私的ページ:山田晴通
米国から見た3.11
東経大教職組機関紙「輪」第201号 原稿(2011)
米国から見た3.11
コミュニケーション学部教員 山田晴通
三月上旬、学会で米国オハイオ州シンシナティにいた私は、川を挟んだ対岸のケンタッキー州ニューポートの宿にいた。十一日、というより十日深夜の一時頃、不意に目が覚めた。目を開くより先に、聞こえてきた声が「日本人の英語だ」と気づいて起き上がった。CNNを点けたまま眠っていたのだが、それがNHKインターナショナルを垂れ流して、地震を報じている。画面には、海岸平野を広く内陸まで津波が襲った、宮城県の現場の空撮映像が生中継されていた。
眠気は吹き飛び、市原の製油所火災や、お台場で黒煙が上がる映像などに見入った。やがてCNNの独自取材映像が入り始め、地震発生時のCNN東京オフィスの状況や、東京在住の米国人が撮影した地震発生時の家の周りの状況の映像などが、スカイプ経由で流れ始めた。いざというときには、こんな映像でも世界的なニュースバリューをもつのだ。こちらもインターネットに接続し、情報を探しながら、そのまま朝方まで起きていた。
朝、学会会場へ行くと、前日までに言葉を交わし、こちらが日本人だと知っている人たちから、「お前の家族は無事だったか?」と何度も声をかけられた。身内とはメールで連絡がとれていたので、「身近な家族はとりあえず無事だ」と答えたが、こんなとき、もし身内に被害があったらどんな気持ちだろう、などと繰り返し考えさせられた。
発生初日のテレビの報道は、津波(英語でもtsunami)一色だったが、翌日からは原発事故が前面に出てきた。キャスターたちは「フクシマダイイチ」となかなか発音できずに四苦八苦している。NHKや一部民放の映像素材も使われていたが、日本語の解説シーンになると画面が切り替わるので、画面上のテロップの文字情報が映像の意味を読み解く重要な手がかりになった。
十三日、シンシナティからボストンへ空路で移動した。空港で保安検査の列に並び、自分の番になったところ、手渡したパスポートを見ていた係員が「ちょっと」という感じで手招きをした。何だろうと身を乗り出すと、「英語は話せるのか?」と問われ、「少し」と答えると、並んでいる他の乗客に聞こえないように声を潜めて「お前の家族は無事だったか?」と尋ねられた。これが米国流なのだろう。
十四日には、マサチューセッツ州ケンブリッジのMITを訪問した。構内を案内された途中で、学生自治会にあたる学生組合が、建物のホールの一角に写真展示などを用意し、日本への支援を呼びかける募金活動をしている様子を見かけた。こういう形で善意が見えるのが、米国なのだと、改めて思わされた瞬間であった。
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