1994.10.26 発行
1 なぜもんじゅ判決なのか
1992年9月22日に、高速増殖炉もんじゅの設置許可処分の無効確認訴訟の判決があった。原発・核燃料に正面から関係する最高裁判所の判決には、1992年10月29日の伊方原発訴訟と福島第二原発訴訟の判決もあるが、ここでは、プルトニウムを燃料とする原子炉であるもんじゅの判決について書いてみたい。
1983年5 月27日に、動力炉・核燃料開発事業団にたいして、内閣総理大臣は、「もんじゅ」の原子炉設置許可処分をした。この処分には重大かつ明白な瑕疵があるとして、その無効確認判決を求めて福井県民が、1985年に訴訟を提起した。第一審の福井地方裁判所は、その訴えを訴え自体が不適法であるとして却下した。「重大かつ明白な瑕疵がある」とは認められないから棄却というのではなくて、その判断の入り口のところで、福井県民側は、負けたわけである。
福井県民側は福井地方裁判所の判決の取り消しを求めて控訴したが、控訴審の名古屋高等裁判所金沢支部は、それでよかったとして控訴を棄却した。ここで上告したところ、最高裁判所は、名古屋高等裁判所の判決を誤りだったとして破棄し、第一審の判決を取り消して、訴訟を福井地方裁判所に差し戻した。これで、福井地方裁判所で、振り出しからやり直すことになったわけである。
だから、それなりに、良い結果の判決だったわけだ。でも、その理由とするところを読むと、ちょっと考えてしまう。
そこで、次に、最高裁判所の判決の理由をまとめて書く。
2 最高裁判所の判決の理由
原審は、「上告人等は、本件設置許可処分の無効確認を求めるにつき、行政事件訴訟法36条所定の『法律上の利益を有する者』に該当せず、結局、本件訴えは同条所定の要件を欠き不適法であるとして、上告人らの控訴を棄却した。」
しかし、行政事件訴訟法36条所定の『法律上の利益を有する者』とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであり、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も右にいう法律上保護された利益に当たり、当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟における原告適格を有する者というべきである。
行政事件訴訟法第36条
無効等確認の訴えは、当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り、提起することができる。
核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(以下『規制法』という)23条に基づく許可申請は、
「主務大臣は、右許可申請が同法24条1項各号に適合していると認めるときでなければ許可をしてはならず、」
「また、右許可をするにおいては、あらかじめ、同項1号、2号、及び3号(経理的基礎にかかわる部分に限る)に規定する基準の適用については原子力委員会、同項3号(技術的能力にかかわる部分に限る)および4号に規定する基準の適用については、」
「原子力安全委員会の意見を聞き、これを十分に尊重してしなければならないものとされている。(24条)」
「原子設置許可の基準として、右の3号(技術的能力にかかわる部分に限る。)及び4号が設けられた趣旨は、原子炉が、原子核分裂の過程において高エネルギ−を放出するウラン等の核燃料物質を燃料として使用する装置であり、その稼動により、内部に多量に人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、原子炉を設置しようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉設置の安全性が確保されないときは、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で、原子炉を設置しようとする者の右技術的能力の有無及び申請にかかる原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性につき十分な審査をし、右の者において所定の技術的能力があり、かつ、原子炉の施設の位置、構造及び設備が右災害の防止上支障がないものであると認められる場合でない限り、主務大臣は原子炉設置許可処分をしてはならないとした点にある。そして、同法24条1項3号所定の技術的能力の有無及び4号所定の安全性に関する審査に過誤、欠落があった場合には重大な原子炉事故が起こる可能性があり、事故が起こったときは、原子炉に近い住民ほど被害を受ける可能性が高く、しかもその被害の程度はより直接的かつ重大なものとなるのであって、特に、原子炉施設の近くに居住する者はその生命、身体等に直接的かつ重大な被害を受けるものと想定されるのであり、右各号は、このような原子炉の事故等がもたらす災害による被害の性質を考慮した上で、右技術的能力及び安全性に関する基準を定めているものと解される。右の3号(技術的能力にかかわる部分に限る。)及び4号の設けられた趣旨、右各号が考慮している被害の性質等にかんがみると、右各号は、単に公衆の生命、身体の安全、環境上の利益を一般的公益として保護しようとするにとどまらず、原子炉施設周辺に居住し、右事故等がもたらす災害により直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民の生命、身体の安全等を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むものと解するのが相当である。」
「上告人らは本件原子炉から約29キロメ−トルないし約58キロメ−トルの範囲の地域内に居住していること、本件原子炉は研究開発段階にある高速増殖炉であり」
「その電気出力は28万キロワットであって、炉心の燃料としてはウランとプルトニウムの混合酸化物が用いられ、炉心内において毒性の強いプルトニウムの増殖が行われるものであることが記録上明らかであって、かかる事実に照らすと、上告人らは、いずれも本件原子炉の設置許可の際に行われる規制法24条1項3号所定の技術的能力の有無及び4号所定の安全性に関する各審査に過誤、欠落がある場合に起こり得る事故等による災害により直接的かつ重大な被害を受けるものと予想される地域内に居住する者というべきであるから、本件設置許可処分の無効確認を求める本訴請求において、行政事件訴訟法36条所定の『法律上の利益を有する者』に該当するものと認めるのが相当である。」
核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律 第23条
原子炉を設置しようとする者は、次の各号に掲げる原子炉の区分に応じ、政令で定めるところにより、内閣総理大臣、通商産業大臣又は運輸大臣(以下この章において、「主務大臣」という。)の許可を受けなければならない。
一 [略]
二 [略]
三 [略]
四 研究開発段階にある原子炉として政令で定める原子炉 内閣総理大臣
[以下略]
第24条
主務大臣は、第23条第1項の許可の申請があった場合においては、その申請が次の各号に適合していると認めるときでなければ、同項の許可をしてはならない。
一 原子炉が平和の目的以外に利用されるおそれがないこと。
二 その許可をすることによって原子力の開発および利用の計画的な遂行に支障を及ぼすおそれがないこと。
三 その者(略)に原子炉を設置するために必要な技術的能力および経理的基礎があり、かつ、原子炉の運転を的確に遂行するに足りる技術的能力があること。
四 原子炉施設の位置、構造及び設備が核燃料物質(使用済み燃料を含む。以下同じ。)、核燃料物質によって汚染されたもの(原子核生成物を含む。以下同じ。)又は原子炉による災害の防止上支障がないものであること。
3 もんじゅ判決にたいする感想
憲法76条1項2項からは、行政事件についても裁判所は司法権の行使として審査をすることができ、人がその審査を求めることができることは憲法32条の裁判を受ける権利で保障されている。
しかし、現在のところ、行政事件についていかなる手続きで争うかは、行政事件訴訟法に定めるところによらなければならないものとして裁判がなされている。
そこで、もんじゅ訴訟では、内閣総理大臣のなした原子炉設置許可処分の司法判断を得るために、行政事件訴訟法の無効確認訴訟を原告は起こしたわけである。
この訴訟では、当面、原告適格の存否が争点となった。原告適格とは一つの法律用語である。例えば、「甲土地の所有権は、Aさんにある。」ことを認めろといって、Aさんが、甲土地をめぐって日頃争っているBさんに対して、訴訟を起こして、裁判所からそのことを確認する判決をもらうことはできるだろうか。
これは、できると一般に考えられている。これに対して、「甲土地の所有権は、Aさんにある。」ことを認めろといって、Aさんではなくて、まったくの関係の無いCさんが、Bさんに対して、訴訟を起こして、裁判所からそのことを確認する判決をもらうことはできるだろうか。
これは、Bさんにとって単なる迷惑であり、Cさんの法律上の利益にも関係しないし、裁判所にとってもほかの仕事の邪魔になるだけだから、こちらのCさんは、裁判所から判決をもらうこともできないし、「甲土地の所有権は、Aさんにある。」と主張したり証拠を提出したりして審理を受けることもできないと考えられている。
こういった問題が、原告適格の名で扱われる。行政事件訴訟法の無効確認訴訟では、「当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」との言葉で、原告適格が規定されている。
この「当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」をどう判断するかについて最高裁判所が述べたことが適当だったかについては、考えなければならないことはたくさんあるだろう。しかし、そうであっても、最高裁が、法律上の利益を判断するにあたって、原子炉の設置許可処分について定める核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律のたんなる文字面だけからではなくて、原子炉が実際に運転されたときに「災害」または「事故」がおきたらどうなるかという具体的事情を考慮したこと自体は基本的にはいいことだったとおもう。しかし、具体的事情を考慮して判断したことはよかったけれども、原子炉が設置されることで生じる問題は、「災害」または「事故」にとどまらず、なんでもない平常の「運転」時にもあるはずである。もんじゅの燃料となるプルトニウムの生産、もんじゅまでの輸送、もんじゅの燃え残り燃料の再処理、放射性廃棄物の保管の各過程で、生じうる人の生命身体に対する危険は見過ごせない。こういった「運転」時の具体的事情も原告適格を判断するときに考えにいれられるべきだし、更には、総理大臣の設置許可もなされるべきであろうし、司法判断もなされるべきであろう。
また、最高裁判所は、「本件原子炉から約29キロメ−トルないし約58キロメ−トルの範囲」の外に住んでいるものが訴えを起こした場合には、原告適格を認めるだろうか。もし、「事故」がおきれば、もっと広い範囲に住んでいる人に被害が及ぶのではなかろうか。この点、もんじゅ訴訟の原告は本件原子炉から約29キロメ−トルないし約58キロメ−トルの範囲」に居住しているものであったから、判決は、「本件原子炉から約29キロメ−トルないし約58キロメ−トルの範囲」に居住する者なら可といっただけで、別に、58キロメ−トル以外の者は不可との趣旨では無いと読むのが正しいのだろう。判決理由も、判決のいう「原子炉の設置許可の際に行われる規制法24条1項3号所定の技術的能力の有無及び4号所定の安全性に関する各審査に過誤、欠落がある場合に起こり得る事故等による災害により直接的かつ重大な被害を受けるものと予想される地域」を、もっと広い範囲で認めことはできないとは言っていない。付け加えていうと、そもそも、一般に、判決で、数値について述べているところは、先例として尊重すべきではないであろう。判決が、先例となるのは、前の事件と後の事件とで公平な扱いをなすためであって、裁判所の先の判決が後の事件で先例となるかどうかは、2つの事件を比べて合理的な区別がなされうるかにより、決められるべきものである。裁判所は、法律を作るが如くに、あらかじめ、すべての事件に適用する一般的準則を立てることは仕事とすべきではない。もんじゅ判決でも、先例となりうるのは、その判断方法であって、 「本件原子炉から約29キロメ−トルないし約58キロメ−トルの範囲」という点ではない。
みなさんは下の絵のような二人がけの机で誰かと並んで勉強した経験はありますか。私には、二人がけの机の話になると、どうしても思い出してしまう苦い経験があります。
E子さんは私に向かってにっこり微笑んで「私たちも、これで2回目よね」と言いながら、何かを先生に主張しようとする気配は全く見せませんでした。あきらかに、E子さんは私と2回目に隣に座れることを喜んでくれているのでした。
その時、何を血迷ったか私は手を挙げて、「先生、僕はE子さんと2回目です」と言ってしまったのでした。
E子さんの顔には深い失望の表情が現れました。私は全然好きでもない女の子の隣に席を移っていくのでありました。
あー、素直に自己表現できない男の子やあわれ、なのでありました。
私が教室の中で二人がけの机に座る生徒を演じる中で何かを回想するなら、今でも鮮明なイメージを伴って思い出せるこのシーンしかあるまいとシミジミ思うのであります。
(挿し絵に合わせて、「パッシュ ワリワリ」を見たことを何か書こうと思って悩んだあげく、こんな話になってしまいました。芝居の紹介を期待した人、スイマセン。)
芦浜キャンプを終えて、参加した人から手紙が届きましたので、その紹介をします。
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今回芦浜キャンプの参加者の中では、芦浜に一等近い所に住んでいるというのに、芦浜についてよく知らないのは淋しい。もっと淋しいのは芦浜でキャンプしたと話すと、「ああ、原発ができるとこ」とか「何かいいものあった?」という周囲の反応である。ウミガメやハマナツメのことを口にしても、ピンとアンテナを張ってくれる人は少ない。
キャンプ以前に友人の家族を誘って芦浜を訪れたのだが、「心が洗われるようだ」と言ってくれた。ここに連れてくることによって、その人となり、意識の流れもくみとれる気がする。
5歳の息子が昆虫好きなことも手伝って、ひとつ子供に託す想いは、自分たちが行きてゆける環境を守ることに力を注いでほしいということ−−虫が生きられない世界では人間も暮らしていけないという自然の生態系を理解していってほしい。
そういう気持ちからキャンプに加わったものの、重い荷物を背負っての山道は、リハビリ中の夫や下の3歳の子には少しハードだったようだ。けれどもし芦浜が車で簡単に行き着ける所なら、触覚も働かなかっただろう。
時間をかけるという現代社会に退行する生活が芦浜キャンプにはある。私は幾度も水くみ場に足を運んだ。単的に食のためではあるけれど、水くみの回数が少なくなる頃キャンプが板についてくるだろう。TVや冷蔵庫まで持ち込んだりするオートキャンプでは得られない、どろくさいまどろっこしさの中にこそエキサイティングな自然が眠っている。ここへ来るまでの少しの辛さが解放につながっている。
しかし、この手つかずに近い芦浜にも人間のエゴは押し寄せて来ている。浜に打ち上げられたゴミが危機を予感させる。またキャンパーたちによって川が汚されていると聴くが、キャンプには熱心でもエコロジーには無関心という人間はいくらでもいる。自分にはやさしいが他人にはやさしくないという人間もいくらでもいる。「地球にやさしい」というコピーもどうも嘘くさくて私は嫌いだ。やさしい開発なんてある訳ない。果して自分たちが生きているだけでこの地球の自然に対して加害者になってしまっているという紛れもない事実をつきつけられた気がする。
町にいるよりははるかに孤独感のないこの芦浜で、これからもただぼんやり海をながめることができるように祈りたい。
大西 直美
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私は芦浜へは個人的に何度か行っていますが、2泊3日の本格的キャンプは初めてでしたし、大勢でキャンプすることも初体験で、たいへん楽しい思い出となりました。大勢だったので気後れせず芦浜の海や池で泳ぐことができました。今まで、芦浜で泳いだ事はなかったのです。
今年の夏の異常なまでの暑さにはまいりましたが、目前の海や池で泳げる事はたいへんありがたかったです。海水も池の水もぬるく感じ、全然冷たくなかった。私は池で泳ぎながらしじみを採りましたが、錦から船で芦浜へ来る漁師さんたちのように、一度首まで池につかってしじみ採りをしてみたかったので満足でした。
夜の浜辺で大勢で明かりを取り囲み、遅くまで語り明かした事も、いい思い出になりました。明かりに向かって砂の中からうじゃうじゃはいだしてくるだんご虫を見て、砂浜にあんなに沢山だんご虫がいることを初めて知りました。(あの晩だんご虫を観察した結果、だんご虫は「風の谷のナウシカ」のオームの原形であるという確信を持つ人も何名かいたようです。ところであの虫の正式な名称は本当に「だんご虫」なの?)
芦浜へ行った事のない人のためにちょっと説明をします。三重県度会郡南島町と紀勢町の間に位置する芦浜海岸は、三重県独特のリアス式海岸線の例にもれず海と山が隣接していて風土は温暖、日本の三大漁場のひとつである熊野灘に面していて沖合いは恵まれた漁場になっています。山に囲まれていて人里離れた孤立した海岸であることと、海のすぐそばに池があることが地形的特徴ですが、それら地理的条件と、きれいな山のわき水に恵まれていることなどからキャンプにもってこいの場所です。
芦浜池は山の清水が絶えず流れ込む美しい海跡湖です。普段は砂浜で海と遮断されていますが大雨の後、池水が増えた時は池と海がつながる事もあります。池水は薄い塩水で、大きなしじみが沢山採れます。もちろん芦浜の海や池では魚釣りもできます。 現地調達の食料で料理をするのもキャンプの醍醐味のひとつです。(キャンプの朝のしじみのみそ汁はおいしかった。)芦浜には魚や貝、海草や山菜などチャレンジする材料はたくさんあります。たぬき汁やボタン鍋、キジ料理、野ウサギの丸焼きなどに挑戦する人も現れるかもしれません?!(とにかくたぬき、いのしし、野ウサギ、キジなどはしばしば姿を見ることができます。) 芦浜は蝶やトンボ、セミなどの昆虫もいっぱい、さまざまな鳥の声も耳を楽しませてくれてバードウオッチングにも適し、自然を満喫できます。誰が始めたのか知りませんが、初めて芦浜でキャンプした人は偉い。(何十年か前は芦浜に人家があり人が住んでいたそうですが、人里まで山道を歩いて1時間以上かかるこの陸の孤島によく人が住んでいたと感心します。)
それら、芦浜の活き活きとした豊かな自然にいよいよ破壊の危機が迫っているなんて、信じられないようなことです。しかし今年は本当に危機的な状況に直面しつつあります。原発建設のための芦浜周辺の環境調査が行われるのは、この秋頃ではないかと推測されています。環境調査すなわち海洋調査が行われてしまったら、原発が建たなかった例は無いそうです。
あの、しじみたちが呑気にひなたぼっこしに砂の上に顔を出し(そしてすぐおみそ汁の具にされてしまう)、ハゼやコイやボラがピチピチ跳ね、無数のトンボが産卵しににぎやかに飛びかう池が埋め立てられて何もなくなってしまい、かわりに放射能と熱を吐き出すコンクリートのお化けが建ってしまったら・・・・!?
芦浜に原発建設計画が刻一刻と迫り来る今、芦浜の自然を私たちはどう見守ったらいいのでしょう。
Foo
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国が定めた「原発の立地審査の指針」には、原子力発電所の立地条件として「低人口地帯であること」とどうどうと書かれています。国や電力会社は「原発は安全だ、安全だ」と力説するけれど、本当ははっきり「事故が起こる可能性がある」と考えているわけで、事故が起こったとき被害が少なくてすむように人口の少ない田舎に原発を建てようとするわけです。電気を必要としているのは人口の多い都市部なのに。そういう理由で原発予定地として狙われる場所はいつも、人里離れた、自然環境の豊かな所となります。
ここ、芦浜(あしはま:三重県度会郡南島町・紀勢町)は中部電力による原発建設予定地となっていますが、やはり貴重な自然の残っている場所で、山に囲まれた水も空気もきれいな海岸です。もちろん、トイレや自動販売機なんてものはひとつもなく、野生動物や野鳥、昆虫や植物などがあるがままに生息出来る自然の王国です。
私は「放射性れんこん」の紙面をお借りして、芦浜の四季を語らせていただくことにします。芦浜が永久に変わらないことを願う祈りを込めて。まず、芦浜の秋から語ることにしましょう。秋も深まった11月、晩秋の芦浜です。
晩秋と言っても、紀伊半島南部、黒潮流れる熊野灘沿岸の芦浜の気候は温暖で、あまり寒さを感じません。天気のいい風のない日はまったく快適です。日差しがぽかぽか暖く、透明で清涼な空気は朝の光をたたえ、緑と潮騒に包まれた芦浜の自然は水晶のように輝いています。人間の気配は全くありません。さまざまな野鳥の声が天国の音楽のごとく済みきった空に響きわたります。聞き入ると、日常のすべてのことが一瞬永劫の彼方に消えてゆくように感じられます。秋の芦浜は光に満ちていて静かです。
めっきり数が減ったとはいえ、11月の芦浜ではまだちらほらと蝶やトンボの姿を見ることができます。夏の間群れをなして芦浜を飛び回っていたオレンジ色のアキアカネは、秋が深まるにつれ腹部が真紅に染まり、産卵を終えて死んでいき、残るものはもう少しだけになりました。生き残っているアキアカネが池の傍の枯れ草にとまって目玉をくるくる回しています。あの、むせるような夏、仲間たちといっしょに浜辺や池の上で、空は我がものとばかりに飽くまで飛び回った往時の思い出にしばしひたっているのでしょうか。
蝶やトンボの仲間には、夏飛び回ったあとその年の秋に死んでしまうのでなく、次の春まで越冬するものがいます。ウラナミシジミは越冬する蝶で、霜の降らない暖かい地方で冬を越し、新たな春を迎え、梅雨前線の南風にのって移動するのです。道端で一休みしているウラナミシジミを見つけましたが、夏の間元気一杯飛び回りすぎたのか少し羽が破れています。暖かい日だまりの小さな花の上にとまって蜜を吸っています。おそらくここで冬を越すのでしょう。
海のすぐそばの芦浜池では、秋から冬にかけて、北から渡ってきたマガモの20羽程の群れが遊泳する姿を見ることができます。用心深いマガモは人が近づくとすぐに一斉に飛び立ってしまい、なかなか近寄ることができません。(芦浜池のマガモの中には、渡りが面倒くさくなったのか、一年中芦浜に居ついてしまっているものがいます。)
しばしば、カモ撃ちのハンターが大きな猟犬をつれて芦浜池を訪れます。ハンターのいる日に芦浜へ入ると、鳴り響く銃声にギョッとすることがあります。流れ弾に当たったりしたらかなわないので池に近づく気になれません。なにも芦浜までカモ撃ちに来なくたっていいのに、とこぼしたくなります。
池の周辺のハマナツメは葉を落とし、空気が肌寒くなり、芦浜は冬へ入っていきます。芦浜のハマナツメは、天然記念物級の貴重なものですが、それについては次回語ります。
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芦浜キャンプ後の報告を、通信上で書き込みのあったものから紹介してみたいと思います。去年も同じ様なものを書いたような気がするけど!気にせずに書くことにします。
8/9 11:41pm どいの
そうなんです。今年は、「猛暑」、「水不足」がキーワードでしたが、昼間、容赦なく照り付ける太陽には参りました。しかも、どいのさんの乗るどくんごのバンは、クーラーが故障してしまったようで、その猛暑に窓全開の車だったのですねぇ。
8/11 12:52am zipp
「タープ」というのは、天井だけの巨大なテントと考えて下さい。このキャンプで使ったのは、大体四畳半くらいの大きさでした。日中は、照り付ける日差しを避けるために人が密集していました。
8/11 8:28pm 寺尾 淳
寺尾さんは体を焼きすぎて、皮膚病になってしまい、キャンプ後二週間も苦しんでしまったそうです。いっきに肌を焼くと大変な目にあってしまいます・・・。
8/12 1:02am テンダ−28
8/14 6:43pm 加納正和
今年の芦浜キャンプは、ハマナツメの植林が至る所に点在して、これまでとは違った雰囲気がありました。確かに。ここでは紹介しませんでしたが、加賀さんの言う「芦浜で初日の出」というのも、ぜひやってみたいですね。現在の芦浜の状況は、嵐の前の静けさといったところではないでしょうか。今度の正月も、その次の正月も、ずうっと静かであって欲しいものです。
皆さんこんにちは。久しぶりに、文章書かせてもらってますあやこでございます。え、お前誰だって? 以前は「びとこ」でしたので古い号をお持ちの方は、引っ張り出して見ていただくとよろしいかと。
今年の夏は暑かった。雨も降らない東京砂漠。なのに、オレのまわりでは「土砂降り」だとか「氷河期」だとか、やけに涼しい話題で盛り上がっていた。いま思えば背筋も凍る、危ない橋を渡っていたこの夏。神保町に人生劇場というパチンコ屋があるが、これは人生という劇のプロローグについての話だ。ま、それほど深刻になるものでもないが。
就職活動ってなんだ?
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ご縁がありましたら...
就職戦記
(1)就職情報誌。もともと、あの江副さんが始めたものらしい。それなりに読める。オレはつかこうへい氏の連載が好きだった。
やってはみたのの・・・と言う人に
「パソコン通信」一般に関してだったら、最近の本屋さんに行けば結構詳しく説明が載っていたりします。特に、PC-VANや、NIFTY Serveなどの「大手(商用)」ネットワークへのつなぎ方、操作方法はかなりありますので、自力でもどうにかなる部分もあります。
ドスとマック、そしてモデム
大別すると、
1. NECのPC-98シリーズ・パソコン、またはEPSONの互換機パソコン
の三種類に分けられますが、多分パソコン通信をはじめようと思っている人は、いずれかのパソコンを持っていると思います。
乗り越えるハードル
ネットを散歩する
このままじゃ、やってられないー
ドスとHMA.exeの場合
マックとmmmOffWorksの場合
努力、根性、忍耐?
'94芦浜キャンプ 通信上での感想
ひさびさにいい空気の中で身体を動かしました。芦浜に到着してテントを張り終えるころに頭痛がかなりした。今思い起こしてみると、前日の移動中の熱風による熱射病症状だったのではと思えるのでした。
車の渋滞には辟易したけど、芦浜は楽しかった。池が極楽でした。ぷよぷよしきっておりました。表面の水はとても暖かく、少し深いところの水はとても冷たかった。足先だけがひやーっこくて。
もんのすごい筋肉痛がやってくるかとおもいきや、さほどのことはなく、わたしは内心ホッとしてます。いつかは、先乗りして一週間とかの長期キャンプを・・・と思うのでした。
この芦浜キャンプ期間中の参加者は、どいの、時折、いまいいまい、さつき、新太、健太、田代、Eggs、レジN、加賀山、加納、KJ、ガサ子、河内丸、つとめてCon、テンダー28、アオサギ、寺尾、涼、かすみちゃん、わかつき、大野、社長、社長令嬢、大西一家(4人)、横尾一家(4人)、早川しょうこ、あいかわ、zipp(順番ハチャメチャ、敬称略)以上35人でした。
今回初めて芦浜にタープという新兵器を持込み炎天下に対応したのは、タダシイ判断であった。
タープの構成物である支柱を杖の様に扱って山道を歩くのに利用すれば、それは「重い荷物」から「道具」となる。そしてタープ本体である布は、大した重量ではない(安物は重い!が)。また、夜テントの中で寝るよりタープ下で寝る方が心地良かったとも聞いている。なまじっかテントを持って行くよりタープを持って行く方が良いのかも知れない。ただし、今回のように余り蚊に悩まされない場合に限られるとは思うけど。
感想としては、
・もっと海で泳ぎたかったこと
・自炊すると、カップめんやカレーばかりになって偏ること
・時計が壊れて迷惑をかけたこと(ごめん)
でも、海を見ながら寝るのはいい気分でした。
太陽電池ではラジオぐらいしか使えないから
次は、風車を組み立てて風力発電に挑戦したい!
私は今、キンカン小僧になってます。パワーアップされた蚊、アブにやられたようで痒くてどうしょうもありません。
私が東京から脱出するとき、こんな暑い所とおさらばじゃーあとはもっと暑くなっちまえと不謹慎な捨てゼリフ。バチが当たったんでしょう、青森も暑い。暑くて痒くて。
芦浜で自己満足してきました。なんしろ原発のことなんかよく知らない(原理を説明出来るかどうかも不明)私ですから、ピンと来るはずもない。ただ芦浜で遊んで来て、楽しい事といえば
(1)池で泳いだ
(2)星が富士山の頂上並みにきれいだった
(3)行きと帰りに飲んだ「お水」(私はビールがさほど好きではないのと、強くないのでほんとにお水です)がえらくうまかったことでしょうか。
正直いって、さっさと原発が作られるべきかもしれません。でないと私は居着いてしまうかも^^;
#危なかったりして。
また、最近、全国の原発建設線表は、長期化する傾向があり、大幅な修正を強いられているという。現地での根強い反発がその理由とされていますが、地元住民を人としてみず、金さえばらまけば人は動くという、無謀な計画をたてた結果だということは、分かりきった事実だ。電気は必要とされるだけ、何かを消耗してしまうことを忘れてはいけない。
バイト女は今・・・
さて、私も大学生になりまして、人並みにアルバイトなんぞに精を出しているわけです。しかし、うちの大学は貧乏学生がうじゃうじゃおりまして、都心部辺りの派手系大学生とは、基本的にバイトの目的が違うのですね。生活費や家賃、学費などを稼いだりしている人がほとんどでしょう。私もあんまり切羽詰まってないけど、似たようなもんです。大学生にもなって、親のすねをかじってちゃいけません。
さて、今回は、私のバイト遍歴と、変わったバイトでも紹介していきましょう。
私が今までやったものを古い順にならべますと、年賀状の仕分け、スーパーの棚卸し、交通量調査、番組観覧、サンプル配り、馬券場です。最後2つは現在進行形ですが。あちこち探しまわっている割には、意外と職種が少ないのは言わずと知れた就職難のせいですね。これはアルバイト人にも多大な影響を及ぼしてます。つい最近、日刊だったアルバイト情報誌、anが週3回発行に変わってしまいました。しかもペラペラです。特に私の住んでいる日野付近なんて、新宿辺りの半分も求人がないです。なんとも困ったことになっております。
バブル全盛期は、私はようやくバイトができる年になったぐらいのことなので、あの頃の求人状況は良く覚えてないけど、少なくともanは2cmは厚みがありましたね。まあ、あの頃が異常だったんでしょうけど。
で、私は寒い中、毎日年賀状の仕分けなどをしておりました。これはやった方も多いでしょう。当然時給はたいしたことないです。で、面白かった事と言えば、人の年賀状を見られる事ですね。なんとも趣味の悪い高校生ですね。しかし、読む分には全く問題ないんですけど、それを人に言っちゃあいけないんですよ。しかしせっかくですので、問題ない程度にお教えしましにおりましたが、そこ宛に熱烈なファンレターをお書きになっていた方がおりました。私が恥ずかしくなってしまいました。あとは、けんかの詫び状なんてのもありました。どうなったんでしょうね。
さて、3年経ちまして、今は毎週末馬券場で働いております。時給はびっくりするほど高いです。なのに、かび生えちゃいそうなくらい暇です。世の中間違ってますね。何号か前に、競馬の話が載ってましたが、あれはなかなか面白かったですね。と、同時に、損してる人は5万といるんだよなーと思ってしまいましたね。毎週毎週、どっからそんな金を持ってくるんだと思ってしまいます。少しは客に還元してあげりゃいいのにと思う反面、じゃんじゃん買ってJRAの肥やしにしてくれとも思っちゃってるのが恐いです。
私の話はそんなところでいいでしょう。で、世の中にはいろいろおいしいバイトもあるわけです。
やったバイトで、香水会社の製品についての紹介を聞いてるだけで数千円、しかも交通費とおみやげ付き、なんてのもありました。
あと、ほんとにあったのかどうかは分からないけど、骨折実験のバイトなんてのも聞いたことありますね。病院で麻酔をかけて、腕を複雑骨折させて治療の研究をするんだとか。それで50万だそうな。
そういうわけのわからんバイトは、大抵人づてで情報が入ってくるようで、求人誌を見ててもあんまり変わった仕事はないんですよね。せいぜい遺跡調査くらいかな。
皆さんも、アルバイトができる立場にあったら、いろんなことをじゃんじゃんやってみることをお薦めします。お金が入ってくるのもうれしいけど、それだけじゃないですものね。で、こんな変なバイトがあったとか、これ以上おいしいバイトはない、なんてのがあったら、是非とも教えて下さい。では。
就職戦記’94夏
就職活動ってなんだ?と考えてみると、これは意外と定義が難しい。とりあえずオレも人並みにリクルートの就職ジャーナル(注1)とかそういうものを買って読んだ。たとえば新聞を読んだり企業広告に注目したりということも就職活動の一貫だ、とか書いてある。時期的にはどうなのかと言うと、学校と経済界の間で一応のとりきめが結ばれている。就職協定というやつがそれだ。7月1日会社説明会解禁、8月1日採用選考解禁、10月1日内定開始、ということになっている。余り早くから就職活動家と企業とが接触してしまうと、結果的に就職活動家側の選択の余地が狭まってしまうので、それを防止するのが協定の趣旨である。もっとも、この協定はただの一度も守られたことがない、ザル協定だ。就職活動について、公式な定義はこの程度のものでしかない。
では、就職活動家は実際には何をしているのかというと、はじめは単なる情報収集である。多くの就職活動家は、3年の秋になると媒体各社(注2)から箱詰めの会社研究誌を受け取るようになる。要は会社が媒体に金を出して就職活動家に会社の宣伝をするのだ。もっとも、この会社研究誌が送られて来る時期というのがまた問題で、偏差値の高い大学とそうでない大学では内容に差があったりする。会社案内にもランクがあって、18の時に勉強しておかなかったからさ、と開き直れる人もいるが、多くの就職活動家はこの時点で社会のいやらしさを見せつけられる。ただのランクならまだいいが、同じ学校の同じ学部で同じ時期に媒体の名簿に登録したのに、女流就職活動 家には送られて来ないという話もあった。まったくひどい情況なのだ。
みなさんは年賀状をどのくらい書くだろうか。会社勤めの営業マンならともかく、100枚も書く人はそういないだろうと思う。多くの就職活動家もそうだ。ところが、優秀な就職活動家になるには筆まめでなくてはならない。媒体の会社研究誌には、必ずはがきが添付されている。このはがきは資料請求はがきといって、御社(この、おんしゃ、という響きがまたいやらしいと思う)に興味を持ったからぜひ御社の会社案内を送って欲しい、という会社へのラブレターである。といっても、書くことといったら住所・氏名・年齢・学校学部学科名・電話番号とたいして色気のない項目が多い。簡単なアンケートを兼ねているものもあり、難しいのは「当社のどこに興味を持ちましたか」といった質問だ。答え方にもコツがあって、「伝統」とか書くと積極性が足りないと判断されてしまうという話もある。いずれにせよ、ひとり300枚も400枚もはがきを出すのは珍しいことではない。ある会社は資料請求を1人で10枚よこさないと資料を送ってくれないという噂もあった。はがきを数多く出せば熱意と受け取ってもらえるなら楽だと思うが、どこか狂っているという気もする。来春卒業する就職活動家経験者は約40万人(10万人近くはそのまま就職活動家生活を続けるともいわれる)だから、ひとり何百枚もはがきを出して、結局最後にトクをするのは郵政省だけだ。切手代はどうするのかというと、大部分は受取人払いだ。昔、日立系の会社はみんな就職活動家に切手を貼らせていたらしいが、こういうケチな会社に行かない方がいいと書かれて(注3)以来、きちんと受取人払いにしている。面白いのは旅行会社で、ブームに乗って毎年7〜8万通来ていたはがきに閉口し、一斉に受取人払いをやめた。それでも1社あたり約6万通のはがきが殺到したというから凄い。ちなみにオレは全部で約280枚ほどはがきを書いたが、ごく普通の量だ。
優秀な就職活動家は郵政省だけでなく、NTTにも貢ぐ。たとえ300枚はがきを出したって、それで安心してはいけない。まず、はがきを出したすべての就職活動家に資料を送ってくれると考えるのは甘い。はがきは何通も出すものだ。3枚4枚は当たり前、それでも会社から資料が送られて来ない場合には電話をする。運よく会社案内を手に入れたら、こんどはセミナー参加の申し込みだ。なお、セミナーというのは会社説明会のことだが、前述のとおり、就職協定の関係上7月より前の説明会のことをセミナーと呼んでいる。この申し込みもなかなか大変で、1時間や2時間つながらない会社も珍しくない。
就職活動家は受験勉強もする。それも、大学4年生がいかに頭が悪いかを再認識するような受験勉強だ。漢字の読み、政治経済用語、英単語、数学、というよりも算数、日本史、世界史、地理、なんでもありなのだ。オレは新聞社を希望していたので時事問題も多少やった。新聞の試験も妙な問題が多い。北海道新聞では「次のうち、セーラームーンに関係のないものを選べ」なる問題が出題され、「月野うさぎ」「月に代わって」などの選択肢に並んで「花とゆめ」が正解だった。小田急電鉄では、小田急バス出身の「羽田孜」前首相を漢字で書かされた。SPIと呼ばれる能力検査も就職活動家にとっては手ごわい相手で、国語や算数の知識を問われる。こういった適性検査は媒体の系列会社などによって作成されており、広告出稿から試験問題購入まで人事部の面倒をよくみてくれるしくみになっている。もっとも、熱心な就職活動家は同時期に何社も受けるので、ごくたまに同じ問題に当たることもあるそうで、このしくみもそれなりにメリットがあるといえる。
就職活動家はさまざまな隠語を使う。就職活動家を相手にしている人事部もそうだ。「御社」などは比較的世間でも使われる用語だろうが、とても就職活動家でないとわからない隠語もある。「ご縁がありましたら、お話の機会を設けさせていただきます」これは就職活動家に対する決まり文句。「ご縁がある」というのは、面接や試験などの結果が良ければ、という意味だ。「お話」というのは選考を指す。つまり、面接や試験が合格なら後日もう1度お会いしましょうということ。「来週迄にこちらから電話のなかった方は、残念ながらご縁のなかったものとお考えください」といえば、一見すると丁重だが、要は落ちた奴には連絡してやんねーぞという意味。どちらにしても、直接協定にひっかかる「説明会」「採用選考」という単語を避けている点がミソ。ちなみに6月頃から就職活動家に出される採用通知は、「内内定」という。口約束なので取り消されて社会問題化することもあったが、原則として10月1日をもって「内定」に切り替わる。
就職活動家の言葉遣いも特殊である。まず、「御社が第一志望です」というのは、就職活動家も人事部もほとんどあいさつ代わり程度にしか考えていないだろう。わたしは29社回って、そのほとんどすべての会社で「第一志望です」と言った。最初の頃はなかなか嘘がつけなくて困るが、落ちまくっているうちに慣れる。ただしあまり軽々しく乱発するのも良くないようで、賢い就職活動家は「第一志望群」などという妙な単語を考案している。
一般論が長くなってしまったが、就職活動家のおおよその状況は以上のようなものだ。団塊ジュニアでもともと数が多く、大学受験も過去最高の人数。卒業しようとすれば平成不況でどの企業も採用は大幅に減。こういうヒサンな情況ではがきを出し始めたのは大学3年の2月頃。年度末の試験を受ける頃から友人との話題が就職一色に染まり始めた。もっとも不景気で企業の出足も遅いことから、全体的に就職活動家の出足は遅かったようで、はがきを約280枚出して、それから春休みまでは何もせずに過ごす。 4月下旬、主に中小企業を集めて媒体主催での合同企業セミナーが始まる。本来はここで企業のOB訪問を開始すべきところだったが、どうも気が進まず結局OB訪問はほとんどしなかった。学歴社会というものを少しでも変えようとするならリクルーター制度(注4)を解体すべき。そんなこんなでGWまでは会社の人事部とはどういうひとがいるのかを観察するために歩いた。GW明けから慌ただしく水面下の選考がスタート。とある鉄道会社では研修施設に就職活動家が呼び出され、適性検査。なんと各教室に大学別50音順で並べて着席させられる。そこでのアンケートも、「現在時刻から20分間ですから、○○時23分までですね」といかにも鉄道会社風。こういう小さなところが、その会社の雰囲気を作りだす。5月15日、ある大新聞の「ジャーナリスト実力テスト」。後日、「お話を聞かせていただきたいと思いまして」なる電話。やった!この段階では1次試験を通過しただけでもう受かった気分である。なお、築地にあるこの新聞社、自分で青田買いテストを実施しておいてその次の日の社説に「就職戦線をなくしたい」とひどいハッタリ。選考の透明化を訴えているのだがその前に自分の会社をなんとかしたら? ということでオレも2次面接であえなく不合格。この会社からせしめたもの、交通費2回分でしめて4千円ナリ。帰りに映画で使った。5月中旬から6月中旬までは、水面化の選考も活発化している。近くに商社の本社が林立する新聞社に資料をもらいにゆくと、地下の飲食店街は紺のスーツがずらり。結局、6月中旬まで回った会社からは、いい返事はもらえずじまい。
6月下旬、ほとんど唯一といえる最終面接にふられ、少し消沈。7月に入ってからの新聞社に望みをつなぐ。日比谷の図書館で、7月1日付けの全国の地方紙をあさり、社員募集要項を請求しまくる。正直言ってこの時期にどこからもいい返事をもらってない男子就職活動家というのは変りもんである。よほど高望みか、やる気がないかどちらかである。なんとかなるさという気持ちはあったが、この時期がいちばんしんどかった。7月上旬、会社説明会からの選考スタート。協定上はスタートだが、実質的には敗者復活の意味合いが強いともいわれる。なんとなく鉄道会社2社とメーカー・物流1社ずつを受ける。ほとんどやる気なし。ただし、やる気と結果は比例しないもので、このうち鉄道会社1社からは後日内定をいただくことになった。
オレの目標であった新聞社には広く活動した。北海道・青森・宮城・秋田・新潟・石川・長野・栃木の各県の県・ブロック紙に手続き。なんとなく北の方に吸い寄せられている気もするが、それはオレ自身にもよくわからない親近感のせいだろう。地方紙の置かれている現状は決して甘くはないが、志を同じくする就職活動家が集まって来る点は特筆すべきものがある。たとえば、長野の新聞社の試験で会った北海道の就職活動家は宮城の新聞社の試験でも会ったし、北海道の新聞社と某通信社の試験とで会った就職活動家は、オレと同期で入社することになった。石川の新聞社で一緒に面接を受けた兵庫の就職活動家は留年してでも新聞社に入りたいと夢を語ってくれた。こちらが恥ずかしくなるくらい、そういう芯の通った志を持っている奴に会えたという点では、オレはとても幸せな就職活動家だったのかもしれない。宮城の新聞社の最終面接では、8年生と6年生と5年生と4人で3軒はしごして勝手に前途を祝した。そのうち3人が合格し、2人が入社することになったが、落ちてしまった奴の分も頑張らねばならないと思う。
なんだかんだ言って1社の内定を断るというゼータクも味わってしまったが、どちらも不合格になる可能性も非常に大きかった。ただただ慎重に安全牌ばかりの活動をするのは就職活動家としてやりたくなかったこととはいえ、いま思えば冒険したなあという感想はある。ただ、北海道2回、青森1回、宮城2回、石川1回、長野1回、大阪2回と、日本列島を半分カバーする活動は、単純に楽しかった。
9月下旬、内定通知授与式があり、口約束だった採用内定がきちんと文書の形になった。なんだオレはこれが欲しかったのかと思うと少し拍子抜けする気もした。
(2)リクルート、毎日コミュニケーションズ、ダイヤモンド、文化放送ブレーン、福武書店などがある。福武書店と言えば進研ゼミだ。いまや就職活動家は一生を教育産業に支えられている。
(3)三一書房「就職情報の真実」
(4)人事部の手下となって就職活動家を選別することを目的に派遣される。本来、OB訪問は相手に単に会社のことを聞くのが目的だが、リクルーター制度をとる会社では単なるOB訪問ではなく選考を兼ねる。リクルーター制度は銀行や商社に多い。もっともオレは銀行も商社も受けていないので詳しい実態はわからない。
パソコン通信の仕方
放射性れんこんを読んで、ちょびっとばっかリパソコン通信(れんこんネット)に興味を持ってしまったあなた。
そこで、少しばかり挑戦して見たものの、なかなかうまくできない・・・。
と、そんな人を助けるために、なにかの足しになれば・・・と、つらつらと書き連ねてみます。
ところが、れんこんネットのような草の根ネットワークでは、操作方法や、中の構成、用語などが多少違う部分があります。だから、参考にできる部分があっても、あとは自力で操作方法を会得するしかないのです!多くの場合は、近くの知人・友人に詳しい人がいて、その人に助けてもらいながら次第に操作方法や、中の構成を覚えて行くのですが、そういった人が全くいない場合には、悲惨な状況が待ち受けています。特に、パソコン自体、ほとんど素人だったりした場合には、目もあてられません・・・。そんな、パソコン通信の挫折者とその予備軍のような人達の助けになれば幸いです。
パソコン通信をするには、まずパソコンが必要です。当たり前といえば当たり前ですが。「ワープロ通信」という言葉があるように、通信機能を持ったワープロ(最近のワープロはほとんど持っているようです)でも通信をする事は不可能な事ではありません。ただし、非常に使いづらく、忍耐・根性を要するので、あまり薦められませんので、パソコン通信を強く薦めます。
まず、パソコンを用意する必要があります。
2. DOS/Vパソコン(IBM PC/AT互換機とも言う事があります)
3. AppleのMacintosh(マッキントッシュ、略してマック)
この3種類を更に大まかに分けると、MS-DOS(エムエス・ドス)系と、そうでないものに分けられます。この両者の操作方法は、かなり違うので、あなたが使うパソコンがドスの場合とマックの場合とに分けて説明したいと思います。
また、電話回線とパソコンをつなぐために、「モデム」が必要です。モデムというのは、パソコンと電話回線とをつなぐ装置で、1万円〜5万円程度で買う事ができます。値段にかなり開きがありますが、通信できる最高速度が速いほど、値段が高くなっているからです。2400、9600、14400と数字が大きいほど速くて、値段が高くなっています。モデムの選び方や説明は、詳しく載っている本がたくさんありますから、そちらの方を参考にして下さい。
ここでは、市販の本を見てもなかなか得られない情報を話していきたいと思います。
パソコン通信をはじめるためには、いろいろなハードルがあります。キーボードで日本語を入力できるようにして、通信ソフトを使えるようにならなくてはいけません。モデムに関する知識も少々必要でしょう。そして、ネットの操作方法を理解しなくてはいけません。さらに、ネットの構成が理解できるようになったころには、ネットをだいぶ歩き回れるようになっているはずです。
まず、日本語の入力と、通信ソフトの使い方を覚えて下さい。こればかりは、努力してもらうしかないのです。大変でしょうが頑張って下さい。ある程度は自分でできるようにならないと、後々、トラブルが出た時、自分で解決できなくなってしまいます。
さて、通信ソフトを動かして、モデムで電話をかけてれんこんネットに接続する事に成功したとしましょう。自分のIDは持っていますか?れんこんネットで自分のIDを取るのは簡単です。れんこんネットにつないで、最初のID入力の催促で、「NEW」と入力すると、いくつかの質問に答えるようになっています。その答えを全部入れると、その場で自分のIDを取る事ができます(れんこんネットでは、匿名で参加したければ、本名を答える必要はありません。住所や電話番号も同じです)。
自分のIDを使って、しばらく歩き回って見て下さい。大まかな話題ごとに、メッセージを書き込むところがあって、それぞれだいたい話題に沿った話しが進んでいるというのは、大手・草の根に限らず、どのような通信でも同じ様なものです。
始めて、「パソコン通信で書きたい事があるっ!!」という時、どの場所で書き始めれば良いのか、悩むと思います。
94年10月現在、れんこんネットではこの「書き込む場所」が30箇所(!!)程に別れています。これでは、初めてれんこんに来た人は迷ってしまいます。慣れている人でも、時々こんがらがってしまうくらいですから。そこで、れんこんネットでは、今年末を目標に(あくまでも目標ですよ!!)、もっとすっきりした構成にしようと奮闘中です。
そのころには、「一体この話題は、どこから書き始めれば良いのだろう?」と悩む事は少なくなるはずです。
努力して通信を楽しむ方法を覚えて、さらにネットを自由に歩き回れるようになり、未読処理やログファイルの作成を覚えたころ、「もっと楽に通信できないものか?」と思うはずです。
もう、ある程度パソコンには慣れましたか?だったら、楽をする方法を紹介しましょう。
何日かパソコン通信をすると気がつくと思いますが、未読処理してできた通信のログファイルをうまくまとめる方法に悩んでいると思います。ドスでは、HMA.exeというフリーソフトウェアが、マックではmmmOffWorksというフリーソフトウェアがあり、これを使う事によって、話しのつながりが非常にくっきりとしてくるようになります。
未読処理したログファイルは、「前回ネット入った時から、現在までに書き込まれた、書き込み」がまとまっている、時間ごとのまとまりとなっていますよね?これを、話題ごとに整理し直すのです。
HMA.exeは、未読処理しかしていないログファイルを、ボード毎にまとめて見る事ができるようにします。また、いくつかの通信ソフトのマクロと連携すると、かなり快適な環境ができます。ただし、使い始めの設定が結構大変です。通信ソフトのマクロを組み込むことができるようでないと、設定する事は難しいと思えます。せめて、設定だけでも知識のあるひとにやってもらうと良いでしょう。
mmmOffWorksの場合は、マック自身がドスよりも必要な設定が少なくて動かせるようになっているのと同じように、ドスに比べたら、非常に楽に使い始める事ができます。HMA.exeが、他の通信ソフトで得た「未読ログファイルの整理ツール」であったのに対して、mmmOffWorksは、通信機能と未読ログファイル整理ツールが一体となっているのです。ですから、設定する内容はほとんどありません。マックが使えれば、mmmOffWorksが使えると言っても過言ではないでしょう。
mmmOffWorksは、れんこんネットにあります。
通信を始めると、努力や根性、忍耐が必要な局面は多々あります。でも、パソコン通信の環境は、確実に良くなりつつあります。マック+mmmOffWorksの組み合わせの使い勝手は、それ以前では考えられないものがあります。
今後は、様々な方面でこういった支援ソフトウェアがでてきて、パソコン通信ももっとやさしいものとなるでしょう。たいしたことは書けませんでしたが、なにかの足しになる部分があれば幸いです。
パソコン通信ができる人がパソコン通信をするのではなく、パソコン通信がやりたい人がパソコン通信できますように!