私的ページ:山田晴通

東経大教職組「60年の歩み 1947〜2007」原稿

業績外:2007

少しだけ胸を張って.

教職員組合結成60周年記念行事実行委員会・編『教職員組合 60年の歩み 1947〜2007』,東京経済大学教職員組合,p151.


少しだけ胸を張って.

 東京経済大学に教職員組合ができて60周年であるという。私は、コミュニケーション学部の新設とともに1995年に着任し、同年中に組合に加盟した。組合歴は12年、組合の歴史の5分の1に関わって来たことになる。1958年生まれの私にとっても、人生のほぼ4分の1に相当する、決して小さい比率とはいえない長さだ。
 自分の人生を振り返ると、12年、あるいは、その半分の6年の周期で区切りがついて来たように感じる。小学校6年までの12年はまるっきり子どもだった。中高一慣校に学び、大学の学部と修士課程までの12年が、思春期から青年期だったのだろう。博士課程進学と同時に結婚し、やがて子どもが生まれ、地方の短大への就職を決め、単身赴任の中で学位論文を出し、縁あって東経大へ着任するまでの12年は、本当に必死に何かをやっていることが多かった。今となってみれば職業人としての修行の時期であったように思える。
 東経大へ来て、恵まれた自由な環境の中で、教育に研究に、あるいは学会活動や社会活動などにも存分に取り組めるようになった。在籍7年目の2001年度には、国外研究員の機会にも恵まれた。ところが、柄にもなく役職(学部教務主任)をやった辺りからいろいろ不具合が出始め、離婚など私的生活の波乱や、役職の任期途中退任、体調が今ひとつの状況などが続き、ここ数年は人生の大きな転機にさしかかって来たようだ。組合員であった12年間は、前半はともかく、現在へ近づくほどヨタヨタしてきた時期でもあった。
 この12年で、自分が組合に何か貢献できただろうかと考えると、その時々で意気込んだほどには成果を残せなかったように感じる。執行委員を2年、東京私大教連の中央執行委員を前後2回=通算5年務め、メーデーや組合学校や教研合宿など、組合行事にも積極的に参加してきたし、日本私大教連の教研集会にも単組から何回か派遣していただいた。意識も意気込みも持って取り組んでは来たが、その成果は?となると、なかなか胸を張れない。
 しかし、模索しながら組合活動に関わってきた中で、教員の立場で自分が組合にしっかり関わることが、自分にとっても、多数を占める職員の組合員にも、何らかの積極的な刺激になる、という手応えはしっかり感じてきた。それが充分であったかどうかは別だが、ともかく自分の参加で、仲間の士気が高まった局面がしばしばあったと思っている。
 日常の業務の中でも、(組合員ではない役職者の方々を含め)職員諸氏には支えていただいているが、私の場合には、現役の方々も退職された先輩方も含め、組合活動を通じた一人ひとりとの結びつきが、大きな財産だという感覚が強い。ときに乱暴で、しばしば粗忽な私のふるまいを、忍耐強く支えてきていただいた皆さんには、ただただ感謝である。
 教員の中には、職員との近しい関係を好まない人もいるし、それはそれで一つの見識かもしれないが、私は自分がそれとは正反対のタイプであることを自覚してきた。業務とは少し離れた位置で、職場の仲間と議論し、交歓することは、私にとって貴重な機会であり、そこで組合が果たす役割は、これまでも大きかったし、これからも大きいと思う。
 組合の場を通した人間関係に支えられて、これまで頑張って来たのだし、自分にはまだ組合の中で果たせる役割がある、という自負があれば、これからも何とかなってくれるだろうだと感じている。衰えていく自分の体力や気力を労りながら、カラ元気でも少しだけ胸を張って、新たな周期が始まったこれからの12年を上手に乗り切っていきたい。



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