「入江敏夫先生を偲ぶ会」について

 東京経済大学名誉教授 入江 敏夫 先生は、2002年2月24日にお亡くなりになりました。
 入江先生を追悼する「入江敏夫先生を偲ぶ会」は、2002年11月17日に東京経済大学を会場として開催され、50名の参加を得ました。その席で配布された追悼文集『峰をめざして 孤高の地理学徒の歩み』には、「偲ぶ会」実行委員として山田も文章を寄せました。ここでは、その全文を公開します。
 入江先生は、山田にとっては、直接のご縁はなかったものの、同じ大学に勤務していた地理学者の大先輩ということになります。このため、入江先生を追悼する「偲ぶ会」の企画が地理教育研究会の方々から出てきた際に、ご協力することにしたのは、ごく素朴な気持ちからでした(山田は、地理教育研究会の会員ではありません)。「偲ぶ会」の実行委員の一人として、山田は会場の設営などを担当しました。
 なお、悼文集『峰をめざして』は、郵送料込み2000円で地理教育研究会から入手できます。
(2002.11.18.記:2024.01.10.リンク修正)
このページにおける、地理教育研究会へのリンクについて

  無題

山田 晴通     


 私は入江教授とは一面識もない。謦咳に接していない、というだけでなく、その著書をまともに精読したことも、そこから何かを学ぶということもなかった。にもかかわらずこの一文を綴るのは、故人の人となりを後世に伝えることになるであろうこの文集が均衡のとれたものとなるためには、「悪魔の代言人」が必要だと考えるからである。
 一九九五年に東京経済大学に着任したとき、地理学界の諸先輩から、「入江さんのところですね」とか、「入江先生の後任なの?」などと尋ねられたのが、私が入江教授の存在を意識したきっかけだった。私はもともと地理学研究者であるが、東京経済大学には地理学担当者として採用されたわけではない。コミュニケーション論関係の専門科目を主に担当する新設学部の教員として採用されたのであって、経済地理学の担当者としてではなかった。
 入江教授とはどんな人だったのか。私は着任後、未知の先達である入江教授のことを、同僚であったはずの年輩の先生方に尋ねて回ったが、不思議なことに誰もはっきりと人となりを伝えてくれない。「私はつきあいがなかった」と言ってくれる方はまだいいほうで、「入江さんねえ」と言って口ごもり、明らかに不愉快そうな表情を浮かべる方も一人ではなかった。授業はしても、教授会にはほとんど出ていなかったのではないか、という方もいた。実際に出席していなかったのか、いても何も発言せずに印象が薄かったということなのかは、判らない。
 現在、東京経済大学の経済学部には経済地理のポストはない。入江教授の退職後、不必要と判断され、後任は同一科目では補充されなかった。当時は、大学改革の波の中で、科目の見直し作業などがはじまった頃である。しかし、経済地理学がどのような学問であり、経済学部の教育にどう欠かせないのかを、同僚に説くという作業を入江教授がした形跡はない。
 入江教授は、一九七〇年代半ばで、筆を折っただけでなく、学内の分掌もいっさい行わなくなった。紛争期の学生部長経験者という猛者でありながら、その後に大学運営に携わることはいっさいしないまま、退職までの十数年を過ごしている。定年より数年早い退職の折りには、名誉教授の称は受けられたが、紀要(学内学会誌)の記念号は断られた。このため、公刊された年譜や業績リストは、今回の文集まで公にされることはなかった。

 大学教員にはいくつかの異なる責務がある。研究者であることに始まり、知識を伝達する教師であること、人格的によい影響を与え得る教育者であること、大学自治の一端を担い運営・行政にかかる分掌を担うこと、名望家として社会に発言すること、などなど、いずれの責務も重たいものだ。誰もがそうした異なる責務のすべてにおいて、立派にその任を果たすということは無理な注文だ。しかし、入江教授は、特に一九七〇年代以降、いくつかの責務を確信犯的にサボタージュ(罷業)し、その結果、同僚からの信頼を十分に得られないまま退職までの時間を過ごした。その意味では、入江教授は、わがままな教員であり、それを押し通すことができたという意味では極めて幸せな人だったということになろう。
 かつての勤務校にいる唯一専攻が重なる者として、入江教授の追悼行事に関わるようになってから、私は、この文集に、東京経済大学の同僚であった先輩の先生方から何とか文章を寄せていただこうと数名の方にお願いした。しかし、結果的にはどなたからも文章は寄せられていない。体調を崩されながら、一度は、文章を書くことを考えてもよいとお返事いただいた某名誉教授も、結局は、ほとんど接点がなかったからと、寄稿を断られた。また、「この先生とは親しかったはず」とご家族から名前が挙がった某教授には、「君は今さら入江さんの仕事を顕彰する意義をどう考えているのだ」と真顔で問い返された。この問いに答えるのは、少なく私の仕事ではない。私は単に、専門が近い先任の大先輩にあたる名誉教授の記憶と記録を残す作業は手伝わなければ、とお節介にも考えたから偲ぶ会や文集を手伝っているだけの俗物であって、学問的にも、政治性においても、入江教授を評価したり、擁護する立場にはないからだ。
 今、冬の時代を迎え、大学には余裕がなくなりつつある。入江教授のような教員が、今、私の同僚にいたら、その人を尊敬することは難しい。入江教授が、一九七〇年代において、自分の学問を過去の遺物として自ら葬り、封印せねばならなかったように、私は、入江教授の教員人生を、過去の、牧歌的な、つまりどんなに激動であっても所詮はロマンチシズムに彩られていた時代の寓話として、葬るべき立場にいるということである。
 入江教授は唯物主義者だったのだろうから、ここには教授に向けた言葉は綴らない。この文章を読んで、多少なりとも不愉快に思われた方には、ただただ寛容を乞う次第である。

<追記>
 上の文章には、不正確な箇所が二つある。
 まず、「公刊された年譜や業績リストは、今回の文集まで公にされることはなかった」とあるが、実際にはこの文集には、年譜も業績も収録されていない。これは、当初の企画では文集に含まれる予定だったものの、結果的には、故人の意向を踏まえて編集・掲載が見送られたためである。山田の原稿執筆時点では、見送り方針が伝えられていなかったので、このような記述になっている。
 また、「この文集に、東京経済大学の同僚であった先輩の先生方から何とか文章を寄せていただこうと数名の方にお願いした。しかし、結果的にはどなたからも文章は寄せられていない」とあるが、実際には北田芳治名誉教授の文章が収録されている。これは、原稿としてではなく、原稿を断るメッセージに添えて書かれた通信文を、編集者側で体裁を整え、北田先生の了承を改めて得て原稿として掲載したものである。山田の原稿執筆時点では、北田先生が寄稿をお断りになったという事実だけが伝えられていたので、このような記述になっている。
 いずれにせよ、結果的には不正確な記述になっているので、ご注意いただきたい。


入江 敏夫(いりえ・としお)
1922年、石川県金沢市生まれ。
金沢市立土塀尋常小学校、石川県立金沢第一中学校を経て、第八高等学校卒業。
東京帝国大学理学部地理学科へ進み、1944年に繰り上げ卒業。
資源科学研究所を経て、東京経済大学経済学部教授。
この間、明治大学、法政大学、駒澤大学、一橋大学などで教鞭を執る。
経済地理学の論客として知られ、地理教育に深くかかわるとともに、アフリカ研究の論文などを発表するが、1970年代半ばに筆を折る。
1991年、東京経済大学を退職。退職前から通っていた山梨県白州町の山荘に「隠遁」する。
2002年2月24日、死去。
(2002.11.18.記)

このページにおける、地理教育研究会へのリンクについて

 このページでは、2010年7月12日まで、地理教育研究会へのリンクとして「http://www.chikyouken.jp/index.html」へのリンクを設けておりました。例えば、Wayback Machineで「http://www.chikyouken.jp/index.html」を検索すると分かるように、2004年10月までは確実に、その後おそらく2005年までは、このアドレスに地教研のウェブサイトが存在していました。ところがその後、このアドレスは地教研の手を離れたようで、2010年7月現在ではアダルト・サイトに繋がるようになっています。山田は、このページからのリンク設置後、こうした事実を承知していませんでした。
 ところが、最近、ある掲示板に「自分の嫌いな団体のリンクを設けているように見せて、意図的にアダルトサイトへのリンクをつけている」と山田を中傷する内容が書き込まれているというご指摘を頂きました。もちろんこの書き込みの内容は事実無根の中傷です。また、この書き込みには、山田が地教研を「嫌いであると」「明言」しているかのような記述がありますが、実際にそのリンクをたどれば明らかなように、山田はそのような発言をした事実はなく、一方的にそのような発言をしたかのように事実を歪曲した中傷の書き込みが当該掲示板上でなされてきたということに過ぎません。山田は地理教育研究会の会員ではありませんし、地教研の活動の歴史に見られるある種の傾向には賛同していませんが、それは「嫌い」などと歪曲されるようなものではありません。実際、地教研の活動には一定の敬意をもって接し、協力もしてきました。このような悪意ある書き込みがなされることは大変不本意であり、不愉快なことです。
 ページ閲覧者の皆様には、こうした事情をご理解いただけますよう、お願い申し上げる次第です。
(2010.07.12.記:2024.01.10.リンク更新)

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