ局のメンバ−(主構成員)として登録される必要があります。
 僕としては、従事者免許をとるのに、国家試験がお薦めです。理由は、試験といっても非常に簡単であることと、受験料が3千何百円位で済むという経済性からです。講習会ですと1万5千円から2万円位掛かります(^_^;)。
 始めるまでの手続きは、ちょこっと煩雑なのですが、試験は簡単ですから心配無用です。なんと第4級アマチュア無線技士の無線従事者免許でしたら5歳の子供も合格してしまうほどですから・・・。そして、なによりもアマチュア無線の良いところは、パ−ソナル無線やCBや特定小電力や微弱電波よりも、より沢山の周波数で、より多くの方法で、より強い電波を発射することが可能な点でしょう。

■アマチュア無線の無線従事者免許について

 さて、アマチュア無線をやるには、アマチュア無線技士の国家試験を受けて合格をして無線従事者免許を取得することから始めなければなりませんよねぇ。現在、このアマチュア無線技士の資格は第4級、第3級、第2級、第1級と4つありまして、当然数字が若くなるに従って、試験も難しくなりますが、それだけ扱える周波数や方法、電波の出力も大きくなります。 出力の差を下に書きます。

・第4級アマチュア無線技士
 出力10Wまで
・第3級アマチュア無線技士
 出力25Wまで
・第2級アマチュア無線技士
 出力100Wまで
・第1級アマチュア無線技士
 出力500Wまで
※ただしどの資格においても、28MHz帯以上では50Wまで、1200MHz帯以上では10Wまでです。

 確かに上級の資格の方がいいに決まってますよねー。でも、あまりにも差があることにがっくりしないで下さいね。第4級でも十分いろいろなことが出来ますから(^_^)。とりあえず、普通に免許をとってみるには、第4級からでOKだと思います。

■ 第4級アマチュア無線技士の試験について

 関東地方では、毎月試験が行われてます。2月前から1月ちょっと前まで、試験の申請書類の受付がなされていますので、遅れる事のないように申請を済ませるようにしましょう(例えば、1992年6月に試験を受けたいのならば、4月1日から4月20日の間に申請書を日本アマチュア無線協会(JARD)に郵送する<消印有効>)。もちろん、相手はお役所みたいなものですから、1日でも遅れれば、予定の月には受けられなくなるというのが原則のようです。試験日の日程は、日本アマチュア無線協会のインフォメーション電話にて、テ−プを流していますので、受験してみたい人は、詳しくはそちらにかけて聞いてみて下さい(電話 03-3533-6821)。
 試験科目は、工学と法規の2科目で、それぞれ20問ずつ出題されます。工学は、電気関係の問題、法規はアマチュア無線にまつわる電波法の問題が出題されます。出題形式は、4者択一のマ−クシ−ト形式で、工学、法規とも12問以上なら合格になります。どうです。割合簡単そうでしょ?

■ 受験するのに役立ちそうな本

・季刊で出る受験マニュアル(正式書名忘れた(^_^;)
 たしか、電波新聞社からだったと思います。申請書類の出し方から問題の出題傾向、開局のしかたまで、懇切丁寧に書かれています。一冊あると助かるでしょう。

・ 完全丸暗記(完丸)
                誠文堂新光社
 これは、的をかなり絞った小さな問題集で、ポケットサイズのすごく薄い本です。試験の傾向を良くつかんでいて、最後の仕上げの確認をするのにいいかも知れません。CLODOの友達は、他に何も勉強してなくて、前の晩と当日にこの『完丸』を解いただけで合格してしまった人もいます(ただし、『完丸』だけで行くというのはちょっと無謀だと思いますので、他に教科書的な本やもう少し厚い問題集も一緒に買っておいた方がいいと思います

・初級アマチュア無線教科書
              日本アマチュア無線連盟
 日本アマチュア無線連盟は、日本アマチュア無線協会とは別団体です。この本は、テキスト的な使い方をする本です。問題集の問題にぶつかってしまってわからないときや、最初から系統的に知識を深めたりするのによいでしょう。

・自分の気に入った初(3、4)級用問題集
 「備えあれば愁いなし」とりあえず、買って勉強をしておけば万全!

・CQハムラジオ(月刊誌)
アマチュア無線の話が満載の雑誌です。これを見ておくとアマチュア無線とはなんたるか?などを知る手だてになると思います。

■ 最後に・・・

 今回の記事はどうでしたか?お話などお寄せいただいたら幸いです。お手紙は、東京都八王子市石川町2955−1−703『れんこんネット事務局』までお願いします。れんこんネットにアクセスしている方は、CLODOまで直接メ−ルして下さい。

 続いて、れんこんネットでアマチュア無線を取るべく勉強しているメインフレーム技術者、酒盛ラーゆうくんにバトンタッチをしましょう。

では、73&88!           ●

< 無線の免許に向けて・・・ >
 By.Yukun
 げげげげげげげぇ!!!!(^^;)
 何でボクが原稿を書かなきゃいけないの?(^^;)(実は、このアマチュア無線の原稿のいいだしっぺはボクなのです)
 なんて言っていたら、この「放射性れんこん」は始まらないから、こういうこといわないで真面目に書こうと思います。と言う訳で、3年前の話しから行きます。
 免許を取ろうと思った動機は、ただ単に「電話の代わりになる」と思っからでした。と言う訳で、実際に免許を取ろうと申請を出して、勉強も万全で、いざ試験日になったら「寝坊したぁぁぁぁ!!!(;_;)シクシク」と言う訳で、試験を受けられなくなってしまったのでした。(;_;)シクシク
 それ以来、火が消えてしまって一切無線の免許を取ろうと思ったことがなかったのでした。

 それがある日、(実はつい最近)れんこんのオフにてC??D?氏とK?O氏が「れんこんのオフに来るときに、交信してきた」と言う話しを聞いて、「面白そうだな」と思って、また火が付いたのでした。
 それから試験用申請用紙を手に入れて、今回こそはと思って申請を出して「ちょっとは勉強しておこうかな」と思って本を開いてみたら、電波法改正以前の本で、「この本で勉強したら、間違いなく不合格になってしまうな」と思って、また本まで買い直して勉強しているのでした。(二回の手間が掛かってしまった)
 でも、今現在、勉強は殆ど捗っていません。(^^;)
 こんなもので受かるのだろうか?と自分自身で心配です。試験なんて久しぶりだから、実際にうまく行くかどうか解りません。
現実には、今までなるようになるという人生を歩んできたから、今回もこの線で・・・とうまく行っていたら、誰も苦労しないって・・・・
これから必死になって、勉強しようと思います。(あーあ、これから勉強だなんて、憂鬱だなぁ)
 もし、ボクが従免を取ることができて、局免を取ったら、皆さん、交信しましょう。

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