皆さんに送り出されて東京私大教連の中央執行委員になり、二期目となった。前回は三期連続で務めたので、今期が終わると通算五年になる。もうそんなにやっていることになるのか、という感が強い。
個々の労働組合(単組=たんそ)には、上部団体を持たない自由もある。私の前任校は地方の私立短大で、ちゃんと組合はあったが、その組合に上部団体はなかった。小規模ながら教授会が機能し、理事会もまじめで、それなりに経営の透明度が高かったから、「闘う」という感じは薄かった。給料も県立短大準拠で安かったが、争う余地は無かった。私の在職期間中に、俸給表の解釈に県とは違う(結果的に県立短大より給料が安くなる)扱いのあることが判明し、数年かけて是正をはかるということがあったが、それも「闘った」という感じではなかった。組合大会の後など、組合員(ユニオンショップではないが学長と事務長を除く教職員全員、といっても二十名あまり)の集まる宴席には、学長と事務長が招待されて「金一封」を持ってきた。家庭的というか、牧歌的というか、緊張感の薄い労使関係だったから、わざわざ加盟費を負担して上部団体をもつ必要は無かった。
東経大に移って組合に入り、執行委員を務める中で、家庭的・牧歌的に物事を進めきれない大規模な職場(百名以上の雇用をしているのだから統計上は立派に大規模事業所である)における緊張感のある労使関係に触れ、労働法規の意義を再確認した。組合には法務や経営分析などでの理論武装が必要なことも痛感したし、そうした面で東京私大教連が上部団体として果たしている役割の重要性も認識した。
個人的には「上部」団体という言い方は嫌いなのだが、多数の組合が団結した連合体、組合の組合という意味で、東京私大教連のような組織の役割は大きい。単組では難しい取り組みも、連合体なら可能になることが多い。例えば、単組が自前の弁護士を雇うことは難しいし、大学という特殊な職場における労使関係に強い弁護士となると適任者を見つけるのも容易ではないが、連合体なら強力な顧問弁護団をもつことができる。国政への陳情や各種の働きかけも、東京私大教連のさらに上に日本私大教連を組織することで可能になっている。
連合体に関わると、解雇や不当労働行為の攻撃にさらされている当事者をはじめ、東経大よりはるかに厳しい労使対立のある職場で奮闘する人たちに接する機会が増える。また、大学が抱える様々な問題について討論し、学習する機会も多くなる。そうした経験が、自分自身の職場のこと、仕事のことを、より深く考える契機となることは言うまでもない。ひとりひとりが、自分にできる範囲、自分に合ったスタイルで、単組の枠を超えたところで起こっていることに関心を持ち、連合体の取り組みに少しずつ参加し、その経験を単組における取り組みに活かすようになってほしい。そうなれば私たちの職場はずっと活気に満ちたものになるはずだ。
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