1993.10.26発行
※リンクしていないものは、手書き、漫画などの為ホームページ上には
掲載しておりません。
ご覧になりたい方は放射性れんこんVol.13をご覧ください。
というわけで、私はどくんご八王子公演の受け入れスタッフとしては非常に不熱心だった事を今になって後悔している。あう。原稿を書くといった時点からでももうすこし受け入れ活動に熱心だったら、ここまで書く事に困らなかったのではないか、と思われる。
演劇を見るのは久しぶりだったので、公演自体はとても楽しみにしていた。だから、公演当日は熱心な一般観劇客にはなるつもりではいたけれど、さすがにれんこんのボードでごちゃごちゃ上っているいろいろな企画に気合入れて参加するつもりがなかったのだ。
結局まきこまれてしまったわけだが。
さて。その八王子公演当日は雨だった。
屋外の劇だっつーに気象庁ももう少し遠慮して天気を選んで欲しいものだ、とか思いつつ、私はアティックに向かった。ついた時には公演まであと30分を切っていた為、アティックは数人のメンバーがいるだけで、ほとんどのメンバーはもう会場の子安公園にいるらしかった。
一応、私は「女装」メンバーだったので、化粧なぞしてから、会場へ向かう。
公園についてみると、会場のすみっこに出来た桟敷にはもうかなりの人が座り込んでいた。前々からあちこちにまいてたらしいポスターとチラシ、そして新聞の地方版にとりあげてもらったのがかなりの宣伝になった模様。雨が降ってるので、人の入りが少なくなりはしないかと不安だったが、よかった、よかった(^_^;)。
公演の入り口の近くには受け付けのテントがあり、そのだいたい対面にちゃんちゃ焼きと干物の屋台がでている。それらの真ん中、大きな桜の木の下辺りが舞台の中央になるようだった。
雨は開演の頃にはだいぶおとなしくなってきていた。しかし、公園の地面は雨に濡れて、べちゃべちゃになっている。入り口の前あたりにはでかい水たまりもある。こんな状態ではたしてちゃんとお芝居出来るのだろうか、人事ながら気になる。
劇は小雨の中、べちゃべちゃの地面をものともせずに、始まった・・・・・が、私は最初の数分を見ていない。屋台で売っていた日本酒がなくなってきていたので、追加を買いにでかけていたのだ。帰って来た時にはすでに劇が始まっている、しかも、桟敷の方はどうやら満席のようで、屋台から桟敷に移動するのをためらった私は、屋台方面から観劇することにした。
これが間違いのもとだった。屋台からだと、役者を斜め後ろから見る事になる。当然役者の表情はあまり見えないわ、台詞は聞き取りにくいわ。干物やちゃんちゃ焼きの火の番をしながら、酒をひっかけながら、彼らの演技を見ている屋台側の私達はこれではたんなる傍観者。
初めて見る劇でこんなみかたをしてたら、内容なんかまったく把握する事が出来ない。よって、私は途中から八王子での観劇をすっかりあきらめてしまっていた。浦和だ。熱心な一般観劇客として劇を鑑賞するのは、ツアー最後の浦和公演にかけるんだだだ。
というわけで、劇の内容より、私の感心は他にまわった。
桟敷でがちゃがちゃ勝手に自分達の話題に乗じていたガキども、散歩の途中で立ち寄ったのか、公園の端の方で劇の様子をながめている親子、訳知り顔で屋台をのぞきこんだり楽屋テントの横でつったってたりしてた奇妙なカップル。 おおよそ、ふつ〜の劇場では見られないよーな観客がいる(おまえもだって)。
しかし、劇団のメンバーはそんな観客を注意するでもなく、気にする事もなく、どんどこ劇はすすんでいく。受け付けのテントも屋台も舞台演出の為のかざりのように、気にせず、利用もしない。
これも、劇の一つのスタイルなのかな。などど、奇妙に感心する。
とうとう、最後までストーリィがつかめないまま。まぁ、いいや。浦和があるさ。
なんて、おきらくごくらくに考え、私は「女装」メンバーと共に、花をかかえて、観客の前にならぶ出演者たちのそばにのこのこと行ったのだった。
浦和いきます。そうして、ちゃんと見て、それからちゃんとした感想言います。なんで八王子での不熱心な観客態度はみのがしてくださああああい。
その次の次の日、私は浦和に出かけた。
浦和も雨だった。
1、不思議な光を放つ爆発
10月1日、八王子市子安公園で、劇団どくんご八王子公演が上演された。
れんこんでは初めてイベントらしいイベントに取り組んだ経験だった。
わけのわからないエネルギーがごちゃまぜになって、不思議な光を放って爆発した感じだった。八王子の子安公園周辺の一角に、何かしら変な空間ができていたに違いない。そういう空間での遊びを覚えてしまった、れんこんの人達。そんな遊びを教えてしまった劇団どくんごの人達。この爆発は、ひょっとして何かの始まりの合図だったのだろうか。
れんこんネットのボード上に目を向けるだけでも、この爆発を計り知ることは可能だ。
[ INDEX ] ★★ たまタマ多摩 ★★ (TAMATAMA)
17 93/05/16 67 DOINO 劇団どくんごの八王子公演を遊ヴ
24 93/09/02 110 レジスターN どくんご八王子公演準備連絡ノート
25 93/09/19 78 MOGU どくんごメインイベントについて
26 93/10/02 40 レジスターN どくんご八王子公演感想ノート
[ INDEX ] ★★ 乗っ取りボード ★★ (NOTTORI)
56 93/05/13 109 カワチマル 劇団どくんごのお知らせ(93年の旅と公演)
76 93/08/24 70 カワチマル 劇団どくんご93年『よろこんで』公演
78 93/09/20 48 CBa 浅川橋ヤング洋品店
[ INDEX ] ★★ 峠の茶屋 ★★ (TOUGE)
105 93/08/09 78 レジスターN どくんご観劇 軽井沢オフ!
劇団どくんご関係で、3つのボードに渡って、600個のメッセージが乱れ飛んでいる。
2、仕掛けられていた爆弾
今にして思えば、爆弾は巧妙に仕掛けられていた。
劇団どくんごのことは、放射性れんこんVol.3 (91.5.18発行)にすでに出て来ている。河内丸とか名乗る人が、「君をまっている」の公演のお誘いを書いているのだ。その内容は一言で言えば、「言葉の限界のワクの外側にはみ出す世界を楽しみにおいで!」ということだった。
言葉の世界の限界に強力に縛り付けられるパソ通を主たる活動の場とするれんこんの人達に、言葉のワクからはみ出たところの世界をちらつかせるなんざー、漁師に羊飼いの楽しさを語るようなもんだ。
91年6月、この「君をまっている」をみんなで見に行って、
「はァ」
と思って帰ってきた時、すでに爆弾はセットされていたに違いない。
その後、羊飼いのスポークスマンは、現役羊飼いを呼び寄せて、一緒になって羊飼いの楽しさを語り始めるのだった。
3、導火線に火がついた
・・・
その旅公演で、八王子で公演できないかと・・・そろそろ真面目に考えてます。さ〜あどなたか気軽に「私に任せなさい。」と一言このボードに書き込みましょう!(^^) 時折 旬(93.1.9の書き込みより)
と、このあたりで導火線に火がついた感じだっただろうか。
その後、
この前、飲んだ席で話したこともあったりして、八王子の公園は借りれるものかどうか、市の公園課に電話してみました。
・・・
で、市の公園課の人に「芝居をやりたいのですが...」と相談すると、利益を得るようなことでは使えないということ以外、別に制限はないようでした。
レジN(93.3.17書き込みより)
と来て、いよいよこの火は消しようのないものになってしまったようだった。
そして、また「どくんご」の人が巧みに挑発する。
例えばレジNさんが、「そうじゃぁ! わしは前から子安町公園にテントを張って「れんこん子安町公園」を開局したかったのじゃあ。ケーブルも100メートルもありゃ足りるし。うん、そのだしにどくんごを使って公園の使用許可でもとるか。」とか・・・。
ちょっと話はそれますが、自分(公演の協力者)がやってみたいことに僕ら(どくんご)が利用されるというスチュエーションは面白いですねえ。どくんごがメインにまずあってというより、その公演を機会に遊んじゃえ! という感じ。僕らも大変刺激されます。
時折 旬(93.3.19の書き込みより)
何となく、大爆発の予感をもよおさせる書き込みだった。
4、暗黒界のピエロ?がやってくる
「劇団どくんご」がれんこんに派遣してきた人は「暗悪健太」なる人であった。
暗黒界からの使者かと思わせるようなすごい名前の人であるが、暗黒界でピエロを担当しているような感じの人だった。
暗悪 健太は全く「暗く」ない、童顔の30男です。この前の公演(僕が「かいそん」演ってたやつ)では演出をしていたので、出演しておりません。彼は今回、どくんご内部での「八王子公演」の担当者になっているのです。4月中に具体的な公演内容を決めるので、「ぼちぼち《れんこん》とやらに出入りする人間の顔を見てみたいのお」と言う訳なのです。
時折 旬(93.4.8の書き込みより)
私は、この暗悪健太さんと一緒に、お役人様と楽しいお話をしたりとかいろいろすることになるのだった。
市役所の公園課の人は、いろいろなことを説明してくれたわけですが、それらの根拠は、どうも条例のようなものではなさそうでした。公園課の人達が条例を解釈して「内規」というものを持っているようで、・・・
・・・
しかし、その「内規」なるものは、「内規だから駄目」という風に市民につきつけることができるものなのでしょうか。ましてや、「内規を変えることなどありえない」と断言することが許されるものなのでしょうか。
・・・
「公園とは、本来、芝居をやるような目的の場所ではない」と、こんなことも言っていましたが、これも「内規」なんでしょう。
・・・
レジN(93.5.19書き込みより)
「どくんご」の人達にとっては、役所との交渉はけっこう慣れたものであるものの、つねに公演の前に立ちはだかる壁のようなものとしてあるみたいだ。普段、社会の歯車にそのまま回されているような生活の中では気付かない壁、でもものすごい邪魔な壁、そういう物の存在を痛感させられたのであった。
・・・
ぼくたちは、役所交渉の時は、「嘘つかない」「正面突破」が原則です。これはどういう意味かというと、芝居をするのに読書会をやると嘘いって借りたり、金をとるのに金をとらないと言ったりはしない、ということです。これをやると、次回は逆に「きみたちは嘘つきだからかせない」ということにもなりかねない。現に他の土地では、現実に使う土地の面積の 1/10 ぐらいの面積しか申請しないでいて、そのことを突かれて以後借りられなくなったところもあります。
「正面突破」というのは、役所の労働組合やあるいは議員などのコネを使ったりして裏取り引きはしない、ということです。あたりまえの人が窓口にあたりまえに行って借りられなくっちゃ、意味ないでしょう。(裏取り引きをすることで結果次からあたりまえの人が借りられるようになればそれもいいかも。でもなかなかそういうことはない。)
・・・
doino(93.5.21書き込みより)
こういうことが書ける「劇団どくんご」の人って、ちょっとまぶしかったりするのだった。
5、決まった、れんこんのお遊びイベント
れんこんのボードに「劇団どくんごの八王子公演を遊ヴ」というタイトルのノートもあった位で、何して遊ヴかが重要な問題だった。
結局決まったことは、
○南島町の干物をzippさんに送ってもらって、干物を焼いて、酒とセットで売る。
(実は、自分達が飲み食いしたい。)
○さけの「ちゃんちゃ焼き」をやって売る。
以上、要するに食い物屋台をやろうということだった。
今日帰ってきてたら親から電話があって、いきなり「サケ」いらないか?、っていわれたんでどくんどにあわせて2〜3本手配しました。
もぐ(93.9.5の書き込みより)
という具合で、材料の調達も順調だった。
そして、やろうかやるまいか悩んでいたのが
○どくんごの芝居の最後をれんこん女装大会で乗っ取る
という企画だった。
しかし、一番盛り上がってしまうのがこの女装大会になるのだった。何しろ、女装に備えて、みんなで買い物ツアーまでやったくらいだ。「浅川橋ヤング洋品店」というノートは、この買い物で盛り上がったノートだった。
・・・上野には \3,000- 代からウェディングドレスを扱っているお店があったはずだ。高円寺駅の北口を出て環 7 に向かってちょっとの国鉄倉庫跡で 9/28 までやっているフリーマーケットでは、有名どころのドレスが \200- からあった。原宿シカゴなどでも、着物・浴衣の類でハデハデ \1,000- ってのがタマにある。
千葉(93.9.19の書き込みより)
と、まぁこういう物知りさんもいて、準備は進むのであった。
「どくんごメインイベントについて」というノートも、この女装大会のことを語るノートであったことは言うまでもない。このノートの内容を紹介しようと思ったが危険すぎるようなので止めておく。
6、そして、10月1日
この日あったいろんなこと、とても書ききれない。
冒頭にも書いたように、とにかく異様な空間が現出して、異様な興奮を味わいながらすごしたのだった。
「ちんどん屋」「ちゃんちゃ焼き」「魚の干物焼き」「開演前の大雨」「芝居」「女装」「打ち上げ宴会」
特筆すべきことを一つだけ上げておくと、「マダムKJ」と「女子高生もぐ」なる女装の双璧が、この日の話題をかなり独占したことは衆目の一致するところであった。
旅に行く先々で、こんな刺激的でおもしろい一日をすごせるとすると・・・、「どくんご」の人達が旅公演の世界に引きずり込まれて行く理由もわかるような気になってしまう。
7、わけわからないものが積み上げられて
理由なんて考えてもよくわからないことだらけだ。
「なぜ、れんこんが芝居を?」「なぜ、女装を?」「なぜ、子安公園で?」「なぜ、食い物屋台を?」・・・。そして何よりも「よろこんで」の芝居の中身そのものがよくわからない。
でも、何かみんな楽しそうでおもしろがっていたことは確かだった。
それは、「個別の意味」に囚われて手足を縛られる不自由を日常的に感じている人が多かったからかもしれない。
わけのわからないことを積み上げてみると、手足を縛り付けていた「個別の意味」の方が間違っていたことに気付くような気がする。
「公園とは、本来、芝居をやるような目的の場所ではない」なんて、公園にそんな「個別の意味」を持たせているとしたら、明らかにそれが間違っている。少なくとも、私はそういうことが身を持って理解できた。
はじめまして。れんこんネットにはたまに来て書いているnull(*1)と申します。そんな奴がここで何をやっているかって?さぁ(^^;;あたしにもどうしてこう なったか今一つ事情が……。大体、放射性れんこんは年間購読すらしてないんですが(笑)
気を取り直して、さて。フリーハンドで渡されたこのコラム。飯の種でもあるパソコンの話でも書きましょうね。(それしか能がないという突っ込みは却下)
良くワープロは買って来たら直に使えるがパソコンはそうではない、難しい。と言われてます。本当でしょうか?
ソフトinstall(*2)済みで売られているパソコンなら買って来て直に使えるし、 最近のinstaller(*3)なら何も考えずにFDを差し変えていればちゃんとinstallされるし。ひょっとして簡単なのかしらん?
どうでしょうか。ちなみに私らパソコンを作っている側の人間が新しいマシンを渡された時どうするか。先ずは、そうですね:
MS-DOS, Windows, その他アプリはinstallerで組み込みます。最近のアプリは付属のinstallerでinstallしないときちんと組み込めないので、これは必須の作業ですね。
で。次のステップ。やおら古いマシンと新しいマシンをRS-232C(*4)でつなぎ、 Config.sys (*5)やAutoExec.bat (*6)もろとも新しいマシンのファイルを上書き(*7)してしまいます。
そして\bin (*8)、\usr (*9)、\com (*10)、\etc (*11)などの古いマシンのディレクトリは全部丸コピ ーしてしまいます。 Installerで組み込んだアプリだってメスが入ります。いらないファイル(*12)をどんどん消すし、設定(*13)もどんどん変えます。
数時間後にはInstallした頃の面影などほとんど残っていない代物ができ上がり。
図1は私のJ-3100GS001というパソコンのルートディレクトリ(*14)です。このマシンにはHDDがないので、かなり厳しい設定になってます。
BIN [DIR] 93-09-22 6:04p
Volume in drive C is HARD SYSTEM
図1 'dir'コマンドの結果
Directory of C:\*.*
ETC [DIR] 93-09-22 6:04p
NET [DIR] 93-09-22 6:04p
AUTOEXEC.BAT 1073 93-07-20 9:28p
CONFIG.SYS 253 93-07-21 8:10p
NSTART.BTM 96 93-07-21 8:13p
1,422 bytes in 6 file(s) 6,144 bytes allocated
3,129,344 bytes free
余談ですが、図1を見て:
1. ははん。 「あれ」を使っているな
→おみそれしました
2. 英語DOSか?いやでも'\'が表示されてるぞ?
→ もう一息ですね
3. シリアルナンバーが出てない!DOS3.xだ!!
→するどい。その通り
4. あ。command.comはどこだろう?
→実はどこにもありません。本当
ちなみに引退したマシンです。少し前まで通信マシンだったので\NETがあります。今では「予備のテキストウィンドウ」として、使用してます(^^;
うちには日本語が出せるプリンタがないので、紙の代わりにこうした引退マシンを利用している訳です。(おぉ。ペーパレス[^^;])
で、「何か変」でしょ?一般に、パワーユーザと呼ばれる人のマシンとはこういう物です。どういうことかと言うなら「あるパワーユーザのマシンを他のパワーユーザのマシンと交換すると、交換した双方が相手のマシンにケチを付ける」
言い替えると「それぞれ癖のあるマシンに仕上がっていて、本人以外は使いこなせない」妙なものになっている。という訳です。
あるアプリを起動するのにも黙っていれば(installer任せだと)jxw(*15)で済むのに、taro4と入力しないと動かなかったり、atok7(*16)がどこにもいなかったりします。
かと思うとさり気なく画面に時計が常に表示されていたり、ディレクトリを取るとファイルの説明が同時に表示されたりします。(私の場合)
…要するに自分個人の独断と偏見によって好き勝手な変更がなされているという事。自分のマシンですから、他人の便宜など知りません。自分が使い易いと思う状態がbest。それが「正義」です(^^;;
まぁ、何をどう設定したのか自分でも良く分からなくなっているし(あたしのautoexec.batは1988.12(*17)が最初のバージョンだったらしい)だからこそ古いマシンからファイルをcopyしたりする訳ですが。
当然、万人受けを狙ったinstallerの設定など気に入る訳がありません。もし自分のマシンと全く同じ設定を他人のマシンで見掛けたら、驚愕どころではないでしょうね。
いかに自分に合わせたマシンにするか。その工夫がどうにでもできるのがパソコン。気に入らなければ変えれば良い。でも自分がやったことだから、自分で責任持てよ。何が起こっても知らないぞ。
という状態。良いか悪いか……。でも「コンピュータ環境の整備」っていう言葉はまさにこのためにある。自分の我儘を実現し、好き勝手に、自分だけが良ければそれで良いじゃないか。
パソコンってそんな「道具」です。他人がうっかり電源を入れようもんならハングはするしピーピー警告(文句)を発し、あまつさえキーに印字されている文字を入力できない!(会社で使っているマシン)
いいじゃないのさ。使っている本人が快適に使えているなら。
例えば電源入れたら「いらっしゃいませ〜」と言い、リセットすると「ありがとうございましたぁ〜」と言うパソコンだってあって良いでしょ?(実は実在する。私の環境ではハングする[;_;]んで使ってないが) (*18)
私に言わせると、ワープロは買って来たままの状態でしか使えない。おいらは我儘なんでそれじゃぁ困る。
どきどきしながらパソコンにリセット(*19)を掛け る瞬間、それが楽しみなのさっ(笑)←たまに半泣きでやってる場合があるけど(^^;;
まぁ、パソコンは人類が得た最上の奴隷である。と言い捨ててこのコラムは終了することにしますね。
「持ち主の、力量反映、マシン環境。フリーウェアで、息を付く」字余り。
*1 ハンドル名です。念のため。 MIXにいる同名ハンドルの人とは別人です
*2 インストールと読む。ソフトがそのマシン上で動作するように組み込むこと
*3 installを助けるプログラム。 大概、 setupとかinstallとかいう名前が付いている
*4 別にプリンタポートでも良いんですが……。市販のソフトです
*5 パソコンの基本的な設定を行うファイルで、マシン起動時に参照される
*6 これもマシン起動時に一度だけ実行されるファイル
*7 installerが作成したConfig.sysやAutoexec.batを全く無視することになる
*8 unixを知ると、この名前のディレクトリに実行ファイルを入れたくなる(^^;
*9 unix(中略)自分が作成するデータはこの下に更にディレクトリを作って(以下略)
*10 VAX/VMS(中略)バッチの類は(以下略)←拡張子が.comなんです。はい。VMSでは
*11 unix(中略)デバイスドライバの類は(以下略)
*12 自分が使わないファイルでもinstallerは勝手に組み込んでしまうことが多い
*13 表示色とか、プリンタ、マウス、その他もろもろの項目
*14 'cd\'とやった時に移動する「てっぺん」のディレクトリのこと
*15 某有名日本語ワープロソフト、「○太郎」
*16 某有名日本語ワープロソフトはatok7がないと起 動しないことになっている
*17 当時、MS-DOS V2.11だったと思う。 あれはbugが結構あってなぁ(笑)
*18 音源ボードのないパソコンでも根性さえあれば喋らせられるのだ
*19 Config.sysを変更した場合、リセットしないとその変更が反映されない
(EOF)
○ 芦浜キャンプ ○
芦浜キャンプも今年で4回目となりました。そもそもの始まりは、ある原発の建設候補地となっている浜があると言うので、どういうところに原発を建てようとしているのか、キャンプを兼ねて見にいってみよう。と言う話しが、パソコン通信で話されたのがきっかけだったと聞きました。それから毎年夏になるとキャンプは行われ、年を追うごとに参加者も増えてきてます。私は去年、今年とキャンプに参加させてもらいましたが、色々な人に出会い、行く度に色々な事を考え、感じ、見ることの出来る場所なのです。
その浜の名は、「芦浜」。
今から30年近く前、高度成長期真っ只中で、原発は夢のエネルギーと呼ばれていた時代。中部電力が原発建設地として三重県の人里離れたある静かな海岸「芦浜」を候補に上げたのです。その当時から「原発いらない」と、地元漁師や住民が今でも戦っています。
○ 海亀もくる芦浜 ○
芦浜には、なんと海亀もやって来るらしいのです。海亀が産卵に来るほど静かで、ひっそりとした海岸なのです。そこで今年は、三重県のZippさんらが「浦島pro.」なる海亀の調査隊を発足させ、夏になる前からほぼ毎週末芦浜に交代で出向き、海亀の上陸や産卵を見守ろうという事も企画されました。
そんなわけで今回のキャンプは、もしかしたら海亀の産卵に遭遇するかも!?という楽しみも増えました。
○ キャンプ ○
いざ、出発!!
7月29日木曜日。今年は雨続きで天気の方も心配されましたが、前日に台風が通過したのでキャンプ中は何とかなりそうでひと安心です。東京の八王子から直行のれんこんネット組は、芦浜キャンプに合わせて夏期休暇のある某会社に集合。お昼にはそこを出発し、高速道路を使いながら2台のワンボックス・カーで9時間程の道のりを延々と走って行きます。
キャンプの前日に一晩泊めてもらってたりと、いろいろお世話になる伊勢の栗田さん(通称「社長」)宅別荘に到着したのが、夜の9時頃。翌日、そこから車で1時間半ほどかけて紀勢町にある錦の港へ、そこから芦浜に向かうという予定です。当然(?)その晩は、酒を飲んで翌日のキャンプを目前としたハイな飲み会が始まるのでした。これも、このキャンプの楽しみだったりして。
次の日、午前中に社長宅を後にしてお昼には、錦の港にある公園に向かいます。他の合流組との待ち合わせを兼ねたここで休憩をし、軽く昼食をとった後、芦浜に向かうのです。
そして小一時間ほど歩き通すと、芦浜を見下ろす丘にたどり着きます。ここまで来れば、後は急な下りを残すのみで10分程で浜にたどり着けるような場所です。
ここでおいしいビールを飲むために、缶ビールと氷の詰まったクーラーボックス(!)を背負って持って来ているのでここで一口…。この、おいしい一杯のために来年も来るぞっ!!と心に誓う人は数知れず。
ここが芦浜
さて、丘で呼吸を整え体を休めたところで、急な下り坂を降りてそれからちょっと歩くと浜に到着。芦浜は砂というよりも砂利が広がっていて、その砂利を踏み、潮風に当たると「とうとう来たな」と感じます。
今年は御存じの通り非常に雨の多い夏でした。私達がキャンプをした時は雨はほとんど降りませんでしたが、キャンプの前日、台風が通過した事もあってか、芦浜までの道のりや芦浜の池など、非常に水に恵まれました。
池は山から染み出た水がそのまま溜まったかの如く、非常に澄んでいました。山道を越えて浜に着き、今宵の寝床であるテントを張った後、池に入ってみました。
肩まで浸かっても足の爪先まで見え、水面からの視線で見た池には薄霧が立ち、私のおこす静かな波だけが池面にただよいます。ただ静かな池です。その背景の木々とともに神秘的な表情を見せていました。
また、この池にはシジミがわんさかといて、池底の砂利をひとすくいすればいくつものシジミがとれるのです。10分もあれば充分なほどのシジミが取れるので、当然のように食事にはシジミのお味噌汁を頂きました。いやー、おいしかった。
キャンプ
キャンプをするためのテントは、池と海の間にある低木の中にキャンプを張ります。その低木の中にも1箇所、10数畳程の広さがあるところが有るのですが、何故かそこにはビニールシートが数十センチ浮かせていっぱいに広げてありました。そこで、その真ん中に棒を突き立てて簡易テントが出来上がりました。
後から聞いたんですけど、数日前に来た時にはこのシートは無かったそうです。この周辺は中部電力の子会社である中部林産に管理されているらしいのですが。
今年のキャンプでは、海亀の上陸調査も兼ねているので、夜の浜辺で火をおこしたり、騒いだりする事は出来ませんが、月夜に写る海を見る事が出来ます(ほぼ満月)。
2日目の朝、食事を作っていると通りがかった中部林産の数人のおじさん達が突然、凄い剣幕で「お前等ここでなにしとる!!」と言い寄って来ました。「ただキャンプをして、海亀を見に来ているだけだ」と説明しましたが、「ビニールシートは作業用だから棒を下ろせ」と言い残し去って行きました。ほとんどの人は友好的なんだそうですが、人によっては難癖を付けてくるらしい。どうやら、その人だったようだ(笑)。とりあえず、棒は下ろしました。
この朝早く、れんこんの数名の若さあふれる者達がビールの無くなった空のクーラーボックスを担いで、山を越えてビールを調達しに出ました(*1)。これも、芦浜名物となりそうです。
(*1)別称「BKO部隊」。Beer Keeping Operations。れんこんの造語(当然!)
海亀
海亀が産卵した場所、海亀の卵が発見されました。Zippさんが浜辺に棒を突き刺していって探し出したのです。棒で砂浜を突き刺していると、「ずぶずぶ」と入ってゆくところが亀の産卵場所なんだそうです。後で私も少し試してみましたけど、よく判りませんでした。
その卵はピンポン玉大の大きさで、30センチ程の深さから下にびっしり入っています。数としたら100〜150個程を一度に産み落とすらしいのですが、結構な深さがあります。海亀も器用。
写真を撮り、専門家の方に調べてもらいます。砂の温度や深さ、などを記録しています。その時聞いた話しでは、孵化する時の砂の温度でオス、メスの産み分けがされるらしいのです。初めて知りました。その後、もう一ヶ所の産卵場所が見つかりました。
浜が砂利ということもあって産卵から1、2週間経っていても、海から産卵場所まで亀が這って来たあとが残っていて、どのように這って来たかを確認出来ます。だから産卵場所を確認をしやすいとも言えます。なんにしても、実際に卵を見ることが出来たのは大収穫です。こんな体験なかなか出来ませんよね。
残りの時間は、海や池で泳いだり、浜でフリスビーをしたり、人によっては本を読んだりと、人様々にプライベートビーチ(笑)で時を過ごしました。
○ 芦浜で過ごす ○
とにもかくにも、無人の浜「あしはま」で電気、水道、ガスの無い生活をしてみると、私達が「文明」に侵されていることに驚かされる。通常の私達の生活では、水道をひねればそれだけで、飲み水がすぐに得られる。今年は、池の水が非常にきれいだったので水には困らなかったが、去年は池の水源までポリタンクを担いで水を確保しなければならなかった。しかし、シジミを始めとして自然の幸はたくさんあるのだ。釣り道具さえあれば魚もたくさん取れるらしい。
○ 原子力発電所建設予定地「芦浜」 ○
芦浜は原発を建てるのには格好の場所らしい。程よい広さがあり、海から以外は細い山道を越えなくては行けない。回りの岩肌が剥き出しの山々は、しっかりとした地盤がある事が予想出来る。海岸は浜を出るとすぐに深くなり、核燃料を積んだ大型の船舶の入れるような港も簡単に出来る。そして、芦浜の浜や陸地の部分は中部電力が買い占め、現在では私有地となっている。残るは、芦浜の前に広がる海だけだ。今その権利は、海で生計を立てている漁師達が持っている。つまり最も近い漁協、南島町の古和浦漁協と紀勢町の錦漁協の同意が得られれば原発建設に一歩近づくという訳だ。
紀勢町の錦漁協はだいぶ前に賛成側になってしまったらしいが、古和浦漁協は微妙な線だ。ただし、今年のはじめに南島町で行われた町議会で可決された「住民投票条例」で、南島町全体で半数以上の同意が得られなければ、電力会社による環境調査、原発建設は出来なくなる。
1.ことのいきさつ
文部省検定教科書に掲載される予定の小説中に、てんかん患者への差別と偏見を助長する表現がある、と患者団体が指摘し、出版社と作者に抗議、教科書からの問題作品の削除などを求めた。ところが、当事者が人気作家の筒井康隆氏、版元も何かと話題の角川書店だったこと、また槍玉にあげられた筒井氏が「断筆」という行動にでたことから、この「問題」は「表現の自由」と「差別糾弾」をめぐっての社会問題となった。
以下、最小限の事実関係を記述する。
角川書店発行の高等学校教科書「国語I」に掲載の筒井康隆氏作品「無人警察」における以下の表現が、「てんかんに対する差別を助長し、誤解を広める記述」であるとして、日本てんかん協会が7月10日付けで抗議の声明を発表したのがことの起こりであった。
問題の箇所とは以下の2箇所である。設定は「近未来」である。発表は1965年。
1) てんかんを起こすおそれのある者が運転していると危険だから、脳波測定機で運転者の脳波を検査する。異常波を出している者は、発作を起こす前に病院に収容されるのである。(教科書の脚注 てんかん 発作のとき、身体の痙攣、意識喪失などの症状が現れる病気。現在では、薬の常用で抑えることができる。)
2) でも、わたしはてんかんではないはずだし、もちろん酒も飲んでいない。何も悪いことをした覚えもないのだ。
この箇所についての、「てんかん協会」の主張は、以下のようにまとめられる。
1)については、「てんかんをもつ人々の人権を無視した表現であり、また医学的にもてんかんに対する間違った考えに立脚」しており、「この文章ではてんかんは取り締まりの対象としてのみ扱われ、医学や福祉の対象としては全く考えられていない」としており、また、2)については、「てんかんが悪者扱いされている」としている。他に、てんかんを持つ人々の自動車運転についての時代遅れの認識のある教科書が使用された場合、てんかんを持つ高校生がどういう感情を持つか、といったことへの配慮が欠けている、などと問題視したのであった。
そして、文部省に対しては検定の取り消し、角川書店に対しては教科書の発売中止を、作品の教科書からの削除、都道府県教委と高校に対してはこの教科書の不採択を要求・要請し、さらには角川に対してこの作品を収録した文庫・全集の回収および改版の要求を行なった。
これに対し、角川書店は反論と、協会の「不当」な行動についての「陳謝」要求を行なった。また、原著者の筒井氏は、「噂の真相」等に反論を執筆するとともに、「直接には日本てんかん協会などの糾弾への抗議」として、また「また、自由に小説が書けない社会的状況や、及び、そうした社会の風潮を是認したり、見て見ぬふりをしたりする気配が、本来なら一般的良識におもねることなく、そもそもは『反制度的でなくてはならない小説』に理解を示すべき筈の多くの言論媒体にまで見られる傾向に対しての抗議」として、以後「断筆」することを表明した。
しかしながら、「話題」としての大きさとは裏腹に、この問題によって、「表現の自由」や「差別糾弾」の問題についての議論が活発になったり、社会的な関心や問題意識のレベルが高まったとは、お世辞にも到底言えないであろう。考えようによっては、日頃、大きな社会問題として語られにくいそういった問題について、自由で活発な討論が行なえる、格好の機会だったのかもしれないのにもかかわらず。
なぜそうなのか。筒井氏が非常に多くの熱心なファン層を持つ人気作家であり、その彼が以後「筆を断つ」と宣言したことの波紋が大きかった。そのことが、事実関係の正確な把握とそれに対する評価を冷静に行うことへの関心よりも、「表現への規制」といったある意味では表面的な現象への危惧や反発を話題の中心にしてしまった。筒井氏が、この問題をきっかけに「文学とメディアの関係論」を提起しようとしたのだとすれば、それはある程度、成果を呼んだといえるのかもしれない。しかし、肝心の「てんかん協会」という一方の当該者が提起しようとしたことについて、それを受け止めて議論を喚起し、問題認識を共有化しようとした言論メディアは、どういうわけか出現しようとしなかった。
れんこんでの、この問題の取り上げられ方にも、ある意味で社会全体での「混乱」の仕方をシミュレートするものがあったように思える。雑記帳でのこの問題のノート・タイトルが「筒井康隆さん、これからなにするの?」であるということが示すように、当初から、一方の当事者である筒井氏の「断筆」という行動のインパクトによって、初めて議論が開始されたのであった。
私(KJ)も、当初「てんかん協会」の立場にコミットするというよりは、永年そのファンであった筒井氏が筆を断つという事実の方に大きな衝撃を受けていた。自分で言うのも変であるが、日頃から「障碍者」問題に関する書き込みを続けてき、「放射性れんこん」でも何度かそういう原稿を書いた私でもそういう反応になってしまったのである。
しかし、さすがにれんこんはそれでは終わらなかった。筒井ファンの愚痴や駄話に終わらせることのないような書き込みがなされ、混乱しながらも非常にユニークな議論が展開された。そしてこの問題の複雑さと論点整理の必要性を徐々にあぶりだしていったのであった。
この整理は、れんこんにおいてもまったく片のついたものではない。ノートは最近においては休眠状態になっており、中途半端に止っている状態とも言える。しかし、この問題について、個人が行なう言説ではなく集団的な作業で、問題意識の一端でもつかみ取ろうとしてきた自主性をもったメディアが、れんこんの他にあったであろうか? 「雑記帳」の低調が語られる昨今ではあるが、このノートは私にとって、久々にれんこんの持つ潜在力のすばらしさを確認できたノートであった。
2.れんこんにおける議論の展開
この節では、れんこんでの議論の展開の一端を紹介するために、その流れをダイジェスト的に追ってみたいと思う。
(ただし、紙数の関係もあり、ひとつの面白い論点であった「批評の資格」問題--主にカタリ氏とぬる氏とのやりとりに、つーた氏、私がからんだもの--については対象外とせざるを得ない。)
書き込みの発端は、note author であるEggs氏の書き込みであった。
Subject: 確かに、まずい表現
確かにまずい表現だったと聞きましたけど、二十九年前の作品の話しでしょ?
教科書の選定委員会が悪いようにも思えるし。
だれか詳しいいきさつを教えてください。
えーん、さびしいよう。
これに対して、gasako氏から短いが適切なフォローがあった。
Subject: 確かに、まずい か な /gasako
EGGS さん。
「確かに、まずい」と思ってから、考えるのは
ちと、まずくない?
この書き込みは、私達が知らぬ間に取りがちな一般的スタンスについて的確に注意を促したものであろう。
情報が少ないまま、断片的なメッセージのやりとりが続く。GUEST氏による新聞記事のアップロードがあった後、ノートの流れに石を投じたのが、カタリ氏であった。幾つかの視点が提示されたが、日頃の書き込みからは珍しいほどのストレートな断定的口調で、このノートの雰囲気に緊張感をもたらした。視点の一つは当事者の「力関係」に言及するものであった。
> その上で、今回の協会の「糾弾は一見、表現の自由とは無関係」のようだが、「制度というものはこうした一般的な良識に乗じて、…中略…小説の言語全体にまで圧力を加えようとする傾向にあるのだ」と見る。
その場における力関係の大小、ということを全く捨象すれば正論ですね。「糾弾は………」のくだりを含めてです。
しかし、以前、junkの「モデルを持たないマイノリティーのノート」にも書きましたが、力関係の大小に言及しない“自由”ほど醜悪な物はありません。
今回の“断筆”は、いったい、制度に向けて行われたものですか??
それに対して、千葉氏は、それへの反論の形で、考慮すべき「力関係」の場の適切な設定を提起した。
力関係と言えば、文部省・日本てんかん協会・角川書店教科書編集部のほか新聞等の大マスコミ、も想定しなければならない。そして、「断筆宣言」は、日本てんかん協会への抗議の姿を借りながら、同時に「ジャーナリズム」への抗議でもある。(中略)
しかし、この場でカタリ君が断定的な口調を多用していることは、マスコミの姿勢として現われた「制度」「良識」の重力に囚われている証に映る。
また、このノートにおける論議の方向性において、当事者の一方であるてんかん協会側の視点があまりにも抜け落ちていることを指摘したのは、レジN氏であった。
今回の事件をきっかけにもう少してんかん患者が受けて来た差別の歴史とか、そういったものが出て来てもいいのではないかなぁー?
「れんこんのこのボードでは見えないけど、世の中にはいろいろ出て来ている」と言うのであれば、是非それを紹介して欲しい。
それに呼応して、つーた氏も以下のようなメッセージを発した。
[狂]という文字が使えないことを例にとって言葉狩りと差別表現の糾弾をむすびつけています。
ぼくは差別表現というのは、それがでてきた文脈を離れて語ってはならない、と思います。
だから、ぼくにとって差別表現の糾弾とは言葉狩りとはまったく、異なるものです。(いまだに、そういう糾弾があるのかどうか知りませんが、あるとすれば、そういうことが話をややこしくしているような気がします。)
だから、上のアーティクルに書いたような形で、障害が間違ったイメージを持って流布することで、自分たちが差別にさらされつづけなければならなくなることへの糾弾とマスコミが[酔狂]という言葉を自主規制することは全く別の位相を持っているとぼくは考えます。
当初、「文学的表現か、差別糾弾か」の二者択一の観念にとらわれて困惑しきっていた私も、ようやくおちついて考えられるようになってきた。
私の印象では、その作品の構成そのものと「てんかん」の記述はあまり関係がない。
ただ、その2つの記述部分では、明らかに「てんかん」の持つ一般的な印象(現在では「誤解」「偏見」といえるのは確か)を利用して未来社会の描写の小道具にしていると感じられるのは事実である。そうではないと筒井さんは主張しているようだが、特定の病名を挙げた場合の受け取られ方というのは、必ずしもその実際とは合致していないのみならず非常に歪んだイメージで一般に固着しているものであるし、それが「病者差別」の主要な在り方になっている。その誤った一般的イメージにまとわりつかれている用語を使う以上、なんの解説もなしにそれを使えば、読者に与える印象がその誤った事実認識を追認したものになることは作者が想像すべき範囲である、と思う。(これはその作品の「文学的価値」とは別ものである、とは思う。しかし、だからといって軽視されるべきものではないであろう。)
筒井さんは別の位相で怒りを爆発させていたようだが、糾弾の意味について(「文学的意味」だけでなく、「社会的意味」について)考えを致す余裕がなかったのだろうか。そこのところが残念でならない。
この論議の初期段階を一応、まとめてくれる形になったのは、カタリ氏の次のアーティクルであったと思う。
んで、より危惧しなければならないのは、やはり、「糾弾が表現の自由を侵害する」といった言いぐさだ。
自分の思考・対話の姿勢の停止を、糾弾する側のせいにして開き直る姿勢が世の中に蔓延するのに、今回の筒井の一連の態度は貢献している。しかも、それが「闘う」という姿勢をとってるだけになおさらタチが悪い。
糾弾は糾弾だし、表現の自由は表現の自由だ。
なんらごっちゃにする必要がない。
もっと言えば、この二つをリンクして語ることによって、このどちらにもダメージを与えているのだ。
(1) 糾弾を封じ込める方向でのダメージ
(2) “表現”に踏みとどまって言葉狩り、表現狩り、小説狩りと闘う姿勢の放棄
んで、あともう一点。言葉狩りだの表現狩りだの小説狩りだのを実地でやってるのは、糾弾者ではなくて表現者(出版/新聞)の側だということ。自主規制という形でね。
これもごっちゃにしちゃいけない点だね。
これまでの論議を発展させる形で、論点整理を行なったのは羽柴筑前守秀吉氏であった。
ここまでのところで挙げられる問題点、もしくは視点や論点をもう一度整理してみると次のようになるかもしれません。(まとまりがないのが難点。)
1・教科書の記述とはいえ、保健と違って対象が「文学作品」であること。
2・高等学校で使用される、文部省お墨つきの「検定教科書」であること。
3・いわゆる「差別用語」の問題ではなく、「表現上の問題」であること。
4・「日本てんかん協会」が指摘する引用の部分が作品の原文と違うこと。
さて、今回の考察の最後に、「日本てんかん協会」のコメントを1つ考えておきましょうか。「てんかんに対する差別を助長し、誤解を広める記述が教科書に掲載され、しかも文部省の検定を通ったこと自体、驚きと怒りを禁じ得ない。てんかんの高校生がどんな思いで授業を受けるか考えてほしい。」
5・まず、「てんかんに対する差別を助長する表現」とは、何であるのか。
6・教科書掲載以外に、作品を収集したものを回収させる理由は何なのか。
7・声明文にる「てんかんの高校生がどんな思いで授業を受けるか」という認識と「文学作品の解釈」の関係はどうであるのか、固定されるのか。
8・「てんかんを持つ人々とその家族を傷付けなければ成り立たないような作品」なのか。作品の主題は、てんかんの取締迫害にあるのかどうか。
9・「異常波のないケースもあり医学的にも誤り」という指摘は、「も」の一般的な解釈としては、根拠や論拠にはならないのではないだろうか。
また、逆の立場で考えるなら、角川と文部省に対して次の質問も出来ます。
A・あえて「無人警察」を掲載する理由はどこにあるのか?(しかし、これをあまりに追うと、教科書に何も掲載できなくなるかもしれないな。)
「協会」側の論理の本質的な部分に疑問を投げ掛けた、ぬる氏のレスおよびそれに対するカタリ氏のレスも非常に注目すべき内容を持っているが、スペースの関係上ここには紹介できないのは残念である。この議論をベースにさらにこのノートを発展させていきたい。
3.いくつかの論点について
私なりに見解を持っているので、この場で述べたい。
3-1.糾弾について
今回の問題について「てんかん協会」が版元と作者に対して糾弾を行なったことは基本的に正当であったと思う。しかし、てんかん協会の糾弾の内容自体の中に、混乱を招く要素はあった。てんかん協会の主張として、筒井氏の作品自体を問題にしているのか、それが教科書に載ることを問題にしているのか判然としないところがあった。てんかん協会側の論理を詳しく追うと、主に「教科書」に載って検定教科書の言説として教育現場で与える自分達への不利益を中心的に問題にしているが、当初は作品の表現そのもの、あるいは作者の資質そのものへの批判と渾然一体となった批判をしており、教科書ではない一般書籍にある当該作品の抹殺(収録単行本と全集の回収)をも主張したような態度の不明確さが、糾弾そのものへの誤解と問題視を招いてしまった。
3-2.角川書店について
この問題にたいして最も不誠実な対応をとった当事者であると思う。てんかん協会の抗議に対して、その行動が自社へ不利益をもたらしたので陳謝せよと返答したのは居直り以外の何物でもない。何よりも自社の営業的側面を重視しているだけなのにもかかわらず、抗議に対しては半可通な「文学論」で対応しているのみである。
「角川」が協会側の要求にまったく応じていないことは、作家の信頼を集めることになっているのだろうか? しかし、それが「教科書」というドル箱を死守せんがための非論理的な対応であることは角川とてんかん協会の応酬を少しでも検討すれば誰でも容易に理解できることであり、表現者達の信頼を招くことはないであろう。これだけ「自社の利益」のことしか考えないのであれば、今回は教科書絡みであったから作家の側に立ったので、それほど売れない一般書籍の場合は、結局自社に都合のいいほう(つまり回収や絶版によって「世間」を波立てない方向)で集約することはミエミエだったからである。
3-3.筒井氏の「断筆」について
切り札をいきなり切った、という感じだ。確かに、問題を自らの側に引き寄せるのには役立ったが、何に向けての「断筆」だったのか、という点をついに明確にしないまま撤退してしまった感は否めない。角川対協会よりもまだ、協会と本質的な議論を行なえる余地があっただけに(また、その可能性を筒井氏は否定してはいなかった)、最も正当な対処であったとは思えない。
「制度的」なものに何よりも反発を示していたはずの筒井氏が、「制度」そのものである「検定教科書」に、自作が収録されることをどう弁明するのか、また、一切の修正を拒否していた筈の同氏が、教科書の収録にあたっては100箇所以上の修正を認めていた事実をどう説明するのか、一切を残したまま、舞台から消え去ってしまった。
なお、私としては役者としての筒井氏にはまったく興味無いし、クラリネット奏者としても同様である。
4.「てんかん協会」の訴えること
さて、結局のところもっとも情報として不足しているのは当事者の「てんかん協会」が何を訴えようとしていたかということではないかと思う。この原稿を書くに際して、つーたさんの手を介して、てんかん協会側のいくつかの資料が送られてきた。この文書については、皆さんの目に触れる場所に出していきたいと思っている。
「てんかん者=危険」という発想が筒井氏の作品から見えてくることは確かであると思う。筒井氏はてんかん者を差別するものではないと主張しているが、筒井氏が「てんかん者が自動車を運転するのはとんでもないことだ」と考えていることは事実らしい。いうまでもないことだが、思い込みとか確信というのは誰にでもあるし、それによって産み出された「文学作品」がその故のみで文学作品に値しないとは言えない。しかし、同時に協会側の次の指摘も心に留めておいて損はないであろう。
「加えて、この作品の時代背景と筒井氏の<てんかん>観を問わざるを得ない。当時、警察庁は交通事故多発に対する国民の批判を、免許取得者の脳波検査の実施という荒唐無稽な対応でごまかしました。すなわち、てんかんへの誤解と偏見を利用し、てんかんをスケープゴートにしたのです。」
(日本てんかん協会機関誌「波」1993年8月号論説より)
協会が当初提起した「声明文」(一般書籍の回収要求など、「教科書」に載ることの問題性とは無関係な要求が挙げられていたり、作品引用に誤記があったり、「作者」に「故意の誤読」と非難される作品解釈があったり、と、問題になりうる箇所の多いものではある)の以下の主張も、私達は真剣に考慮し受けとめる必要があろう。
「問題の小説が30年前に初版が出されていることを考えれば、その中にてんかんに対する誤解があったとしても、ある程度許容せざるを得ないことである。しかし、てんかん医学が高度に発達し、てんかんが『なおる病気』になり、『国連障害者の十年』を経て、障害者や難病患者の福祉や人権が国の政策として進められている今日。教科書教材にこの小説を用いる意義はどこにもないはずである。教科書編集者とそれを検定した文部省係官の良識、中でもその人権感覚に対して、再度の疑問を提起する......」
(日本てんかん協会声明、1993年7月10日)
5.おわりに
網羅しようとした事項が多く、まとまりのない稿になってしまったうえ、文章も硬くて申し訳無い。どういうわけか「放射性れんこん」に書くとこうなってしまうのである。
読者のみなさんにお願いしたいのは、この問題そのものをあまり「深刻な」ものとして捉えないでいただきたいということである。「差別」問題でもっとも深刻なのは、その問題について誰もが言及しなくなることである。(「宝島30」で池田清彦氏が指摘する通りである。)それは、「こういう問題を話題にすると災いに巻き込まれるかもしれない」という恐れからでもあると同時に、「めんどくさい問題だから考えたくない」という回避であるかもしれない。
しかし、特に筒井氏のファンにとっては、この問題をぜひ柔軟にとらえて自分なりの意見を出して見て欲しいと思うのである。もっとも好意的に解釈すれば、筒井氏は自らのファン層にそういう課題を課したともとれる。「筒井さんの小説が読めなくなったのはてんかん協会のせいだ」と恨んだり、忌むべきもののように差別問題を回避してしまうのは、筒井氏の「断筆」をファンとして受けとめることにはならないと思う。
今回の問題は単純な「言葉狩り」とそれへのレジスタンス(「逆差別」批判)ということではなかった。「文学作品」が、かつて筒井氏が所属していたような同人的な小さな場から、まったく状況のことなる場に引き出されたとき、どういう現象がおこるかという貴重な実験の場でもあったのである。表現自体が、その内在的論理によってその場に耐えうるかという問題であった。状況としてこんな面白いものはなかったと言ってもよい。そして、そういった場での相互の意思疎通が行なえるかどうかの試練の場であった。どうやらそれが不幸な失敗に終わってしまったのは、どの当事者にも問題があったからのようだが。しかし、私達がその下手さに追従する必要はどこにもない。
さいごに、れんこんのメッセージの中から、心にのこった一節を。
基本的に「れんこん」で、この話をする結果が、各人の進歩につながるようにならないと無意味になってしまう。ここで正誤や善悪の判定をするのではないし。
(羽柴筑前守秀吉さん)
ほんとにそうだな、と思う。
今にしてみればナカヂが「れんこんネット恋い来い小岩計画」なるノートを開いたことが一連の騒動の始まりだったと思う(オオゲサ)。
当初の計画ではナカヂが回線と機材置場を提供するから「れんこんネット小岩」を作る、という質素なものだった。当時、浦和が開局してから日も浅く、一部で「関東制覇も間近か?」などと冗談に出る程度だった。が、「八王子のホストマシンを性能の良いものに買い換えて、余ったマシンを小岩に持っていくのはどうか?」という意見が出てから、事態は坂道を滑るローラースケートの如き急展開。その頃八王子局ではハードディスクがパンク寸前、浦和の方も手放しでふんぞり返っていられる様子じゃなかったので、「小岩計画」の尻馬に乗る感じでこれらの項目も追加され、いつの間にか「れんこんネットトータルパワーアップ計画」に路線変更していたのだった。
パワーアップ、と一言で言うと何がなんだかさっぱりわかんないけど、細かくいうともっとワケわかんない(すみませ〜ん。ハード系な話はまったくダメなんです(^_^;))。ま、早い話が、「性能の良い機械に買い換えて、あまったものを小岩に回す」ということ。性能の良いものは同然その分コストがかかる訳だが、湯水のごとくお金の出てくる魔法のランプは手元にないので、資金調達はカンパで集めた。太っ腹なかたが数多くいたためか、物品カンパも含めると合計で50万近いカンパが集まった!
それまではナカヂが「小岩計画」責任者ということもあって会計っぽいことをしていたのだが、しっかりとした位置付けはされていなかったし、そんな大金、ズサンに扱ったらバチが当たる……じゃなくって(^_^;)寄付して下さった方々に申し訳がたたないということもあり、会計&会計監査の責任者を設けることになった。とりあえず任期は一年、カンパ等で寄せられたお金を管理し、月一で会計報告をするというのが会計のお仕事。監査は帳簿に裏工作がないか(^_^;)を確かめる。また、れんこんでは「転送屋」というシステムを使って八王子・浦和間でメッセージのやりとりをしているが、その転送費も会計の管理するお金から支払うようにとなった。
金銭管理もしっかりし、パワーアップ計画実行だ〜という声もにわかに大きくなったころ、「貸し出していたものを返却して欲しい」という声があり、運営的にすっきりさせるために借入物品をなくす必要もあって、更に計画はその混雑の度を……。
結局のところ、計画はまだ実行途中です。とりあえず、八王子と浦和でのパワーアップは行なわれました。今の所、かかった費用は約\400,000。ひ〜、パソコン機器ってお金がかかるのね(T_T)。で、小岩は……年内には開局されるでしょう、多分(^_^;)。財政的に明るい見通しが立ってないので(ちなみに、計画終了にはあと10万円ほど足りないらしい)。小岩開局を心待ちにしてくださってる方、まことにすみません。
上に述べたような事情で、今号で予定されてた「極東の嵐」は臨時休業。ナカヂはたまりにたまったウップンを次号で書きまくってくれるそうなので、94年1月発行のVol.14を楽しみに待ちましょう(^^)。
にしても、財政難で開局がさらに延期だなんて、とっても情けないよ〜〜〜〜。たすけて〜〜〜〜(T_T)。というわけで(どういうわけ?)カンパ募集中です。カンパの振り込み先は「れんこんネット事務局」(東京4-194836)まで。たくさん集まったらうれしいな〜〜〜〜(^^)。
東京・新都庁から遠く数十キロ離れた未開発地。そこには人々から「最強・無敵・爆発集団」と呼ばれる「彼ら」が生息している。
今まで多くの者が「彼ら」の正体を暴こうとしたが、皆が最後に「触らぬ神に祟りなし」と言って消えてしまう。それはあたかも「汚職がばれた政治家が雲隠れ」するようでもあり、また「ゴジラから逃げ惑う自衛隊」のようでもあったと言う…
世間の目というのは遠くを見たがるモノで近くにあるモノには不注意なくらい無関心である。「彼ら」はそんな盲点を付く気はサラサラ無いが自然とその法則にはまってふつ〜に暮らしているのだった。
「おいやめろ。オレのウサギに何をするんだ!」
「ちょっとした実験ですよ。」
「屋上からの落下実験のどこがちょっとした実験なんだ!!」
ウサギを取り戻したこの少年、名前をシロウという。正義感溢れる小学4年生なのだが人と付き合うのが苦手らしい。
いつも休み時間はクラスメイトとはあまり話さず、せっせと飼育小屋で動物の世話をしている。
ほっとしているシロウは走り寄ってくる影に気付く。遠くから一目で分かる白地にブルーとブラックのラインの入ったユニフォーム。胸にはイカのようなキャラクターがデザインしてある。影の正体はクラス
メイトのノリだった。特に親しいわけでは無いのだがとある理由からこの数日間、シロウに付きまとっている。
「お〜いシロウ君、考えてくれた?」
「言ったろ、オレはお前達のチームには入らないからな。」
「そんな冷たいこと言わないでくれよ、君はあんなに巧いじゃないか。」
「偶然シュートが決まったからって買い被らないでくれ。」
「才能あると思うんだけどな。ま、僕は諦めないか ら 。」
先週の体育の時間はサッカーだった。普段のシロウの授業態度というのは体育に限らずとにかくやる気がなく、ひとまず参加はしているという感じだった。それなので周りからもそう期待されず、本人もそれが別に嫌でもなくかえって好都合な面が多かったので特に気にもしていなかった。無論、サッカーなんていつもバックスでボールが来ないのを祈っていた。
しかし、その日はいつもフォワードをするハズの生徒が休んでいて、みんなもそう疲れるポジションはやりたがらずにいたらシロウにご指名が来た。ようはメンドウを押し付けられたのである。しかたなしにフォワードに着いたのだがここであまり人に知られていない、もしかしたら本人も気がついていない性格が出てしまった。「負けん気」が強いのである。相手の隣クラスの選手が華麗にゴールを決めた後にボロクソなヤジを飛ばしたのだ。怒ったシロウはボールをパスされるや否や相手ゴールに突進。相手ディフェンダーはサッカー部の猛者が揃っていたのだが相手ディフェンダーを吹き飛ばし、ゴール右下に豪快に突き刺さるシュートを決めたのだ。その時に逆ウィングをやっていたのがノリであった。それ以来「イカスミFCに来い」の言葉を毎日浴びせられている。
放課後、帰ろうとしているシロウにまたあの影の主が話し掛けて来た。
「シロウ君、今日うちのFCに遊びにおいでよ。」
「うちのサッカー部なんて入らないって言ってるだろ。」
「うちの学校のサッカー部じゃないよ、イカスミFCだよ。」
「なにそれ?」
「君、僕の話を何も聞いてないね。」
「当然だ!」
ノリは頭を抱えて何かもだえている。
「あのね、僕が誘ってるのはこの地区のフットボールクラブなの。」
「フットボールなんかやらんぞ。」
「あのねぇ…、サッカーなの。」
「そんなの聞いたことないぞ、強いんなら名前くらい聞いたコトあるはずだ。」
「それは…、忙しいんだよイロイロと。」
「なんで?だってサッカークラブなんだろ?」
「イロイロがイロイロなんだ。」
「解らんこと言ってるんじゃない。オレはサッカーなんていいんだ。」
「そう?今日来てくれたら僕が持ってる中で一番速いミニ4駆をあげるよ。」
「うっ。」
考えこんでいる様子だが、行くかどうかを考えている様ではなく、どんなミニ4駆をくれるのか嬉しそうに想像しているようにしか見えない。
そんな姿を見てノリは意外な展開に驚いている。
「見に行くだけだからな。」
「うん、入るかどうかは自分で決めてよ。でもきっと気に入ると思うよ。」
ノリは練習上の場所と時間を説明して帰って行った。シロウは愛するミニ4駆のため急いで家に帰るコトにした。
夕飯を早めに食べ終えシロウは急いで家を出た。待ち合わせの場所は午後六時に町外れの市営グラウンド。六時といっても今は10月の下旬。
夕方というより完全な夜だ。こんな暗くてサッカーなんて出来るんだろうか、そんな疑問を抱きながら歩いていると目的地に着いた。
この町で生まれ育ったシロウだったがこのグランドに来たのは初めてだ。そこには市営とは思えないくらいの設備が揃っていた。プロ野球のスタジアムにも劣らない照明、整備された芝。いまここでアントラーズとヴェルディーの試合が始まってもおかしくないくらいだ。間違っても小学生のサッカークラブにはもったいない設備だ。たまに貸してもらうコトくらい出来るだろうが。
考えてもラチがあかないので一先ずミニ4駆を手に入れるためノリを探す。辺りに人影らしきモノは見当たらない。もしかしたら担がれたのか、そんな気がしてきた時、シロウの目にあの目立つユニフォームが飛び込んで来た。
「お〜い、こっちだよ〜。」
叫ぶノリの後ろには顔見知りなメンバーも集まって練習を始めようと準備運動を始めている。
「今日さ、一人休んでるんだ。代わりに遊んでいかないか?」
「そうやってそそのかそうったって、」
「いいの?ミニ4駆あげないよ。」
「分かったよ、やればいいんだろ。でもそれには人数が足りないんじゃないか?」
「オレを入れても4人しかいないぜ。」
「2オン2。」
「オレを殺す気すか?」
「リベロになったつもりで駆けずり回ろう。」
もしかしたらとんでもないやつに気にいられたのかもしれない。シロウにしては珍しく後悔していたその時、
「大変だ!」
叫びながら走ってきたのは同じクラスのヒロだった。あいつもイカスミFCにいたのか、それにしても何を慌てているのだろう。
「チホが誘拐された。」
「えっ?チホが?」
チホもシロウと同じクラスだ。ぱっと見た感じでは女の子のようで、異性/同姓問わず人気がある。今年のイカスミ小学校「弟/妹にしたいコンテスト」で3回連続チャンピオンだ。
「やつらめ、卑怯な手を使いやがって。」
「やつらって誰なんだ?」
「クアドリアンさ。」
シロウに答えたのはケンと呼ばれる少年だ。彼は隣のクラスにいて、実はシロウがシュートを決めた時のゴールキーパーだった。
「あれほど知らない人に付いていっちゃいけないって言ったったのにぃ。」
ススムと呼ばれる少年が言い訳めいたことを口走っている。彼も隣のクラスであの時はディフェンダーだった。運悪くシロウに吹き飛ばされたのは彼だ。
「クアドリアンって言ったら、」
「ごめん、急用が出来た。今度この埋め合わせはするから。」
シロウの言葉を遮るようにノリはイカスミFCの3人をつれて何処かへ行こうとしている。おかしい。確かクアドリアンといったら最近イカスミ市で
迷惑な事件を起こしている連中がそう名乗っていた。あいつらまさか・・・
シロウは気付かれぬように尾行することにした。
イカスミFCの後を付けること1時間、市の端の山奥にまで来てしまった。
この辺は採石場で働く人たちくらいしか来ない。誰か人と待ち合わせするのに
お勧め出来る場所でないコトだけは確かだ。
ノリは採石場の平地の中央あたりで立ち止まり叫んだ。
「クアドリアン、言われた通り来たぞ。」
「チホを返せ!」
「良く来たわね、」
「でもそう簡単には返さないわよ。」
ノリの声に答えたのは全身黒ずくめの女だった。後ろには赤い大きなタコのような化け物までいる。
「きたないぞ、チホを返せ!!」
「ふん、返して欲しかったらこのタコトンに殺されることね。かかれ!タコトン!」
「みんな変身だ!」
「おー!」
掛け声と供にイカスミFCの4人は空に向かってボールを蹴った。それと同じに光が彼らを包み込み、次の瞬間見たものは・・・
「スポスタンレッド!」
「スポスタンブルー!」
「スポスタンイエロー!」
「スポスタンブラック!」
ノリ、ヒロ、ケン、ススムの4人はそう叫ぶとTVであるような戦闘服で身を包んだ。そしてタコトンに向かって挑んでいく。
「ブルー・アクエリアススプレッシャー!」
「レッド・クレッセントスラッシュ!」
「イエロー・100メガショック・ザ・ボディープレス!」
「ブラック・煩悩翔竜脚!」
「だめだ、俺達のこんな技じゃ効かないよぉ。」
「せめてピンクを取り戻せればアレが使えるのに。」
「ふぉっふぉっふぉっ」
妙な声を出しながらタコトンが襲いかかってきた。
巧みに8本の長い足(手?)を使って攻撃してくる。
チホを捕まえているクアドリアンが満足そうに言う。
「これであなた達もおしまい。おとなしく殺されなさい!スポスタン!」
「ブルー、何かいい方法はないか?」
「駄目だ、ピンクを取り戻さないことには…」
「近づいたら殺す気かなぁ。」
どうすれば…、万策尽きたかと思ったそのとき、
「うわぁ!」
クアドリアンが悲鳴を上げその場に倒れた。
そしてノリの視界にチホとは別に人の影が一つ出てきた。
「とぉっ!トランジスターN、見参!」
「あれシロウ君か?」
今、ピンクの目の前には全身金色の、ちょうどライダースーツのような服を来た男が立っている。
「ほら、行ってやんな。仲間が待ってるぜ。」
「ありがとう。トランジスターNさん。」
「変身!スポスタン・ピンク!」
「さて、5人揃ったな。じゃ、あれいくぞ。」
「オー!」
レッドが代表するように用意されたような決めゼリフを言い始める。
「おまえらの悪事もこれまでだ、受けてみろ、マ〜ヤルサ・パワ〜」
5人は逆V字体系に並び身体中に力をため込み、一人一人の呼び名の色がオーラの様にそれぞれの身体を包み込む。そして5つの色がまざりあった時閃光が走った。
「スポスタン・ヤイヤイソージョ・キーック!」
○○ー!○○○○!!○○○○!!
(お好きな効果音を書き入れてください)
タコトンは光に埋もれると元の小さな普通のタコに戻っていった。
「あ、あのさ、シロウ君…だよねぇ?」
「そうだよ。」
「君にも僕らのような力があったなんて、イカスミFCはスポスタンの隠れみのでもあるんだ。もちろんサッカーも好きだけどね。」
「オレは…、よしとくよ。そういう人間じゃないんだ。」
「頼むよ、これからはもっと強い奴が現れるだろうし。」
「ねぇ、お願いだからさ。」
「………」
「それじゃこうしよう。」
「ミニ4駆じゃダメだよ。」
「そうじゃないよ、美少女戦士セーラームーンのミュージカルチケット。」
「えっ!?」
「姫ちゃんのリボンのチケットも付けるよ。どうする?」
「あのさ、男のオレにそれでうまくいくと思ってるの?」
「思ってるよ。」トーゼン
「そうだ、あとグルグルのCG10枚あげるから。」
「・・・・・・分かった、入る。」
「よし、これでOK。」
嬉しいが決して素直に喜べないシロウ。
それでもチケットは両手に握りしめられている。
「ところでさ、さっきクアドリアンをどうやって倒したの?」
「えっと、後ろから近づいて、おもいっきりぶんなぐった。」
ノリ達の顔から血の気が引いていく。
「うしろから、殴った・・・、と。」
「そうだ。馬鹿な奴だなぜんぜん気が付かないでやんの。」
「あの〜、まだピクピク動いてますけど、このヒトどうします?」
ピンクはまだかすかに動くクアドリアンを指差す。
「鉢植えにして水でもやっとけば助かるさ。」
シロウは真面目な顔をしてそう答えた。
「なんか正義の味方の勝ち方じゃないな。」
「気のせいだ、気にするな。」
イエローの言葉にいつも冷静なブルーが遠い目をして答える。
確かにそういうモンなのかもしれない。
納得いかないという感じのイエローがシロウに質問を続ける。
「じゃあさー、なんでトランジスターNなの?」
「それじゃそっちこそなんでスポスタンなの?」
「そ、それは・・・」
「そーゆーもんなんだろ?」
「うっ、うん。」
「オレもそうだ。」
なんとかノリが立ち直って会話に入ってきた。まだ頭を押さえてはいるが。
「さて、そろそろ帰ろ。もうこんな時間だよ。」
「あの〜、それじゃこのタコで鍋でもやりません?」
「そうだな、鍋にでもして食っちまうか。」
・
・
・
ぱぐっ、
○ごぶさたっ!
半年ぶりのこのコーナー。覚えててくれたかな?(前回は原稿を落としてしまったもので(^_^;)) 原発の話題がない「れんこん」なんて、という声に励まされての復活です!
今年は冷夏だったから電力の消費も少なくて済んだようですね。え? それでもエアコンをかけっぱなしにしてたってぇ!?
「冷蔵庫にでも入って反省なさい」(笑)
さて今回は発電後の廃棄物のお話し。相変わらずの軽いノリでまいりましょう! あ、内容も軽いので注意が必要です(笑)
○食前食後
あなたもトイレに行きますよね? そう、行かないひとなんていません。
「吉永小百合はトイレに行かないぞ!」と言い張るのでしたらそれでもかまいませんが(笑)
冗談はさておき、動物だけでなく、どんなものでも燃焼させればウンチは出るもの。もちろん原発だって同じで、ウンチがいっぱいでます。それもと〜っても危険なウンチがね。臭いだけじゃすまないぜぃ(笑)
○排泄物・廃棄物
原発のウンチ、つまり放射性廃棄物にも色々とあって、漏れた放射性物質を拭き取ったぞうきんや作業する人が着ていた作業着の洗濯排水、こういうものは低レベル廃棄物と呼ばれ、そのまま、または処理された後、大気中や海に「放出」されています。その量は先日、ロシアが日本海に捨てた廃棄物よりずっと沢山。そりゃ成分の違いはあるから、一概には比べられないんだろうけど、原発が放出してるものの中にだってプルトニウムがけっこう含まれてるんだよ。怖い話よねぇ。
ロシアの核廃棄物投棄に反対するんなら原発も反対しなきゃダメだよぉ。
おっと、話が外れた(…って毎度のことか) 元に戻します。
もう一つの高レベル廃棄物は燃料の再処理などを行った後に出たカス。(再処理についてはまた今度)
ここで低レベル、高レベルと書いてはいますが、そもそもこれってとても変な話しで、何を持ってそう分類するのでしょうか? 低レベルのものなら放出してもいいのであれば、高レベルのものだって薄めれば低レベルなんだもの、薄めればなんだって捨てられることになっちゃうよね。こういう分け方って変じゃない? まあ、ここではその呼び方で続けますけど。
○お便所
さて、高レベルと呼ばれている廃棄物はどうするんでしょ? 高レベル廃棄物はその名のとおり、とても放射線量が高く、それに近づいただけで人体に重大な影響を及ぼし… ま、簡単に言っちゃえば死んじゃうってこと。そのくらい怖いものなんです。だから簡単には処分することができないのね。アニメみたいに放射能除去装置なんて便利なものがあればいいんだけど、そんなの夢物語。やっぱりどこかに捨てるしかないんです。ただ、そのまま「燃えないゴミの日」に出すわけにはいかないから専用のトイレが必要なわけ。
そういえば、「そんなもん、ロケットに乗せて宇宙に飛ばせばいい」などと、本気とは到底思えない、冗談だとしても全然つまらないことを言ってたSF作家がいたような。実際にゃ、そんなことはできないのよね。打ち上げに失敗したら何人死ぬんだろ? 何人後遺症に悩まされるんだろ??
これはシャレとして、そんなに無謀なことはできないから、地球上のどこかに閉じ込めておくしかないのが現実。具体的にはガラスで固形化したものをステンレスの容器に入れ、それを地下に閉じこめてしまおうというのが今考えられている方法です。
この方法も結構ムチャでしてね。地下水が多いこの国、そんなとこに埋めようというのに、その容器は地下水に浸かっても10年位はもつ、という頑丈(?)な代物。そりゃ地下水が入らないようには作るんだろうけどさ、絶対なんてありえない。そんなものの近くで暮らしたいですか? 誰だってイヤですよね!?
当然、そんな危険な施設を都会に作るわけはありません。都会から離れたところが選ばれます。
○そこで「幌延」
北海道北部にある幌延町。ここを原発のトイレに、という話が公にされたのは今から約10年前のこと。それ以来、地元の人達は死の汚物を拒み続けています。
私は幌延にはまだ行ったことはないのですが、話に聞くと酪農の町だそうで、とても綺麗なところだそう。でも暮らしていくには大変なところみたいですね。そういうところが電力会社に狙われるのはいつものことなんだ、芦浜もそう。そうなってるのが悔しいです。国や電力会社の好きにさせとくと、近いうちに日本はコンクリート詰めの都会のほかは原発関連施設だけになっちゃうぞ! そんなのヤでしょ!?
原発は、人を、自然を犠牲にして、今日も動いています。
○おしまいに
今回はちょっと下ネタ風になってしまいましたが、どうでした? お食事中のかたは御免なさいね(笑)
次号ではここで軽く触れた燃料の再処理についての予定です。(しかしなにぶん「予定」ですので、気分で変わるかもしれません(^_^;))
嘘は書かないよう、努力してはいますが、なにぶん未熟者ですので間違いがあるかもしれません。そのときはご指摘ください。
それではまたっ!