私的ページ:山田晴通

韓国・Digital Community 2009 参加日記:
2009年6月22日〜6月28日


 12回目の韓国行きは、安東市Digital Community 2009への参加を目的とする学会出張に、私費で一日滞在を延長しました。今回も、パートナーと二人で移動しましたので、文中にある料金のうち、食事代や宿泊費は二人分の金額です(ただし、宿泊費については、韓国では一人でも二人でも金額に大差がないことの方が普通)。1000ウォンは80円くらい(1円=12.5ウォン)です。
(2009.09.15. 公開)
■ 2009/06/22 (Mon)
学会初日のレセプション

KE702機中,ソウル
新宮荘旅館, ソウル・仁寺洞
 成田で前泊し、朝7時の連絡バスで第一ターミナル北ウィングへ向かう。朝一番の大韓航空KE706便での搭乗手続きをしようとして、航空券に手違いがあることが判明した。結局、いろいろばたばたしたが、12時55分のKE702便でソウルへ向かうことになった。まだ発表の準備が整っていない上に、幸先の悪いスタートで、精神的に参ってしまったのか、往きの機中では体調不良を覚え、少しうとうとしては目が覚めるという繰り返しだった。
 仁川空港からは、いつものように 空港鉄道 A*REX と地下鉄を乗り継いでソウル市内へ向かう。地下鉄のチケットが、以前とはシステムが違うカード式、デポジット式になっているのに少々戸惑ったが、以前は使いにくかった券売機が一挙に進歩していて感心した。
 途中で地下鉄を乗り換え、ソウル駅で下車し、学会のレセプションが行われるミレニアム・ソウル・ヒルトン・ホテルへ歩いて行く。ホテルの場所が頭に入っておらず、少しばかり迷い、結局、付属するカジノの駐車場から入って、3階のレセプション会場までたどり着いた。
 レセプションは5時開始だったが、既に5時半になっており、会場には、同じ研究グループに日本から参加されている先生方や、いつものメンバーという感じの十名ほどの欧米の先生方が集まっていた。チュニス以来、一年ぶりの再会である。今回は、現在のグループ代表であるW先生が所属するミシガン州立大学のスタッフであるお二人の韓国人(在米韓国人)が実際の仕切りをする様子だ。一通り、連絡事項が伝えられたのだが、明日と明後日の安東での行事には市長が来るのでしっかりスーツとネクタイでというお達しが出る。
 レセプションで出たのは、サイドウィッチやオードブルなどパーティー料理だが、なかなか美味しく、知らず知らずのうちに結構な量を食べてしまう。6時半過ぎにお開きになるまで、そのまま会場に居残った。
 日本人参加者はほとんど途中でいなくなったが、最後まで会場にいたK氏と一緒に徒歩でヒルトンを出て、K氏の宿がある明洞へ向かう。明洞でK氏と分かれてから、連れの買い物に付き合い、このところ明洞にくる度に立ち寄っている店に入る。今回は、連れに肩掛け鞄を買った。そのままだらだらと歩いて進み、鐘路3街近くでスニーカー履きしか持ってきていなかった連れに(翌日以降のドレスコードを考えて)パンプスを一足買う。さらに進んで、仁寺洞の定宿・新宮荘旅館へたどり着き、二階の南端にあたる301号室に入る。
 しばらく休んでから、現在休業中のハードロックカフェ・ソウルの様子を見るため、梨泰院に出かけた。ハードロックカフェはこの春から休業しているのだが、ショップだけは営業しているという話も聞いていたので、確認をしようというつもりだった。到着したのは午後10時15分頃だったが、店は閉まっていて営業時間が10時までという張り紙が出ていた。また出直すことにして、少し離れたところにある以前立ち寄ったことのある食堂「シゴルパプサン」(「田舎食膳」の意)へ向かい、晩ご飯にする。今回の度で最初の本格的な韓食である。食事で満腹になったせいか、連れが眠たい様子になったので、帰りはタクシーを拾って宿まで戻る。
 連れはすぐに眠ったが、こちらは発表の準備が仕上がっていないので、深夜までパソコンに向かい続ける。
■ 2009/06/23 (Tue)
安東へ

ソウル、安東
サンホジャン旅館, 安東

サンホジャン旅館(安東市)
 朝食は宿で卵焼きとトーストを作って済ませた。朝9時過ぎにミレニアム・ヒルトン・ホテルへタクシーで向かい、他のメンバーと合流して安東へ向かうバスに乗り込んだ。車中では、パソコンで図表をいじっているか、少しでも眠るという状態で、車窓を楽しむ余裕はなかった。
 昼過ぎに、安東市の中心市街地からみて西方にある河回村の外れの食堂に入り、昼食となる。食後は田舎道を歩いて集落まで行く。河回村は、伝統的な景観が保全された状態で住民が生活をし続けているという、いわば動態保存された民俗村のようなところで、ガイドブックの類には必ず載っている観光地でもある。初めて訪れたのだが、K氏は21年前に当地を訪れており、この間に、案内板の新設や周辺施設の整備などが進んだということだった。日射しが強く、連れも自分も炎天下を歩き回る気にはなれず、しばらく軒先の日陰で休む。ほんの少しだけ集落内を歩き、集落内で一番高い位置にあるご神木を見て集合場所まで戻ってきた。集合場所には英国のエリザベス女王が当地を訪問したことを記念する展示があった。集合場所から、路線バスに一区間だけ乗り、先ほど食事をした場所に近い仮面博物館なる展示施設に入る。河回村は仮面劇の伝承でも知られる場所ということで、こういう施設があるようだが、あまり見るべきものはなかった。
 博物館で再びバスに乗り込み、伝統的な手法で韓紙を製造している工場を見学に行く。樹皮を漂白し繊維を取り出す過程から、紙漉、乾燥(一枚ずつ熱い鉄板に刷毛で張り付けて乾燥させる)の行程を見学する。この工場もエリザベス女王が訪問したそうだ。隣接する建物では、呪術的な意味合いが込められているらしい虎や龍の絵を展示していて、画家自らがいろいろ解説していた。
 製紙工場を後にして、バスは夕食の会場へ向かうことになった。今日の夕食は市長によるレセプションという話だったので、自分も珍しくスーツ姿だったのだが、着いたところは郊外の小さな市場のようなところで、何の変哲もない焼肉屋であった。市長は来れないということで、助役(?)が挨拶したが、彼も上着やネクタイはなしで、特に堅苦しい場面ではなかった。ここでも、昼食と同じようにブルゴギを中心にした食事をとる。デザートで出てきたスイカがおいしく感じられた。
 夕食後、バスは安東の中心市街地へと向かい、バス・ターミナルと鉄道駅の中間地点にある教保生命の建物の前に停まった。ここで、中心市街地をしばらく自由に見学することになった。我々二人は、学会会場付属施設での宿泊を選択せずに、安東市内に泊まるという希望を出していたので、ここで一行と別れ、バスが停車した位置から見て筋向かいにあったサンホジャン旅館に飛び込みんだ。一泊25,000ウォンということだったので、迷わず二泊することにした。
 旅装を解き、一息入れてから、当てずっぽうに歩いて商店街を眺めに行く。夜9時になっているが、以外に営業している店がある。屋台も結構出ている。飲み物などをコンビニ(ファミリーマート)で買って、部屋に戻った。いよいよ明日午後が発表なので、連れには先に寝てもらい、必死にパワーポイントを組む。
■ 2009/06/24 (Wed)
何とか発表を終える

安東
サンホジャン旅館, 安東
 朝9時少し前に連れに起こされ、そそくさと宿を出る。まず銀行(KB)に行って両替をし、朝食は宿の近くのキムパプ天国の店でラーメンとキムパプを食べた。ここから、学会会場となっている国学文化会館(韓国の伝統的な儒教文化の伝承を目的とした研究所)まで、タクシーで行く。事前にイメージしていたよりも遠い場所で、途中でタクシー料金が20,000ウォンを超えて、少し不安になるくらいだった。
 それでも何とか発表開始の10時に少しだけ遅れるくらいで到着し、最初の基調講演の途中から話が聞けた。講演者の一人が安東市長だった。韓服を着た市長は、道庁機能が大邱から移ってくるのに合わせて、情報技術を生かした先進都市として新たな新市街地の建設に取り組んでいるという話を誇らしげに語っていた。
 昼食は、会場内の食堂で、焼き肉と魚の揚げ物などがメインの韓定食だった。食後に連れがアイスクリームがほしいというので、食堂で売っていた700ウォンのラクトアイスバーを買う。午後の発表の準備のため、第二会場に向かった。会場に到着した後も、食後の休みも惜しんで、ぎりぎりまでパワーポイントをいじる。一応の形を付けて、USBにセーブし、用意されていたPCで試しに上映してもらったのだが、いろいろ不都合な箇所が出てきた。結局、自分のMacBookを直接つなぐことにして、発表の順番を変えてもらう。

プレゼンテーション中の山田 (photo by F)
 自分が最後に発表することになった午後最初のブロックは、フランスのL氏に続いて、日本人による発表が3本続くという構成だった。自分の発表になり、パワーポイントは。何とか体をなしていたが、英語の方はスムーズに言葉が出てこなかった。それでも、意図は通じたようで、質問もあり、ほっとした。コーヒーブレイクを挟んでさらに4つの発表を聞き、報告セッションは無事終了した。
 夕食は、会場に付属した宿泊施設で屋外パーティーの形になるということで、坂道を少し上って会場へ着き、他の参加者が部屋で一休みして着替えたりしている間に、ロビーの一角で休んでいた。6時過ぎに夕食が始まり、市長の挨拶やセレモニーなどがあった上で、二胡の演奏や、琴の伴奏による舞踊(曲は『トラジ』だった)、そして、仮面劇(というより、「博多にわか」に近いもの)があって、十二分にお腹も空いたところで宴会となった。
 パーティーはそのまま続いたそうだが、こちらは連れと一緒に早めに切り上げて宿に向かわなければならなかった。安東市内往きのバスは、8時20分が最終ということだったので、その一つ前の8時に間に合うように宿の支配人らしき人物(一応、日本語はできるのだが、思い込みで喋っている節がある)にバンで停留所まで送ってもらった。停留所は旧道に面した集落内にあり、確かに自力では見つけられなかったかもしれない。停留所には数名のおばあさんたちがたむろしていて、そのうち一人が日本語ができて、少し話しかけてきた。こちらが韓国語がわからないとみて安心したのか、おばさんたちは我々二人のことを何のかんのと話しているようだった。
 やがて定刻より少し早めにバスが到着すると、発車の定刻8時を待たずに車は出てしまった。乗り込んだのは我々二人と、もう一組若いカップルだったが、これから夜遊びに行くのだろうか? おばさんたちはバスを待っていた訳ではなかったようで、そのままバス停でお喋りを続けていた。
 バスは一人11,000ウォンだったので、朝のタクシー代のほぼ1/10である。最初は、どこで降りれば良いか分からないかと不安だったが、終点のバスターミナルの直前で気がついて、降車ボタンを押し、宿のすぐ近くで下車することができた。いったん宿の部屋に戻ったが、昨夜冷やかした店にもう一度行きたいと連れが言うので、再び外へ出て、小物を少しと、菓子パン類を買って部屋に戻ってくる。発表前だった前夜とは打って変わって、ほっとした気持ちで床に着いた。
■ 2009/06/25 (Thu)
思わぬ再会

安東、ソウル
新宮荘旅館, ソウル・仁寺洞
 朝は6時頃から起き、8時頃にいったん部屋を出て、昨日と同じキムパプ天国の店でキムパプとソルロンタンを食べる。朝9時過ぎに、教保生命のビルの前にバスが迎えにくる手はずになっていたので、9時少し前に荷物を持って指定された場所へ行った。ところが、定刻を過ぎ、9時半になり、9時45分になり、ひょっとすると何かの都合で拾われなくなったのかもしれないとも感じるようになった。連れに荷物を見てもらい、近くのバス・ターミナルで、ソウル行きの時間と料金を確認しに行く。既に10時近くなっていて、これから10時10分に乗るのは慌ただしいから、11時のバスでソウルへ移動しよう、などと連れと話しているところで、1時間遅れでバスが到着した。ここから別行動で先に日本へ帰国するというW氏と入れ替わりに無事バスに乗り込んだ。何でも、急に李退渓ゆかりの陶山書院を見学することになり、予定以上に時間を食ったのだそうだ。ともかく、一安心である。バスの車中ではしばし熟睡する。
 お昼過ぎに水原市郊外の三星電子の工場へ到着した。まず、いったん会議室に通され簡単にスケジュールを告げられ、会議室内以外は写真を撮らないよう指示されたあと、社員食堂で一般社員とほぼ同じ昼食をとる。いくつか凹みがつけられた大きなプレートにご飯や伴食が次々盛られる。まるで部品を次々据え付けていくアセンブル行程のようだ。一通りプレートが埋まると、広い食堂の片隅に仕切られた席が用意されていて,そちらに誘導される。着席すると、さらに一品とデザートの果物が配膳された。これはゲスト用ということか。食事をし始めた頃、食堂内にはネクタイ姿の人たちが目立っていたが、我々が一通り食事を終えた頃には、白と黄色の作業服に帽子という格好の女工さんたちが席を埋めていた。職場ごとに昼食の時間も振り分けているということのようだ。彼女たちは屈託なく笑いながら楽しそうに食事をしている。こういう社員食堂のあり方もモラールの高さの反映なのだろう。
 食事を終え、会議室で、三星電子の企業概要について英語によるプレゼンテーションを聞く。担当の広報の女性は、非常に英語が達者で、聞き取りにくいフランス人L氏の質問も、あっさりと聞き取って応答していた。質疑応答になったので、三星電子の工場の立地政策について簡単に質問をしてみた。やはりR&D部門は、ソウルから離すことが難しいようだ。ひととおり質疑を終え、隣にある展示スペースを見学する。シリコンの結晶から、製品に至るまでの過程が現物を並べて説明されている。やはり現物が具体的に置かれていると分かりやすい。工場周辺の模型も置かれていたので、元留学生のLさんに通訳してもらって広報責任者とおぼしき(英語では喋らない)男性に「工場を立地するとき<風水>を考慮するのか」と尋ねてもらった。男性は、質問に笑いながら、「そんなことはない。この立地は会長自らがヘリコプターで上空から適地を探して決めたもので、そのとき風水を考慮したとは思えない。工場を建てる際には伝統的な地鎮祭はやったがそうしたことを盲信している訳ではない」と答えた。その上で、言葉を継いで、「工場を建てた後になって、この建物のすぐ下の小高い山が風水で吉相だと言われたので、そこにあった建物は撤去して自然のまま残してある」とも言ってくれた。働く人たちの心情をいろいろ配慮して、こうした面にも気を配るというのは、どこの国でも同じようなことのようだ。結局、確かに工場を訪問はしたものの、ラインは公開されておらず、社員食堂での昼食、会議室でのブリーフィングと展示コーナー見学でおしまいだった。さもありなんと思う反面、肩すかし気味だったことは否めない。
 三星電子の工場を後にして、また一眠りしているうちに、午後5時ころ、バスはミレニアム・ヒルトンにたどり着いた。今夕は他の参加者が三々五々あちこちで食事に行くという話になっていたので、既に行き先が決まっているグループに入っていなかったK氏と3人で食事に行くことにして、いったん連れと2人でタクシーに乗り、仁寺洞の定宿へ向かう。今夜から3泊、302号室に入ることになる。先日泊まった部屋の隣である。荷物を置いて身軽になったところで、徒歩で明洞へ向かい、月曜日に入った店に再び入ってシャツ類を買った。最初の予定より少し遅れて6時50分頃にK氏の宿であるアストリア・ホテルにたどり着き、そこから江南へ行こうという話になる。忠武路駅から狎鴎亭駅まで地下鉄4号線で移動し、そこから歩いて、K氏が他の参加者から教えてもらったという参鶏湯(サムゲタン)の店に向かった。
 少し迷いながら行き着いたのは参鶏湯専門店「ノンヒョン参鶏湯」の店舗だったが、なぜか道路の反対側で労働組合らしい座り込みの集会が行われていて、こちら側の路上には警官が多数隊列を組んでいる。物々しい雰囲気の中、店に入ってみると、結構席が埋まっている。ガラス越しに警官隊の背中が見え、その向こうで座り込み集会が展開されているという背景を見据えながら、連れとK氏の二人が参鶏湯を食す間、海鮮粥をとって食べた。
 食後は腹ごなしに少し散策しようと言うことになり、住宅地の中の道を見当をつけて抜けて行き、江南区庁駅まで足を伸ばした。ここから再び北へ坂を降り、シネシティ近くの交差点で、K氏にちょっとわがままを聞いてもらい、旧ハードロックカフェ・ソウルの跡地を探しに行くことにした。それらしい場所はすぐに見つかったので、カメラを構え、数フレーム撮影したところで、不意に「山田先生」と声をかけてきた人がいた。とっさに名前が出てこなかったが、確かに見覚えのある男性である。実は、コミュニケーション学部の初期の留学生の一人だったM君だった。今は起業して社長に納まり、この近くに住んでいるのだという。全く奇遇としか言いようがない。M君は奥さんと一緒だったが、少しカフェに入って話そうということになり、奥さんは先に帰り、我々3人とM君で、表通りから少し入った高級そうな風情の住宅地の一角にあるカフェに入った。M君は日本でも、帰国後も、いろいろな方面で試行錯誤し、活躍してきたようで、K氏とも話が合い、そのまま深夜0時過ぎまで話が尽きなかった。
 結局、店が閉まる頃となり、店を出てM君と別れ、だらだらと住宅地の中を坂を降りて、ガレリア百貨店の近くに出た。ブランドのフラッグシップ路面店がいろいろ並んでいる。その辺りでタクシーを広い、アストリア・ホテル経由で仁寺洞に戻った。連れはタクシーの中で既に寝てしまった。仁寺洞交差点でタクシーを降り、よたよたと歩いてようやく宿にたどり着くと、すぐに就寝した。
■ 2009/06/26 (Fri)
ソウルあちらこちら
ソウル
新宮荘旅館, ソウル・仁寺洞
 朝は、宿のトーストとキムパプ天国のキムパプで済ませ、タクシーでミレニアム・ヒルトンへ向かう。朝9時過ぎに到着し、定刻より少し遅れて出発したバスで、江南の郊外住宅地にある、三星建設と三星商事による展示施設「レミアン(来美安)」に向かった。この施設は、ちょうど万博のパビリオンのような感じで、近未来の住宅のモデルハウスになっている。一通り見学した後、ホールで江南区の助役から挨拶があり、ICT の先進地域として鳴り物入りで導入したメディアの説明などがあった。その後、バスで実際に街頭にメディアを組み込んだ柱状のオブジェが並べられているところまで行き、現場でプレゼンテーションを見る。
 見学が一通り終わったところで、助役氏ら区の関係者も交えて、昼食を「ヨンスサン(龍水山)」という、高級感のある店でとることになる。基本的には韓食なのだが、フランス料理や日本の懐石料理のように、少しずつコースのように出てくるところが、目新しく感じられた。
 昼食後は再びバスで移動し、仁寺洞でしばし自由時間となる。近くのミスタードーナッツに連れと一緒に入り、しばし、呆然として休む。その後、一度指示された場所まで戻ったのだが、結局バスではなく歩いて近くの劇場に向かい、『Jump』というお笑いの要素が入った武術パフォーマンスの舞台を鑑賞する。これは、ソウルだけでなく、ロンドンやニューヨークなどでも上演した実績があるもので、日本で言えばマッスル・ミュージカルなどに通じるところがある。良く練られた面白いパフォーマンスだった。こういうものも、ソフトパワーのうちなのだろう。観劇が終わって、再びバスでミレニアム・ヒルトンへと移動になった。
 学会の公式行事の最後にあたる「フェアウェル・ディナー」は、ミレニアム・ヒルトンの庭園でのガーデン・パーティーであった。しばらくロビーで休んでから、6時半に会場へ行く。K氏やソウル大学のH先生などと一緒のテーブルにつき、雑談に花が咲く。結局、パーティーがお開きになった8時半まで、ずっと話を続けていたことになる。最後は、また来年の再会を約して、会場を後にした。途中で、携帯でニュースを見ていたH先生から、マイケル・ジャクソン死去の報を知らされる。
 ミレニアム・ヒルトンからタクシーで梨泰院へ向かい、ハードロックカフェのショップへ行く。ネオンの明かりが点いていないので、閉まっているのかと一瞬思ったが、店内は1階だけが辛うじて明かりがあり、一人だけ男性店員がいた。昨年来たときに話をした店員がいるかと英語で尋ねると、自分以外は皆解雇されたという答えが返ってきた。何でも、ハードロックカフェを運営していた会社にいろいろ問題が起こって、レストランは閉鎖され、ショップは在庫を売っているものの、そのうち別の店に看板をかえる見込みだという話だった。既に、ハードロックカフェとは関係のないブランドの品も店内には置かれていた。もう次ぎに来る時には無くなっているかもしれない、というわけだ。結局、ピンと肩掛け鞄、袋類などを買った。
 地下鉄を乗り継いで、安国駅に戻ったのは11時近かった。宿に戻り、連れを先に寝かせてシャワーを浴びていたら、シャワーヘッドを床に落として根元からぽっきりと割ってしまった。シャワーの後は、すぐ床に入った。明日はもう、時間を気にして早起きをする必要がない。そう思いながら、熟睡する。
■ 2009/06/27 (Sat)
ソウルの休日

ソウル
Crown Hotel, ソウル・仁寺洞
 今朝は寝坊をしても良かったのだが、連れに起こされる。朝食はジャムをつけた食パン。9時過ぎに宿を出て、鐘路5街の電気街へ行き、変圧器つきのアダプターを買ってくる。以前は目印になっていた、電気街の大きな建物は、一部が取り壊されて公園になっていた。
 昼食は、これも定番の「トバン(土房)」で、テンジャンチゲとスンドゥブを食べる。そのまま地下鉄の鐘路3街駅から東大門運動場駅まで行き、いつものようにミレナリオの9階でパッピンス(かき氷)を食べながら、整備中の運動場跡地の様子を見下ろす。今日もまた、おばさんたちの客引き合戦はにぎやかだった。一息ついてから、これも定番にしている平和市場の玩具街の様子を見に行く。毎度、奇妙な日本語で話しかけてくる店員のいる店では、またまた、どこかの練習用の台詞そのままのような(意味不明の)ことを言われる。
 いったん宿に戻ってから、出直し、夕食は鐘路の「テンジャン芸術と酒」でテンジャンケジャン(12,000ウォン)とスンドゥブ定食(6,000ウォン)をとる。連れはマッコリ(7,000ウォン)を頼んだのだが、やかん一杯分が出てきて流石に飲みきれず、どんぶり一杯分位を残していた。満腹を抱えて宿に戻り、すぐに眠る。
■ 2009/06/12 (Sun)


ソウル
帰国
 宿に荷物を置いたまま、朝9時頃に宿を出て、朝食をとろうとしたのだが、目指して出かけたタプゴル公園裏のユジン食堂が休みだったので、その近くの食堂に入る。ユッケジャンとビビンパをとり、朝食にする。思った以上にヘビーな朝食となった。
 昼少し前に荷物を引いて宿を出た。亭主はなぜか我々を呼び止め、お土産(?)に韓国海苔をくれた。こんなことはこれまでなかったのだが、前々日、三星建設のモデルルームでもらった花束をあげたお返しかも知れない。
 荷物を引きながら、明洞まで歩いて行き、連れの買い物につきあう。日曜日も午前中は開いている中央郵便局に立ち寄り、絵はがき(日本へのエアメール)用の切手を買う。そのまま新世界百貨店のデパ地下を通って、南大門市場へ行きいつもの雑踏の中で、安物の衣類などを買う。最後は、会賢駅から地下鉄に乗り、ソウル駅、新吉駅で乗り継いで、金浦空港にたどり着いた。連れはここでもアウトレットで買い物をしたが、このとき自分は体調が悪く、荷物を抱えて踞って連れの帰りを待っている状態だった。
 午後4時過ぎに空港鉄道に乗り込み、仁川空港へ向かった。来年には、都心乗り入れということだが、次ぎに来るときには、もう実現しているかもしれない。空港についてからは、チェックインして早めに出国手続きをして、免税品の買い物や、NAVER の無線LANコーナーでメールの読み落としなどをして出発ぎりぎりまで作業していた。
 機中では、席が非常口前だったので、足を投げ出しやすいのがありがたかった。機内食では鶏肉が出たのだが、ひとかけ食べただけで、残りは連れに譲った。
 成田では、雨天ということで上空の気流も悪く、着陸時には結構揺さぶられた。8時40分頃に無事到着し、9時20分頃にホテルの送迎バスの停留所にたどり着いた。前泊し、車を駐車してあったホテル・スカイコート成田の連絡バス(マイクロバス)は、我々二人の貸し切りであった。午後10時過ぎにホテルを出て、一路、国分寺へ向かった。機中でビールを飲んでいる連れには、運転を任せられないので、何とか頑張って、三鷹のドンキホーテまでノンストップ(京葉道路経由)でたどり着いた。ここで買い物をしてから、国分寺の部屋に帰り着いた。


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