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「放射性れんこん」の紹介
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放射性れんこん Vol.12

1993.7.26発行


目次
  1. 極東の嵐 小岩野望の王国(嶽志)
  2. 劇団どくんごの合宿 (doino)
  3. <「障害者」差別>の現在 〜まず、議論の対象を<可視化>するために(KJ)
  4. 現場告白シリーズ第4回 就職戦記(くぅ)
  5. れんこんFAX −打倒マルチメディアの企み−(レジN)
  6. 市民のコンピュータメディア・APCネットワーク(橘 雅彦)
  7. お菓子対談(涼&びとこ)
  8. ☆見情報BOX(もぐ)


極東の嵐 小岩野望の王国

 [嶽志]

 ここは帝都の極東と呼ばれる場所、北と東西は川に囲まれ南は海に面している。川と海に囲まれた島の様であるが、北の一部は寅サンの生まれた場所へと陸が続いている。東側の川の堤防の上ではケッタマシンのバトルが見られ、この土地の名物となっている。またこの川を渡るために、北の村の寅サンの生まれた柴又と呼ばれる所からは「矢切りの渡し」と呼ばれる船が、隣の御料牧場のある国へとの交通の役割をしている。そんな街の話である。

オードブル
−マスをかく−

 私は最近、髪の毛を結構短く切ってしまい、結構さっぱりした頭になりました。それで今日会社に行ったらの先輩に、
 「おう、さっぱりしたな。」
 「えぇ、ばっさり切ってもらいました。」
 「でも、なんか当たり前だな。もう少し変わった髪型にしたら。」
 「じゃー今度スキンヘッドにでもしますか。」
 「スキンヘッドだけは止めとけよ、オレの友達でスキンヘッドにして会社首になった奴がいるから」
 「それじゃ、自然に抜けるのはいいんですか?」

 仙台に出張した時の話だった。私は同期の友人と一緒に仕事をしていた。
 「よぉ、おまえ明日行くか?」
 「行くってどこにだ?」
 「選挙だよ。行かないの」
 「そんなのあったけ」
 「えぇ・・・・」
知らないのである。これほど情報が散乱しているのに肝心なことを知らないなんて、いや、もしかしたらそいつにとっては選挙なんて全然興味のわかない話なのかもしれない。ちょっと怖いような気がします。でも、それが事実だったりもする。そういえば今日、とある雑誌の漫画を読んでいると選挙運動の話が書いてありまた。
 「何月何日には○○をよろしくお願いします。」
 いったことを叫んでいるのだが、それを聞いていたボディコンギャル。
 「えーとねその日は○○がオープンするし、次の日は・・・。そうねあいてる日は某月某日だね。それで何の用事?」
 「あのー投票日なんですけど・・・・・。」
 といったまぁ勝手な解釈をしてるボディコンギャルの話が書かれていました。
 そんなもんじゃねぇーの、今の若者って。

 この前どっかのテレビでリサイクルの話をやってましたで。そんでね空き缶のリサイクルの話が出たんだわ。最近スチール缶とアルミ缶があるやろ、それの判別を巨大な磁石でやっていました。そんで分類してリサイクルをするのだが、アルミ缶は全てアルミで作られているんだから問題ないんだと、けどねスチール缶は蓋の部分がアルミでできているんだって。そのほうがプルトップの加工がしやすいんだとよ。だからうまくリサイクルでけへんそうなんだ。そうしたら解説者が、
 「リサイクルに出すために蓋を缶切りで取らないとだめなんですね。」
 いうねん。
 「でもさ、その缶にはリサイクルのマークがついてんやろ、そんなのになぜリサイクルでけへん缶なのさ」
 と思ったんだけど、だれもそんな解説しなかったんだよね。
 そんなもんじゃねぇーの、企業倫理なんて。

 帝都の極東に位置する街の北の繁華街を歩いていた。全身にまとわりつくような、白い霧が立ちこめ、通りを埋めてしまいそうな気がした。俺が歩いている通りも、回りの通りも、こんな霧なんて関係ないくらいうるさいくらいの呼び込みの嵐であった。
 「よう、兄ちゃん、かわいい子がいるよ。」
 「ふっ、てめえに兄ちゃんなんて呼ばれる筋合いなんてねぇぜ。」
 「じゃ、社長、いい子がいまっせ。」
 「もー、ひとこえ、」
 「よ、天皇陛下、雅子さんがいまっせ」
 そんなわけねぇだろ。

スープ
−M王あらわる−

 某月某日、晴れ、今日は帝都の西位置する「八人の王の子」と呼ばれる国のスケルトンと呼ばれるホストにアクセスをした。

 某月某日、雨、今日もスケルトンにアクセスした。良く見ると茶碗蒸しドリンクを飲みたいらしいので、今度屋根裏部屋に持って行く事にした。

 某月某日、くもり、私は、一子相伝の抹茶陰拳と茶碗蒸しドリンクを持参し屋根裏部屋に向かった。茶碗蒸しの評判は最高、みんな一口でダウン。私は300円で思いきり楽しめました。

 某月某日、晴れ、愛車のケッタマシンで屋根裏部屋に行く、そして我がライバルレジNさんと勝負、いやー速い、こりゃーこっちも本腰いれないと負けてしまいそう。よしフルパワー、でも結局勝負は引き分け。私は屋根裏部屋からの帰り、特訓もかねて道を飛ばした。所要時間2時間30分。

 某月某日、晴れ、この帝都の通信網を支配するM大王から一枚の手紙がとどいた。そこにはびっくりするような年貢を納めよと書かれていた。

 某月某日、雨、M王の高額な年貢に対向するため、この極東にもホストをつくるを計画を立てる。

 某月某日、晴れ、「恋い来い小岩」をスケルトンに書き込み、作るぞ宣言をした。「恋い来い小岩計画」が始まった。

 「やるぞー、作るぞーレンコンネット小岩を」
 僕がこう思ったのは、レンコンネット浦和の宴会に参加した時で、丁度「白い日」呼ばれる日である。そうついでに言うが初めてオフ会を知ったのも、ちょうどこの日である。北口と南口を入れ違えた地図を頼りに、なすびとそのお店へ向かった。下りた瞬間、なんか地図と雰囲気が違う?、
 「ねぇ、なすび、地図に何か目印ないの?」
 「えーと埼玉県庁があるな」
 「それ、逆方向だよ。」
 「地図のミスか。なかぢわかる?。」
 「多分、何とかなるんじゃないの。」
 駅の反対側に出て、県庁の所の角を右にまがり、しばらく行くとその店はあった。中に入ると、そこには初対面の仲間たちが待っていた、とっ思ったんだけどみんな、浦和の開設の作業が終わってない様状態だったので、私となすびはレンコンのためのリザーブシートで待っていた。そうしたら皆さん続々と登場、我が永遠のライバルレジNさん、そして超高速モデムコレクターゆうくん、そして今回の主役河内丸その他大勢のみなさんにご対面したわけである。
 八王子、浦和とできて私の住む極東にアクセスポイントがないなんて、そんなら私が作っちまおうと思ったのが事の始まりで、この帝都の極東の街に「れんこん小岩」を作っちまおうと考えたのがこの開設の物語の始りである。
 えー開設の物語の始まりの物語ですから、実はまだできていないのです。現在このレンコン小岩開設計画は少々話がでかくなりすぎて、ちょっと暗礁に乗りあげています。最初は私の家のウブ君(PC9801UV2)と私が電話回線を提供するから、あとモデムとハードディスクをそろえれば何とかなったんだけど、このレンコン小岩計画をワーキングの時に話したら、八王子、浦和の各ホストパワーアップ計画が生まれてしまいました。各ホストのハードディスク拡張、八王子のホストのアップグレードです。こういう話が生まれたため、本格的に資金を集めなくてはならなくなってしましました。
 という事でご協力お願いしますっていうのがスープの最後何ですけど、皆さん飲んでいただけたかな?。

    レンコン小岩協力資金カンパ用口座

        東京 8-714936
        レンコンネット小岩

−次回予告−
さて次回は多分レンコン小岩ができていると思うので、できてからの話を書きます。
それにほら今回はオードブルとスープだけでしょ、あとメインデッシュとデザートが残っていますよ、お楽しみね。

次回「極東の嵐第二部」−れんこん小岩天地創造−

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「劇団どくんご」の合宿

 [doino]

1.合宿中の当番
 今回の合宿にはみっつの当番があります。「食事当番」「しんたFriend」「しんたDriver」。 ”しんた” というのは、劇団どくんごのメンバーの子供(4歳)です。
(まだ、弁髪にはなってません。)「〜の子供」というとその親の付属品のようですが、しんたくん自身もれっきとした劇団どくんごのメンバーです。しんたくんは保育園に行っていて、合宿場所から保育園の送り迎えをするのが「しんたDriver」です。「しんたFriend」というのは、保育園の時間以外の時に、しんたくんの様子に気を使っている人です。「食事当番」は飯を作ります。合宿中の食事は一日二食。おかずの予算は一日二千円です。旅中も今までは一日二食だったのですが、今回の旅は毎日のスケジュールがキツめなので、一日三食にしろという強い要望がメンバーから出て、会計の時折はイヤイヤ認めざるをえなくなりました。
 このみっつの当番は、旅に行くメンバー(Driverは、免許持ち)に均等にめぐってきます。しんたくんもはやくおっきくなって食事当番できるようにならないかなー。

 余計なことですが、合宿、旅中には風呂代も劇団負担です。あ、薬とか病院とか生理用品とかも。無一文で旅に参加してもいちおう、暮らせます。 TV はあんまし見られないし、パソ通もやりにくいけどね。

2.朝
 朝はしんたくんが起きることではじまります。 だいたい6時半くらい。 その日の「しんたFriend」は、前の日から隣に寝ていて、しんたくんが起きたら、適当にパンを食べさせたり、保育園の準備をしたり、一緒に遊んだりします。8時になると「しんたDriver」を起こして保育園へ送り出します。そのころに食事当番が起きます。9時半が朝食と決まったのでそれに間にあう時間に準備を始めます。
 当番以外のメンバーの起きる時間はまちまちです。早寝早起きが気分いい人は早く起きるし、わたしのように夜ふかしする方が仕事の能率がいい人は、9時半の食事におきればいい。

 9時半になると食事です。まだ寝ている人は「飯だよ」と起こされます。今日は、先日に野良という無農薬やおやさんがくれた野菜がまだ残っていて食当が予算を全部魚につぎこんで自分でおろしたので、たいへん豪華でした。ふふ。

 飯を終えると、生活の仕事、スタッフの仕事とか、制作の仕事とか、要するに演技を作る以外の仕事をします。洗濯や買い物が必要な誰それはそれに行くし、髪の毛をバクハツさせたい役者は床屋に行くし、作曲を担当してるヤツはキーボードの前に坐ります。でもたとえば作曲担当者と車両メンテ担当者は同一人物です。今朝車が一台動かなくなった(超安値の中古車ばかりだから)ので、作曲の方の予定は崩れてしまいます。そのうえ能登の公演場所がおさえられないことがはっきりして、チラシに全員でマジックいれしなければ・・・というような細かいアクシデントでスタッフの仕事もなかなか進みません。

3.昼
 午後一時になるとようやく芝居の稽古になります。シーンごとの稽古です。今回は野外を中心にした芝居なので、稽古も外でやるのですが、あいにくの連続の雨。うんざりします。でもしかたがない。雨の中で演出と役者が面と向って稽古します。役者がやってみせて演出が文句をいい、また役者がやってみせて、という繰り返し。地面が田んぼのようになってしまって、うう、やりにくい。

 シーンのイメージすらあいまいなまま稽古に入ってしまうこともあるし、それより以前の稽古でおおよそもう手をつける必要のないようなシーンもあって、稽古の予定は未定です。役者や演出がノッているときはどんどんやるし、ノリの生まれないときは、さっさと次のシーンの稽古に移ってしまうこともあります。今回の芝居はシーンの数が35あるので、これをひとつひとつつぶしていきます。一日で8シーン進むこともあれば、2シーンしか進まないこともあります。
 同じシーンが次に演出のついた稽古がされるまでは、役者たちの自主的な稽古にゆだねられます。この自主的な稽古を役者がなかなかしないので、演出のわたしは時々不機嫌になります。

 というような稽古を夕飯までやります。ただし、その前に食事当番は稽古を抜けて買い物に行き飯を作り、「しんたDriver」は保育園にしんたくんを迎えに行きます。最近は保母さんと劇団員は仲良くなって、チラシが保母さんの中で評判になったりして、関係良好です。

4.夜
 夕飯は6時です。今日は何かな〜。稽古の再開は7時半なので、それまではお休みということになってます。風呂も行きたい人はこの時間帯に行きます。

 7時半からの稽古は「通し稽古」といって、芝居の最初から最後までを通してやってみる稽古です。あまりまだよく作っていないシーンもあるのですが、全体の流れをつかみたいので、無理やりにやります。準備に時間がかかるので、実際に始まるのは8時ごろです。人によってはメイキャップや衣裳をつけますが、なにしろ雨の中でやると一回でドロドロになってしまうので敬遠しがちです。
 今のところ2時間くらいかかります。これを1時間半にしたいと思っています。野外芝居で長い時間、客の集中力をとりつけておくのはむつかしいからです。でも、そうするには、無駄な間を削っていく以外には、台詞を大きくカットする必要が生まれてきます。役者がもうすでに覚えてしまって、演技もそこそこ作って愛着の生まれてしまったシーンをカットすることは、演出としてとても辛い・・・でもしょうがない。そのときには冷酷にカットを宣言します。

 今のところ演出のわたし以外の旅のメンバーはしんたくんを含めて全員役者になって舞台に立つことになっているので、照明や音響の操作も役者がします。わたしがすると芝居をいくらかでも客観的に見ている人がひとりもいなくなってしまうもので。とはいえわたしの芝居のつくりかたは、稽古をしながら台本を変えていってしまうので、スタッフの仕事をする人は混乱をきたすことが往々です。みなさんごめんなさい(と、ここであやまってどうする)。

 通し稽古後にあとかたづけを軽く終えると、10時半くらいです。やってみて思ったことをそれぞれの役者がいいます。わたしも感想や、おもいついた事をいいます。お客さんがきているときは、その人の感想も聞きます。そうすると11時半くらいになってしまいます。ホントはもう少し稽古をしたいのですが、スタッフの仕事をこれ以降にやる人もいるのので、深追いはせず、一日の稽古はアガリにします。

 その後は宴会です。といいたいところですが、今回の合宿は短いので、そんな余裕はありません。早起きの人はとっとと寝るし、宵っ張りの人は自分の仕事にもどります。

5.おしまい
 こうした合宿を芝居の初日を開ける前にはたいがいします。
 この初日前の合宿を通過することで、メンバーのそれぞれは芝居をする身体をつかみます。

 たとえゆったりした時間ではなくても、気をつかう上司もいず、いちおう食事も寝るところも保障された中で、朝から晩まで芝居にまつわることをやっていればいいというのは、ぼくたちには一種の至福の時といえなくもありません。

 もちろん、こういう時間を一年に3ヶ月とか5ヶ月取る(旅もふくめて)というのは、それなりの代償を払っています。が、ずっとこういうふうにやってきてしまったので、昼間は仕事をしながら夜に芝居の稽古をするというのではどうもアタマの切り替えがうまくいかないというメンバーが多く、しょうがない面もあるのです。

 初日10日前になって、みんな目がつりあがってきています。はあはあ。陽気さをなくさないように、がんばろ。

 どこかでお目にかかれれば嬉しいです。おいしい酒を飲み交せればいいな、と。
 んじゃ。

93/ 7/21記す。

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<「障害者」>の現在
まず、議論の対象を<可視化>するために

 [KJ]

1.「ハンディキャップ・ターザン」

この原稿を書こうとしていたら、タイミングの良いことにつーたさんが「雑記帳」で「ターザン」(マガジンハウス社)の「障害者」特集の話をふっていた。れんこんのボード上でも、一時「障害者」問題がかなり大きく取り上げられていたが、最近は静かになっていただけに、こうした話題で再び盛り上がれば、最近沈滞ぎみとも噂されている雑記帳も再び存在意義を取り戻すきっかけになるかもしれない。
さて、さっそく「ターザン」を買ってきた。まだ、隅々まで眼を通したわけではないが、とても真剣な取材に基づいた、真剣な企画であることはすぐにわかる。また、具体的な情報が多く掲載されていて(車椅子介助のノウハウや、「障害者」の運営する店舗案内など)、マニュアル本としても役にたつに違いない。繰り返していうが、まず、良い企画であることは間違い無いのである。この放射性れんこんが発行されるころにも、おそらく本屋には並んでいるだろう。350円の余裕のある人は、購入してみる価値はあると思える。 こう書くとなんか絶賛しているようだけど、一方で、なんだかな、と感じる点も多々ある。何というか、誌面がきれいすぎて、どの記事を読んでも、読後に<わだかまる>ものがないのだ。つーたさんも指摘していることだけど、特集のメインタイトル「頑張れ!ハンディキャップターザン」というコピーに至っては、いささかげんなりとして、怒りすら感じないことも無いのだ。

この雑誌は、実は徹底して「僕たち=健常者」の立場・視点から編集されている。「障害者」の「ために」何かしたい、というフレーズが、端的過ぎるほどにそれを表現している。編集スタッフに健常者しかいなかったとしても、こういう特集を組む以上、ポリシーメーキングの段階にはたして「障害者」は参加しているのか? もし参加していたとしたら、「頑張れ」とすんなり言ってしまえることもなかっただろうし、誌面にももっと「リアリティ」が出たであろう。もちろん、取材対象となった一部の「障害者」たちの姿にリアリティがないというわけではない。しかしながら、一見”明るく、頑張る”「障害者」たちも、いい絵が欲しいという取材姿勢に合わせてやっている、という面も少なからずあるはずだ。
 フィットネス雑誌だから、スポーツ選手がクローズアップされるのも仕方ないかもしれないけど、何か「障害者」はみんな頑張ってスポーツしなければならないのか、と思えてくる人もいるかもしれない。言うまでもなく、スポーツが出来る「障害者」はごくごく少数であって、”スポーツで頑張って障害を克服する「障害者」”などという”「障害者」像”が作られては、たまったものではない。

2.米国と日本の「差別」観の違い

「差別」という言葉もでてこない。もちろん、差別と言う言葉は安易に使いたくないという気持ちも分かるのだが、「障害者」問題とは第一に差別の問題なのだから、それに全然触れずに済ませるのはおかしい。
もちろん、実質的にはこの「ターザン」も、現代社会の「障害者」差別構造のポイントに接近はしている。公共施設や交通におけるアクセスの問題と、雇用の問題がそれである。前回の私の原稿も、前者のことを例として取り上げた。
前者の、アクセスの問題では、東京とロサンゼルスの比較がなされている。広く知られつつあることだが、米国では1990年、米国「障害者」法(ADA)が制定され、「障害者」差別の禁止ということが様々な具体的側面にわたって規定されている。一言でいうと、「障害を持つ」という理由でアクセスが出来ない制度の存在は(公的なものも、民間のものも)、差別であるとされるのだ。実際、「障害者」にとって、街の中でもっともやっかいなものは階段である。しかし、その階段を上り下りしなければ電車などの交通機関にはアクセスできないのが現実である。
しかし実は、階段はその場で手伝ってくれる人がいれば乗り越えられる。もちろん、使いやすい設備やスロープがあるに越したことはない。しかし必ずしも、それが本質ではないような気がするのだ。
米国でそうしたアクセス問題において、設備の有無が非常に問題になるのは、米国での「自立」の概念が、「基本的に、他人の助けを借りずに自分で何でもできる」というところに力点が置かれているからではないか。そういう意味で「自立」して行動できる人のための機会を平等に保障することというのが「米国型福祉」の原点でもあり、またADAを制定させた「障害者」運動の視点でもあったのだろう。
ADAを制定させたような米国の「障害者」のパワーは凄い。しかしながら、それをそのまま「ではJDAの制定を」と、日本の状況にスライドさせようとすることは、はたしてどうなのだろうか。
日本でも、各種設備自体は「充実」を重ねてきている。駅などの対応も、かなり改善が進められている。私が介助をやっていて感じるのは、以前は階段で一般乗降客が手伝ってくれるケースが多かったのが、最近は駅員がどんどんやってくれるため、一般客が周囲にあまりいなくても安心だということだ。これは半分皮肉をこめているのである。
駅の「障害者」用トイレなどは、入ってみると大抵きれいである。きれいというより新品同様のところもある。それはあまり使われていないからではないのか。米国でアクセスの問題が大問題になるのも、実際にそれを使おうという人が、日常的に多かったからであろう。日常的にということは、通勤や通学に使うのである。米国の「障害者」にとっては、一般企業で労働することは当然であるのだろう。
日本においては、「障害者」が外出すること自体があまり念頭に置かれていない。なんらかの労働が可能な「障害者」も、多くは自家で就労可能な内職に従事している。そのような前提条件が変わらないところで、アクセスの設備だけ改善してみたところで、状況がよくなるのか、はなはだ疑問とせざるを得ない。アクセスがしやすくなることで、状況が変わるという楽観的な意見もあるだろうが・・・
後者の「雇用」の問題について、「ターザン」にはかなり興味深い記事が書かれているのだが、このことは、後にボード上で触れる機会を持ちたいと思う。

3.「見えない差別」の日本社会

さて、差別の問題。米国では差別の問題ははっきりしている。「公民」として社会的能力の発揮をフルに求められる「障害者」が、その能力を発揮しにくくする社会的な条件があれば、その条件を作りだしている障壁(物理的なものであれ、制度的なものであれ)が差別の現実のあらわれとされるのだ。
日本においては、差別の問題は逆に、はなはだあいまいである。差別について議論が起こると、たいていあいまいになる。それは、なにが「差別」であるかということの社会的な共通了解がないからであろう。
また、日本(他の国のことをあまり知らないので、細かく比較しては論じられないが)において特色的なのは、米国のように差別をはっきりと社会的な機能面の問題として捉えるのと違って、<意識>の問題として捉える傾向が強いということである。このことは、差別言葉をめぐってたびたび議論になる。差別言葉を使用したとして非難された人がよくいう言葉で、「差別する気持ちがあったわけではない」という反論がある。つまり、何らかの差別と疑わしい現象があっても、「無意識」によるもの、「差別する意図がなかった」場合は、非難される必要がないということである。逆に、非難する側は「いや、お前には差別する意識があったんだろう」という言い方になるので、話は水掛け論になる。(結局、この側面からの「差別」指摘は、タブーにすらなる。日本においては、不幸なことに、差別を「言い立てる」のは、ある「特別な意図」に基づいているともとられかねないのだ。)
差別の発生要因を、憎しみや侮蔑のような意識によるものとすると、あえていえば、世界各地で見られる民族差別と違って、「障害者」差別には一見、発生する要因がないようにも見える。つまり、「障害者」だから、といって憎しみや積極的な侮蔑の対象になることは、まずないのである。日本では、「障害者」は「気の毒で、保護されるべき」存在である。にもかかわらず、なぜ<「障害者」差別>が指摘されるのか。
私が体験した差別を話そう。ある車椅子「障害者」の介助で秋葉原電気街に行ったことがある。Oという電機屋(TVスポットCMも多い有名な店)に入店し、上の階に行くためにエレベータに乗ろうとしたら、店員が駆け寄ってきて、「ちょっとお待ちください」という。「そのエレベータは荷物用です」というのだ。しかし、他にエレベータはない。店員が眼を遣る方を見ると、フロアマネージャと思しき人物が、「追い払え」という手付きのサインを店員に送っていた。「荷物用でもいいではないか」という我々の言葉に耳を貸すこともなく、とりつくしまもなかった。「危険ですので」とか言っていた。
これはかなり前の話で、Oが今もそういう方針を取っているかどうかはわからない。
この場合、Oの店員やマネージャは憎悪や侮蔑の意識から車椅子「障害者」を差別したのだろうか? 彼らがいう「危険だから」という文句は象徴的である。根拠の無いことだが、店内でなにか事故が起こったらコトだ、という意識が生じたのだろう。
例えば、複数民族の混住地での互いの民族差別は、日常的に生活習慣の違いに違和感を持ったり、行政施策の不公平など、「差別する対象の存在」そのものは認知した上で、差別している。ある側面では、日本における部落差別もこれに近いものがあるだろう。 これに対し、「障害者」差別の基盤は逆に、日頃あまりにも「健常者」が「障害者」と接していないために、「障害者」の生活の在り方というものが全く理解しえないがために発生する差別なのだと言ってよい。日常的に接触さえあれば、存在が認知できないことによる差別現象は発生しようがないのだ。
「障害者」が自宅に閉じこもっていれば、そもそも差別現象は発生しない。今の社会で、差別現象そのものが「障害者」に関してあまり現れないのは、逆に日本社会そのものが持っている差別性の存在証明であるといってもよい。

この日本における差別の隠然とした構造は、かなり一般化できるような気がする。日本人の多くは、「民族差別」の問題をまず身近なものとして捉えることはない。しかし、在日外国人やアイヌ民族に対する激しい差別が存在することはどう考えたらいいのか。その根底に、「日本は単一民族だ」という、誤った自己認識があるように思える。異質の存在と共に生きられるか自己に問うというきっかけに至る前に、まず、異質の存在が「存在すること」の認知から取り組まなければならない、というのが日本の現状である。米国等ではあたりまえの光景である、「車椅子で街に出る」ということ自体、いまだに日本では「社会に対する挑戦」という意義を「持ってしまう」のだ。日本における「障害者」問題は、こうして、日本社会の差別構造の矛盾を、集中して表現することがある。

4.「反差別」の到達点と今後

戦後日本の「障害者」福祉政策は、行政権力による施設への隔離という形で行われてきた。教育においてもそれは同様で、「特殊教育」として隔離と分断の教育が幅を利かせてきた。養護学校「義務化」はその頂点であったといってよい。
それに対し、ごく少数ではあるが、「自立と共生」をスローガンに掲げた「障害者」解放の動きが70年代以降ようやく登場してくる。それは、生活の場としては、施設に対して、地域で自立した、介助者を独自で集めての生活、教育においては普通学校への入学要求のたたかいとして行われた。
現在、「障害者」福祉政策は、施設から在宅へ、隔離教育一辺倒から部分的であれ統合教育へとシフトしてきている。このこと自体は、少数者の主張が次第に動かしがたいインパクトを持って行ったことの証明であろう。(もちろん、行政権力側の意図はそれだけでは説明されないはずで、楽観的になるわけにはいかないのだが。)
米国と比較して日本の「障害者」運動は基盤が脆弱だという指摘はある。前に述べたように、日本では「差別」の問題がなかなか具体的な問題として焦点化させにくいという前提条件があるので、<反差別>を旗印に「障害者」が層として結集する、ということがなかなか望めないのが現状であろうと思う。
米国の運動ですばらしいところは、「当事者が自ら決定に参加する」ということが可能なところにあるのではないか、と思う。そのためには、議員等の公職に「障害者」がもっと進出する必要がある。
1989年の参議院選挙で、弱視の堀さんが当選(社会党比例区)したが、これが特別な例に終わってしまってはならない。地方議会等にも、「障害者」を始め、反差別の立場の議員がどんどん生まれなければならないだろう。

米国と違って日本の「反差別」は、まだマイナーな運動である。しばしば分かりにくく具体性を欠いているようにも見えるが、それはこの運動が、新たな<存在様式に関しての共通了解>を「障害者」等、被差別の側から社会全体に突きつけていくものであるからかもしれない。その意味で日本における反差別の運動は、能力主義の問題性を問題にし得ない構造の米国の「反差別観」よりも、ある意味ではラジカルな問題提起の性格も持ち得るのである。
「障害者」の問題を、自分たち自身の問題であると実感し得ることを経て初めて、差別社会=日本に住む私達が自らを解放していく筋道は得られる、と思う。もちろん、このことは他の様々な差別についても言えることなのだが。

<それはすべての人々にとっての問題なのである>

※ 今回の表記については、「障害者」として統一しました。これは、全国障害者解放運動連絡会議等の解放運動団体などの文書等において一般に使用されている表記法です。

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現場告白シリーズ第4回 就職戦記

 [くぅ[Meta-Master]]

 親の心配もなんのその。就職口も決ってないのに東京に出てきてはや2カ月。バイト先も決ったし、よーし頑張って働くぞ。
 てなわけで今はしがないフリーターなぞやっているが、去年の今ごろは一応人並に就職活動をしていた。東京に足を運ぶこと4回。かかった費用は30万。20社近くも受けただろうか。だがしかし、そこは不況の真っ只中、受かった会社はたったの5社。厳しいなぁ。
 ところで今回の話の趣旨は、落ちた会社の方だ。落ちたのは運が悪いが、行かなくて済んだのは運が良い。そんな頭バクハツな会社がいくつかあった。
 まだ覚えてるぞ。私はしつこいんだ。

【ワタシは釣りエサ】

 立ってるだけで汗が出る様な猛暑の中、やっと着いたのはC社。マシンが熱暴走するんじゃないかと思うほど冷房が効いてない。会議室に通され、椅子に座るとお姉ちゃんが麦茶らしきものを持ってきてくれた。舌と上顎が張り付く程口の中が乾き切っていたので一気に飲み干すと..午後の紅茶だった..。甘ったるい液体がのどの乾きに、さらに追い打ちをかける。この辺りでなにか不安を感じていれば良かったんだな。くそっ。
 とにかく、その担当者は愛想が良かった。言葉の端々に入社のススメが散りばめられていてすっかり有頂天。そんな油断が落し穴。
「ところで。お願いがあるのですが」
 話を聞くと、C社はうちの短大の会社説明会に来る事になっていて、ぜひ他の学生さんにも薦めてほしいとのこと。あーもう何でも任せて下さいよー。そんな訳で渡されたパンフレットを10部ほど、学校でばらまいた。約束は守るぜ。
 しかし、いくら待っても通知が来ない。そのうち就職説明会になったのでC社のブースに行き、通知が来ないことを話した。
「おかしいですねぇ。もう少し待ってみて下さい」
 そして、”翌日”ごめんネの通知が来た。

【鳴呼、出身校びいき】

 Aシステムを受けに行った時は、もう一人女の子がいた。説明会の会話の最中にわかったのだけど、その子はとある専門学校の学生で、でもってAシステムはそこの専門学校の出身者の巣窟だったんだ。もう、この時点で結果は決ったようなもんだ。だって、担当者が私に話しかけないんだぜ。たまに、ああ、こいつもいたんだよなって感じで定型フォーマットな質問をするだけ。なめとんのか。
 ある程度会社の概要を話し終ると前年度入社したという新人社員を連れてきて、何でも質問してくださいと言う。そこでマシンは何台とか言語は何とかお約束な質問をしてみると、「えー、ちょっと僕らは・・」全然話しにならない。もう一人の女の子はと言えば、 「有給休暇はどれくらいあるんですかァ」
 パンフレットを読めよ。
 適性試験だって、他の会社で何度もやったのと同じ奴だからほぼ満点に近い点数は絶対取ってる。あんなの、何回もやってれば覚えるよ。
 でも落ちちゃったもんね。こんな事って、当り前の事なんだろうか?秘密の常識?

【シャチョーでポン】

 もぐが前の年に受けに行って、結構良かったらしいんで行った横浜のE社は、社長が替わっていた。何か漫画とかに出てきそうな、これぞまさにシャチョー!っていう人で、ふかふかのソファーにふんぞり返って横柄な態度で話をする。こっちがどういう勉強をして来てどれくらいの能力なのかハッキリ言ってるのに、話を聞いてないだろ、ってぐらい高レベルな質問を浴びせかけるんだ。
「ん、まァね。これくらいの事はネ。できないとネ。あなたができるかどうかは、ま、入ってからでないとわからないけど。んんー、どうかナ」
 あああああイライラするううぅぅぅ。君の能力じゃだめだとハッキリ言ってくれよぉ。
「ん。ま、せっかく来たんだし適性試験受けてく?」
 当り前だ。何をしに来たと思ってるんだ。こうなったら意地でも受かってやるわい。
 適性試験は今までの所とは一味違う、オリジナルの問題で結構難しかった。けど解けない問題じゃない。大方解いて、挑戦的に解答用紙を提出して帰宅した。
 さて、地元稚内に帰ってからは、他のどの会社からよりもE社の通知を待っていた。あんな会社、受かっても行くつもりはないが、社長に負けたくない。受かって、蹴ってやるんだ。
 一週間後、通知が届いた。結果は不採用。通知には理由が書いてある。

採用人数に達しましたので締め切らせて頂きました。

最後の最後までなめとんのか!!

【トレンド・Yeah!】

 何だかんだ言いながら何社か内定を貰ったのだが、どうもパッとした所があまりない。贅沢を言っている場合じゃないが、だからと言って妥協するのも嫌だ。だいたい私はこ奇麗にまとまった快適なオフィスにスーツを着て通うというのが嫌いだ。制服なんか論外。 そんな中、けろ石川さんから教えて貰ったA社がいたく気に入った。
 単なる雑居ビルの中にA社はあった。ビルの中に入って、郵便受けの小さい名札を見るまではどこに存在するのか全くわからない。すれ違うのも苦労しそうな狭い階段を上り、入ったオフィスがまた狭い。3畳程のミーティングルームで話をした後、歩いて2分の別ビルにある開発室を見せてもらって、感動した。
 6畳間に、スチール柵がダンジョンを作っている。ダンジョンの壁にはにUNIXマシンやら98やらTownsやらが埋め込まれてる。お宝も見つけたぞ。技術者の方が、本の山をどけて、ほこりを払いながら見せてくれたんだ。
「これは3千万ぐらいの×××でネ・・・」
 ををを。何か知らないけどスゴイぞ。開発室の人達もほこりをかぶっている。レゲエな人とか、Tシャツ短パンにサンダルのお姉ちゃんとか、何てお気楽な会社なんだ。
 一通り開発室を見終わると、担当の人が喫茶店に連れてってくれて、最近のアーケードゲームの話で盛り上がってしまった。いい。こういう会社はいいぞ。結構難しい質問が多かったので心配していたんだけど、受かってしまったんだな、これが。もう、何が何でもこの会社に行こう。そうと決めたら、すがる女..会社を振り払い、A社に電話だ制約だ。これで就職も決ったし。どこに住もうかなー。一本で行ける所がいいな。でもフルフレックスだから多少遠くても安いところがいいよなー。もぐに賃貸住宅ニュースを送ってもらおう。
 毎日ゴキゲンで、家に帰らないで遊び回ってたな。ある日久しぶりに家に帰ると母様に封筒を渡された。
「やー、久しぶりだね。何とかって会社から手紙が来てるよ」
 オヤ、A社からじゃないですか。速達? モシカシテ....急いで開封、中の紙きれの内容は・・・

   内   定   取   消  

 こ、これは巷で噂の!学生の間で最もトレンディな就職災難、内定取消!いやっほぅトレンド・イェー!!涙で前が見えないぜチクショー。うまい事言っといて理由が突然経営不振か。頭に来た。手紙出してやる。電話じゃないところが小心者だよな。
 しかし未だに返事は来ないのだった。潰れたのかも知れんな。でもいまさらどうでもいいや。

 そんな訳で今はプーの人っす。最初のうちは、あの会社行っときゃよかったとか後悔しっぱなしだったけど、嫌なところで我慢して働くのはやだしプーの人もそれなりに、就職しちゃったら無理なこともできたりして結構楽しいので良い。
 当分このままなんだろうな。許せ母さん。

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れんこんFAX
−打倒マルチメディアの企み−

 [レジN]

1、はじめに

転送屋のバージョンアップ作業に明け暮れた5月連休が終わって、恒例の丸木美術館オフでのんびり遊び充電もできたころだった。
「パソコンを使えない人が、れんこんにメッセージを送るのにFAXというのが使えるのではないだろうか。」という思いにかられ始めた。「転送屋にもう少し何かやらせることができるのではないだろうか」という前々からの思いが、それと一緒になった時、やるべきことはすぐに得られた。
そうなったら、後は勢いにまかせて実現するのみである。幸い今度は、れんこんのOZAさんも一緒になって沸き上がってくれたもんだから、もうどんどん進んでしまって、2ヶ月も経たないうちに運営できる状況にこぎつけてしまった。

しかし、企業活動に例えて言うならあまりに開発主導的、営業がさっぱりついてきてないのだ。「時代を先取りしすぎてしまったから・・・」などと自画自賛していても始まらない、ここは開発者自らが営業に立つという弱小メーカーの姿勢で臨むべきだろう。さもないと、このまま「レジNとOZAのお遊び」で終わりかねない。
というわけで、この記事の目的は、「れんこんFAXの宣伝」なのだ。

「また、あいつらがわけのわからんことを始めよったなぁー」と言われるあなた、まぁー、そう言わずに騙されたと思って、最後まで読み進めてみよう!

2、れんこんFAXで何ができるか

どんなことでもいいのだが、あなたが多くの人に伝えたいことがあったとする。とりあえず、それを紙に描いてビラを作ってみる。しかし、印刷するのは大変だし金もかかる。仮に印刷できたとしても、それを多くの人に渡す手段がない。
れんこんネットには数百人の人がアクセスしているから、そのうち2割程度の人に伝えることができたとしても、それなりの人数に伝わることになる。「誰でも書けます。どんなことでも書けます」というのを売りにしているネットなんだから、こいつを利用させてもらわない手はない。
あなたがパソコン通信できる人であれば、れんこんネットにそのメッセージを送ることは簡単にできる。でも、そのメッセージに絵が入っていたりしたら、ちょっと簡単ではない。パソコン通信ができなければ、絵も字もどうにもならない。

そういう時、あなたが使えるFAXマシンがどこかにないだろうか。会社のFAXマシンをちょいと借用するとか、コンビニのコインFAXを利用するとかすれば、FAXマシンを利用できる人はけっこう多いのではないだろうか。

それを使って、
0426-27-6134
に、あなたが作ったビラを送りつける。
ただそれだけ。

それで、あとはれんこんネットの会員がパソコンをゴチョゴチョと操作すると、あなたの作ったビラが、その会員のパソコンの画面上に映しだされることになるのだ。

3、れんこんFAXの仕組み

れんこんネットにパソコンでデータを送るのを直接方式というなら、FAXでデータを送るのは、間接方式とでも言えるだろう。
れんこんネットでは、転送屋がある時刻になると 八王子 <−> 浦和 の転送を実行する必要があるのだが、この転送屋はれんこんのホストになっているパソコンとは別のパソコンで動いている。転送屋は転送を実行する時刻以外は暇で何もしていないので、その間このパソコンは遊んでいる。この遊んでいる時間にFAX屋という別のソフトを動かして、一旦FAXのデータを受け止めさせて、れんこんホストに送りなおさせる。
だから、FAXから送ったデータはFAX屋に送られて、FAX屋が代行でれんこんホストに、そのFAXデータを送っているということになる。

このへんの仕組みをもう少し詳しくかつ具体的に説明してみよう。この項のここから先は、「パソコンの細かい話は頭が痛くなるからごめんだ」という人は、絵だけ見て読み飛ばして先に進もう。

0426-27-6134にFAXが送られてくると、れんこんのホストでは左図のcの回線に着信が入る。
それをEのFAX/電話切換機が受け止めて、その着信がFAXであるか、それとも普通の電話かを見分ける。れんこんのホストには、普通の電話の着信はあり得なくて、FAXかパソコン通信用モデムかのどちらかになる。
Eの切換機は、パソコン通信用のモデムからの着信の場合dの回線を通してDのモデムにつなぎ、FAXからの着信の場合eの回線を通してFのFAXモデムにつなぐ。
FのFAXモデムに着信が入ると、Gの転送屋/FAX屋用パソコンがFAXデータをfのラインを通して受け取る。受け取ったデータは、一旦Gのパソコン内部にセーブしておき、FAXモデムでの通信が終了した段階で、そのデータを圧縮してgのラインを通してれんこんホストにupする。
れんこんホストへのupが終了すると、Gのパソコンは再びFAXモデムからのデータを待機する状態になる。

FAX屋の部分のソフトはけっこう大変なものになるのだが、その辺はOZAさんが過去に蓄積してきたものがいろいろと流用できて、意外とあっさり実現できた。
だから、上図にある部分のシステムの実現は、そんなに苦労することはなかったのだ。

4、れんこんネットからFAXデータを読む

実は、この部分の実現に一番苦労した。
パソコン通信でFAXデータを共有しようという試みは、れんこんが世界で初めてどうか世界中を知り尽くしてないのでなんとも言えないが、少なくとも私達の知っている範囲では、れんこんが初めてだ。
だから、FAXデータをパソコンの画面上で見られるようにするにはどうすればいいのか、そういう点に関して、全て自分達が一から考えるしかなかった。既存のツール類の組み合わせをいろいろ考えて見たのだが、あまりスマートな方法はなくて、結局「新しくソフトを作ってしまうしかあるまい」ということになった。

ここから、れんこんFAXビューワー、名付けてRFVというソフトの作成が始まった。

まずOZAさんがPC9801用のソフトを作った。
最初は遅くてしょうがなかったのをいろいろ改良して、なんとか使える代物に仕上げていった。そこのところの苦労を私は側で見ていただけだった。
PC9801用のRFVができて、れんこんFAXの試験運用に入った時、最初からわかっていたこととは言え、PC9801とは縁切りさせてもらってマックとIBM互換機しか使っていない私はRFVが使えないのがショックだった。
これでは、れんこんFAXの旗振りをする気合も入らないというものだ、何としてもマック版を作らねばならない。そういうわけで、私はとうとうマックのソフト作りの世界に足を踏みいれることになった。

今度はOZAさんが側で見ている側となり、私は毎晩夜中までRFVマック版作りに専念することなった。マック用のソフト作りは初めてだったので、いろいろ悩むことも多く、晩ご飯を何度か食い損ねたりもしたけど、何とか使えるところに持っていけた。

とまぁ、そういうわけで、現在はPC9801かMacintoshのどちらかでれんこんネットに参加している人は、れんこんFAXのデータを見ることができるようになっている。(RFVは、れんこん八王子のpool FAXに登録されている。)

4、れんこんネット上でのFAXデータ

れんこんネットのFAILERの一階層として、FAXというところが用意されている。FAXから送られてきたデータは全てこの階層にupされることになっている。れんこんのメインメニューからは、次のようにしてデータを探しに行ける。

MAIN>>pool fax
fax))dir
No. File Name Type Author YY/MM/DD Bytes Access Kind
----- ------------------------ - -------- -------- ------- ----- -----
8 07041833.LZH B TENSOU 93/07/04 18558 4 FAX
Desc: Faxdata / 1 Page(s) / from [ 81426207719]
7 06161715.LZH B TENSOU 93/06/16 14588 14 FAX
Desc: Faxdata / 1 Page(s) / from [ 81426207719]
               ・・・
               ・・・
               ・・・
上の例でわかるように、Authorは常にTENSOUになってしまう。これは、一旦FAX屋がFAXデータを受けっとて、転送屋のIDでれんこんネットにupしているからである。また一行コメントのところは、

Faxdata /   1 Page(s) / from [         81426207719]
というように、FAXデータであることとページ数を示し、さらにfromの後ろの中括弧の中にTSIコードというのが書かれている。TSIコードというのは、FAXを送る側が最初に送って来るコードで、通常は送り側の電話番号が登録されている。
これでわかるようにFAXデータというのは、TSIコードで推測できる範囲以上は、誰からどんな内容が届いているのか、それをダウンしてRFVで見てみるまでわかりようがない。
そこで、FAXの内容を紹介するボードが必要になる。また、FAXの内容に関して議論できる場所も欲しい。それを提供する場所が、「れんこん Fax サロン」というボードだ。
次のようにして、このボードに入れる。

MAIN>>open fax


[ INDEX ] ★★ れんこん Fax サロン ★★ (FAX)
Num__ Date____ Res Sender__ Title____________________
1 93/06/25 3 OZA れんこんネットへのFaxの送り方
2 93/06/29 5 OZA れんこん Fax の活用法
3 93/07/04 2 レジスターN FAXデータ内容紹介

93.7.11現在では、まだ3つしかノートがない。そのうち3番目のノートが、FAXデータ内容を紹介している。UPされているFAXデータを最初に見た人が、このノートに紹介するようにしておけば、他の人は、このノートを見て「興味がありそうだ」と思えたデータだけダウンすればよい。自分が見たFAXデータに関して、議論をしたいと思えば、このボードに新たにノートを開けばいいだろう。
もしあなたがFAXデータをれんこんに送ったけど、パソコン通信はできないという人なら、誰かがこのボードに紹介記事を書いてくれるのを期待するしかない。れんこんネットにパソコンで参加している人に知っている人がいるなら、その人に電話でもいれて頼んでおくというのは、得策かもしれない。

5、れんこんFAXで広がる夢

人間の情報伝達は、字を通してなされるのはほんの一部であり、パソ通が得意な人達というのは、たまたまパソコンを使って字の伝達をメインになされるコミュニケーションに肌が合ったということにすぎない。絵、声(歌)、身振り(踊り)、などそういう手段を用いるコミュニケーションの世界といつまでも断絶されたままでいたのでは、パソ通の世界も一部の好きもの集団の域を抜けられないだろう。
世の中、マルチメディアなるものが騒がしい。あれが、その種の断絶を埋めてくれるものになるのだろうか。たぶん無理だ。
あれは企業ベースで「金儲けのためにはそれなりに金かけましょう」というところで進められているものでしかない。私達は、近い将来、企業が金儲けのためにつくったマルチメディアなるものの世界を求めて大騒ぎすることになるのかもしれない。しかし、高価な機器に高度なテクニックを用いる側のみが作り手になれるメディアなんて、やっぱりそれは、行き着くところが知れているというものだ。

私達には、今あるものを活用しながら、もっともっとおもしろいメディアを作って行く創意工夫の積み重ねが問われていると思う。パソ通がキャプテンなどを死に追いやってここまでこれたのも、過去に多くの人達の積み重ねがあってここまできているのだ。

れんこんFAXでは、「パソコンが苦手な人からパソコンが得意な人達へのメッセージ伝達の手段」というものの一つを提供できたと思う。FAXという通信手段を活用することを考えるだけでも、まだまだやりたいことは一杯ある。できたら、れんこんネットからFAXにデータを送る現状のれんこんFAXとは逆方向の通信も実現して、FAXでも双方向のメッセージやりとり参加できるようにしたいものだ。(実はその構想も持ってはいるのだけど、・・・。)
FAXの次には、Voiceなどというのも考えられる。

そんなことを考えていると、夢はどんどん広がっていく。
それらを使って活用していく方の夢も同時にどんどん広がって行けば、きっと私達はマルチメディアに勝てる!

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市民のコンピューターメディア・
APCネットワーク

 [橘 雅彦]

自己紹介
この4月に発足した市民団体「市民コンピュータコミュニケーション研究会 Japan Computer Access (JCA)」は、よりよい地球を作るためにコンピュータ通信を活用していくことを目的とする個人の集まりです。JCA は、
(1) 市民運動にかかわる個人や団体にコンピュータ通信の普及をはかること
(2) 国内のいろんな運動体や個人のネットワークをコンピュータ通信を使ってネットワーク化すること(BBSどうしの記事の転載などの rencon での活動もそういった試みにあたると思います)
(3) そのネットワークを国際的なネットワークにつなげること
(4) その際に問題となる日本語と外国語の橋渡しをすること、の4つを活動の方針としています。
それぞれの問題を扱う4つの分科会をつくっており、私は翻訳の問題の分科会のまとめ役ということになっています。

JCA の行ったイベント「Connect Japan」
さて、JCA はその活動の一環として、一か月の間「Connect Japan Part I,Part II」というイベントを行いました。ちょうど昨年ブラジルで開かれた「地球サミット」そしてそのNGO版である「グローバル・フォーラム」から一周年、またウィーンで国連の世界人権会議が開かれ、続いて東京でG7サミットが開かれる時期で、日本のいろんな市民運動団体が海外に出かけて行ったり、国内で「核も原発もいらないアジア・フォーラム」とか「G7を裁く国際民衆法廷」などの国際会議を催したり、といった活動が盛んに行われたのです。
そこで、日本からのメッセージをウィーンに伝えよう、あるいは国内で開かれた国際会議からの声を世界に出して行こう、さらには日本国内のネットにもそういう情報を流す手助けをしよう、そして、そういう機会を通じてコンピュータ通信の有効性を広く市民に体験してもらおう、という欲張りなイベント、それが「Connect Japan」でした。
イベントの企画を立ててから動き出すまでの時間がなかったので、大変である。僕自身、職場で Unix のネットワークを使ってコンピュータ通信の世界を知ったものですから、Nifty や PCVAN に代表される商業ネットワークの世界とも、れんこんのような「草の根 BBS」の世界ともこれまで無縁でした。それが、家で通信を始めるために買ったばかりの中古の IBMPC 互換機を車で運んでデモンストレーション用に使うなんてことを始めたのです。通信ソフトにはWterm を選んだんですが、僕の持っていた Wterm が J3100 用のふれこみにもかかわらず IBMPC では走らなくて、JCA のミーティングでお会いした Gakushiさんにお願いして、セットアップを手伝ってもらわなければなりませんでした(感謝!)。おかげで、Gakushi さんからの原稿依頼を断れなくなってしまったというわけです。

APCとは
そのイベントで世界と日本をつなぐのに私たちが使わせてもらったネットワークが、APC(Association for Progressive Communications 進歩的コミュニケーション協会)というわけなんです。APCは、北米、南米、ヨーロッパを中心とする11の国々の、市民による非営利のネットワークの集合体です。
APCを構成するネットワークの中で最も有名なのは、恐らくアメリカ合州国の PeaceNet, EcoNet などでしょう。これらは HomeoNet, ConflictNet 等と一緒にIGC(Institute for Global Communications)という組織が運営しており、これがアメリカ合州国のAPCノードです(ノードというのは、ネットワークが網のようなものとすると、網をこしらえている糸の結び目のようなもの、ということができます)。
APCノードとそれらが代表している国々を列挙すれば次の通りです。
AlterNex (ブラジル)、Chasque (ウルグアイ)、ComLink (ドイツ)、
Equanex (エクアドル)、GlasNet (ロシア)、GreenNet (イギリス)、
IGC (アメリカ合州国)、Nicarao (ニカラグア)、
NordNet (スウェーデン))、Pegasus Networks(オーストラリア)、
Web (カナダ)
これらのネットワークは、すべて、環境や人権、平和運動などにとりくむ市民が出資しあって作っているという共通の特徴があります。ブラジルの AlterNexのように、IBASE (ブラジル社会経済研究所)という市民団体がノードを運営している国もあれば、オーストラリアの Pegasus のように、8人の専属スタッフを抱えて会社組織で運営している国もあれば、スウェーデンの NordNet のように専従2人でNGOとしてやっているところもありますが、市民が地球の一員としての意識を持って生きていく上で必要な情報の交換や議論をするための、国際的に開かれた場であるという点は共通しています。

APCにアクセスしよう
今度のイベント「Connect Japan」では、APC の事務局(1993 年は Alternexが担当している)にお願いして、JCA として demo04 というアカウント(ID)を Econet の上に作ってもらいました。それが、私にとってはAPCにアクセスした初めての経験になったんですが、百聞は一見に如かず、その時の log から少し紹介しましょう。


   login: (? for help): demo04
Password: (? for help): xxxxxxxx
Terminal = generic (hit  or enter new terminal type): 

   Welcome to EcoNet II.  For help, type "?"

You have new conf entries in unhr.news unhr.documents hr.asiapacific ...

	EcoNet Command Menu: 
 
	c --  Conferences 
	m --  Electronic Mail 
	s --  Setup: Change your Password, Language, Terminal Type 
	u --  User Directory 
	d --  Online databases
	h --  Help
	bye --  Logout 

トップメニューの構成は日本の商用ネットとそんなに変わらない感じだと思います。違いは、全部英語だということ....
一番使うのが会議室(c)とメール(m)でしょう。ユーザとしてどういう人がいるかを調べられる(u)や、アメリカの大学図書館につないで文献検索ができる(d)などのデータベース機能は使いようによっては重宝なものです。
ここでは unhr.ngoneeds という名の会議室に入ってみます。これは、unhrつまり国連人権会議でNGOが活躍するのに何が必要か、といったことを討論する会議室のようです。
Your selection: c

Type '?' for list of commands, 'h' for help.
Conf: (g)o to a conference (v)isit regular list of conferences
Conf?  g
Enter conference name (? for list of conferences): unhr.ngoneeds

Visiting unhr.ngoneeds...

76 unread topics, 74 unread responses
'u' to see next unread item, '?' for command summary, 'h' for more help
Conf: (i)ndex (u)nread (w)rite (c)apture (v)isit (g)o e(x)it (q)uit (?)

ここでは、まず会議室のタイトル一覧を出してますが、未読のものをすぐ表示させる(u)とか、書き込みをする(w)、ファイル転送をする(c)などもこのメニューから可能です。
info sale of human organs        wchr:jsaganger
6/11/93	74*gran marcha internacional (span.)     MEDIENZENTRUM@link-atu.co

6/14/93	75*WCHR Confs to Japan ???               1 peg:agarton
	76*WCHR Confs to Japan ???          agarton@peg.comlink.apc.o


	**** End of Topics ****

Conf: (i)ndex (u)nread (w)rite (c)apture (v)isit (g)o e(x)it (q)uit (?)

タイトル一覧の最後の方にあるのは、国連人権会議関係の会議室を日本のネットに配信することはできないだろうか、という問題を、オーストラリアの Pegasus Networks の Andrew Garton 氏が問い合わせているものです。
なお、タイトルと著者の間に数字のついているものがありますが、これはレスポンスのついた数を表しています。ちょうどれんこんの「二次元配列」と同じで議題別に読んでいくことができてたいへん便利です。最初の投稿は 75、レスは75.1 のように入力すると読むことが出来ます。

Conf?  75
Topic 75 WCHR Confs to Japan ??? 1 response peg:agarton unhr.ngoneeds 11:23 pm  Jun 14, 1993

Hi Debra,

Pegasus is looking at setting up a UUCP feed to TWICS in Japan
for access by various NGOs to WCHR conferences. The feed will
run for the duration of the conference.

Yes, I know this is all las minute stuff but we didn't think it
was ing to happen until last Friday.

What i need from you is a "short" list of the most active and
necessary of the WCHR confs on APC that would be suitable to
transfer across to Japan. We can't take on the whole lot as
we need to keep IDD costs down. I think half-dozen conferences
would be suitable but I would consider your advice seriously.

Regards,

Andrew

文中で触れられている TWICS は、日米会話学院のやっている英語の BBS です。今回は TWICS 側の準備が整わないため、この企画は実現しませんでした。
自分の読みたい話題を扱っている会議室がどこにあるかを知りたいときは、(l)というコマンドで会議室の検索ということも出来ます(なにしろ、700以上もの会議室があるんですから!)。たとえば、核の問題を扱っている会議室を、ということで nuclear をキーワードにして探した例ですが、

  -- conference directory --
Search: (i)ndividual lists, or  for ALL lists (? for help): 

Enter name, keyword, or  for all (? for help): nuclear
Do you want: a (b)rief, (m)edium or (c)omplete listing (? for help): m

sgr.news	-- For open discussion on matters of interest to SGR
	(Scientists for Global Responsibilty);
	incorporating Electronics and Computing for Peace
	(ECP), Psychologists for Peace (PfP), and
	Scientists Against Nuclear Arms (SANA).

  ** APC Public Conferences:
boycott.alerts -- Lists companies and/or products to be considered for a
	boycott due to unsound practices of the company, or
	unsound impacts of the product.

....

reg.japan -- News, analysis or action alerts concerning peace, nuclear,
	economic, foreign policy and other issues
	concerning Japan.

....

video.catalog -- An online listing of social change videos available through
	The Video Project.

....

36 conferences listed for keyword nuclear.
-----

途中省略していますが、36個もの会議室が検索されたわけです。最初に出てきた sgr.news は、「世界に対して責任をもつ科学者の会」のニュースで、平和問題の研究者、核兵器に反対する科学者たちのフォーラムらしいし、二番目の boycott.alert は、環境破壊などの不正なことをやっている会社の製品を買わない運動からの警告情報を集める会議室、reg.japan は、文字どおり日本地域(region)に限定した話題、video.catalog は、社会変革に寄与するようなビデオのカタログを集めた会議室、といった具合です。
このように、APCの会議室は、あらゆる角度から、現代の地球がかかえる問題を解決するための情報や資料を提供していることがうかがえます。
とにかく、あまりに素晴らしい機能を備えたネットワークなので、このデモンストレーションが終わった後アクセスできなくなってしまうのはあまりに悲しい、と思い、オンラインサインアップして、自分のアカウントを取ってしまいました。 mtachibana@igc.apc.org です。Internet 経由でメールを出せる方、お便りお待ちしております。

日本にも市民による市民のためのノードを!
先に「北米、南米、欧州」と書きましたが、APCネットワークのある国はそれらの地域に偏在していて、アジアアフリカには一つもないのが現状です。これは残念なことだし、ぜひ日本にも作りたい、と思っている人は沢山いるのですが、日本で環境問題や人権問題に取り組んでいる人々の間でのコンピュータ通信の利用が、意外に低いという問題が立ちはだかっています。
そこで、JCA の活動目標の一番目には、コンピュータ通信の普及、すなわち将来の「日本ノード」ユーザとなるべき人々を増やす、ということが来ているわけなんですが、問題はそればかりではありません。
日本と海外をつなぐといっても、今の情勢ではアジアアフリカとのネットワークを考えるなら、APCにつないで事足れりというわけには行きません。アジアの国々の、通信に関する社会基盤の実状(料金の問題や、モデムが雑音に強くないとダメ、といった技術面の克服など)に応じて対応を考えていかないといけないと思います。このことについては、最後に引用する印鑰(いんやく)さんの文章でも触れているので、くわしくは述べません。
まだまだ勉強しないといけないことが沢山あります。興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひ JCA に参加して下さい。

おわりに、そしてこれから
今、JCA では定期的にミーティングを開くほか、Unix のネットワークの上での「Global-Brain Mailing List」をそれぞれの課題のオンラインでの討論の場として持つとともに、その記事を Niftyserve の FSHIMIN、PC-VAN の DAISANといった会議室に転載して議論を進めています。本来は私が rencon に入ったのは、その議論の rencon への転載をすることにも役立つし、というつもりだったんですが、Connect Japan のイベントで忙しくて、ちっとも進んでいません。
そこで最後に、最近の Global-Brain Mailing List に載った記事の中から、コンピュータ通信を使うことの利点を市民運動にかかわる人々にアピールしていくのに何に力点をおいたらいいか、ということを述べた印鑰智哉さんの文章を転載して、この小文を終わりにしたいと思います。
印鑰さんは、東京に事務所をおくアジア太平洋資料センターの事務局スタッフの一人ですが、ブラジルの IBASE で交換スタッフとして働いている方です。この文章は地球の裏側から日本に届いたものなわけで、これは Unix をベースにした Internet をAPCネットワークが利用しているメリットの一つと言えるでしょう。


GB-From: 印鑰 智哉 (INYAKU, Tomoya PARC/IBASE, Rio de Janeiro, Brazil)
GB-Date: 1993-7-3 (Sat) 11:50
GB-Subject: Re: チラシ文(改善案)
GB-Original: G-BRAIN ML

チラシ文案、ご苦労さまです。

> 実際、このチラシ一枚を出すまでの過程で,東京、札幌、リオデジャネ
> イロに住んでいる人の手が加わっているのです.

という以上、こちらからも何かコメントしなくてはいけませんね。

このところ時間がとれずに、もう文の修正には間に合わないでしょうし、また文案そのものはひじょうによくできていると思いますので、とりあえず、独立したコメントとして以下みてもらえばいいかと思います。
--------------------------------------

このチラシの論点は2つに分けられるでしょう。コンピュータ通信の利点の紹介とAPCの紹介。

前者についていうならば、文章の加工が簡単という点以上に、双方向のメディアであるという点を今後もっと強調していきたいと思います。なぜなら日本の運動の構造自身を変える力がコンピュータ通信にあると思うからです。 たとえば、FAXですが、これだっていちおう双方向の通信は可能です、ただし1対1程度ならば。 FAXは情報 * 伝達 * のメディアにはなっても、* 対話 * のためのメディアにはなりにくいのが現実です。

たとえば、日本の各地の運動が寄り集まってネットワークを作るとします。とりあえず、事務所を東京において、なけなしの金を出し合って、専従者を置くことにしましょう。このネットワークの相互の通信は東京の事務局を経由してすることになるでしょう。そうすると、各地域相互の連絡はいってみれば、下記のようになるでしょう。
事務局からはニュースレターあるいいはFAX通信がでるとします。でもその通信に各地域の声をうまく反映するのは簡単ではありません。各地域から不定期にくるものを定期的な通信に載せていくのはタイミングがうまくあわなかったり、通信の許容量の問題などがあって、結局、事務局からの情報伝達が中心になってしまいます。もしここで完全な双方向の通信を考えたら、各地の運動体そのものが1つの中心になって、自分たちの情報を全国すべてに発送しなくてはならなくなってしまう(同報通信を使えば簡単だよといわれるかもしれませんが、現実的に事務局からきた通信に対して、その通信を受け取るすべての人にその通信に対するコメントを送れる人は[ネットワークの大きさにもよりますが]多くはないでしょう。現実には経済的にも、物理的にもそうしたことは不可能なことが多く、せいぜい事務局に何か送るだけで満足してしまう(あきらめてしまう?)のが現実ではないでしょうか? せっかくネットワークといっても、こうした中央集権的なピラミッドになってしまい、各地の運動の力をいかせるものにならなくなってしまっているのが、多くの運動体の現状ではないかと思います。実際、こうした事務局の専従になる人の多くは、こうした構造の中で、大なり小なり自分の無力さをなやんだりしているのではないでしょうか? いくら各地域にいいアイデアがあっても中央の事務局の活動にそれを反映するのはなかなか難しいのです。
これに対して、コンピュータ通信は情報を伝達する上でピラミッドの中心としての事務局は必要としません。各地域の運動体が直接相互に常時議論しあえます。たとえばAPCでは要求に応じて、メンバーを限ったプライベート会議を設定してくれますが、そのネットワークが自分たち専用の会議室を作ってしまえば、より効果的な情報交換ができます。自分たちの会議室に各地域の報告を書き込めば、他の地域のメンバーはすぐそれを読むことができるし、ある地域の提案は事務局がいちいち通信で全国に流すことなく、他の地域の人たちが読むことができます。事務局はこうした各地域の議論を受けてもっと進んだ活動に力を注げます。事務局からの提案に対する各地の声も直接、各地域に伝わりますから、より参加民主主義的な議論が作り出せます。

日本の組織は国家や会社に限らず、労働運動や場合によっては市民運動まで中央集権的構造を持っていることがありますが、コンピュータ通信はそうした構造をより民主的な水平関係に変えていく力を持っていると思います。
そしてAPCの利点はこれを国境を越えて実現できることにあるといえるでしょう。

海外との連帯運動(圧倒的にアジアが多い)を担っている日本国内の運動体の場合、通信はエアメール、FAX、電話の順で使われていると思います。日本国内ならば毎日FAXを送りあっても電話料金はそれほど気にならない。だけれども、海外となるとそうはいかない。とりわけ相手側にとってはFAX料金の負担はかなり大きい(FAXはコレクトコールしにくいですから、FAX料金の負担はかなりのものがあります。ちなみにブラジルはFAX料金が世界一高い[本当か知りませんが]ということで、A4、1枚送ると、僕の1週間分の食費が飛びます。こんな事情も知らない日本のマスメディアは平気で「資料、FAXで送ってください」なんて頼んでくる。金を送金しないかぎり一切断っていますが。[当たり前!])。どうしたって最小限のコミュニケーションしかできず、木目細かい議論は期待できません。これが結構大きな障害になってしまうことが多く、結局、何かの機会に直接会って話さない限り、物事がすすまなかったりするのです。ちょっとしたことで問い合わせたくてもいちいち連絡できない。なにかの機会にと思っているうちに忘れてしまう。
その点、APCはシステムがそれぞれの国内にあれば、負担は安い接続料と国内の電話料金だけですみますから、毎日何件もメッセージを送っても料金の負担はそれほど大きくありません。格段に木目細かいコミュニケーションが可能になります。

そんな海外と連絡しあう必要のない人たちにとっては関係のないことだといわれてしまうかもしれませんが、現在の世界は日常のささいなことまでが直接海外との関係の中で作られていますので、関係がないと思っていても、あるきっかけで突然、海外とのコミュニケーションの必要に迫られることがありえます。たとえば地域で再生紙のリサイクルの運動をしていたけれども、輸入パルプがどんどん安くなって地域のリサイクルが成立しなくなってしまった、どんどんゴミとして消費していったものが捨てられていく、一方、輸入パルプを作っているブラジルでは原料の木を植えるために先住民を追い出し、農民の土地を取り上げという事件が起きている。それまで海外の運動との関係の必要性はあまりなかったような地域の運動体がブラジルの先住民との連帯活動を始める……。そんな時代す。ことばの問題は簡単には解決できませんが、この他にも意外なところで、意外な新しい関係が生まれる可能性があると思います。しかし、それも海外の運動と直接出会う機会があればのこと。

APCはそうした新たな市民の(民衆の)国際関係を作り出す機会を提供できるでしょう。

アカデミズムとの協力関係を作る上でもAPCは魅力的です。 今、 こちらのIBASE(ブラジル社会経済研究所)で行なっている調査でえられたさまざまな情報は、 FOR.PAPER, FOR.PLANTATION という会議に投稿しているのですが、APCと INTERNET との接続で、カリフォルニア大学や筑波大学の研究者の協力を得ながら進めることが可能になりました(日本人の研究者が1人もいないのは残念ですが)。
<P> 現実の世界を変えるには企業活動や国家の活動を単に告発するだけでなく、今のやり方とは異なったやり方が可能であることを示す必要があるでしょう。そのためには具体的な現実に基づきながら、専門的な知識をも活用しながら、有効性ある提案(オルタナティブ)を作り出す必要があります。そうした活動を作る上で、APCはひじょうに有効な環境を日本国内のさまざまな団体に提供できると思います。

もっともAPCを長所だけでなく、APCの弱点も我々の中では押さえておく必要があるでしょう。

今、こちらで感じているAPCの問題点は、ユーザーが圧倒的に米国に集中していること。おそらく70〜80%は米国人でしょう(ブラジル人もアメリカ人ですから、ここでは米国人[でもあまり語感がよくない?!]としておきます)。とりわけアジア、アフリカからのアクセスは極めて少ない。 今、 RAIFOR.GENERALという会議ではマレーシアのサラワクの森林伐採がかなり大きな問題になっていますが、マレーシア人からのアクセスは少なく、圧倒的に外国の環境問題の運動体がこの問題を議論しています。当然、米国人から見たバイアス(偏向)は避けられない。現在の世界の人口の圧倒的が第三世界の住民であることを考えると、今後、世界的な民主主義的議論を建設していくためには、アジア・アフリカからのアクセス(とりわけ草の根の民衆運動団体からのアクセス)を保証していくことが極めて重要だと思います(またサラワク問題の焦点は日本なので、日本の運動体からのアクセスもまた極めて重要であることはいうまでもありません)。アジア地域からのアクセスを保証していく仕事は、アジア地域で多くの活動を行なってきている日本の運動団体がかなりAPCに貢献できる分野であると思います。

とりあえず、雑感になってしまいまいしたが……、ではまた。

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お菓子対談

 [涼&びとこ]

[涼]	お菓子を作る動機とかは?
[びとこ]	動機ですか。
[涼]	作りたいなと思う時って?
[びとこ]	買うより自分の好きな味にできること。
[涼]	なるほど。
[びとこ]	おいしそうなもの見つけたときとか、材料があったときかな。
[涼]	市販品の不満は?
[びとこ]	甘すぎるものが多いです、特にクッキーなんか。
[涼]	やっぱり。私もそう思う。
[びとこ]	涼さんはどんなときに作ってるんですか?
[涼]	ストレス解消(笑)
[びとこ]	おお(笑)それはめずらしい。
[涼]	だって、ガシガシかき混ぜたりするとすっとするよ。
[びとこ]	あ、なるほどね。
[涼]	めずらしいかな?あとはお祝い関係かな。
[びとこ]	プレゼント用ですか。
[涼]	買ったものより真心こもっているでしょ?
[びとこ]	そうですね、わたしもたまにプレゼントします。
[涼]	気持ちとして、引っ越し祝い何かにも持参します。
[びとこ]	そういうものは喜ばれますね。
[涼]	でも、まだまだ男性がお菓子焼いたりするのに偏見があるっていうのか・・・
[涼]	「やだー」とか。
[びとこ]	うーん、あんまり作る人いないからかな?
[涼]	そうだと思うけど。
[涼]	私にとっては工作と同じなんだよ。
[びとこ]	でもお菓子屋さんなんて男の人多いのに・・
[涼]	そう、料理もね。
[びとこ]	作るという点では同じですもんねぇ。
[涼]	それに、創意工夫が出来て、市販品より好みに合せられるってのもそうだね。
[びとこ]	そう、それは大きいです。
[涼]	ま、最初に色々用意したりするのは面倒だろうけど、私のはお気楽なのばかりだから。
[びとこ]	わたしは結構きっちり計ったりしちゃうな。
[涼]	そうか、その辺が違いかも。
[涼]	寝起きの30分で作るキャロットケーキ(笑)
[びとこ]	おー素晴らしい。
[涼]	だって、秤持っていないから。
[涼]	買っても大してしないんだろうけどさ。
[びとこ]	適当に作ると悲惨なものができたりする(;_;)
[びとこ]	でも涼さんはなしでもちゃんとできてるからいいですね。
[涼]	悲惨なほどのはいまだに作ったことないよ。
[涼]	やる気の問題だろうね。
[びとこ]	小麦粉の分量間違えてどろどろクッキー作った事ある・・
[涼]	うむ、でも堅さで分からない?
[涼]	経験の問題かも知れないけど。
[びとこ]	そそ、なんか今日はどろどろだなーとおもったのにやいてしまった。
[涼]	あやや、そりゃだめだね
[びとこ]	焼いてから気付いた(;_;)
[涼]	気温なんかでも違って来るしね。
[びとこ]	そうですねー
[びとこ]	いっぱい作ってるとわかってくるだろうけど。
[涼]	そのあたりは、ある程度センスと経験なのかな?
[びとこ]	そんな気がしますね。
[涼]	でも、今までそんなに悲惨なのはあまり無い。
[びとこ]	まだ修行が足らんな。
[涼]	いやいや、そんなめんどうなのは作らないってこと。
[涼]	焼き過ぎたってのはあるけど。
[びとこ]	にがそー。
[涼]	うん、焼き過ぎはだめだった、流石に。
[びとこ]	どんなもの作ります?
[涼]	焼き物多いけど、プリンやゼリーは簡単。
[涼]	凝ると面倒だけどさ。
[びとこ]	あ、夏はゼリーなんかいいですね。
[びとこ]	すぐできるし。
[涼]	そう、お手軽ね。
[涼]	あと、似たので牛乳かん。
[びとこ]	あー、それも美味しい。
[涼]	要するに、ありもので出来る奴ってことだね。
[びとこ]	そそ、ゼラチン1箱あると便利。
[涼]	特別なのを使うのはなかなか買ってこれないし。
[びとこ]	探すのも面倒ですしね
[涼]	使うかどうかってのもあるよね。
[涼]	ま、腐らないけど(^^;
[びとこ]	なんとか酒とか関係も使わないから買わないな。
[涼]	酒は使うぞ(^^;
[涼]	ブランデーは呑む。
[びとこ]	わたし何故か使わない(笑)
[涼]	そういう意味では、お菓子だけじゃないからいいんだ。
[びとこ]	飲めるのはいいけど、香りつけだけみたいのあるじゃないですか。
[涼]	そうだね。
[涼]	お酒が入ったケーキって好きさ。
[びとこ]	フルーツケーキなんかは美味しいけど、
[びとこ]	あとはいれてなくてもいいな。
[涼]	フルーツケーキに入れます>ブランデー
[びとこ]	あ、なるほど。
[涼]	フルーツ関係を酒につけておくのはよくあるしね。
[びとこ]	そうですねー。
[涼]	となるとラムも使うな。
[涼]	ラムは、夏場に呑んでいる(^^;
[涼]	そういう意味で、やはり手近な材料・・・
[びとこ]	おおう。わたしは一応未成年ですんで(^^;)
[涼]	そうであった。すっかり忘れてた。
[びとこ]	忘れないでくださいよう(笑)
[涼]	忘れて困る事あったっけ?
[びとこ]	うーん、ない・・かな(^^;)
[涼]	私はめんどくさがりだからなぁ。
[びとこ]	私も滅多に作んないけどなぁ。
[涼]	私もそうそう作らないけど、材料はいつもあるな。
[びとこ]	1回作りはじめると長いから。
[涼]	長い?
[びとこ]	気が向いたときすぐ作れていいですね。
[涼]	そう、その程度のしか作らないってこと。
[びとこ]	動作がのろいから、時間がかかって(^^;)
[涼]	そうですかい?
[涼]	ま、料理全般が面倒な事はあまりしないってのはある。
[びとこ]	クッキーなんか特に大量に作るから、3時間くらいかかるし。
[涼]	おお、そんなにたくさん焼いてどうするの?
[涼]	あ、あげるのか。
[びとこ]	食べる(笑)
[涼]	へ?全部?
[びとこ]	あげるときもあるけど、置いとくとなくなってるし。
[涼]	おやおや、親が食べていたりして。
[びとこ]	弟が食べてるらしい・・
[涼]	食べ物でつられてくれるのは便利だしね(笑)
[涼]	友人もそれでなんとかごまかしたりいろいろ出来る人がいる。
[びとこ]	うーん、いいなぁ
[涼]	だから、お祝いにケーキ持参ってのが便利に使える訳だ。
[びとこ]	なるほど、そういう意義もあったんですね。
[涼]	友人関係を円滑にするのにもいい。
[びとこ]	うんうん、私もそれはやってるかも。
[涼]	ね、お菓子作っているとほかの人をHAPPYに出来るならいいんじゃないかって、作る動機の一つなんだわ
[びとこ]	そそ、喜んでもらえたりすると作った甲斐がありますよね。
[涼]	うん、だから自分もHAPPYになれる。
[びとこ]	お菓子作りは素晴らしい。
[涼]	そうだね。
[涼]	でも、けなされたらそいつには作ってやんないけどさ(^^;
[涼]	お後がよろしいようで。ちゃんちゃん。

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☆見情報BOX

 [もぐ]

 やっと梅雨も開け夜になっても寒くなく、星を見れる時期になりました。
ということで、今回は8月13日の【ペルセウス座流星群】についてお話したいと思います。

【ペルセウス座流星群とは??】

 1・流星群ってなに??

 流星とは、彗星や小惑星等からなんらかの原因で放出された微小天体がそれぞれの軌道を巡っているうちに、地球の引力に捕らえられ、大気との摩擦・蒸発する際に発する光のことです。
 その流星が活発に見られる時期を流星群といいます。

 2・ペルセウス座流星群とは??

 この流星群の歴史は非常に古く?2000年以上も記録がさかのぼることができます。18世紀にはヨーロッパでセントローレンスの涙として人々に親しまれていたというほど、世界的に有名な流星群です。

【ペルセウス座流星群の見方】

 1991年、1992年と2年連続して大流星群となったペルセウス座流星群ですが、今年はどのように見られるでしょうか?
 1991年・1992年に大流星群となった原因は母体となるスイフトータットル彗星が回帰してきたためと言われています。流星群は、このように彗星等が回帰してくると、数年は非常に活発になります。
 ということで、今年も数多くの流星を見ることが出来ると思います。

 この流星群の一番活発になるのは8月12日の夜11時頃から13日の明け方にかけてで、その期間は非常に多く見ることが出来ると思います。
 暗い星まで見える所であれば、なお見ることが可能だと思います。
 予想では、1時間に50位流れると思います。

【流れ星の写真をとってみよう】

 流れ星の見えている時間はせいぜい1秒前後で、しかもスピードが速いのでなかなか写真に写ってはくれません。それで、流星を写すときは、口径比がF1.8以上の明るい標準レンズで撮るのがベストです。
 あと、フィルムはISO(感度)400〜3200という高感度カラーフィルムを使ってうつすと、暗い流れ星まで写すことができます。

 撮影方法は、固定撮影をおすすめします。(固定撮影とは、カメラを三脚に固定して写すとです。)
 ということで、流れ星は狙って撮ることが出来ないので、”ツキ”に左右されます。がんばって写して見ましょう。
 写す範囲は左の図を参照してください。

【流星に関する情報】

 現在、国内で行われた流星観測の結果は、「日本流星研究会」(NMS)がとりまとめています。毎月の会報で各地での観測結果が集計され、発表されています。
 連絡先は、以下の通りです。

 〒523
 滋賀県近江八幡市円山町878
 日本流星研究会事務局

【他の流星群の紹介】

 流星群名  活動期間   極大日    極大出現数

 ペルセウス  7/12〜 8/25   8/12      50以上
 はくちょう  8/12〜 8/26   8/19      3〜 5
 オリオン   10/11〜10/31  10/21      10〜15
 おうし    10/13〜11/30  11月上旬     3〜 5
 しし     11/11〜11/26  11/18      15〜25
 オリオン   11/21〜12/15  12月始め     3〜 5
 ふたご    12/ 2〜12/23  12/14      30〜50
 こぐま    12/19〜12/25  12/23      2〜 5

【さいごに】

 さて、どうだったでしょうか??
 これを期に星空をゆっくりとみるのもいいと思います。
 また、恋人と夜空を眺めるのもいいのではないでしょうか?

 ただいまれんこんNETでは「☆見サークル」を結成しようとしています。
 これは、れんこんNETに入っている人ということではなく、星を見るのが好きという人が集まって楽しく奇麗な星を見ようということで、結成しようとしています。

 また、このペルセウス座流星群の観望会(決して観測会ではない)を企画しようとおもっています。もし、参加したいという方は、れんこんNETまで、ご連絡ください。

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