「れんこんネット」ホームページに戻る
「放射性れんこん」の紹介
バックナンバーの目次一覧

放射性れんこん Vol.15

1994.4.26発行


目次
  1. シリーズ現場告白 Comic Special 「Rainy Blue」(KEEN)
  2. 南島のみなさんありがとう(うどん、時折 旬)
  3. 間違い捜しクイズ(絵:あやこ 出題:レジN)
  4. れんこんネットへの招待(Eggs)
  5. フィリピン旅行記始末(KJ)
  6. わかりやすいパソコン音楽♪(けーた[KTAN])
  7. 「れんこん公共端末」の話(レジN)
  8. null's room[その2](null)
  9. Gambler's パドック〜競馬場人類図鑑〜(くー)
  10. 怠け者革命(佐川聡一郎)
  11. 巷で噂の?劇団どくんごの"狐の手袋" それってな〜に?(時折 旬)

※1、シリーズ現場告白 Comic Special 「Rainy Blue」(KEEN)
 は、漫画の為
 3、間違い捜しクイズ(絵:あやこ 出題:レジN)
 9、Gambler's パドック〜競馬場人類図鑑〜(くー)
 10、怠け者革命(佐川聡一郎)
 は、手書きの為掲載しておりません。
 ご希望の方は放射性れんこんVol.15をご覧ください。


南島のみなさんありがとう

 [うどん]

 私がれんこんというパソコンネットと芦浜キャンプを知ったのは昨年の夏のことでした。
みんなでキャンプしたり、海亀ウォッチングしたり、芦浜はちょっと違うぞ・・・。
 半年後れんこんで通信するようになり、そこで南島町のコンサートを知り是非行ってみたいと思いました。
 でもワーキングでれんこんの原稿を頼まれたとたん非常に気が重くなってしまい、「行きたい!」と思ったときの想像力はどこかに消えてしまいそうになってしまいました。
 ここでもう一度考え直す。
 行って直接肌で感じてきたいと開け始めた想像の扉は私にとってはとても大事なもの。
 他でもない芦浜の自然とそれを大事にして生活している人にあってみたい。という動機に素直に従えばいいんだから・・・

そして行くことになりました。

 残念ながら今回は1泊2日で帰らなくてはならなかったので、一日目は海の博物館、2日目コンサートの日程で出かけることにしました。

 名古屋から近鉄特急に乗り込み10:57鳥羽着。
 博物館行のバスは本数が少なくタクシーのほうがいいよと聞いてたのでタクシー乗り場にむかいました。
 タクシーの運転手さんらしきおじさんに運賃を聞くと4000円+有料道路代800円という返事が返ってきました。
 バスに変更。つぎのバスの時間は11:50。1時間近くあります。
 鳥羽駅の周辺をひとまわり。海もみえるけど海を見なくてもこの空気、匂い、風、明るさ・・・海を感じることができます。
 都会生活では10分位のバス待ちでも苦痛で歩きだしてしまうのに、ここでは苦にはならない。
 海のおおらかなペースにもうすっかりのみこまれている自分に気がつきました。

 バスで20分といわれているけど30分近くかかりいよいよ到着。
 海の見える丘にその博物館はありました。
 100年に一度の大津波にも大丈夫なように小高い丘のうえに建てたのだそうです。
 大きな蔵をイメージする建物。
 柱は幾重にもなるおおきなアーチ状の寄せ木でつくられており、内部にいると船底かくじらの体内にいるような何かとても安心感があります。
 幸いこの日は船の資料館が公開されていました。
湿度管理のため床が赤土の土間になつているのがなかなかいいのです。
 天気のいい3月といってもまだ館内は寒いのだけれども、赤土の土間は何となく温かい感じがして素足で触れて見たくなりました。
 この地方の民家の土間がこんな土なのかどうかはしりませんが、この博物館の土間はあかるく、潮の匂いと風を運んできそうな明るい海洋文化を感じさせてくれます。

 博物館はまず「海民文化」という私の知らなかった世界に誘ってくれました。
 わたしの中には日本というと狩猟採集文化から農耕文化へというイメージが強かったけれど、いろんな文化を運んだり、海と共存して暮らす海民文化が綿々と引き継がれていることに新鮮な驚きを得ました。
 つぎに海とともに生活してきた海民文化を環境破壊からまもろうというはっきりとした基調に、よくぞこんな博物館をと感激してしまいました。

 水俣、富栄養化、合成洗剤、プラスチックゴミ等々の海の環境破壊の数々について私はこれまでいかに断片的な知識だったかというのがわかり再認識させられました。
 海が与えてくれる豊かさは私たちのこころの奥深くにゆるぎない強固なイメージとして刻みこまれているにもかかわらず、一方目の前でもうすでにその海が破壊されつつあるということになぜ無力なのでしよう。
 海はすべてを浄化しやさしく包みこんでくれるという美しい神話のもとにそもそも完全管理などできない放射性廃棄物や温排水をどんどん垂れ流されていくとしたらそんな神話も違う側面から考えてみることが必要だと思いました。
 海は思っているほど強固でも安定的でもない。原発をはじめとする多くの環境破壊のまえには海はとてもデリケートで不安定で壊れやすいんだ。
 そんな時代に生きる私たちはもはやかってのような牧歌的な生活に戻ることもできないところにたたされているのではと非常に悲観的になってしまう時があります。
 しかしだからこそ自然と共存して生きていきたいという希求も打ち消すことのできないものとして湧いてくるのです。
 芦浜はそんな私達をいっきに元気にさせてくれます。

海の博物館をあとにして

 伊勢から南島町行のバスにあわてて乗ったらのんびりフェリー組みの時折さん、いまいまいさんが乗っていました。
 バスは深い山のなかを1時間半走り続けます。
 伊勢の山々なんて流暢な歌にでもでてきそうななだらかな山を想像していたらとんでもなかった。
 こ、こんな険しい山だったのね・・・
 それにしても海と山がこんなに近くて、親しい関係であるなんて。
 こんな自然のなかにかこまれると海と山の二つの神様があい共存するアニミズムの世界へと想像力がかきたてられます。
 疲れも手伝っていつしかウトウトと夢の世界にはいっていたようで気がつくとあたりはすっかり暗くなっていました。
 奥深い山々が続いたと思うととたんにリアス式海岸が目の前にあらわれてきました。

 私たちがバスをおり、Zippさんのお迎えでキャンプ地に到着したときはうわさの社長ファミリーやお友達の男性、高校生、レジNさんらがすでにテーブルを囲んでいました。
 ちょうど今夜は耿耿と満月が差し込んでいます。

 それにしても海がこんなにやさしく穏やかであるなんて・・・
 満月の夜、月に吸い寄せられるように海は波を治めてしまった。
 漁船の停泊している港はまるで池のように静かだ。
 キャンプで談笑する私たちを夜の海が山が月がやさしくつつみこみじっと聞いていてくれる。

さてコンサートの日

 翌日コンサートの日はぽかぽかいいお天気にめぐまれました。ステージには色鮮やかな大漁旗がはたはたとひるがえりいかにも開放的な南島のコンサートという感じです。
 30年間の原発反対を堅持して海と共存して生活してきた南島の漁民、住民たちの思いは1993年1月、町がからっぽになるくらいの3500人のデモとなって表現されました。そしてその後中電のゼネコンを巻き込んだ漁協への金バラマキの発覚。時期を同じくした古和浦漁協の「絶対反対白紙撤回」決議と30年の原発反対の歴史のなかで中電のなりふりかまわない策略が露呈し始めたなかでの、現地南島町の第三世代の青年達が各地に呼びかけたコンサートでした。
 ということでどんな青年達に会えるのかなというのも楽しみにしていました。

 さてコンサートが始まっても私は目の前に海の広がる世界にすっかり有頂天になり、落ち着いて聞いていることができません。
 まずはおもむろに屋台で腹ごしらえ。そして会場脇の漁港のあちこちに探索にいったり海をながめてボーッとしたり、寝転がったり。
 だからごめんなさい、コンサートの報告はできない・・・。
 地元の人達との交流もできずいいのかなあ・・・
という気持ちも残りましたが、獲りたての鰯を大安売りしてくれた元気のいい青年達のとても楽しそう、うれしそうなのが伝わってきて私も思わず「うわーっ」と叫びたい気持ちになりました。

 直接行ってみなければ肌で感ずることができなかった多くのことを得ることができました。
 ほんとにこんなすてきなコンサートを企画してくれてどうもありがとう。

「パワー」を感じた 「生活と共にある力」という感じか
 時折 旬

南島町の祭が終わって、芝居が終わって、気付いてみると早一ヶ月近く。遅ればせながら印象に残った事を書いときます。

KIKIに便乗して漁船で芦浜に行った事はすでに他の人も書いているが、僕は結局漁船から芦浜には降りず(中電が作ったいかだで、沖合70〜80mから浜に渡れる)、みんなが歩いている芦浜の光景を「ぼ〜」っと漁船から眺めていた。なにせ海から浜を眺められる機会などそうそう無いので。漁船に乗れた事が嬉しくて、静かでゆるい波を体で感じつづけたかった。
港からの行き来の間も、伴走するもう一そうの漁船を眺めつづけていた。その漁船にはホントの大漁旗が掲げられていた。今朝方の水上げが良かったのだという。まるでミニバイクの様に漁船を操る漁師。いくら静かな海だといっても、この海の大きさに比べたらホントに驚くほど小さい漁船。
それが実に軽快に疾走する。僕の見ている海とこの人達の見ている海は、同じ海でも感じ方がまるで違うと思った。「この人達はホントに海で生きているのだ」と実感する。そのほんの一瞬の時間を覗けただけでも、ここに来た意味があった。
-----------
芦浜から会場に戻り、時刻も夕方に近づく頃、 レジNさんが発見(?)した港を一望できる灯台に登る。いやホントにいい眺めだ。外洋から細く長く内陸に入り込む海岸線は、高く山に囲まれた小さな集落で終わる。その全てがここからは見渡せる。集落は陸に対してではなく海に対して開いている。どうしたってそう見える。
しだいに日が落ちて来ると、ライティングされた祭の会場が薄暗闇にぽっかりとそこだけ美しく浮かび上がって来る。この山の上の灯台にも、ゆったりとした祭の音楽が大きな音で流れて来る。まるで小さな神前湾は全てが祭の時間に覆われているようだ。

祭の会場に戻ると、ステージは終演に向け盛上りをみせていた。もう辺りは真っ暗である。ステージはまぶしいくらいに明るい。出店も終わり、人々はステージに集まって来ていた。何と言うグループだろう。僕は演奏者の事は全く知らない。誰もが知っている童謡をすごく透明にリズミカルに歌う。良い。会場も盛り上がっていく。
最後に地元反対派の会長さんがアピールをする。横断幕の「実力阻止」に実感を感じた。
-----------
ありきたりな言い方かもしれないが、ここでこれだけの祭をやってしまうことに「パワー」を感じた。「生活と共にある力」という感じか。 近年久しく忘れていた「勝つ戦い」。「勝つのが当たり前」。ホントに掛け声だけでなく「実力阻止」できる・する戦い。そういう力。 ここにはそれがある。

僕の中でも"芦浜"はとても大きな意味を占めるようになってしまったようだ。

このページの先頭に戻る


れんこんネットへの招待

 Eggs

この「放射性れんこん(略してホウレン!)」は、草の根のパソコン通信ネットワーク「れんこんネット」を軸にして作っています。そして、パソコン通信に参加していない人にもれんこんネットとつながりを持って行くと言う役割もあります。そこで、れんこんネットを知らない人の為に、中の様子を紹介をしたいと思います。

パソコン通信……ああ、未来的でかっこいい

まずは、れんこんネット自身の構成というか、全体の様子から話しをします。
話しをし易くするために、仮にれんこんネットを使っている「K井K一」さんという仮の人物を設定しておきましょう。
れんこんネットが始まったころは、まず八王子にホスト・マシンが一台ありました。そのホスト・マシンには3回線の電話をつなげてあります。れんこんネットに接続するにはK井K一さんの持っているパソコンで、その電話番号(巻末の「アクセス・ポイント」を参照して下さい)にダイヤルして機械同士を接続するのです。機械同士を電話回線を通じて接続した後は、K井K一さんは画面を見ながら、自分のパソコンのキーボードから幾つかの命令をして、ホスト・マシンにあるメッセージを読んだり、自分でメッセージをホスト・マシンに書いたりします。最後に、電話を切っておしまいです。
この「ホスト・マシン」という耳慣れない言葉ですが、その実態はというと、ただのパソコンとモデムという装置が用意してあり、常時電源を入れっぱなしにしてあるだけです。このホスト・マシンは無人・自動でK井K一さんや他の人から電話がかかってくるのをひらすら待っていて、電話がかかってきたら(K井K一さんなど)かけた人からの命令に従ってメッセージを出したり、記憶したりします。
大体「パソコン通信」というと、全体の規模の差やホスト・マシンの差があるようなものの、このような仕組みで機械と電話回線を通じてメッセージのやり取りをすることを指しています。
今の例ではK井K一さんしか登場していませんでしたが、この八王子のホストマシンにはもっと他の人が他の場所から電話をかけたりもしています。そして、「メッセージのやり取り」とは、その他の人とのメッセージのやり取りのことを指すのです。
ちょっと、れんこんネット内での実際のメッセージのやり取りの一部分をお見せします。あっと、ここにあげたメッセージは私が勝手に選んだもので特に深い意味はありません……あしからず。

★★ なんでもかんでも ★★
はいはいはいはい、さぁさぁ!
八王子 Date : 6:09pm 94/1/28 くじら
よぉし、今日は飲むぞぞぞ!!!
みなさん!なんでもかんでも書いちゃってください!
んじゃ、よろしく〜〜〜

うい
八王子 Date : 10:52pm 94/1/28 くー
ちゃんと卒論終わらせてからのほうがいいらしいぞぞぞ (^_^)

雪見酒ですか
八王子 Date : 10:56pm 94/1/28 レジN
今夜くらい雪が降っていると、雪見という感じになりますね。
雪が降ると、シーンとした雰囲気になるので、日本酒を冷でグビグビと一人
で飲むのが、似合うような気がしますね。

と、まあ延々と話しが続くのです。
「メッセージのやり取り」の雰囲気は分かってもらえたでしょうか?このメッセージのやり取りすべてを、ホスト・マシンは記憶し続けていくのです。記憶容量は十分に確保してあるので、このままのペースならば何年分ものメッセージを記憶できるようになっています。

れんこんネットの構成……今が旬

さきほど、「れんこんネットが始まったころは……」と話しを切り出しましたが、今はどうなんだと言いますと、ホスト・マシンが八王子の一台だけではなくなり、合計3ヶ所ホスト・マシンが設置されるようになりました。八王子の他に埼玉県の浦和と東京都03地域の小岩が加わったのです。同じ内容が八王子、浦和、小岩の中で使う人が一番安く上がるホスト・マシンに電話をかけることが出来るようになりました。メッセージに半日程度の多少の時間差が出てしまうのですが、どのホスト・マシンからも同じ内容のメッセージの読み書きが出来るようになりました。「転送屋」というプログラムが、3つのホスト・マシンをつなぐ役割をしているのですが、詳しくは放射性れんこんVol.11を読んで下さい。

メッセージの紹介……これがしたかったのよ

パソコン通信(れんこんネット)でのメッセージのやり取りの仕組みを紹介しましたが、最近のれんこんネット内での面白そうな話題を、私の主観で幾つか実際に紹介したいと思います。本当は関係するメッセージを総て紹介するのが良いのでしょうが、あまりにも長くなりすぎるので、私の理解力の範囲内で(笑)要約してみたいと思います。内容がうまく伝わるように努力はしてみますが……。

★★ なんでもかんでも ★★
火事だっ
浦和 Date : 10:41pm 94/1/26 どいの
わたしとおなじ劇団に属するU君が、本日未明、火事にあって焼け出されてしまいまひた。出火はお隣からで、お隣の住人のおじいちゃんは焼け死んでしまいまひた。
夜中に命からがら朝方、逃げ出したU君。ケガはなかったのですが、持ち物は全部焼けてしまったのです。全焼だったそうです。
さあ、彼はどうなってしまふでしょう。(^_^;;

まず、書き出しはこんな感じです。その人はその後、役所から「見舞金」という名目で3万円ほどのお金を支給されたそうです。そしてとりあえず、焼け出されたその晩の寝場所を市に求めたところ、公民館など他の部署への連絡が面倒くさいといった様子で、「用意できない」とあっさりと断られ、「大きな災害時は用意されるではないか?」と尋ねると、「規模が違う」と言われたそうです。

市の行政は「自治」ではないのだ、実は。
浦和 Date : 12:27am 94/2/ 3 河内丸
と、思いますね。「自治」という概念とはほど遠いのだ、日本の「自治体」の実態は。
「自治」体とか名乗っていても、実際は国家行政の末端でしかないわけですねー。オカミの支配の末端。住民のひとりやふたり、どうなろうが構わないわけだ。

その後は、「焼け出されてしまった人」はどのような救済を受けるべきか、その義務は?などと話しが続きました。次の話題は、「浮浪者」の話しです。

★★ 雑記帳 ★★
「浮浪者」狩込み
小岩 Date : 11:52pm 94/2/18 rerere
新聞やテレビですでに知っている方もいると思いますが、2月17日、新宿西口で行われた野宿者追い出しのことについて書きます。

以下、その時の細かい状況を簡単に説明すると、新宿駅西口の地下道路で野宿している人達に対して、警察官2名、道路公団、東京都や新宿区の職員あわせて十数名で、半ば強制的に排除させられ、柱の間に寝ることが出来ないように植木が置かれたり、花壇造成のための工事用フェンスが置かれるなどして、野宿者排除目的の「緑化」が行なわれたそうです。(すみません、長いので省略させてもらいました)
この行政側の、君達「じゃま」だからどこかへ行って。というむき出しの態度、行動や、マスコミの報道の仕方、浮浪者に対して持っている私達の感情など、掘り下げてみると単純な問題ではないことも分かります。

「理念」の死滅とむき出しの現実
小岩 Date : 1:38am 94/2/21 KJ
必死にその日その日を生きている人が、「浮浪者」と名付けられる集合に認定されることによって、「基本的人権」を否定される。そんな事態が日常化しつつある、この社会に生きている我々(「浮浪者でない存在」としての)はいったいなんなのか。
憲法前文の「美しさ」が、白々しい空語にしか受け取れないほどに、この社会の排除と被・排除の分断は進行し固着してしまっている。

これは、まがりなりにも戦後日本の施策を規定してきた「福祉国家」の理念が、その外形を飾り続けることも叶わず、最終的に死滅しつつあることを意味する。
しかしそれを「死滅」させて来たのは誰か。それは我々自身の日常意識ではないのだろうか。段ボールを破壊する都職員の手は我々自身の手ではないのか。

人権さえ剥奪されてしまう、その背景とは?人々の意識の中にも大きな問題点があるのではないか?
また旅公演もする、劇団「どくんご」のどいのさんは、こんな体験を書いています。

浦和 Date : 10:45pm 94/2/23 どいの
去年、名古屋の白川公園のとなりの公園で芝居をしたのね。高速道の下で、屋根いらず。「パフォーマンス広場」だなんて名前がついていて、こぎれいな野外舞台があったりする。が、どんなパフォーマンスをやるつもりで作ったのか知らないが、 なにかと使いづらい。 (電源すらない。)事実、ほとんど催しは行われていない。何が「パフォーマンス広場」なんだか。
ただ、ここの周辺では、段ボールやベニヤで作られた住居がいっぱい。をを、「パフォーマンス」とはこのことだったのだろうか? だとすると公園課もアジなことをする。・・・ しかし、ここに住んでいる人は別にパフォーマーの意識はないのだった。(あたりまえ)
ご挨拶回りに劇団員がいった。テントをもった旅劇団って、ほんと似たりよったりの境遇だからね。ぼくらは三日ほどそこにテントを張って寝泊まりしたんだが、お客さんにもらったぶどうをおすそわけするとおかえしにみかんくれたり。ビーチサイドにおいてあるようなねそべる椅子がおいてあったり、住居の中が本でいっぱいだったり、公園にはえてる銀杏を落として干してたり。それはそれぞれにとって快適に暮らせるように手間をかけた、たいへんこまやかな、生活、なんだな。
その住人に聞いたはなし。一ヶ月にいっぺんだか役人がまわってくるんだと。その日は全部の家屋をいったんバラさなくてはいけないそうだ。 いつ来るかは住人に知らされていて、その日は朝からバラしはじめて、役人がひととおり見たらまた組み立てる。そこそこ役所とうまくいっている例だな。そんでも、その日に留守にしていると撤去されちゃうらしい。
ただ、やっぱし夜寝るのは、こわいそうだ。(ゆっとくが、これはかれらが「一般人」に抱く恐怖心だぞ。逆ではない。)ぼくらは他人の生活の場にどやどやと踏み込んだようで恐縮していたんだけど「きみらがいると安心して眠れる」なんてことまで言われてしまった。最近は酔っぱらいやら中学生やらに襲われる仲間も多くなったんだと。ほんと、他人ごとぢゃないぜい。
病気になったり体うごけなくなったら大変だ・・・

この「一般人への恐怖心」。私には計り知れない程の恐怖が感じられる。

意識の変革 小岩 Date : 1:48am 94/2/24 rerere 「浮浪者になったってべつにかまわないんだ」という資本主義の根幹に関わっちゃうような教育がされることはありえないでしょうね(旧来の「共産主義」国家だって生産力主義という点では事情は同じですね。中国で「盲流」なんていうのをみればよくわかる)。
それとも、「浮浪者だって人間だ」というような、当の野宿者が聞いたら怒るに決まっているような当たり前のことをわざわざいわなきゃならないのでしょうか。困ったものですね。

意識の変革?
八王子 Date : 2:33am 94/4/ 8 天地夢之介
というと恰好がいいが、ようするになんだ、怠けることを許容しろってことだな。まあ、本人が労働しない分には別に構わないのだが、その結果貧困になり、それで真面目に働いている者にたかろうとしたら、こりゃ許容出来んわな。真面目に働く者が馬鹿を見ることになる。

「怠けている人」を許容しても良いのか?という問い。

「血迷って」とは随分キツいお言葉ですが
浦和 Date : 7:33am 94/4/ 8 河内丸
いわゆる「浮浪者」とよばれる人たちは、「働き者」だということをよく肝に銘じていただきたいと思いますよ。
「本人が労働しない分には別に構わないのだが」なんて書いていらっしゃるところをみると、まるで仕事をしたくない人たちのように勘違いなさっているようですねぇ。事実はそうではありません。
仕事にあぶれているのですね。ウソだと思ったら、山谷に行って、日雇いの仕事をやってごらんなさい。なかなか仕事にありつけない。
憶測でものを見ず、事実を目の前で見れば、現実が見えてくると思うんだけど。

浮浪者全員が働き者なのに仕事が出来ないでいる、と考えるのは、悲劇のヒーロー扱いだとも言う人もいた。
働き者でないから浮浪者なのか?いや、浮浪者ではない者の中にも、怠け者はいるように、浮浪者の中にも働き者はいる。
論点は様々なものがあります。まだ話しは続いているようで、話しが進展して行くのでしょう。

つぎの話題は、「差別」についての話しです。

★★ 雑記帳 ★★
差別をホンネで考えるノート
議論開始にあたって・差別を考える
八王子 Date : 12:16am 94/3/15 ruino
ことば狩りを含めた差別一般についてお話ししたいと思います.
まずはじめにお断わりしておきます. "きれいごと" は止めて下さい.
こういった話をする以上, 上っ面な話をするつもりは一切ありません. まじめな議論を期待しています. 差別に関しては, まじめな議論をするためにはホンネでないといけないと私は考えています.
差別なんて, いけないことです. 人に上下があってはなりません. 現に存在する差別は, みんなの力で 1 日も早くなくして, 本当に心からやすらげる社会を作り出しましょう.
あなたの一歩が, 差別をなくすためのスタートですよ!!

この話しは、最近のれんこんネットでもかなり激しくメッセージのやり取りが行われているところで、その書き出しの部分です。きれいごと・うわべだけの話しは止めて、真面目に「ホンネ」で語り合いましょうと言うのが呼び掛けです。
差別はどこから生まれるのか?なぜあるのか?差別用語とは?それに付随した言葉狩りとは?
ここで話されていることは、あまりにも多種多様なので、話しの前後は無視して、断片だけで取り出してみました。

週刊文春 2/27
八王子 Date : 4:01am 94/3/17 け〜〜た
に、ちょうど差別問題の記事というか差別言葉の「言葉狩り」についての記事が大きく取り上げてありました。中で身体障害者の方は <テレビ出演者がうっかり差別用語を使い、' 如才なく ' 司会者がお詫びをすると私は逆にムカーッとします。 私を ' 如才なく '" 韓国の方 "とか " 精神をお病みの方 " とか " 身体が御不自由な方 " と表現されると少なくとも私はムカつきます> と書いてあり、なるほどと思って読みました。そしていろいろな言葉狩りの例のあとにその人の <差別は言葉でなく意志だ> と言うのを見て、表面的な差別用語狩りが余計に障害者や差別されてきた側の方を傷付けているのだなぁ感じ反省したわけです。

差別と天皇
八王子 Date : 9:37pm 94/3/20 ENID
差別を語るのなら『天皇』についてもふれなければならない。
普通の人間を異常にあがめて誉めそやすのも差別なのだ。
皇族を”様”付けでよぶ、敬語を使うという『言葉付け』も問題だろう。
ようするに最近の『反・言葉狩りキャンペーン』は、蔑視被差別者に対する表現の自由は要求しても、天皇のような尊視被差別者へは言及してないところに欠陥があるのだ。

自分が当時者でないのに糾弾する時
八王子 Date : 1:07am 94/3/23 レジN
目の前で露骨な差別的発言があったとき、自分が差別される当事者でなくても糾弾することは当然ありえる。
それは一言で言ってしまえば自分自身にとっての闘いが問われていると思うからなんだ。自分にとって、「世の中はかくあるべし」と思うことがある時、それを世間がまっこうから否定してくるのに対して、何もせずに引き下がるべきか、それとも世間一般を敵に回してでも異を唱えるべきか。
糾弾することを偽善なんて言うけど、糾弾はそれほど生易しいものではない。
差別的発言が出て来るのは、たいていその場の全体がそれを容認するような雰囲気においてである。その時、「ちょっと、その言い方はひどいじゃないか」というのは、かなり勇気のいることだ。場合に寄っては、世間一般を敵に回すような状況になる。
それでも自分が糾弾しようと思うのは、「差別のない世界を作るべきだ」ということを口だけに終らせたくないからだ。
「差別のない世界を作るべきだ」と思わない人や、またそう思ってもそれを自己の実践とは切り離されたものだと思っている人には、関係ないことだろう。

われわれが目にするごく狭い世界の現象から、本質を断定することは危険だろう。人間社会の本質がどこにあるのなんかは私にはわからない。ただ、「こうあった方がいい」と思うレベルで差別はない方がいい。
それにまた、すべてのものと同じく人間は変化する。現時点で差別する実体としての人間であっても次の時代の人間は差別しない実体になり得る可能性はあるのだ。
その変化する人間としての方向をどちらに向けるのか、それを決めるのがわれわれ自身ではないだろうか。それは、自分で「こうあった方がいい」と思う方向に他ならないだろう。

本音?
八王子 Date : 11:51pm 94/3/23 ぬる
そうね。言葉、「単語」そのものによる差別なんてないと思うな。私の目は幸いにして見えるが、(という言い方自体が、盲目の方の神経を逆撫でするかもしれない。
でも、それは私にとり、事実なのだから許して欲しい)「めくら」「いざり」「片手落ち」それがどうした?
単語の使用を禁止する前に、やることがあるように思うのだ。「つんぼ!」とかの単語に「そうだよ」と応答してそれ以降は相応の対応になるというのが「当然」であって、「あの人、つんぼ野郎だ」てな(蔑みを伴う表現が感じられる)反応が出て来ることが問題なのである。
「差別語」を使わない。というのは「臭いものには蓋」であって、何の解決にもなってない。本質は、なんでその単語が「差別語」なのだ?ということだと思う。
「差別語」がある。という人は、つまり、差別される人が自分以外にいる。と主張しているだけに過ぎないような気がする。もしくは自分は差別される側だと思いこんでいるともいえようか。
自分、あるいは誰かを差別しているからこそ「差別語」が気になるのだと思う。
誰も差別していない人にとり、「差別語」に何の意味があるのか?
現実の「差別」を感じている人には失礼になるのかもしれない。だが、無意識にでも「区別」している人と、「同じ」と感じている人と、同次元に議論するのは誤りだと最近、思う。
所詮、単語を問題にする姿勢は偽善であり、ごまかしでその場限りの対応でしかないと思う。

行動(制度)と感情
小岩 Date : 12:59am 94/4/ 8 KJ
まず、差別行動についてですが、制度(公的ないし非公的)としての面と、個人的な感情の表出としての行動があります。
後者が簡単になくならないとしても、制度が否定され無効になることによる社会的disadvantageの消失のほかに、「心理的効果」は無視できないと思う。
つまり、行動(制度)が変わると、個人の感情にも影響がでてくるのではないかということです。(日本人はとくにそうであるような気がしますが)
たとえば、制度としての家父長制や女性差別の仕組が廃止されても、確かにそれらの私的行動は残存しています。でも、制度がとりあえず否定されたことによって、心理的にアクションがとりやすくなったことは事実でしょう。たとえば、女性の社会進出を、当初にがにがしい思いで見ていた人であっても、現実の方から押されて、次第にそれがあたりまえに思えてくる。人間心理にはそういう可塑性があると思います。

私は、そういったわけで、差別行動と差別感情は密接に相互作用している、お互いがお互いの根拠になっている、感情をなくすことによって行動をなくすことが難しければ、行動(制度)を徹底的になくすことによって感情をも克服できるだろうという立場をとるので、「差別感情を温存したままでもいいから差別行動をなくそう」というような主張はするつもりがありません。

この「差別」の話しは、いまだに進行中となっています。
最後の紹介は、「盛り上がった話し」と言う訳ではありませんが、自分が書き出したところを紹介します。まぁ、自分の原稿だからこれぐらいいいよね?漫画家の内田春菊が最近出した本、「ファザー・ファッカー」の感想です。

★★ れんこん図書館サロン ★★
内田春菊・「ファザー・ファッカー」
八王子 Date : 12:11pm 94/2/ 3 Eggs
たまたま観た「徹子の部屋」に出演した内田春菊が、自分の出した私小説をの話しをしていました。
小説の題名も結構ぶっ飛んでいますが、内容の前にはそれも消し飛んでしまいます。文調は淡々として いて、ほとんど彼女の主観だけで書き連ねています。現実にあった事を書いているからでしょうか、余計な修飾が無い分、非常に説得力がある文で、重みがあります。
私はこの本を読みおわった後は、しばらく力が抜けたような状態になってしまいました。読んでいる途中でも、何回か溜め息をついてしまいました。しかし、現在の彼女がそれなりに成功していて、現在は幸せだ(「徹子の部屋」で話していた)と言っている事に救われるような気がします。現在の内田春菊が無くてこの本を読んだら、また別の感想を持ったかもしれません。そして、彼女の「強さ」をとても感じました。脅威の存在である義父に対して、決して屈する事はないと決めた部分があるし、年齢に関係なく自分の考えを持って生きている。実際には、自分の考えを持って生きて行かなければならないと言う状況だったのかもしれません。問題の解決方法を知る術もなく、問題がどんどん積み重なり、自分の判断で解決をして行くか無かったとも言えます。
もし私が彼女だったならば、どうだっただろうかと考えた。少なくとも彼女のように強く生きる事は出来なかっただろうと、いう事しか思い付かない。仮面を作って生きて行くかもしれないし、死にたいと思うかもしれない。私は、ほとんどの問題を放っておこうとするだろう。生まれてから、一番最初の先生である父母を信じられなかったらどうすれば良いのだろう?憎しみだけが出て来ても、その憎しみを持て余してしまう。
本の内容は特に書きませんが、読んで見て下さい。
その本は、文芸春秋刊、1,600円、内田春菊「ファザー・ファッカー」。一読をお薦めします。

内田春菊!!!!!
浦和 Date : 2:16am 94/2/ 5 いまいまい

以前、彼女が書いた短編を読んだ事があって、しかもそれをなんの気なしにその語り口から実話であるようなつもりで読んでしまい、あまりの読後感の悪さに、これは虚構なのだと何度も自分に言い聞かせつつ、このひとはなんでこんなお話を書くのだろうと不思議に思ったのでした。
(ちなみに、上に書いた短編というのは、福武文庫「人間みな病気」っていう本の「田中静子14歳の初恋」という話です。)

田中静子とは春菊さんの本名のようで、これは20ページほどの短編です。後になって私も読みました。

読みました。
浦和 Date : 1:09am 94/2/11 いまいまい
わたしはたまにネコをいじめますが、ネコよりももっと弱いものとして親や世の人々に認識されてしまう彼女は、まだ目の開かぬ子猫であるにもかかわらず、いや子猫であるがゆえに、あらんかぎりの「暴力」を一身に受け、世の人々の汚物にまみれてしまう。
世の人々の醜さを映す鏡になってしまう。
彼女が「ここにいなくてもいいんだ」ということに気がついた事に、心からよかったと思いました。そして、この小説が世に出たという事も。

読みおわりました
浦和 Date : 8:00am 94/2/11 ガサ子
一昨日の夜から読みはじめ、通勤電車のなかで中絶を病院でする場面に、気が遠くなりながら(気持ちの悪さが眼前に広がるものは、即効性あり)ぐいぐいと読みおわりました。読みおわった後では、養父が娘の妊娠を知った後の「つっつき」性交が、ひどくひっかかった。あと、その後毎月の「教育的」?性交も。それらは目立つ行動だから印象が強いけれども、全体のなかで母や妹の態度/考えというのも、……。
ちくちくと、これでもかこれでもかという感じでしたが、最後に彼女が家をでるところに光を見た。午前4時だから、まだ明るくないか。

『田中静子……』
小岩 Date : 12:58am 94/2/12 サラ共
筒井康隆の編集(だったかな?)による短編集、暇潰しに本屋で手にした文庫本のにそれを見出したときに生じた、嘔吐すら伴う嫌悪感は、偏執的な激情を見せ付ける「父」に対するものではなく、「母」としての欺瞞にでもなかった。
また、「静子」のおかれた状況についてでもなかった。
タールの被膜の向こうから引かれている「静子」の視線。
描写の、関係における現実感の希薄さによってかえって畳み重ねられていく生々しさ。
そして、その被膜から瞬間露出してきた「静子」が、「母」の「困ったような笑ったような表情」を通して賭けることすらできなかったし、しなかった希望の行きどころのなさは、この短編に深く押し込められた、陰圧の臨海点であった。
その内側から引き潰される感覚、立ち眩みに似たそれに耐え切れず、それ以降、その文庫本を読み返すこともなく、遠ざけるように人に貸したままになっている。

以上、私がいくつかのトピックを切り出して紹介してみました。でも本当のところ、私自身余り話しに参加していない話題がほとんどだったのですが、興味深く読ませてもらっていたものばかりなので、あえてここに上げてみました。

ほうれん草とれんこんとワーキング

いかがでしょうか?放射性れんこんのように、作る側から読む側へという、一方通行ではなく、読み手も書くし、書き手も読むという双方向の面白さが「パソコン通信」にはあります。ただ、パソコン通信を始めるにはワープロが扱える程度の機械の知識が必要となってしまいます。始めてみたいと思った人は、始め、パソコンに強い人に手伝ってもらった方が良いでしょう。また、通信を始める時、「操作を間違えたりしたら、ホスト・マシンを壊したりしないだろうか?」と怖がる初心者の人もいるでしょうが、どんなことをしても(通信中に電話線を抜いても)壊れる事はありませんから、安心して電話線を抜いてください(笑)。
さて、電話線の通信だけでは何やら不安な人もいるでしょう。れんこんネットでは「れんこんワーキンググループ会議」と称して、毎月第3土曜日の18:00〜20:00、直に人が会う場所としての会議をやっています。もちろん、通信をしていない人や、通信の初心者でも気軽に来ることが出来ます。「パソコンに強い人」なら沢山いるので、周りに相談できそうな人がいない時に来てもらってもかまいません。場所は、「株式会社シリ」の事務所を開放してもらっています。問い合わせなどは、下記の地図・電話番号を参考にして下さい。

このページの先頭に戻る


フィリピン旅行記始末

 [KJ]

 ネット上連載「フィリピン旅行記」はおかげさまで好評をいただきましたが、完結を直前になぜかとぎれてしまっています。今回、そのことを思い出したので「放射性れんこん」の場を借りまして始末をつけさせていただきたいと思います。

 この前の話が読みたい方はれんこんネットにアクセスして、「峠の茶屋」(free.touge)の「フィリピン旅行記」(2つあります。新しい方)をお読みになってください。ってこれじゃアクセスできない方にはかわいそうだな。そういう人はれんこんネット事務局までご一報ください。読めるようにします。

 あらすじを書いていると長くなるので省略。仕事が終わってオフになった私が、運転手のドド君とその細君と3人でセブ市内観光をしているところです。
----------------------------------------------------------------

 「道教寺院」は変なところであったが、奇麗に整備されていてさすがにセブの観光地の代表格を思わせるものであった。展望台があって、そこからはセブの猫の額のような平野と港が一望できる。お約束のようにコイン式の望遠鏡が置いてあるので、試してみたが視野が狭くなるだけで大して良くは見えなかった。
 ドドとジョセリンは束の間のデートを楽しんでいるという風情であった。でも、また雨が降ってきそうだったので、お楽しみ中申し訳ないけど先を急いで貰うことにした。
 次はどこに行くのか、と聞いたら、この近くに小さな動物園があるという。車でしばらく行くと、小さな入口があった。そこで3人分の入園料を払って中にはいる。
 そこは野外動物園で、おもに猿類、猛禽類を飼育していた。案内してくれる少女がいて、トランクの中から大蛇を取り出して持たせてくれたり(ひやっとして妙な質感があった)、ライオンをつついて起こしてくれたりした。ドド君が「チップ渡した方がいいよ」というので帰り際に渡そうとしたが笑って受け取らなかった。
 雨が激しくなってきていて、あまり落ち着いて見られなかったが、一見の価値はある動物園だと思った。

 動物園を出た我々は山を下り、再度海側に向かって走る。あと残っている有名な観光地はマゼランクロスという名所と、サンペドロ要塞という旧跡ぐらいだというのでそこに行くことにした。
 マゼランクロスは小さな六角のお堂にマゼランが寄進した木製の十字架が納められているだけのものだが、今回行ったスポットの中ではいちばん賑やかな所であった。クリスマスが近づいていて、お参りにくる人が多く、それにろうそくを配るおばさんたちがうようよいてごった返している。ドド君夫妻が何か用足しに行ってしまい、その間私はひとりでいたが、そこを狙ってしつこく物売りのおじさんがアプローチしてくる。なんかブローチみたいなものを買え、と言う。ときどき「千円でいいからさ」などと日本語を交えるところを見ると日本人を相手に商売しているのだろう。私は六角お堂の中に入って行ったがおじさんはしつこく迫ってくる。ほとほと困っていたところにやっとドド君が戻ってきてくれた。たいして神聖な気分になるまでもなくマゼランクロスは終り。

 サンペドロ要塞は海風が吹き付けてくる場所にあった。250年前に作られた最古の要塞で、石造りの建物はアメリカ統治時代には兵舎として、第二次大戦中は日本軍によって捕虜収容所として使われたところだ。(というのは後で調べた。)
 入口のところに盲人のギター楽団が演奏している。何か寄付を求めているようにもとれる文面の紙がはってあったが、結局入場料を払っただけで中にはいってしまった。
 さきほどのマゼランクロスと違ってこちらの要塞は閑散としていた。要塞だから、とくにこれといって「拝観」するものはない。資料室みたいなところも、改装工事中らしく入れない。建造物の上に上れるように苔むしたような石造りの階段があるので要塞の上に行ってみる。
 そこでドド君と写真をとったりしてすこしのんびりした。要塞はいくつかのブロックに別れていて、隣の建物は工事現場のようになっていて改修工事にとりかかっているようであった。どこかのラジオから音楽が流れてきている。
 ふと隣の建物の方を見るとたくさんの作業員がいる。休憩中なのか、作業をしているわけではない。しかし、なんかおとなしい。私はおもわず「あっ」という叫びを押し殺した。気がつかないでいたが、およそ30人にものぼるような作業員が、みんな黙って私を見ているのだ。何か声をかけるわけでもなく、ただただ私を見ている。その目は別に憎悪でもなく、もの珍しげという感じでもない。まるで異次元のものを凝視しているような目である。
 ドド君はその時どこかに行ってしまっていた。私はしばらく思考が停止していたような感触に陥っていた。ドド君が戻ってくるまでたぶん5〜6分だったと思うが、その全体の画像と、無表情な人々の顔と目の感じだけが頭に残っている。

 ドド君との契約の時間もあと40分ほどで終わろうとしていた。ホテルに戻ってもらうことにしたが、名残が惜しいような気がしたのでマクドナルドにお茶に誘った。夫妻は「おかげで今日はとても楽しかった、有難う」と私がいうべき言葉を言ってくれた。記念にということで、彼等がカーステレオにかけていた音楽テープをくれた。テープには「ドドとジョセリン」と書いたシールが貼ってあった。

 翌日土曜日は、スーパーマーケットに行って買い物をしたり適当にホテル周辺を散歩したり、あとはテレビを見て過ごしたりした。結構フィリピンのテレビでは「ポップジャム」みたいな感じのアイドル系音楽番組をやっていたりする。フィリピンのアイドルはマッチョ系が多いという感じだが、SMAP系のグループでダンスする連中も人気があるようだ。
 土曜の夜、以前行ってなかなかうまかった「モンゴリアン・レストラン」に行った。飯を食っていたら年寄りのいかついおじさん(Tシャツの上に皮のコートを着ている!)にからまれた。さかんに「俺は退役将軍だ」と言っている。「俺は日本軍と戦って負傷したんだ。おまえはどうせモンキービジネスで来たんだろう」などと言うので困ったが、適当に調子を合わせていたら機嫌がよくなったらしく「まぁ日本は昔は敵だったが、今は友達がいっぱいいるよ。俺は共産主義者とずっと闘ってきたんだ、ラモス(大統領)は戦友だ」などと吹きまくり、頼みもしないのにIDカードのようなものを見せてくれた。確かに彼の指差すところには"General"と書いてあった。

 翌朝は5時起きの予定だったので、フロントにモーニングコールをたのんでおいたのだが、何だか眠れず、結局寝ないまま起床時間になってしまった。モーニングコールは結局なかった。でも、Oさんの秘書のパシータと運転手はちゃんと来てくれ、空港まで快調に車を飛ばしてくれた。
 税関前には大量の日本人がいた。荷物検査の不手際さに大声で文句を言う客がいる。セブに来た時にチップを要求したそのまんま東そっくりのポーターもいて、ちゃんと別の客にチップをせびっていた。通関してロビーで待っていると2人の少女がキャンティーン(簡易売店)を開きにやってきた。コーヒー、ジュース、パン、サンドイッチなどを売っている。私は前夜に買っておいたパンがあったので、コーヒーだけ買った。横柄に注文を飛ばす飢えた日本人客ににこにこ応対する少女達がかわいくて、あとでちょっと頼んで写真を撮らせてもらった。今私の手元にはちょっとはにかんだ笑顔の2人の写真がある。

 セブ発成田直行のフィリピン航空便は、前夜までの大雨が嘘のような快晴の中を飛び立って行った。窓側の席だったので、かなり長時間、箱庭のようなセブの街並を眺め続けることができた。米粒のようだが、立ち並ぶ家々、教会、その間を動く車が見える。それが判別できなくなると、視界を覆い隠す雲の層も今日はなく、まるで地図を見ているような島の地形が鮮やかに輪郭を描いていった。それが2万5千図になり、5万図になっていく。やがて海の表面に飛行機の影だけが写る。

このページの先頭に戻る


わかりやすいパソコン音楽♪

 [けーた(KTAN)]

 放射性れんこん愛読のみなさま、はじめまして。ほうれん初登場のけーたです。八王子にすむただの(?)高校生です。れんこんネットにアクセスしてる人ならわかりますね、あのけーたです。
 放射性れんこんでコンピューターミュージックの話題なんて、ちょっと場違いな気のする人もいると思いますが、難しい話は専門の本にまかせて置いておいて、僕からは最近静かなブームをよんでいるというDTMという物について書きたいと思います。パソコン通信などやっていると最近のDTMブームがよくわかります。とある規格で演奏データの共通化がされたのが大きいのですが、その辺の話も後々したいと思います。
 DTMという単語が出てきましたが、その説明の前にコンピューターミュージックとはだいたいどのような物なのか説明しましょう。分野的に見るとテクノやテクノポップと呼ばれる音楽がほぼそうなんですが、最近では音の作成または演奏の過程でコンピューターが使われる事が多く、曲の完成までの過程でコンピューターを用いた物をコンピューターミュージックと呼ぶ訳にはいきません。実はきちんとした定義なんて無くて、コンピューターらしさを全面に出している曲をそう呼んでいるらしいです。僕としては演奏の部分をコンピューターに任せている曲をそう呼びたいところですが、世間ではコンピューターによる音(シンセサイザー)などを使っただけの物もそう呼ぶようです。
 さて、DTMとはなんのことかというと Desk Top Music の頭文字を並べた物で、文字通り“机の上で音楽”ということです。高性能なマシンが個人でずいぶん安く買えるようになってきたので、趣味レベルでコンピューターミュージックをやる人が増えてきました。DTMももちろんコンピューターミュージックですが特に区別する基準はありません。個人レベルで始める小規模コンピューターミュージックを指すので、取り合えずDTMでどのようなことが出来るのかここでは書いていこうと思います。
 テレビ東京の「タモリのクイズ音楽は世界だ」と言う番組の中の、おなじみ(じゃないかもしれない)「デジ・タモ・ドン」というコーナーをご存じなら話は早いです。あのコーナーはDTMならではの機能を駆使してクイズにしています。
 楽器が使いこなせなくいつもリスナーにまわって悔しい思いをしていた人などにも評判が良いようです。僕もこのタイプです。こういう人にとって楽器が弾けなくても部屋にいながら複雑な演奏まで出来てしまう魅力は大変大きな物です。
 音楽の勉強をしている人にも強力なアイテムになるとおもいます。コード進行など打ち込んで何度も繰り返し聞けますし、ほんものの音とまでは行きませんが一台の音源で数百の楽器の音に似せられるのでたくさん楽器を買うよりお買い得です。
 他には、近所迷惑で音が出せないとかいろいろあるかもしれませんが、なんといってもDTM自体が奥深く興味深い物です。
・MIDIってなに?
 DTMも含めてコンピューターミュージックをするのに最低でも知らなければならないのがこのMIDI(ミディ)というもの。これをよく、MIDIと呼ばれる機械があるかのように勘違いしてしまう人が多いのですが、そうではなく一言でといえば電子楽器をつなげる決まりのことを言います。世界統一規格なので外国に行っても大丈夫です(?)。こう書いてもなんのことかさっぱりわからないと思いますのでもう少し詳しく書きましょう。MIDIのやりとりはヘッドフォンなどと違い音その物を送っているのではなくて、「なんの音をどれぐらいならしなさい」というような制御信号がながれるデジタル信号です。その中に音色を換えなさいなど相手側への制御信号を混ぜて送っているわけです。具体的には送りたい方のOUT端子と受ける側のIN端子をMIDIケーブルと呼ばれるコードでつなぐわけですが、「自分は機械が苦手だから配線なんて間違えて壊したらどうしよう」と、心配な人も大丈夫。MIDIでは接続部分で一度光信号に換えてから処理していますので間違えてつなげてもそれが直接故障に繋がることはありません。これにより違う会社のキーボード同士でもお互いにつなげて様々な制御が出来ます。このようなMIDIによって制御できる楽器をMIDI楽器と呼びます。自分の持っている楽器がMIDI楽器かどうか見分けるのは非常に簡単で、本体にMIDIと書かれた端子があればそれはMIDI楽器です。MIDI楽器にはだいたい次の様な物があります。
・シンセサイザー    ・リズムマシン
・キーボード      ・電子ピアノ
・音源モジュール
 この中であまり一般的でない物は音源モジュールだと思います。これはいわゆるいろいろな音が出せるキーボードと呼ばれる楽器から鍵盤を取り除いて音を出す部分の機械だけを取り出しと物と考えていいと思います。鍵盤がないからそれ単体だと何もできないクリープの様な物(クリープを直接の飲む人いませんよね。え?いる?)です。すなわちMIDIを使って外部からコントロールするしかないのですが、小型で場所もとらずにしかもキーボードより安いのでDTMをするのにはもってこいの機械、というよりDTMのためにあるような機械です。そうそう、シンセサイザーとキーボードをゴッチャになって考えている人も多いようだけど、あくまでシンセサイザーは音を作る機械ということで考えて下さい。プリセットサウンドだけ使う物はシンセサイザーと呼びません。
 そこでDTMの話に戻りますが、DTMはこのMIDI信号をパソコンでつくって楽器を演奏させる、こういう仕組みだったんです。もちろん信号を作る作業はソフトウェアが担当しますので、自分はマウスやパソコンのキーボードを使うなりして音楽に熱中できます。MIDIをやるならマッキントッシュ(パソコンの機種名)という声はよく耳にしますが本格的(プロレベル)でなければメジャーなPC9801(パソコンの機種名)でも十分出来ます。アミーガ(パソコンの機種名)もいいといわれますが僕は見たこともありません。最初はまわりに詳しい人がいるマシンがいいでしょう。
 どうでしたか、DTMやMIDIについてわかっていただけたでしょうか。出来るだけ専門用語はさけたつもりですがどうしてもこういう分野は用語が出てきてしまいますが仕方ありませんね。少し知識を付ければ大きく視野が広がりますので、DTMに興味のある人は是非挑戦してみて下さい。この文章がその手助けになれば幸いです。
けーた(KTAN)

このページの先頭に戻る


「れんこんネット公共端末」の話

 [レジN]

1、いい道具というものは

 いい道具というものは、それを使って何か作りたくさせてくれるような魅力があると思う。いいノコギリがあると木を切って何か作りたくなるし、いい包丁があると何かを料理しておいしいものを作りたくなる。
 そしてまた、ノコギリにしても包丁にしても、実にシンプルな形で使い方は一目でわかる。プロの使い方になるとそれなりに奥義があるとはいうものの、だからと言って素人が使えないというものではない。いい道具としてのノコギリや包丁が人を創造的活動に駆り立てる力は何と多くの人に対して有効なことであろう。

 それに対してパソコン通信やいかに。「れんこんネット」やいかに。
もう悲しくなってしまって、何も言いたくない。やれハイテクだ、やれマイクロエレクトロニクスだ、と言ってもそれがノコギリや包丁のような道具になり得る可能性は当分ありえない。

 ノコギリや包丁ほど生活の中に溶けこんだ道具にはなれないまでも、もう少し誰もが気楽に参加できる「れんこんネット」にしたい。少なくとも、「れんこんネット」への入口だけでもそういう敷居の低いものにしておきたい。
 まぁ、そういう想いがあって、「れんこんネット公共端末」のような誰にでも「れんこんネット」をのぞいてもらえる入口作りの話があるわけだ。

2、偶然は発想を広げる

 れんこんネット(小岩)ができたことは前号でお伝えした。その小岩局は嶽志君の家にホストマシンを置いているわけだが、その嶽志君の家の隣が、たまたま教会であるというところから話は始まる。
 別に教会でなくて喫茶店でも、お寺でも、要するに大勢の人が集まり多少なりともパブリックなスペースを持っていれば何でもよかった。でも隣にあるというのは決定的に大きい。
 隣であれば、れんこんのホストからケーブルを引っ張って直結端末を置ける。直結であるから電話代を気にすることなく長時間使ってもらえる。だから操作に不安のある初心者にも気兼ねなく使ってもらえるような公共端末を作る事ができるのではないだろうか。
 また、隣に住む嶽志君が暇な時は、教会端末を使う人に使い方をいろいろ教えてあげることもできるだろう。

 いきなりこんなことが頭の中にピシパシとひらめいたわけではない。実は、アメリカに「地域メモリー」という公共端末の実践例があることが「パソコン市民ネットワーク」という本には書かれていて、それを読んだ時以来「そういう実験を自分達でもできないものかなぁー」という思いはあったのだった。

 幸いにも嶽志君は、その教会付属の幼稚園を卒業していて、そこの牧師さんとも顔見知りだという。なんか見事に条件がそろった感じがしてしまった。

 そこで早速「れんこん小岩端末in教会」計画をぶち上げて、何はともかくやってみようではないか、ということになった。
 そして、教会にも一度行って牧師さんと話をして、計画自体への賛同はいただいた。

3、感じる限界、そう甘くはない

 計画を具体化しようとすると、またもや「いいノコギリ、いい包丁」からは程遠い道具としての「れんこんネット」という点が目についてしまう。
 いくら直結端末で電話代不要で気兼ねなく使えるからといって、パソコン通信を知らない人に教会端末を使ってもらうには、あまりにも高い障壁があるのに気がつく。そういう目で「れんこんネット」を見てみると、なんと「れんこんネット」の使いにくいことよ。

 実験的に誰でも「れんこんネット」に入れそうな端末は用意してみた。とりあえずは、それを教会に設置してみて様子をみるしかなさそうだ。でも「れんこんネットに入れた」=「れんこんネットを使えた」ではないことは明らかだ。
 教会の関係者のみなさんに対する説明も私達の怠慢から不十分なままで、教会にある「公共端末」としての「れんこんネット」を、今のれんこんのメンバーと教会の関係者とで、お互いが夢を膨らませられるものにもできていない。

 その辺を一つ一つクリアしていかないと、結局、「全然使ってもらえなかった」という結果になりかねない。「公共端末作り」というのは、「たまたま隣が教会だから・・・」という安易な理由だけで進めて行けるほど甘くはないのだった。

4、夢だけは広げておこう

 現在計画中の「教会端末」のようなものは、れんこんネットにダイレクトにつながることになるので、これをオンライン型と言うことにしよう。そうすると、オフライン型というものが当然ありえる。ふだんは「れんこんネット」につながってない、れんこんネット端末というものだ。
 実は、これはすでに多くのれんこんネット会員の自宅にあるパソコンそのものだ。だから、れんこんネット会員のある人が、「自分のパソコンにあるれんこんネットのデータをみんなに見てもらえるように開放しよう」と思えば、それで一台の「オフライン型公共端末」ができる。  だとすると、れんこんネットの会員の一人がある種のパブリックスペースに自由にパソコンを置かせてもらうことができる境遇にいて、その会員がそういう公共端末の実験をやってみたいと思えば、それだけで大きな可能性を持つ公共端末が作れることになる。

 オフライン型端末用に誰でも使えるようなソフトを作って用意すれば、けっこうあっちこっちに「れんこんオフライン公共端末」を置いてもらえるようになるかもしれない。そうすれば、きっと今以上におもしろいことがいろいろできそうな気がする。

 次号では、「運営中の教会端末」の報告ができるといいのだが・・・。

このページの先頭に戻る


null's room(その2)

 [null]

 え〜。再度お目にかかります。nullです。
最初に一言。Vol.13、表紙のあの副題はなんじゃい!(;_;)シクシク>編集者
 おいらは悲しい。ま、いいけど(^^;;

  [モデム・モデム・モデム]
     〜パソコンの光と影(なんちゃって)〜

 14.4K fax modemを買った。だからどーしたと言われればその通りだが(草の根には14.4Kの人が多いし)。引っ越したからだ。八王子が遠くなるから2400を14.4Kにしただ。
 faxは不要だったけど、faxなしの14.4Kがなかっただ。で、据え置きの普通のmodemでも良かったのだが、PCMCIA(*1)の奴にした。これ以上ACアダプタが増えるのはヤダ。というわがままからだ。
 そこまでしてパソ通するか?と言われるなら、強くyes。と主張したりする(笑)

 まぁ、店頭でPCMCIAの奴の方が10K円(*2)も安かったという理由もあるが。
 秋葉で3種類ほどあったが、輸入品のIntel(*3)製のにした。アメリカとカナダでしか使えないと書いてあったが、そんなことを気にする私ではない(^^;第一、店の方にしても気にしていたら置いていないはずだ。(*4)
 少々の英語ならこなせる自信もあったし、なにより対応機種リストに自分の機種(*5)が入っていたことが大きい。

 で。早速install。簡単に...いかない(;_;)
先ずマシン自体の設定が不明。拡張スロットに「PCMCIA」と「その他」とゆー選択枝がある。れ?
 「その他」を選択するとCOM1/COM2とかが選べるようになってるが、IntelのカードはPCMCIA互換を唱っている。
 怪しい。直感で「PCMCIA」にする。(*6)

 マニュアルを斜め読みし、付属のインストーラを起動する。お。順調。でも自宅住所を聞いてきたところからおかしくなってくる。  いきなり、レジスト(ユーザ登録)します。とかでアメリカ、IntelのBBSに電話しようとしやがる!
 ちょっと待たんかい!!
 ホストは14.4Kをサポートしてます。だとぉ。んなこと知ったことかCtrl+Alt+Del(*7)だ。
 結局、途中でストップ。最後までインストールできなんだ。

 ま、それで良しとする。どうせ付属のソフトを使うつもりはなかったんで。でも。あぁぁ。COMポートを認識しない。
 MSD(*8)でも「んなもんねーぞ」と言われる。う〜む。

 しばしのすったもんだ。マニュアルを何度も見直し、設定をチェックし、変更してリブート。
 分かったのは、あるTSRを動かさないとCOMポートにならないという事実。
 結局、5つもメモリに常駐しやがる。外付けmodemならつなぐだけで良いのに、PCMCIAにしたばっかりにこのざま。しょうがないといえばしょうがないのだが。世界標準規格の落とし穴とゆーか。思ってもみなかったこんな事実。
 ちなみにfaxするなら更にもう1つ常駐もんが必要。

 ついでに親切なハイパーテキスト(*9)のヘルプの文面。「ATコマンドを知りたければIntelのBBSにアクセスしてね」
 おいおい。どーすんじゃい。これ。(*10)

 Intelだから、きっと通信用の石はロックウェルだ。との助言から、某より分厚いICの仕様書を入手したが、一般人にゃ無理だぞ。こんなこと。
 defaultでれんこんに繋がったから、その仕様書もろくに見てない(*11)けど。

 先ずはめでたし。でも、Resumeすると必ずハングしやがる。くそぉ。
 訳の分からん環境だから(*12)自分でどーにかするしかないもんなぁ。

 そういえば、IBMのPC-DOS 6.1にゃPCMCIAサポートツールが付いていた。で、modem付属の奴じゃなくてそっちにしてみたらどうだろう。と思い、DOSをバージョン・アップ。
 お。それだけで正常にresumeする!さすがはIBM。

 でも、さっきハングしたな。う〜む。qemm(*13)もバージョンを上げるべきかな。(思案中)

 という訳で、まだちょいと不安定ながら、それなりには通信できるところにこぎつけた。パソコンって自由度が高く、すぐ「世界で唯一の自分仕様マシン」が出来上がるけど、それはつまりサポートも自分でしなきゃいけないことを意味するのよね。

 でも、おもしろそうでしょ?(*14)

 さて。落ち付いて今回のごたごたを振り返って思うに。たかがモデムごときにこの騒ぎ。これは一体なぜ?  パソコンが悪いの?未だ成熟してない証拠?

 そうかも知れない。良くも悪くもパソコンは自分の手の中で育って行く。育つからこそ苦労もする。親(*15)が悪けりゃ子も悪い。てなもの。
 パソコンが単なる道具になる日が来るだろうか?という問いかけを見ることがある。だけど、それは違うと思う。
 既に道具として使う方法はいくらでもあるのだ。ただ、どいつもこいつも性懲りもなく自分のパソコンを育てようとする。そこが問題。買って来たままなら素直なマシンもごちゃごちゃいじるとすぐスネてぐれてしまう(笑)

 パソコンを成熟させない張本人とは実はユーザ自身なのかもしれない。

*1 要するにクレジット・カードサイズのパソコン拡張ユニットの規格。カードの厚さによりタイプ1-4まで存在する。まだちょいと互換性に不安要素があるが、ノートパソコンユーザには福音と言ってよかろう
*2 10*1000円、よーするに1万円のこと。10*1024円のことではこの場合、ない(笑)
*3 インテル。386とか486とかCPUのメーカとして有名
*4 秋葉原は日本の領土のはずだ(多分)
*5 海外仕様機。どーしてそんなのを持っているのか?という突っ込みは却下
*6 結果的に正解。この辺りの勘はやはり経験がものを言う(それだけ過去に失敗してるということを意味する)
*7 IBM互換機はこのキー操作でリブートする。まっとうなHDDキャッシュはちゃんとこの操作を監視しているので危険性はない
*8 MS-Windowsに(なぜか)付属のマシン構成を調べるアプリで、DOSから起動する
*9 その気になればキーワードから次々に関連項目の説明を表示できるが、しまいには何を読んでいるのか分からなくなる。とゆー仕組みを持つ文章
*10 ATコマンド:要するにモデムを設定するための一連の命令。気にしなくても通信はできる(場合も多い)
*11 マニュアルを下手に熟読するとパニックしますぞ(笑)
*12 この時点でIBM-DOS5.02D, MS-DOS 6.0E, Toshiba-DOS3.1J, 日英MS-DOS 5.0, MS-DOS 3.3, DR-DOSのファイルが混在していた。もちろん、DOS以外のファイルも沢山入っている
*13 qemm386。DOSに付属のhimem.sys + emm386.exe の機能に更に追加がある、高機能メモリ・マネージャ。今現在使用中のROMエリアをUMBにすることができたりする
*14 んなこと思う奴は、すでにはまってる人だけだ(^_;)
*15 もちろん、パソコンの持ち主のこと

このページの先頭に戻る


巷で噂の?劇団どくんごの”狐の手袋” それってな〜に?

 [時折 旬]

"狐の手袋"とはなんだ?

 劇団どくんごは今、"狐の手袋"である。"狐の手袋"とはいったいなんぞや? "手袋"のように先が別れ別れになってそれぞれがドン詰まりの袋小路になっているのか? あ 結構近い。いや、そうではない!
 種明かし的に言うと"狐の手袋"とは、強心剤ジギタリスの日本語直訳である。そしてそれは劇団のある一定の期間の事をそう名付けたのだった。

祭の後に後の祭り

 ここんとこ劇団どくんごは1年半〜2年に一度のペースで旅公演を行って来た。これは、必ずしも5・6年に渡る長期計画に基づいて行われて来たものではなく、旅公演ごとに半年間「どわっ〜」っとすったもんだし、終わると「どっ」と「空白期間」があって、また「ぶちぶち」と動き出して・・・。というくり返しであった。
 この「空白期間」というのが旅が長くなるほど長く、4ヶ月の旅公演をした時など、その後の4ヶ月間に1・2回会議をするだけという「腑抜け状態」に陥ったりする。目的を一時的に失って宙に浮いているみたいな・・・。その間には個人的にも溜まった家賃を稼ぐためとかの「社会復帰」するために、それなりのエネルギーを使ったりはする。そしてそれが一応の落ち着きを見せた頃、「今度何演るうぅ〜」とまた一から考え始める訳だ。
 「ふっ」と振り返れば旅が終わって早4ヶ月。なんにもしない間にも世界は動いているではないか! 「賃労働」に侵された頭で半年前の事を思いだす所からまた始まるのである。「賃労働」の為に習慣化された一日の時間の過ごし方は、カラダからもココロからも色々なモノを忘却の彼方へと吸いとってくれる。

突然ですが"労働"ってさあ

 "芝居"というモノは、そもそも世の中に必ず必要というものではない。言ってみれば「娯楽」である。しかもそれをした結果お金が稼げなければ、この世の中では"芝居"という行為は「趣味でやっている」ということになるらしい。「趣味」というと多分「余暇」にやるもののコトだろう。少なくとも僕にとってみれば"芝居"をすることどもは「本業」であって、その余暇でその他の事をしていると言える。自分の中で"芝居"とは(本来の意味での)"労働"であると価値付けられているのだが・・・。そういう「金にならない労働」ばかりでは食えない世の中(あるいは食える方法を未だ見い出せない、というか食う事が目的ではない)なので、しかたなく「本業」とは別に「賃労働」をする訳なのだ。
 "芝居"を作って行く上での様々な行為は、その一つ一つを見てみれば「賃労働」と変わりはない。チケットを作ったり宣伝したりするのは「営業マン」と言えるし、テントやら舞台やらを作るのは「鳶」であったり「大工」であったりするし、トラックに積み込んで移動すれば「運送屋」であるし、衣装をチクチク縫えば「お針子さん」であったりする。しかしそのどれもが"芝居"としての行為であり、それ自身に価値がある。その行為(= 時間)を売るためにしている訳ではない。行為を強制する者がいる訳でもなく、手を抜けば悲しいのは自分である。
 "芝居"というすんごくお金にならないコトをたまたま選んで(というか気が付いたらいて)しまったが故に、「賃労働」という言わば「当たり前」のコトが自分にとってものすごく異質なコトに認識される。

で、今のどくんご

 話しを"狐の手袋"に戻そう。
 これまでの劇団の動き方から見ると、現在どくんごは「空白期間」に相当するはずである。個々の劇団員は「賃労働」に追われ(ヤだなあホントに)、「余暇」で"芝居"のコトなど考える気力を保ちにくくなっていたはずである。一度そうなると、個人としても集団としても再び立ち上がるのにものすごく時間と気力がいる。そこで、そこまで体力が落ちる前に劇団に薬を打って持続させようというのが、"狐の手袋"であった訳だ。個的には「日常」を享受しつつも劇団は休まない。「空白」を作らない。ヤクを打ちつづける。具体的には、単純に言って公演を打つというコトですね。「な〜んだそんなことか」と拍子抜けしました? でも、集団としてはそれなりにシビアな問題なんです。"狐の手袋"についてということで、ちょっと内部事情的なことすぎかな?と思いつつ書いちゃいました。

そ〜ゆ〜訳で

 先日4月2日・3日に"狐の手袋"その1として、公演第14番「恋の日」を役者二人でやったその次は、5月末か6月始めに役者3〜4人でその2をやります。その後にも・・・楽団どくんごかな(いずれも地元浦和近辺でですが)。そしてそして、"狐の手袋"終了後加速した勢いで来年春から旅をします。今度こそ伊勢にも行っちゃうぞ〜

 んでもって追伸ですが、今が劇団どくんごで役者(じゃなくてもいいけど役者がいいよ)を演るチャンス! やる気さえあればはっきり言って誰でもできます。浦和に稽古に来られる方お気軽に連絡ください。(劇団どくんご 048-883-6712 ・れんこんネット浦和 ID TOKIORI or DOINO)

このページの先頭に戻る