私的ページ:山田晴通

 
 

    バンコクの記憶II    

2009年10月29日〜11月4日
 
 


 今回のタイへの渡航も、前回同様、基本的には、パートナーと二人の、全額私費による観光旅行でしたが、今回は在タイ日本語メディア研究を見据えた予備調査として、渡航期間中の平日は、おもに聞き取り調査や資料収集に宛てました。今回はパソコンとデジカメを持参しましたが、いろいろと忙しくなって余裕がなく、数日ごとに事後的に行動記録をまとめて文章にしています。前回に準じて、日記形式で公開しますが、これはあくまでも事後にまとめた記録であり、本来の意味では日記ではありません。
 1バーツは2.8円くらいでした。

 見出しに示した地名のうち、青字はその日に訪れた主な場所緑字は宿泊地です。
■ 2009/10/29 (Thu)
香港経由でバンコクへ

CX501便/CX701便 機中 / Bangkok: HRC Bangkok
Bangkok: Manohra Hotel
 今回も、前回のバンコク行きと同じ旅行会社で手配をしたのだが、前回が航空券だけだったのに対して、今回は宿泊料込みの格安ツアーで、行き帰りとも香港経由となった。二人で9万円弱だ。深夜に国分寺を出て車で成田に向かい、途中休みながら何とか駐車場に車を預けて7時半頃には第一ターミナルに着いてしまった。団体カウンターにも、まだ旅行会社の名が張り出されていない。8時近くになってチケットを受け取り、次にキャセイ・パシフィック航空のカウンターで荷物を預けた。搭乗まで時間があるので、連れは免税店での買い物をゆっくりやっていた。
 香港行きのCX501便に乗り込み、搭乗口を離れて滑走路を移動し始めると、すぐに眠ってしまい、気が着いたら雲の上だった。ゲームがなかったこともあり、機中では、食事以外ほとんど眠っていた。香港への着陸態勢に入る少し前に目が覚め、着陸時には起きていた。
 これまで中国には(台湾や植民地時代の香港等を含め)一度も出かけたことがないのだが、入国手続きこそしていないものの、ある意味では初めての中国上陸である。
 香港で乗り継いで、CX701便でバンコクへ向かったが、これまた離陸時には寝ていて、食事にいったん目をさまし、着陸時はラオス上空の辺りから起きていた。バンコクの空港(スワンナプーム国際空港)が混み合っていたようで、時間調整のためか、タイ上空で3回も右旋回をしていた。たまたま右の翼の上の窓側の席だったのだが、右旋回のときは地上がよく見えて面白かった。
 日本時間で午後8時ころにバンコクに到着。現地時間では6時過ぎである(以下、時刻は現地時間)。今回は、旅行会社のツアー扱いなので、現地ガイドが出口で待っているはずだ。すぐに見つけられるか不安だったが、すぐに小柄な中年女性が旅行会社の名前の札を出しているのを見つけた。早速バーツへの両替をする。ツアーとはいえ名ばかりで全員が集まるまで少し手間取ったようだったが、私より年長と思しき男性二人組とわれわれ夫婦以外は、全て一人ないし二人旅で参加した女性だった。結局、ツアー参加者の10名弱とガイドで、待っていた大型バスに乗り込み、一路、市内の宿に向かう。最初はバンコク・セントラル・ホテルで一部の客を降ろし、残りの大部分はマノーラ・ホテルまで一緒だった。車中では、荷物を運ぶボーイには20バーツをチップとして渡すこと、毎日20バーツの枕銭を置くことをガイドから指示された。「枕銭」などとは、最初のヨーロッパ旅行以来ではなかろうか。
 マノーラ・ホテルは、1966年の創業ということで、当時としては高級指向のホテルだったのだろう。施設はそれなりだが、施設は全般的に古くなってる。割り当てられた447号室は、日本式で言えば5階のツインの部屋で狭い感じはしない。テレビはあるが、インターネットは有料サービスしかない。表の通りに面した一角がコンビニになっていて、24時間営業ではないが深夜までやっているそうだ。

HRCバンコクのナッチョス/ポークのトッピング
 部屋で旅装を解いて、いったん休憩してから、8時半頃になってから、タクシーでハード・ロック・カフェへ出かける。MBKセンターの前で下車し、ハロウィーンの飾りが色々してあるMBK店内を抜けてHRCへ向かった。まず、ロック・ショップに入ったのだが、ここで夕立というか、スコールのような激しい雨が落ちて来た。連れが買い物やら、店員とのピン・トレードをしている間に、今週末の31日に「第8回ピン・フェスタ」があるというイベントの告知が出ているのに気がついた。参加費は一人1,800バーツである。早速、参加申込をする。雨が降る中、ショップを出て、庇沿いにレストランお入口へ進み、前回も座ったビートルズのグッズが展示されている一角に座ることになった。ただし壁面はハロウィンの飾り付けがしてあるので肝心のメモラビリアは余り見えない。コブサラダとナッチョスに豚肉をトッピングしたものを頼む。いずれのメニューも、日本より安くてボリュームがある。
 9時を少し過ぎて、バンドのライブが始った。前回とはまた違うバンドだが、例によって誰でも知っているような曲をいろいろ取り混ぜて演奏していた。10時頃に店を出て、タクシーで宿に戻る
 シャワーを浴び、たまたま見つけたNHKワールドのチャンネルに合わせてテレビをつけっぱなしにして眠った。
■ 2009/10/30 (Fri)
下見、下調べ

Bangkok: 『バンコク週報』, Tha Tien, Khaosan Road, Saphan Phut Night Market
Bangkok: Manohra Hotel
 今朝は少しゆっくりして起き出し、8時過ぎに朝食に降りて行く。ビュッフェ形式で「タイ料理」と「ヨーローパー料理」(ママ)が数品ずつ並んでいる。タイ風雑炊と、フレンチ・トーストがそこそこいける。グアバ・ジュースも珍しい。ホテルの朝食の初日だったが、一通り手を付けてみて、量的にも満腹になった。
 朝食後、体調が今ひとつ優れない連れを部屋に残して、9時半頃にホテルを出て、インタビューをお願いしている『バンコク週報』のオフィスの場所を確認しに一人で出かける。地図を頼りに、ちょっと距離があるサム・ヤン駅まで、庶民的な住宅や商店が密集した一角を抜けて歩いて行き、そこから「タイ文化センター」駅まで地下鉄に乗った。地下鉄では乗る際に金属探知期を通され、カメラ等があって当然ブアーが鳴るとバッグの中身を点検されるようになっている。前回来た時には地下鉄を利用する機会がなく、初めて地下鉄に乗ったのだが、切符代わりのトークンがオセロのコマ(ただし両面とも黒)のような感じで、若干頼りない。
 さて、肝心の『バンコク週報』は、地下鉄の駅から出て直ぐの場所にある、地下鉄開通に合わせて新築されたと思しきオフィスビルの19階にあった。メールでやり取りをしていたT氏にご対応いただき、週明け2日のインタビュー日程の確認と、最近のバックナンバーの入手などができた。
 11時頃、『バンコク週報』を辞して少し北側にあるジャスコの店舗を見に行く。ついでに菓子と飲み物を買って宿に戻ることにする。地下鉄でサム・ヤン駅まで戻って、そこからはまた徒歩で、汗だくになりながらホテルの部屋に帰り着いた。

「The Deck」の看板?犬
 連れの体調が今ひとつながら、前回の旅でトムヤムクンが美味しかった船着き場=ター・ ティエン=の食堂へ行きたいということになり、お昼を少し回ってから、ホテル前でタクシーを拾い、ワット・ポーへ向かう。途中でチャイナタウンを通ったこともあり、市場らしい活気が行程のあちこちで感じられた。
 ター・ ティエンの船着き場で下車し、船着き場の手前の乾物屋でカシューナッツを買ってから、船着き場に入って、前回も堪能した川縁の食堂に入る。この食堂は、ガイドブックに「ザ・デッキ」として紹介されていたが、実は屋号がどこにも出ていない。これまた前回同様、トムヤムクンと炒飯をとる。さらにまた前回同様に、美味しい。前回、店の奥というか、裏手でやる気無さげに寝ていた犬が、今回は、店の入口で石の踏み板の上で寝そべっていた。タイの犬は、暑さにやられていて、日中は概して寝そべっているが、この犬はその典型のように感じた。
 食後は少し元気を出して、近くの市場を見ようと言うことになったのだが、途中で二人とも疲れが出て来たので、シャッターが下りた店の前にあったベンチを見つけ、しばらく休む。しばらくして気を取り直し、タクシーを拾ってカオサン通りに向かった。カオサン通りは前回の旅で、連れが気に入った場所の一つだが、今回も、いくつか買い物をし、途中で空調の利いた店で休んだりしながら5時頃までぶらぶらしていた。
 連れが、夜だけやっているサパーンプット・ナイト・マーケットに行きたいというので、5時を回ってからカオサン通りを出てタクシーを拾い、南へ向かう。途中で渋滞になったので、適当に見当をつけてタクシーから降り、脇道を探検しながらさらに南へ向かった。既に7時を過ぎているが、骨組みやテントを組んで屋台を出す準備中と思しきところや、近くの道路上でまだ畳んだままの屋台を連ねて待っている人々は見かけたが、市場という感じにはなっていない。そのまま公園を抜けて、生花店ばかりが並んでいるパーククローン・マーケットまで行く。何かお祭りの関係か、黄色いマリーゴールドのような花が大量に売られている。人手もものすごい、ちょっと圧倒されて、別のルートで元に戻ろうとしたのだが、ちょっと道に迷い、インド人街にはいってしまったが、何とか抜け出して、川沿いの船着き場を食堂にしているところに戻った。どうやら市がはじまるまでまで時間がかかるようなので、ここで、パパイヤのサラダと焼きそばを頼む。すると、川下側から川上に向かって、電飾をした船の水上パレードが始まった(後で調べたら、ローイ・クラトンという陰暦12月の満月の夜に行われるお祭りだった)。航行する電飾されたボートを見ながら、のんびり食事をする。
 いつの間にか、川に面した道路沿いに、屋台やテントでいろいろ出店している。道路は一定の時刻で通行止めになるのかと思っていたのだが、道にはみ出す人の波に押されて1車線分だけになってはいるが、通行止めにはなっていなかった。ガイドブックでは、他のマーケットより安いが値切りにくいと書いてあったが、なるほどという感じである。しばし、買い物を楽しむ。
 既に11時近くになっているが、人出はものすごく、ごった返している。何とか抜け出して、タクシーを拾い、ホテルまで戻った。部屋に戻り、風呂に入りながらシャツや下着を洗濯してから、ベッドに入った。
■ 2009/10/31 (Sat)
ハロウィンの「ピン・フェスト」

Bangkok: HRC Bangkok
Bangkok: Manohra Hotel
 朝食をとった後、木曜に予約した、ハードロックカフェのイベント「ピン・フェスト」に参加するため、タクシーでMBKセンターまで行き、センター内で郵便などの用を足した後、10時半頃にHRCバンコクに到着した。ピン・フェストは(予想通り)3階を貸し切る形で行われた。入れ替わりもあるのでよく分からないが、延べの参加者は20〜30人くらいだろうか。到着すると早速、参加記念シャツのTサイズを確認され、Tシャツと参加者ピン、ランヤード(首掛けストラップ)が渡された。既に、あちこちのテーブルで、トレーディングが行われている。実は、事前に全く情報がなく、英語ではなくタイ語中心だったらどうしようと不安だったのだが(日本の同種のイベントでは日本語が普通)、参加者の大半は欧米系の男性やカップルで、やりとりは英語であった。米国人やドイツ人、イタリア系の名のスイス人、上海でレストランを経営しているという中国人夫妻、等々の参加者がおり、さらに、地元タイの経営責任者や、日本以外のアジア地区を統括しているシンガポールから来た役員級のスタッフなども入り交じって、ピン・トレーディングが盛り上がる。日本人はわれわれ二人の他に、別々に参加した男女一名ずつがいた。どちらも以前に日本のイベントでお目にかかった方だった。
 お昼時になり、ビュッフェスタイルのランチとなった。この間、一回100バーツのくじ引きに挑戦したが、なかなか当たらず、辛うじてワイシャツとキャップを手に入れた。その後、このイベントの売り上げをはじめ、HRCバンコクのチャリティは、タイの4団体に分配されるということで、簡単な贈呈式のセレモニーがあったり、小学生くらいの女の子たちの伝統舞踊(曲は伝統的ではない?)があったりした。さらに、メイン・イベントとして米ドル単位で競るオークションがあり、最後の品(多数のピンをつけた非売品のデニムのジャケット)を750米ドルで落札した。
 午後4時頃から、夕食が出される午後6時頃までは、いったんホテルへ行くという参加者が多く、人数は少なくなったが、こちらは他に出かけることもなく、残った参加者と話をし続けていた。午後6時からビュッフェ形式で今度は夕食が出された。チーズケーキがなかなか美味しい。その後いつの間にか貸し切り状態ではなくなり、一般客の欧米人たちが周りのテーブルに着くようになり、段階的にピン・フェスタの参加者はテーブルを縮小して、そのまま夜11時頃まで話をしていた。最後まで残っていたのは、上海在住の米国人A氏、ドイツ人G氏と、日本人4人だった。
 ホテルに戻った時には深夜になっていたが、明日は早めに出るので、シャワー浴びて早めに寝た。
■ 2009/11/01 (Sun)
パタヤ・ビーチへ

Pattaya Beach / Bangkok: TESCO Lotus (On Nut)
Bangkok: Manohra Hotel

エカマイのバス・ターミナル

ソンテウ@パタヤのバス・ターミナル
 前日に引き続き、休日は観光に宛てることにして、連れの希望でバス旅行でパタヤ・ビーチを目指すことにする。パタヤには、ハードロックカフェとハードロックホテルがある。朝食後に歩いてサパン・タクシン駅まで行き、そこからスカイトレインを乗り継いででエカマイ駅まで行き、駅からすぐのバス・ターミナルでパタヤ行きのバスに乗る。ちょうど9時出発便にギリギリ間に合うタイミングだった。片道135バーツ。出発直前にチケットを買ったので後ろの席は客がおらず、ゆっくりリクライニングできるシートを一杯に倒してほとんど眠りながらパタヤまで移動した。
 2時間ほどで到着したパタヤのバス・ターミナルには、ピックアップトラックを改造したソンテウが待ち構えていて、ビーチ方面へと向かう。料金は一人20バーツである。前日のピン・フェストで、うっかり終点までいくとハードロックカフェ/ホテルまで戻ってくるのが大変だと聞いていたので、ちょうどホテルが見えたところで車から降りた。

HRCパタヤ/背後はHRHパタヤ
 まず、カフェの売店=ロック・ショップに入って少し買い物をし、さらに隣のホテルの方のショップに当たる店に入り、その上さらにホテルの反対側に回り込んで、ホテル入口脇の売店も回って買い物をした。ホテルの内部を横切り、プールを眺めながらケーキとお茶で一休みし、そのまま進んでプール脇を歩いて、カフェの正面に戻った。再度、カフェに入り、テーブルについて、いつものようにコブサラダとナチョスを注文する。担当したのは、髪の毛をラスタ風にドレッドヘアにしたマレー系と思しきお兄さんだった。食事の後には、彼ともう一人の女性店員が、連れとピン・トレードをしていた。
 トイレに立ったとき、男女別の表示に一瞬とまどった。男性用の方のドアにあるのは、通常の女性用マークにありがちなシルエットに進入禁止の標識を重ねたものだった。確かに理屈は合っている(女性は進入禁止!)が、直感的には判断に迷う。要はきついシャレということだ。
 外は快晴で、日射しは強烈。とても外を長く歩く気は起きない。しばらくカフェに長居することにして、まず連れを残して辺りの様子を見に行く。数百メートルほど南へ海岸沿いに下ったところで小路に入ったりして、辺りを探検する。怪しげな店も結構あり、陽がまた高いのに、それ風な感じのお姐さんたちが所在なげに店の前でたむろしていたりする。そうこうしているうち本屋を見つけた。入ってみると、ドイツ語の本があったり、ゲイ・カルチャー関係の本が並んでいたりと、当地の性格を反映しているような品揃えだ。しばらく棚を眺め、文房具などを買ってカフェに戻った。連れに本屋の位置を教えて、今度は連れの方が出かけて、絵はがきなどを買って来た。

バス・ターミナルのグリーン・カレー
 午後5時近くなってから、連れと一緒にカフェを出て、さっき下見した辺りから東へ向かう。海岸沿いの道が北から南への一方通行なので、バス・ターミナルに戻れるソンテウがどこで捕まえられるのかわからず、市街地を右往左往することになり、結局、かなり長い時間をかけ、歩いて歩いて、途中でパタヤシティホテルで道を訪ね、午後6時40分頃にバス・ターミナルに到着した。ここからは、エカマイ行きとモーチット行きが出ているが、エカマイ行きは、まだ、6時半のバスが遅れて停まっていた。もっとも、この便は既に満員で、買えたのは7時20分発の便だった。しばらく時間があるので、売店で買い物をしたり、ターミナルの一角にある料理のカウンターから40バーツでグリーン・カレーを買って二人で分けて食べたりしながら、待ち時間を過ごす。
 ほぼ定刻でやって来たバスは、来た時よりやや旧型で、座席のリクライニングも余りできず、また、バスが古いせいか振動も多かったので、往路ほどは眠らなかった。バスの終点はエカマイだが、途中、何カ所かで乗客を少しずつ降ろしていて、オンヌットにも停まったので、急遽ここで下車することにした。
 オンヌットでは、通りの北側にあたる前回お祭りのようににぎやかだった一角が、新たな建設現場となっており、テントが残っているところも電気はついておらず、休業中のようだった。通りの南側にある、前回も買い物に来た TESCO Lotus の店で、靴や飲み物、日本に持ち帰る調味料などを買う。最初は、オンヌットからスカイトレインを乗り継いでホテルに戻るつもりだったが、買い物がそこそこの量になったことと、疲れもあって、タクシーでホテルまで戻った。
 疲れもあって、シャワーを浴びていったんは早めにベッドに入ったのだが、連れが小腹が空いたというので、一緒にホテルの目の前にあるインド料理店(2軒あるうちの大きい方は休んでいたので、小さい方)に入って、カレーとナンを食べ、チャイを飲んだ。食後はすぐに部屋に戻り、寝る。
■ 2009/11/02 (Mon)
インタビュー取材と夜の買い物

Bangkok: 『バンコク週報』, Chit Lom, Lumpini Park
Bangkok: Manohra Hotel

スラサク駅のホームから

ある角度から見ると「REAL」の文字が見える
 朝7時過ぎに起床し、朝食に下りて行く。ビュッフェ形式とはいえ、毎日ほとんど同じメニューなので、そろそろ厭きがきているのか、あまり食欲がわかず、比較的軽い朝食になった。9時半ころホテルを出て、まず連れの用事を足すため、近くにある中央郵便局へ向かう。大きな古い建物の1階が広くて天井の高い空間になっていて、通常の窓口のほかに郵趣窓口があり、郵便局のキャラクター・グッズなども売っている。連れの用事を済ませた後で、郵趣窓口でキーリングを一つ買う。
 当初の予定では、『バンコク週報』で話を聞くために、そのまま連れ一緒に地下鉄「タイ文化センター」駅へ向かうつもりだったのだが、連れの体調が思わしくなく、いったんホテルに戻ることにした。ホテル前で連れを見送り、徒歩でスカイトレインのスラサク駅へ向かう。スラサク通りの辺りは宝飾店、宝石の加工や鑑定業者の看板が目立つ一角で、北サトン通りまで出た角にはホンダのビルがある。こうした現代的なビルの前には、仏像やガネーシャ像などを祀った社があるのだが、ちょうど制服を着たタイ人の女性社員と思しき人たちが、ビルの前の仏像のお社に線香を上げていた。
 スラサク駅のホームに上がると、目の前には建築途中で中断されたビルがあり、グラフィティがそこかしこに書き込まれている。中には、ある角度から見るとメッセージが見えるという凝った仕掛けもあり、ちょっとしたアートになっている。
 今日は、ツアーのおまけについて来たスカイトレインの一日券で動くので、駅の窓口で県を有効にしてもらう。乗り放題なので、少しでもスカイトレインでの移動区間を長くして、スラサク→サイアム→アソクと乗り継ぎ、さらに地下鉄でスクムウィット→「タイ文化センター」と移動した。思いのほか乗り継ぎに手間取り、約束の11時ぎりぎりにビルに到着した。途中で筆記用具を忘れたことに気づいていたので、ビルの前のセブンイレブンで安いボールペンを買ってから、『バンコク週報』のオフィスに行く。対応していたいただいたX氏には、1時間余り丁寧にご対応をいただいた。
 ひと通りインタビューを終え、12時20分頃に『バンコク週報』を出て、地下鉄とスカイトレインを乗り継いでチットロム駅で降り、インタビューの中で言及された伊勢丹の6階にある紀伊國屋書店に向かった。タイで出版されている日本語文献を中心に、書籍やディレクトリの類をチャックする。とりあえず、余り時間がかけられないので特に何も買わず、朝とは逆の経路で宿まで戻った。
 宿の部屋まで戻ると、連れは少し回復した様子だったので、ひと安心した。小一時間ほど休憩してから、今度は所在地だけが分かっている盤谷日本商工会議所のオフィスで資料を手に入れるため、連れと一緒に出かける。ホテルから少し歩いてタクシーを拾い、再びスラサク駅へ向かい、スラサク→サイアム→チットロムと乗り継ぎ、ビッグCというスーパーの4階にあるフードコートに連れを待たせて、盤谷日本人商工会議所を探しに出た。ところが、いろいろ勘違いを重ねてしまい、ビルを見つけるまでに手間取り、さらに、低層階が商業施設になっているこのビルの15階へのアクセスを見つけるのに、さらに時間を使ってしまった。ようやくたどり着いたオフィスでは、資料の入手について少々無理なお願いをし、明日夕方に再訪することになった。
 午後5時近くに、連れの待つフードコートへ戻り、大幅に遅れた昼食に、トムヤムクンに麺が入ったものをとる。わずか40バーツだが、しっかり美味しい。ただし、唐辛子が効いていて、飲み物を連れに買ってきてもらった。食後は、2階まで下りてスーパーで少し買い物をしてから、道を挟んで反対側の伊勢丹/紀伊國屋書店に向かった。ビッグCの北側の一角は、再開発の途中というか、地上げの途中のような状態らしく、廃墟と化した元々は雑居ビルだったのだろうと思しき低層の集合住宅兼店舗の一隅にまだ生活している人がいる。電気もまだ通っているようで、テレビを見ている住民?の姿がビッグCの窓越しに見下ろせた。衛星放送の受信アンテナもついている。
 夕方の渋滞で車が溢れる道を歩道橋で超え、伊勢丹に向かう。紀伊國屋書店では、結局、何も買わなかったが、日本語のフリーペーパー数点を手に入れた。その後、伊勢丹の店内を少し冷やかしていたが、連れもこちらも体調が思わしくない感じになってきて、しばらく伊勢丹店内のおもちゃ売り場に近いエスカレータ脇のベンチに座って休む。しばし、ぼんやりしていると、制服の女性店員が目の前の売り場の台を移動しはじめ、やがてラフな格好の二人の作業員が資材を持って来て、いきなり新しい陳列棚の組み立てをはじめた。女性店員は「30〜50%OFF SALE」と書いてあったプラカードを、タイ語と英語で改装中のお詫びに差し替えていた。
 少し休んですから、連れが行きたがっていたルンピニ公園のナイト・バザールへ向かうことにして、スカイトレインでチットロム→サイアム→サラ・デングと移動し、ラーマ四世通りをルンピニ公園のフェンス沿いに東へ進み、途中から公園の中を通り、ここでも少しベンチで休んだりしながら、ようやくルンピニ・ナイト・バザールに到着した。ここでは連れが少し買い物をしたが、結構値引けるものである。最初は、ここで食事をするか、パッポンのナイト・マーケットにも行こうかなどと話していたのだが、連れの体調がかなり悪い様子なので、タクシーを拾いホテルへ直行で戻る。チップを入れて60バーツ。
 宿の部屋に戻ったのは、まだ9時台だったが、ほっとしたせいもあってか、一挙に疲れが出て来た感じで、少し資料を点検しただけで風呂にも入らず10時過ぎにはベッドに入って眠ってしまった。
■ 2009/11/03 (Tue)
資料集めに歩く

Bangkok: 『Wise』, 『Newsclip』, Chit Lom, Silom Road
Bangkok: Manohra Hotel
 今日は事実上の滞在最終日なので、最初の予定では、連れの希望でアユタヤ辺りに足を伸ばそうかと思っていたのだが、肝心の連れの体調が思わしくなく、一日中ホテルの部屋に籠ることになってしまった。とりあえず、夕方には盤谷日本人商工会議所に行かなければならない。連れが夕方には回復するかもしれないと思い、こちらは午前中から、フリーペーパーのオフィスを訪ねて、見本紙を手に入れようと考え、まずシーロム通りにある『ワイズ』のオフィスを、所在地の住居表示を頼りに探しに行く。今日は曇り空で少し風もあり、心地よい散歩向きの天気である。シーロム通りはホテルや、仕立て屋が目立つ、そこそこの繁華街で、その先がパッポンになる。番地を頼りに見つけたビルには時事通信のバンコク支局も入っており、他にも日系企業がいくつかあった。『Wise』では、日本人の社員らしき人とは話せなかったが、流暢に日本語を操るタイ人女性が対応してくれた。そのままシーロム通りを東へ進み、地下鉄のシーロム駅からスクムウィット駅まで乗って、今度は『Newsclip』のオフィスへ行く。運良く、日本人の社員がお一人居合わせ、少しだけだが話を聞くことができた。
 お昼時になっているが、昼食はとりそびれたままだ。いったんホテルに戻ることにして、今度は地下鉄をスクムウィット駅からサムヤン駅まで乗って、裏道を探りながらホテルまで戻った。連れの様子は思わしくないままだった。シャワーを浴び、そのまましばらく部屋で連れの様子を見ながら、一息入れる。結局、連れの状態が回復しそうにないので、4時ころ再び部屋を出て、盤谷日本人商工会議所へ向かう。曇り空で、そのうち雨になりそうだとは思ったが、とにかく心地よい秋風(もどき?)なので、行けるところまで歩いていく気になり、結局1時間ほどかけて歩き切ってしまった。最後の方で赤十字病院の辺りからは、霧雨のようにささやかな雨がぱらついたが、何とか濡れずに目的地までたどり着いた。
 盤谷日本人商工会議所では、前日の約束通り、今日届いたばかりの『所報』を購入し、他にも資料を少し頂戴した。ちなみに、ここで手に入れた資料で知ったのだが、盤谷日本人商工会議所が入っているアマリン・タワーというビルの、今はファッション・ビルになっている低層階は、昔は百貨店の「そごう」の店だったそうだ。
 ビルから外へ出ると、結構しっかりした雨になっている。とりあえず、スカイトレインのチットロム駅にエスカレータで上がり、スカイトレインの下の高架歩道を伝ってサイアム駅まで行く。雨が降っているので、下車駅からはタクシーに乗ることも考えながら、チョンナンシ駅までスカイトレインに乗った。幸い、チョンナンシ駅で下車したところ、雨はほとんど止んでいたので、午前中に歩いたシーロム通りを逆に進んでホテルを目指した。ところが途中でまた雨脚が強くなり、雨宿りで TESCO Lotus の店に入って、連れの食事になりそうなサラダなどを買いながら、時間をつぶした。店を出て、また弱くなった雨の中を、庇伝いにホテルまで戻る。
 結局、連れは一日中ずっと体調が悪いままだったが、丸々一日休んだので、少しは回復の方向には向いたようだった。それでも、外へ食事には行けなかったので、こちらも、残っている菓子類や果物(ドリアン)で、済ませてしまった。
 この旅行中は、いろいろ不具合もあってインターネットに接続していなかったのだが、夕方からメールの送受信ができるようになったので、今日が締切になっている「メディア表現b」の臨時レポートのメールに受信確認を送る作業を夜中まで断続的に続けた。結局、作業をやめて床に着いたのは1時過ぎになっていた。
■ 2008/11/04 (Wed)
香港経由で帰国

CX708便/CX500便 機中
 今朝は、午前中の出発なので、7時50分に迎えが来る。午前3時半頃に目が覚めてトイレに立ったまま、荷造りや資料整理や、メールの送受信で5時半ころまで起きていた。かなり強い眠気が来たので、連れを起こして風呂を勧め、その間に30分ほど熟睡した。
 6時過ぎに起こされて朝食をとりに地上階に下りる。このホテルの朝食も、これで食べ納めである。いったん部屋に戻り、荷物を持って7時20分頃にはロビーに降りた。チェックアウトして暫くすると、日本語で話しかけて来たタイ人のおじさんがいて、これが迎えの人だと分かった。空港まで送迎されるのはわれわれ二人だけだが、このガイドのおじさんと若い運転手の二人が、十人くらいまで乗れるワンボックス車で来てくれていた。
 空港までの高速通りは快適で、途中で完全に眠ってしまい、到着してから連れに起こされた。10時20分のCX708便まで余裕があったので、免税店で、前回同様写真入りの警告文が入ったパッケージのマイルド・セブンをお土産に買ったりしながら時間をつぶした。出発のメインフロアは4階なのだが、連れの書いたはがきを投函するため、2階の郵便局へ行くと、乗り継ぎ客と同じ扱いでもう一度セキュリティを通らなければならない。まず、郵便局の場所を確認しに行き、その上で投函するものを持って再度出向いたので、短時間のうちに2回もセキュリティを通過するはめになり、その都度ベルトを外すよう命じられた。職員も不審に思ったのか2回目には「タバコを吸っていたのか?」などと聞かれたが、「郵便局だ」と愚痴って通してもらった。搭乗した機中では、半分くらいは眠っていた。
 香港でのCX500便への乗り継ぎは、効率よく短時間で、あっという間にまた機上となった。空席があり、三人がけの席を連れと二人で使えたので、ちょっぴりだがゆったりとすごすことができた。パソコンを取り出し、少し作業をした。
 成田に到着したのは午後8時近くになっていた。入国審査、手荷物受け取り、税関を通り、前回と同じように駐車場に電話をする。これまた前回と同じようにすぐに迎えの車が来て駐車場に到着した。帰りには、いつものようにハードロックカフェ成田店に寄るが、既に9時半なのでショップだけで食事はしなかった。そこから2時間以上かけて、だらだらと国分寺まで戻った。


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