学生による学生のためのコミュニケーション学部の講義紹介

哲学

総合教育科目:A群:選択必修:通年:4単位:

学部・教員による講義の紹介
学生による講義の紹介

哲学:藤澤 賢一郎→西 研:


 哲学はもともと本学の教授、藤澤先生が担当していたが1998年の5月の初めにお亡くなりになられたため、先生が変わった。一度か二度、多分本学の名前分からん先生が授業をしたが、すぐに休講となる。代わりの西先生が来て授業が再開したのは10月後半であったため、その間ずっと休講であった。そのため授業で扱う内容は2人の先生で少し違いがある。

 まず藤澤先生だが、教科書は「ソクラテスの弁明・クリトン」(プラトン著、岩波文庫)を使用。教科書のタイトルからも分かるように紀元前の哲学者、ソクラテスの弁明を学ぶ。基本的に哲学のはじまりの頃である。でもホントに数回の授業だったため、はっきり言ってほとんど進んでないし、あんまり記憶がない。ひとつだけ良く覚えているのは、先生が亡くなる数日前の授業で「どんな人が嫌われるか?」という質問で当てられたことである。それが藤澤先生と交わした最初で最後の言葉である。

で、その後途中で一度か二度来た先生は弁証論、三段論法などを説明した。んが(鼻濁音です)、全然記憶がないわ。しかし、哲学の参考文献を紹介してくれたのでここにあげておきます。
 「可能世界の哲学」(三浦 俊彦、NHKブックス)
 「言語哲学大全III」(飯田 隆、勁草書房)
 「名指しと必然性」(S.クリプキ、みすず書房)

 最後に西先生だが、いつもにこにこしながら授業をしていた。時々授業中に休憩を入れてくれたりした。失礼かもしれんけど、ちょっとした仕草がかわいらしい先生。しかし私語はとても気になるらしく、にこやかな顔で厳しく注意していた。授業内容は、西洋近代哲学。いつもプリントを作って、解説してくれた。

第一回 98.10/20 哲学とはどのような営みか
 世界像の役割、哲学とは何か?

第二回 98.10/27 ポスト・モダンはモダンを超えたか
 ポスト・モダンとは、正義と真理への進歩を信じた「近代」(つまりマルクス主義)を超えようという思想。フランスの60年代後半のドゥールズ、フーコー、デリダ(元フランス共産党)などが代表者。プリントをざっと読み返してみたけれど面白い。

第三回 98.11/10 近代哲学の最も基本的なテーマ
 近代哲学は世界像の共有可能性の問いからはじまり、しだいにさまざまな社会秩序と世界像をつくりあげる根本動因は何か、その意味で「人間とは何か」という問いへと深化していくのである。

第四回 98.11/17 デカルトの問い(続き)
第五回 98.11/24 デカルトの問い(続きの続き)
 デカルトは学問の窮極的な基礎づけ(絶対確実な土台)をしようとした。
  Je pense, donc je suis. (French)
  I think, therefore I am. (English)
  われ思う、ゆえにわれあり (Japanese)
            見たり感じたりしているということ。

物心二元論 : 精神と肉体は全く別物である。精神は思考する実体で物体は延長する実体。実体とはそれ自体で存在するもの。

唯物論(materialism) : 一切が物的な原理で出来ている。世の中の物体はすべて物から出来ている。
唯心論(spiritualism) : 一切が精神で出来ている。物体なんてものは心しか存在しない。
デカルトは魂の不死を主張。心身二元論、主格二元論(主観・客観問題)を残した。

第六回 98.12/1 夢と現実の区分
第七回 98.12/8 大陸合理論からイギリス経験論へ
第八回 98.12/18 たぶん前回の続き

観念論(idealism): 心に現れなければ、物も他者も世界も認識しえない。心の存在 の方が先立つ。
実在論(realism) : 自然というものがまず存在し、そのなかに人間が生まれ、その脳の中に心が生まれてきた。
証明は出来ないが私たちは他者たちと同一の世界に生きているという信念を信じている。それにより、コミュニケーションが成立する。

大陸合理論
スピノザ「一元論」
 実体=自己原因(他から動かされない、自己自身でもって動くもの)=神。物心・主格二元論を、一元論で統一する。
 自己原因こそが真に「実体」と言いうるものであり、これは必然的に一つになる。そして思惟(精神)も延長(物体)も、同じ一つの実体の異なった「属性」であるとされる。一切の個物はこの実体の様態。
 一切は必然的であり決定されている。自由意志は存在しない。神もまた人格神ではない。神を愛する事は神が愛する事である。(神秘主義的汎神論の感覚と、徹底的な機械論的世界像が一つになっている。)

ライプニッツの「モナド」
 独立した単一の実体が無数にあり、モナド(単子)と呼ばれる。この一つ一つは非物質的なもの(精神とか魂とか)であり、それぞれはそれぞれの視点から宇宙を映し出している「永遠の鏡」である。

イギリス経験論
ジョン・ロック「人間知性論」「市民政府二論」

第九回 98.12/22 ヒュームの懐疑
ディビィッド・ヒューム「人間本性論」: 意識に徹底的に内在する

社会契約説
ホッブズ「リヴァイアサン」
 自然状態 万人の万人に対するたたかい。
 自然権を委譲。
ロック「市民政府二論」
 自然状態 自由・平等・平和の状態
 最高権は人民にあり、政府はその受託者にすぎない。人民に抵抗権がある。
ルソー「社会契約説」
 自然状態 自由・平等で理想的状態

第十回 99.1/12 形而上学の批判と学問の基礎づけ

試験はなく、告知したレポート2本と授業中に書いたレポートで評価された。
告知されたレポートの課題は次のものである。

問題: 私たちはいま、自然の「改造」が環境問題を生みだし、社会を人間が完全にコントロールしようとした社会主義のプランが極端な権力集中を生みだした、という失敗を知っている。だから、近代の目指した「自然と社会のコントロール」そのものが人間の傲慢であり誤りだったと感じている人も多くいる。この言葉で、近代は誤っていたのかどうか。

問題:現代の私たちは、学問ということに自由をあまり感じていない。それはなぜか。もし学問が自由と可能性をとりもどすためには、何が必要なのか。

上記のどちらかひとつ問題を選んでB5一枚。

学期末レポート課題
 デカルト「省察」(世界の名著 中公バックス「デカルト」所収、また岩波文庫)を読み、そこでの「われあり」の意味についてテクストから整理し、さらに諸君の考えたことを述べよ。字数は1600〜2000字。

 はっきりいって「省察」を読むのは大変です。私はこの時期レポート戦争に陥っていたので、さらに大変やった。哲学はなんでも素直に受け入れるひとより、常に?マーク回っとるひと、いろんなことを疑えるひとに向いていると思います。言い方変えるとヒネくれていて、理屈屋(へ理屈も)のひとやね。でも、危ない方向には走らんとって。

おすすめ文献
 「響宴」(プラトン、岩波文庫)
 「はじめての哲学史」(竹田・西編、有斐閣アルマ)

 この講議評価、かなり最後に近付くにつれて雑になってんのがバレバレやね。 やっぱ哲学おもろいけどむずいわ。

[1998年度受講:槌矢 裕子]

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