私的ページ:山田晴通

学習会「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント」講演録(1999)

業績外:1999

キャンパス・セクシュアル・ハラスメント−組合の視点.

『データ・ファイル 第36号(1999.07.15.)』,東京私大教連,pp2-4.



 この講演録は、1999年6月14日、工学院大学第4会議室において行われた東京私大教連主催の学習会「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント」の第2部における山田の報告のテープおこしをもとに、読むテキストとして最小限必要な補正を加えたものです。
 このテキストは、東京私大教連のニュースレター「データ・ファイル」に掲載されました。
 ウェブページへの掲出をお認め頂いた東京私大教連に感謝いたします。


東京私大教連へゆく//キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワークへゆく

キャンパス・セクシュアル・ハラスメント−組合の視点


講師  東京経済大学  山田 晴通   



はじめに


 私は女性問題とかフェミニズムなどの専門家ではありません。私がセクシュアル・ハラスメントに関わりをもったのは、1997年に私の大学で学生間の事件があり、セクシュアル・ハラスメントの問題として取り上げられた事がきっかけでした。この事件は、外国人留学生に対する外国人差別問題とも重なっており、ゆがんだ形で報道されたという経緯がありました。
 東京経済大学は、この事件を機会に学内でいろいろ議論を行い、関東の大学では他大学より早い時期にセクシュアル・ハラスメントのガイドラインを作成しました。私はそのガイドライン作成に直接関わってはいないのですが、その後いろいろな場所で「東京経済大学のガイドラインを説明してくれないか」との依頼があり、何回かガイドラインに関しての話をしてきました。
 そうした経過をふまえて今回の講演は、組合員向けの学習会ですので、組合の立場からガイドラインについてお話ししたいと思います。

1、キャンパス・セクシュアル・ハラスメント問題に対する組合の基本的な立場


 まず、キャンパス・セクシャル・ハラスメントに対して労働組合はどのような基本的な立場を持っているかという出発点を確認しなければなりません。一般的に、組合は大学を構成する教職員の意見を代表するという性格をもっています。もちろん東京私大教連の傘下にある組合の中でも組合の力が強い所もあれば、率直に言って組織の力が弱いところなど様々あります。そうした違いはあったとしても、組合には、キャンパスで働く教職員をはじめとして大学を構成する者の意見を集約し、きちんと声を上げていく機関としての性格が共通していると思います。それを前提に私たちは、日常的に、セクシャル・ハラスメント以外の問題についても、いわば大学が民主的に運営されていくためにどういうことができるかを発言し、様々な取り組みをしています。これが組合の基本的な立場です。そういった中で組合は、セクシャル・ハラスメントに対する取り組みに一定の関わりを持ち、また発言していかなければならない、というのが、まず一般的な意味での位置づけです。
 しかし、組合には、もう一つ重要な局面があります。キャンパス・セクシュアル・ハラスメントの問題は、例えば労働環境の問題となっていきますし、処分などが関わってくると雇用問題に関わってきます。組合は、こういった問題について、直接の交渉当事者になります。また、場合によっては、あるいは被害者の、あるいは加害者の側にたって闘わなければならないという局面が出てくるという性格を持っており、ある意味では、非常に微妙な立場にあるということになります。
 キャンパス・セクシュアル・ハラスメントの問題は、学生が関わるケース、あるいは教職員の間でのケース等を区別するべきではないという議論がありましたし、私もそう思っています。基本的に、キャンパス・セクシュアル・ハラスメントには、教育環境問題をどうするかという面と、労働環境問題をどうするかという面の両方に関わりをもつ性格がありますが、組合としても、一般的な形で教育環境問題としての面も含めてキャンパス・セクシュアル・ハラスメント問題に関わるという次元と、労働環境問題の交渉当事者としての強い関わりという二段階の関わり方があります。

2、キャンパス・セクシュアル・ハラスメントの課題


 今回、このような学習会を開いたことは、今年度はじめに、キャンパス・セクシュアル・ハラスメントのガイドラインを作りなさいという指導が文部省から具体的になってきたという動きと無関係ではありません。キャンパス・セクシュアル・ハラスメントの問題自体は、ここ数年、日本私大教連の全国私大教研でも細々とではありますが取り上げられてきました。しかし、ここにきてこの問題が特に重要になってきたのは、国立大学に対してガイドラインがつくられるように、労働省の要請を受けた文部省が通達を出し、それを受けて国立大学が動くという事態が生じたためです。本来、私立大学はそれに縛られるものではないのですが、これを機会にきちんとしたガイドラインをちゃんと考えなければいけないという動きが出てきています。
 ところがガイドラインには、一旦(いったん)内容に問題のあるようなガイドラインを作ったら今度はそれを変えるのが難しいという非常に困った部分があり、今この段階でどの様に取り組むかが非常に重要だということがあります。そこで、特にガイドラインの問題に焦点を絞ってお話をしようと思います。
 ガイドラインというものは様々な既存の規程、あるいは新しく作る規程を適切に調整するものとして考えなくてはいけません。キャンパス・セクシュアル・ハラスメントには多様な側面が生じており、例えば、キャンパス内で起こった事象をキャンパス・セクシュアル・ハラスメントとして、誰が被害者で誰が加害者かといったことを含めて、包括的に取り込みます。同時に、キャンパス内で形成された人間関係によりキャンパス外で起きたことなども考えていきますと、実に様々な関係が想定されます。また、実際に事件が起きた場合、それは教務上・学務上の問題になるかもしれない、学生生活上の問題になるかもしれないし、雇用の問題になるかもしれないわけで、多様な広がり方に関わってくるわけです。ですから私たちは、この問題を考えるとき、多様な側面を持っているということを十分認識しなければいけません。そうしないと、問題の矮小化や、一面的な理解に陥る危険があるわけです。

 「キャンパス・セクシュアル・ハラスメントにどう対処するか」をガイドラインで定める場合、その対処のあり方は、いくつかの段階を経る一連の過程として捉えられます。まず一般的な「防止・抑止」のための啓発を日常的な活動として行うということに留意しなければいけません。ここで、「防止」と「抑止」を言い分けているのですが、「防止」というのは重篤な事件が起こらないように防ぐという意味です。また、「抑止」ですが、キャンパス・セクシュアル・ハラスメントの定義には主観的な要素が含まれるので、例えば「ある程度までは社会通念上で許されているが、これ以上はだめだ」という境目は非常に曖昧です。そうだとすると、日常生活の中でどうしても最低限のセクシュアル・ハラスメントにつながる事象が存在していることを認識した上で、それが紛糾するようなケースに拡大しないようにするという意味で、「抑止」という言葉を私は使っています。特に「抑止」のためには、啓発活動が必要だと考えます。

 そして、実際にケースが起きた場合、いかに被害者にトリートメントを行うか、あるいは被害者の精神ストレスを救済するかなどの十分な配慮が必要です。一方、加害者意識のない人、加害行為を何回も繰り返す人へも、精神的なケアが必要となります。実際、私たちの大学で起こったケースでも、そのような可能性について議論されました。このように、被害者、加害者を含めたトリートメントの体制ができていなければ、一つのケースを処理しても再発の防止にはつながってこないということになります。そして、その上で、責任をとるべき加害者が存在したときに、どう処分するかという問題が起きてくるのです。
 大学は、それぞれ独特の気風や文化を抱えています。特に私立大学の場合、それが大きいといえます。そういった中で「現状をどう評価するか」、あるいは「潜在的な、あるいは既に顕在化した問題をどう把握しているか」が最初の出発点になります。あまりに各々の大学の現状とかけはなれているガイドラインを作っても絵に描いた餅になることは避けられません。そうかといって、現状を見て見ぬふりでガイドラインを作っても、何も意味がありません。
 両方の極端な例でいいますと、一方では、職場の上司が若い女性職員に対して男尊女卑的な振る舞いをし、場合によっては性的なものにも発展するというのを、当然の企業文化として受け入れているような大学も現にあると思います。こういうものをどう克服するかというのは大きな課題です。
 また逆に、ある種の女子大に多いのですが、「セクシュアル・ハラスメントの問題は、うちの大学に関係があるわけがない」という思い込みが支配的であったり、あるいは、セクシュアル・ハラスメントについて多くの人の被害意識が希薄であるのに「自分だけがセクシュアル・ハラスメントだと感じた」場合など、「自分はおかしいのだろうか」と考え疑心暗鬼になるという文化が支配的な場合があります。これは女子大のすべてがそうだというわけではありませんが、そうした大学が多いというのは事実であると思います。
 こうした「自分のおかれている現状の把握」が大事で、その上でセクシュアル・ハラスメントの問題を、人権意識一般の啓発と結びつけるような形が必要です。つまり、セクシュアル・ハラスメントを特定の大学の特殊な事例として扱うのではなく、広く一般的に人権は尊重されるべきなのだという啓発に結びついていくような位置づけをしないと、特殊な問題としてセクシュアル・ハラスメントが囲い込まれ、矮小化されていく危険が大きいのではないかと危惧されます。

 被害者へのトリートメントに関して特に難しいのは、実際に被害を受けた人、特に重篤な被害を受けた人への精神的トリートメントケアへの体制をどう組むかという点です。ところが、ごく少数のよほど特殊な、専門的な知識をもった先生方を学内に抱えている大学は別として、多くの大学の場合、専門家は存在していないと考えるべきです。こうした場合、中途半端な形で、教育学や心理学の専門家がいるからといって、学内でその人達にセクシュアル・ハラスメントへの対応の負担を負わせてしまうのは誤りなのです。これは、情報処理の専門家がいるからといって、大学内のコンピューターの管理をすべて任せたり、あるいは、電子工学の専門家がいるからといって大学内の電気設備のメインテナンスを全てまかせてしまうことと同じ次元であり、明らかに誤りです。専門的知識の導入が必要とされる場面では、例えば校医を雇うように、学外の専門家を恒常的に組織に取り組んでいく必要があるのです。ケースが起こったときに、プライバシー保護に十分な配慮をしながら、学外の専門家の支援を受けられる体制を確立してことは重要です。

 加害者の処分についてですが、これは組合の立場からいえば微妙な問題であります。まず、加害者に対する処分の手続きは、極力明確化しておかなければなりません。実際にケースが起こった時、手続きをめぐって泥沼化した争いが起きる場合もあるのです。今のところセクシュアル・ハラスメントのガイドラインが確立されていない私立大学が多いので、現に起こっているケースについては大学の外まで聞こえてくる情報は少ないですが、実際には内部でのもみ消し行為や、手続き上の紛糾がよく起こっているようです。そうなってくると、「内部で行われている現状を公開せよ」という動きが出てきますが、あらかじめ手続きが明確化されていないと、公開というのは必ずしも正義にはならないのです。それは、被害者のプライバシーの保護という問題が必ずそこに絡んでくるからです。また、加害者に対しても、「無罪推定の原則があるではないか」という議論が生まれてきます。そういうことから考えてみると、予め手続きを明確化することがとても大切な事になります。特に公開性を巡る紛糾を避ける努力は、かなりしっかりしなければなりません。しかも一旦作られたルールが適正に運用されるように、単にその適正な運用を求める条文をガイドライン上に盛り込むだけでなく、組合などが監視をしていくという姿勢が必要です。
 最悪の場合、キャンパス・セクシュアル・ハラスメントを口実とした処分攻撃の可能性が、常に潜んでいると考えざるを得ません。実際、大学の教員というのは、それ以外のことでは首をほとんど斬きれないというのが現状ですので、こういう形での攻撃は潜在的に起こり得るわけです。

3、組合にとっての課題


 そうした現状の中で、実際に同僚の中でキャンパス・セクシュアル・ハラスメントを行ったと非難された人が退職を迫られているといった場合、組合はどういったかたちで闘うのか。あるいは、組合員の多くが「その先生がやっていることは、やっぱりおかしい」といっているときに、組合としてどのような態度をとるのか、組合の誰が責任をもってくれるのか、これは非常に難しい問題です。最終的に各単組で考えなければいけない事項です。それらを含めて、組合にとっての課題とは一体なんなのでしょうか。

 第一に、組合は労働環境問題や雇用問題の直接交渉当事者なのですから、組合内部において、単組のレベルで専門性を備えた相談できる組織を少しずつ育ていくという意識をもって、学習を重ねていくという努力が必要です。組合の中で専門家を作れるわけはありませんが、少なくともそのような意識をもち、学習会などを重ねる中で、多くの組合員が意識を高めあうことがかなり重要になってきます。
 第二に、キャンパスの中には様々な人がおり、雇用形態の多様化は一貫してこのところ進んできています。つまり常雇いではない形で、事実上それに近い仕事をする方が、同じ職場の中にどんどんと増えてきています。そうすると、先ほど例に挙げたような、上司が部下に対してセクシュアル・ハラスメントを行い、組合員が被害者になるような場合ばかりでなく、常勤者が不安定雇用の者に対して問題を起こすような、組合員が加害者になる可能性も非常に大きくなるはずです。教員が学生に対して、といった場合も組合員が加害者になるわけですが、職員も含めて、このセクシュアル・ハラスメントの問題で、組合は、被害者の立場も加害者の立場も身内に抱え込んでしまう可能性を常に秘めています。そこでは権力関係の多様化も、あわせて考えていかなくてはなりません。
 最後に、指摘しなければならないのは、残念ながら我々の組合活動は、男性中心文化の圧倒的な支配の下にあるという現状です。例えば東京私大教連の中央執行委員は十数名いますが、そのうち今期の女性執行委員は1名です。前期はゼロでした。上部組織である日本私大教連となると、設立以来一度も女性の中央執行委員が出ていません。我々の組合活動自体が、今いろいろな意味で停滞しているという状況を捉え直す、作り上げ直すという意味では、社会の男女共同参画をいう前に、組合がそういう体制をいち早く作り上げなければ、いろいろな意味で、何に取り組んでも魂を入れることはできないのではないかと思います。

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