山田ゼミ(東京経済大学コミュニケーション学部 2006年度「演習」)
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渕上 尚悟

新時代のアニメ音楽 キャラクターソングCDを通して

1.はじめに

 メディアミックスをはじめとしたアニメビジネスの多様化は著しい。アニメソングも例外ではない。先日、CDの売り上げランキングを紹介する番組を見ていると、突如不思議な楽曲が目に飛び込んできた。「キョンの妹」と名乗るその異質なアーティストは、人を食ったような歌と、合間に発した珍妙な決め台詞を残し、数秒で画面から消えた。わずかの時間であったにもかかわらず、そのインパクトは相当なものであったため、友人に尋ねたところ、楽曲は「涼宮ハルヒの憂鬱(2006年、京都アニメーション)」というアニメのキャラクターソングであることがわかった。
 後日、某レンタルショップに足を運んだ際、このことを思い出しアニメコーナーを覘くと、ドラマCDやキャラクターソングCD等これまで目にすることのなかった種類の商品が所狭しと陳列されており、圧巻であった。今回のレポートでは、強烈な印象を残したキャラクターソングCDという、一般的なアニメソングとは少し異なった趣旨の音楽に目を向け、その実態を探ると共に、どのような過程で生まれ、消費されているのかを明らかにしたい。

2.アニメソングの中のキャラクターソング

 普段アニメソングと呼ばれている音楽だが、この言葉は他のジャンルの音楽同様、大雑把に括られたものである。Wikipediaから引用すると、少なくとも以下の種類が存在する。

1・特定の作品のために作られた楽曲(OP、ED、挿入歌、CM等)
2・アニメソング専門と認知されている歌手名義の作品全般
3・アニメを専用とする声優の名義作品全般

 では、キャラクターソングをカテゴライズする場合、いずれに該当するだろうか。
 キャラクターソングを定義する場合、大前提となるのが「作品に登場したキャラクター名義で歌われる」楽曲である。これに則って考えると、2と3は明確に名義が異なるため、当てはまらない。(ただし、ある意味では3も含んでいる。キャラクターにはいわゆる中の人、声優が存在する。現実的には歌声を発しているのは声優であり、近年も続く声優ブームと同時に発生した声優ファン(※1)の観点から考えると、限りなく3に近いと言えるだろう。)
 これに対し、1の「特定の作品のために作られた楽曲」は妥当である。しかし、1の例にあるOPやEDと比較すると、ジャンルとしての歴史も浅く(※2)、劇中で流れる機会もほぼ無いため、コアなファン以外には目に付きにくい、極めてマイナーな位置に属している。

3.商品としてのキャラクターソングCD

 アニメCDとして販売されている商品を細分化すると、次のようなものがある。(※3

・イメージアルバム
…本編のサウンドトラック制作前に、監督によるイメージ詩やキャラクター設定、作品への思いが書かれた手紙等を主に作られる、サントラのデモテープ的アルバム。
・シンフォニー
…イメージアルバムの交響曲バージョンのようなもの。
・サウンドトラック(サントラ)
…映像作品の挿入曲を収録。曲の長さや台詞と被らないようにするといった演出上の 制限がある。もっとも、近年では映像作品と全く同じ音源から起こされ、演出上の制限を必要としないオリジナルサウンドトラック(OST)が主流となっている。

 この他に前項で述べたOP、EDや、アニメソング専門の歌手、アニメ専用の声優のCD等が加わる。その何れにも属さず、ジャンルとしてほぼ確立しているのがキャラクターソングCDである。以下に、その詳細をまとめた。

・商品
…形式的にはマキシシングルと似たようなものであり、レンタルショップでもそう扱われている。価格は1000ないし1500円前後で、曲数は1ないし4曲程度。1人(匹)のキャラクターによって歌われることが多いが、多数のキャラクターソングを集めたアルバムも存在する。

・内容
…1、アニメ準拠 2、キャラクター準拠 の傾向が見られる。
 前者は「他人が歌ったアニメのOP・EDを登場キャラクターが歌う」という派生型、後者は「キャラのために作られたオリジナルソングを歌う」独立型のものがある。冒頭で挙げた「涼宮ハルヒの憂鬱 キャラクターソング」シリーズで最も高い売り上げをほこる「Vo.2長門有希」に収められた2曲を例にしても、「雪、無音、窓辺にて。」は2、「ハレ晴レユカイ」は1とはっきりと区分できる。
 特に2に関しては、世界観がアニメそのものと関連性が薄いかわりに、歌うキャラのイメージを体現している特徴がある。

・音楽
…歌のレベルはそれほど重要視されない。(実際歌っているのは声優という事実が暗黙の了解となっている。)
 また、「キャラクターソング」と「音楽作品」、この2つを両立させることの難しさが窺える。声優が劇中の声質そのままで歌うことは厳しく、安定した歌唱を得るために地声寄りになる、もしくはキャラクターイメージを優先し歌のレベルを犠牲にするといった問題が付いて回ることとなる。特に前者の場合は、キャラクターの声の印象が変わってしまうため、「キャラクターソング」としての意味合いそのものが薄れてしまうのである。この解消策として、曲中でキャラクターの特徴的、代表的なセリフを挿入する、といった手法が行われている。(※4

・歴史
…キャラクターソングCDの歴史は浅く、ジャンルとして確立したのはここ数年のことと言っても過言ではない。その中でもパイオニアと言われ、現在に至るまで精力的に数多くの作品を発表しているのが「テニスの王子様(2001年、テレビ東京)」シリーズである。(※5)現に2002年、このアニメから計11枚の作品が発表されて以降、ビジネスとして確実に成長している。そこで、キャラクターソングCDの売り上げランキングトップ10(オリコンシングルCD年間チャート2002ー2006より)を参照しながらそれを実証していこう。(※6
 2002年、2003年は「テニスの王子様」シリーズがほぼトップ10を占める。しかし、キャラクターソングCD全体として見た場合、1位の「FINAL FANTASY X-2 VOCAL COLLECTION/YUNA」でも売り上げおよそ15000枚(全体平均10000枚)、ランキングの全体平均(最高位で計算)も約30位と、それほど目立たない印象を受ける。
 しかし、2004年にブレイクの波が押し寄せる。「魔法少女ネギま!」シリーズがそれである。「テニスの王子様」シリーズに取って代わり、トップ10を埋め尽くしたこのシリーズの背景には、インターネット上のファンにより行われた、本シリーズのCDをオリコン1位にしようという動きも関わっているだろう。結果的に2004年のトップ10の売り上げ枚数は平均30000枚、ランキングの全体平均も10位と、前年と比較して3倍近く伸びている。
2005年にも「魔法少女ネギま!」シリーズはトップ10のうち上位9曲を占め、売り上げ枚数平均46000枚、ランキング全体平均6.5位と前年を底上げした結果となった。2006年に至るといわゆる小康状態が訪れるが、1位の「涼宮ハルヒの詰合」においてはオリコンシングルチャート最高5位、売り上げ枚数は10万枚に届くほどであり、これは一般層の目にも映るほどの躍進ぶりと言わざるを得ない。
このように、キャラクターソングCDの歴史はまだ短いながらも、まさに今現在隆盛期にあたるのである。

最終章 アニメビジネスの変化とキャラクターソングCD※7

 最後に、アニメビジネスの観点から、キャラクターソングCD隆盛の背景について述べてみたい。
 アニメビジネスの基本形は、版権ビジネス(マーチャン・ダイジング)である。国内アニメ制作費市場が、300億円強(TV、劇場版、OVAの総合)程度であるのに対し、アニメビジネス総合では1兆円を超える。要するに一つのアニメ作品を製作すると、そこからゲーム化権、商品化権(玩具、食品その他)、テレビ放映権、ビデオ・DVD化権、イベント権等の多彩な版権が発生し、それが大きな収入となるのである。
 実際に、アニメを生み出す製作会社と、それを放映するスポンサーも、版権ビジネスを主としてきた。前者はテレビ放映権と作品の著作権による二次的収入、後者は作品もしくはキャラクターを利用した商品やサービスの販売といった内容である。
 しかし、90年代後半から、製作会社によって新しい戦略が展開されるようになる。
 1998年放送の「頭文字D」においては、製作・番組提供の両方をエイベックスが行った。その中で、作品中に流れる同社のダンス音楽、主題歌のCD販売が行われ、結果的にサントラシリーズ2作で90000枚の売り上げを得た。これは同社の「作品の視聴者に音楽を売る=映画音楽ビジネスのアニメ転用」という狙いが成功した証でもあった。
 また、同年放送の「カウボーイビパップ」においても、製作会社であるサンライズによって音楽CDと映像のパッケージ販売が行われた。これは新たなファン層(中高生ー社会人)の獲得・マーケットの開拓が目的であった。このようなキャラクター商品以外、特に音楽面での販売戦略が、今日のアニメ音楽の地位・認知度を向上させ、その過程の中で生まれた新しいジャンルがキャラクターソングCDなのである。


補足

※1…1990年代前半に起きたこのブームは、アイドルタレントが「卒業」後の進路として声優に進む例が増えたため、また、声優のプロモーションイベントが安定した人気と動員を見たことから、積極的に声優に歌わせようとする機運が興行サイドに生じたことによる。代表的な声優として、林原めぐみがいる。彼女は声優および歌手・作詞家として、多くの出演作の主題歌や挿入歌を、自分の役柄一人称の心情で作詞し自ら歌うことで、アニメソングをタイアップ曲からテーマ曲に奪還する上でも重要な役割を果たした。また、声優でありながら役柄の声色で歌うということを敢えてせず、その意味でも声優の歌唱のあり方を大きく変えた。(wikipedia 「アニメソング」の項より引用)
 現在に至ってもこのブームは続いており、アイドル化している声優も多い。水樹奈々、能登麻美子、中原麻衣、堀江由衣、植田佳奈、平野愛らが該当すると思われるが、彼女達はキャラクター名義、本名名義関わらず多数のCDを発表しており、熱狂的なファンが数多く存在する。そんなファンにとっては、例えキャラクターソングCDであっても、購入理由は「中の人があの声優だから」なのであろう。
※2…「キン肉マン」の「奇蹟の逆転ファイター」や、「アンパンマン」の「いくぞ!ばいきんまん」等、「キャラクターが歌っている」かのような楽曲は以前にも少なからず存在していた。ただ、これらの楽曲にクレジットされた歌い手はキャラクターではなく、あくまで声優名義である。
※3…「宮崎駿全書」(叶精二、フィルムアート社)を参考にした。
※4…アニメのキャラクターは、他キャラとの差異化の一環として特有の口調や口癖を与えられていることがある。「〜ですぅ」「にはは」「がおー」「〜にょろ」「うぐぅ」「〜かな、かな?」といった、非日常的なものばかりである。
※5…2002年に11枚、2003年に28枚、2004年に27枚、2005年に20枚、2006年に24枚、2007年2月までに5枚と、6年間で115枚もの作品を残している。10数枚の作品を発表したキャラクターも存在し、まさにキャラクターソングCD界の重鎮である。(http://k-y-z.hp.infoseek.co.jp/yama/tennis.html
※6http://www5f.biglobe.ne.jp/~VoiceCDrank を参考にした。
※7…「アニメビジネスが変わる」「進化するアニメビジネス」(日経BP社)を参考にした。




吉光 雄太

聖書における音楽の意味


研究目的

 音楽とは、音で遊ぶことだと私は思う。単純なものから巧みなものまで、音を出すことによって何らかの高揚感を得ることができ、感情を発起させるものが音楽だと思う。誰もが親しめて、誰もがそれを楽しむことができるものだと思う。しかし、音楽は芸術でもある。芸術は排他的で独断的だ。音楽を芸術の位置まで持ってくると話は変わってくる。芸術とはその中でも秀でたものを、また優れた表現方法として用いられたときに呼称される名である。私は芸術とは本当は無限に広がる表現に一つの形を与えたものに過ぎないと思っている。テーブルクロスを摘み上げるように、私たちは表現に形をつけているのかもしれない。表現、芸術というものを踏まえながら、音楽がどのように形を変えるのか、その歴史と意味について考えていく。
 音楽は、今や私たちの周りで日常的に発信され、芸術、娯楽として当たり前のものとなった。しかし、元をたどれば音楽はいったいいつのころからその単語が使われるようになったのだろう。普段当たり前のように使っている音楽ということば。その音楽が指すものはいったいどんなもので、みな同じものを指しているのだろうか。私の人生に深いつながりを持つ聖書。聖書は天地創造から、世界の終わりまでが記されている。聖書から、音楽を捉えることはできないか、またそこから音楽の意味や、位置づけを調べることはできないかと思い、私はこの研究をすることにした。端的に言えば、聖書に音楽がどう関わっているのかを考え、また聖書を通して、歌や演奏の意味を考えてみたいのだ。

作業

 歌や楽器、または音楽に関する単語が出てくる記述を抜き出す。(歌そのものには囲み線[ここでは水色の背景色]

 使用聖書 『日本聖書刊行会 新改訳 聖書』

音楽その他
旧約聖書
創世記4:21
創世記31:27
出エジプト記15:1
出エジプト記15:1〜18
出エジプト記15:1
出エジプト記15:2
出エジプト記15:20
出エジプト記15:21
出エジプト記15:21
出エジプト記19:16
出エジプト記19:19
出エジプト記32:18
民数記10:2
民数記10:3
民数記10:4
民数記10:5
民数記10:6
民数記10:7
民数記10:8
民数記10:9
民数記10:10
民数記21:17
民数記21:17〜18
民数記21:27
民数記21:27〜30
申命記31:19
申命記31:21
申命記31:22
申命記31:30
申命記32:1〜43
申命記32:43
申命記32:44
申命記32:45
ヨシュア記6:4
ヨシュア記6:5
ヨシュア記6:6
ヨシュア記6:8
ヨシュア記6:9
ヨシュア記6:13
ヨシュア記6:16
ヨシュア記6:20
士師記5:1
士師記5:2〜31
士師記5:3
士師記5:12
士師記5:16
士師記6:34
士師記7:8
士師記7:18
士師記7:19
士師記7:20
士師記7:22
士師記11:34
士師記11:40
サムエル記I13:3
サムエル記I16:16
サムエル記I16:18
サムエル記I16:23
サムエル記I18:6
サムエル記I18:7
サムエル記I18:7
サムエル記I18:10
サムエル記I19:9
サムエル記I21:11
サムエル記I21:11
サムエル記I29:5
サムエル記I29:5
サムエル記II1:17
サムエル記II1:18
サムエル記II1:19〜27
サムエル記II2:28
サムエル記II3:33
サムエル記II3:33〜34
サムエル記II6:5
サムエル記II6:15
サムエル記II15:10
サムエル記II18:16
サムエル記II20:1
サムエル記II20:22
サムエル記II22:1
サムエル記II22:2
サムエル記II22:2〜51
サムエル記II22:50
サムエル記II23:1
サムエル記II23:2〜7
列王記I1:34
列王記I1:39
列王記I1:40
列王記I1:41
列王記I4:32
列王記I10:12
列王記II3:15
列王記II9:13
列王記II11:14
列王記II12:13
歴代誌I6:31
歴代誌I6:32
歴代誌I6:33
歴代誌I9:33
歴代誌I13:8
歴代誌I15:16
歴代誌I15:19
歴代誌I15:20
歴代誌I15:21
歴代誌I15:24
歴代誌I15:28
歴代誌I16:5
歴代誌I16:6
歴代誌I16:8〜36
歴代誌I16:9
歴代誌I16:23
歴代誌I16:33
歴代誌I16:42
歴代誌I23:5
歴代誌I25:1
歴代誌I25:3
歴代誌I25:5
歴代誌I25:6
歴代誌I25:7
歴代誌II5:12
歴代誌II5:13
歴代誌II7:6
歴代誌II9:11
歴代誌II13:12
歴代誌II20:21
歴代誌II20:21
歴代誌II20:28
歴代誌II23:13
歴代誌II29:25
歴代誌II29:26
歴代誌II29:27
歴代誌II29:28
歴代誌II34:12
歴代誌II35:15
歴代誌II35:25
エズラ記2:41
エズラ記3:10
エズラ記3:11
エズラ記3:11
エズラ記10:24
ネヘミヤ記7:44
ネヘミヤ記7:67
ネヘミヤ記7:72
ネヘミヤ記10:28
ネヘミヤ記10:39
ネヘミヤ記11:17
ネヘミヤ記11:23
ネヘミヤ記12:8
ネヘミヤ記12:27
ネヘミヤ記12:28
ネヘミヤ記12:29
ネヘミヤ記12:31
ネヘミヤ記12:35
音楽その他
ネヘミヤ記12:36
ネヘミヤ記12:38
ネヘミヤ記12:40
ネヘミヤ記12:42
ネヘミヤ記12:43
ネヘミヤ記12:45
ネヘミヤ記12:46
ネヘミヤ記12:47
ネヘミヤ記13:5
ネヘミヤ記13:10
ヨブ記21:12
ヨブ記30:31
ヨブ記35:10
ヨブ記36:24
ヨブ記39:24
ヨブ記39:25
詩篇
詩篇3
詩篇4
詩篇5
詩篇5:11
詩篇6
詩篇7
詩篇7:17
詩篇8
詩篇9
詩篇9:2
詩篇9:11
詩篇11
詩篇12
詩篇13
詩篇13:6
詩篇14
詩篇15
詩篇18
詩篇18:49
詩篇19
詩篇20
詩篇20:5
詩篇21
詩篇21:13
詩篇22
詩篇23
詩篇24
詩篇27:6
詩篇29
詩篇30
詩篇30:4
詩篇31
詩篇32
詩篇33:1
詩篇33:2
詩篇33:3
詩篇36
詩篇38
詩篇39
詩篇40
詩篇40:3
詩篇41
詩篇42
詩篇44
詩篇45
詩篇45:8
詩篇46
詩篇47
詩篇47:5
詩篇47:6
詩篇47:7
詩篇48
詩篇49
詩篇50
詩篇51
詩篇52
詩篇53
詩篇54
詩篇55
詩篇56
詩篇57
詩篇57:7
詩篇57:8
詩篇57:9
詩篇58
詩篇59
詩篇59:17
詩篇60
詩篇61
詩篇61:8
詩篇62
詩篇63
詩篇64
詩篇65
詩篇65:8
詩篇65:13
詩篇66
詩篇66:2
詩篇66:4
詩篇67
詩篇67:4
詩篇68
詩篇68:4
詩篇68:25
詩篇68:32
詩篇68:33
詩篇69
詩篇69:12
詩篇69:30
詩篇70
詩篇71:22
詩篇71:23
詩篇73
詩篇74
詩篇75
詩篇75:9
詩篇76
詩篇77
詩篇78
詩篇79
詩篇80
詩篇81
詩篇81:1
詩篇81:2
詩篇81:3
詩篇82
詩篇83
詩篇84
詩篇84:2
詩篇85
詩篇87
詩篇87:7
詩篇88
詩篇89
詩篇89:1
詩篇90:14
詩篇92
詩篇92:1
詩篇92:3
詩篇92:4
詩篇95:1
詩篇95:2
詩篇96:1
詩篇96:2
詩篇96:12
詩篇98
詩篇98:1
詩篇98:4
詩篇98:5
詩篇98:6
詩篇98:8
詩篇100
詩篇100:2
詩篇101
詩篇101:1
詩篇104:33
音楽その他
詩篇105:2
詩篇108
詩篇108:1
詩篇108:2
詩篇108:3
詩篇109
詩篇110
詩篇117:1
詩篇118:14
詩篇120
詩篇121
詩篇122
詩篇123
詩篇124
詩篇125
詩篇126
詩篇127
詩篇128
詩篇129
詩篇130
詩篇131
詩篇132
詩篇132:9
詩篇132:16
詩篇133
詩篇134
詩篇135:3
詩篇137:2
詩篇137:3
詩篇137:4
詩篇138:1
詩篇139
詩篇140
詩篇141
詩篇142
詩篇143
詩篇144:9
詩篇145
詩篇146:2
詩篇147:1
詩篇147:7
詩篇147:12
詩篇149:1
詩篇149:3
詩篇149:5
詩篇150:3
詩篇150:4
詩篇150:5
伝道者の書12:4
雅歌
雅歌1
イザヤ書5:1
イザヤ書5:12
イザヤ書12:2
イザヤ書12:5
イザヤ書12:6
イザヤ書14:4
イザヤ書14:7
イザヤ書14:11
イザヤ書18:3
イザヤ書23:16
イザヤ書24:8
イザヤ書24:9
イザヤ書24:16
イザヤ書25:5
イザヤ書26:1
イザヤ書26:19
イザヤ書27:12
イザヤ書30:32
イザヤ書35:6
イザヤ書35:10
イザヤ書38:20
イザヤ書42:11
イザヤ書43:14
イザヤ書44:23
イザヤ書48:20
イザヤ書49:13
イザヤ書51:3
イザヤ書51:11
イザヤ書54:1
イザヤ書65:14
エレミヤ書4:5
エレミヤ書4:19
エレミヤ書4:21
エレミヤ書6:1
エレミヤ書7:29
エレミヤ書9:10
エレミヤ書20:13
エレミヤ書31:4
エレミヤ書31:7
エレミヤ書31:12
エレミヤ書42:14
哀歌
哀歌5:14
エゼキエル書2:10
エゼキエル書19:1
エゼキエル書19:2〜14
エゼキエル書19:14
エゼキエル書26:13
エゼキエル書27:2
エゼキエル書27:32
エゼキエル書28:12
エゼキエル書28:13
エゼキエル書28:12〜19
エゼキエル書32:2
エゼキエル書32:2〜15
エゼキエル書32:16
エゼキエル書33:32(音楽)
ダニエル書3:5
ダニエル書3:7
ダニエル書3:10
ダニエル書3:15
ヨエル書2:1
ヨエル書2:15
アモス書5:23
アモス書6:5
アモス書8:2
アモス書8:10
ハバクク書3:1
ハバクク書3:19
ゼカリヤ書2:10
ゼカリヤ書9:14
 
新約聖書
マタイ6:2
マタイ11:17
マタイ26:30
マルコ14:26
使徒13:33
使徒13:33
ローマ15:9
コリントI13:1
コリントI14:7
コリントI14:8
テサロニケI4:16
黙示録4:1
黙示録5:8
黙示録5:9
黙示録5:9
黙示録8:2
黙示録8:6
黙示録8:7
黙示録8:8
黙示録8:10
黙示録8:12
黙示録8:13
黙示録9:1
黙示録9:14
黙示録10:7
黙示録11:15
黙示録15:2
黙示録15:3
黙示録18:22
※節の表記がないものは冒頭の題に音楽に関する単語が出てくる。(詩篇、雅歌、哀歌など)


第一章

 まずはじめに、音楽がいつ生まれ、いつからその言葉が使われるようになったかを検証する。まず音楽、楽器の演奏などについての最初の記述は、創世記4:21にある「その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。」というものである。ここで面白いのは、「立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった」という部分である。これはもしかしたら立琴と笛を巧みに奏することができるのは遺伝的なものかもしれないということが示唆されるからである。また、ここでの記述からは前後の20、22「アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。」、「ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。」から、文化的なものの生成について覗える。

 「レメクの三人の子供たちが担った役割は、いずれも地上的な人間生活の進歩と文明形成のために基礎的な領域。神は、カインの家系全体をただ悪しきものとして決定されているのではない。積極的な役割を与えて、将来への可能性を残しておられると見るべきであろう。〈ヤバル〉〈ユバル〉〈トバル・カイン〉の三人の名は、みな同じ語源(へブル語では)ヤーバルからの派生語。(ヘブライ語では)イェブール(生み出す)に結びつく。レメクの子らの働きの結果の名であろう。これらの名が誕生のときに与えられたのではなく、後に、それぞれの特徴を示す名として用いられるようになったことは、想像に難くない。〈トバル・カイン〉の〈カイン〉は、七十人訳にはないが「トバル」が「物を作る」ことを意味し、「カイン」が「鍛冶屋」につながることばだとすれば、文脈上の無理はない。後代の付加とする必要はない。「鍛冶屋トバル」の意かもしれない。」(新聖書注解 旧約1 いのちのことば社)

 ここにもあるように、この三人が文化形成に関わっていた人物たちであることがわかる。
 次に、音楽の音楽的な側面、音楽の音楽性について言及したい。音楽ということばの指す記号としてあらわすことのできない人間の創造力、創造性に依拠する部分、つまり音楽ということばがあろうがなかろうが、その人の頭の中にある、ある種の音楽的なものがある。CDを聞いているときに、そのCDの音自体が頭の中で流れているわけではなく、自分の頭の中でそのCDの音に近い音を流すことによって流れる(考える、思う、ということばにも置き換えられる。つまり精神世界の流れ、または心の中の変化、身体的な発起)ものが音楽と呼ばれるものの一種だと私は考える。音楽が人にとっていいものであるかどうかは置いて、我々にとっても大切な文化の一つであることは言える。この音楽はどのように使われてきたのだろう。それを知るために私は聖書を通して音楽を知るアプローチをしたい。次の章からはそれを進めていきたい。

第二章

 音楽が歴史的、人間史的にどのように使われてきたか、これは聖書から学びたい。聖書のことばはどのような時代でも、どのような状況でも揺るぐことはない。そして聖書は人類にとって軸となる書物である。ポピュラリティ、文化的価値、影響力、それらを主として様々な書物が世界の倫理基準、価値基準、判断基準、人類の軸となろうとするが、どれも聖書に書いてある真理には勝てない。それは聖書が神の霊感によって書かれているからである。
 まずはじめに聖書における音楽の位置づけをはっきりさせておく。特徴として挙げられる一つ目は、その音楽の示すもの、その音楽の対象だ。聖書における音楽の位置は、賛美というもの。基本的にそれ以外の音楽は殆ど記述がない。そしてもう一つは世間一般に言われる、世の中の音楽だ。その例としては、サムエル記18:6,7に「ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべて町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』」がある。これは、ダビデに対する賛辞、サウルに対する風刺の歌とも取れるが、基本的には現代も世間で歌われている歌たちと変わらない。歌には二種類あって、神に向かう歌か、それ以外かがあると私は思う。聖書に書かれている歌は殆どが神に対する歌である。ここで音楽のタイプを二つに分けることができるのがわかると思う。
 聖書の中の音楽に関する記述を見てみよう。データベースからは旧約聖書の時代の方が音楽に関する単語が出てくる記述の多さが覗える。新約聖書の時代は書物自体の分量が少ないせいもあるが、音楽に関する単語が出てくる記述はわずかだ。新約聖書の特徴は霊的な経験が書かれているということだ。「何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に使えるのではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」(IIコリント3:5,6)つまり旧約で神は私たちに型を与えた。それはイスラエル人に対してということかもしれない。しかし新約では、「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が避けた。」(マタイ27:50,51)とあるように、今まで神殿の中にいた神は、神殿から飛び出して、「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖なる宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(Iコリント6:19)とあるようにすべてのクリスチャンのうちに住まわれるようになり、クリスチャンが行くところにはどこででも神がおられるようになったのです。新約聖書は主に霊的な話が多いため、物質的なことは出てこないのかもしれない。これは私的な解釈だが、新約聖書ではある意味福音という形に音楽はなっているのかもしれない。
 データベースのその他にあたる一部が、合図系の楽器である。これは楽器(この場合音を鳴らす道具)がいろいろな使われ方をして、更にそれが号令などの確認音となる場合である。このことは音楽にも様々な見方、考え方ができることを示す。CDとギターの違いがいい例である。CDはボタンを押すだけで、特に演奏するという行為が抜け落ちているが、CDから流れてくる音は一般に音楽と呼ばれるものである。ギターの場合は演奏するという行為をするため、より音楽らしいのではないだろうか。音楽の音楽性については前にも述べたが「人の頭の中に流れているものを具現化したもの」を音楽だとすると、CDから流れてくる音は音楽ではないのかもしれない。

第三章

「旧約聖書の創世記から申命記まではモーセが書いたそうです。『主は自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた』(出エジプト記33:11)。・・中略・・モーセは書き止めました。紀元前1500年頃のことです。
 詩篇は三分の二ぐらいダビデが書きました。心がわき立ち、あふれてくる神様の言葉を書記の筆のように書きとめたのです。・・中略・・紀元前1000年頃のことです。
 このように、66巻の聖書は、かれこれ40名の人々によって書かれたそうです。けれどもそれは『すべて神の霊感によるもの』ですから、聖書はただお一人の神が、2000年にもわたって書き続けた、長い長い手紙とも言えます。創世記から黙示録まで、内容はつながっています。」(東京ホライズンチャペル 世田谷教会 会報 10月創刊号より 著宮本 富江)
 
 聖書は神の霊感によって書かれている。ということは詩篇に書かれているような歌、詩は神の霊感によるものだということだ。歌の中にも神の霊感によって書かれた歌もある問いことがわかる。音楽にはこの世の中の歌と、純粋な神の霊感によるところの歌がある。この二つがいったい何を意味しているのだろう。純粋な神の霊感による歌は滅びることがなく、廃れることがない。このように神はことばに息を吹き込む。
 
 「四十人の著者たちが誤りなく記録できるように、そのペンを導かれたプロセスが霊感です。霊感は、元々息を吹き入れるという意味です。通常使われている世俗のことばに聖霊が霊を吹き入れた、ということです。宗教用語だから聖句なのではなく、霊の息が内臓されたので聖句なのです。」(2007 (6) <聖霊の働き1>Pastor Hirano’s Love Letter No.36-42 No.37より)
 
 つまり聖霊の力によって、世俗のことば、音楽に息が吹き込まれる、ということです。聖霊のバプテスマ(使徒の働き1:4〜8参照)を受けたことにより、歌を歌う人もいるそうです。歌うことによって、神様を賛美しているのでしょう。「彼らがそこ、ギブアに着くと、なんと、預言者の一団が彼に出会い、神の霊が彼の上に激しく下った。それで彼も彼らの間で預言を始めた。」(サムエル記I10:10)

 「聖霊の実体験をしたときにサウルは変貌したのです。まずは預言の賜物が与えられました。これは、賛美するような預言と思われます。神様からもらったメロディで大いなる神の大いなるみわざを賛美していた可能性は強いと思われます。」(2007 (7) <聖霊の働き2>Pastor Hirano’s Love Letter No.43-49 No.43参照)
 
 このように神の霊感、または聖霊の働きによって歌われるうたがあり。またそれが人類史上最も重要な歌であると思われる。
 音楽は関係を作る。コミュニケーションの一手段である。今日音楽は、その本質とは異なった形で我々の間を執りもってくれる。音楽から、ファッションや思想、サブカルチャーなどを連想する人も少ないはずだ。ポピュラー音楽研究では更に、地理、産業、政治などの観点から音楽を研究してゆくということが行われている。しかし音楽は本来、素のままでも人と人との間を執りもってくれるはずだ。もちろん平和を歌った歌や、政治的なことを歌った歌でも結束はできる。しかし、本当の結束とは何なのだろう。クリスチャンが歌う賛美歌には「神を賛美するという思い」という点で本当の結束があると思う。

 音楽のこと、賛美のこと、少し音楽のことから脱線してしまったが最後に音楽的なことで、
 このことばでしめたい。

 「笛や立琴のような楽器でも、もしその音に変化がなければ、何を吹いているのか、弾いているのかどうして知ることができようか。またもしラッパがはっきりした音を出さないなら、誰が戦闘の準備をするだろうか。」(Iコリ14・7、8)


参考文献 『日本聖書刊行会 新改訳 聖書』
『新聖書注解 旧約1 いのちのことば社』
『東京ホライズンチャペル 世田谷教会 会報 10月創刊号』
『2007 (6) <聖霊の働き1>Pastor Hirano’s Love Letter No.36-42』
『2007 (7) <聖霊の働き2>Pastor Hirano’s Love Letter No.43-49』



丸茂 弘一

現代のプログレ「ドリーム・シアター」

1.はじめに

 自分が初めて「ドリーム・シアター」の音楽に出会ったのは高校生のときである。そのときはバンドをやっていた先輩にプログレという音楽があり、その代表的なバンドがドリーム・シアターだと紹介され、プログレは新しい音楽だと思っていた。しかし、大学に入りイエスなどプログレの先駆者たちの音楽に出会い歴史があることを知った。そういったイエスなどの音楽と比べると異質な音楽のように聞こえる。
 ドリーム・シアターというバンドの音楽は一体何なのか。プログレなのか、ヘヴィ・メタルなのか。サウンド的にはヘヴィ・メタルのような気がするが、曲の構成などはプログレのような気がする。普通のCDショップでは大抵ヘヴィ・メタルコーナーに置かれている。ということはヘヴィ・メタルなのだろうか。しかし、ドリーム・シアターが来日したときメンバーの一人がこれを見てショックを受けたという話しがある。本人たちはプログレコーナーに置いて欲しかったらしい。ということはプログレなのだろうか。
 プログレッシブ・メタルという言葉がある。これはドリーム・シアターの音楽に一番合う言葉である。というより、ドリーム・シアターの登場によって作られた言葉である。プログレッシブという言葉が頭に付くからにはプログレの新しい形のような気がするが、CDショップのようにヘヴィ・メタルのジャンルに入れられてしまう。へヴィ・メタルの中に入れるのならば、自分なら「ニュー・メタル」とか「ポスト・メタル」とかメタル側から見たネーミングをする。
 そこで今回はドリーム・シアターが「プログレ」と言われる理由をさぐっていきたいと思う。

2.プログレッシブ・ロック

 まず始めに「プログレ」というものについて説明したいと思う。「プログレ」とは普通プログレッシブ・ロックのことを指す。プログレッシブ・ロックとは1960年代後半から70年代半ばにかけて音楽シーンにムーブメントを作った音楽である。「ピンク・フロイド」「キング・クリムゾン」「イエス」「エマーソン・レイク&パーマー」などが代表的なバンドであり、いずれもイギリスのバンドである。
 プログレッシブ・ロックの音楽的な特徴はそれまでのロックというジャンルにとらわれることなく、ジャズやクラシックなどの他ジャンルの影響を反映した先進的、実験的な音楽であること、コンセプト・アルバムと呼ばれるアルバム全体で一つの作品にするという意識があること、コンセプト・アルバムになっていなくとも、一曲が長時間で大作主義傾向にあるということ、グルーブよりも芸術性を重視していることである。
 こういった一見難しそうな音楽がムーブメントを作った背景には、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」やザ・フーの「トミー」といった当時の一般的支持を獲得していたロックバンドたちがコンセプト・アルバムをリリースし、セールスを上げていたということがある。そんな中で69年にリリースされたキング・クリムゾンのデビューアルバム「イン・ザ・コート・オブ・ザ・クリムゾン・キング」がビートルズ、レッド・ツェッペリンと並んで全英チャート上位にチャートインしたことが、プログレッシブ・ロックというものを広め、ムーブメントのきっかけとなる。以後様々なバンドがデビューしていき、チャートの上位を占めるようになる。
 そういったプログレッシブ・ロックという音楽も70年代後半から登場したディスコ・ミュージックやパンク・ロックによって衰退していくこととなる。

3.ドリーム・シアターとは

 次に「ドリーム・シアター」というバンドについて説明していきたいと思う。ドリーム・シアターは1985年にアメリカ、ボストンにあるバークリー音楽院に通っていたジョン・ペトルーシ(ギター)、ジョン・マイアング(ベース)、マイク・ポートノイ(ドラム)の3人にジョン・ペトルーシとジョン・マイアングのバンド仲間のケヴィン・ムーア(キーボード)が参加し、4人編成のバンドとして活動が始まった。その後1986年にボーカルにクリス・コリンズを迎え「マジェスティー」という名前でデモテープの制作など本格的にバンド活動が始まった。しかし、その年の11月にクリス・コリンズを声域の狭さを理由に解雇し、またしばらく4人で活動をしていく。
 1987年秋に、ボーカルのチャーリー・ドミニシが加入し、また5人編成になる。その後デモテープのクオリティーとライブのパフォーマンスが認められ、1989年にMCAと契約、1stアルバム「ウェン・ドリーム・アンド・デイ・ユナイト」を制作し、デビューを飾る。しかし、デビュー直前に同名のジャズ・バンドが既に存在していることがわかり、マイク・ポートノイの父親の提案した「ドリーム・シアター」をバンド名にすることになった。
 その後、ボーカルが現在のジェイムズ・ラブリエに交代する。それと同時期にレコード会社もアトランティックに移籍した。このレコード会社移籍の理由については、1stアルバムが不評だったこと、レコード会社の数々の不手際などのトラブルが重なりライブ活動が満足にできなかったためだと言われていが、メンバーは真相についてあまり語りたがらないらしい。
 そんなことがあって前作から3年開いた1992年に2ndアルバム「イメージズ・アンド・ワーズ」がリリースされ、大ヒットを記録する。この作品はファンの間で名盤と言われている。
 1994年、3rdアルバム「アウェイク」を発表する。この直後キーボードのケヴィンが脱退、ツアー要員としてデレク・ジュリアンがサポートで加入する。
 1995年、ミニアルバム「ア・チェンジ・オブ・シーズンズ」をリリースする。表題曲は23分にも及ぶ大作である。
 1997年、4thアルバム「フォーリン・イントゥ・インフィニティ」をリリース、翌1998年、2枚組のライブアルバム「ワンス・イン・ア・ライブタイム」をリリースした。
 同年にはマイク・ポートノイが中心となって結成されたユニットによってアルバム「リキッド・テンション・エクスペリメント」がリリースされた。このユニットのメンバーは、マイク・ポートノイ(ドラム)、ジョン・ペトルーシ(ギター)のドリーム・シアターのコンビに加え、この作品での共演をきっかけにドリーム・シアターに加入することとなるジョーダン・ルーデス(キーボード)、そして元キング・クリムゾンのトニー・レヴィン(ベース)である。この人選はマイク・ポートノイによるもので、トニー・レヴィンを誘ったところはプログレッシブ・ロックへのリスペクトがうかがえる。
 1999年、ジョーダン・ルーデスが正式メンバーとなり、初のコンセプト・アルバムとなる5thアルバム「メトロポリス・パート2:シーンズ・フロム・ア・メモリー」をリリースした。このアルバムは2ndアルバムに収録されている「メトロポリス」の続編として制作された。また、ライブではこのコンセプト・アルバムを完全再現して大きな話題となった。
 2002年、2枚組の6thアルバム「シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス」をリリース、表題曲は42分にも及ぶ組曲形式になっている。
 翌2003年、7thアルバム「トレイン・オブ・ソート」をリリースした。この7thアルバムのツアーで2004年来日し日本武道館公演を行った。
 2005年、8thアルバム「オクタヴァリウム」をリリースし、現在に至る。

4.ドリーム・シアターの音楽

 次にドリーム・シアターの音楽についてみていきたいと思う。ドリーム・シアターの音楽の特徴を簡単に言うとプログレの要素とヘヴィ・メタルの要素を組み合わせたものである。プログレ的な部分では、1曲が長い、クラシカルな曲展開、変拍子などの複雑なリズム構成などがある。ヘヴィ・メタル的な部分では、ヘヴィなサウンド、ドラムのツーバスフレーズ、ギターの速弾き奏法などがある。そういった特徴を持つ音楽がどう考えられているのか、メディア、ファン、アーティスト本人の3つの視点からみていきたいと思う。
 まずメディア側からの視点についてみていきたいと思う。そこで参考にしたのは日本版のアルバムに付属している解説文である。この解説文の中でドリーム・シアターの音楽がどのように語られているかをみていきたい。ドリーム・シアターの解説文は8枚のアルバムすべて伊藤正則氏によって書かれている。まず、1stアルバムのものからみていくと、この中でまず言われているのは「古き良きプログレッシブ・ロックの思想を継承し、叙情性と劇的な構成美を操っていく、知的でダイナミックなサウンド」とプログレの話しから始まっている。この後もプログレ的な面について多く語られている。イエス、ジェネシスなどのプログレ先駆者たちの名前を出し、ドリーム・シアターの音楽の背景にはプログレの影響が感じられると語られている。メタル的な要素について語られている部分はギターの奏法について書かれている部分だけである。そして最後の部分には、すでに衰退してしまったプログレッシブ・ロックの精神に現代的な感覚を融合させたところにドリーム・シアターの音楽があると書かれている。この時点ではプログレッシブ・メタルという言葉は出てこず、むしろプログレの新しい形の音楽のように語られている。
 プログレッシブ・メタルという言葉が登場したのは2ndアルバムからで以降5thアルバムまでの間メタル的な面について書かれることが増えてくる。メタリカ、オジー・オズボーン、アイアン・メイデンなどのヘヴィ・メタルのアーティストの音楽と結びつけてヘヴィなサウンドとメンバーチェンジによる曲の作り方の変化について多く語られている。おそらくこの時期のドリーム・シアターに対する評価がヘヴィ・メタル的な要素に集まっていたと考えられる。
 5thアルバムからまたプログレの要素についてもまた語られるようになる。5thアルバムはコンセプト・アルバムということもあり、ピンク・フロイドなどの名前を出しコンセプト・アルバムが最も似合うバンドと書かれている。以降、8thアルバムまで、音楽のプログレ的要素、プログレッシブ・ロック・バンドへのリスペクトなどが多く書かれている。最新の8thアルバムの解説文の最後にはプログレッシブでありながら、ヘヴィ・メタル的であると書かれていて、プログレ的な要素を評価している。
 ここまでみてきて、メディアのドリーム・シアターの音楽に対する考えは、ヘヴィ・メタル的なプログレといったようにみえる。
 
 次にファン側からの視点についてみていきたいと思う。今回はドリーム・シアターのファン、ヘヴィ・メタルのファンに話を聴き、それを参考にした。
 まずドリーム・シアターのファンにドリーム・シアターの音楽のどういう部分に魅力を感じるか聞いた。ファンは「プログレ的な部分に魅力を感じる」と話している。「複雑な曲構成、変拍子などのリズム構成、クラシカルな曲展開はまさにプログレという感じがして、複雑で難しいものを作り出し、演奏する技術にとても魅力を感じる。そういった演奏にしっかりとしたメロディーが載っていてとても聴きやすい」と話している。サウンドについては、「ギターのリフ、ソロ、ドラムのツーバスなどはヘヴィ・メタル的で、メタリカなどに通じる部分がある。しかし、そういったヘヴィ・メタルのバンドとは異質でドリーム・シアターでしか出せないサウンドを出しているとはなしている。」ドリーム・シアターをどう評価しているかについては、「プログレだがプログレッシブ・ロックとは違うし、ただのヘヴィ・メタルとは違うし、プログレッシブ・メタルというのがやはり一番合う。プログレかヘヴィ・メタルかといわれたら、プログレだと思う」と話している。
 次にヘヴィ・メタルのファンに話を聞いた。ドリーム・シアターの音楽をどう思うかを聞いたところ、「ギターのサウンド、ドラムのツーバス、ボーカルの声などヘヴィ・メタル的である」と話している。普段よく聴いているヘヴィ・メタルのバンドと比べるとどうかと聞くと、「サウンドは同じ要素があるが、曲の展開、リズム構成などはドリーム・シアターの方が複雑で、独特のものがある」と話している。ドリーム・シアターをどう評価するかについては「テクニカルなヘヴィ・メタル。やはりプログレッシブ・メタルだと思う」と話している。
 ファンの考えをまとめると、プログレッシブ・メタルという言葉が前提としてあるので最終的にそこにいきついてしまう。しかし、ただヘヴィ・メタルというとあまり納得がいかないが、ただプログレという方には納得がいくということがわかった。ファンはプログレとしてドリーム・シアターの音楽を聞いているように思える。

 最後にアーティスト本人はどう考えているのかをみていきたいと思う。今回は雑誌のインタビュー記事、ライブDVDに収録されているインタビューを参考にした。
 まず音楽的な影響についてみていくと、イエス、ジェネシス、キング・クリムゾンなどプログレッシブ・ロックのバンドから音楽の思想の影響を受けていて、メタリカ、アイアン・メイデンなどからヘヴィなサウンドの影響を受けていると話している。自分たちは衰退したプログレという音楽を現代にあったヘヴィなサウンドと融合させることで、プログレをまた主流な音楽にしたと話している。こう話す背景には売り上げの好調さとゴールド・ディスクを獲得したことがあるという事実があると考える。自分たちの音楽はただのヘヴィ・メタルやハード・ロックとは違いプログレ的な要素を多く含んだプログレッシブ・ヘヴィだと話している。
彼らのインタビューを見ていて気づいたことがある。それは「メタル」という言葉を使わず、「ヘヴィ」という言葉をつかうことが多いということである。プログレッシブ・メタルという言葉も使わず「プログレッシブ・ヘヴィ」という言葉を使っていた。おそらく彼らはヘヴィ・メタルのバンドと思われることをあまり好んでいないように思える。

5.まとめ

 ここまでドリーム・シアターの音楽について考えてきたが、ドリーム・シアターの音楽はいったい何なのか見えてきた気がする。ドリーム・シアターの音楽がプログレの音楽的特徴と合致する部分が多いこと、メディア、ファン、アーティスト本人ともにプログレだということを意識していること、これらのことからドリーム・シアターの音楽は「プログレ」であり、新しいプログレという音楽の形だと考える。「プログレッシブ・メタル」という言葉はやはりプログレというジャンルの中に含まれるものだと思う。
 これらを考えるとドリーム・シアターを「現代のプログレ」と言ってもけして大げさではないと考える。



岩崎 由季

オルガンサウンド研究

はじめに

 私がオルガンを弾き始めて約2年が経つ。初めてオルガンという楽器を意識したのは、友達に借りたThe Doorsのデビューアルバム「The Doors」である。レイ・マンザレクの弾くVOX Continentalのチープな音色になんとも言えない興奮を覚えた。そこからオルガンばかりを意識したレコード探しの日々が続く中、ジョン・ロードやキース・エマーソンに出会い、オルガン奏者への憧れが徐徐に大きくなった。そして自分もこんな音が出したいこんなフレーズが弾きたいと思うようになった。楽器の違いはどうにもならないため、自分の所有する楽器での再現を目指す。オルガンのサウンドの構造、コード等の音楽理論の知識のなさを克服すればある程度近づけるはずである。アーティスト単位ではなく曲中のワンフレーズに注目し、サウンドの構造を研究していきたいと思う。(奏者や作品のセレクトはあくまで私個人の好みであり、歴史にその作品が重要である等の理由づけはできない。)

使用楽器

 私が所持している楽器はClaviaから発売されているNord Electro2(以下NE2)の61鍵である。NE2は本物のオルガンに近い鍵盤のタッチでドローバー、コーラス/ビブラート、ロータリー・スピーカーの切り替え、パーカッション等、限りなく本物のオルガンに近い機能を持つのに7.8kg(61鍵)という軽さで女性でも持ち運び可能であり、ものすごい人気で多くのミュージシャンが活用している。オルガン以外にも、Rhodes、Wurlitzer、YAMAHA CP、クラビネット、アコースティックピアノのサウンドを搭載しており、オーバードライブ、トレモロ、ワウ等のエフェクト機能も満載である。

「ハートに火をつけて」  The Doors

 まずは、オルガンを弾くきっかけを与えてくれたこの楽曲から。アメリカのロックバンド、ドアーズの2枚目のシングルである。オリバー・ストーン監督の映画「ドアーズ」では、海で遊ぶ3人のメンバーにレイ・マンザレクが部屋から「イントロできたぞー!」と叫ぶシーンがある程、イントロフレーズが超有名な曲である。
 ベースレスのドアーズでは、キーボードのレイ・マンザレクが左手や足でベースパートを弾くため、ベースは常にシンプルなフレーズが続く。肝心な右手はVOX Continentalである。赤いボディーに鍵盤は黒白反転のオルガンだ。まずこの音を出すためにドローバーをいじった結果、808808008で似たような音が出た。ドローバーとは、ひとつのキーを押したときに、9個のトーンホイールの音を鳴らすことができ、それぞれのトーンホイールの音を鳴らす・鳴らさない、またどのくらいの大きさで鳴らすかを調整するためのスライドボリュームである(http://www.hammond.jp/hammond/beginner/index.html#Organ ビギナーのためのハモンドオルガン講座より)。したがって808808008とは8がボリューム最大、0が最小となる。
 ではトーンホイールとは何か。トーンホイールとは、トーンホイールジェネレーターと呼ばれる直径5cmほどの、鋼鉄製歯車をピックアップの前で回すことによって生まれるサイン波を音源としている。トーンホイールは常に一定の速度で回転するので音が変動せず、絶対に音程が狂う事はない。非常に頑丈で温度や湿度にも影響されないから年数がたっても調律は不要(http://f39.aaa.livedoor.jp/~okitsu/hammond.htmより)。NE2のドローバー・スイッチはトーンホイール・オルガンの音の出る仕組みを、デジタル技術で忠実に再現したものである。
 ドローバーは9本で構成される。それぞれの音は、左から16' (16フィート)・5-1/3' ・8' ・4' ・2-2/3' ・2' ・1-3/5' ・1-1/3' ・1' となっている。このうち8' は「基音」と呼ばれ、この音を中心にドローバーを調整して音色を作り上げていく(Wikipedia「ハモンドオルガン」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3参照)。フィートとは、長さを表す単位であり、パイプオルガンからきている。基音が8フィートの長さのパイプだとすると、一番左のドローバーの音は16フィートの(基音より1オクターブ低い音が出る)パイプの音であることを表している(http://www.hammond.jp/hammond/newb-3/Drawbar/参照)。となると、それぞれの出す音は左から、16'=1オクターブ低いC・5-1/3'=5度のG・8'=基音C・4'=1オクターブ高いC・2-2/3'=12度のG・2'=2オクターブ高いC・1-3/5'=17度のE・1-1/3'=19度のG・1'=3オクターブ高いCであることがわかる。
 ここで808808008に戻って考えてみると、基音をCとした時、Cのオクターブしか出ていない、完全協和音である。GやEの音を全く出さない事によって、音に深みが出ず、いわゆるチープな音になっているのであろう。チープであるのにキラキラしている。ドアーズは一般的にサイケデリック・ロックと言われたりしているが、これはレイ・マンザレクの出すこのサウンドの効果も大きいと思う。このキラキラしたサウンドの独特の浮遊感と、光を思わせる幻覚作用、そしてレイのフレージングが初期ドアーズのバンドサウンドを決定付けていると言っても過言ではない。
 この楽曲でもうひとつ印象的なのが、長いソロ回しである。オルガンの部分だけで約2分、そのままギターソロにうつり約2分。Am→Bmコードをひたすら繰り返す中で、フレーズを展開していく。(キーボードマガジン1998.7月号「キーボード・クラシックス20」によると、)このソロ回しはジョン・コルトレーンの影響らしい。

「ハッシュ」  DEEP PURPLE

 DEEP PERPLEの1枚目のアルバムから「ハッシュ」。まず、ジョン・ロードの使用機材はハモンドオルガンのC−3である。B−3に比べ、ボックス型で改造しやすいC−3はロック・ミュージシャンに好まれ、キース・エマーソンなどにも使われていた。B−3といC−3はデザインが違うだけで中身はほぼ同じである。
 では、NE2で「ハッシュ」のパーカッシブなオルガンプレイを真似してみる。ドローバーは888800000で、NE2内蔵のオーバードライブをONにし、つまみを半分くらいまで回す。両手を使って手のひらでリズムよく叩き、1小節ごとにグリッサンドをいれる。が、あまり雰囲気がでない。ロータリー・スピーカーをONにし、FASTに切り替えた方が少し近付いた。ロータリー・スピーカーとは高音部用のホーンと、低音部用のローターを、モーターで別々に回転させてコーラス効果を発生させ、音に広がりを与える仕組みをもったスピーカーである(ウィキペディア「ロータリー・スピーカー」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BCより)。
 小川文明の教則本(究極のキーボード練習帳 リットーミュージック・ムック)によると、パーカッシブ・プレイやグリッサンドでは、エクスプレッション・ペダルの使い方がキモだと書いてある。グリッサンドの音が頂点に達する瞬間にペダルを踏み込み、瞬時に戻す。実践してみたが、これはかなり練習しないとできそうにない・・・。

「タルカス a)噴火」  EMERSON, LAKE & PALMER

 ELPの2枚目のアルバム「タルカス」。表題曲タルカスは20分40秒もある壮大な組曲であり、その中から冒頭の「噴火」のオルガンサウンドに注目してみようと思う。0:33から登場する木琴のような音、これはキース・エマーソンの弾くハモンドC−3である。NE2ではドローバーを400000000にして、3rdパーカッションをON(SOFTにした方がいいかも?)にすると似たような音がでる。このパーカッションという機能は、アタックやベロシティのないオルガンの鍵盤を押したときにポンッという音がでる機能で、2ndと3rdの2種類がある。2ndはオクターブ上の音、3rdは5度上の音が鳴る。ここではただパーカッションをONにしただけでは少し違う。パーカッションをいかそうとスタッカートで弾きすぎると軽くなりすぎる。できるだけ音を保持したノン・レガートで弾かないとこのきれいさはでないのだ。この左手のフレーズの反復はオスティナートという。(ウィキペディア「オスティナート」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%88

まとめ

 今回の研究は正直かなり内容の薄いものになってしまったが、今までただ聞くだけだった自分的には大きな第一歩である。「ハッシュ」は上手く弾けなかったが、「ハートに火をつけて」のイントロと「タルカス」の冒頭部分をほぼ完全に再現できただけでも、かなり喜びを感じている。ここでこのような意思表明をしても、あまり意味がないが、ソフト・マシーンのマイク・ラトリッジやストラングラーズのデイブ・グリーンフィールド、他にもたくさんのオルガン奏者をこれから研究していきたいと思う。



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