1991.8.11発行
ともかく自衛隊の海外派兵反対・PKO法案反対の動きを創り出そうと、学生を中心とした若い人たち(私も若いけど)が始めた4週間の外務省前。
私は、見物人みたいな感じで10日以上外務省前にいってしまったフツーのサラリーマンですが、そんな私の目から見た外務省前行動を報告します。
外務省前座り込み開始!
まず、最初の1週間は、座り込みをやろうと頑張りました。私が作った座り込み応援ビラより転載します。
7月8日(初日)11:00 外務省前
水筒を持ってピクニックに行くようなカッコした5人の学生たちが集まった、手には「海外派兵はイヤ!」「自衛隊海外派兵しないで」と書いた、これまた派手でかわいいピンク色のプラカードやTシャツなどを持っている。
PEACE CHAIN REACTION〈日本国の戦争加担に反対する学生たち〉の自衛隊の海外派兵反対・PKO法案上程反対の座り込みが始まった。
7月8日 11:30 外務省前
通行を妨げる事なく歩道の端に整然と座り込む女性を含む学生たち5人を、警察官30人が強制排除におよび、なんとそのまま外務省前から400m離れた日比谷公園まで無理矢理連れていく。
7月8日 12:20 外務省前
日比谷公園から学生たちが戻りはじめた、こんどは座らずに立ったまま、昼休みで多くなった通行人にプラカードを掲げて訴える。もちろん歩道端にいるので通行の邪魔にはならない。
とおりががりの外人が話しかけてくる。
7月8日 13:40 外務省前
昼休みが終わり、私たち応援のサラリーマンが居なくなり、人どおりも減ったところで、再び強制排除開始。私服警官10人・制服警官30人でこんどは、日比谷図書館横の袋小路に連れて行かれ軟禁状態にされる。軟禁することの根拠を尋ねると麹町署の岩崎課長なる人が『違法行為を起こして、また起こしそうな連中の行動の自由は制限してもいいんだ』『憲法上の権利なんておまえらには関係ないんだ』と言い放ち、強制排除の根拠については道交法違反と言うのみで答えない。
7月8日 14:30 日比谷図書館横 軟禁状態
解散することを約束させられて、軟禁を解くと思ったらなんと、日比谷駅まで無理矢理つれていかれホームまで連れて行かれた。
7月8日 17:40 外務省前
再び外務省前にもどり30分ほど立っていた。
最高気温34度の暑い中、あくまで元気な行動が終わった。
7月9日 12:40 日比谷公園
日比谷公園横には、警察のバスが止まり、公園内にはなんと制服警官が隊列を組んで立っている。のどかな公園の昼休みには似合わない異様な光景だ。警官たちが見ている方向に視線を移すと、学生たちがのどかにおにぎりなどを食べている。
聞けば、きょうは3人でかなりの距離をおいて立っていたら、12:00前になんの警告もなく、もちろん説明もなく強制連行され日比谷公園につれてこられたそうだ。
でも、彼女・彼らはあくまで元気で明るい顔だ。 それに比べて警官たちは死んだような顔で立っていた。
多くの外国人が訪れる外務省前。
日本では、数人の市民が静かに自分の主張を訴えることもできない。
5人のかわいい学生に、警察の車両が6台も7台もやってきてものものしい雰囲気をつくり、そして何の根拠もない強制排除・強制連行。
中国や南アの経済制裁を真っ先に解除し人権無視の外交を突き進める<日本>外務省を象徴する暴挙。
社会党を巻き込んだ憲法無視状況をあらわすような警察官の発言。
こんなことを続けているといよいよ、わけのわからない国<日本>だと世界の人々に思われるであろう。
ほとんど、外務省前には居ないかもしれないませんが、立っている学生たちを見かけたら、声をかけてあげてください。
私も、昼休みに見に行く事と、報告を書く事で彼らを応援していきます。
そんな訳で最初の1週間は、何度排除されても頑張るという事で、やりぬいた。パソコン通信をみて応援に駆けつける人も何人か現れて、PCRの人たちは驚いてました。それで、パソ通を始めてしまった学生も出現しました。
2〜4週目 毎日請願行動
2週目からは、方針を変えまして、外務省にアポイントをとった上で、毎日請願をやる事になりました。
当初、ケーサツもバス4台で意味もなく外務省の駐車場に入ったり出たりしてました。でも、請願なんで手は出せず、私服や制服が数人うろうろしたり、終わってからつけてくるといった、嫌がらせをやってきましたが、まー、1週目よりはずっと平穏にPKO法案反対のアピールをする事ができました。
私も7月24日に請願人になりました。実は前日の夜電話がかかってきて「これから請願書書いて明日読み上げて下さい」といわれ、眠かったんで渋ってたんですが、学生やってる女性が、一生懸命に私を脅かしたり(^_^) 頼んだりするもんでついつい引き受けてしまったのでした。会社を抜け出すのに手間取りましたが生まれてはじめての請願をやってみたら、なかなか気持ちのいいもんでした。
3週間の毎日請願を違う人が思い思いに請願書を書いて、読み上げたのは本当にすごい事で、単純計算で15人が請願人になった訳で、聞くところによると飛び込みで請願書を持ってきた人もいるそうで、実際は、もっと多くの請願書が提出された。
すごく盛り上がったという訳ではなかったが、長い昼休みをとって連日来てたフツーのサラリーマン(私以外にもいました)、仕事の外出時に迂回してわざと外務省前を通っていた人、仕事帰りに外務省前に行ってみた人、昼から早退してきた人など、ぜんぜん会えなかった人もいたが結構たくさんの人が、外務省前にやってきた。パソコン通信でも心配してメールくれた人、ダイナブック担いで来てしまった学生、励ましてくれた名古屋や大阪の人などなど、直接参加できなかったけれどもアイデアを出したり、情報を広めたり、ひたすら心配した人をあわせると数え切れない人々が外務省前行動を考え、共有してくれた。
外務省前行動を伝え聞いてより元気になった関電前の人もいるらしい。また、イラクへの市民調査団から帰路東京で会った名古屋の人は、疲れていたのか「また日本で明日からデモやったり、ビラ作ったりする気がしないなー」と言っていたけど外務省前行動の話しをしたら「そうか、若い人たちが4週間も頑張ったのかー、名古屋でも頑張らなきゃなー!」と元気に新幹線に乗り込んだ。
7月18日には、文部省前で教科書検定に抗議した主婦のグループが外務省前行動を応援しようと、文部省前から外務省前にやってきてくれた、そしてそれを取材にきていた”ふぇみん”の人たちの呼び掛けで最終日8月2日には、また多くの女性(と少しの男)がなごやかに請願を行ってくれた。
こうやって見てみると、湾岸戦争停戦後どうしていいかわからなくなっていたり、内向きの議論が多くなっていた、平和を求める市民運動のなかで、きちんと外に向かって訴えかける動きとして外務省前行動が、PKO法案反対をしっかり多くの人に指し示してくれた意義は大きい。
まさに、PCRの最初の呼び掛けビラ「小細工に惑わされず明確に反対を言い続ける強さがなければ、『平和』を築いていくことはできません」の言葉通り、少人数ながら身をもって行ってくれた人たちに、見物人程度でしか手伝えなかった者として感謝したい。
私自身も外務省前で、れんこんネットの人に会って、れんこんにアクセスするようになったり、いろんな人と知り合えてよかった。まー会社の仕事はたまってしまったけれども、また次の行動には会社抜け出して走っていってしまいそう。
みなさんも、そー簡単にはクビにはならないから次は、またどっかで会いましょう。
「『直子の代筆』の名称は女性差別?」そんな話題が、最近多くのパソコン通信のネットワークで飛び交いました。
マスコミにもある程度取り上げられ、朝日ジャーナルにも載ったので見た人もいるでしょう。
「直子の代筆」というのは、その名の通り、借金の取り立てやラブレターなど(あくまで例)の文章を半自動的に作るソフトウェアで、最近はパソコンだけではなく、ワープロにまで搭載されているという人気です。(ちなみに私も持っています)
そもそもの話の発端は、性差別問題に取り組んでいるEATの会が、「直子の代筆」の開発会社のテグレットに対してソフト名変更を申し入れたという所にありました。
それに対してパソコン通信上では、ほとんどが男性で、しかも「直子の代筆」に愛着を持つ人が多いこともあって「EATの主張は解らない」という意見が大半を占めていたのでした。
そんな中でれんこんネットではわりと色々な意見が出てきましたので、ここで紹介します。
まず、テグレット側の文章が、他のネットから転載されました。
そこでは、EATの考えとして、
〈1〉女性は「代筆」という形式的・機械的業務に適しているのだという現在の固定概念にしばられている。
〈2〉差別性は、「直子」の部分を男性名に置き換えてみれば語感的にしっくりこないことで明らかである。
の2点が挙げられていました。
それに対して、テグレット側の考えは、
〈1〉代筆業は特殊な才能を必要とし、むしろ文学的、創造的なもの(恋文の代筆など)である。
〈2〉弊社では「直子の代筆」とほぼ同等の機能を持つ「タケル君のお手紙代筆」および「タケル君のビジネス代筆」を販売しており、けっして男性名でも問題はないと考えている。とのことでした。
★Kink
「直子の代筆」だけが女性蔑視的で「知子の情報」や「章子の書斎」はそうではないというのはなんかしっくりしませんね。
引用されているEATの見解では、例えば「タケル君の代筆」は「しっくり」こなくて、「タケル君の情報」は「しっくり」くるというんでしょうけど私には両方とも同じに思えます。
★ALONE
う〜ん、出来ればフェミニストを装って支持したいけど、ちょっと行き過ぎのような・・・。
よく外車なんかで女性名を使ってるけど、あれだって取りようによっては「男に乗られている」ってことになりそう。
★Ναδα
あの、ネーミングだけの問題ではないのではないかと思うのですが。テグレットという会社の感覚がちょっとにぶかったのではと。
前に「章子の書斎」の広告で「章子さんをあなた色に染めて下さい」なんていう表現が使われていて抗議にあって削除したということもあったそうです。
とにかくそれによって不愉快に感じる人がいるということをもっと認識するべきでしょう。
★さたんど
ぜんぜんそう思わない。私としては、これぐらいのことはたいしたことではないんじゃないでしょうか?と思います。
ちょっとおおげさじゃないでしょうか。所詮ソフトのタイトル、と割り切ればいいじゃないですか。
ただ、「章子さんをあなた色に染めて下さい」は懲りすぎのようなきもしますが。
考えすぎじゃ?
★IKE
私も別に目くじら立ててつっつき回すほどの問題ではないと思います。
とかく、女性に対する差別的なものを見付けては問題にすることが流行っているように思われます。
「そうは言ったって、気に入らないと思う人がいるんだ」という意見がありますが、何でもかんでも問題にすれば女性の立場、地位が向上するわけではありません。
これぐらいのことを問題にしている間は、我々男性はまだまだ安心していられそうです。
★ALONE
代筆向きと呼ばれて差別になるなら、代筆を稼業としてる人間はどーなるんだろ・・・。
★レジN
問題は根深い
「直子の代筆」の名称にクレームをつけた人達、何もこの名前だけを問題にしたいのではないことは明らかでしょう。
「直子」だけは駄目で「章子」「知子」はいいというのは、逆に考えてみると「直子」だけで問題にするのでも一般の人の理解を得るのは大変で、それを「章子」「知子」まで含めてどう議論を展開していくのかということを考えると、そこでひるんでしまうということで理解できます。
問題が名称を「変える」「変えない」だけに終わってしまいそうになるのは、それを受け取める男の側がそうしたいから、という力学が働いていることはまず間違いないでしょう。
それをして、「問題提起の仕方の戦術的誤り」と云々することは、ますます問題をぼかすことに貢献するだけですが、そのような議論が出ていることがたいへんありそうな気がします。
世の中一般には、「女」=「道具」というような見方が歴然とあると思います。
それを言うなら「若いやつ」=「道具」、「自分の部下」=「道具」などなどといろいろと人を道具扱いする見方は考えられます。
しかし、「女」=「道具」の見方の中には、「女」は「道具」で終わるもの、という見方を含んでいて、かつそれが普遍的なものであるという見方が一般化してしまっています。
「直子の代筆」「章子の書斎」「知子の情報」これらのソフトは、「道具でおわるもの」の前提で非常に優れたものであるということを「売り」にしようとしているのでしょう。
そこで「道具で終わってくれる、かわいい存在」と結合して、消費者の購買欲を引き出しにかかっているのではないでしょうか。
「道具で終わってくれる、かわいい存在」が「直子」であり、「章子」であり、「知子」であるのでしょう。
「道具で終わってくれる、かわいい存在」というものを「女」の中に求めてしまっている男の姿に気がつくことはないでしょうか。
私は、しょっちゅうあります。自分自身の中に、そういう意識があるのに気がつくこともあります。
今回の問題で、テグレットがことさら悪いというわけではないと思います。
「道具で終わってくれる、かわいい存在」というものを「女」の中に求めてしまっている男どもが購買層であるのでしょうがない。
このように言いきって売り続けることもテグレットのような小さな会社なら許されるのではないかと思えます。
ここでは、社会的力関係で見て、明らかに問題提起をする「女」の側が弱者であります。提起するだけで、大変なエネルギーを必要とすることを「男」の側は考えておかないといけないでしょう。
★OZA
しかし、この問題も恐らくのところは「代筆」の「代」という文字のおかげで引き金が引かれたのではと思います。
この商品名から「直子」は「身代わりを演じる」みたいなことを連想してしまい、回りの人に使われるという環境がしゃくに触ったのだと思います。
この考えで行けば、「代筆」という仕事がどうのこうのとか、そういうことではないと思うんですが・・・。
★はたくん
私は、これは痛い所をつかれたとおもいます。
結局、元はといえば、男性しかいないソフト会社が問題なわけで、そういうのの反映としてあの名前が出来たわけじゃない。「ソフト会社」というより「パソコン界」ですね。
だから、呼び名を変えることはもちろんするべきだとは思いますが(ソフト会社がイヤだったら別にそれは会社の勝手だとも思いますが)それで全てが解決されるわけじゃないので、そこで話がややこしくなりますね。
★NOM
女性からの反感は当然
私はテグレットの広告の、「直子の」「章子の」「知子の」というのを見たとき、無意識かもしれないが、これは女性を軽蔑する意味が含まれていると感じました。
ソフトにそういう名前を付けた人の潜在意識には女性蔑視があると思います。だから、「知子の情報」が良いソフトだと知っていても、使う気になりません。
こういう問題は、感覚とかセンスに訴える内容なので、理解できない男にはいくら説明しても無駄でしょう。EATが「直子の代筆」だけを問題にしたのは、それだけに差別性があるからではなく、それだけが差別性を立証し易いからではないでしょうか。
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これを読んで分かったと思いますが、EATの側の言い分について、私たちは何も知らなくて、憶測でしか話ができない状態です。
一方、EATはEATで、なかなか大変なことになっているそうで、とりあえず私たちとしては、EATとテグレットの間の交渉とは別に、考えて行く必要があるようです。
はたくん
河内丸さんがVol.3にちょっと宣伝していた、劇団どくんご観劇にネットのメンバー数名で行ってきました。埼玉大学の演劇部OBなどが中心になって出来た一応アマチュアの劇団です。毎年特設テントを担いで全国を公演しているそうです。
★タコス
結局、日曜日のれんこんからの参加者は、レジNさん、Vanguardさん、僕と同居人(リエ)の4人でした。 17時に八王子駅で待合せて中央線・武蔵野線経由で北浦和駅に18 時15分頃到着。(中略)はたくんレポートのお勧め特等席には簡単に座れました。自分の位置の前後左右には適度な空間があったので手足は自由に配置できたし、舞台の一部がテントの外とつながっているので、蒸し暑かったのは最初だけでなかなか快適でした。
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特設テントはまるでサーカス小屋のような威容で公園に張られていました。中に入ると舞台の部分が外へ吹き抜けておりそこから見える公園の風景がすべて舞台であり大道具。無関係の通行人までもエキストラとして利用し、彼方にあがる花火でさえ(無論誰かが遊んでいるだろうが)効果ではないかと思わせるつくりでした。
ビール片手にくつろぐ観客が増えてきて、しばらくまたされた後にいきなり世界は「どくんご」のペースに巻き込まれるのでした。
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★Vanguard
八王子を出るときに、前日見に行ったはたくんの書き込みがあるのを確認したが読まなかった。それはおろか、どくんごにかんする情報は「河内丸さんが関与していて、なんかおもしろいらしい」という極めて漠然としたものしかもっておらず、河内丸さんからいただいたチラシからは「あ〜演劇ずきの集まりみたいね〜」というこれまた漠然とした印象しか持っていなかった。
とにかくどくんごに関して「おもしろい」という形容しか耳にしなかった私は、前日の不摂生もたたってか殆ど頭が白紙の状態で気が付くと特設テントのかぶりつきの席に腰をおろして開演をまっていた。おもしろいといえば最近みた多摩美大の「熱海殺人事件」がおもしろかったのを思い出していた。はたくんが以前どくんごの劇を「おもしろいけど考えさせられる」と言っていた事が頭にうかび「どたばたギャグの社会風刺物」かなと適当な予想をたてて期待を膨らませていた。
実際その予想はあたらずとも遠からずだったのだが、どうも期待を裏切られた衝撃がちょうど後頭部に「はいった」。「神経をいためたらどうするんだ!」と文句を言いたかったが、もう舞台ではぶっとんだ女性3人がぶっとんだ事をわめき散らしていた。どうやら開演したようである。不覚にも先制攻撃をうけてしまったようだ。
「わめく」というよりは「おたけぶ」というのが正解。「せりふ」というよりは「音」というのが的確。舞台にはパワーだけがあり、河内丸さんが特S席として指定してくれた「かぶりつき」に運よくいた私はもろにパワーを延髄に受けた。すでに「観劇」ではなかった(笑)。
はたくんも言っていたように「おんな」が一つのキーワードになっているようだった。しかしキーワードは沢山あったように思う。絶叫と論理性のない科白のやり取りのなかにちりばめられた単語と構成のレトリックが見る者の琴線に触れる単語を心の中へ植え付けていってしまう……。「おとことおんな」というキーワードのまわりにいろんな世界観をまきつけて役者がなげつけた言葉が観客の内側でいつのまにか堆積していく。常識では理解しがたいこの劇はその言葉をフィルタを通させずに客の中へ堆積していく。
堆積していったものは、客がいつも漠然と思っているが努めてその存在を認めていない世界観を掘り出していく。その客の目には舞台がやがて「世間の縮図」としてうつるようになり、過去や未来を含んだすべての世界を舞台の上に見たような錯覚に陥る。その錯覚は日頃自分が属している世界を傍観者として眺める快感へと変わり、私の場合それは傍観者として眺める優越感となりやがて恍惚とした気分になった。まるで時空を越えて自分の掌に地球をのせて眺めるような感覚に……。
「世間の縮図」がその後どうなるのか、彼らはどんな答えを見つけるのだろう。私は次第に答えを期待しながら見ていった。「なにか一つの方向や示唆が見つかるのではないか」と根拠のない期待を膨らませながら……。
しかし、期待していたような答えは見つからなかった。そして最後の大合唱がはじまった。
力の限り踊りながら合唱する彼らを見て思った、「まず自分の出来ることを精一杯やってみないと答えは見つからないんだな」と。「答えなんて自分でみつけるもんさ。難しく考える前に俺達はこうして答えを見つけようとしてるのさ」彼らのそんな声が聞こえてきそうだった。
現代音楽のおもしろさは伝統や慣習、理論、既存の価値観の崩壊が音になっているところにある。ちょうどこの劇も既存の物が崩壊した後から発したり、崩壊させる事を試みたりしながら生き物のようにうごめき変化するテーマを観客にたたきつけている。たまたま私は前述のような感想をもったけど、他の人の感じたことは千差万別だと思う。
「言葉ですむ内容は、言葉に任せたほうがいい」と、河内丸さんは紹介記事で書いていたがそのとおりだった。やたら言葉や具体的なイメージを頭に詰め込んで理解しようとするのではなく、いろんな人のいろんな感覚に訴えて気が付かなかったものを呼び起こす……どくんごの劇はそんな感じだと思う。
メディアなどを通しては決して得られない物が凝縮されている。ぜひじかに見て欲しい、「かぶりつき」で浴びせられるエネルギーのシャワーがどくんごの魅力だ。彼らのエネルギーを浴びて何が呼び起こされるのか。私は来年もこのシャワーを浴びたいとワクワクして待っているのであった。(もっともしっかりシャワーを浴びるか、傘を広げて避けるかはあなたの自由ですが(笑))
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★レジスターN
さて、芝居ですが。3人の女優さんが出てきて始まったとき
「おぉぉ、きたなぁー」
と思って、その後の展開をいろいろ期待して見ていたのですが、その後も
「おぉぉ、きたなぁー」
の連続で、何が何やらわからないうちに、芝居は終わってしまったのでした。
それで、結局、「おもしろかったのか、おもしろくなかったのか」そこのところすらよくわからないのでありまして、はたくんが書いているみたいに、無茶苦茶おもしろい、みたいには言えないのです。
何か不思議なものを見た感じで、後からいろいろ振り返って考えてみようと思ってもそれは不可能みたいです。河内丸さんは、「一回見たくらいで、わかられてたまるか」と言ってましたから何度も見ないと、あれの真髄はわからないのかもしれません。
それにしても、「一回見たくらいで、わかられてたまるか」と、客に向かって言える劇団。「買いたくなきゃ、買わなくてもいい」と高飛車に言う、店やのおやじに感じる痛快さがありますね。
相当の好きもの、おたく集団の劇団であることは間違いないみたいでした。
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終演後、河内丸さんや演出の人と酒を酌み交わしてお話しました。「実はこの公演は大赤字でスタッフや役者がお金を出し合ってもまだ足りないくらい」という舞台裏の話しを聞き、レジNさんは(酒の勢いもあったのかもしれないが(笑))福沢諭吉をポーンとカンパして気持ち良く家路につきました。
れんこんネットでは再び、11月上旬に浦和凱旋公演をやるどくんごを見に行くツアーを計画しています。あなたも一緒にいかがですか?
はい、あなたのさたちゃんです。(違います(笑))どうも初めまして、さたちゃん(さたんど)ともうします。初めて書かせて頂きます。よろしくお願いします。
※1 夏は暑い!
はい、暑いです。この暑さはどうしようもありません。といってしまうと、この原稿を書く意味がなくなってしまうのですが…(^^;)、まあどうやったらこの暑さ を緩和できるかな、と言うことです。このような趣旨のベースノートは、れんこんネットにも開かれました。
= Note 102 ★★ なんでもかんでも ★★ (NANKAN)[ BASENOTE with 48Res ]
Title: 暑さを避けるため
Author: REN20543 (ゆうくん)
どのような工夫が必要でしょう。(クーラーを使うというのは駄目!)
みなさんの避暑の方法を聞きたいと思います。(僕のうちにはクーラーがない)
===ゆうくん===
誰でも同じ事は考えるものですね。(笑)これから、いくつか面白いレスポンスが書き込まれました。それをいくつか書いてみたいと思います。
Author: ZIPP (げんげのzipp)
「かや」って知ってます?きっと「蚊屋」と書くのだと思いますが…。これを吊っておけば、蚊に刺される心配はないし、窓を開けっ放しにできて風も入る(トカイは窓を空けても風が入らずに、ただ隣のクーラーの室外機の余熱が入ったりして…)のでなかなか過ごし易い夜を迎えられるのでは?
ちなみに東京では、神田のガイアという店でこのかやを売っているそうです(名前のないしんぶんの情報より)
なるほど。蚊帳ですか。私の年代だと聞いたことはあるが実際に見たことはないのです。うーん。よく漫画とかで出てきますね。なんか欲しくなってきたぞ。
Author: VANGUARD (Vanguard)
大事なファイルをぼーっとなっておもむろにゴミ箱にほうりこんで「ひやっ」とする事でしょうか
さすがにHDDごとクラッシュさせると「ひやあせ」というあせがどっと出てしまうので....
Author: OZA (OZA)
>大事なファイルをぼーっとなっておもむろにゴミ箱にほうりこんで「ひやっ」とする事でしょうか
これはOZAもこの前経験しました。(笑)
確かに、一瞬ものすごく周りが涼しくなりましたよ。(^^;)
しかし、意識してファイルを消しても効果ないですよねぇ〜、やっぱり無意識でボーッとしているときにそういうことをやってしまうと効果絶大でしょう(笑)。
ううう、あまり実践したくない事ですね。(笑) それが、重要なファイルだったりすると更に凄いですね。まぁ、この方法は避けましょう。(^^;)
Author: REN20543 (ゆうくん)
買い物にいくこれが一番手っ取り早いんじゃぁないかな・・・
特に、食料品売り場は、最高・・・・
Author: BITOKO (びとこ)
プールはやっぱり良いです。私は今年一杯通おうかなぁと思ってますが。でもあれって出た後の暑さが嫌なのよねぇ・・・(^^;)
これと、あともうひとつ、本屋で立ち読みするという手があります。はい、これ3つに共通する事は解りますか?
そこを出ると、猛烈に熱いということです。(笑) まあ、なんでもそうなのかもしれませんが。そこのところはおおめに見てください。(^_^;)
Author: REN20598 (トント)
初めまして、トントと申します。宜しくです。で、私は暑いときの対処方法として、、、
「ものすご〜く、暑いフロに長時間つかる。。。」
事にしています。(笑)でもね、体が暑くなると、周りの空気が涼しく感じるので、とても気持いいんですよ。
お試し下さい。(誰もしないって!)トント
これって物凄く危なくないですか?(^^;) のぼせてしまって、頭がフラフラすると思うんです。熱に強い方はお試しください。
Author: MEW (ミュー君)
熱さは、暑さを負かす最高の武器です。こんな時には、熱い鍋焼きうどんを、ぐっと食べて世間の暑さを忘れる。
ちょっとおしゃれでしょ!!
はい。心頭滅却すれば火もまた涼しの線ですね。
こんなところですね。笑っていただけたでしょうか?ではなくて、何かお役に立てるようなことは有りましたでしょうか?(^^;)
※2 夏の風物詩
夏の風物詩と言えば、ゴキブリではないでしょうか?(食事中の方、ごめんなさい)人間が絶滅しても生き残るといわれていますからね。生命力の強さには恐れいります。はい。でも、「早くゴキブリになりたい!」なんていう人はいないでしょうね。(笑)
昔私が小学生の時、テレビの前に足を組んでじっとアニメを見ていたのでした。そうしているうちに、なんか足がモゾモゾするではありませんか。
どうせまた蚊だろう、と思っていたのです。しばらくすると、なにか異物が足を登ってきたのです。そして関節の真上に来ました。すると、関節の上でちくちく足をさすではないですか。
おそるおそると足の関節の上を見る…
「ううう、♂♀∴♀♂×+☆★!!」
「ゴキブリだーーーーーーーーーーーーーーーー」
私は青ざめました。こんな経験は初めてでした。
「ギャー!」「やめてけれー」
「ちかーん」「えっちー」
失礼しました。でも、いまでもあの悪寒ははっきりと感覚まで覚えています。
そのあと、近くにあった新聞で思いっきり引っぱたきました。あのゴキブリのつぶれた様…おぞましいのひとことでした。
天上天下唯我独尊Net−SysOp/さたんど
(0426-65-1756 23:30〜6:30 7hr)
[アヤ] ねぇ、最近よく”ファジィ”って言葉を聞くんだけど、”ファジィ”ってなんだろう?知ってる?
[テツ] ほら、”3×3EYES”って漫画にでてくる不死身の男。
[アヤ] それは、藤井でしょう!やっぱり、先生に聞いてみよっと!
[アヤ] 先生、ちょっと質問があるのですけど、よろしいですか?
[先生] はい、いいですよ。どんな質問かな?
[アヤ] 最近よく”ファジィ”って言葉を聞くんですけど、”ファジィ”ってなんですか?
[テツ] わかった、南にある島のことだ!
[アヤ] それは、”フィジィ”でしょう!!!
[先生] ははは。そうですね、最近電化製品のCMでよく”ファジィ”って言葉を聞きますね。それではアヤさん、テツ君、一緒にファジィについて考えてみましょう。
[アヤ] はーい。
[テツ] うん!
[先生] まずファジィとは何かということですが、ファジィとは曖昧のことです。この曖昧さを扱った理論のことを”ファジィ理論”といいます。
[アヤ] 曖昧ですか?
[テツ] かたつむりっ!
[アヤ] それは、”マイマイ”でしょうっ!
[先生] 今のテツ君の言葉も曖昧の一種ですね。不正確さによる曖昧さです。ほかにどんな曖昧さがあるか考えてみて下さい。
[アヤ] 私、曖昧って言葉がよくわからなくてどんなことだろうと思っていたんですけど、これも曖昧なんですか?
[先生] そうですね、それは知識が不足していてはっきりしないという曖昧さですね。
[テツ] 先生、”はし”って平仮名で書かれていたときにこれは”橋”を意味すのか、”箸”を意味すのか、または”端”を意味すのか、よくわからないよね。これもって考えてもいいの?
[先生] はい、それは多義性と言われるものですね。このような性質は絵にもあります。同じ絵が、若い婦人に見えたり、老婆に見えたりするというものなどですね。これも曖昧と考えてもいいと思います。
[アヤ] これから振るさいころの目がいくつかというのも曖昧ですよね?
[先生] それは、生起に関する曖昧さですね。確率論で取り扱われきた曖昧さです。
[テツ] 先生、ぼくは西田ひかるが可愛いなと思うんだけど、友達は宮沢りえの方がいいと言うんだ。これも曖昧さってのと関係あるの?
[先生] 関係あります。これは定義できない、定義しても意味がないという曖昧さです。曖昧さは考えていくとたくさんありますね。でも、ファジィ理論で扱っている曖昧さとは今テツ君がいった”可愛いかどうか”などの定義できない、定義しても意味がないという曖昧さのことなのです。”可愛いかどうか”というような人の主観などの曖昧さを数値的に扱うための理論なのです。
[テツ] ぼくは絶対西田ひかるが可愛いと思う!
[アヤ] でも先生、そういうものって科学的じゃないんじゃないんですか?そういう曖昧さをできるだけ取り除こうというのが科学だと私思うんですけど。
[先生] そうですね。この理論が提唱されたとき同じような論議がなされたそうです。従来の科学技術では人間という要素を考えていません。そのため人間という要素を加えたシステムを考えた場合、従来の科学技術では取り扱うことができません。非常に複雑なシステムを厳密に定義し、記述し、モデル化するには莫大な労力を要し、できあがったモデルは複雑すぎて、超大型コンピュータを用いても解析が困難な状態が多々あります。また、原発のような未知の部分が多いシステムを取り扱おうとすると、未知の部分を関係無しとして無視するか、適当な値を仮定してモデル化するしかありません。これではモデル化されたものに対して、厳密な解析を試みたとしても、真の姿を捉えることはできないでしょう。本質と無関係な結果が得られたとしても仕方がないでしょう。曖昧なものを曖昧なままに、未知の部分を未知の部分として扱いたくてもその方法がないのです。そのために考え出された理論がファジィ理論なのです。
[テツ] ふーん。原発は嫌だな〜。
[アヤ] そうなんですか。ファジィ理論って人間を考えた理論なんですね。でも、定義できないという曖昧さを扱うのがファジィ理論ならほかの曖昧さを扱う理論というものがこれから出てくるかも知れないわけですね。
[先生] そうですね。ファジィ理論自体提唱されたのは1965年で、まだ生まれて間もない理論です。ですから、これからそのような理論もこれから生まれてくるかも知れませんね。また、ファジィ理論はまだ完全な理論ではないのです。これから熟成されていくでしょうね。
[アヤ] 先生、どうもありがとうございました。
[テツ] どうもです。
[アヤ] ファジィとはなにかなんとなくわかったような気がします。でも実際それがどのように利用されているかわからないんですけど。
[テツ] そうそう。洗濯機やエアコンなんかにファジィ制御を使ったってCMでやってるよ!
[先生] 今日は遅くなりましたから、それについては明日また考えていきましょう。
[アヤ] 先生、今日はファジィ理論の応用について話してくれるんですよね。
[テツ] 洗濯機とかエアコンはファジィでどう動いてるの?
[先生] テツ君はせっかちですね。まず、ファジィ制御についてお話ししましょう。ファジィ制御とは、いかにも人間が行っているように制御してやろうというものなのです。
[アヤ] 人間が行っているように制御するって、どういうことなんですか?
[先生] 例えば、そうですね、二人は洗濯をしたことがありますか?
[アヤ] はい、母の手伝いでやったことがあります。でも、洗濯機にいれて、スイッチをいれるだけですけど。
[テツ] そうそう、洗濯機がやっちゃう。
[先生] う〜ん、手で洗ったことはないのですか?
[アヤ] そういえば、家庭科の授業でやったことがあります。
[テツ] そうそう、やったやった。よく覚えていないけど・・・
[先生] その時、どのように洗ったか覚えていますか?布の種類、汚れ具合などによって、洗い方を変えたでしょう。その知識を機械にのせるのです。
[テツ] 知識を機械にのせる?
[アヤ] それがファジィとどう関係あるんですか?
[先生] 知識というより、経験といった方がいいかもしれませんね。つまりこの例で言うと、”もし、布質がかたく、かつ、汚れがしつこいのならば、洗濯時間を長くする”というように、”もし〜ならば、…する”という規則を必要なだけコンピュータにのせ、それらの規則を同時にいくつか使って判断させるのです。ここで”布質がかたく”や、”汚れがしつこい”という曖昧な量をファジィを用いて表現します。
[アヤ] それじゃ、もし、布質があまりかたくなく、かつ、汚れがあまりないのなら、洗濯時間を少し短くするというように判断するのですね。
[テツ] 人間が考えてやっているみたい!
[先生] そうですね。ファジィを用いることによって、人間が行うように制御しようというのがファジィ制御なのです。
[アヤ] 先生、その制御を行う規則なんですが、それはどうやって作るんですか?人によって、いろいろな規則が出てくるように思うのですが。
[先生] それは、目的にあった規則を選ぶのだと思います。一般的には、熟練者の知識、経験を規則にするそうです。
[テツ] それじゃ、先生、その熟練者がいない場合はどうするの?規則ができなければ、動かすことはできないよね!
[アヤ] そうそう、テツ君鋭い!
[先生] いい質問ですね。それについては実は様々な研究が行われているところなのです。まだこれだというものができていないのですが・・・。テツ君がもしそういうものを動かすとしたらどうします?
[テツ] うーん、やっぱりいろいろと動かして、どうすれば、どう動くというようなものを覚えていくと思うけど。
[先生] アヤさんならどうします?
[アヤ] 私もテツ君と同じように、とにかくいろいろいじってみると思います。
[先生] つまり、二人とも学習をしていくということですね。それが一つの答でしょう。人が学習するように学習をし、最終的にうまく動かすという研究が行われています。その人間のように学習するというのがニューラルネットワークです。
[テツ] あっ、それもCMで聞いたことがある!
[アヤ] 私も!そうか、ニューラルネットワークって人間のように学習をさせるものだったんですね。
[先生] はい、そうです。より人間に近付いていこうと考えているわけですね。人間を考えた理論がファジィ理論というわけです。
[アヤ] より人間らしくですか。
[テツ] いい加減にではなく、良い加減に動かすというわけか。
[先生] テツ君うまいこと言いますね。そうですね、良い加減にというのがファジィ制御なのです。
[アヤ] 先生、どうもありがとうございました。勉強になりました。
[テツ] ありがとうございました。
[先生] はい、また何かあったらいらっしゃい。一緒に考えてみましょう。
[アヤ] はい。
[テツ] はーい。
よく、魅力ある人とかって聞きますが、魅力って一体なんでしょうか?
まぁ、人を惹かせる何かの力...と簡単に解釈してしまいますが、ではその力とは何ですか?
私の個人的な解釈ですが、他人にないもの(外見だけではなく内面的なものも)を持っている。それは、すなわちキラめいていることだと思うのです。キラめくためには、何でもいいから夢を持ち続けてそれを成し遂げるために努力をすることが必要ですし、その努力こそが他人から見れば魅力に相当するものではないかということ。 あと、もう一つ必要なことが自分をありのままに表現することも重要な要素でしょう。一言で言ってしまえば、躊躇することなく自分をさらけだすことが出来る、ということになるでしょうか。よく、自分をよく見せようとして本当の自分を出さずに、ニセものの自分を出そうとしている人を見かけますが、これはいずれバレることですし、その間自分を偽り続けることによって疲れ果て、いずれ他人との交流が紛らわしくなってくるでしょう。私は、このタイプの人を多数見てきました。そして、その全部が同じ結末を迎えたことは言うまでもありません。いま、もし自分を偽ってうわべだけで生きているのなら、すぐにでもやめましょう。自分をさらけだす、それは大変勇気のいることですし、それなりの決断も必要です。私は、それを強制することはしません。なぜなら、あなたがあなた自身で決めるべきことですから。
そもそも、今年の芦浜キャンプは次の趣意書が、れんこんネットに届くところから始まったのでした。
『芦浜 ピース・キャンプ』趣意書
主催:名もなき小さな会
原発をなんとしても止めたいという皆さんの願いと日頃の行動に共感と尊敬の念を込めて、この誘いを送る。
この度、別記の要領にて、芦浜でのキャンピングを計画した。この機会を家族キャンプなどに利用されんことを。
原発計画地・芦浜は、三重県熊野灘に面した紀勢・南島両町に跨る無人の小さな浜である。原発計画を持ち込まれてより28年、南島町漁民を先頭に、海に生きる人々が体を張って芦浜の海を守ってきた。人々は今も戦いのさなかにある。この、原発に抵抗する人々にとって、芦浜はいわば聖地だ。
かつて四半世紀前南島漁民は輪番でこの浜の監視に立ち、県・電力の魔手から浜を守り続けたという。
そして今も自分ただ一人の意志で、芦浜の海へ船を進めて、森と渚を見守り続ける漁師が一人ならずいる。あるいは、この聖地に立ち戻ることで、漁師はおのが生きる様を見つめ直す時を過ごすのか。それとも戦いの疲れをいやし、再び闘志を取り戻すのか。
私たち原発廃絶をめざす市民もまた芦浜を守りたいと願っている。ならば漁師たちにならって、自らが守ろうとする森と海に抱かれ、想いを新たにする時を過ごそうではないか。
(以下、略)
こんな力強い呼びかけが届いたら、それも、去年たいへんお世話になった三重の人達から届いたとなると「こりゃ、何とかして今年も参加しなきゃー」と思ってしまうというものです。(このよびかけ文の真の目的など、この時の私達には知るよしもない。)
そういうわけで、れんこんネットでは、今年も3人のメンバーが「青春18キップ」を携えて、7月26日の夜、東京駅から大垣行きで出陣したのでありました。
いろいろバタバタしたということはあるものの、3人はうまく東京駅で合流でき、大垣行きの座席も確保して、まずまずのスタートを切ったのでありました。私達の心は、もう芦浜のきれいな海を思い浮かべて、ウキウキでして、会話もはずんで長い夜行列車も何の苦もなく旅は続くのでありました。
悪夢は、名古屋に着いたところあたりから始まりました。
名古屋についたら、なんと、大雨。
電車が止まっているではありませんか。
「何、ほんの通り雨ね」なんて最初は強がりを言ってたものの、新聞を買って天気図を見てみると台風が近付いてきているようだし、天気予報もどうもよくない方向の予測をしてくれているのでありました。
それでも、私達は復旧した列車に乗って、伊勢までついたのでありました。
伊勢で、無事に柴原さんに会うことができ、「いやー、どうもどうも、おひさしぶり」「どうも初めまして」と挨拶もそこそこに、食料の買いだしに出かけました。
伊勢神宮のたたりか、それとも中部電力の呪いか、私達が食料の買いだしを終えたところで、ザーッ。バケツをひっくり返したような雨に見舞われたのでありました。
その後どうなったかということに関しましては、以下に転載する後の二人の報告に示されている通りであります。
結局一日めがすごく天気がよくなかったので、芦浜でのキャンプは断念しちょっとはなれた「にえかさらぎ浜」(だったけ)という芦浜の1/2くらいの浜におちついてキャンプしました。
二日め三日めは晴れたので二日めには反対派の漁師のかたに無理してお願いして芦浜まで漁船でいってきました。飛び込んでおよげばすぐに上陸できるところまでちかづいてもらったのですが、仕事の後に無理してきてもらったこともあって眺めて帰ってきました。
三日めはだらだらと泳いだりして、早めに解散しました
Vanguard
え〜っと、南島町(かさらぎ)キャンプの事は Vanguardさんが書いてる 通りで(詳しくは『放射性れんこん Vol.4』を見よ)、芦浜でキャンプでき なかったことと、淡水の湖(みずうみ)で泳げなかったことは本当に残念でした。しかし、一目でも見ることはできたし、来年も行ってみようという気持ちにもなっているので、悔いは残ってません。来年が楽しみだぁ〜(^_^)
NOM
と、まぁそういうわけなんです。
「伊勢神宮のたたり」とか、「中部電力の呪い」に負けるようでは、まだまだ日頃の修行が足りなかったのでしょうかね。まぁ、来年に向けてまた修行を積むことにしましょう。
私としましては、海でちゃんと泳げたし、社長の奥さんを始めあまり年の違いそうにない女性のみなさまともお話できたし、柴原さんや社長とまた会って話ができたし、その上またまたzippさんの家に行って注連指の空気をすえたから、十分満足できたのでありました。
さらにさらに、下関のコンテンポに行ったし、残ったエネルギーは雲仙・普賢岳にぶつけてきた(詳しくはれんこんネットを見て頂戴)ので、八王子に帰った時には、もう十分伊勢神宮の攻撃から受けた打撃から立ち直っていました。
来年は、何が起こるのでしょうか。
「名もなき小さな会」のみなさん、来年もやるようでしたら、れんこんにだけは声かけてくださいね。
○安心して食べられますか?
日本で初めて食品添加物が使用されたのは明治のはじめ、日本酒の防腐剤として使われたのが最初です。以来、添加物を使用し続け、今日、日本に住む人は1日に約10グラム、1年で約4キログラムもの添加物を口にしています。こんなに食べていて大丈夫なのでしょうか? 無害なのでしょうか?
○「AF2」という添加物
「AF2」という名の食品添加物を御存知ですか。たぶん、知らない方のほうが多いことと思います。それもそのはず、これは '75年に使用が禁止されており、そのため今では聞くことはありません。
この添加物は優秀な防腐剤として、魚肉ハム,ソーセージやいろいろな食品に使われました。それはその時代、日本人の体格の向上には動物性たんぱく質が必要であり、そのためには豊富な魚資源を若者に人気のある食品に加工しようという背景がありました。そして、それを大量生産し長期保存するためには防腐剤が不可欠だったのです。
AF2の殺菌能力。それは、雑菌やバクテリアの遺伝子を切断し、増殖する能力を奪うことでした。しかし、これは雑菌だけの遺伝子を破壊するなどというわけがなく、食べた人間の遺伝子をも破壊するのです。つまり日本人は、これを食べた日から今までの遺伝情報を捨てた、と言っても過言ではないでしょう。
○危険が野放しに
さて、こんなにも危険なものですが、実際に危険性(変異原生)が発見されたのは禁止される2年前のことだったのです。なぜ、2年もの時間がかかったのかといいますと、それは厚生省が危険と認めなかったからなのです。
厚生省は、AF2の変異原生実験の結果だけではこれの発ガン性があるかどうか分らない、といった理由で禁止せず、その上、これは安全だというパンフレットを作って食品業者にばらまいたのです。結局はAF2を大量にネズミに与えたところ、ガンが発生したため禁止になりました。ネズミにガンが出来ていなかったらその後も使われ続けたのでしょう。
○今は安全なのか
AF2の話は過去のこと。そうでしょうか。実は現在も状況は、つまり、厚生省の考えは変わっていない。いえ、以前よりもひどいのかもしれません。
例えば漂白・殺菌剤の過酸化水素には発ガン性があることがわかっていますが、禁止すると被害を被る業者が膨大になるため、結局は食品に残留しないこと、という制限を付けて使用を許可しています。でも、全部の食品の残留を検査することは出来ません。残留している食品が私達の口に入っているかもしれません。
さらに、プロピレングリコールという添加物。これは生麺などの保湿・保存性を持たせるのに使用さていますが、肝臓障害を引き起こすと言われておりドイツでは使用が禁止されています。しかし日本では使用制限はありませんでした。このため、過酸化水素が使えなくなったメーカーは大量にプロピレングリコールを使いはじめました。さすがの厚生省も使用量の制限基準を設けましたが、これもまた甘い基準で、1日にうどん2つを食べれば簡単に許容制限を越えてしまうのです。
厚生省は人々の安全よりもメーカーの利益を上げさせることのほうが重要と思っているとしか考えられません。
○そして今後は?
このように危険な物質が蔓延しているというのに、益々危険な物質が増えていきます。チェルノブイリの影響で放射性物質に汚染された食品、そして輸入されてくる穀物には大量の農薬が。これら全てが認められています。そして、今後も制限がされる気配はまったくありません。人々の命と引き替えに利潤を追及している日本の企業、政府。これで良いのでしょうか・・・
まずは皆さんも、今、自分が食べているものに含まれている添加物、汚染物質について調べてみませんか? そして、危険について考えてみましょう。みんなが危険に気付けばこれらを減らすことができるかもしれませんから。
○余談ですが・・・
「ティラミス」というお菓子が流行っていたようですが、あれって安全なんでしょうかね。原料はイタリア産のマスカルポーネというチーズなのですが、私はヨーロッパのチーズはいまだに食べたくありません。理由は明白、チェルノブイリの影響が恐いからなのです(^^:)
文責:McOtto(まこと)
あれは、去年の冬だったか..。ちょうど、私の2?歳の誕生日を迎えこれからの人生をどう過ごすか、それこそ真剣に思考していた時だった。それと時を同じくして私の快楽の生活を脅かすある事件が勃発した。私の快楽、それはネットワークを通じて顔知れぬ相手との会話を楽しむことであった。画面にスクロールするメッセージを読み、こちらの返事を返す。それは、普通のおしゃべりのようにとめどもなく続いた。無論、それだけが私の快楽という訳では無かったが、祖先がドラキュラ(真相はどうか知らん!)である私にとっては、静寂だけの夜長を過ごすための唯一の手段であった。おそらくは、私のお相手をしてくださった方も、もしや私と同類ではないだろうか???
そんな、ごく平凡(どこが平凡なんや〜〜コラ〜〜)な生活であったが、私にとって明日への活力とでもいうべきか、何かしらのエネルギー源だったに違いないと思う。事実、それが生活のリズムに組み込まれ、たとえ熟睡していてもその時間ともなるとムクッと起き出し、おもむろに端末の電源を入れる。その間、自分では意識がない(もしかすると、これは夢遊病だったのか?)。やがて、相手のホストにコネクトしオープニング・メッセージが画面を流れ出すとき、ようやく自分のはっきりした意識でキーを叩く。これが、自宅でなく別の場所だったらと思うと恐ろしくなる。(他人が見たらそれこそ、病院行きだった違いない。)
そんなごく平凡(おいっ、だからどこが平凡なんだよっ)な生活に、突如として危機が訪れた。それは、全く予期し得なかったことだった。まさに、断崖から身を投じる、そんな衝撃が私を襲ったのである。
1枚の辞令、それはいままでの快楽の場所であった館を捨て、別の館に移れとの通達であった。ドラキュラとはいえ、人間社会にとりあえず服従している私は、この通達に「ノー」とは言えなかった。(やっぱ、いえないよな〜〜)そうこうしているうちに、転居の日が訪れた。その日は、うらめしい程の晴天で降り注ぐ灼熱の陽に、体力を著るしく消耗してしまったのはいうまでもない。(ただ、手伝いにきてくれた女の子の後ろ姿に、ある一部分だけが妙に元気だった...。←この解釈は勝手に)ようやく、転居の作業が終り、私を迎え入れた新居(こういう表現は、新婚の時かな?)は、賛嘆たるもので、およそ原始的な生活を余儀なくされるものであった。いままで、当然だと思っていた電話はおろか、電気がこたつ分しかとれない..。まさに、タイム・スリップの感覚である。もし、タイム・スリップを体験したいという読者がいれば、その時代を越えた体験を無料で堪能させてあげようではないか...(但し、その後どうなるかは 当方は一切関知しないからそのつもりで..)
かくて、それから私の空白の10ケ月が始まろうとしていたのである。
(当然のことながら、本人はアクセスが出来ないという 目に見えぬ苦悩の始まりであったとは知るよしもなかった......。)